花咲く島の話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)広《ひろ》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|夜《や》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] -------------------------------------------------------  この広《ひろ》い世界《せかい》の上《うえ》を、ところ定《さだ》めずに、漂泊《ひょうはく》している人々《ひとびと》がありました。それは、名《な》も知《し》られていない人々《ひとびと》でした。その人々《ひとびと》は、べつに有名《ゆうめい》な人間《にんげん》になりたいなどとは思《おも》いませんでした。彼《かれ》らの中《なか》には、唄《うた》うたいがあり、宝石商《ほうせきしょう》があり、また、手品師《てじなし》などがありました。  ある晩《ばん》のこと、港町《みなとまち》の小《ちい》さな宿屋《やどや》に、それらの人々《ひとびと》が泊《と》まり合《あ》わせました。 「私《わたし》などは、こうして幾年《いくねん》ということなく、旅《たび》から旅《たび》へ、歩《ある》きまわっています。」と、手品師《てじなし》がいいました。 「私《わたし》とて、同《おな》じことです。」と、宝石商《ほうせきしょう》はいいました。 「みんな、ここにおいでなさる人《ひと》たちは、そうでしょう。私《わたし》なども、やはりその一人《ひとり》ですが、ふるさともなく、家《いえ》もないということは、気楽《きらく》にはちがいありませんが、ときどき雨《あめ》の降《ふ》る日《ひ》など、独《ひと》り考《かんが》えてみて、さびしくなることがあります。それで、そんなときは、せめて、この地球《ちきゅう》の上《うえ》に、どこででもいいから、ふるさとというものがあったら、はりあいがあろうと思《おも》うことがあるのです……。」と、唄《うた》うたいがいいました。 「ほんとうに、そうです。」 「いや、あなたのおっしゃるとおりです。」  宝石商《ほうせきしょう》も、手品師《てじなし》も、同感《どうかん》して、答《こた》えました。  このとき、そばで、この話《はなし》をだまって、聞《き》いていた男《おとこ》があります。男《おとこ》は、口《くち》をいれて、 「みなさん、私《わたし》といっしょに、おいでになりませんか。私《わたし》のいるところは、それはいいところでございます。」といいました。  みんなは、その男《おとこ》の方《ほう》を向《む》いて、その男《おとこ》を見《み》ました。 「あなたは?」といって、その男《おとこ》がなんであって、どこの人《ひと》かと思《おも》ったのであります。 「私《わたし》は、眼鏡屋《めがねや》で、いろいろな眼鏡《めがね》を持《も》っています。私《わたし》も、みなさんのように、ふるさとというものがありません。あるとき、荒《あ》れた庭園《ていえん》がありましたので、そこに一|夜《や》を明《あ》かしますと、庭園《ていえん》の主人《しゅじん》は、この広《ひろ》い場所《ばしょ》に、自分《じぶん》たちだけがいるのでは、さびしいから、ここを家《うち》と思《おも》って、いつでも帰《かえ》ってくるようにといいました。それで、その庭園《ていえん》をふるさとときめて、思《おも》い出《だ》しては、そこに帰《かえ》るのです。それは、気候《きこう》のいいところで、果物《くだもの》もたくさんあれば、山《やま》には、温泉《おんせん》もわき出《で》ています。まるで、この世《よ》の楽園《らくえん》です。ただ、あまり世《よ》の中《なか》の人々《ひとびと》に知《し》られていない、南洋《なんよう》の島《しま》でありますから、開《ひら》けてはいません。しかし、そのほうがかえってしあわせなんです。もし、みなさんも、私《わたし》といっしょに、その庭園《ていえん》へおいでなさるなら、主人《しゅじん》は、喜《よろこ》んでお迎《むか》えいたしましょう。そして、にぎやかになったのを喜《よろこ》ぶでしょう。主人《しゅじん》は、この世界《せかい》の珍《めずら》しい話《はなし》や、草花《くさばな》などのようなものを見《み》ることが大好《だいす》きなのです……。」と、眼鏡屋《めがねや》はいいました。  みんなは、この話《はなし》をきいて、たいそう興味《きょうみ》をもちました。 「温泉《おんせん》があって、果物《くだもの》があって……、ああ、なんといういいところだろう? そんないいところが、この世《よ》の中《なか》にあるでしょうか?」と、唄《うた》うたいは、目《め》をまるくしました。 「眼鏡屋《めがねや》さん、海《うみ》に近《ちか》いところですか。その庭園《ていえん》というのは……。」と、宝石商《ほうせきしょう》はききました。  