第二海豹と雲 北原白秋 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)深山懸巣《みやまかけす》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)音|爆《は》ぜて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)窻 ------------------------------------------------------- [#1字下げ]古代新頌[#「古代新頌」は大見出し] [#2字下げ]懸巣[#「懸巣」は中見出し] 飛べよ、深山懸巣《みやまかけす》、 神神はまた目ざめぬ。 磐が根に注連縄《しめ》ひきはり、 幣帛《みてぐら》にしで結《ゆ》ひ垂れ、 真榊の、鏡葉の音さやさやに うち清めて。 啼けよ早や深山懸巣《みやまかけす》、 日は若し、かの稚神《をさながみ》、 ひむがしはすでにかぎろふ。 [#2字下げ]菊盛り[#「菊盛り」は中見出し] 少女《をとめ》たち、黄菊には古代のかをりがある。 純粋に日本の寂びと気品がある。 ああ、この静かな菊の香《か》の苑《その》に坐《すわ》らう。 少女《をとめ》たち、黄菊《きぎく》には九重のみけしきがある。 雲の上の日と月のにほひもする。 わかい帝《みかど》の御いきづかひが聞える。 少女《をとめ》たち、黄菊には御鏡の明りがある。 森厳な賢所のみけはひも澄む。 皇后宮《くわうごうのみや》も白い唐衣でお出ましになる。 少女《をとめ》たち、黄菊には紫宸殿の午後が光る。 高御倉《たかみくら》の金《きん》の鳳、玉旛《ぎよくばん》の玉や、青地錦、 かうがうしい黄櫨染《くわうろぜん》の御袍《ぎよはう》も拝される。 少女《をとめ》たち、黄菊には聖駕《みくるま》の軋みもこもる。 儀仗兵の旗槍もちらちらつづく。 ああさうして、日本の民族の新らしい祝福が来《く》る。 [#1字下げ]白き花鳥図[#「白き花鳥図」は大見出し] [#2字下げ]みづのうへ[#「みづのうへ」は中見出し] しろがねのさざなみみれば くれなゐのはちすのにほひふふむらむ。 つくばえのあかれるみれば、ささにごり、 おしどりのつがひのおよぎしぬばるる。 はてなきかもよ、よひよひの みのわひろごるわがこころ。 [#1字下げ]風を祭る[#「風を祭る」は大見出し] [#2字下げ]冬の野[#「冬の野」は中見出し] 寂びつくす冬のながめを 小さき騎士馬駈けにけり。 いまぞ撤け、黄の飛行船、 消息の銀のちらちら。 [#2字下げ]十月の都会風景[#「十月の都会風景」は中見出し] 十月、 大都会東京の午後一時二時、 日光がばかに白かつた、立体的で。 市民は高層なビルヂングの近景を、 いつもの通り右往左往してゐた、豆のやうに、 紅や青や紫や、パラソルの花、花、花、 自動車は疾駆した、旋廻した、昆虫の騒乱。 俺は空想した。ああ、この瞬間。 カーキ色の飛行船が爆発した、空の遥かで。 ぷすとただ光つて消えた点、――人、人、人。 十月、 誇張すると天を摩す屋上庭園の酒卓で 俺は古風な遠眼鏡を引伸ばしながら、 いつか失《な》くした童心を探索してゐる。 [#1字下げ]珠数工の夜[#「珠数工の夜」は大見出し] [#2字下げ]良夜[#「良夜」は中見出し] よい花は空気をおくる。 落下傘《パラシユウト》月から放つ。 ああ、よいむすめよ、 今晩は笛が鳴ります。 [#2字下げ]孔雀[#「孔雀」は中見出し] 青い孔雀の白い脛、 月はその爪みがいてる。 扇の冠、緑玉《エメラルド》、 そよりともせぬ闇のうち。 