ペスをさがしに 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)土曜日《どようび》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|時《じ》 -------------------------------------------------------  土曜日《どようび》の晩《ばん》でありました。  お兄《にい》さんも、お姉《ねえ》さんも、お母《かあ》さんも、食卓《ちゃぶだい》のまわりで、いろいろのお話《はなし》をして、笑《わら》っていらしたときに、いちばん小《ちい》さい政《まさ》ちゃんが、 「ぼく、きょうペスを見《み》たよ。」と、ふいに、いいました。  すると、みんなは、一|時《じ》にお話《はなし》をやめて、政《まさ》ちゃんの顔《かお》を見《み》ました。 「政《まさ》ちゃん、ほんとうかい。」と、正《しょう》ちゃんが叫《さけ》びました。 「ほんとうに、見《み》たよ。」と、政《まさ》ちゃんは、まじめくさって答《こた》えました。 「まあ、逃《に》げてきたんでしょうか?」と、姉《ねえ》さんは、おどろいた顔《かお》つきをなさいました。 「ペスなら、逃《に》げてきたんでしょう。よく逃《に》げてこられたものね。」と、お母《かあ》さんは感心《かんしん》なさいました。 「ペスでない、きっとほかの犬《いぬ》だよ。政《まさ》ちゃんは、なにを見《み》たのかわかりゃしない。」と、いちばん上《うえ》の達《たっ》ちゃんが、いいますと、 「うそかい、ぼく、ほんとうに、見《み》たんだから。」と、政《まさ》ちゃんは、目《め》をまるくしました。  みんなが、そう疑《うたが》うのも、無理《むり》はありません。昔《むかし》から、犬殺《いぬころ》しにつれられていって、帰《かえ》ってきた犬《いぬ》は、めったにないからです。 「お母《かあ》さん、ほんとうでしょうか。ペスだったら、いいけど。」と、お姉《ねえ》さんは、いいました。 「ペスだったら、うちで、飼《か》ってやろうね。」と、正《しょう》ちゃんがいいました。 「印刷屋《いんさつや》の犬《いぬ》じゃないか。」 「だって、あすこでは、もうかまわないのだもの、どこのうちの犬《いぬ》でもないだろう。」  お兄《にい》さんたちは、この後《のち》、ペスをどうしてかばってやったらいいかと議論《ぎろん》をしました。 「まだ、ほんとうに、ペスかどうか、わかりゃしないじゃないの。」と、お姉《ねえ》さんが、いいますと、お母《かあ》さんは、ぼんやりとして、お兄《にい》さんたちの話《はなし》をきいている、政《まさ》ちゃんをごらんになって、 「もう、政《まさ》ちゃんは、ねむいんでしょう。きっとペスの帰《かえ》ってきた、夢《ゆめ》でも思《おも》い出《だ》して、いったのでしょう。」と、笑《わら》いながら、おっしゃいました。 「あるいは、そんなことかもしれん。」と、いままでペスの今後《こんご》の相談《そうだん》をしていた、達《たっ》ちゃんと正《しょう》ちゃんは、そのほうの話《はなし》を中止《ちゅうし》して、もっと、くわしいことを知《し》るために、 「政《まさ》ちゃん、どこで、ペスを見《み》たんだい。」と、まず正《しょう》ちゃんは、たずねました。 「橋《はし》のところで、遊《あそ》んでいて、見《み》たんだよ。」 「政《まさ》ちゃん、ひとりしか、ペスを見《み》なかった?」と、正《しょう》ちゃんは、さらに、ききました。 「健《けん》ちゃんも、徳《とく》ちゃんも、みんな見《み》たから……。」と、政《まさ》ちゃんは、疑《うたが》われるのが、不平《ふへい》でたまらなかったのです。 