死と話した人 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)A《エー》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|日《にち》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] -------------------------------------------------------  A《エー》は、秋《あき》の圃《たんぼ》へやってきました。夏《なつ》の時分《じぶん》には、小道《こみち》をふさいで、脊《せ》高《たか》く伸《の》びていた、きびや、もろこしの葉《は》は、褐色《かっしょく》に枯《か》れて、茎《くき》だけが、白《しろ》さびの出《で》たと思《おも》われるほど、かさかさにひからびて、気味悪《きみわる》く光《ひか》っていました。そして、ところどころに、赤《あか》い実《み》のとうがらしが、頭《あたま》を上《あ》げて、すきとおるような、青《あお》い空《そら》をながめていたのです。  もう、北《きた》の方《ほう》から吹《ふ》いてくる風《かぜ》は、なんとなく冷《ひ》ややかでした。あたりは、しんとして、これらの景色《けしき》は、ガラスに描《か》かれた絵《え》のように、音《おと》もなかったのでした。  彼《かれ》は、なんの気《き》なしに、圃《たんぼ》の中《なか》へはいってゆきますと、見知《みし》らぬ大《おお》きな男《おとこ》が、すぐ前《まえ》に突《つ》っ立《た》っていました。 「見《み》なれない百|姓《しょう》だな。」と思《おも》って、彼《かれ》も、立《た》ち止《ど》まって、その顔《かお》を見上《みあ》げますと、赤銅色《しゃくどういろ》に日《ひ》に焼《や》けて、角張《かくば》った顔《かお》は、なんとなく、残忍《ざんにん》な相《そう》をあらわして、あちらをにらんで、身動《みうご》きすらしなかった。鼻《はな》の先《さき》がとがって、両眼《りょうがん》が落《お》ちくぼんで、手《て》ぬぐいで向《む》こうはち巻《ま》きをして、きっと口《くち》をむすんでいます。  彼《かれ》は、多少《たしょう》、無気味《ぶきみ》になりました。 「それにしても、鋳物《いもの》のように動《うご》かないのはおかしいな。まさか、かかしではあるまい……。」  こんなことを考《かんが》えているうちに、それが、普通《ふつう》の人間《にんげん》としては、ばかに大《おお》きいということに気《き》がついた。このとき、A《エー》の胸《むね》はどきどきしました。幻《まぼろし》を見《み》ているわけではあるまいと、自分《じぶん》の心《こころ》に問《と》うてみたのです。 「あ!」と、彼《かれ》は、思《おも》わず叫《さけ》びをあげた。 「かま……?」  そのかまは、大《おお》きく、鋭《するど》く、そして、三日月《みかづき》のように細《ほそ》いのを、大男《おおおとこ》は、右手《みぎて》に握《にぎ》っていたからです。 「死《し》だ! 死《し》だ!」A《エー》は、口《くち》のうちでささやきながら、急《いそ》いで、きた道《みち》をもどると、中途《ちゅうと》から、人家《じんか》の見《み》える村《むら》をさして、駆《か》け出《だ》したのであります。        *   *   *   *   *  沿海線《えんかいせん》に沿《そ》うて、レールが走《はし》っていました。小高《こだか》い丘《おか》の上《うえ》に、停車場《ていしゃじょう》があって、待合室《まちあいしつ》は風《かぜ》に吹《ふ》きさらしになっています。  A《エー》は、段《だん》を上《あ》がって、待合室《まちあいしつ》にはいると、がらんとして、人影《ひとかげ》はなく、ただ一人《ひとり》、黒《くろ》い服装《ふくそう》をした外国《がいこく》のおばあさんが、ベンチに腰《こし》をおろして、下《した》を向《む》いて、なにかしていました。 「どこの国《くに》のおばあさんだろう。故国《ここく》は、遠《とお》いにちがいないが、いま、どんな気持《きも》ちで、ここにきて、なにをしているのだろうか?」と、そんなことを思《おも》いながら、彼女《かのじょ》を驚《おどろ》かさないように近《ちか》づいたのでした。  雲《くも》をもれて、おりおり、見渡《みわた》すかぎりの自然《しぜん》の上《うえ》へ、太陽《たいよう》の光線《こうせん》は、虎斑《こはん》のようなしまめを描《えが》いています。そして、どこともなくあちらの方《ほう》から、鈍《にぶ》い波《なみ》の音《おと》がきこえてきました。砂原《すなはら》の上《うえ》を、その音《おと》は、ころげてきたのでした。  ド、ド――  ド、ド、ド。 「おばあさんは、なにをしているのだろう?」  彼《かれ》は、近《ちか》づいてみると、無数《むすう》の小《ちい》さなビーズを、ひざのあたり、黒《くろ》い衣服《いふく》の上《うえ》にまいて、その一つ一つに針《はり》を通《とお》しながら、それらの赤《あか》・白《しろ》・青《あお》・黄《き》・紫《むらさき》のビーズを糸《いと》につないでいました。 