森の中の犬ころ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)町《まち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三十|銭《せん》 -------------------------------------------------------  町《まち》のある酒屋《さかや》の小舎《こや》の中《なか》で、宿無《やどな》し犬《いぬ》が子供《こども》を産《う》みました。 「こんなところで、犬《いぬ》が子《こ》を産《う》みやがって困《こま》ったな。」と、主人《しゅじん》は小言《こごと》をいいました。これも、小僧《こぞう》たちが、平常《へいぜい》小舎《こや》の中《なか》をきれいに片《かた》づけておかないからだと、小僧《こぞう》たちまでしかられたのであります。 「この畜生《ちくしょう》のために、おれたちまでしかられるなんて、ばかばかしいこった。犬《いぬ》の子《こ》を河《かわ》へ流《なが》してきてしまえ。」と、小僧《こぞう》たちは話《はなし》をしました。 「そんな、かわいそうなことをするもんじゃない。目《め》があいたらどこかへ持《も》っていって捨《す》てておいで。」と、かみさんがいいました。  そのうちに、小犬《こいぬ》たちは、だんだん目《め》が見《み》えるようになりました。そして、よちよちと、短《みじか》い、筆先《ふでさき》のような尾《お》をふりながら歩《ある》くようになりました。「どうか、もうすこし、子供《こども》たちが大《おお》きくなるまで、ここにおいてください。」と、あわれな母犬《おやいぬ》はものをいわないかわりに、目《め》で小僧《こぞう》さんたちに訴《うった》えたのであります。けれどそれは許《ゆる》されませんでした。 「だれか、もらいてがあるといいんだがな。」 「警察《けいさつ》へつれていくと、一ぴき三十|銭《せん》になるぜ。君《きみ》つれていかないか?」 「ばかにするない。晩《ばん》に、どこかへ、リヤカーに載《の》せて捨《す》ててきてやろう。」と、小僧《こぞう》さんたちは、そんな話《はなし》をしていたのです。これを聞《き》いた、母犬《おやいぬ》は、おどろきました。なぜなら、たとえしんせつそうに見《み》える人間《にんげん》でも、そうしたことをやりかねないからです。 「私《わたし》も、はじめは、何不自由《なにふじゆう》なく、かわいがられたものだ。それを、どういうわけか、いつからともなくきらわれて、私《わたし》は、ついに、おいてきぼりにされて、飼《か》い主《ぬし》は、どこへかいってしまった。私《わたし》は、いまでも、その人《ひと》たちをなつかしく、慕《した》わしく思《おも》っているばかりでなく、ご恩《おん》を受《う》けたことを、けっして忘《わす》れはしない。けれど、こんなことがあってから、人間《にんげん》を信《しん》じていいものかわからなくなった……。」と、母犬《おやいぬ》は考《かんが》えました。  母犬《おやいぬ》は、だれにも、気《き》づかれない間《ま》に、小犬《こいぬ》たちをつれて、そこからほど隔《へだ》たった、ある森《もり》の中《なか》に引《ひ》っ越《こ》してしまいました。  その森《もり》は、ある大《おお》きな屋敷《やしき》の一|部《ぶ》になっていたのです。破《やぶ》れた垣根《かきね》からは、犬《いぬ》ばかりでなく、近所《きんじょ》に住《す》む人間《にんげん》の子供《こども》たちも、ときどき、出入《でい》りをしました。秋《あき》になると、どんぐりの実《み》が落《お》ちれば、また、くりの実《み》なども落《お》ちるのでありました。  母犬《おやいぬ》と小犬《こいぬ》が、この森《もり》の中《なか》にうつったのは、まだ春《はる》のころでありました。人間《にんげん》の子供《こども》たちが、いたずらをしに、容易《ようい》に近《ちか》づかれないように、いばらや、竹《たけ》のしげった一|本《ぽん》の木《き》の根《ね》のところに、穴《あな》を深《ふか》く掘《ほ》って、その中《なか》にすんだのであります。やっと、安心《あんしん》をした母犬《おやいぬ》は、かわいい子供《こども》たちを、かわるがわるなめてやりながら、 「ここなら、雨《あめ》もあたらないし、また、だれからも追《お》いたてられたり、じゃまにされたりすることもないだろう。