丈《たけ》の濃青《こあを》の、頬《ほ》の横を、 蒸すは黝朱《うるみ》の初夜の雲。 秘めよ、女性よ、すくなくも、 樫は花時、夜の時。 ああ、月は射す、刻刻に、 光は膝を匍ひのぼる。 張れよ、孔雀よ、尾の羽根の 渦の金紗の濃むらさき。 [#2字下げ]夜ふかき墓地[#「夜ふかき墓地」は中見出し] 夜《よ》ふかき墓地に 音《おと》して、 ささ[#「ささ」に傍点]とし、 落つる花あり。 幻ならず、 雲間に むらがる霊《たま》の しづまり。 闌《た》けたり、 花はおどろく、 ささ[#「ささ」に傍点]とし、 しきり落《お》ちつつ。 梢よ、 月に照られて、 音あり、 暗き葉をうつ。 [#2字下げ]歩みつつ[#「歩みつつ」は中見出し] 聖上の御悩《ごなう》重らせたまひぬ。 ああ、日の暮、 寒靄《かんもや》に人ゆき消え、 立木くろずみ、 公園の辻、ポスト赤し。 聖上の御悩《ごなう》重らせたまひぬ。 街《まち》の方、 鈴、車、ラヂオ、人ごゑ、 此処にして立ち聴けば、ただ 何か深く、 また暗くとどろくなり。 聖上の御悩《ごなう》重らせたまひぬ。 靄に点くイルミネーシヨン、 高架線、 すれちがふ省線電車、 ああ、スパーク、 師走月、 風も吹く、風も吹くなり。 [#2字下げ]月に[#「月に」は中見出し] おほぎみのみやまひおもし、 おほぎみのみやまひおもし。 いたいけの掌《て》をあはせつつ、 みつよつの子もぬかづきぬ。 寒《かん》の月てらす玉垣、 霜はただふりそそぐなり。 [#2字下げ]冬[#「冬」は中見出し] 貧しい冬の横丁でも 煙突のけむり夜《よる》になり、 窻に灯のつく安ホテル、 月の反《そ》つたがなほとよい。 枯木は高い欅です。 [#1字下げ]童話の月[#「童話の月」は大見出し] [#2字下げ]白い月[#「白い月」は中見出し] 白い月ゆゑ、 昼の千鳥もつれないか。 波よ、来い来い、 坊やが浜から招きます。 白い波ゆゑ、 白い月ゆゑつれないか。 [#2字下げ]月と童[#「月と童」は中見出し] [#4字下げ]うちの子はまだ一年と五ヶ月である。このごろ初めて月を識つた。[#「うちの子はまだ一年と五ヶ月である。このごろ初めて月を識つた。」は1段階小さな文字] 月は童《わらべ》に笑《ゑ》みかける。 まだ日中《ひなか》ゆゑ遊べよと。 童《わらべ》は月を観て遊ぶ。 はじめて白い月を観て。 波の音《と》よ、 唐黍の毛のかすかな紅《べに》よ、 遠いあなたの笛の音よ。 [#2字下げ]なのりそ[#「なのりそ」は中見出し] [#4字下げ]とこしへに君もあへかもいさなとり海の浜藻のよるときどきを  衣通姫[#「とこしへに君もあへかもいさなとり海の浜藻のよるときどきを  衣通姫」は1段階小さな文字] なのりそといふ藻を まだ知らぬ女《め》の子《こ》よ、 なのりそといふ藻は 小鳥がたべる、 いんや、さかながたべる。 さて、ほんたうはおまへが、 もうすこしたたねばわかるまい。 ほれ見い、真珠《しんじゆ》いろの月が出てゐる。 [#2字下げ]月に飛ぶもの[#「月に飛ぶもの」は中見出し] 月の光がさしました。 枯れた葡萄に、 日時計に。 月の燻《いぶ》しになりました。 ちらばる色も、 縫ふ影も。 月に消え消《ぎ》え飛ぶものよ。 ほの紫の 連れ鳥よ。 月の遥かになりました。 見果てぬ夢よ。 あの頃よ。 [#2字下げ]月夜[#「月夜」は中見出し] 澄《す》みきつた中天《ちゆうてん》に めり込んだ小《ち》ひさな満月、 白孔雀の尾だ、あの円光は。 [#ここから2字下げ] 起きて来い、坊や、 ふり仰《あふ》げ、真上《まうへ》を。 小《ち》つちやい、小《ち》つちやい坊や。 [#ここで字下げ終わり] [#2字下げ]あけがた[#「あけがた」は中見出し] ほのあかい蓮《はす》の蕾は 露にすずしい水鳥の 胸ふくらめてゐるやうで、 ほのぼのと夜が明けまする。   『パン屋さん、お早う。』   『や、お早う。』 [#2字下げ]春朝[#「春朝」は中見出し] ほのかなるそよ風のうち、 わが頬早や春を感じぬ。 ああ、わが子よ、 庭に来よ、善きものや見む、 善き朝《あした》、善き善きしめり、 をさなかる蝶もうまれむ。 白き白き光して来む。 [#1字下げ]海豹と雲[#「海豹と雲」は大見出し] [#2字下げ]童貞女[#「童貞女」は中見出し] [#ここから4字下げ] [#ここから30字詰め] [#ここから1段階小さな文字] 北海道函館の郊外、湯の川といふところにトラピストの修女院があります。男子禁制の地です。天使園といふのがそれです。 [#ここで小さな文字終わり] [#ここで字詰め終わり] [#ここで字下げ終わり] 君こそは童貞女《をとめ》よ。 イエズス キリストの花嫁。 あかつきの鈴蘭。 月の夜の亜麻。 君こそは童貞女《をとめ》よ。 花時《はなどき》の天使園。 かがやきの歌弥撒《うたミサ》。 アンゼラスの鐘の音。 君こそは童貞女《をとめ》よ。 聖母マリヤの使《つか》ひ女《め》。 しろがねの微笑。 牛の乳《ち》しぼりの木履《サボ》。 君こそは修道女《しうだうめ》よ。 ローマ、カトリツクの寵児《まなご》。 燃えそめし聖燈《みあかし》。 葡萄棚の駒鳥。 君こそは君こそはまこと童貞女《をとめ》よ。 昼見えぬ小《ちひ》さき星。 向日葵を刈る間《ま》も 主へかよふくちつけ。 [#2字下げ]蜃気楼[#「蜃気楼」は中見出し] 帆のかげか、 船か、そは、 体《たい》はなし、 ただすすみぬ。 オホーツクの 海のはて、 時あかる 縁《ふち》、しろがね。 たよりなし、 うそさむし、 かひやぐら 黄《き》に、うつつに。 神ありや、はた虚《むな》しや、 かもかくに 思ふ我のみ。 海阪《うなざか》や、 越えなづむ 波、波、波、 ただうねりぬ。 [#2字下げ]半島旅情[#「半島旅情」は中見出し] 金色《こんじき》の 円き月 炎はなち、 山のきは はや黒し、 冴えかへりて。 ただ畳む 入江、岬 波、漣。 遠遠し、 また近し、 この明さを。 松が根の はだら雪 まだ凝《こご》りて。 人はゆく ひたひたと、 影はつけぬ。 [#2字下げ]柘榴[#「柘榴」は中見出し] 柘榴は飛ぶ 人の手より、 空中の 円光と赤。 海の波たうたうとして しろがねなり。 まぶしさ、 このはるけさ。 真昼の、せつない 一瞬の抛物線。 [#2字下げ]月の出前[#「月の出前」は中見出し] 夜はくらい。沖はしづんで、 寄せ波の音ばかりする。 [#ここから2字下げ] 闌《ふ》けて聴く浪の音には モーターのとどろきもする。 ぬか星に犬も吼えてる。 セメン樽ころがしてゐる。 [#ここで字下げ終わり] 月の出はまだまだ遅い。 横雲の断《き》れる寒さだ。 [#ここから2字下げ] 満潮《みちしほ》の闇の音には 饑そそる騒《ざわ》めきがある。 ただ一つ、向日葵か、いな、 突堤の、線の灯《ひ》あしだ。 [#ここで字下げ終わり] ああ、浜だ、燐の眼をした 人がゐる。ほういほういだ。 [#2字下げ]渚[#「渚」は中見出し] 日の光波に照り満ち、 ゆくところ頻吹《しぶ》かざるなし。 耿として わたれ、むら鳥、 目路《めぢ》遠く秋はあるなり。 [#1字下げ]春の蚊[#「春の蚊」は大見出し] [#2字下げ]身近な春[#「身近な春」は中見出し] しろい一重の木いちごに、 朱のレッテルのマッチ函、 昼は昼とて、 夜は夜とて、 身《み》ぢかな春のあかるさよ。 