赤い船のお客 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)日《ひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|本《ぽん》 -------------------------------------------------------  ある、うららかな日《ひ》のことでありました。  二郎《じろう》は、友《とも》だちもなく、ひとり往来《おうらい》を歩《ある》いていました。  この道《みち》を、おりおり、いろいろなふうをした旅人《たびびと》が通《とお》ります。  彼《かれ》はさも珍《めずら》しそうに、それらの人《ひと》たちを見送《みおく》ったのであります。  二郎《じろう》は、こうして街道《かいどう》を歩《ある》いてゆく知《し》らぬ人《ひと》を見《み》るのが好《す》きでした。  さまざまなことを空想《くうそう》したり、考《かんが》えたりしていると、独《ひと》りでいてもそんなにさびしいとは思《おも》わなかったからです。  暖《あたた》かな風《かぜ》が、どこからともなく吹《ふ》いてくると、乾《かわ》いた白《しろ》い往来《おうらい》の上《うえ》には、ほこりが立《た》ちました。  まだ、おそ咲《ざ》きのさくらの花《はな》が、こんもりと、黒《くろ》ずんだ森《もり》の間《あいだ》から見《み》えるのも、いずれも、なつかしいやるせないような気持《きも》ちがしたのであります。  その日《ひ》も、二郎《じろう》は独《ひと》りあてもなく、街道《かいどう》を歩《ある》いていました。  車《くるま》の音《おと》が、あちらへ夢《ゆめ》のように消《き》えてゆきます。  薬売《くすりう》りかなぞのように、箱《はこ》をふろしきで包《つつ》んで負《お》った男《おとこ》が、下《した》を向《む》いて過《す》ぎていってからは、だれも通《とお》りませんでした。  二郎《じろう》は、寺《てら》の前《まえ》の小《ちい》さな橋《はし》のわきに立《た》って、浅《あさ》い流《なが》れのきらきらと日《ひ》の光《ひかり》に照《て》らされて、かがやきながら流《なが》れているのを、ぼんやりとながめていました。  彼《かれ》はほんとうに、このときはさびしいと思《おも》っていたのであります。  ちょうど、このとき、奥深《おくふか》い寺《てら》の境内《けいだい》から、とぼとぼとおじいさんがつえをついて歩《ある》いて出《で》てきました。  おじいさんは、白《しろ》いひげをはやしていました。  二郎《じろう》は、そのおじいさんを見《み》ていますと、おじいさんは、二郎《じろう》のわきへ近《ちか》づいて、ゆき過《す》ぎようとして二郎《じろう》の頭《あたま》をなでてくれました。 「いい子《こ》だな、独《ひと》りでさびしいだろう。」と、おじいさんはいいました。  二郎《じろう》は黙《だま》って、おじいさんの顔《かお》を見《み》ていました。  おじいさんは、たもとの中《なか》から、短《みじか》い笛《ふえ》を取《と》り出《だ》しました。 「この笛《ふえ》を坊《ぼう》やにやるから、あちらの丘《おか》へいって吹《ふ》いてごらん。これはいい音《ね》が出《で》るよ。」といいました。  二郎《じろう》はおじいさんから、その笛《ふえ》をもらいました。  おじいさんの顔《かお》は、いつも笑《わら》っているように柔和《にゅうわ》に見《み》えました。  おじいさんは、あちらへつえをつきながらいってしまいました。  二郎《じろう》はその笛《ふえ》を持《も》って、あちらの砂山《すなやま》にゆきました。  このあたりは海岸《かいがん》で、丘《おか》には木《き》というものがなかったのです。  砂《すな》の山《やま》が、うねうねとつづいていました。  