風船球の話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)風船球《ふうせんだま》 -------------------------------------------------------  風船球《ふうせんだま》は、空《そら》へ上《あ》がってゆきたかったけれど、糸《いと》がしっかりととらえているので、どうすることもできませんでした。  小鳥《ことり》が、窓《まど》からのぞいて、不思議《ふしぎ》そうな顔《かお》つきをして、風船球《ふうせんだま》をながめていました。 「小鳥《ことり》さん、おもしろいことはありませんか。」と、風船球《ふうせんだま》はたずねました。 「おもしろいことですか、それはたくさんありますよ。いま、あちらの町《まち》の上《うえ》を飛《と》んできますと、にぎやかな行列《ぎょうれつ》がゆきました。お祭《まつ》りがあるのでしょう……。また、あちらの港《みなと》へは、大《おお》きな汽船《きせん》がきて泊《と》まっています。それは、りっぱな船《ふね》でした。これから、私《わたし》は、もっとおもしろいことをさがそうと思《おも》っているところです。」と、小鳥《ことり》は答《こた》えたのであります。 「おお、私《わたし》も、空《そら》へ上《あ》がって、自由《じゆう》に飛《と》んでみたいものだ。」と、風船球《ふうせんだま》は、ため息《いき》をつきました。  小鳥《ことり》は、風船球《ふうせんだま》が、しきりに上《あ》がりたがっているのを見《み》てわらっていました。そのうちに、どこへか姿《すがた》を消《け》してしまったのであります。 「ああ、あのかわいらしい小鳥《ことり》は、どこかへいってしまった。いっしょに旅《たび》をしたかったのに……。」と、風船球《ふうせんだま》はなげいていました。  どうかして、空《そら》へ上《のぼ》ってみたいと風船球《ふうせんだま》はなおも考《かんが》えていましたが、これは、自分《じぶん》を捕《つか》まえている糸《いと》を説《と》きつけるにかぎると悟《さと》りましたから、「なんで私《わたし》を、そんなに苦《くる》しめるのですか。私《わたし》が空《そら》へ上《あ》がったら、おまえさんもいっしょに愉快《ゆかい》なめがされるじゃありませんか。私《わたし》は、自分《じぶん》ひとりだけおもしろいめをしたいというのではありませんよ。」と、風船球《ふうせんだま》は糸《いと》に向《む》かっていいました。  糸《いと》は、お嬢《じょう》さんのいいつけを守《まも》っているのであります。しかし、風船球《ふうせんだま》が、自分《じぶん》ひとりで楽《たの》しむのでない、いっしょに愉快《ゆかい》なめをしたいといったのをききますと、なるほどなと考《かんが》えました。なぜなら、自分《じぶん》も、こうしていたのでは、いつまでたっても、おもしろいめがされなかったからです。 「いや、お嬢《じょう》さんに対《たい》してすまないから、どうしても放《はな》すことはできない。」 と、糸《いと》は答《こた》えました。 「そんな、がんこなことをいうものでありませんよ。いま、あの小鳥《ことり》が話《はな》したことを聞《き》かなかったのですか。町《まち》には、にぎやかな行列《ぎょうれつ》が通《とお》るというし、港《みなと》には、大《おお》きな汽船《きせん》がきているということでした。はやくいって、それを見《み》たいという考《かんが》えにはなりませんか。」と、風船球《ふうせんだま》は糸《いと》をそそのかしたのです。 「なるほどな。」と、糸《いと》は感服《かんぷく》しました。 「じゃ、私《わたし》は、たんすの環《わ》から離《はな》れて、あなたといっしょについてゆきますよ。」と、糸《いと》はいいました。 「さあ、早《はや》く、お嬢《じょう》さんに見《み》つからないうちに、二人《ふたり》は、この窓《まど》から逃《に》げ出《だ》しましょう。」と、風船球《ふうせんだま》と糸《いと》とは、相談《そうだん》をきめてしまい、やがて、紫色《むらさきいろ》の風船球《ふうせんだま》は、長《なが》い白《しろ》い糸《いと》をしりにぶらさげながら、窓《まど》から飛《と》び出《だ》して、空《そら》へ空《そら》へと上《のぼ》ってゆきました。  お嬢《じょう》さんは、へやへはいると、たんすの環《わ》に結《むす》んでおいた、風船球《ふうせんだま》がなかったのでびっくりしました。これは、いたずらな弟《おとうと》が、どこへか持《も》っていったか、飛《と》ばしてしまったのだと思《おも》って、弟《おとうと》に向《む》かって小言《こごと》をいいますと、坊《ぼっ》ちゃんは、そんなものを僕《ぼく》は知《し》らないといって、かえって姉《ねえ》さんにくってかかったのであります。 「それは、きっと糸《いと》がひとりでにほどけて、飛《と》んでいったのかもしれないから、もう一つ買《か》っておいでなさい。そんなことでけんかをしてはいけません。」 と、お母《かあ》さんはいわれたのでした。  飛《と》んでいった風船球《ふうせんだま》は、思《おも》いきり高《たか》く上《あ》がりました。いつか、自分《じぶん》の体《からだ》は、雲《くも》の上《うえ》に乗《の》るだろうと思《おも》って、喜《よろこ》んだのであります。はじめて、こんなに高《たか》く空《そら》へ上《あ》がった風船球《ふうせんだま》は、どこが町《まち》だやら、港《みなと》だやら、その方角《ほうがく》がわかりませんので、ただ、あてもなく飛《と》んでいました。 「そのうちに、自分《じぶん》は、きっとおもしろいところへ出《で》られるにちがいない。」と思《おも》っていました。