壺の一重の木いちごに、 擦るはマッチの燐のかず、 煙草ばつかり すひほけて、 あそぶこころのけぶたさよ。 [#2字下げ]寝すごした朝[#「寝すごした朝」は中見出し] すぐろな壺の もものはな、 ただ投げ挿した 枝の秀《ほ》に、 青くチヨピリと葉が萠えて、 いつか毛ばだつ蕋《しべ》のつや。 『おおい、煙草だ。』 春が逝く。 [#2字下げ]四月十一日[#「四月十一日」は中見出し] 向うに あかいもものはな、 棕櫚の葉に 鳴る 日のひかり。 蛾はまだ 飛べず、 この窻の 硝子に 羽うらひつつける。 [#2字下げ]電球[#「電球」は中見出し] 寝室に 薄き紫、 書斎には 白の燭光。 竹、 竹、 竹、 一つほつとり、 北窻に オレンヂの球《たま》。 夜はふけぬ、 ねむれ、鶯、 春の雪 幽かに沁《し》むや。 [#2字下げ]卓上[#「卓上」は中見出し] 青磁に金のほそきは 二三冊、鏡花全集、 しろい花、壺の木いちご、 蔓まろし、素焼の土瓶 湯気はまだそこらにふけど、 あてもなやわれの消息。 [#1字下げ]月夜孟宗の図[#「月夜孟宗の図」は大見出し] [#2字下げ]犬蓼の道[#「犬蓼の道」は中見出し] 犬蓼の花やらむ。 日に照りてこまごまし紅《べに》、 道も狭《せ》にこぼれ咲《さ》きたり。 その道を、 やうやくに拾ひ歩める 吾が愛児《まなご》なる。 虫も鳴け、露もあがれよ。 吾が子こそ地には立ちたれ、今日あきらかに。 [#2字下げ]夕[#「夕」は中見出し] 日天子、 月天子、 りりりと虫は鳴きまする。 子どもは母に添ひまする。 雁《かり》も野づらに落ちまする。 [#2字下げ]小謡[#「小謡」は中見出し] 篁《たかむら》に遊ぶ童《わらべ》は 素肌にて、 さびしかるらむ、一人にて、 前ゆすり、 後《あと》ゆすり、 竹の葉洩れの暑き陽《ひ》を ちりやちりちり、 ちりやちりちり、 見て楽しめり。 [#2字下げ]草の葉[#「草の葉」は中見出し] 小《ち》さき童《わらべ》のつむりにも 月の光はしたたれり。 草の葉しるき土のうへ、 影は風とし揺りそよぐ。 [#2字下げ]月光の曲[#「月光の曲」は中見出し] 母の乳《ち》に添ふみどり児の 小《ち》さきつむりのめづらしさ。 月の光に白萩の 夜はこぼれて香《か》ににほふ。 [#2字下げ]地上[#「地上」は中見出し] 竹のはやしは明るくて 秋風のみぞ満ちにける。 今宵《こよひ》まどけき月天子 かぐや姫をか召したまふ。 [#2字下げ]もくせい[#「もくせい」は中見出し] もくせいがにほふよ。 となりからにほふよ。 ひとりでゐればにほふよ。 たかむらにこもるよ。 月の光がみちたよ。 [#2字下げ]胡麻の実の秋[#「胡麻の実の秋」は中見出し] 胡麻の実は早くも肥えて、 ふたつづつ茎をはさみぬ。 胡麻の花下べよりちり、 秀《ほ》にのこる、まだほのあかし。 いとなめよ、地は震ふとも、 茎高《くきだか》に熟《う》れよ、胡麻の実。 ああ、秋よ、 つくづくと鳴く蝉あれば、 音|爆《は》ぜて  飛行機は飛ぶ、かの高天《たかあめ》に。 [#2字下げ]落栗[#「落栗」は中見出し] いが栗のあをきがうちは つくづくと鳴く蝉ありき。 栗は落ち、土《つち》は震へど、 日のあたりつねにかはらず、 落栗をひとりひろはむ。 [#2字下げ]蛾[#「蛾」は中見出し] かすかなは 白い蛾の まだ死なぬ翅《はね》。 みなぎるは 寺庭《てらには》の 残暑の陽《ひ》。 秋はやや 曳かれつつある 白い蛾の眼に映《はえ》るのみ。 光り、 かげり 息づきつつ。 [#2字下げ]風と蝶[#「風と蝶」は中見出し] 蝶を追ふ 光る風並《かざなみ》。 