そして、暖《あたた》かな日《ひ》なので、陽炎《かげろう》が立《た》っていました。  沖《おき》の方《ほう》を見《み》ますと、青《あお》い青《あお》い海《うみ》が笑《わら》っていました。  砂山《すなやま》の下《した》には、波打《なみう》ちぎわに岩《いわ》があって、波《なみ》のまにまにぬれて、日《ひ》に光《ひか》っていました。  そして、翼《つばさ》の白《しろ》い海鳥《かいちょう》が飛《と》んでいました。  笛《ふえ》には、いくつかの小《ちい》さな穴《あな》があいています。  その一つ一つの穴《あな》から、吹《ふ》くと、ちがった音《ね》が出《で》ました。  笛《ふえ》は短《みじか》い赤《あか》と青《あお》とに、その色《いろ》が塗《ぬ》り分《わ》けてありました。  大《おお》きな穴《あな》が一つ、小《ちい》さな同《おな》じような穴《あな》が五つあいていました。  二郎《じろう》がそれを吹《ふ》きますと、なんともいうことのできないやさしい、いい音色《ねいろ》が流《なが》れ出《で》たのであります。  いい音色《ねいろ》は、沖《おき》の方《ほう》へ流《なが》れてゆきました。  また、うねうねとつづいた灰色《はいいろ》の山《やま》を越《こ》してゆきました。  そして、沖《おき》の方《ほう》へいった音色《ねいろ》は、波《なみ》の上《うえ》をただよったのです。  また、砂山《すなやま》の上《うえ》を越《こ》していった音色《ねいろ》は、あちらの空《そら》に、円《まる》くうずくまっていた、こはく色《いろ》の雲《くも》のあるところまでゆくように思《おも》われました。  海《うみ》はますます穏《おだ》やかに見《み》えたのです。  そして日《ひ》の光《ひかり》は、ますますうららかに輝《かがや》いたのでした。  あくる日《ひ》もまた、二郎《じろう》は砂山《すなやま》の上《うえ》へやってきました。  そして、熱心《ねっしん》に笛《ふえ》を吹《ふ》いていますと、一つ一つの穴《あな》から出《で》るものは、影《かげ》も形《かたち》もない音《ね》ではなくて、たしかに、いろいろ奇妙《きみょう》な姿《すがた》をした、一人《ひとり》一人《ひとり》の人間《にんげん》であるように思《おも》われました。  二郎《じろう》は、目《め》をつぶって笛《ふえ》を吹《ふ》いていますと、それらの人《ひと》たちが二郎《じろう》の身《み》のまわりを取《と》りまいて、笑《わら》ったり、話《はなし》をしたりしているように思《おも》われました。  二郎《じろう》はふいに目《め》を開《ひら》いて、その人《ひと》たちがどんなようすをしたり顔《かお》つきをしているか、自分《じぶん》が、たいてい想像《そうぞう》したとおりであるかと、見定《みさだ》めようといたしました。  そして目《め》を開《あ》けますと、なにもかも消《き》えてしまって、ただ砂山《すなやま》に、日《ひ》がぽかぽかとあたっているばかりでありました。  このとき、二郎《じろう》は、ふと沖《おき》の方《ほう》を見《み》ますと、そこにはわき出《で》たように、赤《あか》い船《ふね》が青《あお》い海《うみ》の波間《なみま》に浮《う》かんでいたのであります。  二郎《じろう》は、お伽話《とぎばなし》にでもあるように、美《うつく》しい船《ふね》だと思《おも》いました。  そして、どこからこんな船《ふね》が、このさびしい港《みなと》にやってきたのだろう……と、それを、不思議《ふしぎ》に思《おも》いました。  二郎《じろう》は、また、砂山《すなやま》の下《した》を、顔《かお》まで半分《はんぶん》隠《かく》れそうに、帽子《ぼうし》を目深《まぶか》にかぶって、洋服《ようふく》を着《き》た人《ひと》が、歩《ある》いているのを見《み》ました。  そして、しばらくすると、赤《あか》い船《ふね》の姿《すがた》はうすれ、洋服《ようふく》を着《き》た人《ひと》の姿《すがた》もうすれてしまいました。  