老工夫と電燈 ――大人の童話―― 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)崖《がけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|時《じ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地から1字上げ] -------------------------------------------------------  崖《がけ》からたれさがった木《き》の枝《えだ》に、日《ひ》の光《ひかり》が照《て》らして、若葉《わかば》の面《おもて》が流《なが》れるように、てらてらとしていました。さびしい傾斜面《けいしゃめん》に生《は》えた、草《くさ》の穂先《ほさき》をかすめて、ようやく、この明《あか》るく、広《ひろ》い世界《せかい》に出《で》たとんぼが、すいすいと気《き》ままに飛《と》んでいるのも、なんとなく、あたりがひっそりとしているので、さびしく見《み》られたのであります。  年《とし》とった工夫《こうふ》が、うつむきながら、線路《せんろ》に添《そ》うて歩《ある》いていました。若《わか》い時分《じぶん》から、今日《こんにち》にいたるまで働《はたら》きつづけたのです。元気《げんき》で、よく肥《ふと》っていた体《からだ》は、だんだんやせてきました。そして、一|時《じ》のように、重《おも》いものを持《も》ったり、終日《しゅうじつ》働《はたら》きつづけるというようなことは、いまでは困難《こんなん》を感《かん》じられたのであります。  青《あお》い色《いろ》の服《ふく》の下《した》に、半生《はんせい》の経験《けいけん》と悩《なや》みと生活《せいかつ》に堪《た》えてきた体《からだ》が、日《ひ》に焼《や》けて、汗《あせ》ばんでいました。  どこかで、無心《むしん》にせみが唄《うた》をうたっている声《こえ》がしています。たぶん、あちらの嶺《みね》の上《うえ》に生《は》えている赤松《あかまつ》のこずえのあたりであると思《おも》われました。  日《ひ》の光《ひかり》がみなぎった、外界《がいかい》は、いまこんな光景《こうけい》を写《うつ》し出《だ》していたが、トンネルの内《うち》の世界《せかい》は、また格別《かくべつ》でありました。そこへは、永久《えいきゅう》に日《ひ》の光《ひかり》というものが射《さ》し込《こ》んではきませんでした。  ひやりとした冷《つめ》たい風《かぜ》が、どこからともなく吹《ふ》いてきて、闇《やみ》の中《なか》を過《す》ぎていきます。それは、沈黙《ちんもく》の世界《せかい》に、なにか気味悪《きみわる》い思《おも》い出《で》をそそらせようとするものでした。  この闇《やみ》の中《なか》に、ただ一つ生《い》きているもののごとく思《おも》われたものがあります。それは、半丁《はんちょう》おきごとに点《とも》されている電燈《でんとう》でありました。  その光《ひかり》の弱《よわ》い電燈《でんとう》は、闇《やみ》の中《なか》をわずかに円《まる》く一|部分《ぶぶん》だけ切《き》り抜《ぬ》いたもののように、ほんのりと明《あか》るく浮《う》き出《だ》していました。  この電燈《でんとう》の光《ひかり》は、生物《せいぶつ》の体内《たいない》にある心臓《しんぞう》のようなものです。点《とも》りはじめたときがあって、また終《お》わりがあるのです。だれも、それを点《つ》けたり、消《け》したりするものがないのだから、こうして点《とも》っているときは、電燈《でんとう》が生《い》きているのでした。そして、暗《くら》く消《き》えたときは、この電燈《でんとう》が死《し》んだときなのであります。  冷《つめ》たい風《かぜ》は、おびやかすように、電燈《でんとう》の面《おもて》をなでていきました。心臓《しんぞう》が規則正《きそくただ》しく、生物《せいぶつ》の胸《むね》で打《う》っている間《あいだ》に、いろいろな怖《おそ》ろしい脅迫《きょうはく》が肉体《にくたい》を襲《おそ》うようなものです。しかし、電燈《でんとう》はあいかわらず、またたきもせずに点《とも》っていました。  このとき、年《とし》とった工夫《こうふ》は、トンネルの入《い》り口《ぐち》にさしかかったのです。