負傷した線路と月 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)町《まち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|夜《や》 -------------------------------------------------------  レールが、町《まち》から村《むら》へ、村《むら》から平原《へいげん》へ、そして、山《やま》の間《あいだ》へと走《はし》っていました。  そこは、町《まち》をはなれてから、幾《いく》十マイルとなくきたところでした。ある日《ひ》のこと、汽車《きしゃ》が重《おも》い荷物《にもつ》や、たくさんな人間《にんげん》を乗《の》せて過《す》ぎていきましたときに、レールのある部分《ぶぶん》に傷《きず》がついたのであります。  レールは、痛《いた》みに堪《た》えられませんでした。そして泣《な》いていました。自分《じぶん》ほど、不運《ふうん》なものがあるだろうか。毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、幾《いく》たびとなしに、重《おも》い汽罐車《きかんしゃ》に頭《あたま》の上《うえ》を踏《ふ》まれなければならない。汽罐車《きかんしゃ》は、それをば平気《へいき》に思《おも》っている。そればかりでなく、太陽《たいよう》が、身《み》を焼《や》くほど、強《つよ》く照《て》らしつける。日蔭《ひかげ》にはいろうとあせっても自由《じゆう》に動《うご》くことができない。太《ふと》い釘《くぎ》が自分《じぶん》の体《からだ》をまくら木《ぎ》にしっかりと打《う》ちつけている。考《かんが》えてみると、いったい自分《じぶん》の体《からだ》というものはどうなるのであろうか……と、レールは、思《おも》って泣《な》いていました。 「どうなさったのですか?」と、そばに咲《さ》いていた、うす紅色《べにいろ》をしたなでしこの花《はな》が、はじらうように頭《あたま》をかしげてたずねました。  いつも、この花《はな》は、なぐさめてくれるのであります。こういわれて、レールはうれしく思《おも》いました。 「いえ、さっき、汽罐車《きかんしゃ》が、傷《きず》をつけていったのです。たいした傷《きず》ではありませんけれども、私《わたし》は、身《み》の上《うえ》を考《かんが》えてつくづく悲《かな》しくなりました。それで泣《な》いていたのです。」と、レールは、答《こた》えました。 「まあ、そうでしたか……。あなたのような、強《つよ》い方《かた》がお泣《な》きなさるのは、よくよくのことでございましょう。私《わたし》どもだったら、どうなってしまったかしれない。そういえば、さっきたくさんの材木《ざいもく》と、米《こめ》だわらと、石炭《せきたん》と、なにかの箱《はこ》を、いっぱい貨車《かしゃ》に積《つ》んでいきました。そして、今日《きょう》は客車《きゃくしゃ》もいつもよりか長《なが》かったようでございました。山《やま》のあちらには、海《うみ》があり、また、温泉《おんせん》などもありますから、そこへいく人《ひと》たちでにぎわっていたのでしょう。それにしても、あなたの傷《きず》が、たいしたことがありませんで、ようございましたこと。」と、花《はな》は、しんせつにいいました。  レールは、きらきらと光《ひか》る顔《かお》を花《はな》の方《ほう》に向《む》けて、 「やさしいあなたが、私《わたし》をなぐさめてくださるので、どれほど、私《わたし》は、うれしく思《おも》っているでしょう。あなたが、すぐ近《ちか》くで咲《さ》かない時分《じぶん》はどんなに、私《わたし》は、さびしかったでしょう……。」と、日《ひ》ごろは、いたって強《つよ》く黙《だま》っていて、辛抱《しんぼう》しているレールは、つい涙《なみだ》ぐましい気持《きも》ちになりました。  すると、うす紅色《べにいろ》をした花《はな》は、いいました。 「しかし、私《わたし》の命《いのち》もそう長《なが》くはありません。