二郎《じろう》は、まるで夢《ゆめ》を見《み》ているような心地《ここち》がされたのでした。  ふたたび目《め》をつぶって笛《ふえ》を吹《ふ》きますと、一人《ひとり》一人《ひとり》、異様《いよう》な形《かたち》をした人間《にんげん》が自分《じぶん》の身《み》のまわりに飛《と》び出《だ》して、笑《わら》ったり跳《は》ねたり、話《はなし》をはじめるのでした。  彼《かれ》はふいに目《め》を開《ひら》きました。  そして、沖《おき》の方《ほう》をながめますと、赤《あか》い船《ふね》がいっそうはっきりとして、青《あお》い青《あお》い、波《なみ》の間《ま》に浮《う》き出《で》ているのでした。  また、笛《ふえ》の穴《あな》の中《なか》から飛《と》びだして、幻《まぼろし》の中《なか》に笑《わら》ったり跳《は》ねたりした、異様《いよう》な、帽子《ぼうし》を目深《まぶか》にかぶった洋服《ようふく》を着《き》た男《おとこ》も、ほんとうに、砂山《すなやま》の下《した》をてくてくと歩《ある》いているのでした。  二郎《じろう》は目《め》を開《あ》けながら、自分《じぶん》は、夢《ゆめ》を見《み》ているのではないかと思《おも》ったのでした。 「不思議《ふしぎ》な笛《ふえ》だ。」と、彼《かれ》は、手《て》に持《も》っているおじいさんからもらった笛《ふえ》をながめたのです。  砂山《すなやま》の上《うえ》に、仰向《あおむ》けになって臥《ね》ながら、彼《かれ》は、笛《ふえ》を吹《ふ》いてみました。  吹《ふ》けば吹《ふ》くほど、いい音色《ねいろ》がでて、不思議《ふしぎ》ないろいろな幻《まぼろし》が目《め》に見《み》えたのであります。  二郎《じろう》はまた、起《お》き上《あ》がりました。  そして、笛《ふえ》の穴《あな》をのぞきながら、「この穴《あな》の中《なか》に、なにか小《ちい》さな魔物《まもの》でもすんでいるのではないか?」と思《おも》いました。  このとき、海《うみ》の方《ほう》から、ため息《いき》をつくように、軽《かる》いあたたかな風《かぜ》が、吹《ふ》いてきました。 「ほんとうに、不思議《ふしぎ》な笛《ふえ》だ。」  二郎《じろう》は、しみじみと、この短《みじか》い青《あお》と赤《あか》に塗《ぬ》り分《わ》けられた一|本《ぽん》の笛《ふえ》に、見入《みい》っていました。  その中《うち》に彼《かれ》は、棒《ぼう》きれを持《も》ってきて、笛《ふえ》にあいている穴《あな》を、一つ一つ、つついてみていたのであります。  いくら棒《ぼう》きれでもって穴《あな》をつついても、その中《なか》からどんな魔物《まもの》も飛《と》び出《だ》しませんでした。  また、泣《な》き声《ごえ》をたてるものもありませんでした。  笛《ふえ》の中《なか》は、ただ一|本《ぽん》の空洞《うつろ》の竹《たけ》にしかすぎませんでした。  それでも二郎《じろう》は、なお思《おも》いあきらめることができなかったのです。  やはり、一つ一つ無理《むり》に、穴《あな》をつついているうちに、その笛《ふえ》は、ひびがはいってしまいました。  二郎《じろう》は、もう一|度《ど》いい音色《ねいろ》を聞《き》こうと思《おも》って、その笛《ふえ》を唇《くちびる》にあてて吹《ふ》いてみました。  しかし、笛《ふえ》はもう、なんの音《ね》もたてずに、まったく役《やく》にたたなくなってしまったのです。  海《うみ》や砂山《すなやま》や、空《そら》にかがやいている日《ひ》の光《ひかり》には、すこしの変《か》わりがなかったけれど、天地《てんち》は急《きゅう》におし黙《だま》ってしまって、なにもかも、おしのごとくに見《み》られたのです。  そして、赤《あか》い船《ふね》の影《かげ》は、波間《なみま》にうすれて、見《み》えたり、消《き》えたりしています。  