でたらめ経 宇野浩二 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鉦《かね》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|疋《ぴき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)ほん[#「ほん」に傍点] -------------------------------------------------------  むかし、あるところに、それはそれは正直なおばあさんが住んでいました。けれども、このおばあさんは子もなければ、孫もないので、ほんとうの一人ぼっちでした。その上、おばあさんの住んでいたところは、さびしい野原の一軒家で、となりの村へ行くのには、高い山の峠を越さねばなりませんでしたし、また別のとなり村へ行くには、大きな川をわたらねばなりませんでした。  だから、おばあさんは毎日々々ほとけ様の前に坐って、鉦《かね》ばかり叩《たた》いていました。きっとこのおばあさんにも、以前は子や孫があったのかも知れません。それがみんなおばあさんより先に死んで、ほとけ様になったのかも知れません。だから、さびしいので、そうして毎日ほとけ様ばかり拝んでいたのでしょう。  それに、食べるものは裏の畑に出来ましたし、お米は月に一度か、二ヶ月に一度川向うの村へ買いに行くので用は足りましたし、水は表の森のそばに、綺麗《きれい》な綺麗な、水晶のようなのが湧《わ》いていましたし、――だから、おばあさんは何にも心配することも、いそがしい用事もない訳でした。  ただ、時々近くの街道《かいどう》を往来する旅の人が足を疲らしたり、咽喉《のど》をかわかしたりして、おばあさんの家《うち》へ一ぷくさしてくれとか、水を一ぱい御馳走《ごちそう》になりたいとかいって、寄ることがある位のものでした。  ある日の夕方のことでした。一人の旅人がこの家の前を通りかかりまして、これから急用があって、夜通しで山を越えて行かねばならぬものだが、少し休ましてほしいとおばあさんに頼みました。 「お安いことじゃ。どうぞ遠慮なくお休みなさい、」とおばあさんはいいました。  そこで、旅人はおばあさんからお茶などを呼ばれながら、縁側に腰を下ろしてしばらく休んでいましたが、さて疲れもなおりましたので、 「おばあさん、いろいろ御馳走さまでした、」といって、お礼に少しばかりのお金を紙に包んでおこうとしますと、 「そんなものは入りません、どうぞこれはおしまい下さい、」とおばあさんはびっくりした顔をしていいました。「わたしの家《うち》は御覧の通り茶店を商売にしている訳ではありません。それに、こんなものをいただくほどお世話もしないのですから、これはどうぞおしまい下さい。」 「いや、それはそうであろうが、これはわしのほん[#「ほん」に傍点]の志なんだから、どうか取っておいて下さい、」と旅人はまた旅人で、いろいろにいって勧めましたが、どうしてもおばあさんの方では受取ろうとしません。が、おばあさんはふと何か思いついたと見えて、 「そんなら旅の方、」といいました。「そんなら、わたしの方からお願いして、外《ほか》のものをお礼にいただきましょう。」 「外のものというのは、どういうものですか?」と旅人は不思議そうな顔をして聞きかえしました。 「外のものというのは、外のものでもありませんが、」とおばあさんがいいますには、「御覧の通りわたしは年寄で、こんな一軒家に一人ぼっちで住んでいるものですから、外に何の楽《たのし》みもありませんですから、お金などをいただいても、つかい道がありません。折角いただいても、いただくのなら、つかい道のあるものと思いまして……」 「おばあさんにつかい道のあるものというのは何だね?」と旅人はおばあさんの話が廻りくどいので、こう急《せ》き立てて聞きました。 「それはね、ほら、あそこに仏壇がありますでしょう、」とおばあさんはやっぱり落着いた調子で、「わたしは暇さえあると、あそこにお線香を立てたり、花を立てたりして、そしてただ鉦を叩いて拝んでいるだけなのでございます。……」 「そのほとけ様が一体どうしたというんだい、おばあさん?」と旅人は少しいらいらしながら尋ねました。 「それで、おばあさんはわしに何がほしいというんです?」 「それで、そのわたしは、」とおばあさんは相変らずゆっくりと、「そうして毎日ひまさえあると、鉦を叩いて拝んでいるのですが、ただ拝んでいるばかりで、お経の文句を少しも知らないもんですから、誠に不自由をしているんでございます。それで、旅の方、わたしのお願いというのは、お経の文句を教えていただきたいので、それならわたしに早速有難くつかい道があります訳で……」 「お経の文句!」と旅人は頓狂《とんきょう》な声でいいました。何故《なぜ》頓狂な声でいったかというと、旅人は生憎《あいにく》お経の文句なぞ少しも知らなかったからでした。おばあさんはそんなこととは知りませんから、 「ね、旅の方、お見受けしたところ、あなたはお立派な方だから、きっとお経の文句を御存知に違いない。どうぞ、ほん[#「ほん」に傍点]の少しでも宜《よ》いから教えて下さいませ、お願いでございます、」と頼みました。  