このあつさで、私《わたし》の体《からだ》は、弱《よわ》っています。長《なが》いこと雨《あめ》が降《ふ》らないのですもの。」と、歎《なげ》いたのでした。  このとき、風《かぜ》が、レールの上《うえ》をかすめて、花《はな》を揺《ゆ》すっていったのであります。  レールは、耳《みみ》をすましながら、 「夕立《ゆうだち》がやってきそうですよ。遠方《えんぽう》で雷《かみなり》が鳴《な》っています。それは、あなたの耳《みみ》には、はいりますまい。ずっと遠《とお》くでありますから。けれど私《わたし》どもは、こうして長《なが》く、つづいていますので、その音《おと》が伝《つた》わって聞《き》こえてくるのです。」といいました。  花《はな》は風《かぜ》に吹《ふ》かれながら、 「ほんとうでしょうか。そうであれば、どれほど私《わたし》はうれしいかしれません。」と答《こた》えました。  このとき、花《はな》を吹《ふ》いている風《かぜ》がいいました。 「ほんとうですよ。今日《きょう》は、こちらも降《ふ》るでしょう。もうすこしたつと、雲《くも》がぐんぐん押《お》し寄《よ》せてきて、あの太陽《たいよう》の光《ひかり》を隠《かく》してしまいますから。」と、知《し》らしてくれました。  レールは、熱《あつ》くなった体《からだ》を、早《はや》く水《みず》に浴《あ》びて冷《さま》したいと思《おも》いました。また、花《はな》は、早《はや》く、水《みず》を吸《す》って死《し》にそうな渇《かわ》きをば、いやしたいと思《おも》いました。  しばらくすると、はたして、黒《くろ》い雲《くも》や、灰色《はいいろ》の雲《くも》がぐんぐんとあちらから押《お》し寄《よ》せてまいりました。そして、青々《あおあお》としていた空《そら》をしだいに征服《せいふく》して、いつしか太陽《たいよう》の光《ひかり》すら、まったくさえぎってしまったのです。  焼《や》けるように、赤《あか》くいろどられていた野《の》は、急《きゅう》に涼《すず》しく、うす暗《ぐら》くかげったのでした。その時分《じぶん》から雷《かみなり》の音《おと》は、だんだん大《おお》きく近《ちか》づいてきたのでした。  レールも花《はな》も、声《こえ》をたてずに、ものすごくなった空《そら》の模様《もよう》をながめていました。雨《あめ》がとうとう降《ふ》ってきたのであります。雨《あめ》は花《はな》に降《ふ》りそそぎました。また、レールの上《うえ》に降《ふ》りかかりました。そしてレールの熱《あつ》くなった体《からだ》を冷《ひ》やして、その傷痕《きずあと》を洗《あら》ってやりながら、「まあ、かわいそうに……。」と、雨《あめ》はいいました。  レールは、涙《なみだ》ぐみながら、雨《あめ》に向《む》かって、今日《きょう》、冷酷《れいこく》な汽罐車《きかんしゃ》に傷《きず》つけられたこと、太陽《たいよう》が、これまでというものは、毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、用捨《ようしゃ》なく、頭《あたま》から照《て》りつけたことなどを話《はな》しました。すると雨《あめ》は、こういいました。 「それは、お気《き》の毒《どく》なことです。私《わたし》はあつくなっていたあなたの体《からだ》をひやしてあげました。私《わたし》たちはもうじきにここを去《さ》らなければなりません。その後《あと》にはきっと月《つき》が出《で》るでありましょう。月《つき》は、太陽《たいよう》とはまったく気性《きしょう》がちがっています。そして、万物《ばんぶつ》の運命《うんめい》をつかさどる力《ちから》は、いまこそ太陽《たいよう》のようになくても、昔《むかし》は、えらかったものだそうです。そのことを月《つき》に向《む》かってお話《はな》しなさい。月《つき》は、あなたが訴《うった》えなされたら、けっして悪《わる》いように取《と》りはからいはしなかろうと思《おも》います……。」と、雨《あめ》は静《しず》かな調子《ちょうし》でさとしてくれました。  