猟師と薬屋の話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)村《むら》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|匹《ぴき》 -------------------------------------------------------  村《むら》に一人《ひとり》の猟師《りょうし》が、住《す》んでいました。もう、秋《あき》もなかばのことでありました。ある日《ひ》知《し》らない男《おとこ》がたずねてきて、 「私《わたし》は、旅《たび》の薬屋《くすりや》でありますが、くまのいがほしくてやってきました。きけば、あなたは、たいそう鉄砲《てっぽう》の名人《めいじん》であるということですが、ひとつ大《おお》きなくまを打《う》って、きもを取《と》ってはくださらないか。そのかわり、お金《かね》はたくさん出《だ》しますから。」といいました。  猟師《りょうし》は、貧乏《びんぼう》をしていましたから、これはいい仕事《しごと》が手《て》にはいったと思《おも》いました。 「そんなら、くまをさがしに山《やま》へはいってみましょう。」 「どうぞ、そうしてください。このごろ、くまのいが、品切《しなぎ》れで困《こま》っているのですから、値《ね》をよく買《か》いますよ。」と、薬屋《くすりや》はいいました。  これをきいて、猟師《りょうし》は、よろこんで引《ひ》き受《う》けました。  村《むら》から、西《にし》にかけて、高《たか》い山々《やまやま》が重《かさ》なり合《あ》っていました。昔《むかし》から、その山《やま》にはくまや、おおかみが棲《す》んでいたのであります。  猟師《りょうし》は、仕度《したく》をして、鉄砲《てっぽう》をかついで山《やま》へはいってゆきました。霧《きり》のかかった嶺《たかね》を越《こ》えたり、ザーザーと流《なが》れる谷川《たにがわ》をわたって、奥《おく》へ奥《おく》へと道《みち》のないところをわけていきますと、ぱらぱらと落《お》ち葉《ば》が体《からだ》に降《ふ》りかかってきました。  猟師《りょうし》は、しばらく歩《ある》いては耳《みみ》をすまし、また、しばらく歩《ある》いては耳《みみ》をすましたのです。そして、あたりに、猛獣《もうじゅう》のけはいはしないかと、ようすをさぐったのでした。  そのうちに、目《め》の前《まえ》に、大《おお》きな足跡《あしあと》を見《み》つけました。 「あ、くまの足跡《あしあと》だ!」と、猟師《りょうし》は思《おも》わずさけびました。  これこそ、天《てん》が与《あた》えてくださったのだ。はやく打《う》ちとめて家《うち》へしょって帰《かえ》ろう。そうすればきもは、あの旅《たび》の薬屋《くすりや》に高《たか》く売《う》れるし、肉《にく》は、村《むら》じゅうのものでたべられるし、皮《かわ》は皮《かわ》で、お金《かね》にすることができるのだ。こう思《おも》いながら、肩《かた》から、鉄砲《てっぽう》をはずして、弾丸《たま》をこめて、その足跡《あしあと》を見失《みうしな》わないようにして、ついてゆきました。  裏山《うらやま》は、雲《くも》が切《き》れて、秋《あき》の日《ひ》があたたかそうに照《て》らしていました。そして、二、三十メートルかなたに、大《おお》きなとちの木《き》があって、熟《じゅく》した実《み》がぶらさがっていましたが、その下《した》に黒《くろ》いものがしきりに動《うご》いているのを見《み》つけたのです。 「いた! いた!」と猟師《りょうし》は、低《ひく》い声《こえ》でいいました。そして、じっと気《き》づかれないように木《こ》かげにかくれて、ようすをうかがいました。その一|匹《ぴき》は大《おお》きく、その一|匹《ぴき》は小《ちい》さかったのです。小《ちい》さいのは、まだ生《う》まれてから日数《ひかず》のたたない子《こ》ぐまで、大《おお》きいのは、母《はは》ぐまでした。二|匹《ひき》は、いま自分《じぶん》たちが、人間《にんげん》にねらわれているということもしらずに、楽《たの》しく遊《あそ》んでいたのであります。子《こ》ぐまは、お乳《ちち》を飲《の》みあきたか、それとも、とちの実《み》をたべあきたか、お母《かあ》さんの背中《せなか》に乗《の》ったり、また、胸《むね》のあたりに飛《と》びついたりしました。母《はは》ぐまは、それをうるさがるどころか、かわいくて、かわいくて、しかたがないというふうに、子《こ》ぐまのするままにしていたが、ときどき、自分《じぶん》でひっくりかえって、子《こ》ぐまを上《うえ》に抱《だ》きあげ、子《こ》ぐまがぴちぴちするのを見《み》て喜《よろこ》んでいたのでした。  