しかし、だんだん疲《つか》れてきたのか、体《からだ》がしぜんに降《お》りてくるような気《き》がしたので、どうしたのだろうと風船球《ふうせんだま》は、不思議《ふしぎ》でなりませんでした。 「おかしなこともあれば、あるものだ。」と、考《かんが》えているうちに、ふと、思《おも》いあたったことがあります。自分《じぶん》のしりに、長《なが》い白《しろ》い糸《いと》がついて、いっしょに飛《と》んでいるということです。 「なるほど、これで原因《げんいん》がわかった。自分《じぶん》は、こんなやっかいなものをひきずっているのだ。こいつをどこへか落《お》としてしまう工夫《くふう》をしなければならぬ。」と、ひとり言《ごと》をいいました。  風船球《ふうせんだま》が、こういったのを、糸《いと》は聞《き》いてしまいました。 「じつに、けしからんことだ。私《わたし》が、おまえを自由《じゆう》にしてやったのではないか。そのときの約束《やくそく》をすっかりわすれてしまって、私《わたし》をどこへか落《お》としてしまうとは、まことに不人情《ふにんじょう》な話《はなし》だ。風船球《ふうせんだま》が、その気《き》なら、自分《じぶん》にも考《かんが》えがあるから……。」と、糸《いと》は怒《おこ》ってしまいました。  風船球《ふうせんだま》が、林《はやし》の近《ちか》くを飛《と》んでいるときに、糸《いと》は、しっかりと木《き》の枝《えだ》につかまってしまった。すると、いままで軽《かろ》やかに飛《と》んでいた風船球《ふうせんだま》は、たちまち動《うご》けなくなってしまいました。 「なんで、おまえさんは、そんなものにひっかかったのだ?」と、風船球《ふうせんだま》は、糸《いと》に向《む》かって不平《ふへい》をいいました。すると糸《いと》は、 「それは、こちらがいうことだ。さあ、飛《と》べるなら、かってに飛《と》んでみよ。」といいました。  そのうちに、風《かぜ》が吹《ふ》いてくると、糸《いと》は、きりきりと風船球《ふうせんだま》のまわるたびに、幾重《いくえ》にも枝《えだ》にからんでしまって、もはや、どんなことをしても離《はな》れませんでした。  ちょうど、そのとき、お嬢《じょう》さんは、新《あたら》しい風船球《ふうせんだま》を買《か》ってきて、前《まえ》のように糸《いと》をたんすの環《わ》に結《むす》びました。そして、自分《じぶん》は、外《そと》へ遊《あそ》びに出《で》てしまいました。すると、その後《あと》で、たんすは、風船球《ふうせんだま》と糸《いと》に向《む》かって、前《まえ》には、二人《ふたり》が話《はな》し合《あ》って、この窓《まど》から、旅《たび》に出《で》かけていったが、いまごろは、にぎやかな町《まち》や、港《みなと》の景色《けしき》をながめているだろう。と、いうことを物語《ものがた》ったのでした。これを聞《き》くと、新《あたら》しい紅《あか》い風船球《ふうせんだま》は、糸《いと》に向《む》かって、自分《じぶん》たちもこれから仲《なか》よくして、いっしょに出《で》かけてみないかと話《はな》しかけたのであります。糸《いと》は、たんすから話《はなし》を聞《き》いたので、なんでこれを断《ことわ》りましょう。喜《よろこ》んで、約束《やくそく》してしまいました。「さあ、早《はや》く、お嬢《じょう》さんの留守《るす》の間《ま》に逃《に》げ出《だ》そう……。」といって、仕度《したく》をしている最中《さいちゅう》に、ふいにお嬢《じょう》さんがへやへはいってきました。 「あら、もうすこしで、飛《と》ぶところよ。前《まえ》の風船球《ふうせんだま》も坊《ぼう》がしたのでない、ひとりでに飛《と》んでいってしまったのね。」といって、もうけっして逃《に》げてはいかないように、お嬢《じょう》さんは、その風船球《ふうせんだま》で、まりをつくってしまいました。春《はる》の晩方《ばんがた》のことで、往来《おうらい》の上《うえ》は、黄色《きいろ》く乾《かわ》いていました。お嬢《じょう》さんは、お友《とも》だちとまりをついて遊《あそ》んでいました。そのまりは、よくはね上《あ》がりました。そして、お嬢《じょう》さんの体《からだ》のまわりをおもしろそうに飛《と》びました。けれど、遠《とお》くそこから離《はな》れて、どこへゆこうともしませんでした。  林《はやし》の枝《えだ》にかかった風船球《ふうせんだま》は、一晩《ひとばん》じゅう、そこで風《かぜ》に吹《ふ》かれて、風《かぜ》にからかわれていました。明《あ》くる日《ひ》になると、いつか窓《まど》からのぞいた小鳥《ことり》がそこを通《とお》りかかって、気《き》の毒《どく》そうに、そばの枝《えだ》へとまってながめていましたが、なにもいわずに立《た》ち去《さ》ってしまいました。風船球《ふうせんだま》は、恥《は》ずかしいので、べつに、こちらからは、言葉《ことば》もかけませんでした。そして、ただ、糸《いと》の仕打《しう》ちをうらんでいました。  へやの中《なか》のたんすだけは、二つの、風船球《ふうせんだま》がどうなってしまったか、その身《み》の上《うえ》について、すこしも知《し》るところがなかったので、二つとも、幸福《こうふく》に暮《く》らしていると思《おも》っていました。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷発行    1977(昭和52)年C第2刷発行 ※表題は底本では、「風船球《ふうせんだま》の話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:栗田美恵子 2020年9月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。