赤い土の壺 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)永禄《えいろく》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)四人|伴《づれ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)篙 -------------------------------------------------------  永禄《えいろく》四年の夏のことであった。夕陽の落ちたばかりの長良川《ながらがわ》の磧《かわら》へ四人|伴《づれ》の鵜飼《うかい》が出て来たが、そのうちの二人は二羽ずつの鵜を左右の手端《てさき》にとまらし、後《あと》の二人のうちの一人は艪《ろ》を肩にして、それに徳利《とくり》や椀《わん》などを入れた魚籃《びく》を掛け、一人は莚包《むしろづつみ》を右の小脇《こわき》に抱え、左の小脇に焼明《たいまつ》の束を抱えていた。皆同じように襤褸襦袢《ぼろじゅばん》を一枚着て腰簔《こしみの》をつけていたが、どこか体のこなしにきりっとしたところがあって、ぬらくらした土地の漁師のようでなかった。  そこは長良川の西岸で、東岸には稲葉山《いなばやま》が黄昏《ゆうぐれ》の暗い影を曳《ひ》いてそそり立っていたが、その頂《いただき》の城櫓《しろやぐら》の白壁には、夕陽の光がちらちらと動いていた。長良川の水はそのあたりで東岸に迫って流れ、西岸には広びろとした磧を見せていた。四人の鵜飼のうちで鵜を持ったほうの一人は、四十前後の痩《や》せぎすな男で、一人は三十五六の角顔《かくがお》の体のがっしりした男であった。そして、莚包と焼明を持っているのは、三十前後の背の高い鋭い眼《まなこ》をした男で、艪《ろ》を持っているのは、五十前後の背のずんぐりした白髪《しらが》の目だつ男であった。四人は昼の暑さのために葉を巻いていた川柳《かわやなぎ》がだらりと葉を延ばして、ひと呼吸《いき》つこうとでもしているように思われる処を通って、下手《しもて》の方へ往った。暑い陽《ひ》を吸うていた磧《かわら》の沙《すな》は鬼魅《きみ》悪くほかほかしていた。その時|莚包《むしろづつみ》と焼明《たいまつ》を持って背の高い男が、鵜《う》を持った角顔の男のほうを見て、 「鮎《あゆ》を獲《と》りたいものじゃが」  と云った。すると角顔の男は前岸《ぜんがん》の樹木の茂みの方をちらと見て、 「獲れるとも、この鵜さえうまく使えば」  と、云って顔で笑った。その拍子に右の手にとまった鵜が飛びたつように羽ばたきをした。莚包と焼明を持った背の高い男も前岸の方へちらと眼をやって、 「そうじゃ、鵜さえうまく使えば、鮎は獲れるに定《きま》っておる、鵜をうまく使うがかんじんじゃ」  と、これも顔で笑った。前岸の樹木の間には黒い大きな瓦屋根が微《かすか》に黒く見えていた。それは日蓮宗|法国寺《ほうこくじ》に属する法華寺《ほっけじ》の別院であった。他の二人の眼もちらとそれに往った。  本流から岐《わか》れた一条《ひとすじ》の流れが斜《ななめ》に来て磧《かわら》の裾《すそ》で岸の竹藪《たけやぶ》に迫っていたが、そこには二三|艘《そう》の小舟が飛《とび》とびに繋《つな》いであった。四人はその小舟の方へ往った。莚包と焼明を持った背の高い男は、また鵜を持った角顔の男の方を見て、 「寺へ入って和尚《おしょう》のような真似《まね》をしておるが、あの痴漢《しれもの》のことじゃ、どんな用心をしておるかも判らん」  と云いかけたところで、艪《ろ》を持っていた男が遮《さえぎ》って、 「鮎の用心なら知れたものじゃ、鮎の話は、まあ、舟へ乗ってからにしよう」  と云った。それを聞くと莚包《むしろづつみ》と焼明《たいまつ》を持った背の高い男は、首を縮《すく》めるようにして口をつぐんでしまった。そして、一行は無言になって磧《かわら》の裾《すそ》へ往った。  そこにはもう他に一組の鵜飼《うかい》がいて、がやがやと云いながら一|艘《そう》の舟をだしているところであった。四方《あたり》はもうすっかりと暮れていた。 