彼《かれ》は、注意深《ちゅういぶか》く足《あし》もとを見《み》つめて、一|歩《ぽ》、一|歩《ぽ》、拾《ひろ》うようにして、闇《やみ》のうちへ吸《す》い込《こ》まれるようにはいってきました。  ひじょうに長《なが》くもなかったから、彼《かれ》は、このトンネルを、あちらに抜《ぬ》けようとしていたのであります。闇《やみ》の中《なか》を歩《ある》いてきた工夫《こうふ》は、一つの電燈《でんとう》の下《した》にくると、歩《あゆ》みを止《と》めたのでした。そして、しばらく、ぼんやりとして、電燈《でんとう》をながめたのでした。  彼《かれ》は、電燈《でんとう》がうらやましかったのです。すべての煩《わずら》わしい外界《がいかい》からさえぎられて、この暗《くら》いけれど安全《あんぜん》な、トンネルの中《なか》で、じっとして静《しず》かな生活《せいかつ》を送《おく》っていることは、なんというしあわせな身《み》の上《うえ》であろうと思《おも》われたからです。  彼《かれ》は、もう、世《よ》の中《なか》の刺戟《しげき》には、堪《た》えられなくなりました。また、いろいろな喜悲劇《きひげき》を見《み》るのが煩《わずら》わしくなりました。そこには、平和《へいわ》というもの、公正《こうせい》というものが、まったくなかったからです。  たとえ、気味《きみ》の悪《わる》い、冷《つめ》たい風《かぜ》が、いつか彼《かれ》に対《たい》しても、すべてのものの終滅《しゅうめつ》を思《おも》い出《だ》させるように、顔《かお》をなでていったけれど、工夫《こうふ》には、気《き》づかないことでした。そして、電燈《でんとう》は、静《しず》かに、なんの屈托《くったく》もなくじっとしていられると思《おも》ったからです。  生活《せいかつ》に疲《つか》れた、哀《あわ》れな老工夫《ろうこうふ》は、自分《じぶん》も、この電燈《でんとう》でありたいと考《かんが》えました。それは、寂《さび》しい生活《せいかつ》であったにちがいない。朝《あさ》から晩《ばん》まで、昼《ひる》から夜《よる》まで――いや、そういう区別《くべつ》もなく、永久《えいきゅう》に、暗《くら》く、ただ、見得《みう》るかぎりの世界《せかい》というものは、切《き》り削《けず》られた赤土《あかつち》の断層《だんそう》の一|部分《ぶぶん》と煉瓦《れんが》の堆積《たいせき》と、その割《わ》れめからわき出《だ》して、滴《したた》り流《なが》れている、清《きよ》らかな水《みず》のほかには、なにもなかった。けれど、これでたくさんだという気《き》になったのであります。  なんという単調《たんちょう》で、変化《へんか》のない光景《こうけい》であったでしょう。よくも、電燈《でんとう》が、こうして、同《おな》じ光景《こうけい》を照《て》らし、また見《み》つめているものだと考《かんが》えられました。しかし、老工夫《ろうこうふ》は、休息《きゅうそく》を欲《ほっ》していた。自分《じぶん》は、もうなんにも刺戟《しげき》を欲《ほっ》しない。またたいした欲望《よくぼう》もない。ただ、平静《へいせい》にじっとしていたい。この電燈《でんとう》が、自分《じぶん》であったら、自分《じぶん》は、どんなに幸福《こうふく》であろう……と思《おも》ったのでした。  老工夫《ろうこうふ》は、まだぼんやりとして、電燈《でんとう》を中心《ちゅうしん》に、周囲《しゅうい》の光景《こうけい》をながめていました。すべてが、じっとして、動《うご》かない。ただ、動《うご》いているものは、水《みず》の流《なが》ればかりでした。彼《かれ》は、いま、光《ひかり》を受《う》けて、銀《ぎん》か、水晶《すいしょう》の粒《つぶ》のように断層《だんそう》から、ぶらさがって、煉瓦《れんが》に伝《つた》わろうとしている水《みず》の雫《しずく》を見《み》ていました。  刹那《せつな》、どうしたことか、彼《かれ》は、この光景《こうけい》とは、なんら関係《かんけい》のない、べつな光景《こうけい》が目《め》に浮《う》かんだのであります。  広々《ひろびろ》とした畑《はたけ》が、水《みず》の雫《しずく》の中《なか》に宿《やど》っていました。しかも、無限《むげん》に、深《ふか》く、深《ふか》く、遠《とお》く、遠《とお》く、その雫《しずく》の中《なか》に拓《ひら》けていたのです。その畑《はたけ》には、真《ま》っ黄色《きいろ》な、かぼちゃの花《はな》がいくつも咲《さ》いていた。咲《さ》いている花《はな》の蕊《しん》の中《なか》から、蜜《みつ》を吸《す》おうと、大《おお》きな、黒《くろ》いはちが花《はな》の中《なか》へはいった。