ボールの行方 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)正《しょう》ちゃん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|日前《にちまえ》 -------------------------------------------------------  正《しょう》ちゃんは、いまに野球《やきゅう》のピッチャーになるといっています。それで、ボールをなげて遊《あそ》ぶのが大《だい》すきですが、よくボールをなくしました。 「お母《かあ》さん、ボールをなくしたから、買《か》っておくれよ。」と、学校《がっこう》へいこうとしてランドセルをかたにかけながら、いいました。 「また、なくしたのですか。二、三|日前《にちまえ》に買《か》ったばかりじゃありませんか。」 「僕《ぼく》、ボールがないとさびしいんだもの。」 「いいえ、そう毎日《まいにち》、ボールばかり買《か》ってあげられません。」と、お母《かあ》さんはおっしゃいました。 「ねえ、お母《かあ》さん、もうなくなさないから。こんどから、きっとなくなさないから。」 「なくなさないと、なんどいいましたか。ものを粗末《そまつ》にするからですよ。」 「粗末《そまつ》になんかしないよ。だって、どっかへいってしまうんだもの。」 「おとなりの誠《まこと》さんなんか、おちついていらっしゃるから、おまえみたいに、そうものをおなくしになりませんよ。」と、お母《かあ》さんは、となりの誠《まこと》くんのことをほめられました。 「誠《まこと》くんだって、なくすやい。昨日《きのう》、上《うわ》ぐつを片《かた》っぽおとしてきて、お母《かあ》さんにしかられていたから。」と、正《しょう》ちゃんはいいました。 「じゃ、今日《きょう》は買《か》ってあげますから、名《な》まえを書《か》いておきなさい。」といって、お母《かあ》さんはボールを買《か》うお金《かね》をくださいました。 「ありがとう!」と、正《しょう》ちゃんはいただいて、元気《げんき》よく出《で》かけました。 「やさしいいいお母《かあ》さんだなあ。」と、正《しょう》ちゃんは心《こころ》の中《なか》で思《おも》ったのです。  正《しょう》ちゃんは新《あたら》しいボールを買《か》って、それに「二|年《ねん》一|組《くみ》 山本正治《やまもとしょうじ》」と書《か》きました。正《しょう》ちゃんの帽子《ぼうし》にもハンカチにも、けしゴムにも、みんなそう書《か》いてありました。だから、学校《がっこう》の中《なか》でおとせば、拾《ひろ》った人《ひと》が先生《せんせい》にとどけてくれますので、また自分《じぶん》のところへもどってきました。たとえ学校《がっこう》の外《そと》でも、正直《しょうじき》な人《ひと》なら、 「ああ、あの学校《がっこう》の生徒《せいと》さんがおとしたのだな。」といって、学校《がっこう》へとどけてくれました。  正《しょう》ちゃんはお家《うち》へかえって、「ただいま」をすると、お母《かあ》さんのところへいって今日《きょう》買《か》ったボールをお見《み》せしました。 「いいんですね。名《な》まえを書《か》きましたか。今年《ことし》から二|年生《ねんせい》ですよ。」と、お母《かあ》さんが注意《ちゅうい》をなさいますと、正《しょう》ちゃんは、 「ほら、二|年《ねん》一|組《くみ》と書《か》いてあるだろう。」と、いって、お母《かあ》さんにボールをもう一ど見《み》せました。 「正《しょう》ちゃんはぼんやりしているから、また一|年《ねん》と書《か》きゃしないかと思《おも》ったのよ。」  そのとき、お姉《ねえ》さんが、 「ね、正《しょう》ちゃん、ピッチャーは、どんなかっこうをしてボールを投《な》げるの。」と、いいました。 「笑《わら》うから、やだあい。」 「笑《わら》わないから、ようおしえてよ。」と、お姉《ねえ》さんはいいました。  お母《かあ》さんも笑《わら》いだしそうな顔《かお》つきをむりにこらえて見《み》ていらっしゃいますと、正《しょう》ちゃんはボールを持《も》った右手《みぎて》をぐるぐるっと頭《あたま》の上《うえ》でまわして、片手《かたて》をあげて投《な》げるまねをしました。 「まあ、すてきね。」 「僕《ぼく》の球《たま》は、それはカーブがあるんだから。」 「あまりありすぎて、球《たま》をなくすんでしょ。」