さかずきの輪廻 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)童話《どうわ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|代《だい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#10字下げ] ------------------------------------------------------- [#10字下げ](この童話《どうわ》はとくに大人《おとな》のものとして書《か》きました。)  昔《むかし》、京都《きょうと》に、利助《りすけ》という陶器《とうき》を造《つく》る名人《めいじん》がありましたが、この人《ひと》の名《な》は、あまり伝《つた》わらなかったのであります。一|代《だい》を通《つう》じて寡作《かさく》でありましたうえに、名利《みょうり》というようなことは、すこしも考《かんが》えなかった人《ひと》でしたから、べつに交際《こうさい》をした人《ひと》も少《すく》なく、いい作品《さくひん》ができたときは、ただ自分《じぶん》ひとりで満足《まんぞく》しているというふうでありました。  しかし、世間《せけん》というものは、評判《ひょうばん》が高《たか》くなければ、その人《ひと》の作《つく》ったものを重《おも》んずるものでありません。一人《ひとり》や、二人《ふたり》は、まれに、目《め》をとめて見《み》ることはあっても、問題《もんだい》にしなければ、永久《えいきゅう》に、それだけで忘《わす》れられてしまうのです。  落《お》ち葉《ば》にうずもれた、きのこのように、利助《りすけ》の作品《さくひん》は、世《よ》に表《あらわ》れませんでした。そしてうす青《あお》い、遠山《えんざん》ほどの印象《いんしょう》すらもその時代《じだい》の人《ひと》たちには残《のこ》さずに、さびしく利助《りすけ》は去《さ》ってしまいました。  それから、幾《いく》十|年《ねん》もの間《あいだ》、惜《お》しげもなく、彼《かれ》の作《つく》った陶器《とうき》は、心《こころ》ない人《ひと》たちの手《て》に取《と》り扱《あつか》われたのでありましょう。がらくたの間《あいだ》に混《ま》じっていました。  利助《りすけ》の陶器《とうき》の特徴《とくちょう》は、その繊細《せんさい》な美妙《びみょう》な感《かん》じにありました。彼《かれ》は薄手《うすで》な、純白《じゅんぱく》な陶器《とうき》に藍《あい》と金粉《きんぷん》とで、花鳥《かちょう》や、動物《どうぶつ》を精細《せいさい》に描《えが》くのに長《ちょう》じていたのであります。  瓦《かわら》のような厚《あつ》い、不細工《ぶさいく》な焼《や》き物《もの》の間《あいだ》に、この紙《かみ》のようにうすい、しかも高貴《こうき》な陶器《とうき》がいっしょになっているということは、なんという心《こころ》ないことでありましょう?  しかも心《こころ》ない人《ひと》たちは、それをいっしょにして、手《て》あらく取《と》り扱《あつか》ったのであります。こうして作数《さくすう》の少《すく》なかった利助《りすけ》の作品《さくひん》は、時代《じだい》をへるとともに、いつしかなくなってゆきました。  空《そら》に輝《かがや》く星《ほし》が、一つ、一つ、消《き》え失《う》せるように、それはさびしいことでした。そして砕《くだ》けた作品《さくひん》は、砂礫《されき》といっしょに、溝《みぞ》や、土《つち》の上《うえ》に捨《す》てられて、目《め》から去《さ》ってゆくのでした。  しかし、また、人間《にんげん》のほんとうの努力《どりょく》というものが、けっしてむなしくはならないように、真《しん》の芸術《げいじゅつ》というものが、永久《えいきゅう》に、その光《ひかり》の認《みと》められないはずがないのであります。  ひとたび土中《どちゅう》にうずもれた金塊《きんかい》は、かならず、いつか土《つち》の下《した》から光《ひかり》を放《はな》つときがあるように、利助《りすけ》の作品《さくひん》が、また、芸術《げいじゅつ》を愛好《あいこう》する人《ひと》たちから騒《さわ》がれるときがきたのでした。  けれど、その時分《じぶん》には、少《すく》ない品数《しなかず》は、ますます少《すく》なくなって、完全《かんぜん》なものとては、だれか、利助《りすけ》の作品《さくひん》を愛《あい》していたごく少数《しょうすう》の人《ひと》の家庭《かてい》に残《のこ》されたものか、また、偶然《ぐうぜん》のことで戸《と》だなのすみにほかの陶器《とうき》と重《かさ》なり合《あ》って、不思議《ふしぎ》に、破《やぶ》れずにいたものだけであったのです。 「利助《りすけ》というような名人《めいじん》があったのに、どうしていままで知《し》られなかったろう。」と、陶器《とうき》の愛好家《あいこうか》の一人《ひとり》がいいますと、 「ほんとうの名人《めいじん》というものは、みんな後《あと》になってからわかるのだ、見識《けんしき》が高《たか》かったとでもいうのだろう。」