すみれとうぐいすの話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)小《ちい》さな |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|羽《わ》 -------------------------------------------------------  小《ちい》さなすみれは、山《やま》の蔭《かげ》につつましやかに咲《さ》いていました。そして、いい香《かお》りを放《はな》っていました。  すみれは、そこでも、安心《あんしん》をしていることは、できなかったのです。なぜなら、そのすみれをたずねてくるものは、ひとり、美《うつく》しいちょうや、かわいらしいみつばちばかりではなかったからです。 「ここにも、すみれが咲《さ》いていた。とって香《かお》りをかいでごらんなさい。いい香《かお》りがするから。」と、山《やま》に遊《あそ》びにきた、子供《こども》たちはいったのです。  すみれは、自分《じぶん》ほど、不幸《ふこう》なものは、この世《よ》の中《なか》に、ないと思《おも》いました。小《ちい》さな体《からだ》で、しかも、ものの蔭《かげ》に、つつましく咲《さ》いているのを、それすら安心《あんしん》ができなかったからです。 「ああ、わたしほど、不《ふ》しあわせなものはない。」と、すみれは、ため息《いき》をしました。  そのとき、そばから、名《な》もない草《くさ》がいいました。 「すみれさん、あなたは、あんまり美《うつく》しく生《う》まれてこられたからです。そして、いい香《かお》りをもっていなさるからです。私《わたし》のように、粗末《そまつ》に生《う》まれてきたものは、ちょうや、はちなどというきれいなものに、振《ふ》り向《む》かれないかわり、まあ、無事《ぶじ》といえばいえるのです。どちらがいいかわかったものでありません。そう、歎《なげ》くにはおよびませんよ。」と、皮肉《ひにく》のようになぐさめるように、いったのでした。  これを聞《き》くと、すみれは、寒《さむ》い風《かぜ》に、小《ちい》さな頭《あたま》を振《ふ》りながら、 「いいえ、わたしは、自分《じぶん》の不安《ふあん》な生活《せいかつ》のことを考《かんが》えると、もう、ちょうにも、みつばちにもきてもらわなくてもいいのです。どうか、あなたのように、安心《あんしん》した生活《せいかつ》を送《おく》りたいものです。」と答《こた》えました。  しかし、名《な》もない草《くさ》は、もうあきらめているというふうで、 「そういったって、しかたのないことです。」といったきり、黙《だま》ってしまいました。  このとき、どこからか、一|羽《わ》のうぐいすが飛《と》んできて、そばの木《き》の枝《えだ》に止《と》まりました。そして、いい声《こえ》でさえずりました。  この声《こえ》をきくと、すみれは、なんといういい声《こえ》だろうと感心《かんしん》しました。 「なぜ、わたしは、鳥《とり》になって生《う》まれてこなかったろう。そして、ああしたいい声《こえ》で鳴《な》くことができたら、どんなにうれしいであろう。」と思《おも》いました。  うぐいすは、しばらく枝《えだ》に止《と》まっていました。そのうち地面《じめん》に降《お》りてきました。うぐいすは、小《ちい》さなすみれの花《はな》を見《み》つけました。 「かわいらしい花《はな》だこと。」といって、すみれのすぐそばにやってきました。 「すみれさん、あなたは、しあわせものですね。」と、うぐいすはいいました。  これを聞《き》くと、すみれは、うぐいすが自分《じぶん》をからかうのだと思《おも》いました。そして、うぐいすをいい声《こえ》だと感心《かんしん》したことなどは忘《わす》れてしまって、すみれは、腹《はら》をたてずにはいられませんでした。 「わたしほど、不《ふ》しあわせなものが、世《よ》の中《なか》にありましょうか。」と、すみれは、かなしい、細《ほそ》い声《こえ》でいいました。  すると、うぐいすは、頭《あたま》をかしげながら、じっとすみれを見《み》つめていました。 「すみれさん、それは、私《わたし》のいうことです。私《わたし》ほど不幸《ふこう》のものはないと思《おも》います。」と、うぐいすはいいました。  こんどは、すみれが、それを聞《き》いて、がっかりしたような顔《かお》つきをしました。 「あなたの声《こえ》は、あんなにいいではありませんか。