もののいえないもの 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)敏《とし》ちゃん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|匹《ぴき》 -------------------------------------------------------  敏《とし》ちゃんは、なんだかしんぱいそうな顔《かお》つきをして、だまっています。 「どうしたの?」と、姉《ねえ》さんがきいてもだまっています。 「おかしいわ。いつも元気《げんき》なのに、けんかをしてきたんでしょう。」 「ばか。だれがけんかなんかするものか。」 「じゃ、どうしたの?」 「なんでもないのだよ。」  敏《とし》ちゃんは、あちらへいってしまいました。そしてまた、考《かんが》えていたのです。それには原因《げんいん》があったのです。わけといって、ただお友《とも》だちの徳《とく》ちゃんが、今日《きょう》川《かわ》へ釣《つ》りにいって見《み》てきたことを話《はな》しただけですが。 「今日《きょう》、僕《ぼく》、釣《つ》りにいったら、一|匹《ぴき》の大《おお》きなへびがいなごをのんでいるのを見《み》たんだよ。へびって、にくらしいやつだね。だから、石《いし》をなげてやった。」 「そうしたら、どうしたい?」 「どこかへはいって、見《み》えなくなってしまったよ。」  話《はなし》というのは、ただこれだけです。けれど、敏《とし》ちゃんにはその話《はなし》がなんでもなくなかったのは、つい二日《ふつか》まえのことでした。長《なが》いあいだかわいがっていたきりぎりすを、その田《た》んぼの方《ほう》へ逃《に》がしてやったからです。なぜ、そんなにかわいがっていたきりぎりすを逃《に》がしたかというのに。  ちょうど兄《あに》の太郎《たろう》さんが、お庭《にわ》で草《くさ》をとっていましたが、家《うち》へあがってくると、 「くもという虫《むし》は、りこうなものですね。平生《へいぜい》は、おくびょうですぐ逃《に》げるくせに、子供《こども》を持《も》っているとなかなか逃《に》げないで巣《す》の中《なか》にじっとして、子供《こども》をまもっていますよ。かわいそうだから、その草《くさ》をぬかずにおきました。」と、話《はな》しました。 「きっと、くものお母《かあ》さんでしょう。くもにも母性愛《ぼせいあい》というものがあるのでしょうね。」と、お母《かあ》さんがおっしゃいました。  そのとき、敏《とし》ちゃんは、のき下《した》にかかっているかごの中《なか》の、きりぎりすを見《み》あげていましたが、 「きりぎりすにもお母《かあ》さんはあるの?」と、ききました。 「それは、あるわよ。敏《とし》ちゃん、逃《に》がしておやりよ。」と、姉《ねえ》さんがいいました。 「かわいそうだから、僕《ぼく》、いやだ。」 「かわいそうだから、逃《に》がしてやるのよ。」 「雨《あめ》がふったり、風《かぜ》が吹《ふ》いたりするじゃないか。」 「それはしかたがないわ、やぶの中《なか》に住《す》んでいるのだもの。それよりか、こんなせまいかごの中《なか》に入《い》れておくほうが、よっぽどかわいそうだわ。」  姉《ねえ》さんと敏《とし》ちゃんとは、そんなことをいいあっていました。 「もっと大《おお》きなかごに入《い》れてやればいいんだ。」と、兄《にい》さんがいいました。 「だんだんきゅうりがなくなるから、それより逃《に》がしてやったほうがいいでしょう。」と、お母《かあ》さんがおっしゃいました。  敏《とし》ちゃんは、くもの話《はなし》から急《きゅう》に自分《じぶん》のきりぎりすが問題《もんだい》になったのが、わからないような、理由《りゆう》がないような気《き》がしましたが、考《かんが》えているうちにだんだん、こうしてきりぎりすをかごの中《なか》に入《い》れておくことは、よくないように思《おも》われたのです。 