と、その話《はなし》の相手《あいて》はさながら、名人《めいじん》が、その時代《じだい》では、不遇《ふぐう》であったのを怪《あや》しまぬように答《こた》えました。 「私《わたし》は、利助《りすけ》の作《さく》がたまらなく好《す》きだ。まあ、この藍色《あいいろ》の冴《さ》えていてみごとなこと。金粉《きんぷん》の色《いろ》もその時分《じぶん》とすこしも変《か》わらない。上等《じょうとう》のものを使《つか》っていたとみえる。」 「貧乏《びんぼう》な暮《く》らしをしたということだが、芸術《げいじゅつ》のうえでは、なかなかの貴族主義《きぞくしゅぎ》だった。」 「私《わたし》は、利助《りすけ》の作《つく》った完全《かんぜん》なさらがあるなら、どれほどの金《かね》を出《だ》しても、一|枚《まい》ほしいものだ。」 「その考《かんが》えは、ぜいたくだろう。なにしろ、あの薄手《うすで》では、大事《だいじ》にして、しまっておいても保存《ほぞん》は、容易《ようい》ではない。」 「なぜ、あんなに、薄手《うすで》に焼《や》いたものだろうか。」 「あの薄手《うすで》がいいのだ。あれでなければあの純白《じゅんぱく》の色《いろ》は出《だ》せないのだ。」 「もっとも、利助《りすけ》ほどの天才《てんさい》は、自分《じぶん》のものが長《なが》く保存《ほぞん》されるためとか、どうとかいうような俗《ぞく》な考《かんが》えはもたなかったろう。ただ、気品《きひん》の高《たか》いものを作《つく》り上《あ》げたいと思《おも》っていたにちがいない。」 「そのとおりだ。」  陶器《とうき》の愛好家《あいこうか》によって、こんな話《はなし》がかわされたのは、すでに、利助《りすけ》が死《し》んでから、百|年近《ねんちか》くたってから後《のち》のことであった。  ここに、一人《ひとり》の陶器《とうき》の好《す》きな男《おとこ》がありました。ちょうど江戸末期《えどまっき》のころで、ある日《ひ》、日本橋辺《にほんばしへん》を歩《ある》いていまして、ふとかたわらにあった骨董店《こっとうてん》に立《た》ち寄《よ》って、いろいろなものを見《み》ているうちに、台《だい》の上《うえ》に置《お》いてあったさかずきに目《め》がとまりました。  男《おとこ》は、それを手《て》に取《と》ってみますと、思《おも》いがけない、利助《りすけ》の作《つく》ったさかずきでした。しかも無傷《むきず》で藍《あい》の色《いろ》もよく、また描《か》いてある絵《え》の趣《おもむき》も申《もう》し分《ぶん》のないものでありました。 「ほう、めずらしいさかずきだな。」 と、彼《かれ》は、心《こころ》で思《おも》いました。  さだめし高価《こうか》のものであろうと思《おも》いながら聞《き》いてみますと、はたして相当《そうとう》な値《あたい》でした。しかし、ほしいと思《おも》ったものは、無理《むり》をしても手《て》にいれなければ、気《き》のすまないのが、こうした好事家《こうずか》の常《つね》であります。男《おとこ》は、それを求《もと》めて、家《うち》に帰《かえ》りました。  彼《かれ》は、どんなに、その一つのさかずきを手《て》に入《い》れたことを、うれしく思《おも》ったでしょう。 「どうして、このうすいさかずきが、こわれずに、今日《きょう》まで残《のこ》っていてくれたろう。そして、ほかの人《ひと》の目《め》にとまらずに、俺《おれ》の目《め》にとまってくれたろう? 不思議《ふしぎ》にも、また、ありがたいことだ。きっと、世間《せけん》の人《ひと》は、利助《りすけ》という名人《めいじん》をまだ知《し》らないからだろう。これに描《か》いてあるねずみの絵《え》はどうだ? この藍《あい》の冴《さ》えていて、いまにも匂《にお》いそうなこと、金色《きんいろ》の――ちょうの翅《はね》を彩《いろど》った、ただ一|点《てん》ではあるが、――溶《と》けそうに、赤《あか》みのある光《ひかり》を含《ふく》んでいること、ほんとうに、驚《おどろ》くばかりだ。」  彼《かれ》は、さかずきを手《て》に取《と》ったまま、ぼんやりとしていました。街《まち》の暮《く》れ方《がた》となりました。さまざまの物売《ものう》りの呼《よ》び声《ごえ》がきこえてきたり、また人々《ひとびと》の往来《おうらい》の足音《あしおと》がしげくなって、あたりは一|時《じ》はざわめいてきました。こうして、やがては、しっとりとした、静《しず》かな夜《よる》にうつるのでした。  彼《かれ》は、この黄昏方《たそがれがた》に、じっとさかずきを手《て》に取《と》って、見入《みい》りながら、利助《りすけ》というような名人《めいじん》が百|年前《ねんまえ》の昔《むかし》、この世《よ》の中《なか》に存在《そんざい》していたことについて、とりとめのない空想《くうそう》から、夢《ゆめ》を見《み》るような気持《きも》ちがしたのです。  彼《かれ》は、うれしさをとおりこして、あるさびしさをすら感《かん》じました。そして、夜《よる》、燈火《あかり》の下《した》に膳《ぜん》を据《す》えて、毎晩《まいばん》のように酌《く》む徳利《とくり》の酒《さけ》を、その夜《よ》は、利助《りすけ》のさかずきに、うつしてみたのです。 「まあ、これを見《み》い。