「もう舟を出している者がある、後《おく》れないように出そう」  艪《ろ》を持っていた男がそう云い云い艪を舟の中へ入れた。すると莚包と焼明を持った男が、その手荷物を舟の中へ入れて、 「それでは舟を出そう」  と、云って竹藪の竹の根本を縛ってある縄のほうへ往った。底の浅い川舟は、やがてその底をざらざらと小石に当てながら流れに浮んだ。  星がまばらに見えだした。莚包と焼明を持っていた背の高い男の点《つ》けた焼明の火が舳《へさき》にとろとろと燃えだした。小舟は本流へ入って法華寺の別院の前を上流の方へ向っていた。  焼明の火は川のそこここに燃えだした。もう鵜飼がはじまったのであった。彼《か》の鵜飼の一行も鵜を水に入れた。角顔の体のがっしりした男が舳《へさき》の鵜匠《うじょう》になり、痩《や》せぎすな男が中の鵜匠になり、背の高い眼の鋭い男が篙工《さおとり》となり、背のずんぐりした白髪《しらが》の眼立っていた男が舟乗《ふなの》りとなって艪《ろ》を漕《こ》いでいた。二人の鵜匠にあやつられている鵜は、水の中に潜《もぐ》っては浮きあがり、浮きあがっては潜って魚《うお》を獲《と》った。鵜の口を逃れた魚はきらきらと腹をかえして、中には飛ぶのもあった。そして、鵜が四五|尾《ひき》の魚を喉《のど》に入れたと思う比《ころ》を見はからって、鵜匠は手縄《てなわ》を曳《ひ》いて舟に曳き寄せ、ぐいとその喉を絞って魚《うお》を執《と》るのであった。魚を吐かされてまた魚を覘《ねら》って往く鵜《う》の眼は青く澄んでいた。  五六|艘《そう》の鵜飼舟が云いあわしたように一列になった。舟乗りとなっている男は大きな声で云った。 「もうよかろう、それ位ありゃ、肴《さかな》にゃ十分じゃ、いいかげんに、無益《むえき》な殺生《せっしょう》はやめようじゃないか」  すると篙工《さおとり》となっていた背の高い男が云った。 「そうじゃ、そうじゃ、無益な殺生はやめよう、やめて早う一杯やろう」  舳《へさき》の鵜匠《うじょう》はちょとふり返って中の鵜匠の顔を見て、 「そうじゃなあ、これ位ありゃ、肴は十分ある」  と云った。中の鵜匠はすぐ応じた。 「やめてもよかろう、やめて別院の下の涼《すず》しいところへ往って、一杯やるとしょうか」  舳の鵜匠はまた云った。 「よかろう、別院の下なら涼しかろう」  二人の鵜匠は手縄を曳《ひ》いて鵜を舟にあげた。労役《ろうえき》を終った鵜は嬉しそうにそれぞれ羽ばたきをして、大きな喉《のど》を川風にふくらました。 「それでは別院の下へ往くとしょうか」  舟乗りとなっている男はそう云って舟の方向をぐるりとかえ、別院の方へ向けた。 「この世智辛《せちがら》い世の中に、皆、いい気なものじゃ」  右隣の舟から笑う声が舟乗りとなっている男の耳にはいった。 「隣の舟で笑っている」  流れに随《したが》って下る舟は早かった。舟はみるみる別院の下へ往った。そこは断崖になって樹木の根が処どころに垂れていた。舟はその断崖の下へ流れかかるように寄って往った。 「磧《かわら》なら焼鮎《やきあゆ》ができるが、ここじゃ、膾《なます》より他にはできない、膾でやろう」 「それでは料理をしようか」  舟の火は何時《いつ》の間にか消えてしまった。それと共に舟の中もしんとなったが、しばらくして小さな声が起った。 「これで門出《かどで》の杯《さかずき》はすんだ、出かけよう、油断して痴漢《しれもの》を討《うち》もらすな」  それは舟乗りとなっていた男の声であった。舟の中ではもそもそと物の気配がしはじめたが、やがてひっそりとなった。  稲葉山の城主|斎藤義竜《さいとうよしたつ》は、法華寺の別院で涼《りょう》をとっていた。小肥満《こぶとり》のした体を脇息《きょうそく》にもたして、わざと燈《ひ》を遠くの方へ置きながら、二人の少女に後《うしろ》から煽《あお》がし、庭の樹木の間から見える鵜飼《うかい》の火を見るともなしに見ているところであった。  義竜は弘治《こうじ》二年の春、庶腹《しょふく》の兄弟|喜平次《きへいじ》、孫四郎《まごしろう》の二人を殺し、続いて父|道三《どうさん》と鷺山《さぎやま》に戦《たたこ》うて父を滅《ほろぼ》してからは、美濃《みの》の守護として得意の絶頂に立っていたが、夏の間は水浴を一日も欠かすことができないので、この数年来、夏が来ると密《ひそか》にこの別院に隠れて、冷たい清水の湧《わ》く庭前《ていぜん》の池に水浴するのであった。 