二人の軽業師 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)西《にし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|本《ぽん》 -------------------------------------------------------  西《にし》と東《ひがし》に、上手《じょうず》な軽業師《かるわざし》がありました。綱《つな》から、綱《つな》に飛《と》びうつり、高《たか》いはしごの上《うえ》でもんどりを打《う》ち、見《み》ていて、ひやひやすることをも手落《てお》ちなく、やって見《み》せましたから、その評判《ひょうばん》というものは、たいへんなものでありました。西《にし》の方《ほう》の人《ひと》は、西《にし》の都《みやこ》で、興行《こうぎょう》をする甲《こう》の男《おとこ》をほめました。東《ひがし》の方《ほう》の人《ひと》は、東《ひがし》の都《みやこ》で、興行《こうぎょう》をする乙《おつ》をほめました。 「さあ、どちらがうまいだろうな。」  両方《りょうほう》の軽業師《かるわざし》のするのを見《み》たものは、頭《あたま》をかしげました。それほど、この二人《ふたり》の芸《げい》は、人間《にんげん》ばなれがしているといってよかったのです。最初《さいしょ》から、こんなあぶない芸当《げいとう》というものはできるものでありません。それには、血《ち》の出《で》るようなけいこを積《つ》んだからです。  いつしか、西《にし》の都《みやこ》で、人気《にんき》を呼《よ》んでいる甲《こう》の耳《みみ》に、東《ひがし》の都《みやこ》で、やはり、たいへんな人気《にんき》を呼《よ》んでいる乙《おつ》の評判《ひょうばん》がはいりました。 「そんなに、乙《おつ》は、うまいかな。ひとつ、こっそり見物《けんぶつ》に出《で》かけてみよう。」と、甲《こう》は、思《おも》いました。  だれにも気《き》づかれないように、甲《こう》は、東《ひがし》の都《みやこ》へ、乙《おつ》の芸当《げいとう》を見《み》にやってきました。そして、ふつうの見物人《けんぶつにん》にまじって、ながめていました。高《たか》い、高《たか》い、空中《くうちゅう》から、ぶらさがっている止《と》まり木《ぎ》の手《て》を放《はな》して、あちらに下《さ》がっている止《と》まり木《ぎ》につかまる、あぶない芸当《げいとう》は、ほんとうに、見《み》ているものをひやひやさせました。 「なるほど、これはうまいものだ。ふつうの芸人《げいにん》ではできないことだ。なにか、深《ふか》い研究《けんきゅう》をつまなければ、こんな人間《にんげん》ばなれのした芸《げい》はされるものでない。」甲《こう》は、つくづく感心《かんしん》して、西《にし》の都《みやこ》にもどりました。  その後《ご》、乙《おつ》の評判《ひょうばん》をするものがあると、甲《こう》は、いっしょになって、乙《おつ》をほめました。 「あの芸《げい》は、とうてい私《わたし》にはできません。乙《おつ》こそ名人《めいじん》です。」といって、謙遜《けんそん》したのです。  ちょうど、それと同《おな》じように、東《ひがし》の都《みやこ》で、評判《ひょうばん》を取《と》っている乙《おつ》の耳《みみ》にも、西《にし》の都《みやこ》の、甲《こう》のうわさがはいりました。 「そんなに、甲《こう》は、偉《えら》い軽業師《かるわざし》かしらん。ひとつ、こっそりといってみよう。」と思《おも》いました。そして、甲《こう》がしたように、乙《おつ》も、そのことをだれにも告《つ》げずに、西《にし》の都《みやこ》へ出《で》かけてゆきました。  これは、まったく、飛《と》びはなれた業《わざ》であります。高《たか》い、高《たか》い、空中《くうちゅう》から、飛《と》び降《お》りて、はるか下《した》に張《は》られた一|本《ぽん》の太《ふと》い綱《つな》をつかむのであります。まったく、命《いのち》を投《な》げ出《だ》してするのでなければ、いくら熟練《じゅくれん》をしても、思《おも》いきって、できることではないのであります。 「なるほど、たいしたものだ。これは、人間《にんげん》のしわざでない。」と、深《ふか》く感歎《かんたん》して、乙《おつ》は、東《ひがし》の都《みやこ》へもどりました。  二人《ふたり》の軽業師《かるわざし》は、たがいに相手《あいて》の芸《げい》をほめたのであります。そして、二人《ふたり》は、いずれも一|度《ど》、あって近《ちか》づきとなり、芸《げい》について話《はな》し合《あ》ってみたいと思《おも》っていました。  二人《ふたり》の思《おも》いが達《たっ》せられるときがきました。甲《こう》と乙《おつ》とは、あるところで出《で》あったのであります。 「あなたこそ、まったく、人間《にんげん》の力《ちから》ではできないような、芸当《げいとう》をなさいます。私《わたし》は、感心《かんしん》しています。」と、甲《こう》がいいました。 「いや、私《わたし》は、まだ未熟《みじゅく》でございます。あなたの足《あし》もとへもまいりません。」