「逃《に》がしてやったら、お母《かあ》さんにあえる?」 「それは、わからないけれど、きっとよろこぶにちがいありません。」  とうとう、敏《とし》ちゃんは、かわいがっていたきりぎりすを、明日《あす》逃《に》がしてやることにしました。あくる日《ひ》は日曜日《にちようび》だったので、姉《ねえ》さんと二人《ふたり》でとおくの田《た》んぼへ持《も》っていって、人《ひと》に捕《と》らえられないような、また近《ちか》くにきゅうりの畠《はたけ》のあるようなところへ放《はな》してやることにきめました。 「そうものがわかると、敏《とし》ちゃんはいい子《こ》です。」 「ほんとうにいい子《こ》よ。」 「いい子《こ》だわね。」  そのとき、敏《とし》ちゃんは、お母《かあ》さんにも姉《ねえ》さんにもほめられました。こんなことは、めったにありません。しかし、あまりうれしくはなかったのです。  いよいよあくる日《ひ》となって、きりぎりすを逃《に》がしてやりました。所《ところ》は、徳《とく》ちゃんがへびを見《み》たという近《ちか》くの草《くさ》やぶでした。さいしょ、かごの中《なか》からきりぎりすを出《だ》してやると、よろこんでとんでいくと思《おも》いのほか、じっとして草《くさ》の葉《は》の上《うえ》にとまって動《うご》きませんでした。 「弱《よわ》っているんだね。」と、敏《とし》ちゃんはかわいそうになりました。 「いいえ、はじめて広《ひろ》いところへ出《で》て、びっくりしているのだわ。」と、姉《ねえ》さんは、そのおどろいたようなきりぎりすをながめていました。  そのうちに、きりぎりすは長《なが》いひげを動《うご》かして、草《くさ》のしげった中《なか》へはいっていきました。そのさびしそうなようすが、敏《とし》ちゃんの目《め》にいつまでものこっていました。 「やはり、お家《うち》においたほうがよかったかな。」と思《おも》っていたところへ、徳《とく》ちゃんが今日《きょう》、へびの話《はなし》をしたからです。  なるほど、へびというようなおそろしいものが、やぶの中《なか》に住《す》んでいることに気《き》がつかなかったと、敏《とし》ちゃんは後悔《こうかい》をしました。しかし、そんなことをいまさらお母《かあ》さんや姉《ねえ》さんにいってもしかたがないと思《おも》ったので、自分《じぶん》ひとりで逃《に》がしてやったきりぎりすのことを思《おも》い出《だ》していたのでした。 「やはり、お家《うち》においてかわいがってやればよかったんだ。かわいそうなことをしたなあ。」と思《おも》っていると、そとから、 「敏《とし》ちゃあん!」と、仲《なか》よしの徳《とく》ちゃんのよぶ声《こえ》がしました。 「いま、いくよ!」  敏《とし》ちゃんは急《きゅう》に元気《げんき》になってとびだしました。  あちらで、カチカチという紙芝居《かみしばい》の音《おと》がきこえていました。 「徳《とく》ちゃん、カチカチカチだよ。」 「カチカチなら、聞《き》こうよ。いいおじさんだものね。」 「ああ、ドンドンなんか、これから聞《き》くのをよそうよ。」  二人《ふたり》は紙芝居《かみしばい》のひょうし木《ぎ》の音《おと》のするお宮《みや》のけいだいへ、急《いそ》いでいきました。  二人《ふたり》は、カチカチとひょうし木《ぎ》をたたいてくる紙芝居《かみしばい》のおじさんと、ドンドンとたいこをたたいてくるおじさんの二人《ふたり》について話《はな》したのであります。この二人《ふたり》のおじさんは、いずれもじてん車《しゃ》にのってきました。カチカチのほうは、黒《くろ》い目《め》がねをかけ、せびろの洋服《ようふく》をきてパッチをはき、くつでありました。ドンドンのほうは、白《しろ》いシャツに長《なが》いズボンをはき、板《いた》ぞうりに帽子《ぼうし》をかぶっていました。  