「小萩《こはぎ》は来て肩を打て」  義竜がちょと体をずらして云ったので、左の後にいた少女が団扇《うちわ》を置いて、 「は」  と、云って起《た》ちながら、そのまま傍へ寄って小さな拳《こぶし》を右の肩端《かたさき》へ持って往った。と、そのとき微《かすか》な物の気配がした。義竜が不思議に思って顔をあげた時、庭前《ていぜん》にちらちらと人影が動いた。 「何者だ」  同時に縁側にどかどかとあがった者があった。それはかの鵜飼《うかい》の四人であった。皆さっきのままのなりで、手に手に白刃《はくじん》を持っていた。 「悪逆無道《あくぎゃくむどう》の親殺《おやごろし》を討ちとりにまいった者じゃ、道家孫八郎《どうけまごはちろう》の伜《せがれ》孫太郎《まごたろう》でござる」  それは背の高い眼の鋭い男であった。 「拙者《せっしゃ》は長井与右衛門《ながいよえもん》でござる」  それは痩《やせ》ぎすな男であった。 「篠山七五郎《しのやましちごろう》」  それは角顔の男であった。 「拙者は竹腰藤九郎《たけのこしとうくろう》でござる、お首《しるし》を頂戴《ちょうだい》して、先君《せんくん》道三|入道殿《にゅうどうどの》の修羅《しゅら》の妄執《もうしゅう》を晴らす存念でござる」  それは背のずんぐりした白髪《しらが》の眼だった男であった。皆道三の臣《しん》で悪逆無道の義竜を殺しに来たところであった。皆きっさきを集めて躍《おど》りかかろうとした。二人の少女は叫んで逃げて往った。と、義竜の姿が忽然《こつぜん》と消えて、怪しい白刃《はくじん》が室《へや》の中に電光のようにきらきらと閃《ひらめ》くと共に、長井と篠山がばたばたと斃《たお》れた。竹腰は驚いて横に刀を払ったが、払った拍子に己《じぶん》の刀が眼に見えない金属に触れてかちりと鳴った。それと同時に室の中に銀色の眼をきろきろと光らした一|疋《ぴき》の大きな蟇《がま》が見えて、それがぴょんぴょんと飛んで縁側から飛びおり、暗い庭前《ていぜん》の池の中へどぼんと云う重い音をさして飛び込んだ。 「や」  竹腰が怪しい蟇に注意の眼を向けた時、次の室に詰めていた義竜の近侍《きんじ》が十人ばかり、ばらばらと飛び込んで来た。道家と竹腰は近侍の中にとり込められそうになった。 「道家、時節を待とう」  竹腰はそう云い云い己に向って来た壮《わか》い近侍の一人を斬《き》り斃《たお》して、ひらりと庭に飛びおり、池の傍から崖の木立の方へ逃げて姿を消した。 「それ逃すな」  道家も二人の近侍と斬り結んでいた刀を不意に引いて庭に逃げおり、崖の端《はし》に往くやいなや、 「えい」  と、云う懸声と共に暗い川の中へ身を躍《おど》らした。  藪《やぶ》だたみの中にある小さな祠《ほこら》の前に竹腰と道家が姿をあらわした。竹腰は木の根に縋《すが》って舟をおり、河の中に飛び込んだ道家を救いあげて、二人で舟を下流にやり、それからあがってきたところであった。 「これからどこへ身を隠そう」 「尾州《びしゅう》へ往《い》って、織田殿に身を寄せてもよいが」  二人は身のふり方に就《つ》いて相談しはじめた。竹《たけ》の葉越《はごし》には二つ三つの星が淋しそうにまたたいていた。 「は、は、は、は、は」  腹の底をさらけだしたような笑い声が鼻の前《さき》で起った。二人はびっくりして眼を睜《みは》った。そこにはよぼよぼした老人の姿があった。老人は己《じぶん》の背たけよりも長い杖《つえ》にすがっていた。 「魔者を討《うち》もらしたか、あれは、お前さん達の手にはちょと合わないよ、眼に見えない電光《いなずま》が閃《ひらめ》いて、二人は殺されてしまったな、かあいそうに、だが、銀色の眼のきろきろ光る蟇《がま》は見たろうな」  と、云って老人はまた笑って、 「しかし、魔者は何時《いつ》までも増長することはできない、月に暈《かさ》がかかって、北斗《ほくと》の七星《しちせい》に白蛇《はくじゃ》のような光がかかったのを見たら、翌朝、陽《ひ》の出ないうちにここへ来るがよい、きっと思いをとげさしてやる」  道家と竹腰は思わず地べたにつッぷした。 