私《わたし》たちが人間《にんげん》になつくのは心《こころ》の底《そこ》からだけれど、人間《にんげん》は気《き》まぐれで、捨《す》てもすれば、また、ちょっとしたことでも、ひどくなぐったりする。だから、人間《にんげん》をほんとうに信《しん》じてはならない。おまえたちは、ほかの犬《いぬ》たちのように、りっぱな小舎《こや》にすむことができず、また、おいしいものを食《た》べられなくても、それをうらやましがってはならない。そのかわりお母《かあ》さんが、いつでもなにかさがしてきてあげるから……。」と、母犬《おやいぬ》は、よく小犬《こいぬ》たちにいいきかせました。  母犬《おやいぬ》は、自分《じぶん》が、空腹《くうふく》を感《かん》じているときでも、なにか食《た》べ物《もの》を見《み》つければ、すぐに子供《こども》たちのいるところへ持《も》ってきました。また、途中《とちゅう》で、なにかもの音《おと》がすると、それが、小犬《こいぬ》たちのいる森《もり》の方《ほう》からでなかったかと、どこででも、立《た》ち止《ど》まって耳《みみ》をすましたのです。その間《あいだ》を、小犬《こいぬ》たちは、穴《あな》の中《なか》から、首《くび》をのばして、母犬《おやいぬ》が、なにかうまいものを持《も》ってきてくれるのを、いまかいまかと待《ま》っていました。そして、あまり、その帰《かえ》りがおそいと、クンクンと、鼻《はな》をならし、また、低《ひく》く悲《かな》しげにないたのであります。  これをききつけて、あわれな母犬《おやいぬ》は、大急《おおいそ》ぎでもどりました。 「さあ、さあ、待《ま》たしてわるかった。今日《きょう》はいままで歩《ある》いたけれど、なにも見《み》つからなかったのだよ。私《わたし》の乳《ちち》をあげるから、これで、がまんをしておくれ。」と、自分《じぶん》のひもじさも、疲《つか》れもすべて、忘《わす》れて、三びきの小犬《こいぬ》をふところに、母犬《おやいぬ》は抱《だ》いたのです。  ある日《ひ》のこと、母犬《おやいぬ》の留守《るす》の間《ま》に、酒屋《さかや》の小僧《こぞう》がやってきて、一ぴきの小犬《こいぬ》をさらってゆきました。 「いい犬《いぬ》の子《こ》があったら、ほしいものだ。」と、頼《たの》んだ家《うち》がありましたので、そこへ持《も》ってゆくつもりでありました。  母犬《おやいぬ》は、森《もり》の穴《あな》に帰《かえ》ってみると、一ぴきの子供《こども》がいませんので、どこへいったろうと、心配《しんぱい》しました。暗《くら》くなっても、まだ、小犬《こいぬ》はもどってきませんでした。母犬《おやいぬ》は、きちがいのようになって、あたりをさがしまわりました。とうとう夜《よ》じゅう、かなしい声《こえ》をたててなきあかしたのです。その声《こえ》は町《まち》の方《ほう》まできこえてきました。 「かわいそうに、もし人間《にんげん》が、自分《じぶん》の子供《こども》がいなくなったらどんなだろう?」と、酒屋《さかや》のかみさんは、思《おも》いました。  小僧《こぞう》さんも、またかわいそうに思《おも》ったのか、翌日《よくじつ》、昨日《きのう》さらっていった小犬《こいぬ》を、もう一|度《ど》森《もり》の中《なか》までつれてきて、「おいしいものをたべさして、かわいがってくださるお家《うち》があるのだよ。」と、母犬《おやいぬ》に向《む》かってよくさとしました。すると、その意味《いみ》がわかったとみえて、母犬《おやいぬ》は尾《お》をふって、もらわれてゆくわが子《こ》をさびしそうに見送《みおく》っていたのです。 底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社    1977(昭和52)年6月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館    1932(昭和7)年3月 ※表題は底本では、「森《もり》の中《なか》の犬《いぬ》ころ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:藤井南 2015年12月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。