いま、わたしは、あなたのさえずりなさる声《こえ》をきいて、うっとりとしました。あなたの声《こえ》を聞《き》くものは、ひとり、わたしばかりではありません。みんな感心《かんしん》します。あなたは、だれからもかわいがられます。なんで、あなたが不幸《ふこう》なことがありましょう。」と、すみれはいいました。  うぐいすは、これをきいて、しばし黙《だま》っていましたが、やがて頭《あたま》を上《あ》げて、 「すみれさん、あなたが、そうお思《おも》いなさるのは無理《むり》のないことです。しかし、私《わたし》は、この声《こえ》のために、どんなに苦《くる》しんでいるかしれません。からすや、わしや、たかなどは、みんな私《わたし》を憎《にく》みます。私《わたし》を憎《にく》むというよりは、私《わたし》の声《こえ》を憎《にく》むあまり、私《わたし》の姿《すがた》を見《み》ると殺《ころ》そうとしているのです。それがために、私《わたし》は、安心《あんしん》して木《き》の枝《えだ》に止《と》まって眠《ねむ》ることができません。昼間《ひるま》は、こうして、彼《かれ》らに見《み》えないように、やぶから、林《はやし》を伝《つた》って鳴《な》いていますが、夜《よる》は、どこかの木《き》の枝《えだ》に止《と》まって眠《ねむ》らなければなりません。しかし、私《わたし》の定《き》まった宿《やど》というものはないのです。私《わたし》は、あなたのように、地《ち》の上《うえ》にしっかりとした、安《やす》らかな生活《せいかつ》をなさる姿《すがた》を見《み》るとうらやましくてなりません。私《わたし》ほど不幸《ふこう》なものがありましょうか。」と、うぐいすは、すみれに向《む》かっていいました。  すみれは、これを聞《き》くと、うぐいすのいったことは、自分《じぶん》をからかうためではなかったということを知《し》りました。そして、うぐいすにも、やはり自分《じぶん》と同《おな》じような、なやみのあることを知《し》ったのであります。  そこで、すみれは、自分《じぶん》が、この美《うつく》しい色《いろ》と、香《にお》いのあるために、安心《あんしん》した生活《せいかつ》が送《おく》られないことを、うぐいすに語《かた》らずにはいられませんでした。  うぐいすは、やさしいすみれのいうことを、同情《どうじょう》して聞《き》いていました。そして、どうして、この二人《ふたり》は、たがいに、不《ふ》しあわせに生《う》まれてきたのだろうと憫《あわ》れみ合《あ》ったのです。  空《そら》の上《うえ》で、太陽《たいよう》は、このすみれとうぐいすの話《はなし》をきいていました。 「ふたりは、同《おな》じような不平《ふへい》をいっているのだな。」と、太陽《たいよう》は、にこやかに、下《した》を向《む》いていいました。  すみれも、うぐいすも、びっくりして上《うえ》を仰《あお》ぎました。そして、自分《じぶん》たちのお父《とう》さんであり、お母《かあ》さんである太陽《たいよう》でありましたから、ふたりは、たがいに、いま話《はな》し合《あ》っていたことを訴《うった》えたのであります。  すると、太陽《たいよう》は、しばらく考《かんが》えていましたが、まず最初《さいしょ》に、すみれに向《む》かって、 「昔《むかし》、おまえさんの先祖《せんぞ》は、ちょうど、それと反対《はんたい》なことをいったものだ。あまり小《ちい》さいので、だれの目《め》にもとまらない。いつもものの蔭《かげ》に小《ちい》さくなって咲《さ》いていなければならぬ。また、たまたま広々《ひろびろ》とした野原《のはら》に咲《さ》こうものなら、馬《うま》の脚《あし》や、人間《にんげん》の足《あし》の下《した》に踏《ふ》まれて、はかなく散《ち》ってしまわなければならない。ちょうもこなければ、みつばちもやってこない。どうか、わたしたちを目《め》につくように、そして、美《うつく》しいちょうや、きれいなとんぼや、またかわいらしいみつばちのくるようにしてくださいと頼《たの》んだものだ。それで、俺《わし》は考《かんが》えたすえに、いい香《にお》いを与《あた》えたのだ。それからは、みんなの目《め》にとまるようになった。人間《にんげん》はおまえさんたちを愛《あい》した。ちょうも、みつばちも、みんなおまえさんたちを慕《した》って、遠《とお》くから飛《と》んでくるようになった。それから、長《なが》い間《あいだ》、おまえさんたちは、幸福《こうふく》であった。それが、いま、かえって不平《ふへい》の種《たね》になろうとは考《かんが》えなかった。」