都会はぜいたくだ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)高《たか》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)千|円《えん》 -------------------------------------------------------  デパートの高《たか》い屋根《やね》の上《うえ》に、赤《あか》い旗《はた》が、女《おんな》や子供《こども》のお客《きゃく》を呼《よ》ぶように、ひらひらとなびいていました。おかねは、若《わか》い、美《うつく》しい奥《おく》さまのお伴《とも》をしてまいりました。  そこには、なんでもないものはありません。みるもの、すべてが、珍《めずら》しいものばかりでした。  東京《とうきょう》へ出《で》てきてから、奥《おく》さまにつれられて、方々《ほうぼう》を歩《ある》くたびに、田舎《いなか》のさびしいところで働《はたら》いて暮《く》らす、お友《とも》だちのことを思《おも》わぬことはなかったのです。 「おつねさんなんか、こんなにぎやかなところは知《し》らないのだ……。」と思《おも》うと、青々《あおあお》とした田圃《たんぼ》の中《なか》に立《た》っている、友《とも》だちの姿《すがた》がありありと見《み》られました。  千|円《えん》、二千|円《えん》という札《ふだ》のついた、ダイヤモンドの指輪《ゆびわ》が、装飾品《そうしょくひん》の売《う》り場《ば》にならべてありました。それを見《み》ただけでもびっくりしたのです。また、食料品《しょくりょうひん》を売《う》っている場所《ばしょ》には、遠《とお》い西《にし》の国《くに》からも、南《みなみ》の国《くに》からも名物《めいぶつ》が集《あつ》まっていました。そして、それにも高《たか》い値段《ねだん》がついていました。 「まあ、こんな高《たか》いものを、東京《とうきょう》には、食《た》べる人《ひと》があるのだろうか?」と、疑《うたが》われたのであります。 「おかねや、おまえの国《くに》の名物《めいぶつ》には、どんなものがあって?」と、奥《おく》さまは、ふりかえって、聞《き》かれました。  おかねは、なんだろう? と思《おも》いました。小学校《しょうがっこう》にいる時分《じぶん》、地理《ちり》の時間《じかん》に、自分《じぶん》の国《くに》の名産《めいさん》をいろいろ教《おし》えられましたが、この東京《とうきょう》にまで出《だ》されているような名物《めいぶつ》は知《し》らなかったのでした。 「わかりません。」と、耳《みみ》を赤《あか》くしながら、答《こた》えるよりほかなかったのです。  見《み》て歩《ある》くうちに、相模川《さがみがわ》のあゆや、八|郎潟《ろうがた》のふなまで、ならべられてありました。 「まあ、川魚《かわうお》までが、方々《ほうぼう》から、汽車《きしゃ》で送《おく》られてくるのかしらん。」  このとき、彼女《かのじょ》の頭《あたま》に、弥吉《やきち》じいさんの顔《かお》が浮《う》かびました。じいさんは、川魚《かわうお》をとって生活《せいかつ》したのであります。どんな暗《くら》い雨《あめ》の降《ふ》る晩《ばん》も出《で》かけてゆきました。なんでも、青《あお》いかえるを針《はり》につけて、どろ深《ぶか》い川《かわ》で、なまずを釣《つ》り、山《やま》から流《なが》れてくる早瀬《はやせ》では、あゆを釣《つ》るのだという話《はなし》でした。  夏《なつ》、秋《あき》、冬《ふゆ》、ほとんどおじいさんの休《やす》む日《ひ》はありませんでした。ちょうど百|姓《しょう》が米《こめ》を作《つく》ると同《おな》じように、また、職工《しょっこう》が器具《きぐ》を造《つく》ると同《おな》じように、魚《うお》をとるのも、一通《ひととお》りでない骨《ほね》おりでありました。