青いランプ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)不思議《ふしぎ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十|年《ねん》 -------------------------------------------------------  不思議《ふしぎ》なランプがありました。青《あお》いかさがかかっていました。火《ひ》をつけると、青《あお》い光《ひかり》があたりに流《なが》れたのです。 「このランプをつけると、きっと、変《か》わったことがあるよ。」といって、その家《うち》では、これをつけることを怖《おそ》ろしがっていました。しかし、前《まえ》から大事《だいじ》にしているランプなので、どこへもほかへやることをせずに、しまっておきました。  石油《せきゆ》で火《ひ》を点《つ》ける時代《じだい》はすぎて、いまでは、どんな田舎《いなか》へいっても、電燈《でんとう》をつけるようになりましたが、まれに、不便《ふべん》なところでは、まだランプをともしているところもあります。  この村《むら》でも、しばらく前《まえ》から、電燈《でんとう》をつけるようになりました。そして、ランプのことなどは、忘《わす》れていましたので、不思議《ふしぎ》なランプの話《はなし》が出《で》ると、みんなは笑《わら》い出《だ》しました。 「そんなばかな話《はなし》があるものか。この文明《ぶんめい》の世《よ》の中《なか》に、化《ば》け物《もの》や、悪魔《あくま》などのいようはずがない。昔《むかし》の人《ひと》は、いろんなことをいって、ひまをつぶしたものだ。それがうそなら、青《あお》いランプを出《だ》して、つけてみればいい。」と、たまたま集《あつ》まった人《ひと》たちはいいました。  すると、家《うち》の人《ひと》は、 「変《か》わったことがあっても、なくても、そういういい伝《つた》えだから、めったなことはするものでない。」と、口《くち》をいれたのです。 「いいえ、それは迷信《めいしん》というものだ。今夜《こんや》、青《あお》いランプをつけてみようじゃないか?」と、家《うち》の人《ひと》のうちでも、きあわせた人《ひと》たちと、口《くち》をそろえていったものもありましたので、つい、しかたなく、反対《はんたい》したものも同意《どうい》することにしました。  みんなは、日《ひ》の暮《く》れるのを待《ま》っていました。そして、しまってあった、昔《むかし》のランプを出《だ》してきました。  幾《いく》十|年《ねん》前《まえ》からかしれない、石油《せきゆ》のしみや、ほこりが、ランプのガラスについていました。 「石油《せきゆ》が、一《ひと》たれもはいっていない。」  一人《ひとり》は、のぞいてみながら、 「いつ、つけたかわからないのだから、かわいてしまったのだ。」といいました。  石油《せきゆ》を持《も》ってきて、ランプに注《つ》ぎました。そのうちに、日《ひ》は、暮《く》れてしまいました。窓《まど》からは、北《きた》の荒《あら》い海《うみ》が見《み》えます。秋《あき》から冬《ふゆ》にかけて、雲《くも》のかからない日《ひ》は少《すく》なかったのであります。冷《つめ》たそうな雲《くも》が、沖《おき》にただよって、わずかに、うす明《あ》かりが残《のこ》っていました。 「さあ、ランプをつけるから、電燈《でんとう》を消《け》すのだよ。」と、一人《ひとり》がいいますと、急《きゅう》にみんなは、ぞっとして、だまってしまいました。へやの中《なか》は、まっ暗《くら》になりました。あたりが静《しず》まると、浪《なみ》の音《おと》が、ド、ド、ドンと聞《き》こえてきました。マッチをする音《おと》がして、ランプに火《ひ》がつくと、へやの中《なか》はちょうど春《はる》の晩《ばん》のように、ほんのりと青《あお》くいろどられて、その光《ひかり》は、窓《まど》から、遠《とお》く海《うみ》の方《ほう》へ流《なが》れてゆきました。  