彼《かれ》は、そのはちをいじめてやろうと、歩《あゆ》み寄《よ》って、ふいに四|方《ほう》から花弁《はなびら》を閉《と》じてしまった。花《はな》の中《なか》では、かすかな、はちのうなりが、遠《とお》い、遠《とお》い、音楽《おんがく》を聞《き》くように、空気《くうき》を伝《つた》って、耳《みみ》にはいってくる――彼《かれ》は、自分《じぶん》が子供《こども》の時分《じぶん》の、あの日《ひ》のことを思《おも》い出《だ》したのでした。 「どうして、こんなことを、いま、トンネルの内《うち》で思《おも》い出《だ》したろう……。」  ふたたび帰《かえ》らない生活《せいかつ》と自由《じゆう》を、彼《かれ》は、慕《した》ったのでした。  せめて、昔《むかし》のような、子供《こども》に返《かえ》られないものなら、この電燈《でんとう》のように、世間《せけん》の煩《わずら》わしさから離《はな》れて、静《しず》かに、じっとしていたいものだと、老労働者《ろうろうどうしゃ》は空想《くうそう》していたのです。  けっして、瞬《またた》きするはずのない、電燈《でんとう》の光《ひかり》が揺《ゆ》らめいた!  はっと思《おも》って、その一|点《てん》を凝視《ぎょうし》すると、一ぴきのとかげが、かえるをくわえて、すぐ火《ひ》の近《ちか》くの煉瓦《れんが》の壁《かべ》に、どこからかはい出《で》てきたのでした。  彼《かれ》は、場所《ばしょ》がら、真《しん》にあり得《う》べからざる光景《こうけい》を見《み》るものだと思《おも》い、息《いき》を殺《ころ》して、子細《しさい》に見《み》ていると、小《ちい》さなかえるは、まだ生《い》きていて、万死《ばんし》の中《なか》から、逃《のが》れたいと四《よ》つ足《あし》をぴくぴくもがいていたのです。  とかげは、そこに、人間《にんげん》が立《た》っているとは思《おも》わなかったらしく、しばらく目《め》を光《ひか》らしながら、相手《あいて》のけはいをうかがっていました。この際《さい》、獲物《えもの》をくわえたまま走《はし》ったほうがいいか、それとも人間《にんげん》が、まだ気《き》づいていなかったら、じっとして機会《きかい》を待《ま》ったほうが、いっそう賢明《けんめい》ではないかと考《かんが》えているごとくに見《み》られたのであります。  老工夫《ろうこうふ》は、この狡猾《こうかつ》な、暴虐者《ぼうぎゃくしゃ》の心理《しんり》を悟《さと》ると、このままにしておけない気《き》がしたのでした。 「呪《のろ》わば穴《あな》二つだ!」と、彼《かれ》は、いいながら、石塊《せきかい》を投《な》げつけて、一|撃《げき》のもとに、かえるもとかげももろともに粉砕《ふんさい》して、目《め》の前《まえ》の忌《い》まわしい光景《こうけい》を払拭《ふっしょく》しようと気《き》が焦《あせ》ったのです。彼《かれ》が、石《いし》を探《さが》しているときでした。トンネルの入《い》り口《ぐち》で汽笛《きてき》がしました。あわてて、彼《かれ》は、ぴたりとトンネルの煉瓦《れんが》の壁《かべ》に身《み》をつけると、すさまじいひびきをたてて汽車《きしゃ》は通過《つうか》しました。そして、後《あと》には、濛々《もうもう》として、黒煙《こくえん》が息《いき》づまるほど、立《た》ちこめて、電燈《でんとう》の蔭《かげ》でうずを巻《ま》いていたのです。  黒煙《こくえん》がやっと消《き》えて、ふたたびあたりが見《み》えたときには、もはや、そこにとかげはいなかったのでした。 [#地から1字上げ]――一九二六・五作―― 底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社    1977(昭和52)年3月10日第1刷 底本の親本:「彼等甦らば」解放群書、解放社    1927(昭和2)年10月 初出:「解放」    1926(大正15)年7月 ※表題は底本では、「老工夫《ろうこうふ》と電燈《でんとう》」となっています。 ※副題は底本では、「――大人《おとな》の童話《どうわ》――」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:栗田美恵子 2020年10月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。