と、太陽《たいよう》はいいました。  すみれは、太陽《たいよう》のいうことを聞《き》いていましたが、太陽《たいよう》が、いい終《お》わると、 「なんて、わたしたちの先祖《せんぞ》は、ばかだったのでしょう。わたしは、だれに知《し》られなくてもいいから、平和《へいわ》に暮《く》らしたいのでございます。」と、すみれはいいました。  太陽《たいよう》は、つぎに、うぐいすに向《む》かって、 「おまえさんの先祖《せんぞ》も、やぶや、林《はやし》の中《なか》で、赤《あか》い実《み》をつついて飛《と》んでいたものだ。そして、いつも声《こえ》の悪《わる》いのを歎《なげ》いたものだ。ほかの小鳥《ことり》は木《き》の枝《えだ》に止《と》まって誇《ほこ》り顔《がお》に、いい声《こえ》で鳴《な》いているのに、なぜ自分《じぶん》たちは、こんなに、声《こえ》がかすれているのだろうかとうらんだものだ。そのとき、俺《わし》は、もし、声《こえ》がよかったら、ほかの鳥《とり》にそねまれたり、人間《にんげん》にねらわれたりして、安心《あんしん》した生活《せいかつ》が送《おく》られないといった。すると、おまえさんの先祖《せんぞ》は、どんなに短《みじか》い生涯《しょうがい》でもいいから華《はな》やかに送《おく》りたいものだといった。それで、俺《わし》は、いちばんいい声《こえ》を与《あた》えたのだ。するとおまえさんの先祖《せんぞ》たちは、どんなに喜《よろこ》んだろう。鳥《とり》の中《なか》の王《おう》さまになったといってありがたがった。それを、おまえさんは、かえって、不平《ふへい》に思《おも》うとは、どういうことだ。」といいました。  うぐいすは、太陽《たいよう》のいうことを静《しず》かに、頭《あたま》を傾《かたむ》けて、聞《き》いていましたが、 「ああ、なんという自分《じぶん》たちの先祖《せんぞ》たちは、虚栄心《きょえいしん》が強《つよ》かったでしょう。私《わたし》は、名《な》もない、つまらない鳥《とり》になりたいものです。そうしたら、不安《ふあん》なしに、一|生《しょう》を送《おく》られるでありましょう。」と、うぐいすはいいました。  そこで、太陽《たいよう》は、このふたりの願《ねが》いをきいてやりました。そのすみれからは、香気《こうき》を抜《ぬ》き去《さ》りました。そして、そのうぐいすからは、いい声《こえ》を奪《うば》ってしまいました。 「さあ、ふたりとも、これでいいだろう。」と、太陽《たいよう》はいって、また、昔《むかし》のごとく、まじめな顔《かお》つきに返《かえ》って、大空《おおぞら》で輝《かがや》きました。  その後《ご》、このすみれのところへは、うぐいすもやってこなければ、みつばちもまた飛《と》んではきませんでした。  うぐいすは、やぶの中《なか》を飛《と》びまわって、かすれた声《こえ》で、しきりと鳴《な》いていましたが、ふたたび、ふり向《む》くものはありませんでした。こうして、長《なが》い月日《つきひ》がたちました。  あるとき、すみれは、そばのやぶの中《なか》で、かすれたうぐいすの鳴《な》く声《こえ》をききました。そして、思《おも》いました。なんという、いやな声《こえ》だろう、あんな声《こえ》で鳴《な》いているのでは、むしろ、おしになってしまったほうがいい。そう思《おも》いながら、 「うぐいすさん。その後《ご》は、どうでございますか。」と、すみれはききました。うぐいすは、不憫《ふびん》そうに、すみれを見《み》ながら、 「私《わたし》は、しごく平和《へいわ》に日《ひ》を暮《く》らしています。それにつけても、あなたは、香《にお》いをなくしてしまって惜《お》しいことをしたものですね。」といいました。すると、すみれは小《ちい》さな頭《あたま》を振《ふ》って、 「わたしは、しあわせな日《ひ》を送《おく》っています。今年《ことし》は、お蔭《かげ》でたくさん実《み》を結《むす》びました。」と答《こた》えたのです。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷    1977(昭和52)年C第2刷 底本の親本:「ある夜の星だち」イデア書院    1924(大正13)年11月20日発行 ※表題は底本では、「すみれとうぐいすの話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:へくしん 2021年3月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。