「は」 「は」 「しかし、竹腰には縁がない、道家一人が来るがよかろう」 「は」 「は」  二人は暫《しばら》くつッぷしていたが、それっきり老人の声がしないので、顔をあげてみるともうその姿はなかった。  竹腰と道家はそこから己《じぶん》の隠《かく》れ家《が》に帰って、不思議な老人に教えられた時機の来るのを待っていた。二人はその間の生計《たつき》に野へ出て獣《けもの》を狩《か》っていた。  その日も二人は弓を持って朝から出て、広い野の中をあちらこちらとあさっていたが、夕方、一匹の鹿を見つけたので、それを追っかけて往ったが、そのうちに鹿は逃げてしまって、どこへ往ったのか判らなくなった。  気が注《つ》いてみると道家は己一人になっていて、竹腰の姿は見えなかった。彼はもと来た径《みち》と思われる林の下を引返して、 「竹腰殿、竹腰殿」  と、声をあげて呼んでみたが、林の枝葉《えだは》を吹く風の音ばかりで人声《ひとごえ》はしなかった。そして、幾等《いくら》呼んでも返事がないので、隠れ家へ帰ろうと思って呼ぶことをよして歩いた。  林の下は暗かった。道家は早く林の下を出ようと思って歩いたが、朽《く》ち落ちた下枝《したえだ》が重なっていて足をとるので早くは歩けなかった。そして、やっとの思いで林を出てみると、広い草原《くさはら》のむこうに円い真紅《まっか》な月が出ていた。  月を見ると道家は、すぐ老人の詞《ことば》を思いだして暈《かさ》に注意したが、うっすらした靄《もや》はあったが暈はなかった。道家はまたその草原《くさはら》の中を歩いた。草原には荊棘《いばら》が閉じ、雑木《ぞうき》の枝が横《よこた》わっていて歩けなかった。  道家はひどく疲労を感じて来た。腰の皮籠《かわかご》には用意の獣《けだもの》の乾肉《ほしにく》があるので空腹は気にしなかった。道家はどこか祠《ほこら》でもあれば一と眠りして帰ろうと思いだした。彼は眠れるような場所はないかと思って注意しいしい歩いた。  草の中から流れ出た小さな清水の流れがあった。喉《のど》のかわいている道家はいきなり蹲《しゃが》んで流れに口をつけた。そして、思うさま飲んで顔をあげたところで、すぐ眼のまえの樹木の陰に一軒の小家《こや》があって、そこから焚火《たきび》の光がもれていた。道家はひどく懐《なつかし》いのでそのほうへ歩いて往った。彼はべつにその家の中へ泊めてもらおうとは思わなかったが。  一人の老婆が炉《いろり》の側《そば》へ坐って炉にかけた鍋の下を焚《た》いていた。そして、その老婆の後《うしろ》の方には顔の白い一人の女が坐っていた。 「そつじながらお尋ねする、拙者《せっしゃ》は猟に往って路《みち》に迷った者じゃが、ここは何と云う処じゃ」  道家が声をかけると老婆は顔をあげた。 「それはさぞ、御難儀《ごなんぎ》でございましょう、ここはかがみ[#「かがみ」に傍点]と云う処でございます、むさくろしい処でおかまいなければ、野の中の一軒家で、夜は涼しゅうございます、お泊りになってくださいませ」 「それでは休ましてもらいたい、食物《たべもの》は持参しておる」 「どうぞお入りくださいませ」 「しからば、一|時《とき》休ましてもらおう」  道家は土間へ入って草鞋《わらじ》を脱ぎ、弓と矢筒《やづつ》を持って脊《せ》をかがめるようにして、老婆の傍の莚《むしろ》の上に坐った。 「それでは、今、お粥《かゆ》をさしあげますから、次の室《へや》でお休みくださいませ、お道《みち》、お伴《つ》れ申せ」  老婆は後《うしろ》にいた女に云った。 「いや、食物《たべもの》は持っておる、どうか一と休みさしてもらいたい」  道家は立ったままで女の案内を待っていた。女は起《た》って恥かしそうにして、 「それでは」  と云って、見つけに垂れた莚をまくった。そこにはほっかりした燈《あかり》のある室《へや》があった。道家はやはり脊をかがめるようにしてその室へ入った。 「そこに枕もございますから、御《ご》ゆっくりお休みなさいませ」  と、云って女は莚をおろした。ほんのりした匂《におい》が室の中にただようた。 「はからずご厄介《やっかい》に……」  道家は先ず矢と矢筒を壁に立てかけ、それから腰の刀をとって坐った。その室の一方は窓になって月が射《さ》していた。