翼の破れたからす 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)西《にし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|日《にち》 -------------------------------------------------------  西《にし》の山《やま》のふもとの森《もり》の中《なか》に、からすが巣《す》を造《つく》っていました。そして、毎日《まいにち》、朝《あさ》はまだ、空《そら》の明《あ》けきらないうす暗《ぐら》いうちから、みんなのからすは列《れつ》をなして、東《ひがし》の空《そら》を指《さ》して高《たか》く飛《と》んでゆきました。  その時分《じぶん》、村《むら》では、起《お》きた家《うち》もあれば、まだ寝《ね》ている家《うち》もありました。からすは、こうして餌《え》を探《さが》しに出《で》るのでした。  一|日《にち》、町《まち》の裏《うら》や、圃《たんぼ》や、また河《かわ》の淵《ふち》や、海浜《かいひん》など、方々《ほうぼう》で食《しょく》を求《もと》めるのでした。一|羽《わ》がなにかいいものを見《み》つけましたときは、これをみんなに知《し》らせました。そして、けっして、ひとりでそれをばみんな自分《じぶん》のものにしようとはしませんでした。  みんなは、どこへ飛《と》んでゆくのにも、いっしょでありました。また、ひとりがほかのとびやたかなどにかかって、いじめられるようなときがあれば、そのひとりの友《とも》だちを見捨《みす》てるようなことは、しませんでした。あくまで、その友《とも》だちを助《たす》けました。そして、いっしょになって戦《たたか》うか、また、逃《に》げるかしたのであります。  晩方《ばんがた》になると、からすたちは、また、山《やま》のふもとをさして、列《れつ》を造《つく》って帰《かえ》るのでした。 「カア、カア。」と鳴《な》いて、村《むら》の上《うえ》の空《そら》を高《たか》く飛《と》んで過《す》ぎたのであります。春《はる》、夏《なつ》、秋《あき》、冬《ふゆ》。毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、それに変《か》わりがなかったのでありました。  太郎《たろう》は、ある日《ひ》、家《うち》の前《まえ》に立《た》って、頭《あたま》の上《うえ》を、カア、カア、と鳴《な》いてゆく、からすの群《む》れをじっと見上《みあ》げていたのでした。  黒《くろ》く、さおのように、一|列《れつ》になって、からすの群《む》れは、西《にし》の空《そら》をさして飛《と》んでゆきました。いちばん先《さき》のからすが、疲《つか》れると、つぎのからすが先《さき》になりました。そのからすが、すこし後《おく》れると、後《あと》のからすがいちばん先《さき》になるというふうに、なんでも、元気《げんき》のいい敏捷《びんしょう》なからすが、いちばん先頭《せんとう》になって、みんなを率《ひき》いて、ゆくように見《み》えたのです。  からすは、おたがいに、元気《げんき》をつけあって、そして、みんなが、列《れつ》から、はずれないようにしてゆきました。また、先頭《せんとう》のからすは、行《ゆ》く手《て》にあった野原《のはら》や、河《かわ》や、海浜《かいひん》や、村《むら》や、町《まち》などにも注意《ちゅうい》を配《くば》らなければなりません。いつ、どんなものが、自分《じぶん》たちを狙《ねら》うかわからないからです。  太郎《たろう》は、からすの列《れつ》がただしいのを見《み》て感心《かんしん》しました。そして、彼《かれ》は、いくついるだろうかと先《さき》になっているのから、一つ、一つ、数《かぞ》えてみていたのでした。  太郎《たろう》は、このからすの群《む》れの中《なか》に、ただ一|羽《わ》、片方《かたほう》の翼《つばさ》が傷《いた》んでいる、哀《あわ》れなからすを発見《はっけん》しました。そのからすは、敵《てき》とけんかをしたものか、また、鉄砲《てっぽう》で打《う》たれたものか、また、もち棒《ぼう》にでもかかったものか、右《みぎ》の翼《つばさ》が破《やぶ》れていました。 「あんなに、いたんだ翼《つばさ》で、なんともないものだろうか。」と、太郎《たろう》は、気遣《きづか》わしげに感《かん》じながら、そのからすを、とくに注意《ちゅうい》して、見上《みあ》げていました。  やはり、そのからすは、翼《つばさ》がいたんでいるだけに疲《つか》れやすかったのであります。ややもすると、そのからすは後《おく》れがちになりました。それを友《とも》だちのからすは、いたわるようにして、前《まえ》になり、後《あと》になりして、その哀《あわ》れなからすを護《まも》ってゆくのでした。  翼《つばさ》のいたんだからすは、ちょうど列《れつ》の中《なか》ほどに加《くわ》わっていました。そして、ひとり、みんなから後《おく》れもせずに、あちらへ飛《と》んでいったのであります。  