「じゃ、明日《あした》、徳《とく》ちゃんなんかにきいてみるよ。うそなんかいったら、承知《しょうち》しないから。」と、正《しょう》ちゃんが、いいますと、 「なにも、怒《おこ》ることはないでしょう。」と、お姉《ねえ》さんが、正《しょう》ちゃんをにらみました。 「だって、うそをつくことは、わるいことじゃないか。」 「うそをつこうと思《おも》っていったのでない。まちがいということは、あるもんでしょう。」と、お姉《ねえ》さんが、おいいなさると、 「まちがいじゃない、ほんとうに、ペスだったよ。」と、政《まさ》ちゃんは、頭《あたま》を振《ふ》って、がんばりました。  お母《かあ》さんも、お姉《ねえ》さんも、政《まさ》ちゃんの、いつにない真剣《しんけん》なようすを見《み》て、おかしそうに、お笑《わら》いになりました。 「なぜ、政《まさ》ちゃんは、ペスを呼《よ》ばなかったのだい。」と、いちばん年上《としうえ》の達《たっ》ちゃんが、こんどは、たずねました。 「ぼく、ペス、ペスと呼《よ》んだよ。」 「そうしたら。」 「こっちを、じっと見《み》たよ。」 「飛《と》んで、こなかったかい?」 「いくら、呼《よ》んでも、こなかった。そして、とっとと、あっちへいってしまった。」と、政《まさ》ちゃんが答《こた》えました。 「どっちの方《ほう》へ、いってしまったい。」と、だまってきいていた、正《しょう》ちゃんが、ききました。 「原《はら》っぱの方《ほう》へ、川《かわ》について、とっとと、いってしまったよ。あっちの、赤《あか》い空《そら》の中《なか》へ、はいっていってしまったよ。」  政《まさ》ちゃんは、寒《さむ》い、木枯《こが》らしの吹《ふ》きそうな、晩方《ばんがた》の、なんとなく、物悲《ものかな》しい、西空《にしぞら》の、夕焼《ゆうや》けの色《いろ》を、目《め》に描《えが》いたのです。 「どっちから、ペスが、歩《ある》いてきたか、知《し》っている?」と正《しょう》ちゃんは、政《まさ》ちゃんに、たずねました。 「市場《いちば》の方《ほう》から、歩《ある》いてきた。」 「そのとき、ほかの子《こ》は、ペス、ペス、と呼《よ》ばなかったの。」と達《たっ》ちゃんがききました。 「呼《よ》んだとも、健《けん》ちゃんも、徳《とく》ちゃんも、呼《よ》んだけれど、ペスは、振《ふ》り向《む》かんでいってしまったよ。」  お母《かあ》さんも、お姉《ねえ》さんも、政《まさ》ちゃんの、そういうのをきくと、はたしてペスが帰《かえ》ってきたのかしらんと考《かんが》えるようになりました。そして、子供《こども》たちの話《はなし》を、いまは、じっときいていられたのであります。 「おかしいね、あんなに、いつも、走《はし》ってきて飛《と》びつくのに、呼《よ》んでも、こないのは……。」と、達《たっ》ちゃんが、頭《あたま》をかしげました。 「おかしいね。やはり、ペスでは、ないんだろう。」と、正《しょう》ちゃんがいいました。 「ペスだよ。」 「そんなら、どうして、呼《よ》んでもこなかったのだい、政《まさ》ちゃんにわかる?」と、正《しょう》ちゃんが、いいました。政《まさ》ちゃんはだまっていました。お母《かあ》さんも、お姉《ねえ》さんもしばらく、政《まさ》ちゃんの顔《かお》を見《み》ていられました。  政《まさ》ちゃんは、頭《あたま》の中《なか》では、わかっているが、どう言葉《ことば》に、あらわしたらいいかと、惑《まど》っているようすでした。が、どもりながら、 「また、人間《にんげん》が、だますと思《おも》ったから、こなかったのだろう……。」と、いいました。 「だますから?」と、正《しょう》ちゃんが、ききかえすと、 「政《まさ》ちゃんのいうことは、よくわかるじゃないの。