夏とおじいさん 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)街《まち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)五|階《かい》 -------------------------------------------------------  ある街《まち》に、気《き》むずかしいおじいさんが住《す》んでいました。まったく、独《ひと》りぽっちでおりましたけれど、欲深《よくふか》なものですから、金《かね》をためることばかり考《かんが》えていて、さびしいということなど知《し》りませんでした。 「おじいさんは、おひとりで、おさびしくありませんか?」と、独《ひと》り者《もの》のおじいさんの身《み》の上《うえ》を思《おも》って、なぐさめるものがあると、 「仕事《しごと》にいそがしいから、そんなことは考《かんが》えませんよ。」と、おじいさんは、さびしいとか、さびしくないとかいうのは、閑人《ひまじん》のいうことだとばかりに返事《へんじ》をしました。 「それは、お元気《げんき》で、なによりけっこうなことです。」と、たずねた人《ひと》は、金《かね》がもうかれば、さびしくないものとみえる、さすがに、金持《かねも》ちはちがったものだと思《おも》いました。  おじいさんは、雇《やと》い人《にん》を手足《てあし》のごとく使《つか》いました。雇《やと》い人《にん》たちは、おじいさんの気《き》むずかしやを知《し》っていますから、せっせといいつけどおり働《はたら》いたのです。そして、自分《じぶん》の思《おも》ったように物事《ものごと》がうまくゆけば、にこにことして、おじいさんは、きげんがよかったけれど、うまくゆかないときには、 「おまえは、気《き》がつかん、ばかだから。」といって、がみがみしかったのであります。  雇《やと》い人《にん》は、たまりかねて、 「あんなわからずやには、罰《ばち》があたればいい。」と、思《おも》っていました。ところが、おじいさんはリューマチの気味《きみ》で、夏《なつ》のはじめごろから、手足《てあし》がよくきかなくなりました。 「とうとう、神《かみ》さまが、罰《ばち》をおあてなされたのだ。これからは、私《わたし》どもにもやさしくしてくださるだろう。」と、雇《やと》い人《にん》たちは、いったのであります。  ところが、その反対《はんたい》で、体《からだ》こそよく自由《じゆう》はきかなかったが、ますます口《くち》やかましくなって、それに自分《じぶん》が不自由《ふじゆう》で、思《おも》うようにならぬところから、かんしゃくを起《お》こして、使《つか》っているものに、小言《こごと》をいったのです。  それでも、みんなは、「病人《びょうにん》だから、だまっておれ。」と、我慢《がまん》をしていました。  日《ひ》にまし、あつくなると、はえや蚊《か》が、だんだん多《おお》く出《で》てきました。はえは遠慮《えんりょ》なく、おじいさんのはげた頭《あたま》の上《うえ》にとまりました。 「この畜生《ちくしょう》め。」といって、おじいさんは、うちわを頭《あたま》の上《うえ》にやって、はえをたたこうとしました。はえは、すばしこく逃《に》げて、また、おじいさんがじっとしていると、頭《あたま》の上《うえ》にきてとまりました。 「ふといやつだ、おれをからかっているな。」と、おじいさんは、顔《かお》を赤《あか》くして怒《おこ》りました。しかし、はえのことですから、怒《おこ》ってみるだけで、どうすることもできません。  また、晩《ばん》になると、蚊《か》がやってきて、おじいさんを、ちくちくと刺《さ》しました。 「おれが、手足《てあし》がきかないと思《おも》って、蚊《か》までがばかにする。」と、おじいさんは、怒《おこ》ったのであります。  はえや、蚊《か》に対《たい》する腹《はら》だたしさが、つい雇《やと》い人《にん》のほうへまわってきましたから、たまりません。せめて、この夏《なつ》の間《あいだ》なり、涼《すず》しい山《やま》の温泉《おんせん》にでもまいられたらといって、おじいさんにすすめました。  おじいさんは、いい考《かんが》えだといって、喜《よろこ》ぶと思《おも》いのほか、 「仕事《しごと》のいそがしい体《からだ》で、そんなところへゆけるものか? 