猟師《りょうし》は、鉄砲《てっぽう》のしりを肩《かた》につけて、ねらいを定《さだ》めました。名人《めいじん》といわれるだけ、万《まん》に一つも打《う》ちそんじはないはずです。そして、引《ひ》き金《がね》をおろしかけて、ふと打《う》つのをやめてしまいました。 「あの母《はは》ぐまを殺《ころ》したら、どんなに子《こ》ぐまが悲《かな》しがるだろう。そして、晩《ばん》から、あたたかなふところに抱《だ》いてもらって眠《ねむ》ることができない。かわいそうな殺生《せっしょう》をばしたくない。」  こういって、猟師《りょうし》は、打《う》つのをやめて、また、出直《でなお》してこようと家《うち》へもどろうとしたのであります。  その途中《とちゅう》で、知《し》らない猟人《かりゅうど》に出《で》あいました。その猟人《かりゅうど》もこれから山《やま》へ、くまを打《う》ちにゆこうというのです。その男《おとこ》は、傲慢《ごうまん》でありまして、なにも獲物《えもの》なしに帰《かえ》る猟人《かりゅうど》を見《み》ますと鼻《はな》の先《さき》で笑《わら》いました。 「私《わたし》は、これまで山《やま》へはいって、から手《て》で家《うち》へ帰《かえ》ったことはない。こんどもこうして山《やま》へはいれば、きつねか、おおかみか、大《おお》ぐまをしとめて、土産《みやげ》にするから、どうか私《わたし》の手並《てなみ》を見《み》ていてもらいたいものだ。」と、大口《おおぐち》をききました。  これにひきかえて、母子《おやこ》のくまを打《う》たずにもどったやさしい猟人《かりゅうど》は、どうか、はやく、あの母子《おやこ》のくまはどこかへ隠《かく》れてくれればいいと思《おも》いながら歩《ある》いてきました。  家《いえ》ではおかみさんが待《ま》っていました。 「うちの人《ひと》は、久《ひさ》しぶりで山《やま》へはいったのだが、いい獲物《えもの》を見《み》つけて、うまくしとめて、無事《ぶじ》にもどってくれればいい。そして、くまのいがいい値《ね》で売《う》れたら、子供《こども》にも春着《はるぎ》が買《か》ってやれるし、暮《く》らしもよくなるだろうし、こんないいことはないのだが。」と、思《おも》っていました。そこへ、夫《おっと》がから手《て》で、帰《かえ》ってきましたから、 「獲物《えもの》が見《み》つかりませんでしたか。」と、ききました。猟師《りょうし》は、見《み》つけたが、母子《おやこ》ぐまが、平和《へいわ》に無邪気《むじゃき》に、遊《あそ》んでいるので、かわいそうで打《う》てなかったと答《こた》えました。  すると、おかみさんが、またやさしい心《こころ》の人《ひと》で、 「それは、いいことをなさいました。親子《おやこ》の情《じょう》に、人間《にんげん》もくまも、かわりはないでしょう。思《おも》いやりがあるなら、どうしてそれが打《う》たれましょう。また、日《ひ》をあらためて、お出《で》かけなさいまし。」といったのであります。  二、三|日《にち》たってから、猟師《りょうし》は、ふたたび鉄砲《てっぽう》をかついで出《で》かけました。すると途中《とちゅう》で、なんでもこのあいだのこと、猟師《りょうし》が山《やま》でくまを打《う》ちそこねて、くまのために大《おお》けがをして山《やま》を下《くだ》ったという話《はなし》をききました。 「それなら、自分《じぶん》がもどるときに、出《で》あったあの猟師《りょうし》でなかろうか。たいへん自慢《じまん》をしていたが、きっと打《う》ちそこねて、くまにかみつかれたのかもしれない。」と、猟師《りょうし》は考《かんが》えました。  一|度《ど》、そんなことがあると、くまは気《き》がたっていますから、もし、こんど人間《にんげん》を見《み》たら、どんなに怒《おこ》って飛《と》びかかってくるかもしれないと考《かんが》えましたから、猟師《りょうし》はすこしも油断《ゆだん》をせずに山《やま》の中《なか》へはいってゆきました。  この前《まえ》、母《はは》ぐまと子《こ》ぐまの遊《あそ》んでいた、裏山《うらやま》までやってきました。ああ、ここだったなと思《おも》ってながめますと、そのときと同《おな》じように、とちの木《き》の葉《は》は、黄色《きいろ》にいろづいて、熟《じゅく》した実《み》がいくつも、いくつもぶらさがっていました。しかし、くまの姿《すがた》は、今日《きょう》は見《み》えませんでした。 「あの猟師《りょうし》の打《う》ったくまというのは、あのときの母《はは》ぐまではなかったろうか。」