日月ボール 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)孝《こう》ちゃん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|台《だい》 -------------------------------------------------------  孝《こう》ちゃんの、近所《きんじょ》に住《す》んでいる自動車屋《じどうしゃや》の主人《しゅじん》は、変《か》わった人《ひと》でした。ぼろ自動車《じどうしゃ》を一|台《だい》しか持《も》っていません。それを自分《じぶん》が、毎日《まいにち》運転《うんてん》して、町《まち》の中《なか》を走《はし》っているのでした。  この自動車《じどうしゃ》も、もとは、りっぱなものでした。主人《しゅじん》の清《せい》さんが、若《わか》い時分《じぶん》、金持《かねも》ちの運転手《うんてんしゅ》を長《なが》くつとめていて、やめるときに、金持《かねも》ちが、その自動車《じどうしゃ》をくれたのでした。それから、何年《なんねん》たったでしょう。  欲《よく》のない清《せい》さんは、金《かね》をためるということをしませんでした。自動車《じどうしゃ》は、だんだん古《ふる》くなり、破《やぶ》れてきたけれど、新《あたら》しいのを買《か》うお金《かね》はなかったのでした。  この清《せい》さんには、いろいろなおかしい話《はなし》があります。ある日《ひ》のこと、ひまで困《こま》っていました。そこへ美《うつく》しいモダンガールがやってきました。 「汚《きたな》い、自動車《じどうしゃ》なのね。いいわ、すぐにやってちょうだい。」と、女《おんな》はいいました。 「お嬢《じょう》さん、走《はし》るのに、かわりはありません。」と、清《せい》さんはにくたれ口《ぐち》をききました。  自動車《じどうしゃ》が走《はし》っている間《あいだ》に、美《うつく》しいお嬢《じょう》さんは、真《ま》っ赤《か》な手《て》さげをあけて、香水《こうすい》のびんを出《だ》しました。  その香水《こうすい》の匂《にお》いが、たいへんに、いい香《にお》いだったとみえて清《せい》さんは、運転《うんてん》しながら、夢《ゆめ》を見《み》るような気持《きも》ちになって、どこを走《はし》っているのだか、ぼんやりしました。そのうちに、くぎででもさしたか、ひどい音《おと》がして、タイヤがパンクしました。清《せい》さんは、おどろいて車《くるま》から降《お》りて、まごまごして、やっと直《なお》して動《うご》き出《だ》そうとして見《み》ると、いつのまにか、女《おんな》は消《き》えて見《み》えなかったのです。 「まるで、きつねにつままれたようだった。」と、思《おも》い出《だ》すたびに、清《せい》さんは笑《わら》いました。  そうかと思《おも》うと、あるときはみすぼらしいふうをした、おじいさんが、はいってきて、 「すこし、遠方《えんぽう》だが、これだけの金《かね》でいってくださらんか。孫《まご》が、急病《きゅうびょう》だと知《し》らしてきたのだが……。」と、頼《たの》みました。 「まいりましょう。」と、気持《きも》ちよくいって、清《せい》さんは、おじいさんを乗《の》せていってやりました。  清《せい》さんは、働《はたら》いたお金《かね》で、みんなお酒《さけ》を飲《の》みました。酔《よ》っているときには、だれにでも、おもしろい話《はなし》をしました。しかし、それが、みんなほんとうであると、思《おも》えないようなのもありました。子供《こども》が好《す》きでしたから、近所《きんじょ》の子供《こども》たちがよく遊《あそ》びにやってきました。 「小父《おじ》さん、僕《ぼく》を自動車《じどうしゃ》に乗《の》せておくれよ。」  子供《こども》たちは、わがままをいいました。 「こんど、みんないっしょに乗《の》せて山《やま》へでも連《つ》れていってやろう。」 「いつ連《つ》れていってくれる?」 「それはわからん、秋《あき》がいいかな。」  こんなことをいって、子供《こども》たちを喜《よろこ》ばせたりしました。  そのころ、学校《がっこう》の子供《こども》たちの間《あいだ》に、日月《じつげつ》ボールがはやりました。こんな遊《あそ》びは、たとえば独楽《こま》にせよ、ピストルにせよ、はやったかと思《おも》うと、すたれ、すたれたかと思《おも》うと、はやり出《だ》すというふうでありました。  ある日《ひ》、孝《こう》ちゃんは、学校《がっこう》から帰《かえ》ると、日月《じつげつ》ボールを持《も》って外《そと》へ出《で》ました。そして、自動車屋《じどうしゃや》の前《まえ》へきました。ちょうど、清《せい》さんはいました。 「うまく、やれるかな。」  孝《こう》ちゃんを見《み》て、こういって、清《せい》さんは笑《わら》いました。 「ほかのはできるけど、突《つ》っ剣《けん》はなかなかできないよ。」 「なにかな、つっけんて、棒《ぼう》に球《たま》を通《とお》すのかな。」 「そう、やってみようか……。」  孝《こう》ちゃんは、熱心《ねっしん》に、糸《いと》の先《さき》についている木《き》の球《たま》を飛《と》ばして、棒《ぼう》のとがった先《さき》に刺《さ》そうとしました。 「穴《あな》へいれるのは、やれるかな。」 「うん、それなら、ぞうさないさ。」  孝《こう》ちゃんはうまくやってみせました。すると、清《せい》さんは、孝《こう》ちゃんに、これについて、つぎのようなおもしろい話《はなし》をして聞《き》かせました。  清《せい》さんが、まだ若《わか》いときのこと、あちらの山《やま》を越《こ》したことがありました。いいお天気《てんき》の日《ひ》で、空《そら》はよく晴《は》れて雲《くも》の影《かげ》もありませんでした。