ねずみが浮《う》いて、いまにも飛《と》び出《だ》しそうだ。」  彼《かれ》は、家内《かない》のものを呼《よ》んで、利助《りすけ》の作《つく》ったさかずきの中《なか》をのぞかせました。  みんなは、陶器《とうき》について、見分《みわ》けるだけの鑑識《かんしき》はなかったけれど、そういわれてのぞきますと、さすがに名人《めいじん》の作《さく》だという気《き》が起《お》こりました。 「ねずみの下《した》にある、実《み》のなっています草《くさ》は、なんでございましょうか?」と、女房《にょうぼう》はきいた。 「これは、やぶこうじだ。なんといいではないか。」と、彼《かれ》は、こう答《こた》えて見《み》とれました。 「ようございますこと。」 「ここが、名人《めいじん》じゃ、自然《しぜん》の趣《おもむ》きが、こんな小《ちい》さなさかずきの中《なか》にあふれている感《かん》じがする。」 「しかし、よく、こんなさかずきが、見《み》つかりましたものでございますこと。」 「世《よ》の中《なか》には、ほんとうの目《め》あきというものは少《すく》ないのだ。」 「いくら、名人《めいじん》が出《で》ましても、ほんとうにわかる人《ひと》がなければ、知《し》られずにしまうのでございましょうね。」 「そうだ。」  彼《かれ》は、こんな話《はなし》をして、当座《とうざ》は、名人《めいじん》の作《つく》ったさかずきが、手《て》にはいったことを喜《よろこ》んでいました。 「このさかずきだけは、わらないようにしてくれ。」と、彼《かれ》は、家内《かない》のものに、よくいいきかせました。  女房《にょうぼう》をはじめ、家内《かない》のものは、そのさかずきを取《と》り扱《あつか》うことが怖《おそ》ろしいような気《き》がしました。 「どうか、このさかずきは、箱《はこ》にいれて、しまっておいてくださいませんか。わるとたいへんでございますから。」と、女房《にょうぼう》は、あるとき、彼《かれ》に向《む》かっていったのでした。  彼《かれ》は、しばらく、黙《だま》って考《かんが》えていました。そして、頭《あたま》を上《あ》げて、おだやかな顔《かお》つきをして女房《にょうぼう》を見《み》ました。 「注意《ちゅうい》をして、それでわったときはしかたがない。なるほど、このさかずきもたいせつな品《しな》には相違《そうい》ないが、人間《にんげん》は、もっとたいせつなものをどうすることもできないのだ。こうして、このさかずきを愛撫《あいぶ》する私《わたし》どもも、いつまでもこの世《よ》の中《なか》に生《い》きてはいられるのでない。さかずきも大事《だいじ》だが、だれの力《ちから》でもそれより大事《だいじ》な自分《じぶん》の命《いのち》をどうすることもできないのだ。そのことを思《おも》えば、なにものにも万全《ばんぜん》を期《き》することはかなわないだろう。」と、彼《かれ》はいいました。  長《なが》い間《あいだ》の江戸時代《えどじだい》の泰平《たいへい》の夢《ゆめ》も破《やぶ》れるときがきました。江戸《えど》の街々《まちまち》が戦乱《せんらん》の巷《ちまた》となりましたときに、この一|家《か》の人々《ひとびと》も、ずっと遠《とお》い、田舎《いなか》の方《ほう》へ逃《のが》れてきました。そして、そこで、余生《よせい》を送《おく》ったのであります。  江戸《えど》から、田舎《いなか》へのがれてくる時分《じぶん》に、みんないろいろなものを捨《す》てて、着《き》の身《み》着《き》のままで逃《に》げなければなりませんでした。女《おんな》は、平常《ふだん》たいせつにしていた、くしとか、笄《こうがい》とか、荷物《にもつ》にならぬものだけを持《も》ち、男《おとこ》は、羽織《はおり》、はかまというように、ほかのものを持《も》っては、長《なが》い道中《どうちゅう》はできなかったのです。  しかし、彼《かれ》は、利助《りすけ》のさかずきを持《も》ってゆくことを忘《わす》れませんでした。田舎《いなか》の人《ひと》となりましてからも、彼《かれ》は、利助《りすけ》のさかずきを取《と》り出《だ》してながめることによって、さびしさをなぐさめられたのであります。  こうして、彼《かれ》は、晩年《ばんねん》を送《おく》りました。そして、高齢《こうれい》でこの世《よ》の中《なか》から去《さ》ったのであります。彼《かれ》が、なくなっても、そのさかずきだけは、完全《かんぜん》の姿《すがた》で後《のち》まで残《のこ》りました。  彼《かれ》の女房《にょうぼう》は、いまおばあさんとなりました。そして、彼女《かのじょ》が、生《い》きながらえている間《あいだ》は、毎晩《まいばん》のように、利助《りすけ》のさかずきに酒《さけ》をついで、これを亡父《ぼうふ》の御霊《みたま》の祭《まつ》ってある仏壇《ぶつだん》の前《まえ》に供《そな》えました。 「お父《とう》さんは、このさかずきがお好《す》きで、毎晩《まいばん》このさかずきでお酒《さけ》をめしあがられたのだ。」と、彼女《かのじょ》は、いいながら、線香《せんこう》を立《た》てて、かねをたたきました。  そのそばで、老母《ろうぼ》のするのを見《み》ていた子供《こども》らは、 「そのさかずきは、いいさかずきなんですか。」