トム吉と宝石 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)遠《とお》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|度《ど》 -------------------------------------------------------  遠《とお》い、あちらの町《まち》の中《なか》に、宝石店《ほうせきてん》がありました。  ある日《ひ》のこと、みすぼらしいふうをした娘《むすめ》がきて、 「これを、どうぞ買《か》っていただきたいのですが。」 といって、小《ちい》さな紙包《かみづつ》みの中《なか》から、赤《あか》い魚《うお》の目《め》のように、美《うつく》しく光《ひか》る石《いし》のはいった指輪《ゆびわ》を出《だ》してみせました。  ちょうど、主人《しゅじん》の留守《るす》で、トム吉《きち》が手《て》にとってながめますと、これほど、性《しょう》のいいルビーは、めったに見《み》たことがないと思《おも》いましたから、しばらく感心《かんしん》して、掌《てのひら》にのせてながめていました。  娘《むすめ》は、小僧《こぞう》さんが、なんというだろうかと、さも心配《しんぱい》そうな顔《かお》つきをしていました。 (もし、これが、いい値《ね》に売《う》れなかったら、病気《びょうき》の弟《おとうと》をどうしたらいいだろう。そればかりでない、明日《あす》から私《わたし》たちは食《た》べてゆくことができないのだ。) と、いろいろ思《おも》っていたのです。 「この指輪《ゆびわ》を、どこでお求《もと》めでございましたか。」と、トム吉《きち》は、たずねました。  すると、娘《むすめ》は、正直《しょうじき》にその指輪《ゆびわ》について話《はな》したのです。 「それは、死《し》なれたお母《かあ》さんが、お祖母《ばあ》さんからもらって、大事《だいじ》になさっていたのを、お亡《な》くなりなされる時分《じぶん》、指《ゆび》からぬいて、これはいい指輪《ゆびわ》だから、よほどのときでなければ、はなしてはいけないとおっしゃって、私《わたし》にくださったものです……。」 と、娘《むすめ》は、いまの不自由《ふじゆう》をしていることまで、物語《ものがた》りました。  トム吉《きち》は、だまって、娘《むすめ》さんのいうことをきいていましたが、 「じゃ、弟《おとうと》さんがご病気《びょうき》で、この大事《だいじ》になさっている指輪《ゆびわ》をお売《う》りなさるというのですか。」 と、たずねました。  娘《むすめ》は、かなしそうに、目《め》にいっぱい涙《なみだ》を浮《う》かべながら、うなずきました。 「いや、まことにけっこうな石《いし》です。」 といって、トム吉《きち》は、真物《ほんもの》の相場《そうば》どおりに高値《たかね》で買《か》ったのでした。  娘《むすめ》は、いい値《ね》に指輪《ゆびわ》が売《う》れたので、たいそうよろこんで、これもお母《かあ》さんのおかげだと思《おも》って、はやく弟《おとうと》の治療《ちりょう》をするために立《た》ち去《さ》りました。ちょうど、それと入《い》れちがいに、主人《しゅじん》がもどってきました。  トム吉《きち》は、主人《しゅじん》の顔《かお》を見《み》ると、 「こんな性《しょう》のいいルビーが出《で》ました。」 といって、娘《むすめ》から買《か》った指輪《ゆびわ》を見《み》せたのであります。主人《しゅじん》は、眼鏡《めがね》をかけて見《み》ていましたが、 「なるほど、珍《めずら》しい、たいした代物《しろもの》だな。」と、微笑《ほほえ》みながら、 「これを、いくらで買《か》ったか。」と、たずねました。  いつも、こうした取引《とりひき》にかけては、万事《ばんじ》、自分《じぶん》を見《み》まねていて、ぬけめがないとは思《おも》いましたが、念《ねん》のためにきいたのでした。  しかし、トム吉《きち》が、真物《ほんもの》どおりの相場《そうば》で、正直《しょうじき》に買《か》ったと知《し》ると、たちまち、主人《しゅじん》の顔《かお》は不機嫌《ふきげん》に変《か》わって、怒《おこ》り出《だ》しました。 「いま、出《で》ていったあの娘《むすめ》だろう。あんな素人《しろうと》をごまかせないということがあるもんか。