はたしてほどなく雲《くも》が去《さ》り、そして降《ふ》っていた雨《あめ》は晴《は》れてしまいました。あとには、すがすがしい夕空《ゆうぞら》が青々《あおあお》と水《みず》のたたえられたように澄《す》んで見《み》えました。  その夜《よ》、平原《へいげん》を照《て》らした月《つき》は、いつも見《み》る月《つき》よりは清《きよ》らかで、その光《ひかり》のうちには、慈悲《じひ》の輝《かがや》きを含《ふく》んでいました。やさしい花《はな》は、雨《あめ》にぬれたままうなだれて、早《はや》くから眠《ねむ》ってしまい、そしてその葉蔭《はかげ》のあたりから、虫《むし》の泣《な》く声《こえ》が流《なが》れていました。  去《さ》っていった雨《あめ》は月《つき》にささやいてでもいったものか、月《つき》が、この平原《へいげん》を照《て》らしたときは、まずレールの上《うえ》に、その姿《すがた》を映《うつ》しました。レールは、月《つき》に向《む》かって、今日《きょう》、自分《じぶん》を傷《きず》つけていった汽罐車《きかんしゃ》があったことを告《つ》げたのであります。 「どんな汽罐車《きかんしゃ》であるかしれないけれど、そんなことをしてしらぬ顔《かお》をしているとは冷酷《れいこく》な汽罐車《きかんしゃ》である。私《わたし》がいって不心得《ふこころえ》をさとしてやるから、もし見覚《みおぼ》えがあったら聞《き》かしなさい。」と、月《つき》はいいました。  レールは、汽罐車《きかんしゃ》の番号《ばんごう》を教《おし》えました。  月《つき》は、さっそく、町《まち》から村《むら》へ、村《むら》から山《やま》の間《あいだ》へというふうに、力《ちから》のおよぶかぎり、レールの告《つ》げた汽罐車《きかんしゃ》をさがして歩《ある》いたのです。ちょうどその時分《じぶん》、鉄橋《てっきょう》の上《うえ》を走《はし》っている汽車《きしゃ》がありました。月《つき》はその汽罐車《きかんしゃ》ではないかと飛《と》び下《お》りてみましたが、番号《ばんごう》がちがっていました。  月《つき》は海岸《かいがん》という海岸《かいがん》、野原《のはら》という野原《のはら》をさがしてまわりました。そして、いたるところに汽車《きしゃ》が走《はし》っているのを認《みと》めました。貨車《かしゃ》ばかりのもあれば、また客車《きゃくしゃ》に貨車《かしゃ》がまじっていたのもありました。海岸《かいがん》では海水浴《かいすいよく》をしている人間《にんげん》もありました。彼《かれ》らは、「ほんとうに、いい月夜《つきよ》だこと。」といって、砂浜《すなはま》でねころんだり、また暗《くら》い波《なみ》の中《なか》を泳《およ》いだりしていました。客車《きゃくしゃ》の窓《まど》からは、人々《ひとびと》が頭《あたま》を出《だ》して、海《うみ》の景色《けしき》をながめながら、笑《わら》ったり、話《はな》したりしていました。  しかし、この汽車《きしゃ》の汽罐車《きかんしゃ》も、月《つき》のたずねている番号《ばんごう》ではありませんでした。こうしてほとんど同《おな》じ時刻《じこく》に、地上《ちじょう》をたくさんの汽車《きしゃ》が走《はし》っていましたが、レールのいった汽罐車《きかんしゃ》は、トンネルの中《なか》へでもはいっていたものか、つい月《つき》の目《め》にとまりませんでした。  涼《すず》しい一|夜《や》を送《おく》って、レールは、もはや、昨日《きのう》の苦痛《くつう》を忘《わす》れてしまいましたけれど、約束《やくそく》をした月《つき》は翌日《よくじつ》の夜《よる》も、レールを傷《きず》つけた汽罐車《きかんしゃ》を探《さが》してまわったのでした。すると、ある停車場《ていしゃば》の構内《こうない》に、ここからは、遠《とお》くへだたっている平原《へいげん》の中《なか》のレールから聞《き》いた番号《ばんごう》の汽罐車《きかんしゃ》がじっとして休《やす》んでいました。  月《つき》は、さっそく、汽罐車《きかんしゃ》の上《うえ》へたどりつきました。そして、いつものように、静《しず》かな調子《ちょうし》で、 「どうして、そんなに、沈《しず》んで、じっとしているのだ。」