洋服《ようふく》を着《き》た人《ひと》は、どこへいったか、もうおらなかったのであります。  二郎《じろう》は、笛《ふえ》をすてて家《いえ》に帰《かえ》りました。  そしてその夜《よ》は、後悔《こうかい》しました。  あの大事《だいじ》な笛《ふえ》を割《わ》ってしまって、とりかえしがつかなかったからです。  あくる日《ひ》の昼《ひる》ごろ、二郎《じろう》は砂山《すなやま》へいって、昨日《きのう》笛《ふえ》を吹《ふ》いたところにきてみました。  するとそこには、いろいろの草《くさ》が、一|夜《や》のうちに花《はな》を開《ひら》いていたのです。  赤《あか》い花《はな》、白《しろ》い花《はな》、紫《むらさき》の花《はな》、青《あお》い花《はな》、そして黄色《きいろ》な花《はな》もありました。  夕空《ゆうぞら》に輝《かがや》く星《ほし》のように、また、海《うみ》から上《あ》がったさまざまの貝《かい》がらのように、それらの花《はな》は美《うつく》しく咲《さ》いていました。  二郎《じろう》は、ぼんやりと立《た》ってながめていますと、その中《なか》の、いちばん茎《くき》の長《なが》い赤《あか》い花《はな》は、どこかで見《み》た女《おんな》の人《ひと》を思《おも》い出《だ》さずにはいられませんでした。 「どこで、ちょうどこの花《はな》のような人《ひと》を見《み》たであろうか……。」と、二郎《じろう》はしばらく考《かんが》えていました。  彼《かれ》は、やがてそれを思《おも》い出《だ》しました。  それは昨日《きのう》の晩方《ばんがた》、港《みなと》の方《ほう》へ歩《ある》いてゆくと、町《まち》の中《なか》で脊《せ》のすらりっとした、ほおの色《いろ》の美《うつく》しい、りっぱな着物《きもの》を着《き》た旅《たび》の女《おんな》の人《ひと》を見《み》たのでした。  二郎《じろう》は、足《あし》もとに咲《さ》いている赤《あか》い花《はな》が、風《かぜ》になよなよと吹《ふ》かれている姿《すがた》が、その人《ひと》のようすそのままであったことを思《おも》ったのです。  二郎《じろう》は沖《おき》の方《ほう》を見《み》ますと、赤《あか》い船《ふね》が、今日《きょう》も停《と》まっていました。  やはり、夢《ゆめ》ではなかったことがわかりました。  晩方《ばんがた》まで、花《はな》の咲《さ》いている丘《おか》の上《うえ》で、彼《かれ》は空想《くうそう》に時《とき》をすごしました。  そして、海《うみ》の面《おもて》が入《い》り日《ひ》の炎《ほのお》に彩《いろど》られて、静《しず》かに暮《く》れていった時分《じぶん》に、彼《かれ》は町《まち》の方《ほう》へ帰《かえ》ってゆきました。  ある果物屋《くだものや》の前《まえ》で、ふたたび昨日《きのう》の美《うつく》しい女《おんな》の人《ひと》に出《で》あいました。  彼《かれ》は思《おも》わず顔《かお》を赤《あか》らめて、その人《ひと》を見送《みおく》りますと、 「このごろ、港《みなと》にはいってきた、赤《あか》い船《ふね》のお客《きゃく》さまだよ。」と、町《まち》の女房《にょうぼう》たちが、うわさしているのをきいたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社    1977(昭和52)年2月10日第1刷発行    1977(昭和52)年C第2刷発行 初出:「童話」    1924(大正13)年5月 ※表題は底本では、「赤《あか》い船《ふね》のお客《きゃく》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:富田倫生 2012年1月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。