燈《ひ》と思ったのはその月の光であった。道家はそこで腰から皮|籠《かご》を解《と》いて、その中の乾肉《ほしにく》を執《と》って喫《く》い、それが終ると傍《かたわら》の木の根の枕を引寄せて寝たが、疲労しているのですぐ眠ってしまった。  そして、眠っているうちに何か枕頭《まくらもと》で物の気配がするので、ふと気が注《つ》いて眼をうすめに開けてみた。道家は右枕《みぎまくら》になって寝ていた。大きな蟇《がま》のようなものがこちら向きに坐って、口をぱくりと開けて眼をぎろぎろとさしているところであった。道家ははっとした。彼は枕頭《まくらもと》においてある刀に手をかけるなり、飛び起きざまに切りつけた。と、大きな地響のような音がした。彼はそのまま一方の窓から飛び出て走った。  雑木《ぞうき》に突きあたり草の根に足を執《と》られたりして、しばらく走ったが、べつに追って来る者もないようであるから、立ちどまって後《うしろ》をふりかえった。そこは見覚えのある村の径《こみち》であった。道家はほっとしてやるともなしに眼を月にやった。西に落ちかけた月の周囲《まわり》にぼうとした暈《かさ》がかかっていた。 「や」  道家は気が注《つ》くと共に北の空に眼をやった。雲の間になった北斗の七星に白気《はっき》のようなものがうねうねとかかっていた。道家は刀を鞘《さや》に収めて立った。  道家は隠れ家に帰らずにそのまま川の堤《つつみ》の竹藪《たけやぶ》の中へ往って、彼《か》の祠《ほこら》の前で夜《よ》の明けるのを待った。髯《ひげ》の白いよぼよぼした老人がどこから来るともなしに来て道家の前に立った。 「来たか、昨夜《ゆうべ》お前が魔者の呪《のろ》いを斬《き》り払ったから、もう通力《つうりき》を失《うしの》うた、これを持って往って、見つけたなら、蓋《ふた》を開けろ、それまでは蓋を開けてはならんぞ」  老人の左の手には小さな赤い土の壺があった。 「今日の丑《うし》の刻《こく》、あの寺の正門からずかずか入って往け、それにはここの祠の中を開けると、お前の着て往く物がある、それ、これを持って往け」  老人は壺をさしだした。道家はうやうやしくそれを受けた。  そして、眼をやると老人はもういなかった。そこで祠《ほこら》の扉を開けた。中には袈裟《けさ》、頭陀袋《ずだぶくろ》、笠《かさ》、手甲《てこう》、脚絆《きゃはん》の一切が入っていた。道家は老人の詞《ことば》に従ってそれを着て旅僧《たびそう》の姿になり、丑《うし》の刻《こく》になって法華寺の別院へ往った。  別院の門のうちには十人ばかりの護衛の武士がいたが咎《とが》めなかった。彼はずんずん左の厨《くり》の方へ往って、書院と厨の間になった植込の中へ入り、そこから裏庭の方へ往くと二人の武士が床几《しょうぎ》に眠っていた。庭には彼《か》の池があって何時《いつ》か見た蟇《がま》が一|疋《ぴき》浮んでいた。道家はここぞと思って手にしていた壺の蓋《ふた》をとった。と、壺の口から煙のようにひらひらと閃《ひらめ》いて出た白い蛇が、みるみる池の上に浮んで彼《か》の蟇に迫り、蟇が水の中に潜《もぐ》らない中《うち》に巻いてしまった。 「殿様が大変じゃ」  書院の方では口ぐちに騒ぎだした。二三日熱病をわずらっていた義竜《よしたつ》は、その時急にもがきだしてそのまま死んで往った。「織田軍記」には義竜のことを記《しる》して、「今はあらそふ者もなければ、義竜自ら濃州《のうしゅう》の守護となつて、悪人ながら威勢ありしに、ためしすくなき大罪人《だいざいにん》のむくいにや、幾程なく永禄四年に義竜たちまち悪病を煩《わずら》ひ、死去しけり」と、云ってある。 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会    1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行 底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社    1934(昭和9)年 入力:川山隆 校正:門田裕志 2012年3月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。