と、お母《かあ》さんがおっしゃったので、お姉《ねえ》さんは、声《こえ》をたてて笑《わら》いました。  原《はら》っぱへいってすればいいのに、正《しょう》ちゃんはせまい往来《おうらい》で、小《ちい》さい花子《はなこ》さんを相手《あいて》にキャッチボールをやっていると、正《しょう》ちゃんの投《な》げたボールが、からたちの垣根《かきね》をこして、向《む》こうの庭《にわ》にはいってしまいました。 「困《こま》ったわね、正《しょう》ちゃん。」と、花子《はな》さんがいいました。 「どこへはいったんだろうな。」と、正《しょう》ちゃんは、からたちの垣根《かきね》のあいだから、庭《にわ》の中《なか》を見《み》ていました。  すると、ちょうど日《ひ》のよくあたるあちらのえんがわで、おばさんが赤《あか》ちゃんのおしめをかえてやっているところでした。  お庭《にわ》の木《き》には、かきが赤《あか》くうれておりました。赤《あか》ちゃんは、なにがおかしいのか、けたけた声《こえ》を出《だ》して笑《わら》っていました。  正《しょう》ちゃんはボールのことなど忘《わす》れてしまって、かわいい赤《あか》ちゃんの方《ほう》を見《み》とれていました。 「赤《あか》ちゃん、かわいいな。」と、花子《はなこ》さんの方《ほう》を向《む》いていいました。 「どれ、私《わたし》にも見《み》せて。」といって、花子《はなこ》さんも垣根《かきね》のあいだからのぞいて見《み》ました。 「僕《ぼく》んちにも、あんな赤《あか》ちゃんあるといいのだがな。」と、正《しょう》ちゃんはまたのぞいて見《み》ますと、赤《あか》ちゃんは、おしめをかえてしまって、おばさんにだっこして、笑《わら》っていました。  正《しょう》ちゃんはボールのことをやっと思《おも》いだして、 「花子《はなこ》さん、拾《ひろ》っておいでよ。」と、いいました。 「私《わたし》、いやよ。正《しょう》ちゃんがいいわ。」 「花子《はなこ》さん、早《はや》くいっておいでよ。」 「おばさん、まりがはいったの。」と、花子《はなこ》さんがいいました。  すると、男《おとこ》の声《こえ》で、 「いま、拾《ひろ》ってあげますよ。」といって、おじさんが拾《ひろ》って、こちらへ投《な》げてくださいました。  あちらから、太郎《たろう》さんと誠《まこと》さんがやってきました。 「原《はら》っぱへいって、キャッチボールをしない?」と、いいました。 「ああ、しよう。」  正《しょう》ちゃんはいきかけて、花子《はなこ》さんに、 「花子《はなこ》さんもおいでよ。」と、いいました。 「私《わたし》、お家《うち》へかえるわ。」 「また、あした遊《あそ》ぼうね。」  三|人《にん》は、原《はら》っぱへきました。太郎《たろう》さんのたまは、いちばん強《つよ》いのです。つぎが、正《しょう》ちゃんのたまです。誠《まこと》さんのは弱《よわ》くてそれたりするので、 「もっといいたまをお出《だ》しよ。」と、太郎《たろう》さんがいいました。  このとき、向《む》こうで三|人《にん》のまり投《な》げを見《み》ていた少年《しょうねん》が、 「僕《ぼく》もなかまに入《い》れてくれない?」と、いいました。  正《しょう》ちゃんは、太郎《たろう》さんと誠《まこと》さんに、 「いいだろう?」と、ききました。 「ああ、いいよ。」  そこで、四|人《にん》はかわるがわるキャッチボールをしました。少年《しょうねん》のたまはなかなか強《つよ》いので、正《しょう》ちゃんや誠《まこと》さんは、たびたび受《う》けそこないました。 「君《きみ》のたまは、すごいんだね。」と、正《しょう》ちゃんが感心《かんしん》すると、少年《しょうねん》はもっともっと強《つよ》いたまを出《だ》そうとしました。  そのうちに悪《わる》いたまを出《だ》したので、ボールはとおくへころがっていって、みんながそのあとを追《お》いかけてさがしたけれど、わからなくなりました。 「あんな悪《わる》いたまを出《だ》すんだもの。」と、太郎《たろう》さんがいいました。  少年《しょうねん》は顔《かお》を赤《あか》くして、 「僕《ぼく》、弁償《べんしょう》してあげるよ。」と、いいました。 「君《きみ》、あやまったらいいだろう。」と、誠《まこと》さんがいいました。 「僕《ぼく》、なくしてすまないと思《おも》うよ。だけど、お金《かね》を持《も》っているから、買《か》ってかえすよ。」と、その少年《しょうねん》はいいました。  