山《やま》や、谷《たに》の木《き》の葉《は》は、きらきらと日《ひ》に輝《かがや》いていました。ちょうど高《たか》い山《やま》の頂《いただき》にさしかかると、一人《ひとり》の男《おとこ》が、石《いし》に腰《こし》をかけて、なにか、しきりにやっています。見《み》ると、金光《きんびか》りのする、日月《じつげつ》ボールでけいこをしているのでした。こんなところで、どうしたのだろうかと思《おも》うと、きちがいででもあるような気《き》がして、怖《おそ》ろしくなって急《いそ》いで、山《やま》を下《くだ》ったというのであります。 「小父《おじ》さん、どうして、そんな山《やま》の上《うえ》で、日月《じつげつ》ボールをしていたんだろうね。」 「だから、きちがいかと思《おも》ったのさ。」 「きちがいでなかった?」 「それは、わからない。」 「どうして、そのボールは、金光《きんびか》りをしていたんでしょうね。」 「きっと、金粉《きんぷん》を塗《ぬ》ったのだろう。そうでなかったら、重《おも》くて、けいこなんか、できやしない。」 「不思議《ふしぎ》だな。」 「ああ、それからは、小父《おじ》さんは、夜《よる》になって、あちらの空《そら》で、星《ほし》が、ぴかぴか光《ひか》るのを見《み》ると、あの男《おとこ》が、いまでも、あの高《たか》い山《やま》の上《うえ》で石《いし》に腰《こし》をかけて、日月《じつげつ》ボールをやっているように思《おも》うのさ……。」  清《せい》さんは、こんな話《はなし》をしました。孝《こう》ちゃんは、たとい、きちがいにしても、どうして、一人《ひとり》で、そんなところへいったのだろう? そしてそれから、その人《ひと》は、どうしたろう……と、考《かんが》えずにいられませんでした。 「小父《おじ》さん、きちがいにちがいないね。」 「いや、そうでないかもしれぬ。」 「そうでないのなら……。」 「ほんとうに、孝坊《こうぼう》のように、だれも、ゆかない山《やま》ん中《なか》で、一|心《しん》に、日月《じつげつ》ボールをうまくなろうとけいこしていたのかもわからないじゃないか。」と、清《せい》さんは、笑《わら》いました。 「だって、そんな人《ひと》は、ないだろう。」と、孝《こう》ちゃんは、いいました。  清《せい》さんは、また、その後《ご》、その男《おとこ》に似《に》た男《おとこ》を見《み》たというのです。それは、ある小《ちい》さな町《まち》の祭《まつ》りの日《ひ》でした。神社《じんじゃ》の境内《けいだい》に、見《み》せものや、食《く》い物《もの》店《みせ》が出《で》ました中《なか》にまじって、いいかげんに年《とし》とった男《おとこ》が、日月《じつげつ》ボールを売《う》っていたというのであります。  その男《おとこ》は、赤《あか》い日月《じつげつ》ボールを手《て》に持《も》って、上手《じょうず》に、ポン、ポン、受《う》けていました。 「さあ、だれでも、じきにうまくなれますよ。こういうように、一|度《ど》も、落《お》とさずにうまくやれたら、ここに並《なら》べてある、外国《がいこく》の切手《きって》でも貨幣《かへい》でも、また水晶《すいしょう》・さんご、なんでも、欲《ほ》しいと思《おも》うものをあげます。はやく、日月《じつげつ》ボールを買《か》ってけいこをなさい。じきにうまく、それは、おもしろいようにできますよ。」  男《おとこ》は、横《よこ》を向《む》きながら、また、話《はなし》をしながら、上手《じょうず》に日月《じつげつ》ボールを落《お》とさずに、ポン、ポン、やっていました。  子供《こども》たちは、その男《おとこ》を取《と》り巻《ま》いて、感心《かんしん》して見《み》ていました。そして箱《はこ》の中《なか》に、並《なら》べてある珍《めずら》しいものにも見《み》とれていました。清《せい》さんは、その男《おとこ》が、山《やま》の上《うえ》で、日月《じつげつ》ボールをやっていた男《おとこ》に似《に》ていたというのでした。 「日月《じつげつ》ボール一|本《ぽん》二十|銭《せん》、買《か》わずにやってみようというなら五|銭《せん》、うまくやれば、外国《がいこく》の古《ふる》い切手《きって》でも、貨幣《かへい》でも、紫水晶《むらさきずいしょう》でも、なんでもあげます……。」  その男《おとこ》は熱心《ねっしん》にしゃべっていたのです。 「その男《おとこ》は、子供《こども》をだます、悪《わる》い男《おとこ》だったが、そのとき持《も》っていたのは、金光《きんびか》りでなく、赤《あか》い日月《じつげつ》ボールだった。」と、清《せい》さんはいいました。 「ほんとうのこと?」と、孝《こう》ちゃんは、清《せい》さんの顔《かお》を見上《みあ》げました。 「ああ、ほんとうにあったことさ。」  清《せい》さんは、まじめに答《こた》えました。清《せい》さんのぼろ自動車《じどうしゃ》にも、ときどき、お客《きゃく》がありました。清《せい》さんは、人間《にんげん》がいいから、近所《きんじょ》の人々《ひとびと》は、しぜん乗《の》るようになったのでした。このときも、ちょうどお客《きゃく》があって、清《せい》さんは、出《で》かけてゆきました。 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社    1977(昭和52)年5月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「未明童話集5」丸善    1931(昭和6)年7月10日発行 初出:「国民新聞」    1930(昭和5)年5月4日 ※表題は底本では、「日月《じつげつ》ボール」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2020年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。