しゃりこうべ 室生犀星 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)瞬《またた》き [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)くどくど[#「くどくど」に傍点] -------------------------------------------------------  電燈の下にいつでも座っているものは誰だろう、――いつだって、どういう時だって、まじまじと瞬《またた》きもしないでそれの光を眺めているか、もしくはその光を肩から腰へかけて受けているかして、そうして何時《いつ》も眼に触れてくるものは、一《いっ》たい何処《どこ》の人間だろう、――かれはどういう時でも何か用事ありげな容子《ようす》で動いているが、しかしその用事がなくなると凝然《じっ》と座ってそして物を縫うとか、あるいは口をうごかしているとか、または指を折って月日の暦を繰っているかしている、――かれのまわりには白い障子と沈丁花のような電燈とが下っているだけだ。  誰でもこんな姿を見たことがないか――あるいは五年も十年もさきから、いつだって晩にさえなれば形紙の中から抜け出した蝙蝠《こうもり》色をした姿を、おのれの住家の中に――飽き飽きしながらもその影を除くことのできないようにして座っているではないか――よく考えて見てもそんな人間に知り合いはないが、よくよく見ると見覚えのある毎日見る顔で、毎日見ているために何時の間にか忘れ果ててしまっているような顔付《かおつき》で、そうして急にはちょっとは思い出せない顔付――そういう馴れきった顔つきであるために、心には何も残していないようで、とうていその顔付から遁《に》げ出すことのできない宿命じみた蒼白い顔付――それが春夜にもなお電燈の下に座っている――。  晩になると一軒の家にきっとこんな姿が決って座っている。どんなところにも黙りこくって、考え込んで、考え込むために黝《くろ》ずんだ姿で、季節はずれの菌《きのこ》のように湿っている――それは客間でも座敷でも茶の間でも、あかるい電燈の下にはいつでもきちんと座って、十年が二十年でも、そうしてこの世の終りまでも見とどける心がけで、この世の終りはきっと自分だけが居残るだろうという自信をもって、実際は見とどけ過るような長生きの前例で、さもしくしかしこっそりと一人で微笑《ほほえ》んで座っている、――このおしの強いどうにもならない宿命じみた陰影をどうしたって追い払うことはできない、――明るければ明るいほどこの姿は濃い――消えてゆくような影や形ではない。  こんな人生のくらしを眼をほそめて眺めて見わたすと、家というあんな陰気な箱みたいな二重にも三重にもあるいは十重二十重になった中から、ただ映ってくるものは一つの電燈の下っている真下に、いつまでも消えそうもない宿命の姿だけが家々の内部からえぐり出したように見えてくる――劇場のさじきに一人ずつおさまり返っている看客《かんかく》のように、人生のひもじい堪らない晩には、あんなにくどくど[#「くどくど」に傍点]した宿命がにじんで、たいくつなこの世の終りを、自分のまわりに生命をもったものの終りをちゃんと見とどけるために座っているではないか――。あれら[#「あれら」に傍点]は退屈を退屈としていない宿命のかげである。強情と我慢とからきた人生の骨拾いで、対手のしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]を火葬場の寒い吹きさらしの灰の中からほじ[#「ほじ」に傍点]くり出して、さて箸のさきにつまみあげてほとほと[#「ほとほと」に傍点]安心しきった顔つきで優しい微笑をもらすところのゴヤの婆さん――そして己れもやっと宿命の衣を脱いでしまって、それきりがっかりして、 「わたしはこれから何をしたらいいのだろう――もうあんなにきちんと座っていなくともよい、あんなに碌《ろく》でもない片いじな昼も夜もない見張りをすることもいらない。」  かれは心でそう言っても、やはりぬけきらない宿命のつづきを己れの子供や、子供の又の子供などにむかって、くどくどと又あたらしく籠を編むように考え出すのだ、――そしてそのひまひま[#「ひまひま」に傍点]には、あのようにしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]になって、灰の粉になって、もうあんなまんまるい形さえなくなった骸骨にまでも、遠いむかしの考えを比較《つきあ》ててはそれを子供にためそうとする――あのときはああいうふう[#「ふう」に傍点]だったし、このときはあの人はこんな顔つきでこんな調子で物を言ったから、この子供にはこれこれ[#「これこれ」に傍点]のことが適当だろうとまだこわ[#「こわ」に傍点]れもしない人生の算梯《そろばん》をはじくのである。そしてその、子供につきあてた考えが当ったらこの宿命のかげは心しずかに、この世の清い言葉で言うなら、全くほんとうにこころ静かに何十年ないほほえみを漏らすのだ。――あんなに永い間電燈の下で辛抱していたことも、ここまでくれば結局どんなに辛抱甲斐のあったことかもしれない――とそうかれはかれらしく考えるのである。だが、とうてい彼は彼らしい以外には何も考えることはできなくて、しまいにはかれはその以前の、かれのための宿命である――いまはそのしゃりこうべが何か言おうとするのを聞きすてるわけにゆかないのである。  しゃりこうべは言うた。 「もう止せ。」 「いえ、わたしはわたしの言うだけのことを、わたしの生きている間はみんなに言わなければならないのです。」 「あとの者どもはあれらに勝手にさせたらいいだろう。おれ一人に取り憑《つ》いた宿命でおまえはもう沢山だろうからいいかげんに止せ。」 「あなたはしゃりこうべですもの――そんなことは言ったって言わなくたって、この世には何《な》んにもならないことだとそう思いませんか。」 「ふむ、なるほどおれはしゃりこうべだ。――だが、おまえもそれ[#「それ」に傍点]になってしまって、箸のさきでその頭の鉢を曾《か》つておれののを拾いあげたように、その子供らにつまみ上げられるだろう――だからいいかげんにしろ。」 「いえ、わたしはまだまだですもの。ほんとにまだまだだ――。」  かれはかれらしく早速みぶるいを一つやって、さて霜どきの蝗《バッタ》のように瘠せたからだを身構えることによって、己れの健康がどれほどもどうも[#「どうも」に傍点]なっていないのを喜ばしげに顔の上にあらわした。 「迎えにゆくぞ、――」 「来られるものですか? 不吉な、そして用もないしゃりこうべさん。」  かれはそこで又一つ、追いかぶさったように身ぶるいをした。 