と、猟師《りょうし》は思《おも》いました。  もし、そうであったら、あの母《はは》ぐまと子《こ》ぐまは、いまごろどうなっているだろうと考《かんが》えながら、一|歩《ぽ》、一|歩《ぽ》、奥《おく》へとはいってゆきました。  たちまち、猟師《りょうし》は、草《くさ》の倒《たお》れているところへ出《で》ました。それは、くまが、もうすこし前《まえ》に通《とお》ったあとでした。こうなると、いつ、どこからくまが飛《と》び出《だ》してくるかわからないので、猟師《りょうし》は用心《ようじん》の上《うえ》にも用心《ようじん》をして、ゆきますと、どこか、あちらのがけのあたりで、ものすごいうなり声《ごえ》のようなものがきこえました。 「あ、こないだの猟師《りょうし》に打《う》たれた、くまが傷《きず》をうけて倒《たお》れているのだな。」と、猟師《りょうし》はすぐに頭《あたま》に浮《う》かびました。 「よし、おれが、今日《きょう》はしとめてくれるぞ。」と力《りき》んで、猟師《りょうし》は足音《あしおと》を忍《しの》んで、近《ちか》よって、そのようすをうかがいました。ところがどうでしょう。倒《たお》れているのは、まさしくこのあいだの母《はは》ぐまであって、子《こ》ぐまが、かなしそうに、お母《かあ》さんの傷口《きずぐち》をながめながら、なめては、またなめているではありませんか。  これを見《み》た猟師《りょうし》は、どうして、鉄砲《てっぽう》を向《む》けることができましょう。彼《かれ》は、気《き》づかれないように後《あと》ずさりをしました。そして、また、くまを打《う》たずに家《いえ》へもどったのでありました。 「ああ、暮《く》らしのためといいながら、なんて殺生《せっしょう》するのはいやな商売《しょうばい》だろう。あのくまを殺《ころ》すのはぞうさもないが、金《かね》のために、そんなむごいことができようか。」と、猟師《りょうし》がため息《いき》をつきました。  ところが、困《こま》ったことには、おかみさんが重《おも》いかぜにかかって、どっさり床《とこ》についたのです。貧乏《びんぼう》で、医者《いしゃ》にかけるどころか、あたたかなおいしいものをたべさせることもできません。頼《たの》むところはなし、どうすることもできなく、猟師《りょうし》は自分《じぶん》のだいじな鉄砲《てっぽう》を売《う》ろうと決心《けっしん》しました。なぜならほかに、売《う》るような金目《かねめ》の品物《しなもの》は、なんにもなかったからです。 「これを手放《てばな》してしまえば、明日《あした》から、自分《じぶん》は、猟《りょう》にゆくことができない。」と、思《おも》いましたが、妻《つま》が病気《びょうき》なら、そんなことをいっていられませんので、ある朝《あさ》、鉄砲《てっぽう》を持《も》って、町《まち》へ出《で》かけようとしました。  ちょうど、そこへ、旅《たび》の薬屋《くすりや》さんがやってきました。あれから、くま打《う》ちにいかなかったかと、たずねましたから、猟師《りょうし》が、その後《ご》のことをすっかり打《う》ち明《あ》けて物語《ものがた》ったのでした。だまってきいていた薬屋《くすりや》さんが、いくたびもうなずいて、 「いや、やさしいお心《こころ》がけです。それでこそ、ほんとうの人間《にんげん》です。私《わたし》は、こうして真正《しんせい》のくまのいをさがしていますのも、人《ひと》の命《いのち》を助《たす》けたいためからで、ただ金《かね》もうけのためばかりではありません。きけばお困《こま》りになって、商売道具《しょうばいどうぐ》をお売《う》りなさるとか、とんだことです。私《わたし》は、ここに金《かね》を置《お》いてゆきますから、このつぎきますまでに、そんなかわいそうなくまでない、もっと恐《おそ》ろしい大《おお》ぐまをしとめて、きもをとっておいてください。」といって、金《かね》を渡《わた》してゆきました。  あとで、この話《はなし》きいた村《むら》の人《ひと》たちは、猟師《りょうし》をほめれば、また薬屋《くすりや》さんを感心《かんしん》な人だ《ひと》といって、ほめたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 ※表題は底本では、「猟師《りょうし》と薬屋《くすりや》の話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2012年2月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。