みんなは、しばらくだまっていましたが、 「どうして、このランプを不思議《ふしぎ》なランプというのですか?」と、だれかがたずねました。  おそらく、そのわけを知《し》っているものは、この家《うち》の年《とし》とったおばあさんだけでありましょう。が、いままで、おばあさんは、このことをくわしくだれにも話《はな》しませんでした。 「このランプは、大事《だいじ》な、不思議《ふしぎ》なランプだから、しまっておくのだ。」と、ただ孫《まご》たちにいっていたばかりです。 「おばあさん、どうかそのお話《はなし》を聞《き》かしてください。」と、近所《きんじょ》の子供《こども》たちも、大人《おとな》たちも、そこにすわっておられたおばあさんにたのみました。 「じゃ、その話《はなし》をきかしてあげよう。」と、おばあさんは、青《あお》い光《ひかり》にいろどられたへやの中《なか》で、みんなに向《む》かって、つぎのような物語《ものがたり》をされたのであります。        *   *   *   *   *  おばあさんのお父《とう》さんという人《ひと》は、こんなさびしい片田舎《かたいなか》に産《う》まれた人《ひと》に似《に》ず、研究心《けんきゅうしん》の深《ふか》い人《ひと》でありました。  いつも、暗《くら》い、ものすごい海《うみ》の方《ほう》を見《み》て考《かんが》え込《こ》んでいました。「どこか、あちらにみんなの知《し》らない国《くに》があるにちがいない。また、発見《はっけん》されないような島《しま》があるにちがいない。それには、もっといい船《ふね》を造《つく》って、探検《たんけん》に出《で》かけることだ。」などと考《かんが》えていました。  ある日《ひ》、海《うみ》の上《うえ》が、たいへんに荒《あ》れました。 「こんな日《ひ》に、沖《おき》へ出《で》ているような船《ふね》はないだろうな。出《で》ていたら、助《たす》かるまい。」と、お父《とう》さんは、まゆをひそめてながめていました。  いつしか、あらしのうちに日《ひ》は暮《く》れてしまいました。夜《よる》になってから、ますます沖《おき》は荒《あ》れ狂《くる》って見《み》えました。このとき、一つ真《ま》っ暗《くら》な海《うみ》の上《うえ》に、赤《あか》い火《ひ》が見《み》えたのであります。その火《ひ》は大《おお》きな波《なみ》にもまれて、おどっていました。 「火《ひ》が、火《ひ》が、この大《おお》あらしに、船《ふね》がなやんでいる。どこの船《ふね》だろう……。」と、お父《とう》さんは、窓《まど》に立《た》って見《み》ながら気《き》が気《き》でありませんでした。しかし、この海岸《かいがん》で、船《ふね》を出《だ》そうというような人《ひと》を、さがしてもどこにありましょう? 「あれ、あれ。」といううちに、その赤《あか》い火《ひ》は見《み》えなくなってしまいました。まったく大《おお》きな波《なみ》に呑《の》み込《こ》まれてしまったものと思《おも》われます。そして、あとは、ただ波《なみ》の音《おと》と風《かぜ》のさけびと雨《あめ》の吹《ふ》きつける声《こえ》がきこえるだけでありました。  あくる日《ひ》、海岸《かいがん》では、大騒《おおさわ》ぎでした。一人《ひとり》の勇敢《ゆうかん》な外国人《がいこくじん》が難破船《なんぱせん》から、こちらの燈火《とうか》を目《め》あてに、泳《およ》いできて、とうとうたどりつくと力《ちから》がつきて、そこに倒《たお》れてしまったのです。これを知《し》った村《むら》の人々《ひとびと》は、その外国人《がいこくじん》をいたわってやりました。  おばあさんのお父《とう》さんも、しんせつに介抱《かいほう》してやった一人《ひとり》であります。外国人《がいこくじん》は、やっと元気《げんき》を回復《かいふく》しました。