さまざまな生い立ち 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)日《ひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|度《ど》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)☆[#「☆」は行右小書き] -------------------------------------------------------  日《ひ》にまし、あたたかになって、いままで、霜柱《しもばしら》が白《しろ》く、堅《かた》く結《むす》んでいた、庭《にわ》の黒土《くろつち》が柔《やわ》らかにほぐれて、下《した》から、いろいろの草《くさ》が芽《め》を出《だ》してきました。 「お父《とう》さん、すずらんの芽《め》が、だんだん伸《の》びてきましたよ。」と、庭《にわ》に出《で》て、遊《あそ》んでいた少年《しょうねん》が、奥《おく》の方《ほう》に向《む》かっていいました。  へやで、お父《とう》さんは、本《ほん》を読《よ》んでいられた。 「兄《にい》さん、どこに、すずらんが芽《め》を出《だ》したか、僕《ぼく》に見《み》せておくれよ。」と、弟《おとうと》がそこへ飛《と》んできました。  春《はる》の風《かぜ》は、青々《あおあお》と晴《は》れた空《そら》を渡《わた》っていました。そして木々《きぎ》の小枝《こえだ》は、風《かぜ》に吹《ふ》かれて、なにか楽《たの》しそうに小唄《こうた》をうたっていたのです。つい、このあいだまで、ねずみ色《いろ》に低《ひく》く漂《ただよ》っていた冬《ふゆ》の雲《くも》は、どこへか消《き》えてしまって、そしてその下《した》に、だまってふるえていた木立《こだち》の姿《すがた》は、思《おも》い出《だ》しても夢《ゆめ》のような気《き》がします。 「すずらんが、芽《め》を出《だ》したかな。」と、お父《とう》さんは、日《ひ》の照《て》らす、庭《にわ》の方《ほう》を見《み》ながら、書物《しょもつ》から目《め》をはなしました。  みんなは、田舎《いなか》から、こちらへ持《も》ってきた、すずらんが新《あたら》しく、芽《め》を出《だ》して咲《さ》くことが、どんなにうれしかったかしれません。なぜならこちらでは、すずらんは珍《めずら》しい草《くさ》であったからです。 「お父《とう》さん、しゃくやくも、紅《あか》い芽《め》を出《だ》しましたよ。また今年《ことし》も、きれいな花《はな》を咲《さ》くでしょうね。ああ、☆[#「☆」は行右小書き]げんぶきも芽《め》を出《だ》しましたよ。」  兄《あに》と弟《おとうと》は、しきりに庭《にわ》さきを飛《と》びまわって、うれしそうに叫《さけ》んでいました。お父《とう》さんも、いつか庭《にわ》へ出《で》て、みんなと、春《はる》のめぐってきたのを喜《よろこ》んでいたのでした。  それらの草《くさ》の芽《め》は、しだいに太《ふと》く、伸《の》びていきました。その間《あいだ》に、木々《きぎ》のこずえは、花《はな》のしたくをして、土《つち》の上《うえ》と木《き》の枝《えだ》と、どちらが、早《はや》く花《はな》を咲《さ》くか、さながら上《うえ》と下《した》とで競争《きょうそう》しているごとくに思《おも》われました。  しかし、こちらは、こうして、暖《あたた》かになったけれど、すずらんの生《は》えていた、北《きた》の国《くに》の野原《のはら》は、まだ雪《ゆき》が深《ふか》く風《かぜ》が寒《さむ》かったのです。去年《きょねん》の春《はる》、子供《こども》たちは、お父《とう》さんにつれられて、おばあさんや、おじいさんの住《す》んでいなされる田舎《いなか》へいったのでした。そして、帰《かえ》る時分《じぶん》に、丘《おか》や、野原《のはら》に咲《さ》いていた、すずらんを幾株《いくかぶ》か、土産《みやげ》に持《も》ってきたのでした。 「おまえたちは、あのすずらんの咲《さ》いていた、野原《のはら》を忘《わす》れはしないだろうね。」お父《とう》さんは、兄《あに》と弟《おとうと》に向《む》かって、問《と》われました。 「よく覚《おぼ》えています。」と、兄《あに》のほうは答《こた》えました。 「なんで忘《わす》れるものか。