心《こころ》ある人《ひと》なら、だれでもこのようにして作《つく》られた、食物《しょくもつ》はむだにし、また器具《きぐ》を粗末《そまつ》に取《と》り扱《あつか》うことをよくないと思《おも》うでありましょう。  このおじいさんが、これほど、骨《ほね》をおって釣《つ》り上《あ》げた魚《うお》を、だれが、食《た》べるのだろうか? そう思《おも》ったことに、無理《むり》はなかったのです。  なぜなら、雪《ゆき》の降《ふ》る寒《さむ》い晩《ばん》に、おじいさんは、出《で》かけてゆきました。村《むら》の子供《こども》らは、窓《まど》の外《そと》で鳴《な》り叫《さけ》ぶあらしの音《おと》に耳《みみ》を澄《す》まして、幾枚《いくまい》も蒲団《ふとん》をかぶっても、まだ震《ふる》えがちにちぢこまっているのに、おじいさんは出《で》かけなければなりませんでした。  川《かわ》の上《うえ》には雪《ゆき》が積《つ》もっていました。そして、その下《した》の流《なが》れは、止《と》まっていました。おじいさんは雪《ゆき》を掘《ほ》り氷《こおり》を破《やぶ》ると、その下《した》に、黒《くろ》い水《みず》がものすごく、じっと見上《みあ》げています。おじいさんは、カンテラの火《ひ》で水《みず》の面《おもて》を照《て》らしました。これは、眠《ねむ》っている魚《うお》を呼《よ》び寄《よ》せるためであります。  もう長《なが》い間《あいだ》、穴《あな》の中《なか》に、または、深《ふか》い水底《みずそこ》に眠《ねむ》って、春《はる》のくるのを待《ま》っていた魚《さかな》たちは、ふいに明《あか》るくなったので、びっくりしました。 「なんだろうな。」 「月《つき》でないかしらん?」 「雪《ゆき》が積《つ》もっているのに、月《つき》のさすはずがないじゃないか。」 「でも、明《あか》るく、なにか、水《みず》を照《て》らしているようだ。」 「それにちがいない。おれたちは、もう長《なが》い間《あいだ》眠《ねむ》った。いつのまにか、雪《ゆき》が消《き》えて春《はる》になったのでないだろうか。」 「そんなことはない。まだ、水《みず》が、こんなに冷《つめ》たい。そして、どこにも春《はる》らしい気分《きぶん》はこない。こんな変《か》わったことのあるときは、要心《ようじん》が必要《ひつよう》なのだ。」 「どれ、出《で》かけて、みとどけてこよう。」 「それがいい。それがいい。」  魚《さかな》たちは、半分《はんぶん》おそれながら、ちらちら動《うご》く、カンテラの火《ひ》の方《ほう》に近《ちか》づいたのです。火《ひ》は赤《あか》い花《はな》が、風《かぜ》に吹《ふ》かれて、地面《じめん》をはいながら頭《あたま》を振《ふ》るように、暗《くら》い水《みず》の面《おもて》にゆれていました。 「もう、だいぶ、魚《さかな》の寄《よ》った時分《じぶん》だな。」  おじいさんは、手網《てあみ》で、ふいにすくうこともあれば、また糸《いと》を垂《た》れて釣《つ》ることもありました。  おかねばかりでない。村《むら》の子供《こども》たちも、大人《おとな》も、人《ひと》のいい弥吉《やきち》じいさんが、魚《さかな》をとる苦心《くしん》を知《し》らないものはありませんでした。それですから、おじいさんのとった魚《さかな》は、いくらうまくても、村《むら》のものは、もったいなくて食《た》べられない気《き》がしました。  おじいさんは、とった魚《さかな》は、ふなでも、なまずでも、またあゆでも、みんな町《まち》へ持《も》っていって売《う》ったのであります。 「おじいさん、命《いのち》がけでとった寒《かん》ぶなだ。いい値《ね》に売《う》れるだろう。」と、人《ひと》が聞《き》きますと、 「なんの、おかゆがすすられるだけのものです。」と答《こた》えて、頭《あたま》を振《ふ》りました。 「だれが、おじいさんのとった、魚《さかな》を食《た》べるだろうか。」と、おじいさんに聞《き》きますと、 「さあ、だれが食《た》べるものか、そればかりは、わしにもわからない。」