と、ききました。 「ああ、なんでもいいさかずきだと、お父《とう》さんはいっていられた。これをわらないように大事《だいじ》になさいよ。これだけが、この家《うち》の宝《たから》だと、いってもいいんだから。」と、老母《ろうぼ》はいいました。  子供《こども》らは、うなずきました。そして、そのさかずきを大事《だいじ》にしました。  やがて女房《にょうぼう》も、この世《よ》から去《さ》るときがきました。子供《こども》らは、母《はは》の御霊《みたま》をも亡父《ぼうふ》のそれといっしょに仏壇《ぶつだん》の中《なか》に祭《まつ》ったのであります。そして、母《はは》が生前《せいぜん》、毎晩《まいばん》のように、酒《さけ》をさかずきについであげたのを見《み》ていて、母《はは》の亡《な》き後《のち》も、やはり仏壇《ぶつだん》に酒《さけ》をさかずきについであげました。  あるときは、仏壇《ぶつだん》に、赤《あか》くなった南天《なんてん》の実《み》が徳利《とくり》にさされて上《あ》がっていることもありました。そして、その青《あお》い葉《は》と赤《あか》い実《み》のささった下《した》に利助《りすけ》のさかずきは、なみなみとこはく色《いろ》の酒《さけ》をたたえて供《そな》えられていました。  あるときは、清《きよ》らかな、響《ひび》きの澄《す》んだ、磬《かね》の音《おと》が、ちょうどさかずきの酒《さけ》の上《うえ》を渡《わた》って、その酒《さけ》の池《いけ》がひじょうに広《ひろ》いもののように感《かん》じられることもありました。そして、ろうそくの火影《ほかげ》がちらちらとさかずきの縁《ふち》や、酒《さけ》の上《うえ》に映《うつ》るのを見《み》て、そこには、この現実《げんじつ》とはちがった世界《せかい》があり、いまその世界《せかい》が、夕焼《ゆうや》けの中《なか》にまどろむごとく思《おも》われたこともありました。  子供《こども》らは「仏《ほとけ》さまのさかずき」だといって、そのさかずきをたいせつにしていました。そのさかずきをみだりに手《て》に取《と》ってみることも、汚《けが》れるからといってはばかりました。  さかずきは、仏壇《ぶつだん》のひきだしの中《なか》に、いつもていねいにしまわれてありました。そして、晩方《ばんがた》になると取《と》り出《だ》されて酒《さけ》をついで上《あ》げられました。やがて、ろうそくの火《ひ》がともりつくした時分《じぶん》に、磬《かね》をたたいて、さかずきの酒《さけ》は、別《べつ》のさかずきの中《なか》に移《うつ》されました。 「おじいさんのめしあがった後《あと》の酒《さけ》は、味《あじ》がうすくなった。」といって、息子《むすこ》は、その酒《さけ》を自分《じぶんめ》で飲《の》みました。  大事《だいじ》なさかずきだからというので、息子《むすこ》が、そのさかずきに酒《さけ》をついで上《あ》げたり、また、下《お》ろさなかったときは、彼《かれ》の女房《にょうぼう》がいたしました。女房《にょうぼう》は、真《しん》の父《ちち》、母《はは》の子供《こども》ではなかったけれど、もっともよく息子《むすこ》の心持《こころも》ちを理解《りかい》していたからです。そして、いつしか、彼《かれ》と同《おな》じように、先祖《せんぞ》の霊《れい》に対《たい》して、それをなぐさむることを怠《おこた》らなかったからです。  しかし、たとえ、いかように、心《こころ》づくしをしても、もう、死《し》んでしまった人《ひと》は、永久《えいきゅう》にものをいわなければ、こたえもしない。仏壇《ぶつだん》に、ささげられたさかずきの酒《さけ》は、ほんとうに一|滴《てき》も減《げん》じはしなかったのです。 「好《す》きな酒《さけ》を上《あ》げても、お父《とう》さんは、めしあがらなければ、お菓子《かし》を上《あ》げても、お母《かあ》さんは、お好《す》きだったのに、めしあがりはなさらない。」と、息子《むすこ》は、あるときは、仏壇《ぶつだん》の前《まえ》に立《た》って、涙《なみだ》ぐんでしみじみといったことがありました。  田舎《いなか》は、変化《へんか》が乏《とぼ》しいうちに月日《つきひ》はたちました。冬《ふゆ》の寒《さむ》い朝《あさ》、仏壇《ぶつだん》に、燈火《あかり》がついているときに、外《そと》の方《ほう》では、子供《こども》らが、雪《ゆき》の上《うえ》で凧《たこ》を揚《あ》げている、籐《とう》のうなり声《ごえ》がきこえてくることがありました。雪《ゆき》が凍《こお》って、子供《こども》らは、自由《じゆう》に、あちらこちら飛《と》んで歩《ある》きました。  それと、仏壇《ぶつだん》の燈火《あかり》とは、なんの縁《えん》がないようなものの、やはり燈火《あかり》はかすかな輝《かがや》きを放《はな》って、その輝《かがや》きの一筋《ひとすじ》に、凧《たこ》のうなっている、青《あお》い大空《おおぞら》の果《は》てと、相通《あいつう》ずるところがあることを思《おも》わせたのです。夜《よる》は、暗《くら》い外《そと》に、木枯《こが》らしがすさまじく叫《さけ》んでいました。そんなとき、たたく仏壇《ぶつだん》の磬《かね》の音《ね》は、この家《いえ》からはなれて、いつまでも頼《たよ》りなく、荒野《こうや》の中《なか》をさまよっていました。  