みんな、おまえが、商売《しょうばい》に不熱心《ふねっしん》だからだ。」 といって、しかりました。  いったい、宝石《ほうせき》ばかりは、目《め》のあかるい人《ひと》でなければ、真物《ほんもの》か、偽物《にせもの》か、容易《ようい》に見分《みわ》けのつくものでありません。また、性《しょう》のいいわるいについても同《おな》じことです。だから、不正直《ふしょうじき》の商人《しょうにん》になると、そこをつけこんで、いい品《しな》でもわるいといって、安《やす》く買《か》い、わるい品《しな》でもいいといって、高《たか》く売《う》ったりして、もうけるものです。  トム吉《きち》は、こうした、曲《ま》がったことをする主人《しゅじん》に使《つか》われていましたが、かわいそうな娘《むすめ》のようすを見《み》たり、また、その話《はなし》をきくと、真物《ほんもの》を偽物《にせもの》といってごまかされなかったばかりでなく、指輪《ゆびわ》を売《う》って、弟《おとうと》の病気《びょうき》を快《よ》くしようというやさしい情《じょう》に感心《かんしん》せずにはいられなかったのでした。  しかし、この正直《しょうじき》であったことが、禍《わざわ》いとなって、 「おまえみたいなばか者《もの》は、私《わたし》が留守《るす》のときには、なんの役《やく》にもたつものでない。」 といって、ついにトム吉《きち》は、暇《ひま》を出《だ》されてしまいました。 「私《わたし》にも、やさしい姉《ねえ》さんがあるのだ。」 といって、トム吉《きち》は、この町《まち》を去《さ》って、ごく自分《じぶん》の小《ちい》さい時分《じぶん》にいたことのある町《まち》を指《さ》して、旅立《たびだ》ちをしたのであります。  彼《かれ》は、途中《とちゅう》で、自分《じぶん》と同《おな》じ年《とし》ごろの男《おとこ》と道《みち》づれになりました。砂漠《さばく》を越《こ》しての、長《なが》い、長《なが》い、旅《たび》でありますから、二人《ふたり》は、いつしか打《う》ちとけて親《した》しくなり、たがいの身《み》の上《うえ》などを話《はな》し合《あ》うようになりました。この若者《わかもの》も、これから、なにかしら仕事《しごと》をして、成功《せいこう》しようという希望《きぼう》を抱《いだ》いていました。  青《あお》い草《くさ》もない、単調《たんちょう》な砂漠《さばく》の中《なか》を歩《ある》いてゆくときでも、二人《ふたり》の話《はなし》はよく合《あ》って、べつに退屈《たいくつ》を感《かん》ずるということがなかったのです。また、烈《はげ》しい太陽《たいよう》の光《ひかり》に照《て》らされて、なんでも黄色《きいろ》く見《み》えるような日《ひ》でも、二人《ふたり》が語《かた》り合《あ》っているときは、心《こころ》の中《なか》に涼《すず》しい風《かぜ》が吹《ふ》いたのであります。  ある日《ひ》のことでした。二人《ふたり》が、並《なら》んで道《みち》を歩《ある》いていると、ふいに、若者《わかもの》は立《た》ち止《ど》まって、つまさきで砂《すな》をかき、砂《すな》の中《なか》から、なにか小《ちい》さい石《いし》ころのようなものを拾《ひろ》いあげました。 「こんなものを見《み》つけたが、なんだろう?」 と、若者《わかもの》は、それを手《て》の上《うえ》にころがして、ながめていました。青《あお》みがかった、虫《むし》の形《かたち》をした石《いし》です。その石《いし》に光《ひか》るものが彫《ほ》り込《こ》んであって、端《はし》のところに、糸《いと》の通《とお》りそうな小《ちい》さな穴《あな》があいていました。 「きっと、ここを通《とお》った人《ひと》が落《お》としたものだろうが、なににしたものかな。」 と、若者《わかもの》は、頭《あたま》をかしげていました。 「こうして、自分《じぶん》の目《め》にはいったのだから、捨《す》てずに、記念《きねん》として持《も》ってゆこうか。」 と、若者《わかもの》は、青《あお》い石《いし》を掌《てのひら》の中《なか》でころがしながら、朗《ほが》らかに笑《わら》いました。 「どれ、どんなものを拾《ひろ》ったのですか。」 と、トム吉《きち》は、若者《わかもの》の拾《ひろ》った青《あお》い石《いし》を見《み》せてもらいました。よく見《み》ると、それは、また、すばらしいものです。