と、おじいさんは、答《こた》えたのでした。  お金《かね》がいくら高《たか》くても、うまいものを買《か》う人《ひと》のたくさんいる東京《とうきょう》へ、あのおじいさんのとったなまずや、寒《かん》ぶなは、この遠《とお》い北《きた》の八|郎潟《ろうがた》から送《おく》られてきたふなのように、送《おく》られたのではないだろうかと、おかねは考《かんが》えました。 「奥《おく》さま、どうして、東京《とうきょう》の人《ひと》は、高《たか》いお金《かね》を出《だ》して、めずらしい、うまいものを食《た》べるんでしょうか。」と、おかねは、ききました。 「おまえ、それは、都《みやこ》と田舎《いなか》とは、いっしょにならないよ。東京《とうきょう》の人《ひと》は、口《くち》がおごっているから。しかし、このごろは、田舎《いなか》も、だんだん東京《とうきょう》と同《おな》じになってきたという話《はなし》だよ。」と、奥《おく》さまは、おっしゃいました。  しかし、おかねは、自分《じぶん》の生《う》まれた村《むら》は、昔《むかし》とかわらないと思《おも》っていました。 「奥《おく》さま、そんなことをすると、私《わたし》どもには、罰《ばち》があたります。」と答《こた》えた。 「ほほほ。」と、奥《おく》さまは、笑《わら》われました。  いろいろ外国《がいこく》からきた、びんにはいったよい酒《さけ》のならべてあるところへきて、奥《おく》さまは、青《あお》い色《いろ》の酒《さけ》をお買《か》いになりました。 「奥《おく》さま、お酒《さけ》をめしあがるのでございますか?」と、おかねは、ききました。 「これは、甘《あま》いお酒《さけ》なのよ。」  ほんとうに、家《いえ》へ帰《かえ》ると、かわいらしいグラスのコップについで、奥《おく》さまは、青《あお》いお酒《さけ》をめしあがりました。 「おかね、おまえも一|杯《ぱい》飲《の》んでごらん。」といわれたので、おかねは、びっくりして、 「私《わたし》は、まだ、お酒《さけ》を口《くち》にいれたことがありません。」と、辞退《じたい》しました。 「いいえ、このお酒《さけ》は、けっして、毒《どく》にはならないの。そして、それを飲《の》むと、なにかしらん、昔《むかし》のことを思《おも》い出《だ》すから……。」と、奥《おく》さまは、おっしゃいました。 「奥《おく》さま、昔《むかし》のことといいますと……。」と、おかねは、なんとなく、なつかしいような不思議《ふしぎ》な気《き》がしたのです。 「そうなの、忘《わす》れてしまったことを思《おも》い出《だ》すのだよ。」  おかねは、そういわれると、飲《の》んでみたくなりました。 「すこしばかり、いただきます。」といいました。  青《あお》い夕空《ゆうぞら》のように、淡《あわ》いかなしみをたたえたお酒《さけ》が、小《ちい》さなコップにつがれました。おかねは、それに、くちびるをつけると、甘《あま》くて酒《さけ》という感《かん》じはしませんでした。これなら、もっと飲《の》めるように思《おも》いましたが、やはりそれは、酒《さけ》でありました。いつしか、いい心地《ここち》となったのであります。  しばらくすると、胸《むね》の中《なか》が熱《あつ》くなりました。そして、おかねは、飲《の》むのでなかったと思《おも》いました。 「忘《わす》れてしまった、昔《むかし》のことって、いつ、思《おも》い出《だ》すのだろう? 奥《おく》さまは、私《わたし》をおだましになったのかもしれない。」と思《おも》って、床《とこ》につきました。        *   *   *   *   *  弥吉《やきち》じいさんの孫《まご》に、新吉《しんきち》という少年《しょうねん》がありました。おかねとは仲《なか》よしでありました。新吉《しんきち》には両親《りょうしん》がなく、おじいさんに育《そだ》てられたのであります。  