太郎《たろう》は、その哀《あわ》れなからすのことを忘《わす》れることができませんでした。夜《よる》、床《とこ》の中《なか》へはいってからも、 「無事《ぶじ》に、みんなといっしょに森《もり》の中《なか》へ帰《かえ》ったろうか?」と思《おも》いました。  また学校《がっこう》へいっても、からすのことを思《おも》ったのです。 「今日《きょう》の晩方《ばんがた》も、あのからすは、空《そら》を飛《と》んでゆくだろうか?」と。  学校《がっこう》から、家《うち》に帰《かえ》ると、太郎《たろう》は、外《そと》に出《で》て遊《あそ》んでいました。道《みち》の上《うえ》には、まだ雪《ゆき》が消《き》えずに残《のこ》っていました。  やがて、静《しず》かに、日《ひ》は暮《く》れかかりました。からすの群《む》れは、七|羽《わ》、九|羽《わ》、五|羽《わ》というふうに、それぞれ列《れつ》を造《つく》って飛《と》んで帰《かえ》りました。 「カア、カア。」と鳴《な》いて、西《にし》の空《そら》をさして、いったのであります。 「昨日《きのう》のからすは、まだこないだろうか?」と、太郎《たろう》は、晩方《ばんがた》の空《そら》を仰《あお》いでいました。すると、そのうちに、あちらから、たくさんの群《む》れの一|列《れつ》が飛《と》んできました。よく、それを見《み》ると、昨日《きのう》のからすの列《れつ》でありました。  中《なか》ほどだった翼《つばさ》のいたんだからすは、今日《きょう》は、いちばん列《れつ》の後《うし》ろについてきました。けれど、べつに、ひとり後《あと》にとり残《のこ》されもせずに、みんなと歩調《ほちょう》を合《あ》わせて飛《と》んでゆきました。 「どうして、今日《きょう》は、いちばん後《あと》になったのだろう?」と、太郎《たろう》は、哀《あわ》れなからすについて、同情《どうじょう》せずにはいられませんでした。  その夜《よ》は、昨日《きのう》より、いっそう、そのからすのことが気《き》になって、床《とこ》にはいってからも、忘《わす》れられませんでした。あくる日《ひ》、学校《がっこう》にいって、窓《まど》から、運動場《うんどうじょう》で鳴《な》いているからすを見《み》ましたときに、あの哀《あわ》れなからすを思《おも》い出《だ》したのであります。  彼《かれ》は、「今日《きょう》は、どうだろうか?」と、学校《がっこう》から帰《かえ》ると、はやく晩方《ばんがた》になって、いつものごとく、からすの群《む》れの過《す》ぎる時刻《じこく》になればいいと待《ま》っていました。  やがて、日《ひ》が暮《く》れかかると、からすの群《む》れは、いくつも西《にし》の空《そら》をさして、帰《かえ》りました。そして、北《きた》の海《うみ》のある方《ほう》の、空《そら》が、明《あか》るかったのであります。  見覚《みおぼ》えのあるからすの群《む》れは、頭《あたま》の上《うえ》を過《す》ぎたのでした。そして、翼《つばさ》のいたんだ、哀《あわ》れなからすは今日《きょう》はみんなから、ずっと後《おく》れて、わずかにその列《れつ》に加《くわ》わっていたのでありました。  彼《かれ》は、哀《あわ》れなからすが、みんなから、まったく、後《おく》れてしまいはせぬかと、気遣《きづか》いながら、いつまでもその群《む》れの遠《とお》く、遠《とお》く、見《み》えなくなるまで見送《みおく》っていました。そのうちに、まったく、その群《む》れは見《み》えなくなってしまいました。 「明日《あす》は、どうだろう?」  太郎《たろう》は、このとき、そう思《おも》わずには、いられませんでした。  そして、そのあくる日《ひ》の暮《く》れ方《がた》となりました。太郎《たろう》は、家《うち》の前《まえ》に立《た》って、同情《どうじょう》に満《み》ちた瞳《ひとみ》を上《あ》げて、哀《あわ》れなからすの加《くわ》わっている、その列《れつ》のくるのを待《ま》っていました。やがて、その列《れつ》はやってきました。しかし、哀《あわ》れな傷《きず》ついたからすの姿《すがた》は、見《み》えなかったのです。彼《かれ》は、その数《かず》を数《かぞ》えてみました。たしかに、哀《あわ》れなからすの数《かず》一つだけが足《た》りなかったのであります。 「あのからすは、どうしたろう?」  太郎《たろう》の胸《むね》は、悲《かな》しさにいっぱいになりました。かわいそうでならなかったのでした。 「あのからすは、どうしただろうか?」  そのあくる日《ひ》も、彼《かれ》は、外《そと》の往来《おうらい》に立《た》って、からすの群《む》れを見送《みおく》りました。やはり、哀《あわ》れなからすの姿《すがた》はその列《れつ》には、なかったのでした。おそらく、それは、永久《えいきゅう》に、見《み》られないような気《き》がしたのでした。  一|日《にち》、太郎《たろう》は、学校《がっこう》で、幾人《いくにん》かの友《とも》だちと鬼《おに》ごっこをして騒《さわ》いでいました。