お立派な方、といわれたので、旅人は嬉《うれ》しくなってしまいました。これで、お経の文句を知らないなぞといったら、恥かしいわけだと思いましたので、 「そりゃお経の文句ぐらいなら知っているが……」と答えました。 「御存知なら、どうぞ、旅の方、是非お教え下さいませ。実はこれまでにいろんなお方にお願いしたのですが、この辺を通る方に、お経の文句を知ってる人が一人もありませんので……今日《こんにち》こうしてあなた様がお見えになったのは、ほとけ様のお引合せに違いありません。さあ、どうぞお教え下さい。」  こういわれると、ますます旅人は後《あと》へ引けなくなりました。といって、今もいった通り、お経の文句など、一言《ひとこと》も知らないのですから、「さあ、どうぞ、どうぞお教え下さい、」とおばあさんに催促されて、本当に困ってしまいました。で、きょろきょろと、あっちを見たり、こっちを見たりして、初《はじめ》のうちは、おばあさんのすきをうかがって逃げ出そうと思った位ですが、何をいうにもおばあさんが余り真面目《まじめ》で正直なものですから、そんな狡《ずる》いことをして、逃げることもなりません。おばあさんはもう鉦を前において、旅人が口を開くのをじっと待っている様子です。仕様がないので、旅人は度胸をきめて、何かお経の種《たね》になるものはないかと、ふと家の奥の方を見ますと、おばあさんの大切な仏壇が、外のどの道具よりも目立って、立派にきらきらと光っています。仏壇の中には線香をくすべる香炉があります。香炉の傍《そば》には花立《はなたて》があります。 「さあ、どうぞ早く教えて下さい、」とおばあさんが急《せ》き立てるものですから、旅人は困った余り、ふと思いついて、出鱈目《でたらめ》に、しかし出来るだけお経らしい節をつけて、 「香炉や、花立や、花立や、香炉や、」と唱えました。すると、おばあさんはその文句と節をそっくり真似《まね》て、 「香炉や、花立や、花立や、香炉や、」といって、「チン」と叩き馴《な》れた鉦を叩きました。よく合いました。そこで、「これはまったく覚えいいお経で、ほんとうに有難う存じます。どうぞその先を、ついでに、もう少しお教え下さい、」と頼みました。  旅人は困って、もう一度、「香炉や、花立や、花立や、香炉や……」と同じことをいっているうちに、何か外のものを見つけて、それを読み込もうと気をくばっていますと、仏壇の棚《たな》のところに、鼠《ねずみ》がちょろちょろと出て来ました。旅人は心の中《うち》で、「これだ!」と思ったものですから、早速声を張り上げて、「鼠が一|疋《ぴき》御入来《ごにゅうらい》、鼠が一疋御入来、」とつづけているうちに、棚の上の鼠はちょろちょろと逃げて行ってしまいましたので、 「かと思ったら、すぐに逃げてしまったア、」といいました。おばあさんはそんな事とは知りませんからそれが真面目なお経だと思って、「鼠が一疋御入来、鼠が一疋御入来。かと思ったら、すぐに逃げてしまったア、」と唱えて、そこでまた、「チン」と鉦を叩きました。 「ほんとうに、これはこれは分りやすい、結構なお経でございます。」とおばあさんは大喜びでいいました。「これなら、わたしのような年寄りでもよく覚えられます。旅の方、どうぞもう少しその先をお教え下さいませ。」  旅人はまた困りましたが、仕様がありませんので、その先を、「鼠が一疋御入来、かと思ったら、すぐに逃げてしまったア、」とくり返して唱えているうちに何か思いつくだろうと、仏壇の方を見ていますと、先《さっき》の棚の上に、今度は鼠が二疋連れで、ちょろちょろと何か相談し合うような恰好《かっこう》で歩いて来ました。そこで旅人は早速、「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来、」といっているうちに、どうしたのか、二疋は大急ぎで逃げて帰ってしまいましたので、旅人はこれもお経の種にして、「ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア、」といって、もうこの先を頼まれたら、本当に困ってしまうと思ったものですから、「さア、これだけで一と切りです。」といいました。 「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来。ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア、」とおばあさんは相変らず大真面目で、旅人の唱えた通りに唱えて、「チン」と上手《じょうず》に拍子をとって鉦を叩きました。そして、大へん満足したように、「どうも結構な、覚えいいお経を教えて下さいまして、有難う存じます。では、旅の方、初めからわたしが一人でもう一度さらえて見ますから、間違いないか、聞いておって下さいませ、」といって、「香炉や、花立や、花立や、香炉や、鼠が一疋御入来、かと思ったら、すぐに逃げてしまったア。今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来。ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア。チン、チン。」  それを半分まで聞いていないうちに、「結構々々、」と旅人は可笑《おか》しくてたまらなくなりましたので、そっと逃げて行ってしまいました。  その晩のことでした。そういう正直なおばあさんの家のことですから、別に夜になっても、戸締りをするようなことはありません。ただ、冬は寒い風が吹く時に戸を締めておき、夏は暑苦しい時に戸を開《あ》け放しておく、といった風でした。  その晩、となり村から山を越えて来て、別のとなり村の方へ川を渡って行こうとする、二人連れの男がこのおばあさんの家の前を通りかかりました。この二人は泥棒が商売で、これから川を越して、向うの村へ着くと夜中頃になりますから、そこで一と仕事をするつもりだったのです。が、泥棒のことですから、ふと、このおばあさんの家の前を通りかかると、戸が開け放しになっていて、目星《めぼし》いものはなさそうですが、「行きがけの駄賃《だちん》だ」という考えで、一と稼《かせ》ぎしようと思いました。のぞいて見ますと、中に一人のおばあさんが仏壇の前に坐っているだけで、外に人のいる気配がしません。そこで泥棒の甲が乙に、 「おい、お前、ここで張番《はりばん》をしていてくれ。こんな寂しいところだから、人の通りかかるようなことはないだろうが、もしこの家の者で外に出ている奴《やつ》があって、そいつが帰って来たりするようなことがあると事だから。おれ一人で沢山だ、」といいました。  その時、家の中ではおばあさんが、昼間《ひるま》旅の人から習ったお経を始めるところでした。 「香炉や、花立や、花立や、香炉や……」  そこへ、泥棒の甲がそッとおばあさんに見えないように家の中に忍び込んで行きました。ところがびっくりしました。 「鼠が一疋御入来……」とおばあさんがいっています。人のことを鼠だというばかりでなく、見えるはずがないのに人が入って来たのが見えるのか知ら、と泥棒は思って、気味が悪くなったものですから一度表へ引返そうとしますと、おばあさんのお経はつづいて、 「かと思ったら、すぐに逃げてしまったア、……」  泥棒の甲はもうびっくりしてしまって、あわてて表に飛び出して待っていた相棒に、 「どうも気味の悪い家《うち》だよ、」といいました。「たしかに家の中にはおばあさんが一人しかいないんだが、どうも気味の悪いおばあさんだよ。頼むから、お前も一緒に行って見てくれないか。」  そこで、今度は二人連れでそッと家の中に忍び込みました。忍び足で歩きながら、泥棒の甲が乙に、 「あのおばあさんだよ。ああして向う向いていながら、後に目があるんじゃアないか、と思うんだ、」と耳の傍《そば》でいっている時に、 「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来、チン」と鉦を叩きながらおばあさんがお経の文句を続けました。  泥棒はそれが出鱈目に教わったお経を読んでいるのだとは気がつきませんから、びっくりして、あわてて引返そうとしますと、 「ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア。チン、」とおばあさんはお経をつづけました。  それを背中に聞きながら、二人の泥棒は夢中で表に逃げて出ました。 「ああ、驚いた。あのおばあさんは何だろう。きっと化物《ばけもの》か何かだよ。後に目があるんだよ。しかも人のことを鼠だなんて……畜生!」といい合いながら、二人の泥棒は川の岸のところまで、後《あと》も見ないで、息を切らして逃げて来ました。そして、ほッと顔を見合わして、ため息をつきました。  おばあさんは、自分の知らない間《ま》に、そんな事があったとは少しも知らないものですから、泥棒が帰った後でも、「折角教わったお経だ。よく覚え込むまで、何度もやっておこう」と独言《ひとりごと》をいいながら「香炉や、花立や、花立や、香炉や……」  とまた初めからさらい出しました。が、今度はもう鼠も泥棒も出て来ませんでした。 [#ここから2字下げ] [#ここから1段階小さな文字]  この一篇は岸辺福雄《きしべふくお》先生が、「鼠経《ねずみきょう》」という題で、私の友人が人形芝居をした時に、人形をつかわせながらされた話の筋を、大体そのまま借用して作ったのです。だから、この話の面白いところは岸辺先生のもので、下手《へた》なところは私のせいです。 [#ここで小さな文字終わり] [#ここで字下げ終わり] 底本:「日本児童文学名作集(下)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店    1994(平成6)年3月16日第1刷発行    2001(平成13)年5月7日第12刷発行 底本の親本:「春を告げる鳥」大日本雄辯會講談社    1927(昭和2)年3月25日発行 初出:「伸びて行く 第六卷第一號」目黒書店    1925(大正14)年1月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2019年6月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。