そして、手《て》まねで、昨夜《ゆうべ》、船《ふね》が難破《なんぱ》して、乗《の》っていたものは、みんな死《し》に、貨物《かもつ》はすっかり海《うみ》の底《そこ》にうずもれてしまったことを告《つ》げました。 「それでも、あなたは勇敢《ゆうかん》な人《ひと》だ、よくここまで泳《およ》いでこられたものだ。」と、お父《とう》さんはその外国人《がいこくじん》を尊敬《そんけい》しました。外国人《がいこくじん》も、またお父《とう》さんに親《した》しみました。おばあさんのお父《とう》さんは、外国人《がいこくじん》について、外国《がいこく》の言葉《ことば》をならいました。それから、いろいろあちらの文明《ぶんめい》な話《はなし》や、まだ人《ひと》のたくさんゆかないような土地《とち》で、宝《たから》や、珍《めずら》しいものが無尽蔵《むじんぞう》にある話《はなし》などを聞《き》きました。 「ああ、私《わたし》の思《おも》ったことは、空想《くうそう》ではなかった。ぜひ、いって大《おお》きな仕事《しごと》をしよう。」と、お父《とう》さんは思《おも》いました。  外国人《がいこくじん》もだんだんこちらの言葉《ことば》がわかり、そして、お父《とう》さんと話《はなし》がいくらかできるようになりました。 「もし、人《ひと》の知《し》らない島《しま》を発見《はっけん》したいというようなお考《かんが》えをもたれたら、一|度《ど》、外国《がいこく》へ渡《わた》って、学問《がくもん》をして、それから、遠《とお》い、遠《とお》い、船出《ふなで》をしなければなりません……。」と、外国人《がいこくじん》は、さとしました。  お父《とう》さんは、なるほどとうなずきました。外国人《がいこくじん》は近所《きんじょ》に、小《ちい》さな家《うち》を建《た》て、そこに住《す》みました。家《うち》のまわりにはいろいろの草花《くさばな》の種子《たね》をまきました。夏《なつ》になるとそれらが、赤《あか》・黄《き》・緑《みどり》、さまざまの花《はな》が咲《さ》いて美《うつく》しかったのです。ちょうや、はちは、終日《しゅうじつ》花《はな》の上《うえ》を飛《と》びまわっていました。外国人《がいこくじん》はそれを見《み》て、自分《じぶん》のふるさとのことなどを思《おも》い出《だ》していました。  どうかして、国《くに》へ帰《かえ》りたいと思《おも》いましたけれど、どうすることもできなかったので、自分《じぶん》は、一|生《しょう》をこの村《むら》で送《おく》るのでないかと考《かんが》えたこともあります。お父《とう》さんは、よくこの人《ひと》をたずねてゆきました。そして、あちらの話《はなし》を聞《き》いたり、言葉《ことば》などをならったりして、家《うち》へ帰《かえ》ると、窓《まど》のところで、青《あお》いランプをともして、夜《よる》おそくまで勉強《べんきょう》をしました。ランプの青《あお》い光《ひかり》は、海《うみ》の方《ほう》からも見《み》えたのであります。  ある夏《なつ》の午後《ごご》、外国人《がいこくじん》は、遠眼鏡《とおめがね》で沖《おき》の方《ほう》を見《み》ていました。すると、あちらの水平線《すいへいせん》を大《おお》きな黒《くろ》い船《ふね》が通《とお》るのでした。それは、一目《ひとめ》で、この国《くに》の船《ふね》でないことがわかりました。だんだんはっきりと見《み》えると、マストの上《うえ》に、自分《じぶん》の国《くに》の旗《はた》がひらひらとひるがえっていました。 「あ、なつかしい、自分《じぶん》の国《くに》の船《ふね》だ!」と叫《さけ》ぶと、お父《とう》さんのところへ駆《か》けてきました。 「いま、あっちを、私《わたし》の国《くに》の船《ふね》が通《とお》ります。これは、神《かみ》さまのお助《たす》けです。どうかして、あの船《ふね》に合図《あいず》をして、乗《の》り込《こ》むことはできないものでしょうか。」と訴《うった》えました。  しんせつな、正直《しょうじき》なお父《とう》さんは、これを他人《たにん》のこととは思《おも》いませんでした。 