いつも、あんなに、かわいがっていて、見殺《みごろ》しにしたからというのだよ。」と、お姉《ねえ》さんは、目《め》に、涙《なみだ》がためていらっしゃいました。 「ほんとうに、そうだな。すぐにわかったら、もらいにいってやればいいに、印刷屋《いんさつや》でも、うちでも、まただれも、犬殺《いぬころ》しにつれられていったぎり、もらいにいってやらなかったのは悪《わる》いと思《おも》う。」と、達《たっ》ちゃんも、同意《どうい》しました。  ひとり、達《たっ》ちゃんばかりでありません。みんなは、政《まさ》ちゃんの、いうことをきいて、ほんとうだと思《おも》いました。平常《ふだん》、かわいがっていながら、ペスが、犬殺《いぬころ》しに、つれられていったと知《し》っても、もらいにいってやらぬというのは、なんたる不人情《ふにんじょう》なことだろう。ペスは、心《こころ》のうちできっとだれかもらいにきてくださると思《おも》っていたのにちがいない、そして、とうとうだれもきてくれないと知《し》ると、死《し》にもの狂《ぐる》いで逃《に》げ出《だ》してきたのだ。心《こころ》のうちで、みんなの不人情《ふにんじょう》をうらんでいるのだ。もうけっして、人間《にんげん》を信《しん》じてはならない。それは、政《まさ》ちゃんの、いうとおりだと思《おも》ったからです。 「まあ、それにしても、よく逃《に》げ出《だ》して、きたものね。」とお姉《ねえ》さんは、感嘆《かんたん》なさいました。 「生《い》きたい、一|念《ねん》で、逃《に》げ出《だ》してきたのでしょう。」と、お母《かあ》さんも、おっしゃいました。 「ワン、ワン、ほえたり、かみついたりしたんだろうな。」と、正《しょう》ちゃんが、いうと、 「ばか、そんなことをすれば、すぐなぐり殺《ころ》されてしまうじゃないか。」と、達《たっ》ちゃんがいいました。 「そんなら、どうして、逃《に》げてきたんだい。」と、正《しょう》ちゃんが、ききました。 「すきを見《み》て、いっしょうけんめいに逃《に》げてきたんだろう。」と達《たっ》ちゃんがいいました。  その夜《よ》は、ペスが帰《かえ》ってきたことにして、みんなは、いろいろ話《はなし》をしましたが、夜《よ》が、明《あ》けたら、それを、たしかめようと、達《たっ》ちゃんと、正《しょう》ちゃんとは、めいめい胸《むね》に思《おも》って、やがて、床《とこ》の中《なか》に入《はい》ったのであります。寒《さむ》い晩《ばん》で、木枯《こが》らしの音《おと》がきこえていました。床《とこ》にはいってからも、正《しょう》ちゃんは、風《かぜ》の音《おと》に耳《みみ》をすまして、逃《に》げてきた、かわいそうなペスのことを思《おも》って、なかなか眠《ねむ》りつかれなかったのでした。  翌日《よくじつ》は、日曜日《にちようび》でした。朝飯《あさはん》を食《た》べると、正《しょう》ちゃんは、外《そと》へ駆《か》け出《だ》してゆきました。往来《おうらい》で、徳《とく》ちゃんたちが、遊《あそ》んでいました。徳《とく》ちゃんは、政《まさ》ちゃんと同《おな》じ年《とし》ごろでした。 「徳《とく》ちゃん、ペスが帰《かえ》ってきたって、ほんとうかい。」  正《しょう》ちゃんは、徳《とく》ちゃんの顔《かお》を見《み》ると、すぐこうたずねました。 「ああ、昨日《きのう》見《み》たよ。」と、徳《とく》ちゃんは答《こた》えたのです。 「ほかの犬《いぬ》だろう。」 「そうじゃない、ペスだよ。日《ひ》の丸《まる》が、ついていた。」と、徳《とく》ちゃんは、いいました。 「日《ひ》の丸《まる》が、ついていた?」と、正《しょう》ちゃんは、念《ねん》を押《お》しました。