いつしか、孫《まご》の時代《じだい》となりました。  彼《かれ》は、古《ふる》びた、朱塗《しゅぬ》りの仏壇《ぶつだん》の前《まえ》に立《た》っても、なんのことも感《かん》じなくなりました。  ある日《ひ》、仏壇《ぶつだん》のひきだしを開《あ》けてみますと、小《ちい》さな箱《はこ》の中《なか》に利助《りすけ》のさかずきがはいっていました。彼《かれ》は、これを取《と》り出《だ》してみましたけれど、それがいいさかずきであるか、そうでないかということは、彼《かれ》にはわかりませんでした。  けれど、孫《まご》は、先祖《せんぞ》から大事《だいじ》にしていたさかずきであるということだけは知《し》っていましたので、これをだれかに、鑑定《かんてい》してもらいたいと思《おも》いました。  近所《きんじょ》に、一人《ひとり》のおじいさんがありました。この人《ひと》は、なんでも、いまどきのものより、昔《むかし》のものがいいときめていました。書物《しょもつ》に書《か》いてあることも、昔《むかし》のほうのが、義《ぎ》が固《かた》くていいといっていました。暦《こよみ》も、新暦《しんれき》よりは、旧暦《きゅうれき》のほうが季節《きせつ》の移《うつ》り変《か》わりによく合《あ》っているといっていました。それで、時計《とけい》すら、数字《すうじ》の刻《きざ》んであるものよりは、日時計《ひどけい》のほうが、正確《せいかく》だといって、船《ふね》の形《かたち》をした、日時計《ひどけい》を日当《ひあ》たりに出《だ》して、帆柱《ほばしら》のような、まっすぐな棒《ぼう》から落《お》ちる黒《くろ》い影《かげ》によって時刻《じこく》をはかるのでした。  孫《まご》は、そのおじいさんのところへ、さかずきを持《も》ってまいりました。 「おじいさん。どうか、このさかずきを見《み》てくださいまし。」と、彼《かれ》は頼《たの》みました。  きれい好《ず》きな、おとこやもめのおじいさんは、家《いえ》の内《うち》をちりひとつないように清《きよ》めていました。おじいさんは、なにをたずねられても、知《し》らぬといったことはありません。で、村《むら》での物知《ものし》りでありました。さっそく、大《おお》きな眼鏡《めがね》をかけて、 「どれ、そのさかずきかい。」といって、手《て》に取《と》って子細《しさい》にながめました。 「たぬきかな? いや、ねずみかな、そうだ、ねずみらしい。絵《え》は、あまりうまくないな。けれどこの藍《あい》の色《いろ》がなかなかいい。いまどきのものに、こうした、藍《あい》の冴《さ》えた色《いろ》は見《み》られないな。まあ、いい品《しな》だろう。」といいました。 「だれが、造《つく》ったのでしょうか。」と、孫《まご》はたずねました。  おじいさんは、また、さかずきを手《て》に取《と》りあげて、ながめました。 「そうだ、利助《りすけ》と書《か》いてある。聞《き》いたことのない名《な》だな。」  結局《けっきょく》、たいした品《しな》ではないが、まあ古《ふる》いさかずきだから、いまどきのものとくらべると悪《わる》いことはないというのでした。孫《まご》は、家《いえ》へ帰《かえ》りました。彼《かれ》は、さかずきをまた紙《かみ》に包《つつ》んで、仏壇《ぶつだん》のひきだしにいれておきました。  寒《さむ》い、雪《ゆき》の降《ふ》る国《くに》に、孫《まご》はいたくはありませんでした。彼《かれ》は、いつからともなくにぎやかな東京《とうきょう》の街《まち》に憧《あこが》れていました。そして、いつかは、東京《とうきょう》に出《で》て、なにか仕事《しごと》をして、かたわら、勉強《べんきょう》でもしようという望《のぞ》みを抱《いだ》いていました。  とうとう、彼《かれ》は、家《いえ》のことを姉《あね》や、弟《おとうと》とに頼《たの》んで、自分《じぶん》は東京《とうきょう》へ出《で》ることになりました。そのとき、彼《かれ》は、昔《むかし》から家《いえ》にあった掛《か》け物《もの》や、金銀《きんぎん》の小《ちい》さな細工物《さいくもの》や、また、長《なが》く仏《ほとけ》さまに酒《さけ》を上《あ》げるさかずきになっていた、ひきだしの中《なか》にしまってあった利助《りすけ》のさかずきなどをひとまとめにして、それを荷物《にもつ》の中《なか》にいれました。彼《かれ》は、東京《とうきょう》へ出《で》てから、なにかたしになるであろうと、思《おも》ったのでした。  彼《かれ》は、東京《とうきょう》へきてから、ある素人家《しろうとや》の二|階《かい》に間借《まが》りをしました。そして、昼間《ひるま》は役所《やくしょ》へつとめて、夜《よる》は、夜学《やがく》に通《かよ》ったのであります。あるとき、彼《かれ》は、書物《しょもつ》を買《か》うのに、すこし余分《よぶん》の金《かね》が入用《にゅうよう》でありました。そのとき、ふと、国《くに》を出《で》る時分《じぶん》に、荷物《にもつ》の中《なか》へ入《い》れて持《も》ってきた金銀《きんぎん》の細工物《さいくもの》とさかずきのまだ、売《う》らずにあったことを思《おも》いつきました。 