「なるほど、きれいなビーズだが、これも外国《がいこく》から持《も》ってきたのかもしれん。なんという、あの青《あお》い色《いろ》は、ペルシアのつぼのように、あくどく、冴《さ》えた色《いろ》をしていることだろう……。」  彼《かれ》は、しばらく立《た》って、ぴかぴか光《ひか》る針《はり》と糸《いと》につながれてゆくビーズの色《いろ》にひきつけられていました。  電線《でんせん》を吹《ふ》く、風《かぜ》の音《おと》。  波《なみ》の音《おと》。  ド、ド――  ド、ド、ド。  いつまでたっても、ほかに、だれも上《あ》がってこなかった。また、耳《みみ》を傾《かたむ》けても、汽笛《きてき》の音《おと》さえきこえなかったのでした。 「いまにも、汽車《きしゃ》がきたら、ビーズがひざにあって、おばあさんは、どうして立《た》ち上《あ》がるだろう?」  そう考《かんが》えると、いぶかしくなりました。紙《かみ》にもつつんでないから、みんな地《ち》にこぼれてしまうだろう……。ちょうど、そのとき、おばあさんが、顔《かお》を上《あ》げました。あっと、彼《かれ》は、驚《おどろ》いた。なぜなら、二つの目《め》は、魚《さかな》のうろこを張《は》ったように、白《しろ》く、瞳《ひとみ》がなく、まったくの盲目《めくら》であったのです。 「死《し》だ! 死《し》だ!」  こう叫《さけ》んで、彼《かれ》は、丘《おか》を駆《か》け下《くだ》りました。        *   *   *   *   *  寒《さむ》い夜《よる》のことです。  明《あか》るい燈火《ともしび》の下《した》で、A《エー》は、細君《さいくん》と話《はなし》をしていました。二人《ふたり》の家庭《かてい》は、むつまじく、そして、平和《へいわ》でありました。それにつけて、A《エー》の友《とも》だちの死《し》は、いっそう、考《かんが》えさせられたのです。 「ほんとうに、あの方《かた》は、快活《かいかつ》な、陰気《いんき》なことの大《だい》きらいのお方《かた》でしたわ。それに、日《ひ》ごろあんなに健康《けんこう》そうに見《み》えましたのに……人間《にんげん》の命《いのち》というものは、わからんものですわね。」と、細君《さいくん》はいいました。 「ほんとうに、あの男《おとこ》が、急《きゅう》に死《し》のうなどとだれも思《おも》うまいよ。彼自身《かれじしん》だって思《おも》わなかったにちがいない。これをみても、こうして、無事《ぶじ》に、一|日《にち》が送《おく》られるということは、幸福《こうふく》なことだよ。」と、A《エー》は答《こた》えました。 「もし、死《し》ということがなかったら、人生《じんせい》は、どんなに幸福《こうふく》でしょう?」 「それは、そうでない。死《し》があってこそ生《せい》ということがあるのだ。生《い》きているという意識《いしき》は、死《し》の恐《おそ》れを深《ふか》く知《し》るものにだけ、それだけありがたいのだ。夜《よる》がなかったら、太陽《たいよう》の輝《かがや》きはわかるまい。この二つは、自然《しぜん》の大《おお》きな力《ちから》なんだ。」と、A《エー》はいいました。 「あの男《おとこ》は、この自然《しぜん》の力《ちから》について考《かんが》えただろうか。」  彼《かれ》は、そんなことも思《おも》いました。  だれか、外《そと》の戸《と》にさわったようなけはいがします。A《エー》は立《た》ち上《あ》がって、出口《でぐち》の戸《と》を開《あ》けてみました。すると、そこに、頭《あたま》から、黒《くろ》い着物《きもの》をかぶった脊《せ》の高《たか》いものが立《た》っているので、びっくりしました。 「おまえは、だれだ?」 「死《し》だ! この家《うち》へはいろうかとのぞいていたのだ。俺《おれ》のことを話《はな》したのも、みんな聞《き》いた。」  A《エー》の心臓《しんぞう》は、氷《こおり》の手《て》で、ぐっと握《にぎ》られたように、ぞっとして、ものがいえなく、ふるえていました。 「しかし、おまえたちは、俺《おれ》の存在《そんざい》を忘《わす》れないだけ感心《かんしん》だ。こんどだけは、はいるまい。」  こう、死《し》は、冷《ひ》ややかにいい放《はな》って、大《おお》またで歩《ある》いて去《さ》りました。  空《そら》には、こぼれ落《お》ちそうに、星《ほし》がきらきらとして、低《ひく》くささやきながら、風《かぜ》が吹《ふ》いていました。 [#地付き]――一九二八・一〇作―― 底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社    1977(昭和52)年4月10日第1刷 底本の親本:「未明童話集4」丸善    1930(昭和5)年7月20日 初出:「童話文学」    1928(昭和3)年11月 ※表題は底本では、「死《し》と話《はなし》した人《ひと》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:へくしん 2022年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。