ある日《ひ》、二人《ふたり》は、草原《くさはら》の上《うえ》で遊《あそ》んでいました。すると、新吉《しんきち》は、ぼんやりと立《た》って、あちらの高《たか》い山《やま》の方《ほう》を見《み》ていましたが、急《きゅう》に、しくしくと泣《な》き出《だ》しました。おかねは、驚《おどろ》いて、 「どうしたの? 新《しん》ちゃん。なぜ、泣《な》くの……。」と、たずねました。  新吉《しんきち》は、だまって、両手《りょうて》で自分《じぶん》の目《め》をこすって、涙《なみだ》をふきました。 「どうしたの? 新《しん》ちゃん。」と、おかねは、かさねて、たずねました。けれど、新吉《しんきち》は、さびしそうな顔《かお》つきをして、だまっていました。そして、いまのことは、すぐに忘《わす》れてしまって、二人《ふたり》はそれから、おもしろそうに遊《あそ》んだのであります。  新吉《しんきち》は、九つのとき、ほんの一|夜《や》、病気《びょうき》になって臥《ね》たばかりで死《し》んでしまいました。弥吉《やきち》じいさんの、歎《なげ》きは一通《ひととお》りでありません。その後《ご》、おじいさんは、さびしい、頼《たよ》りない生活《せいかつ》を送《おく》らなければなりませんでした。おじいさんは、孫《まご》の新吉《しんきち》と仲《なか》よしであった、おかねをいつまでもかわいがってくれました。  いつのまにか、おかねは、床《とこ》の中《なか》で、忘《わす》れていた昔《むかし》のことを思《おも》い出《だ》していました。すると、急《きゅう》に、昔《むかし》がなつかしく、ふるさとが恋《こい》しくなって、床《とこ》の中《なか》ですすり泣《な》きをしました。そのうちに、眠入《ねい》ってしまったのです。  眠《ねむ》りがさめると、いいお天気《てんき》でありました。おかねは、もう昨日《きのう》のことは忘《わす》れて、せっせと働《はたら》きました。夏《なつ》の日《ひ》は、はやくから庭《にわ》さきに当《あ》たって、まつばぼたんの花《はな》が、黄《き》・紅《あか》・白《しろ》、いろいろに美《うつく》しく燃《も》えるように咲《さ》いていました。 「まあ、きれいだこと。」と、見《み》とれていると、小《こ》ばちが、羽《はね》を鳴《な》らして、花《はな》の上《うえ》を飛《と》んでいます。そこへ、奥《おく》さまは、お見《み》えになって、笑《わら》いながら、 「おかねは、昨夜《ゆうべ》、なにか、夢《ゆめ》を見《み》たね?」と、おっしゃいました。  おかねは、頭《あたま》をかしげましたが、思《おも》い出《だ》すことができません。しかたなく、下《した》を向《む》いて笑《わら》っていました。 「怖《おそ》ろしい夢《ゆめ》でも見《み》たのか、大《おお》きな声《こえ》を出《だ》してよ。」と、奥《おく》さまはいわれました。  おかねは、久《ひさ》しぶりに、子供《こども》の時分《じぶん》のことを床《とこ》にはいってから思《おも》い出《だ》したことだけはわかりました。けれど、そのほかのことは、わかりませんでした。彼女《かのじょ》は、また、はればれとした顔《かお》をして、おもしろそうに、仕事《しごと》をつづけました。 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社    1977(昭和52)年5月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「未明童話集5」丸善    1931(昭和6)年7月10日発行 初出:「教育研究」    1930(昭和5)年8月3日 ※表題は底本では、「都会《とかい》はぜいたくだ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2019年10月28日作成 2020年11月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。