眼鏡屋《めがねや》は、さながら、南洋《なんよう》の輝《かがや》かしい、日《ひ》の照《て》らす、海原《うなばら》の景色《けしき》を前《まえ》に見《み》るように、 「宝石商《ほうせきしょう》さん、あなたのお持《も》ちなさるひすいのように、その海《うみ》の色《いろ》は、青《あお》くうるんでいます。また、真珠《しんじゅ》のように、真昼《まひる》には、日光《にっこう》に輝《かがや》いています。そして、夕暮《ゆうぐ》れは、ちょうど、そのさんごのように夕焼《ゆうや》けが彩《いろど》るのですよ。」といいました。 「ああ、私《わたし》は、そんなところを、どれほど、探《さが》していたでしょう。しかし、私《わたし》の魔術《まじゅつ》でも、それを現《あらわ》すだけの力《ちから》がなかったのです。」と、奇術師《きじゅつし》はいいました。  あくる日《ひ》、四|人《にん》のものは、いっしょになって旅行《りょこう》をしたのでした。それは、眼鏡屋《めがねや》のいった、名《な》もない庭園《ていえん》へいって、そこを自分《じぶん》たちのふるさとにしようという考《かんが》えからでありました。  幾日《いくにち》かの後《のち》、みんなは、南洋《なんよう》の島《しま》にあった庭園《ていえん》に着《つ》きました。そこだけには、冬《ふゆ》というものがなかったのです。いつも美《うつく》しい花《はな》が咲《さ》いていました。すべては、眼鏡屋《めがねや》がいったことに変《か》わりがなかったのです。  庭園《ていえん》の主人《しゅじん》という人《ひと》は、いい人《ひと》でした。 「あなたがたは、どこへでも小舎《こや》を建《た》て、自分《じぶん》のすみかを作《つく》ってください。ここをば、あなたがたのふるさとにしてください。そして、珍《めずら》しい花《はな》があったら、その種子《たね》や、また苗《なえ》を持《も》ってきてまいたり、植《う》えたりしてください。ここはなんでも育《そだ》たないということはありません。それは、地《ち》が肥《こ》えています。五|年《ねん》、十|年《ねん》の後《のち》には、りっぱな楽園《らくえん》となるでしょう。果物《くだもの》は、いまでも、みんなの食《た》べきれぬほど実《みの》っています。海《うみ》からは魚《さかな》が捕《と》れますし、また、山《やま》にゆけば温泉《おんせん》がわいています。ただ、親《した》しい、話《はな》し合《あ》う人間《にんげん》が少《すく》ないことです。これからは、にぎやかになって、どんなに、楽《たの》しみができるでしょう。」と、主人《しゅじん》はいいました。  けれど、ここに集《あつ》まった、漂泊者《ひょうはくしゃ》は、もうここにじっと、おちついてしまうということはできませんでした。彼《かれ》らは、この広《ひろ》い世界《せかい》を自由《じゆう》に歩《ある》きまわらなければ、気《き》のすまぬ人《ひと》ひとたちでした。 「ああ、俺《おれ》たちにも、いいふるさとができた。これを楽《たの》しみに、また、出《で》かけてこよう。」と、みんなはいいました。  みんなは、島《しま》から旅《たび》へと出《で》かけました。べつべつに、自分《じぶん》たちの気《き》の向《む》いた方《ほう》へ、あるものは東《ひがし》へ、あるものは西《にし》へというふうに、思《おも》い思《おも》いの方角《ほうがく》を指《さ》して出《で》かけたのであります。  唄《うた》うたいは、マンドリンを弾《ひ》きながら、こちらの町《まち》から、あちらの町《まち》へと渡《わた》って歩《ある》きました。そして、町々《まちまち》で聞《き》いた、おもしろい話《はなし》を覚《おぼ》えていて、帰《かえ》ったら、みんなに話《はな》して聞《き》かせましょうと思《おも》いました。手品師《てじなし》は、東《ひがし》の方《ほう》の国《くに》の市場《いちば》で、若《わか》い女《おんな》が、きれいな花《はな》を売《う》っているのを買《か》って、その根《ね》を島《しま》の庭園《ていえん》に持《も》って帰《かえ》ることになりました。また、眼鏡屋《めがねや》は、船《ふね》の中《なか》で、望遠鏡《ぼうえんきょう》と美《うつく》しいつぼと交換《こうかん》しました。このつぼは、じつに美術的《びじゅつてき》なつぼでした。宝石商《ほうせきしょう》は、ある町《まち》で機《はた》を織《お》る器械《きかい》を買《か》いました。それは、みんなが、もし女房《にょうぼう》をもらったら、この器械《きかい》で機《はた》を織《お》らしたらいいと思《おも》ったからです。 「ああ、春《はる》になった。どれ、島《しま》のふるさとに帰《かえ》ろうか。あすこへゆけば、みんながもう帰《かえ》りを待《ま》っているかもしれない。そして、花《はな》の盛《さか》りであろう……。」  こういうように、みんなは、渡《わた》り鳥《どり》が、古巣《ふるす》を思《おも》い出《だ》すように、ふるさとを思《おも》い出《だ》しました。 「俺《おれ》たちにもふるさとがあるんだぜ! それは、南洋《なんよう》の島《しま》にある楽園《らくえん》だ!」  