「どうせ、あのたばこ入《い》れの飾《かざ》りや、帯止《おびど》めの銀《ぎん》の金具《かなぐ》は、たいした値《ね》にもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、値《ね》になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんに見《み》せたら、あまりほめていなかった。それでも、みんな一《ひと》まとめにして売《う》ったら、いくらかの金《かね》になるだろう。」と、彼《かれ》は思《おも》いました。  孫《まご》は、東京《とうきょう》へ出《で》ると、じきに掛《か》け物《もの》は売《う》ってしまったのです。 「いくら、本物《ほんもの》でも、作《さく》のできがよくなければ、値《ね》になるものではありません。これは、作《さく》のできがよくありません。このほうは、汚《よご》れていますからだめです。これですか、こいつは、私《わたし》に、鑑定《かんてい》がつきません……。」  そんなふうに、骨董屋《こっとうや》から、まことしやかにいわれて、掛《か》け物《もの》は、安《やす》い値《ね》で手放《てばな》してしまいました。  それで、彼《かれ》は、こんどは、正直《しょうじき》な人間《にんげん》に売《う》らなければならぬと思《おも》いました。 「りっぱな店《みせ》を張《は》っている骨董屋《こっとうや》のほうが、かえって、人柄《ひとがら》がよくないかもしれない。だれか正直《しょうじき》そうな古道具屋《ふるどうぐや》を呼《よ》んできて見《み》せよう。」  彼《かれ》は、そう思《おも》いました。  彼《かれ》は、出《で》かけてゆきました。そして、耳《みみ》のすこし遠《とお》い、声《こえ》のすこし鼻《はな》にかかる、脊《せ》の曲《ま》がった男《おとこ》を連《つ》れてきました。男《おとこ》は、無造作《むぞうさ》に、毎日《まいにち》、ぼろくずや、古鉄《ふるてつ》などをいじっている荒《あら》くれた手《て》で、彼《かれ》の出《だ》した、金銀細工《きんぎんざいく》の飾《かざ》りとさかずきとを、かわるがわる取《と》ってながめていました。 「こちらの飾《かざ》りだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、古道具屋《ふるどうぐや》はいいました。  彼《かれ》には、このとき、ふたたび田舎《いなか》にいる時分《じぶん》、近所《きんじょ》の物知《ものし》りのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただ古《ふる》いからいいのだ。」といった、その言葉《ことば》が思《おも》い出《だ》されたのです。  文明《ぶんめい》のこの社会《しゃかい》に生《う》まれながら、昔《むかし》のものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、彼《かれ》は簡単《かんたん》に考《かんが》えたのであります。 「このさかずきも、つけてやろう。」と、彼《かれ》はいってしまいました。  古道具屋《ふるどうぐや》は、それを格別《かくべつ》、ありがたいとも思《おも》わぬようすで、金銀細工《きんぎんざいく》の飾《かざ》りといっしょに持《も》ってゆきました。  このさかずきのことが忘《わす》れられた時分《じぶん》、彼《かれ》は、ある日《ひ》なにかの書物《しょもつ》で、利助《りすけ》という、あまり人《ひと》に知《し》られなかった陶工《とうこう》の名人《めいじん》が、昔《むかし》、京都《きょうと》にあったということを読《よ》みました。そして、強《つよ》く胸《むね》を突《つ》かれました。なぜなら、彼《かれ》の家《いえ》に昔《むかし》からあった、あのさかずきには、たしかに利助《りすけ》という名《な》がはいっていたからです。 「そうだ、あのさかずきには、利助《りすけ》と名《な》がしるしてあった。また、本《ほん》には、ねずみや、花《はな》や、鳥《とり》の絵《え》などをよく描《か》いたとあるが、たしかに、あのさかずきの絵《え》はねずみであった。」と、彼《かれ》は思《おも》ったのでした。  彼《かれ》は、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたと知《し》ったのです。それにつけて、近所《きんじょ》の物知《ものし》りのおじいさんが、そのじつ、なにも知《し》っていないのを、知《し》るもののごとく信《しん》じていたのをうらめしく、愚《おろ》かしく思《おも》いました。 「なぜ、村《むら》の人《ひと》たちは、あのおじいさんのいったことを信《しん》じたろう。そうでなかったら、自分《じぶん》も信《しん》ずるのでなかったのだ。」と、後悔《こうかい》をしました。  また、「なぜ、自分《じぶん》は、さかずきを、あんなもののよくわからない、古道具屋《ふるどうぐや》などに見《み》せたろう? もっといい骨董屋《こっとうや》にいって見《み》せたら、あるいは、利助《りすけ》という名工《めいこう》を知《し》っていたかもしれない。」と、彼《かれ》はそのときとは、まったく反対《はんたい》のことを考《かんが》えました。  