正《しょう》ちゃんは、またボールをなくしてしかられると思《おも》ったけれど、 「みんなで遊《あそ》んだのだもの、そんなことしなくてもいいよ。お母《かあ》さんに買《か》ってもらうから。」と、いいました。 「僕《ぼく》、たのんで入《い》れてもらったのだから。」と、いいますので、太郎《たろう》さんが、 「じゃ、正《しょう》ちゃん、それでいいじゃないか。」と、いいました。  四|人《にん》は学校《がっこう》の前《まえ》へいって、お店《みせ》でボールを買《か》いました。正《しょう》ちゃんが、 「また、ボールをやらない?」というと、誠《まこと》さんも太郎《たろう》さんも賛成《さんせい》しましたが、少年《しょうねん》はお使《つか》いにきたのでもうかえらなければならないといいました。 「さようなら!」 「また、おいでよ。」  少年《しょうねん》は三|人《にん》とわかれて、さっさといってしまいました。正《しょう》ちゃんは、少年《しょうねん》の買《か》ってくれた新《あたら》しいボールを見《み》て、なんだかいい気持《きも》ちはしなかったのです。 「気《き》のどくなことをしたな。どうしても買《か》ってもらわなければよかったのに。」と、心《こころ》のうちで思《おも》いました。  正《しょう》ちゃんは家《うち》にかえると、お母《かあ》さんにそのボールを見《み》せて今日《きょう》の話《はなし》をしました。 「どこの坊《ぼっ》ちゃんですか?」と、お母《かあ》さんはおききになりました。 「僕《ぼく》、知《し》らない。」と、正《しょう》ちゃんが答《こた》えると、 「これから、そんなときは、いいと、ことわるものですよ。」と、お母《かあ》さんはおっしゃいました。  あくる日《ひ》、正《しょう》ちゃんは花子《はなこ》さんと原《はら》っぱで遊《あそ》んでいました。 「正《しょう》ちゃん、ここへきてごらんなさい。ありがなにかはこんでてよ。」と、花子《はなこ》さんがよびました。  正《しょう》ちゃんが走《はし》っていくと、かわいらしい小《ちい》ちゃなありのむれが、なにかくわえて、列《れつ》をつくって走《はし》っているのです。 「花子《はなこ》さん、もう冬《ふゆ》のおしたくで、いっしょうけんめいなんだよ。」  だんだんとつながり進《すす》んでいくありのむれを、二人《ふたり》は足《あし》ずりして追《お》っていくうちに、正《しょう》ちゃんは昨日《きのう》なくしたボールが、枯《か》れ草《くさ》の中《なか》にかくれているのを見《み》つけました。 「ボールがあった!」  正《しょう》ちゃんはよろこびの声《こえ》を、あげました。そして、なつかしい自分《じぶん》のボールをにぎって、しばらくぼんやりとしていました。 「どうしたの、正《しょう》ちゃん? なくしたボールが見《み》つかったの?」 「僕《ぼく》、なくなったと思《おも》っていたら、あったのだよ。あの子《こ》に弁償《べんしょう》してもらって、どうしようかなあ。」と、正《しょう》ちゃんはポケットからもう一つのボールを出《だ》して考《かんが》えていました。 「誠《まこと》さん? 太郎《たろう》さん?」 「知《し》らない、あっちの子《こ》だよ。」 「きのう? 太郎《たろう》さんくらいの子《こ》でしょ?」 「そうだよ。」 「牛込《うしごめ》の兄《にい》さんだわ。正《しょう》ちゃんたちがボールをしていると私《わたし》がいったら、兄《にい》さんはとんでいったわ。」と、花子《はなこ》さんがいいました。 「じゃ、このボール、兄《にい》さんにかえしておくれ。」 「こんどきたら、かえしてあげるわ。」  正《しょう》ちゃんは花子《はなこ》さんに、少年《しょうねん》の買《か》ってくれたボールをわたすと、気《き》もちがらくらくとしました。  そして、自分《じぶん》のボールを力《ちから》いっぱい空《そら》に向《む》かって高《たか》く投《な》げあげたり、受《う》けたりして、遊《あそ》んだのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷    1983(昭和58)年1月19日第6刷 ※表題は底本では、「ボールの行方《ゆくえ》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2015年5月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。