「その頭の鉢の地がだいぶ剥《は》げかかっているぜ、――風邪をひとつ冒《ひ》いたってもうそれきりだと思うがよい、おれの見舞いにゆく前に、誰かが行っておまえのかた[#「かた」に傍点]をつけてしまうだろう。」 「おどかしたってそりゃだめ[#「だめ」に傍点]です。――このとおりわたしはありがたいことには、全くこのとおりにいきいきしているんでございますからね。」 「いや、ありがたいことにはそんなひま[#「ひま」に傍点]にも少しずつずり[#「ずり」に傍点]込んでくるような気がするからね、まああわてずにおれみたいになるんだね。」  しゃりこうべは程よく微笑《わら》って、そしてその声を消してしまった。――かれは間もなく嘔気《はきけ》に似たうすきみわるさを汚ない匂いをかいだように、その鼻膜のあたりにかぎつけた。そして何度も蒼白い唾を椽側《えんがわ》へ出て、地面の上に吐きつけた。そして執念深そうにかれはつぶやいた。 「しゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]になるなんて厭なことだ。わたしはまだまだ――。」  そして彼女《かれ》はやはり電燈の下で、そのくろずんだ姿をいつまでも凝然と座らせていた。――その姿はかつてしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]でなかったかれの男の、嘆息のもとであったが、いまはその子供らがかわるがわるその姿を見ては、溜息をついていた。そして子供ら同士がささやき合せた。 「いつまでああしておれだちのことを、くどくどと小言を言い出すのだろう――もう止してくれればいいのに。」  第二の子供は言った。 「いいかげんに往生とやらをしてくれればいい。」           *  或るところに二つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]がころがって、向き合って永い間どちらからも喋らなかった。が或るとき一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]が言った。 「見覚えのある顔だ、――」と、そう考えてじろじろ眺めた。も一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]も殆《ほとん》ど同時に「どこかで見かけたことのあるような。」顔だと思った。しかしどちらも黙っていた。それから何十年経ったか、或いは何百年経ったかも知れない、――風雨にさらされながらも二つの白いしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]は、向き合ったままでいた。  一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]の穴のところに、毎年のように紫色をした威勢のいい凜とした菫《すみれ》の花が咲いた。――別のしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]はその花の色の美しいのに見とれながらいたが、あるとき珍らしく声をかけた。 「その花をくださいな。」  その時しゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]は吃驚《びっく》りして、あいつはいつも電燈の下に座っていた奴だなと思った。――あいつ[#「あいつ」に傍点]はこんなところへまで出て来ておれに又たせが[#「せが」に傍点]むんだなと思った。 「こんな花をお前は何にするつもりか――。」  が、も一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]は何も知らないように言った。 「その花はたいそう美しくて可哀《かわ》いいんですもの。」 「ふう! お前にはまだ花なんかのことを気にしているのかい。」  かれがそう言ったとき始めて、別のしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]は気がついて、嬉しそうにこんどは遠慮もなく菫をへし折って了《しま》った。 「それを折ってはいけない――。」  そういう声はきこえなかったらしい――。 「あなたのならかまわない。」  しゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]はこういうと、あるたけの菫をむしり取ってしまった。別のしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]はがっかりしたはずみに、大方、この間からのひでり[#「ひでり」に傍点]つづきの故だったのだろう――その白いしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]をあとかたもなく、ぼろぼろに崩れ落してしまった。――も一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]はそんなことを少しも知らないで、紫の色をした菫を抱いて、その匂いを専念にかいでいたのである。――そして気がついて見ると、も一つのしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]の跡方《あとかた》もなく崩れてしまったのを見て嘆いた。が、その次《つ》ぎにはまだ自分がこのようにがっしりした形をもっていることを何より喜んだ。 「わたしはまだまだだ、――。」  だが、崩れたしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]のそばには、いつの間にか菫の花が咲かなくなって、そこは粉っぽい粗い地面になってしまった。――それにもかかわらず別のしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]は枯れた花を抱いたまま、こんどはすこしずつ崩れはじめた。――そしてしまいには跡方もなくなって、いつの間にか其処に一本の電柱が建ったきり[#「其処に一本の電柱が建ったきり」に傍点]、あの世とこの世とを正確にしきりをしてしまった[#「あの世とこの世とを正確にしきりをしてしまった」に傍点]。 底本:「文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子」ちくま文庫、筑摩書房    2008(平成20)年9月10日第1刷発行 底本の親本:「日本の名随筆 別巻64 怪談」作品社    1996(平成8)年6月25日第1刷発行 初出:「中央公論」    1923(大正12)年6月号 入力:門田裕志 校正:岡村和彦 2013年9月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。