青い石とメダル 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)犬《いぬ》 -------------------------------------------------------  犬《いぬ》ころしが、はいってくるというので、犬《いぬ》を飼《か》っている家《うち》では、かわいい犬《いぬ》を捕《と》られてはたいへんだといって、畜犬票《ちくけんひょう》をもらってきてつけてやりました。  しかし、かわいそうなのは、宿《やど》なしの犬《いぬ》でありました。寒《さむ》い晩《ばん》も、あたたかい小舎《こや》があるのでないから、軒下《のきした》や、森《もり》の中《なか》で、眠《ねむ》らなければなりません。また、だれも、畜犬票《ちくけんひょう》などをもらってきて、つけてくれるものがなかったのです。  勇《ゆう》ちゃんは、外《そと》を歩《ある》いているとき、いろいろの犬《いぬ》を見《み》ました。首輪《くびわ》に、札《ふだ》のついているのは、どこを歩《ある》いていても、安心《あんしん》だから、べつになんとも思《おも》わなかったけれど、なかには、首輪《くびわ》のないもの、また、首輪《くびわ》はあっても、札《ふだ》のついていないものがありました。それらの犬《いぬ》たちは、捨《す》てられたか、森《もり》や、空《あ》き家《や》の中《なか》で生《う》まれたかして、まったく飼《か》い主《ぬし》のないものでありました。  しっかりした人間《にんげん》の助《たす》けを受《う》けているものと、なんの助《たす》けもないものと、どちらがしあわせでありましょう? 「犬《いぬ》ころしに見《み》つかったら、いつ捕《つか》まえられてしまうかしれない。」と、勇《ゆう》ちゃんは、札《ふだ》のない犬《いぬ》を見《み》るとあわれに思《おも》いました。そして、そのたびに、クロのことが、心配《しんぱい》でならなかったのでした。  勇《ゆう》ちゃんの、かわいがっているクロは、やはり、宿無《やどな》し犬《いぬ》であります。森《もり》の中《なか》で生《う》まれて、森《もり》の中《なか》で大《おお》きくなったので、めったの人《ひと》にはなつきませんでしたが、勇《ゆう》ちゃんは、自分《じぶん》のもらったお菓子《かし》を分《わ》けてやったり、また、魚《さかな》の骨《ほね》があれば、わざわざ持《も》っていってやったり、平常《ふだん》から、クロをかわいがっていましたので、クロは、だれよりも、いちばん勇《ゆう》ちゃんになついていました。  ほかの人《ひと》が、クロを呼《よ》ぶと、すぐ近《ちか》くまできて、尾《お》を振《ふ》るけれど、けっして、頭《あたま》をなでようとしても、そばへはきませんでした。そして、注意深《ちゅういぶか》く、相手《あいて》の顔色《かおいろ》をうかがっていました。勇《ゆう》ちゃんが呼《よ》ぶと、勇《ゆう》ちゃんだけには、安心《あんしん》しているとみえて、そばへ寄《よ》り、足《あし》もとへからだをすりつけました。そして、頭《あたま》をなでてやると、目《め》を細《ほそ》くして、クン、クンといって喜《よろこ》びました。だから、勇《ゆう》ちゃんが、クロをかわいがるのも無理《むり》はありません。 「ねえ、お母《かあ》さん、クロを家《うち》の犬《いぬ》にしてくださいませんか。」と、勇《ゆう》ちゃんは、たびたび、頼《たの》んだのであります。  いつも、お母《かあ》さんは、こころよい返事《へんじ》をしてくださいませんでした。 「生《い》きものを飼《か》うのは、めんどうです。しまいには、その世話《せわ》を私《わたし》がしなければなりませんから……。」と、おっしゃいました。 「いいえ、お母《かあ》さん! 僕《ぼく》が、犬《いぬ》の世話《せわ》をします。」と、勇《ゆう》ちゃんは、いいましたけれど、お母《かあ》さんは、なかなかそれをお信《しん》じになりませんでした。  また、あるときは、勇《ゆう》ちゃんがしつこく頼《たの》むと、お母《かあ》さんは、 「いつかも、おまえがそういって、小鳥《ことり》を飼《か》ったことがあるが、その世話《せわ》は、みんなお母《かあ》さんがしなければならなかったじゃありませんか? 小鳥《ことり》とちがって、犬《いぬ》の世話《せわ》は、私《わたし》にはできませんから。」と、おっしゃいました。  勇《ゆう》ちゃんは、お母《かあ》さんに頼《たの》んでも、望《のぞ》みがないと思《おも》いましたから、こんど、お父《とう》さんにお願《ねが》いしてみようと考《かんが》えました。