お母さんのかんざし 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)母《はは》 -------------------------------------------------------  あるところに、母《はは》と少年《しょうねん》とがさびしく暮《く》らしていました。  あわれな母《はは》は、貧《まず》しかったから、その身《み》になんの飾《かざ》りというものをつけていなかったけれど、頭《あたま》の髪《かみ》に、青《あお》い珠《たま》のついているかんざしをさしていました。少年《しょうねん》は、そのお母《かあ》さんのかんざしを見《み》ることが大好《だいす》きでした。なぜなら、自分《じぶん》の顔《かお》が、小《ちい》さく、どんよりと深《ふか》い水《みず》のように、うるんだ珠《たま》の上《うえ》にうつったばかりでなく、ときに、おばあさんの顔《かお》も、またあちらの遠《とお》い景色《けしき》も、うつって見《み》えるような気《き》がしたからです。  この、昔《むかし》からあったかんざしは、死《し》んだおばあさんが、お母《かあ》さんに遺《のこ》していった、形見《かたみ》でありました。だから、お母《かあ》さんが、それを大事《だいじ》にしていたのに、無理《むり》はありません。  ある日《ひ》、行商人《ぎょうしょうにん》が、村《むら》へはいってきました。黒《くろ》いふろしきに、箱《はこ》を包《つつ》んだのをせおっていました。箱《はこ》の中《なか》には、女《おんな》のほしそうな、指輪《ゆびわ》や、かんざしや、いろいろのものがはいっていました。  男《おとこ》は母親《ははおや》のかんざしに目《め》をつけて、 「いいかんざしをおさしですね。」といいました。  母親《ははおや》は、恥《は》ずかしそうに、うつむいて、 「昔《むかし》ふうで、こんなもの、いいものでありません。」と、答《こた》えました。 「私《わたし》に、売《う》ってくださらないですか?」と、男《おとこ》はいいました。 「おばあさんの形見《かたみ》ですから、まあ、持《も》っていましょう。」 「なんなら、ここにある品《しな》と換《か》えてくださらないですか。ここには、さんごもあります。べっこうのくしもあります。ほれ、こんなにいい根《ね》がけもあります。昔《むかし》ふうのガラス珠《だま》のかんざしより、いくら、気《き》がきいているかしれませんよ。」と、男《おとこ》はすすめました。  母親《ははおや》は、流行《りゅうこう》の品《しな》がほしかったけれど、がまんをしました。 「考《かんが》えておきます。」と、答《こた》えました。 「また、こんどきますから、よく考《かんが》えなさっておいてください。」と、行商人《ぎょうしょうにん》は、くれぐれもいって出《で》てゆきました。  母《はは》は、めったに外《そと》へも出《で》ず、家《うち》にいて、針仕事《はりしごと》をしていました。少年《しょうねん》は、そばで、本《ほん》を読《よ》んだり、算術《さんじゅつ》のけいこをしたりしました。母《はは》は仕事《しごと》ができあがると、それを持《も》って、町《まち》へゆきました。少年《しょうねん》も後《あと》についていったのであります。あるとき、途中《とちゅう》で、学校《がっこう》友《とも》だちのA《エー》くんのおばあさんに、出《で》あいました。 「お母《かあ》さんと、おつかいですか?」と、おばあさんは、少年《しょうねん》を知《し》っているので、にっこりと笑《わら》って、声《こえ》をかけられました。少年《しょうねん》も、母親《ははおや》も、おばあさんにあいさつをしました。  その翌日《よくじつ》、少年《しょうねん》が、A《エー》くんの家《うち》に遊《あそ》びにゆくと、おばあさんが、 「あなたのお母《かあ》さんは、いいかんざしをおさしですね。」といわれました。 「あれは、死《し》んだおばあさんの形見《かたみ》なんです。」と、少年《しょうねん》はいいました。 「そうでしょう。昔《むかし》のものでなければ、あんないいものはありません。」と、A《エー》くんのおばあさんは、感心《かんしん》されました。  A《エー》くんの家《うち》で遊《あそ》んで、少年《しょうねん》は、帰《かえ》り道《みち》にA《エー》くんのおばあさんのいわれたことを思《おも》い出《だ》して、 「どうして、昔《むかし》のものは、そういいのだろう。きっと、昔《むかし》は、世《よ》の中《なか》も美《うつく》しかったにちがいない。自分《じぶん》の家《うち》も、昔《むかし》はよかったのだが、いまは、貧乏《びんぼう》になったのだ……。」と、思《おも》いました。そして、それが矛盾《むじゅん》したようにも考《かんが》えられたのです。 「先生《せんせい》に、聞《き》いてやろう……。世《よ》の中《なか》が文明《ぶんめい》になって、かえって、品物《しなもの》が悪《わる》くなるということを?」  その後《のち》も、あわれな母《はは》と少年《しょうねん》の暮《く》らしには、変《か》わりがなかったのでした。  ある日《ひ》のこと、村《むら》へ、また行商人《ぎょうしょうにん》が、はいってきました。これは、前《まえ》にきたのでなく、べつの男《おとこ》でした。そして、もっと、口《くち》が上手《じょうず》でありました。 