もう一|度《ど》いってみたいな。」と、弟《おとうと》のほうがいいました。  すると、お父《とう》さんは、笑《わら》って弟《おとうと》の顔《かお》を見《み》ながら、 「早《はや》く帰《かえ》りたい、帰《かえ》りたいといったでないか? お父《とう》さんは、こんなさびしいところに生《う》まれたんですか? といったのは、だれだったろう?」と、いわれました。  二人《ふたり》の子供《こども》は、その時分《じぶん》のことを思《おも》い出《だ》して目《め》を輝《かがや》かした。ほんとうに、さびしい北国《きたぐに》の景色《けしき》が、ありありと浮《う》かんできたのです。  毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、春《はる》だというのに、空《そら》は曇《くも》りました。そして雪《ゆき》が降《ふ》る日《ひ》もあった。風《かぜ》はいつまでも暖《あたた》かにならなかった。 「このあたりの木《き》は、太陽《たいよう》の光《ひかり》よりは、風《かぜ》と雪《ゆき》の中《なか》に育《そだ》ったようなものだ。」と、お父《とう》さんがいわれたことまで思《おも》い出《だ》されたのでした。  雪《ゆき》に、長《なが》い間《あいだ》埋《う》もれ、また頭《あたま》を押《お》さえられたりした木《き》は曲《ま》がりくねっていました。そして、草《くさ》ははげしい風《かぜ》に吹《ふ》かれるので、大《おお》きく伸《の》びることができなかったのでした。 「お父《とう》さん、どこからか、いい香《にお》いがしてきますね、なんの花《はな》でしょう。」と、子供《こども》たちは、野原《のはら》を歩《ある》いているときに、お父《とう》さんにたずねたのでした。 「いい香《かお》りがする。あれは、すずらんの花《はな》の匂《にお》いだよ。」と、お父《とう》さんはほど近《ちか》くに、白《しろ》い咲《さ》いている花《はな》を見《み》つけて教《おし》えられました。  子供《こども》たちは、さっそく、その花《はな》のところへ走《はし》っていきました。なんという白《しろ》く、清《きよ》らかな花《はな》であろう。そしてなつかしい香《か》を、たたえているであろう。  小鳥《ことり》が、どこかで鳴《な》いていました。ようやく浅緑《あさみどり》の芽《め》をふいた木立《こだち》は、喜《よろこ》ばしげに踊《おど》っていました。空《そら》を仰《あお》ぐと雲《くも》が流《なが》れています。春《はる》には、ちがいなかったけれど、なんというさびしい春《はる》であろうと思《おも》った。 「お父《とう》さん、早《はや》く、東京《とうきょう》のお家《うち》へ帰《かえ》りましょう……。」と、弟《おとうと》はいいました。 「なぜ?」 「さびしいんですもの……。」  このとき、お父《とう》さんは、自分《じぶん》の子供《こども》の時分《じぶん》のことをいろいろと話《はな》されたのでした。このさびしい春《はる》も、北国《きたぐに》の人々《ひとびと》には、どんなにか一|年《ねん》のうちで楽《たの》しいときであるかしれない。そして、長《なが》い、暗《くら》い、冬《ふゆ》からぬけ出《で》て、花《はな》の咲《さ》いた野原《のはら》や、青々《あおあお》とした丘《おか》を見《み》ることは、どんなにうれしいことであるかしれないといわれたのでした。  子供《こども》たちは、お父《とう》さんが、小《ちい》さな時分《じぶん》、この野原《のはら》で駆《か》けまわって、遊《あそ》んだ姿《すがた》などをいろいろに想像《そうぞう》しました。そして、いい記念《きねん》にと、すずらんの花《はな》を持《も》って帰《かえ》ったのでした。  兄《あに》と弟《おとうと》は、毎日《まいにち》、庭《にわ》へ出《で》て、すずらんの咲《さ》くのを楽《たの》しみに待《ま》ったのです。ほかの草《くさ》は、ぐんぐんと芽《め》を伸《の》ばして大《おお》きくなりました。また、ほかの木立《こだち》は、いつのまにか、美《うつく》しい花《はな》を開《ひら》きました。けれど、すずらんだけは、芽《め》に力《ちから》がなかった。そして、ようよう咲《さ》いた、白《しろ》い花《はな》は、なんとなく哀《あわ》れげな姿《すがた》で、いい香《か》もうすかったのでした。 「どうしたのだろう。