「どれ、私《わたし》に、その眼鏡《めがね》をおかしください。」といって、自分《じぶん》の目《め》にあてて沖《おき》を見《み》ながら、 「なるほど、りっぱな大《おお》きな船《ふね》だ。この船《ふね》を逃《に》がしたら、いつまた乗《の》れるというあてはありますまい。すぐに、合図《あいず》をしましょう。」といって、近所《きんじょ》の人々《ひとびと》を呼《よ》び集《あつ》めて、海岸《かいがん》の小高《こだか》いところで、火《ひ》をどんどんたきました。  人々《ひとびと》が、外国人《がいこくじん》を助《たす》けたいというまごころが、あちらの船《ふね》に通《つう》じたとみえて、船《ふね》から、汽笛《きてき》の音《ね》が、三《み》たびきこえました。 「あれは、わかったというしらせにちがいない。」  みんなは首《くび》をのばして、沖《おき》の方《ほう》を見《み》つめていますと、だんだん、黒《くろ》い船《ふね》の姿《すがた》が、大《おお》きくはっきりとしてきました。  これを見《み》た外国人《がいこくじん》は、声《こえ》をかぎりに叫《さけ》んで、狂《くる》わんばかりに喜《よろこ》びました。 「さあ、あなたも私《わたし》といっしょにいらっしゃい。」といって、かたわらに立《た》っているお父《とう》さんの首《くび》に抱《だ》きつきました。  お父《とう》さんは、日《ひ》ごろから、外国《がいこく》へいってみたいと思《おも》っていました。しかし、そのころ、そんなことがどうして容易《ようい》にできましょう。まことに、これこそいい都合《つごう》でありました。 「どうか、それなら、私《わたし》をつれていってください。」と、お父《とう》さんも、熱心《ねっしん》に頼《たの》みました。  おばあさんは、まだ小《ちい》さな娘《むすめ》でありました。お父《とう》さんが、荒海《あらうみ》を越《こ》えて、あちらの外国《がいこく》へゆかれると聞《き》いたので、どんなに、それを悲《かな》しみましたでしょう。もう、ゆけば、二|度《ど》と帰《かえ》ってこられないもののように思《おも》われたからです。そして、おばあさんのお母《かあ》さんといっしょに、「お父《とう》さん、外国《がいこく》へなど、ゆかないでください。」と願《ねが》いました。 「なに、心配《しんぱい》することはない。きっと、無事《ぶじ》に帰《かえ》ってくるから。」と、お父《とう》さんは答《こた》えて、いくらやめさせようとしてもだめでした。  母《はは》と娘《むすめ》は、お父《とう》さんの決心《けっしん》が固《かた》いのを知《し》ると、せめて、そのお帰《かえ》りを待《ま》つよりしかたのないのを悟《さと》りました。 「そんなら、いつお帰《かえ》りなさいますか、教《おし》えてください。」と、二人《ふたり》はいいました。 「じゃ、約束《やくそく》をしよう。いまから五|年《ねん》めにきっと帰《かえ》ってくるから。」と、お父《とう》さんは答《こた》えました。  汽船《きせん》からは引《ひ》き下《お》ろされた小舟《こぶね》が、陸《りく》を指《さ》してきました。それから、しばらくして、外国人《がいこくじん》とお父《とう》さんはその小舟《こぶね》に乗《の》りました。小舟《こぶね》は晩方《ばんがた》の金色《こんじき》に輝《かがや》く波《なみ》を切《き》って、ふたたび陸《りく》をはなれてあちらに泊《と》まっている汽船《きせん》をさしてこぎました。海鳥《かいちょう》は、美《うつく》しい夕空《ゆうぞら》におもしろそうに飛《と》んでいました。  母《はは》と娘《むすめ》と近所《きんじょ》の人《ひと》たちは、名残惜《なごりお》しそうに、目《め》に涙《なみだ》を浮《う》かべて、沖《おき》の方《ほう》をながめていました。小舟《こぶね》は小《ちい》さく、小《ちい》さくなって、いつしか船《ふね》にこぎつくと、人《ひと》も舟《ふね》も、同時《どうじ》に、引《ひ》きあげられて、船《ふね》は、暮《く》れてゆく空《そら》に汽笛《きてき》を鳴《な》らして、いずこへともなく去《さ》ってしまいました。  