そのとき、一人《ひとり》が、ベンチにつまずいて、片足《かたあし》の骨《ほね》を砕《くだ》きました。みんなは、大騒《おおさわ》ぎをしました。不幸《ふこう》な友《とも》だちは、家《うち》へ帰《かえ》りました。そして、医者《いしゃ》にかかりました。  翌日《よくじつ》、学校《がっこう》へいってみると、その友《とも》だちは、学校《がっこう》を休《やす》んだのでした。 「かわいそうだね。」と、太郎《たろう》は、ほかの友《とも》だちどうしと、不幸《ふこう》な友《とも》だちの災難《さいなん》を哀《あわ》れみました。  太郎《たろう》は、このとき、人間《にんげん》は、こうして傷《きず》を受《う》けると医者《いしゃ》にかかることができるが、あのからすのように、翼《つばさ》を傷《きず》つけたら、からすは、どうしたらいいだろうかと思《おも》いました。  冬《ふゆ》の終《お》わりごろから、春《はる》のはじめにかけては、よく雨風《あめかぜ》のつづくことがあります。こうして野《の》や山《やま》の雪《ゆき》は解《と》けるのでした。  二、三|日《にち》、はげしい雨《あめ》が降《ふ》り、風《かぜ》が吹《ふ》きすさみました。こんな日《ひ》には、からすは、いつものように列《れつ》を造《つく》って、飛《と》んで帰《かえ》ることができませんでした。そして、思《おも》い思《おも》いに、雨風《あめかぜ》の中《なか》を帰《かえ》ってゆきました。  太郎《たろう》は学校《がっこう》へゆくと、足《あし》をいためた友《とも》だちはもうなおってきていました。そして、うれしそうにみんなといっしょに遊《あそ》んでいたのでありました。 「からすは、翼《つばさ》をいためても、医者《いしゃ》にかかってなおすこともできないだろうし、どうするだろうか? あのように、雨《あめ》や、風《かぜ》のはげしい日《ひ》には、どこに、どうしているだろうか?」  太郎《たろう》は、哀《あわ》れなからすについて、思《おも》わずにいられなかったのです。彼《かれ》は、哀《あわ》れなからすを、もう永久《えいきゅう》に見《み》ることがないと思《おも》っていました。  おいおい、春《はる》めいてまいりました。吹《ふ》く風《かぜ》が暖《あたた》かになりました。ある日《ひ》の晩方《ばんがた》、太郎《たろう》は外《そと》に遊《あそ》んでいますと、西《にし》の方《ほう》の空《そら》は、紅《あか》く色《いろ》づいていました。そして、日《ひ》は静《しず》かに沈《しず》み、雲《くも》の色《いろ》も、木立《こだち》の影《かげ》も、酒《さけ》にでも酔《よ》うているようでありました。ちょうど、このとき、からすの群《む》れが、頭《あたま》の上《うえ》を飛《と》んでゆきました。太郎《たろう》は、それを見《み》ると、いつかの翼《つばさ》をいためたからすが、みんなといっしょに元気《げんき》よく飛《と》んでゆくのでありました。  彼《かれ》は、それを見《み》て、どんなに、意外《いがい》に、またうれしく思《おも》ったでしょう。 「あ、あのからすも、あんなによくなった。」といって、手《て》をたたいて喜《よろこ》びました。 「カア、カア。」と、からすは鳴《な》いて、西《にし》の紅《あか》い空《そら》の中《うち》へ、だんだんと小《ちい》さく、消《き》えてゆきました。  この日《ひ》から、この地上《ちじょう》には、幸福《こうふく》が産《う》まれ出《で》たように思《おも》われました。一|時《じ》に、木々《きぎ》のつぼみはふくらみ、芽《め》さきは、色《いろ》づきました。もう、冬《ふゆ》は、どこかへ逃《に》げていって、春《はる》がやってきたのです。  そのころから、晩方《ばんがた》になると、からすが東《ひがし》の空《そら》から、西《にし》へ飛《と》んでゆくのに、また、南《みなみ》の空《そら》からは、北《きた》へ、白《しろ》い、白《しろ》い、かもめの群《む》れが列《れつ》を造《つく》って飛《と》んでくるのを見《み》ました。かもめは、寒《さむ》い、寒《さむ》い、ところを恋《こい》しがって旅《たび》をつづけるのでした。一|度《ど》、村《むら》の上《うえ》を北《きた》に過《す》ぎていったかもめは、二|度《ど》と帰《かえ》ってきませんでしたが、からすの群《む》れはやはり、あくる日《ひ》も、また、太郎《たろう》の頭《あたま》の上《うえ》を通《とお》るのでありました。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷    1977(昭和52)年C第2刷 底本の親本:「未明童話集2」丸善    1927(昭和2)年9月20日発行 初出:「赤い鳥」    1924(大正13)年3月 ※表題は底本では、「翼《つばさ》の破《やぶ》れたからす」となっています。 ※初出時の表題は「翼の破れた烏」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:へくしん 2021年2月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。