日《ひ》の丸《まる》というのは、ペスの白《しろ》い脊中《せなか》に赤《あか》い毛《け》のまるい斑《ぶち》があったので、みんながそういっていたのでした。 「日《ひ》の丸《まる》があったよ。」と、徳《とく》ちゃんははっきり答《こた》えました。  そうきけば、もうペスの帰《かえ》ってきたのに、疑《うたが》う余地《よち》がなかったのです。正《しょう》ちゃんは、走《はし》って、家《いえ》へもどると、その話《はなし》を達《たっ》ちゃんにしたのです。  ちょうど、そのとき、小田《おだ》と高橋《たかはし》が、釣《つ》りざおとバケツを下《さ》げて達《たっ》ちゃん兄弟《きょうだい》を誘《さそ》いにきました。日曜日《にちようび》に、川《かわ》へ寒《かん》ぶなを釣《つ》りにゆく、約束《やくそく》がしてあったからです。 「どうしよう? ペスをさがしにゆくのをよして、釣《つ》りにゆこうか。」と、正《しょう》ちゃんは、兄《あに》の達《たっ》ちゃんを見上《みあ》げました。 「おまえは、釣《つ》りにいってもいい。僕《ぼく》は、ペスをさがしにゆくから。」と、達《たっ》ちゃんが答《こた》えました。  小田《おだ》も、高橋《たかはし》も、よくペスのことを知《し》っていました。達《たっ》ちゃんと正《しょう》ちゃんの話《はなし》をきくと、 「僕《ぼく》たちも、いっしょに、ペスをさがしにゆこう。そして、はやく見《み》つかったら、みんなで釣《つ》りに出《で》かけよう。」と、小田《おだ》がいいますと、高橋《たかはし》も賛成《さんせい》しました。 「釣《つ》りざおとバケツを、ここに置《お》いてくれない。」  やがて、みんなが、一|団《だん》となって、ペスをさがしにゆきました。その中《なか》に、小《ちい》さい政《まさ》ちゃんもはいっていました。  橋《はし》のところから、ペスのいったという、道《みち》を歩《ある》いて、原《はら》っぱへ出《で》て、半分《はんぶん》は、散歩《さんぽ》の気分《きぶん》で、愉快《ゆかい》そうに話《はな》しながら、足《あし》の向《む》く方《ほう》にあるいていったのであります。  あちらに、自動車《じどうしゃ》や、自転車《じてんしゃ》の走《はし》っているのが見《み》える、駅《えき》の付近《ふきん》にきたとき、 「ほら、あすこに、ペスがいるじゃないか。」と、ふいに政《まさ》ちゃんが、指《ゆび》さしました。見《み》ると、なるほど、牛肉屋《ぎゅうにくや》の前《まえ》に白《しろ》い毛《け》に日《ひ》の丸《まる》の斑《ぶち》のはいった、ペスそっくりの犬《いぬ》がいました。 「ペスかしらん。」と、正《しょう》ちゃんは、駆《か》け出《だ》してゆきました。あとから、みんながつづきました。しかし、その犬《いぬ》は、ペスと兄弟《きょうだい》のように似《に》ていたけれど、やはり、ペスではありませんでした。政《まさ》ちゃんや、徳《とく》ちゃんの見《み》たのは、この犬《いぬ》だとわかると、みんなは道《みち》をもどることにしました。 「ああ、ペスは、もう殺《ころ》されてしまったのだろう。」といって、中《なか》にも、達《たっ》ちゃんと正《しょう》ちゃんは、ペスを助《たす》けなかったのを、後悔《こうかい》しながら、木枯《こが》らしの吹《ふ》く中《なか》を、みんなと歩《ある》いていたのです。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 初出:「児童読物研究」    1933(昭和8)年2月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2012年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。