「奥《おく》さん、まだお若《わか》いのに、こんな昔《むかし》ふうのものをおさしになっては、おかしゅうございます。ここにこんな上等《じょうとう》なさんご珠《じゅ》があります。足《あし》は金《きん》でございます。これとお換《か》えになってはいかがですか。昔《むかし》ふうのものを探《さが》していらっしゃるご老人《ろうじん》がありますので、私《わたし》のほうは、損《そん》がいくのですが、お換《か》えしようと申《もう》すのです……。」といいました。  母親《ははおや》は、前《まえ》にきた行商人《ぎょうしょうにん》が、ガラス珠《だま》だといったことを覚《おぼ》えていたので、つまらない品《しな》とよい品《しな》と換《か》えるなら、たとえ形見《かたみ》であろうとも許《ゆる》してもらえるような気《き》がして、その男《おとこ》の金《きん》のかんざしと、自分《じぶん》の頭《あたま》にさしている青《あお》い珠《たま》のかんざしと取《と》り換《か》えたのであります。  行商人《ぎょうしょうにん》は、いそいそとして、村《むら》をあちらへ歩《ある》いて去《さ》りました。ちょうど、その後《あと》へ、はじめにきた男《おとこ》が、いつものごとく、箱《はこ》をせおってやってきましたが、いま、ほかの行商人《ぎょうしょうにん》とかんざしを換《か》えたということを話《はな》すと、びっくりして、目《め》の色《いろ》を変《か》えながら、 「ど、どれ、そのさんごの珠《たま》のついている、金《きん》のかんざしをお見《み》せなさい。」といいました。  そして、それを手《て》に取《と》って見《み》て、 「これは、めっきした安物《やすもの》だ。あの青《あお》い珠《たま》はほんとうは、ガラスでない、珍《めずら》しい石《いし》なんです。どこのものか、知《し》らないやつに、もうけられてたまるものか……。私《わたし》が、とりもどしてきてあげましょう。」と、金《きん》のかんざしを手《て》に握《にぎ》って走《はし》り出《だ》しました。  少年《しょうねん》は、その男《おとこ》といっしょに走《はし》りました。 「大事《だいじ》なお母《かあ》さんのかんざしをとりもどさねばならない……。」と、叫《さけ》んで、先刻《さっき》の行商人《ぎょうしょうにん》の後《あと》を追《お》いかけました。  かんざしを取《と》りかえた奴《やつ》は、それと察《さっ》したものか、とっとっと道《みち》を急《いそ》いで、その姿《すがた》は、野原《のはら》のはてにかすんで、小《ちい》さく見《み》えました。二人《ふたり》は、けんめいになって走《はし》ったのです。 「おうい、おうい。」  この時分《じぶん》から、空《そら》は、曇《くも》ってきました。そして、雷《かみなり》が鳴《な》りはじめました。少年《しょうねん》は、だんだん疲《つか》れて、男《おとこ》におくれました。野原《のはら》を越《こ》して、海岸《かいがん》に出《で》たときには、海《うみ》の上《うえ》は、墨《すみ》を流《なが》したように暗《くら》くなって、電光《でんこう》は流《なが》れ、雷《かみなり》はすぐ近《ちか》くで鳴《な》り、たきのような太《ふと》い雨《あめ》が降《ふ》ってきました。このものすさまじい景色《けしき》の中《なか》で、二人《ふたり》の男《おとこ》は、たがいに欲《よく》のために、死《し》にものぐるいになって、組《く》み打《う》ちをしていました。少年《しょうねん》は、いまにも、雷《かみなり》が、頭《あたま》の上《うえ》に落《お》ちそうなので、浜辺《はまべ》に、引《ひ》き上《あ》げてあった、船《ふね》の下《した》に腹《はら》ばいになって、二人《ふたり》のけんかを見《み》ている中《うち》に、二人《ふたり》は、岩《いわ》の鼻先《はなさき》から、抱《だ》き合《あ》ったまま、うず巻《ま》く波《なみ》の中《なか》に落《お》ちたかと思《おも》うと、そのまま海《うみ》は、二人《ふたり》をのんでしまいました。  しばらくすると、空《そら》は、けろりと晴《は》れて、海《うみ》の色《いろ》は青《あお》く、それは、お母《かあ》さんのかんざしの珠《たま》よりも青《あお》く、あちらの夕焼《ゆうや》けは、また、さんごよりも紅《あか》かったのでした。しかし、そこには、もう二人《ふたり》の男《おとこ》の姿《すがた》は見《み》えませんでした。少年《しょうねん》は、ひとりそこに立《た》って、この夢《ゆめ》のような話《はなし》を家《うち》に帰《かえ》って、どう語《かた》ろうかと考《かんが》えていたのです。 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社    1977(昭和52)年5月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「未明童話集5」丸善    1931(昭和6)年7月10日発行 初出:「童話研究」    1929(昭和4)年7月 ※表題は底本では、「お母《かあ》さんのかんざし」となっています。 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:きゅうり 2020年3月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。