約束《やくそく》した春《はる》がくると、これらの漂泊者《ひょうはくしゃ》は、楽《たの》しい思《おも》いで、その島《しま》に帰《かえ》ってゆきました。  いつしか、島《しま》の中《なか》は、諸国《しょこく》の珍《めずら》しい花《はな》で、みごとに飾《かざ》られたのでした。みんなは、自分《じぶん》たちの庭園《ていえん》の手入《てい》れをしました。だから、果物《くだもの》は、ますますみごとに、枝《えだ》もたわむばかりになりました。 「この果物《くだもの》が、黄色《きいろ》くなった時分《じぶん》に、俺《おれ》たちはまた旅《たび》から帰《かえ》って、みんなで達者《たっしゃ》の顔《かお》を合《あ》わせよう。そして、それまでにためておいたおもしろい話《はなし》や、珍《めずら》しい品物《しなもの》を、聞《き》かせたり、見《み》せたりしよう……。」と、宝石商《ほうせきしょう》はいいました。 「幽霊船《ゆうれいぶね》の話《はなし》をしたが、また、これよりも、もっと怖《おそ》ろしい話《はなし》をきいてくるぞ。」と、唄《うた》うたいはいいました。 「ああ、私《わたし》は、もう、年《とし》を老《と》ったので、どこへも出《で》かけられないが、みなさんが、旅《たび》から無事《ぶじ》で帰《かえ》ってきなさるのを、楽《たの》しみにして、待《ま》っています。」と、庭園《ていえん》の主人《しゅじん》はいいました。  みんなが、旅立《たびだ》った後《のち》のことであります。  汽船《きせん》がこの島《しま》に着《つ》きました。その船《ふね》には、一人《ひとり》の大金持《おおがねも》ちが乗《の》っていましたが、上陸《じょうりく》すると、庭園《ていえん》の主人《しゅじん》のところにやってきました。 「こんなに、風景《ふうけい》のいいところを、こうしておくのは惜《お》しいものだ。私《わたし》が帰《かえ》って、みんなに知《し》らせます。そうすると、この島《しま》は、たちまち有名《ゆうめい》になって、世界《せかい》じゅうの金持《かねも》ちが見物《けんぶつ》にやってきます。そして、ここに別荘《べっそう》を建《た》てます。美《うつく》しい花《はな》は咲《さ》いているし、果物《くだもの》は、実《みの》っているし、温泉《おんせん》がわいている。こんないいところはありません。どんな美《うつく》しい人《ひと》もくるでしょう。有名《ゆうめい》な歌《うた》うたいや、役者《やくしゃ》や、踊《おど》り子《こ》もやってくるにちがいありません。それにしては、ここにある汚《きたな》らしい小舎《こや》を取《と》りはらってしまわなければなりません。」と、金持《かねも》ちはいいました。  庭園《ていえん》の主人《しゅじん》は、いままで寂《さび》しくてしかたのなかったのが、世界《せかい》の有名《ゆうめい》な歌《うた》うたいがきたり、美《うつく》しい踊《おど》り子《こ》がきて踊《おど》ったり、また役者《やくしゃ》などがくるということを想像《そうぞう》しますと、そうなったら、どんなに幸福《こうふく》だろうと考《かんが》えたのでした。 「それは、ほんとうでしょうか?」 「なんの私《わたし》のいうことに、まちがいがあろう。この島《しま》は、有名《ゆうめい》になって、年々《ねんねん》遊《あそ》びにやってくる人《ひと》たちでにぎわうでしょう。そうすれば、町《まち》も美《うつく》しくなり、また、電燈《でんとう》もつき、いろいろな文明《ぶんめい》の設備《せつび》がゆきとどくにちがいがありません。」と、その大金持《おおがねも》ちはいいました。  庭園《ていえん》の主人《しゅじん》は、とうとうそこにいままでいた、漂泊者《ひょうはくしゃ》をその庭園《ていえん》から追《お》い出《だ》してしまいました。 「ああ、私《わたし》たちは、ふるさとを失《うしな》ってしまった。また、どこか世界《せかい》のはてに、ふるさとを見《み》いだそう……。」といって、眼鏡屋《めがねや》も、手品師《てじなし》も、宝石商《ほうせきしょう》も、唄《うた》うたいも、どことなく去《さ》ってしまったのです。  この島《しま》は、その後《ご》、はたして、大金持《おおがねも》ちのいったように有名《ゆうめい》になりました。  別荘《べっそう》ができ、りっぱな町《まち》ができましたけれど、庭園《ていえん》から主人《しゅじん》も追《お》い出《だ》される日《ひ》がきました。そして、主人《しゅじん》もまた、流浪者《るろうしゃ》となってしまったのです。 [#地付き]――一九二四・一〇作―― 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷発行    1977(昭和52)年C第2刷発行 初出:「童話」    1925(大正14)年1月 ※表題は底本では、「花咲《はなさ》く島《しま》の話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:栗田美恵子 2020年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。