絵《え》で見《み》ると、お父《とう》さんのゆかれた外国《がいこく》には、りっぱな町《まち》があって、馬車《ばしゃ》が通《とお》っています。また、男《おとこ》も、女《おんな》も、思《おも》い思《おも》いに、きれいなふうをして歩《ある》いています。お父《とう》さんからは、いったきり、たよりがありませんでした。留守《るす》をしている、家《うち》の人々《ひとびと》は、ただ五|年《ねん》のあいだの早《はや》くたつのを待《ま》っていました。  外国人《がいこくじん》の住《す》んでいた家《うち》は、空《あ》き家《や》になって、だれも住《す》んでいませんでした。ただ、夏《なつ》がくると、家《うち》のまわりには、いろいろの草《くさ》がしぜんに芽《め》を出《だ》して、赤《あか》・白《しろ》・紫《むらさき》・黄《き》の花《はな》を美《うつく》しく咲《さ》かせました。そして、沖《おき》から吹《ふ》いてくる風《かぜ》は、それらの花《はな》を動《うご》かしました。ちょうや、はちは、朝《あさ》から、集《あつ》まってきて、日《ひ》の暮《く》れるころまで、楽《たの》しく遊《あそ》んでいました。 「お父《とう》さんは、無事《ぶじ》にお帰《かえ》りなさるだろうか?」 「あの外国人《がいこくじん》でさえ、ああして、帰《かえ》っていったのだもの、人《ひと》の思《おも》いの通《とお》らないことはない。きっと五|年《ねん》たったら、お父《とう》さんは、帰《かえ》っておいでなさる……。」  一|年《ねん》は、また一|年《ねん》とたってゆきました。年々《ねんねん》種子《たね》が残《のこ》って咲《さ》いた草花《くさばな》も、その後《ご》、だれも手《て》をいれるものがなかったので、外国人《がいこくじん》の住《す》んでいた家《いえ》の荒《あ》れるとともに、花《はな》の数《かず》は少《すく》なくなってしまいました。こうして、ついにお父《とう》さんの帰《かえ》るといわれた五|年《ねん》めとなったのであります。  お母《かあ》さんは、お父《とう》さんの留守《るす》の間《ま》に、ランプの下《した》で、さびしく仕事《しごと》をしていました。このあたりの海《うみ》は、十|月《がつ》の末《すえ》になれば、波《なみ》が高《たか》くて、どんな船《ふね》も、あまり通《とお》ることはなかったのでした。 「もう、お父《とう》さんは、お帰《かえ》りなされそうなものだ。」  こういって、娘《むすめ》と母《はは》は、毎日《まいにち》のように、海岸《かいがん》に立《た》っては、船《ふね》のはいってくる、影《かげ》を待《ま》っていました。しかし、夕焼《ゆうや》けの美《うつく》しかった夏《なつ》には、とうとうお父《とう》さんは帰《かえ》ってこられませんでした。 「今年《ことし》は、お父《とう》さんは、お帰《かえ》りなされんのだろうか?」と、娘《むすめ》がいうと、 「いいえ、お父《とう》さんは、約束《やくそく》なされたことは、けっしてお違《ちが》いなされはしない。きっと、今夜《こんや》あたり、帰《かえ》っておいでなさるだろう。」といって、お母《かあ》さんは、なにか虫《むし》が知《し》らせるのか、かたく信《しん》じて、いつものごとく、青《あお》いランプに火《ひ》をつけて、窓《まど》ぎわにすわって待《ま》っていられました。  その日《ひ》は、なんとなく、家《うち》の人々《ひとびと》の胸《むな》さわぎのする晩《ばん》でした。 「今夜《こんや》は帰《かえ》っておいでなさる。」と、お母《かあ》さんは信《しん》じて、暗《くら》い海《うみ》の方《ほう》を見《み》ていられると、ふいに夜嵐《よあらし》の窓《まど》に吹《ふ》きつけるように、幾羽《いくわ》ともなく、黒《くろ》い海鳥《かいちょう》が、青《あお》いランプの火《ひ》を目《め》がけて、どこからともなく飛《と》んできて、窓《まど》につきあたったのであります。  