トム吉《きち》は、見《み》ているうちにほしくなりました。自分《じぶん》の持《も》っているものなら、なんでもやって、代《か》えてもらいたかったのです。それほどすばらしい品《しな》でした。しかし、トム吉《きち》は、驚《おどろ》きの色《いろ》を顔《かお》に出《だ》すまいとしました。これは、宝石商《ほうせきしょう》の店《みせ》に使《つか》われている時分《じぶん》の癖《くせ》が出《で》たのです。そして、心《こころ》の中《なか》で、どうかしてごまかして、自分《じぶん》のものにすることはできないものかと思《おも》っていました。 「小《ちい》さい穴《あな》があいているが、なににしたものでしょうね。」 と、若者《わかもの》は、そんなたいしたものとは知《し》るはずがなく、こう問《と》いました。 「さあ……。」といって、トム吉《きち》は、口《くち》ごもりました。そして、胸《むね》の中《うち》では、なぜこの石《いし》がはやくおれの目《め》に見《み》つからなかったろうというくやしさでいっぱいでした。  この青《あお》みがかった穴《あな》のあいている石《いし》は、太古《たいこ》の曲玉《まがたま》であって、光《ひか》るのは、ダイヤモンドでありました。トム吉《きち》は、宝石商《ほうせきしょう》の店《みせ》にいる間《あいだ》に、これと同《おな》じものを一|度《ど》見《み》たことがあります。そして、それが驚《おどろ》くほど高価《こうか》に取《と》り引《ひ》きされたのを記憶《きおく》していました。いま、この珍貴《ちんき》な曲玉《まがたま》が、砂漠《さばく》の中《なか》で見《み》つかったというのは、昔《むかし》、隊商《たいしょう》の群《む》れが、ここを往来《おうらい》したからです。 「これが、おれのものだったら、どんなに大金持《おおがねも》ちになれるだろう……。」と、トム吉《きち》は、残念《ざんねん》がりました。  彼《かれ》は、若者《わかもの》が、この石《いし》の値打《ねう》ちを知《し》らないのを幸《さいわ》いに、この砂漠《さばく》の中《なか》を旅《たび》する間《あいだ》に、どうかして、自分《じぶん》のものとする工夫《くふう》はないかと思《おも》ったので、わざと平気《へいき》な顔《かお》つきをして、 「ボタンにしては、あまりお粗末《そまつ》なものですね。どうせ、土人《どじん》の子供《こども》が頸《くび》にかけたものかもしれません。」  こういって、若者《わかもの》の手《て》に返《かえ》しました。快活《かいかつ》な若者《わかもの》は、荷物《にもつ》のひもをほぐして糸《いと》を造《つく》り、曲玉《まがたま》に通《とお》して、道化半分《どうけはんぶん》に、自分《じぶん》の頸《くび》にかけて歩《ある》きました。そして、いつかその石《いし》のことなど忘《わす》れて、なにかほかの話《はなし》に興《きょう》がって、笑《わら》っていました。  ひとり、トム吉《きち》は、若者《わかもの》の頸《くび》にかかった曲玉《まがたま》が歩《ある》くたびに揺《ゆ》れるのを見《み》たり、ダイヤモンドが長《なが》い間《あいだ》砂《すな》にうもれて、いくぶん曇《くも》っているけれど、みがけば、どんなにでも光《ひか》るのだと思《おも》うと、そのほうに気《き》をとられて、ぼんやりと、あいづちを打《う》つだけで、いままでのように、話《はなし》に実《み》がはいりませんでした。  それよりか、ただ、トム吉《きち》は、 「どんなようにいったら、うまくだまして、あの曲玉《まがたま》を自分《じぶん》のものにすることができるだろう。」 と、考《かんが》えていました。  トム吉《きち》は、渺々《びょうびょう》とした砂漠《さばく》の上《うえ》に、あらわれた白《しろ》い雲《くも》を仰《あお》ぎながら、 「人間《にんげん》の運命《うんめい》なんて、わからないものだ。いま二人《ふたり》は、こうして同《おな》じように貧乏《びんぼう》をしているが、これから、あちらの町《まち》へ着《つ》いて、あの曲玉《まがたま》が、宝石商《ほうせきしょう》に売《う》られたら、そのときから、この男《おとこ》は、もう貧乏人《びんぼうにん》でなく、大金持《おおがねも》ちになれるのだ。そして、自分《じぶん》は、やはり、このままの姿《すがた》であろう。」 と、思《おも》ったのでありました。  そのうちに、日数《にっすう》がたって、砂漠《さばく》も通《とお》りすぎてしまいました。