風並《かざなみ》の そよぐ青萱。 この道の はてしなさ。 空はあり、 空の奥。 風は追ふ。 蝶を追ふ。 [#2字下げ]良夜[#「良夜」は中見出し] 鮮麗なは良夜の 一二等星。 月のあるのを忘れて 童は飛ばしてゐる竹の蜻蛉を。 いつまでもいつまでも竹の蜻蛉は光つてゐる。 薄にまるまる露の二《ふた》たま ぽろんぽろんと何か鳴る。 [#2字下げ]初秋[#「初秋」は中見出し] 身について来た浪の音だよ。 竹の根の曼珠沙華だよ。 [#1字下げ]花楮[#「花楮」は大見出し] [#2字下げ]うた[#「うた」は中見出し] うたはただほのぼのとの、 よいにほひでの、 さいたばかしのはなのやうでの、 しなのたかい、いきづかひでの、 それはさびしいたましひのほほゑみでの、 さうありたいとおもふがの、 みなさまどうぢやの。 [#2字下げ]花の盛り[#「花の盛り」は中見出し] 花の盛りはちんころぐさの花でさへ、 ただもう、ふんはりとしましての、 よいにほひの、 好《す》いたらしいよいおいろの、 にくげといふものつゆもない。 花のさかりはよいもののう、 わかいうちぢや、 なんでもわかいうちぢやとよ。 [#2字下げ]閑か[#「閑か」は中見出し] 曇り日の あるかないかのそよ風に、 ほうつほうつと楊《やなぎ》の絮《わた》が飛ぶわいの、 かはせみの巣のあたりまで往《い》たわいの、 かはせみは居《を》らなんだよ、 ただ、いたちが疱瘡《はうさう》で寝てゐた。 [#2字下げ]へちま[#「へちま」は中見出し] [#4字下げ]小歌風[#「小歌風」は1段階小さな文字] 黄の花の二つや三つや、 棕櫚の葉ずゑに巻きのぼり、 ほつと、はづれて、 咲いさがりたり、 何花《なにばな》か、咲いさがりたり。 さて、知らぬとも、 すでについたる実《み》の形《なり》の ふらりひよろりとする実ゆゑ、 おもしろのへちまや、 おもしろのへちまやと、 妻が申しき。 妻が申しき。 [#2字下げ]秋[#「秋」は中見出し] 鴫が立つ、 鴫が立つ、 ただそれのみの秋でおりやるよ。 おりやるよ、のう、 そこな坊《ばう》さま、 いそがしやれよと、風も通つた。 [#2字下げ]雲水[#「雲水」は中見出し] ああもう秋ぢやな。 一所不住の沙門ぢやで、 山松風も聴いて行かうぞ。 花はかるかや、われもかう、 笹のほとりの女郎花、 ながめながめて見て行かう。 さて、白い 七|日《か》八|日《か》の月も見て、 昼餐《ひるげ》の料《しろ》やいただかう。 昼餐《ひるげ》の料《しろ》やいただかう。 [#2字下げ]豊干[#「豊干」は中見出し] 秋が深いで、 虎の瞳も深うなる。 山松風も高うなる。 だがな、寒山、 虎の背なかは温かいぞよ。 しつしつ、温かいぞよ。 [#2字下げ]唐子売[#「唐子売」は中見出し] [#4字下げ]南京小情[#「南京小情」は1段階小さな文字] 総角《あげまき》の唐子、唐子よ、 子を売ろよ、売ろよ、子を売ろ。   春の日は永《なが》や、のどかや、   ふれ売の大きな藺笠《ゐがさ》や。 黄《き》の服の唐子、唐子よ、 かつがれて、籠にゆられて。   春の日は永や、のどかや、   前うしろ傾《かし》ぐになひや。 幼子よ、唐子、唐子よ、 まろき目を寄せて、集めて。   春の日は永や、のどかや、   売られゆく身とも知らずや。 総角《あげまき》の唐子、唐子よ、 物珍《ものめづ》ら、街《まち》を眺めて。   春の日は永や、のどかや、   風吹けば絮《わた》の柳や。 選《え》りどりよ、唐子、唐子よ、 子を売ろよ、売ろよ、子を売ろ。   春の日は永や、のどかや、   水の江の橋の眼鏡や。 [#2字下げ]彼[#「彼」は中見出し] 美の、忍従の徳により、 彼は正しく讃《ほ》められん。 彼はただひとり寂《さ》びつつ、 いや高き「上無《うへな》き時《とき》」を楽しみぬ。 おのづから神に通ひぬ。 [#1字下げ]冬眠[#「冬眠」は大見出し] [#2字下げ]はつ冬[#「はつ冬」は中見出し] 住みついてゐても、はつ冬 豆柿の点点に来る 鳥のちひささ。 [#2字下げ]冬晴[#「冬晴」は中見出し] わたしは見てゐる、目白のむれを。 鈴なりの豆柿よ。冬晴《ふゆばれ》のあをぞらよ。 わたしは写してゐる、食《た》べほれてゐる目白の一羽を。 あ、ちよつとお待ち、鉛筆を削ります。 [#2字下げ]小禽[#「小禽」は中見出し] 目白だ。 こぼれるやうな目白だ。 あ、鵯が来た。 目白が散つた。 百舌が来た。 鵯が逃げた。 枝を移つた、翔《かけ》つた、百舌が。 ああ、冬ばれ、 鈴なりの赤い赤い豆柿。 わたしはまた、待つてゐる。 目白を、鵯を、百舌きちを。 [#2字下げ]十二月三日の薄暮[#「十二月三日の薄暮」は中見出し] ちちりちちり[#「ちちりちちり」に傍点]と、まだ、 鳴く虫がある。 子はつまづいてはづした 膝つこぶの関節。 月は黄いろに光らぬ 電灯《でんとう》の線である。 松風だ、松風だ。 鳥の毛のやうな飛び雲だ。 [#2字下げ]ざさんさ[#「ざさんさ」は中見出し] 枯枇杷の完き姿《すがた》、 雀と大きな百舌、 残り陽《び》の孟宗 ざさんさ、 めづらしい浪のざさんさ。 ああ、それだけの清明に、いま、 パッと電灯《でんとう》がついたのである。 ざさんさ ああ、ざさんさ。 [#2字下げ]美濃びとに[#「美濃びとに」は中見出し] ほうい ほうい ほうい、 霜が濃《こ》いぞ、鶫よ。 [#1字下げ]水郷の早春[#「水郷の早春」は大見出し] [#2字下げ]黒髪三品[#「黒髪三品」は中見出し] [#3字下げ]山色連天[#「山色連天」は小見出し] 葦《あし》の芽あをむ水《み》ぎはに、 黒髪梳くや子の母、 うなじの白さ、つめたさ、 遠山《とほやま》雪《ゆき》のはるけさ。 [#3字下げ]蜃気満海[#「蜃気満海」は小見出し] 黒髪|丈《たけ》に濡らして 裳の裾しぼる海女《あま》あり。 ついたちふつかの月ゆゑ、 夕汐騒《ゆふしほさゐ》のかすけさ。 [#3字下げ]煙霞有情[#「煙霞有情」は小見出し] 鼓うちつつ、冴えつつ、 舟にて通ふ沼の女、 芽柳《めやなぎ》かすむ朝とて 黒髪風になびきぬ。 [#1字下げ]金粉の靄[#「金粉の靄」は大見出し] [#2字下げ]馬[#「馬」は中見出し] [#4字下げ]旅こころ今日うら安し子を抱きて絵馬の馬など眺めまはりつ  信州別所北向観音[#「旅こころ今日うら安し子を抱きて絵馬の馬など眺めまはりつ  信州別所北向観音」は1段階小さな文字] 坊やよ、あの絵馬を見い。 ほうれ、馬が遊んでゐる。 白い馬、 葦毛の馬、 黒い馬、 跳《は》ね立つ馬、 寝《ね》てゐる馬、 並んで水をのんでゐる馬、 泳いでゐる馬、 向うの向うを眺めてゐる馬、 ふりかへる馬、 ひとりぽつちの馬、 出てくる馬、 消えてゆく馬、 何千何百とゐる馬、 裾野いつぱいの馬、 馬は馬同志群れてゐる。 風は薄を吹いてゐる。 底本:「白秋全集 5」岩波書店   1986(昭和61)年9月5日発行 底本の親本:「白秋全集第四巻」アルス   1931(昭和6)年1月17日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:岡村和彦 校正:大沢たかお 2012年8月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。