私《わたし》は、あのビルディングの五|階《かい》の事務所《じむしょ》で、夏《なつ》を過《す》ごすつもりだ。」と、答《こた》えました。 「なるほど、それは、いいお考《かんが》えでございます。」と、温泉行《おんせんゆ》きをすすめた雇《やと》い人《にん》は、頭《あたま》をかいて下《さ》がりました。  おじいさんは、いよいよビルディングへ移《うつ》って、高《たか》い五|階《かい》の室《しつ》で住《す》むようになってから、はたして、はえも、蚊《か》もこなければ、涼《すず》しい風《かぜ》がはいって、それはけっこうでありました。 「なぜ、早《はや》くここへこなかったろう。」と、おじいさんは、大喜《おおよろこ》びでしたが、雇《やと》い人《にん》は、ますます手足《てあし》のごとく使《つか》われて、上《あ》がったり、下《お》りたりするので、ほんとうにやりきれなくなりました。ちょうど、そのおりのことです。ビルディングのエレベーターに故障《こしょう》ができて、止《と》まってしまった。その修繕《しゅうぜん》には、五、六|日間《にちかん》かかるそうです。雇《やと》い人《にん》たちは、頭《あたま》を集《あつ》めて、 「こんなときにでも、おじいさんを困《こま》らして、平常《へいじょう》、手足《てあし》のように働《はたら》いている、みんなのありがたみを知《し》らしてやれ。」と、相談《そうだん》しました。  それで、みんなが、仕事《しごと》を休《やす》んでしまうと、体《からだ》の自由《じゆう》がきかないおじいさんですから、まったく困《こま》ってしまいました。 「不埒《ふらち》のやつどもだ。よくも、私《わし》をひどいめにあわしたな。」と、おじいさんは、怒《おこ》りましたけれど、よく考《かんが》えれば、自分《じぶん》が無理《むり》だったので、いつでも、みんなが、自分《じぶん》のどんな命令《めいれい》でもきくものと思《おも》ったからです。 「そうだ。おれは、もっと謙遜《けんそん》にならなければならない。そして、人《ひと》を信《しん》じなければならない。この世《よ》の中《なか》は、おたがいに助《たす》け合《あ》わなければならぬところだ。」と、悟《さと》りました。  おじいさんは腹《はら》がへると、かごの中《なか》へ、紙片《かみきれ》に字《じ》を書《か》いて、それといっしょに銭《ぜに》をいれて、細《ほそ》ひもで、するすると五|階《かい》の窓《まど》から、下《した》の通《とお》りへおろしました。その紙片《かみきれ》には、 「もし、このお金《かね》で、パンを買《か》って、この中《なか》へいれてくださればしあわせです。そして、あなたの手間賃《てまちん》もお引《ひ》きください。」と、書《か》いてありました。  おじいさんは、しばらくして、かごを引《ひ》き上《あ》げると、その中《なか》には、できたてのやわらかなパンがはいっていました。そして釣《つ》り銭《せん》も、ちゃんとはいっていたのです。  赤々《あかあか》とした、夏《なつ》の太陽《たいよう》は、高《たか》いビルディングと、人《ひと》の歩《あゆ》む白《しろ》い路《みち》をいきいきと彩《いろど》り、照《て》らしていました。おじいさんは、正《ただ》しい道《みち》を悟《さと》ったばかりに、それからは、雇《やと》い人《にん》にも尊敬《そんけい》され、ひとりぽっちでさびしくなく、体《からだ》がきかなくても、何不自由《なにふじゆう》なく、暮《く》らすことができたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社    1977(昭和52)年6月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館    1932(昭和7)年3月 初出:「國民新聞」    1931(昭和6)年7月12日 ※表題は底本では、「夏《なつ》とおじいさん」となっています。 ※初出時の表題は「夏とおぢいさん」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:津村田悟 2018年7月27日作成 2018年9月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。