ある日《ひ》の晩方《ばんがた》、二人《ふたり》は、前方《ぜんぽう》に、紫色《むらさきいろ》の海《うみ》を見《み》たのであります。 「あ、海《うみ》だ!」 「海《うみ》だ!」  二人《ふたり》は、同時《どうじ》に叫《さけ》びました。赤《あか》い夕日《ゆうひ》は、ちょうど波間《なみま》に沈《しず》もうとしています。二人《ふたり》は、遠《とお》く歩《ある》いてきた道《みち》をかえり見《み》ながら、岩《いわ》の上《うえ》に腰《こし》を下《お》ろして休《やす》みました。押《お》し寄《よ》せる波《なみ》が、足《あし》もとに砕《くだ》けて、引《ひ》き返《かえ》しては、また押《お》し寄《よ》せているのです。  トム吉《きち》にも、また、若者自身《わかものじしん》にも、おそらくわからなかったことであったろうが、若者《わかもの》は頸《くび》にかけた糸《いと》をいつのまにかはずして、人《ひと》さし指《ゆび》にはめて、くるくるとまわしていました。そして、トム吉《きち》が、はっと思《おも》ったしゅんかんに、糸《いと》は指《ゆび》からはなれて、曲玉《まがたま》は、波《なみ》の中《なか》に落《お》ちて呑《の》み込《こ》まれてしまいました。  若者《わかもの》は、そんなことには気《き》にもとめずに、口笛《くちぶえ》を鳴《な》らして、このかぎりない美《うつく》しい景色《けしき》に見《み》とれていましたが、トム吉《きち》は、失望《しつぼう》と悔恨《かいこん》とくやしさとで、顔《かお》の色《いろ》は、すっかり青《あお》ざめていました。  翌日《よくじつ》、ここまで道《みち》づれになってきた二人《ふたり》も、いよいよ別《わか》れなければなりませんでした。  若者《わかもの》は、トム吉《きち》に向《む》かって、 「もし、私《わたし》が、成功《せいこう》をして大金持《おおがねも》ちになったら、きっとあなたの町《まち》へたずねてゆきます。そして、あなたを、お助《たす》けいたします。どうか、お達者《たっしゃ》でいてください。」 といって、堅《かた》く、その手《て》を握《にぎ》りました。そして、右《みぎ》と左《ひだり》に、別《わか》れてゆきました。  トム吉《きち》は、立《た》ち止《ど》まって、だんだんに遠《とお》ざかってゆく若者《わかもの》のうしろ姿《すがた》を見送《みおく》っていましたが、まったくその姿《すがた》が見《み》えなくなると、そこに身《み》を投《な》げ出《だ》して、すすり泣《な》きをはじめました。 「なんて、おれは、あのとき、あさましい考《かんが》えを起《お》こしたのだろう、もし、正直《しょうじき》だったら、そして、自分《じぶん》が骨《ほね》をおって、あの宝石《ほうせき》を高《たか》く売《う》ってやったら、あの男《おとこ》は、思《おも》いがけないもうけに喜《よろこ》んで、半分《はんぶん》はお金《かね》を分《わ》けてくれたにちがいない。そうすれば、二人《ふたり》とも幸福《こうふく》で、いまごろは、楽《たの》しい旅《たび》をつづけていたであろう……。」 と、後悔《こうかい》しました。トム吉《きち》は、しばらくしてから、立《た》ち上《あ》がりました。 「これからは、いつでも正直《しょうじき》にして、自分《じぶん》だけもうけようなどとは考《かんが》えまい。そうだ、おれには、やさしい姉《ねえ》さんがあった。町《まち》へ帰《かえ》ったら、姉《ねえ》さんのためにつくそう……。」 と、トム吉《きち》は、志《こころざ》す町《まち》の方《ほう》に向《む》かって歩《ある》いていきました。 底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社    1977(昭和52)年6月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「雪原の少年」四条書房    1933(昭和8)年9月 初出:「日の出 1巻2号」    1932(昭和7)年9月 ※表題は底本では、「トム吉《きち》と宝石《ほうせき》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:津村田悟 2021年2月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。