と、乙《おつ》は、謙遜《けんそん》して、答《こた》えました。 「そんなことはありません。あの揺《ゆ》れている止《と》まり木《ぎ》をどうして、ほかのものがつかめるものですか!」と、甲《こう》はほめました。  乙《おつ》は、驚《おどろ》いて、 「そんなら、あなたは、私《わたし》の未熟《みじゅく》な芸《げい》をどこかでごらんくだされましたか……。」と、たずねました。  甲《こう》は、笑《わら》って、 「拝見《はいけん》しないどころでありません。西《にし》の都《みやこ》にも、あなたの評判《ひょうばん》はたいしたものですから、じつは、人《ひと》に気《き》づかれないようにして、東《ひがし》の都《みやこ》へまいり、みんなにまじって見物《けんぶつ》しました。そして、感心《かんしん》して帰《かえ》ったのです。」と、すべてを打《う》ち明《あ》けて話《はな》したのであります。  乙《おつ》とて、やはり同《おな》じでありました。 「甲《こう》さん、私《わたし》も、じつは、西《にし》の都《みやこ》へまいって、あなたの芸《げい》を見《み》てすっかり驚《おどろ》いてしまいました。そして、世間《せけん》がもてはやすのもあたりまえだと、自分《じぶん》の未熟《みじゅく》を恥《は》ずかしく思《おも》ったのでした。」といいました。  芸《げい》に熱心《ねっしん》な二人《ふたり》は、はからずも同《おな》じ気持《きも》ちでありましたのです。二人《ふたり》は、覚《おぼ》えず顔《かお》を見合《みあ》わしました。 「それで、あなたは、あの高《たか》いところから、飛《と》び降《お》りなさるときに、なにか、口《くち》のうちでおっしゃるようですが、あれは、おまじないでございますか?」と、乙《おつ》がたずねました。 「いえ、そんな迷信的《めいしんてき》なものではありません。それには、子細《しさい》があります。私《わたし》も、打《う》ち明《あ》けますから、あなたも、あの揺《ゆ》れる止《と》まり木《ぎ》をつかまえなさる秘術《ひじゅつ》を教《おし》えてくださいませんか?」と、甲《こう》はいいました。 「では、お話《はなし》いたしましょう……。」と、乙《おつ》はうなずいて、つぎのようなことを話《はな》しました。 「私《わたし》は、子供《こども》の時分《じぶん》から木《き》に上《のぼ》ることは上手《じょうず》でした。どんなに高《たか》いところへ上《のぼ》っても、怖《おそ》ろしいことを知《し》りません。ある日《ひ》、一|羽《わ》の美《うつく》しい鳥《とり》が村《むら》へ飛《と》んできて、木立《こだち》にとまって鳴《な》きました。村《むら》では、珍《めずら》しい鳥《とり》だといって騒《さわ》ぎをして、どうかして、捕《つか》まえたいものだといって、その後《あと》を追《お》いまわしたのです。鳥《とり》は、池《いけ》の淵《ふち》にあった、高《たか》いけやきの木《き》の枝《えだ》さきにとまってさえずっていました。ここなら、だれも上《のぼ》れないだろうと、小鳥《ことり》は安心《あんしん》していい声《こえ》で鳴《な》いていました。人々《ひとびと》は、ぼんやり見上《みあ》げて、どうすることもできません。私《わたし》は、すぐに上《のぼ》ってゆきました。なるたけ、鳥《とり》の気《き》づかぬように、静《しず》かにして、ようやく、手《て》のとどきそうなところまできて、ちゅうちょしました。手《て》を出《だ》したら、鳥《とり》が逃《に》げると思《おも》ったからです。近《ちか》づいて見《み》れば、見《み》るほど、美《うつく》しい鳥《とり》でした。どうしたら、捕《つか》まえられるかと考《かんが》えていましたが、一思《ひとおも》いに、捕《つか》まえるよりしかたがないと、ねらいを定《さだ》めた刹那《せつな》、鳥《とり》は、飛《と》び立《た》ったのです。私《わたし》の体《からだ》も、いっしょに、木《き》から飛《と》び上《あ》がると、鳥《とり》をつかまえましたが、体《からだ》は、もんどり打《う》って落《お》ちました。もし、それが、地面《じめん》だったら、微塵《みじん》に砕《くだ》けてしまったでしょう。水《みず》の中《なか》へ落《お》ちたばかりに助《たす》かりました。しかし、握《にぎ》っていた鳥《とり》は、死《し》んでしまいました。それから、私《わたし》は、急《きゅう》に村《むら》の人々《ひとびと》からほめそやされました。両親《りょうしん》のない自分《じぶん》は、ついに、こんな渡世《とせい》にまで身《み》を落《お》としましたが、いつも、鳥《とり》を捕《つか》まえたときの呼吸《こきゅう》ひとつで、どんな危《あぶ》ない芸当《げいとう》も、やってのけるのであります。」  乙《おつ》の話《はなし》をきいていた甲《こう》は、うなずいて、感心《かんしん》しました。 「なるほど、その呼吸《こきゅう》です。よく、わかりました。」といって、頭《あたま》を下《さ》げました。  つぎに、甲《こう》は、どうして、高《たか》い空中《くうちゅう》から、飛《と》び降《お》りて、一|本《ぽん》の綱《つな》を大胆《だいたん》につかむかを話《はな》したのです。 