あんなに寒《さむ》いところに生《は》えて、毎日《まいにち》、寒《さむ》い風《かぜ》に吹《ふ》かれつづけているのからみれば、こちらは、こんなに雪《ゆき》もなく暖《あたた》かであるのに、どうして、すずらんは、元気《げんき》がないのだろう?」と、弟《おとうと》は、兄《あに》に向《む》かって、たずねた。  兄《あに》も、また不思議《ふしぎ》でなりませんでした。なぜならどんな植物《しょくぶつ》も太陽《たいよう》の光《ひかり》の中《なか》に生長《せいちょう》したから、そして、日《ひ》の光《ひかり》に恵《めぐ》まれ、柔《やわ》らかな暖《あたた》かな土《つち》に育《そだ》てられながら、どうして、生長《せいちょう》しないかということは、その理由《りゆう》がわからなかったからでした。 「僕《ぼく》にもわからない。」と、兄《あに》はいいました。  二人《ふたり》は、このことをお父《とう》さんに、たずねたのであります。 「やはり、こちらへきては、根《ね》がつかないとみえるな。」と、お父《とう》さんは、さも感心《かんしん》したようにいわれたのでした。 「なぜでしょうか、お父《とう》さん、草《くさ》や、木《き》には、太陽《たいよう》の光《ひかり》がいちばん大事《だいじ》なんでしょう。北《きた》の国《くに》は寒《さむ》くて、毎日《まいにち》曇《くも》っています。風《かぜ》や、雪《ゆき》がいじめますのに、どうして、あちらに育《そだ》って、こちらにくると枯《か》れてしまうのでしょう?」と、子供《こども》たちは、たずねたのでした。  すると、お父《とう》さんは、 「おまえたちが、不思議《ふしぎ》に思《おも》うのは、無理《むり》のないことです。しかし、すずらんには、寒《さむ》い風《かぜ》や、雪《ゆき》が、薬《くすり》になるのです。ひとり、すずらんばかりでない。すべて寒《さむ》い国《くに》に育《そだ》つ草《くさ》や、木《き》は、太陽《たいよう》の光《ひかり》の中《なか》に育《そだ》つというよりは、風《かぜ》や、雪《ゆき》の中《なか》に育《そだ》ったのです。それをかわいそうと思《おも》って、あたたかな国《くに》へ持《も》ってくれば枯《か》れてしまう。人間《にんげん》だって同《おな》じようにいわれる。なに不足《ふそく》なく育《そだ》つばかりが、その人《ひと》をりっぱな人間《にんげん》とするものでない。苦《くる》しみと艱難《かんなん》に戦《たたか》って、人格《じんかく》が磨《みが》かれるのです。そして北国《きたぐに》の植物《しょくぶつ》が、風《かぜ》や、雪《ゆき》と戦《たたか》うことを忘《わす》れたときに枯《か》れてしまうように、苦《くる》しみと戦《たたか》ってきた人《ひと》が、その苦《くる》しみを忘《わす》れたときは、やはり、その人《ひと》は、終《お》わってしまうでしょう。また熱帯《ねったい》の植物《しょくぶつ》が、反対《はんたい》に寒《さむ》い国《くに》へくれば枯《か》れてしまうように、ぜいたくに馴《な》れた人《ひと》は、すこしの貧乏《びんぼう》にも打《う》ち勝《か》つことができないのと同《おな》じなのです……。」と。  子供《こども》たちは、このとき、やがて咲《さ》くであろう、北《きた》の青《あお》い、寒《さむ》い、風《かぜ》の吹《ふ》く空《そら》の下《した》で、野原《のはら》に香《かお》っているすずらんの花《はな》をなつかしく思《おも》ったのでした。 [#ここから1段階小さな文字] ☆げんぶき――ゆり科《か》のぎぼうしの仲間《なかま》か? [#ここで小さな文字終わり] 底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社    1977(昭和52)年4月10日第1刷 底本の親本:「教育新潮」    1928(昭和3)年4月 初出:「教育新潮」    1928(昭和3)年4月 ※表題は底本では、「さまざまな生《お》い立《た》ち」となっています。 ※初出時の表題は「さまざまな生ひ立ち」です。 ※本文末の語注のページ数は省略しました。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:へくしん 2021年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。