といって、たずねました。  汽罐車《きかんしゃ》は、月《つき》に、こういって話《はな》しかけられると、はじめて、口《くち》を開《ひら》きました。 「私《わたし》はどんなに、疲《つか》れているかしれません。毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、遠《とお》い道《みち》を走《はし》らせられるのです。そして昨日《きのう》は、いままでにない重《おも》い荷《に》をつけさせられていたので、一つの車輪《しゃりん》を痛《いた》めてしまいました。私《わたし》は、あの重《おも》い荷物《にもつ》と車室《しゃしつ》の中《なか》で、そんなことには無頓着《むとんちゃく》に、笑《わら》ったり、話《はな》したりしていた人間《にんげん》が、憎《にく》らしくてしかたがありません……。」と訴《うった》えたのであります。 「そんなら、おまえも、体《からだ》をいためたのか?」と、月《つき》は問《と》いました。 「そうです。どこかでレールとすれ合《あ》って、一つの車輪《しゃりん》を傷《きず》つけました。」と、汽罐車《きかんしゃ》は答《こた》えました。  月《つき》は、それを聞《き》くと、だれが悪《わる》いということができなかった。そして、レールを傷《きず》つけたといって汽罐車《きかんしゃ》をしかることもできなかったのであります。 「その荷物《にもつ》は、どこまで載《の》せていったんですか。」と、さらに月《つき》はききました。 「どこといって一《ひと》ところではありませんでした。大《おお》きな箱《はこ》は、港《みなと》の駅《えき》までつけていき、また石炭《せきたん》や木材《もくざい》は、ほかの町《まち》で降《お》ろしました。」と、汽罐車《きかんしゃ》はいいました。 「どうぞ、お大事《だいじ》に……。」といって、月《つき》はこんどは、港《みなと》の方《ほう》へまわったのであります。すると、いま、汽船《きせん》が煙《けむり》をはいて出《で》ようとしていました。その船《ふね》には、大《おお》きな箱《はこ》がいくつも載《の》せられてありました。月《つき》は、さっそく、船《ふね》の上《うえ》へやってきて、箱《はこ》を照《て》らしたのであります。 「これからどこへいくのですか。」と、月《つき》はたずねました。箱《はこ》は、黙《だま》って、物思《ものおも》いに沈《しず》んでいましたが、 「私《わたし》たちは、どこへやられるのかわかりません。故郷《こきょう》を出《で》てから、長《なが》い間《あいだ》汽車《きしゃ》に載《の》せられました。そして、いまこの広々《ひろびろ》とした海《うみ》の上《うえ》をあてもなく漂《ただよ》っているのをみると心細《こころぼそ》くなるのであります。」と、箱《はこ》は答《こた》えたのです。  月《つき》は、そこで、いったいだれが悪《わる》いのかと考《かんが》えました。そこで、こんどは、人間《にんげん》のようすを見《み》とどけようと思《おも》いました。そして、街《まち》へ降《お》りて、あたりを見《み》まわしましたが、もうだいぶんおそかったとみえて、みんな窓《まど》がしまっていました。一|軒《けん》、二|階《かい》の窓《まど》がガラス戸《ど》になっているのがありましたので、月《つき》はそれからのぞきました。すると、そこには、かわいらしい赤《あか》ん坊《ぼう》がちょうど目《め》をさまして、月《つき》を見《み》て喜《よろこ》んで、笑《わら》っていたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷    1977(昭和52)年C第2刷 初出:「赤い鳥」    1925(大正14)年10月 ※表題は底本では、「負傷《ふしょう》した線路《せんろ》と月《つき》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2017年9月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。