「私《わたし》が、口《くち》の中《なか》で、となえますのは、子守《こもり》の名《な》です。不幸《ふこう》なおつたという孤児《みなしご》であった子守《こもり》の名《な》です。私《わたし》が、六つばかりのとき、河《かわ》の中《なか》に落《お》ちました。おつたは、九つだったといいます。泳《およ》ぎも知《し》らぬのに、飛《と》び込《こ》んで私《わたし》を救《すく》おうとしました。私《わたし》は、人《ひと》に助《たす》けられましたが、おつたは、ついに助《たす》かりませんでした。その後《ご》、私《わたし》の一|家《か》も貧乏《びんぼう》をして、私《わたし》は、興行師《こうぎょうし》に売《う》られましたが、自分《じぶん》の身《み》の不幸《ふこう》を思《おも》うにつけて、おつたがかわいそうになります。どうせ、いつ死《し》んでも惜《お》しくない身《み》と思《おも》って、おつたの名《な》を呼《よ》びながら、私《わたし》は、一|本《ぽん》の綱《つな》に飛《と》びつきます。不思議《ふしぎ》に、いまだ、それをつかみそこねたことはありません。死《し》んだ、おつたの霊《れい》が守《まも》っていてくれるのでしょう……。」  これが、甲《こう》の話《はなし》でありました。 「よくわかりました。精神《せいしん》の力《ちから》です。芸《げい》が、命《いのち》がけだからです。」と、乙《おつ》は、感嘆《かんたん》しました。  その後《ご》のことであります。 「甲《こう》には、いくらうまくても、ぶらんこの止《と》まり木《ぎ》につかまることはできない。また、乙《おつ》には空中《くうちゅう》から飛《と》び降《お》りて、一|本《ぽん》の綱《つな》につかまる、芸当《げいとう》はできない。」と、いう意味《いみ》のことが、西《にし》、東《ひがし》で、人々《ひとびと》のうわさとなりました。 「人間《にんげん》には、だれにも、できることと、できないこととがあるものだ。」と、道理《どうり》のわかった人《ひと》はいいましたが、わからないものは、 「甲《こう》と乙《おつ》と、どちらが偉《えら》いかな!」などと、やはり比較《ひかく》をしたのであります。  もし、二人《ふたり》が、めいめいに、自分《じぶん》の独得《どくとく》の芸《げい》を守《まも》っていたら、なんのこともなかったでしょう。  乙《おつ》は、どうかして、甲《こう》の秘術《ひじゅつ》が学《まな》べぬものかと思《おも》いました。そして、いつも、揺《ゆ》れる止《と》まり木《ぎ》をつかむときに、彼《かれ》は、美《うつく》しい小鳥《ことり》の姿《すがた》を思《おも》い浮《う》かべたのを、ある日《ひ》、甲《こう》から聞《き》いた、不幸《ふこう》の少女《しょうじょ》の姿《すがた》を目《め》に描《えが》いたばかりに、止《と》まり木《ぎ》をつかみそこねました。彼《かれ》は、真《ま》っ逆《さか》さまに、地面《じめん》へ落《お》ちて死《し》んでしまいました。  不思議《ふしぎ》なことには、甲《こう》が、高《たか》いところから、飛《と》び降《お》りるときに、いつも、おつたの名《な》を呼《よ》んで、ちょうど、水中《すいちゅう》へ飛《と》び込《こ》む気《き》で、綱《つな》をつかむのを、ある日《ひ》、その名《な》を呼《よ》ぶことを忘《わす》れて、美《うつく》しい鳥《とり》をつかまえる調子《ちょうし》で、綱《つな》を目《め》がけて飛《と》び下《お》りました。すると、指《ゆび》さきは、綱《つな》にかかったが、綱《つな》は、あちらへそれて、甲《こう》は、堅《かた》い壁《かべ》で頭《あたま》を打《う》って死《し》んでしまいました。  東西《とうざい》二人《ふたり》の、名人《めいじん》の軽業師《かるわざし》が、そろいもそろって、芸《げい》を仕損《しそ》じて死《し》んだといううわさが、また一|時《じ》、世間《せけん》を騒《さわ》がしましたが、だれも、この二人《ふたり》の軽業師《かるわざし》が、熟練《じゅくれん》しきっている芸当《げいとう》を、どうして仕損《しそん》じたかという原因《げんいん》については知《し》りませんでした。  そのうちに、このうわさも消《き》えてしまえば、かつて、二人《ふたり》の名人《めいじん》の軽業師《かるざわし》が、東《ひがし》、西《にし》にあって、一人《ひとり》は、西《にし》の都《みやこ》をにぎわし、一人《ひとり》は、東《ひがし》の都《みやこ》をにぎわしたということすら、いつしか、忘《わす》れられてしまったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社    1977(昭和52)年5月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「未明童話集5」丸善    1931(昭和6)年7月10日発行 ※表題は底本では、「二人《ふたり》の軽業師《かるわざし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2019年8月30日作成 2020年11月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。