お母《かあ》さんは、神《かみ》さまや、仏《ほとけ》さまを、口《くち》のうちでお祈《いの》りをして、どうか、お父《とう》さんの身《み》の上《うえ》に変《か》わりのないようにと願《ねが》いました。そして、一|夜《や》まんじりとも眠《ねむ》りませんでした。  その翌晩《よくばん》も、どこからともなく、黒《くろ》い鳥《とり》が青《あお》いランプの火《ひ》を目《め》がけて飛《と》んできました。毎晩《まいばん》、青《あお》いランプに火《ひ》をつけると、どこからともなくこの黒《くろ》い鳥《とり》の群《む》れが、押《お》し寄《よ》せてきたのであります。みんなは、このランプを気味悪《きみわる》がりました。そして、不思議《ふしぎ》のランプとして、もうそれをつけないことにして、しまったのであります。  そして、お父《とう》さんは、とうとう帰《かえ》ってこられませんのでした。        *   *   *   *   *  これが、おばあさんのお話《はなし》であります。そのときのお母《かあ》さんは、もうとっくに死《し》んでしまい、そのときの娘《むすめ》さんは、この物語《ものがたり》をしたおばあさんなのでした。 「そのお父《とう》さんは、どうなされたのでしょうね。」と、このへやに集《あつ》まった人《ひと》たちは、おばあさんにたずねました。 「外国《がいこく》から、こちらへくる船《ふね》がなかったものか、それとも、どこかの島《しま》へ渡《わた》って、自分《じぶん》の思《おも》ったような仕事《しごと》をなされたものか、わからないのだよ。」と、おばあさんは、答《こた》えました。 「いまでもわかりませんの?」 「私《わたし》が、こんなにおばあさんになったのだから、もう、お父《とう》さんは、この世《よ》においでなされるはずはないでしょう。」  みんなは、これを聞《き》いて、さびしい気持《きも》ちがしました。青《あお》いランプの火《ひ》は、その昔《むかし》のように、青《あお》い光《ひかり》をいまもへやの中《なか》にただよわせています。 「黒《くろ》い鳥《とり》が、今夜《こんや》も飛《と》んでくるかしらん。」と、子供《こども》たちは、いいました。  だれも、これについて、はっきり答《こた》えるものはありませんでした。そして、みなは、おばあさんの顔《かお》を見《み》ました。おばあさんは、うつむいて、遠《とお》い昔《むかし》のことを思《おも》い出《だ》すように、また、岸《きし》に打《う》つ波《なみ》の音《おと》に聞《き》きいっているように、じっとしていられました。 「おばあさん、黒《くろ》い鳥《とり》が、今夜《こんや》も飛《と》んでくるでしょうか?」 「もう、そんなこともあるまい。あの時分《じぶん》、国《くに》へ帰《かえ》りたい、帰《かえ》りたいと、お父《とう》さんが、毎夜《まいよ》思《おも》っていなされたから、鳥《とり》になってきなさったのかもしれないが、もう、そんなことはないだろう。」と、おばあさんはいわれました。  はたして、その夜《よ》は、なんの変《か》わったこともなく、秋《あき》の海《うみ》は、すすり泣《な》くように静《しず》かにふけていったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社    1977(昭和52)年5月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「未明童話集5」丸善    1931(昭和6)年7月10日発行 初出:「週刊朝日 17巻7号」    1930(昭和5)年2月9日 ※表題は底本では、「青《あお》いランプ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:館野浩美 2020年11月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。