彼《かれ》は、こうなっては、だれを憎《にく》むこともできなく、自《みずか》らを憎《にく》みました。  彼《かれ》は、また、「自分《じぶん》の祖父《そふ》は、よほど、趣味《しゅみ》の深《ふか》い、目《め》ききであった。」と思《おも》いました。そして、彼《かれ》は、そう思《おも》うと、いままで感《かん》じなかった、なつかしさを、祖父《そふ》に対《たい》して感《かん》ずるようになったのです。  世《よ》にも、その数《かず》の少《すく》ない利助《りすけ》の作《さく》を、祖父《そふ》が手《て》にいれて、それを愛《あい》したこと、そのさかずきは長《なが》い間《あいだ》、我《わ》が家《や》の古《ふる》びた仏壇《ぶつだん》のひきだしの中《なか》に入《い》れてあったのを、自分《じぶん》が、むざむざ持《も》ち出《だ》して捨《す》てるように、この東京《とうきょう》のつまらない古道具屋《ふるどうぐや》にやってしまったと考《かんが》えると、彼《かれ》はなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさを感《かん》じたのです。そして、どうかして、それを探《さが》し出《だ》さなければならないと思《おも》いました。  孫《まご》は、さっそく、いつか自分《じぶん》の宿《やど》に呼《よ》んできた古道具屋《ふるどうぐや》へたずねてゆきました。そして、二、三か月前《げつまえ》にやった、さかずきは、まだ店《みせ》に置《お》いてないかと、あたりに古道具《ふるどうぐ》がならべてあるのを見《み》まわしてからききました。 「あれは、すぐ売《う》れてしまいました。」と、耳《みみ》の遠《とお》い、脊《せ》の曲《ま》がった男《おとこ》は、とがった顔《かお》つきをして答《こた》えました。 「だれが、買《か》っていったか、わからないでしょうか?」と、彼《かれ》は、なんとなく、あきらめかねるので聞《き》きました。 「あなた、この広《ひろ》い東京《とうきょう》ですもの……。」といって、男《おとこ》は、きつねのような顔《かお》つきをして、皮肉《ひにく》な笑《わら》い方《かた》をしたのです。  彼《かれ》は、それに対《たい》して、このときだけは、怒《おこ》る勇気《ゆうき》すらありませんでした。 「なるほどそうだ。」と思《おも》いました。  東京《とうきょう》の街《まち》は、広《ひろ》いのでした。大海《たいかい》に、石《いし》を投《な》げたようなものです。小《ちい》さな、一つのさかずきはこの繁華《はんか》な、わくがように、どよめきの起《お》こる都会《とかい》のどこにいったかしれたものではありません。  そう考《かんが》えると、彼《かれ》は、絶望《ぜつぼう》を感《かん》ずるより、ほかにはないのでした。  しかし、また、それは、どこかに存在《そんざい》しなければならぬものでした。  そのさかずきを、買《か》った人《ひと》は、日本橋《にほんばし》の裏通《うらどお》りに住《す》んでいる骨董屋《こっとうや》でありました。その人《ひと》は、まことに思《おも》いがけない掘《ほ》り出《だ》し物《もの》をしたと喜《よろこ》びました。そして、店《みせ》に帰《かえ》ってから、そのさかずきを他《た》の細《こま》かな美術品《びじゅつひん》といっしょに、ガラス張《ば》りのたなの中《なか》に収《おさ》めて陳列《ちんれつ》しました。  江戸時代《えどじだい》のあの時分《じぶん》から、東京《とうきょう》のこの時代《じだい》に至《いた》るまで、また、幾《いく》十|年《ねん》をたちましたでしょう。  さかずきは、それでも、無事《ぶじ》に、ふたたび江戸時代《えどじだい》と変《か》わらない、東京湾《とうきょうわん》に近《ちか》い、空《そら》の色《いろ》を、街《まち》の中《なか》からながめたのであります。そして、またここで、日影《ひかげ》のうすい、一|日《にち》をまどろむのでした。  さかずきにとって、田舎《いなか》へいったこと、仏壇《ぶつだん》に酒《さけ》をついで上《あ》げられたこと、毎日《まいにち》、毎日《まいにち》、女房《にょうぼう》が磬《かね》をたたいたこと、箱《はこ》に収《おさ》められてから、暗《くら》い、ひきだしの中《なか》にあったこと、それらは、ただいっぺんの夢《ゆめ》にしか過《す》ぎませんでした。  さかずきには、家《いえ》の前《まえ》をかごが通《とお》ったことも、いま人力車《じんりきしゃ》が通《とお》り、自動車《じどうしゃ》が通《とお》ることも、たいした相違《そうい》がないのだから、無関心《むかんしん》でした。  ただ、ある日《ひ》のこと、太鼓《たいこ》の音《おと》と、笛《ふえ》の音《ね》と、御輿《みこし》をかつぐ若衆《わかしゅう》の掛《か》け声《ごえ》をききましたので、しばらく遠《とお》く聞《き》かなかった、なつかしい声《こえ》をふたたび聞《き》くものだと思《おも》いました。  そして、自分《じぶん》は、またどうして、同《おな》じ所《ところ》へ帰《かえ》ってきたろうかと疑《うたが》いました。  はかない、薄手《うすで》のさかずきが、こんなに完全《かんぜん》に保存《ほぞん》されたのに、その間《あいだ》に、この街《まち》でも、この世《よ》の中《なか》でも、幾《いく》たびか時代《じだい》の変遷《へんせん》がありました。