そして、お父《とう》さんが、承知《しょうち》してくだされたなら、そのときは、お母《かあ》さんだって、許《ゆる》してくださるにちがいないと思《おも》ったのでした。 「よう、お父《とう》さん! クロをうちの犬《いぬ》にしてください。」  勇《ゆう》ちゃんは、役所《やくしょ》からお帰《かえ》りになった、お父《とう》さんの頸《くび》ったまにすがりついてねだりました。さすがにお父《とう》さんは、自分《じぶん》が子供《こども》の時分《じぶん》、犬《いぬ》や、ねこや、小鳥《ことり》や、そうした動物《どうぶつ》がすきだったばかりでなく、飼《か》ったことの経験《けいけん》があるので、頭《あたま》からいけないとは、いわれませんでした。そして、クロという犬《いぬ》は、どんな犬《いぬ》だと、くわしく、勇《ゆう》ちゃんから、ようすをおききになりました。  勇《ゆう》ちゃんは、知《し》るかぎり、クロのりこうなことを話《はな》しました。 「そりゃ、クロという犬《いぬ》はりこうなんですよ。僕《ぼく》とならいっしょについてゆきますけれど、ほかの人《ひと》には、ついてゆかないのです。僕《ぼく》といっしょでも、すこし遠《とお》くへゆくと、さっさと独《ひと》りで帰《かえ》ってしまいます。自分《じぶん》に、鑑札《かんさつ》がないということを知《し》っているんですね。」  こう、いいますと、お父《とう》さんは、うなずきながら、きいていられましたが、 「おまえのいうとおりです。しかし、そのクロばかりでありません。すべて野犬《やけん》はりこうなものです。だれも、保護《ほご》してくれるものがないから、自分《じぶん》の気《き》を許《ゆる》さないのです。そして、生《う》まれから、野《の》で育《そだ》った犬《いぬ》は、家《うち》へつれてきてもいつくものではないから、うちで飼《か》うなどと考《かんが》えずに、おまえが、かわいがってやれば、それでいいのです。」と、お父《とう》さんは、論《さと》されました。  なるほど、いつかないということが、勇《ゆう》ちゃんにもわかったから、このうえ無理《むり》にお父《とう》さんにお願《ねが》いしても、むだだと悟《さと》ったのでした。 「しかし、犬《いぬ》ころしに見《み》つかったら、つれていってしまわれるだろう……。」と思《おも》うと、どうしたらいいだろうかと気《き》をもんだのでした。  晩《ばん》に、森《もり》の方《ほう》で犬《いぬ》のなき声《ごえ》がしたり、昼間《ひるま》でも、犬《いぬ》がやかましくほえて、あたりがなんとなく騒《さわ》がしく感《かん》ぜられると、犬《いぬ》ころしが、やってきたのでないかしらん、そして、クロが、つかまったのでないかしらんと、胸《むね》がどきどきしました。勇《ゆう》ちゃんは、外《そと》へ飛《と》び出《だ》していって、クロの姿《すがた》を見《み》るまでは、安心《あんしん》されなかったのであります。  ある日《ひ》、勇《ゆう》ちゃんは、徳《とく》ちゃんが、銅製《どうせい》のメダルを持《も》っているのを見《み》ました。そのメダルは、ちょうど、畜犬票《ちくけんひょう》が、古《ふる》くなったような、大《おお》きさも、色合《いろあ》いも、そっくりでありましたので、もしこれを犬《いぬ》の首輪《くびわ》にぶらさげておいたら、だれの目《め》にも、畜犬票《ちくけんひょう》と見《み》えるであろうと思《おも》いました。 「徳《とく》ちゃん、そのメダルを、僕《ぼく》にくれない?」 と、勇《ゆう》ちゃんは、いいました。  徳《とく》ちゃんは、目《め》をまるくして、驚《おどろ》いたというようなようすをして、 「これは、僕《ぼく》、やっと人《ひと》からもらった大事《だいじ》なやつなんだぜ。デッドボールの優勝《ゆうしょう》メダルだからな。」と、徳《とく》ちゃんは、答《こた》えました。 「なにかと交換《こうかん》しようよ。」と、勇《ゆう》ちゃんは、いったのです。 「どんなものと?」 「万年筆《まんねんひつ》と……。」 「いつかのかい、あんなものはいやだ。だってプラチナがなくなって、そのうえ、こわれているんじゃないか? あんなもの、字《じ》なんか書《か》けやしないもの。」 「じゃ、僕《ぼく》の持《も》っているもので、なんでも、君《きみ》の好《す》きなものと換《か》えてくれないか。」  勇《ゆう》ちゃんが、こういうと、徳《とく》ちゃんは、メダルを勲章《くんしょう》のように、自分《じぶん》の胸《むね》のあたりにつけるまねをしてみせました。 「いつか、僕《ぼく》に見《み》せた、あの青《あお》い石《いし》となら、換《か》えてもいいよ。」  ややしばらくしてから、徳《とく》ちゃんが、こう答《こた》えました。 「あの、僕《ぼく》が、田舎《いなか》から持《も》ってきた、青《あお》い石《いし》かい?」  こんどは、勇《ゆう》ちゃんが、目《め》をまるくしたのです。 「ああ、あの青《あお》い石《いし》となら、換《か》えてもいいな。」と、徳《とく》ちゃんは、勇《ゆう》ちゃんの顔《かお》を見《み》ました。 「あの、青《あお》い石《いし》は、大事《だいじ》なんだがなあ。」と、勇《ゆう》ちゃんは、考《かんが》えていました。 「あの石《いし》でなければ、僕《ぼく》も、いやだ!」と、徳《とく》ちゃんが、いいました。 「万年筆《まんねんひつ》だといいのだがなあ……。君《きみ》、万年筆《まんねんひつ》では、だめかい?」 「あんな、君《きみ》んちの、姉《ねえ》さんの持《も》っていた、お古《ふる》なんかいやだ。」 「じゃ、青《あお》い石《いし》と換《か》えようよ。」と、勇《ゆう》ちゃんは、メダルがほしいばかりに、つい決心《けっしん》しました。 「ああ、換《か》えよう!」  徳《とく》ちゃんは、青《あお》い石《いし》が、前《まえ》から、ほしかったので、にっこりしました。勇《ゆう》ちゃんは、自分《じぶん》の家《うち》へ青《あお》い石《いし》を取《と》りに駆《か》けてゆきました。  この、青《あお》い石《いし》というのは、勇《ゆう》ちゃんが、夏休《なつやす》みに、遠《とお》い北《きた》のおばあさんのところへいったとき、垣根《かきね》のきわの、道《みち》の上《うえ》に頭《あたま》を出《だ》していたのです。あまりに、青《あお》くて、きれいだったので勇《ゆう》ちゃんは、棒《ぼう》きれでいっしょうけんめいに、その石《いし》を掘《ほ》り出《だ》しました。そして、野《の》ばらの咲《さ》く里川《さとかわ》で、その石《いし》を洗《あら》いました。石《いし》は水《みず》にぬれると、空《そら》の色《いろ》よりも、もっと青《あお》い色《いろ》をしていました。  勇《ゆう》ちゃんといっしょに、青《あお》い石《いし》は、暗《くら》い長《なが》い、トンネルを汽車《きしゃ》で通《とお》って、知《し》らない他国《たこく》へきたのでした。そして、知《し》らない町《まち》の空《そら》の下《した》で、じっと太陽《たいよう》を見上《みあ》げました。石《いし》は、ものをいいませんが、どんなに心細《こころぼそ》かったかしれません。勇《ゆう》ちゃんが、この大事《だいじ》な石《いし》を、友《とも》だちに見《み》せると、 「いい石《いし》だなあ。」と、良《りょう》ちゃんも、徳《とく》ちゃんも、善《ぜん》ちゃんも、ほめたのでした。  それから、勇《ゆう》ちゃんは、石《いし》をひきだしの中《なか》にいれて、ときどきだしてみました。この石《いし》を見《み》るといつでも、田舎《いなか》のおばあさんの顔《かお》や、おばあさんの家《うち》のいけがきや、白《しろ》い野《の》ばらの咲《さ》いている里川《さとかわ》の景色《けしき》が、ありありと浮《う》かんで見《み》えたのでした。  しかし、青《あお》い石《いし》よりは、クロの命《いのち》のほうが、はるかに大事《だいじ》であったからです。勇《ゆう》ちゃんは、石《いし》と取《と》り換《か》えたメダルをクロのくびにつけてやりました。そのためか、あるいは、クロがりこうで、用心深《ようじんぶか》かったためか、ほかの野犬《やけん》が、幾《いく》ひきも捕《つか》まえられていったのに、クロだけは、無事《ぶじ》でありました。 「あんなに、勇治《ゆうじ》が犬《いぬ》をかわいがるのだから、ほんとうの鑑札《かんさつ》を受《う》けてやろうか。」と、ある日《ひ》勇《ゆう》ちゃんのお父《とう》さんは、クロが喜《よろこ》んで、勇《ゆう》ちゃんに飛《と》びついているようすを見《み》て、こういわれたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社    1977(昭和52)年6月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第6刷発行 底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館    1932(昭和7)年3月 初出:「婦人倶楽部」    1932(昭和7)年1月 ※表題は底本では、「青《あお》い石《いし》とメダル」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:藤井南 2015年12月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。