あるものは、生《う》まれました。またあるものは、死《し》んで墓《はか》にゆきました。  それが、さかずきにとって、芸術《げいじゅつ》の力《ちから》でなくて、偶然《ぐうぜん》な存在《そんざい》だと、なんでいうことができましょう。  この街《まち》では、ちょうど昔《むかし》からの氏神《うじがみ》さまの祭日《さいじつ》に当《あ》たるのでした。そして、いつも、昔《むかし》と変《か》わらない催《もよお》しをするのでした。  おりも、おり、例《れい》の孫《まご》は、この日《ひ》この街《まち》を通《とお》りかかりました。そして、華《はな》やかな、祭《まつ》りの光景《こうけい》を見《み》て、自分《じぶん》の家《いえ》も祖父《そふ》までは、この東京《とうきょう》に住《す》んでいたのだなと思《おも》いました。  御輿《みこし》の通《とお》る前後《ぜんご》に、いろいろな飾《かざ》り物《もの》が通《とお》りました。そのうちに、この土地《とち》の若《わか》い芸妓連《げいぎれん》に引《ひ》かれて、山車《だし》が通《とお》りました。山車《だし》の上《うえ》には、顔《かお》を真《ま》っ赤《か》にしたおじいさんが、独《ひと》り他《た》の人物《じんぶつ》の間《あいだ》に立《た》って、この街《まち》の中《なか》を見下《みお》ろしていました。  彼《かれ》は、この山車《だし》の上《うえ》の、顔《かお》を赤《あか》くした、人《ひと》のよさそうなおじいさんを見《み》ているうちに、自分《じぶん》のお祖父《じい》さんのことなどを思《おも》いました。自分《じぶん》は、そのお祖父《じい》さんの顔《かお》を知《し》らなかったけれど、たいへんに酒《さけ》の好《す》きな人《ひと》で、いつも赤《あか》い顔《かお》をしていたということを聞《き》いていました。また趣味《しゅみ》の深《ふか》かった人《ひと》でもありました。利助《りすけ》のさかずきは、そのお祖父《じい》さんの愛用《あいよう》したものだと思《おも》い出《だ》すにつけて、彼《かれ》は、なんとなくお祖父《じい》さんをかぎりなくなつかしく思《おも》いました。 「きっと、お祖父《じい》さんも、あの山車《だし》の上《うえ》に立《た》っているようなおじいさんであったろう。」と、彼《かれ》は思《おも》いながら、街《まち》を過《す》ぎる山車《だし》をながめていました。  若《わか》い、派手《はで》やかな装《よそお》いをした女《おんな》たちが、なまめかしいはやし声《ごえ》で山車《だし》を引《ひ》くと、山車《だし》の上《うえ》の自分《じぶん》のおじいさんは、ゆらゆらと赤《あか》い顔《かお》をして揺《ゆ》られました。  おじいさんは、にこやかに、街《まち》の中《なか》のようすを笑《わら》いながらながめていました。そして、山車《だし》の下《した》を通《とお》る車《くるま》や、仰向《あおむ》いてゆく人々《ひとびと》に、いちいち会釈《えしゃく》をするように、くびを振《ふ》っていました。  山車《だし》の上《うえ》のおじいさんは、両側《りょうがわ》の店《みせ》をのぞくように、そして、その繁昌《はんじょう》を祝《いわ》うように、にこにこして見下《みお》ろしました。やがて、山車《だし》は一|軒《けん》の骨董店《こっとうてん》の前《まえ》を通《とお》りました。その店《みせ》にはガラスだなの中《なか》に、利助《りすけ》のさかずきが、他《た》の珍《めずら》しい物品《ぶっぴん》といっしょに陳列《ちんれつ》されているのでした。  山車《だし》の上《うえ》のおじいさんは、その前《まえ》にくると、一|段《だん》、くびを前後《ぜんご》に振《ふ》りましたが、やがて、若《わか》い女《おんな》のはやし声《ごえ》とともに、その前《まえ》をも空《むな》しく通《とお》り越《こ》してしまいました。  後《あと》には、ただ、永久《えいきゅう》に、青《あお》い空《そら》の色《いろ》が澄《す》んでいました。そして、たなの中《なか》には、ねずみを描《か》いた、金粉《きんぷん》の光《ひかり》の淡《あわ》い利助《りすけ》のさかずきが、どんよりとした光線《こうせん》の中《なか》にまどろんでいるのでした。  こうして、たがいに遇《お》うたものは、また永久《えいきゅう》に別《わか》れてしまいました。いつまた、おじいさんと利助《りすけ》のさかずきと孫《まご》とが、相見《あいみ》るときがあるでありましょうか。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷    1977(昭和52)年C第2刷 底本の親本:「小川未明童話全集 3」講談社    1950(昭和25)年 初出:「婦人公論 9巻1号」    1924(大正13)年1月 ※表題は底本では、「さかずきの輪廻《りんね》」となっています。 ※初出時の表題は「盃の輪廻」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2017年12月30日作成 青空文庫作成ファイル: 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