カチカチは、このあいだ「ゆかいなピンタン」をやりました。ドンドンは「ねこ娘《むすめ》」をやりました。どちらもお話《はなし》が上手《じょうず》でしたが、カチカチはかえるときに、「ありがとうございます。」といって、かえりました。  ドンドンはだまって、すうっといってしまいます。また、カチカチは子供《こども》が高《たか》いところからおちてころぶと、すぐにかけてきて、「なんともなかった?」と、やさしくききました。そしてその子供《こども》が泣《な》いていると、お金《かね》をやらなくても、あめをくれたのであります。これを、二人《ふたり》は見《み》て知《し》っていました。 「あのカチカチのおじさんは、いいおじさんだね。」と、敏《とし》ちゃんがいうと 「やさしい、いいおじさんだなあ。」と、徳《とく》ちゃんもいったのです。 「ドンドンは、小《ちい》さい子《こ》がころんでも、知《し》らん顔《かお》をしているね。」 「泣《な》くと、あっちへいけというだろう。あんな人《ひと》は悪《わる》いおじさんだね。」 「僕《ぼく》、カチカチすきだ。」 「僕《ぼく》も。」  こういってから、二人《ふたり》はカチカチのひいきとなったのでした。 「黄金《おうごん》バットかな。」 「そうかもしれないよ。」  カチカチのおじさんは、もうはじめていました。 「たこ坊主《ぼうず》のおかみさんに、どうぞ夫《おっと》の仇《かたき》をうってくださいとたのまれる、ヨシ、そんなら私《わたし》が仇《かたき》をうってやろうと、かっぱの親分《おやぶん》は、さっそく子分《こぶん》をよびあつめて、水《みず》をくぐってみつからないように、摩天楼《まてんろう》に近《ちか》づくように命《めい》じました。早《はや》くもそれを感《かん》じてノラクロは、このことをアグチャンに報告《ほうこく》したのであります。」  お宮《みや》のけいだいにあつまっている子供《こども》たちは、ねっしんに聞《き》いていました。  お話《はなし》がすむと、徳《とく》ちゃんが、「敏《とし》ちゃん、おいでよ。」といったので、敏《とし》ちゃんは徳《とく》ちゃんのお家《うち》へ遊《あそ》びにいきました。徳《とく》ちゃんのお家《うち》はあらもの屋《や》でした。おばさんはいい人《ひと》で、徳《とく》ちゃんにやさしかったのです。また、おばさんはねこがすきで、黒《くろ》い大《おお》きなねこがいました。そのねこをおばさんは、たいそうかわいがっていました。 「こいつは、ずるいやつだよ。」と、徳《とく》ちゃんがいいました。  おばさんのいるときは、おとなしくしているけれど、おばさんのいないときには、よく悪《わる》いことをするのだそうです。  ちょうど、おばさんのいるときでした。黒《くろ》ねこはおとなしくねむっていました。敏《とし》ちゃんがだくと、やっとだけるほど重《おも》かったのでした。しかし、なにをしても目《め》をほそくして、「ニャア。」とないていました。  今日《きょう》、遊《あそ》びにいくと、ちょうどおばさんはるすでした。敏《とし》ちゃんが、あちらにねむっている黒《くろ》ねこをよんでも、ふり向《む》かないのであります。徳《とく》ちゃんが大《おお》きな声《こえ》を出《だ》してよぶと、あちらを向《む》いたままで太《ふと》い尾《お》を動《うご》かして、ちょっとたたみをたたいたばかりでした。 「子供《こども》だと思《おも》って、ばかにしているのだね。いまに、ばけねこにばけるかもしれないよ。」 「ああ、なかなかわるいやつだよ。このあいだ、お母《かあ》さんが仏《ほとけ》さまにあげておいたあんパンを一つ食《た》べたのだよ。お母《かあ》さんは、僕《ぼく》が食《た》べたというんだもの。いくら僕《ぼく》でないといっても、お母《かあ》さんは、ほんとうにしないのだ。こいつが食《た》べたのだよ。」 「おばさん、どこかへいったの?」 「お使《つか》いにいったんだろう。」  二人《ふたり》は、ちょっとたいくつしました。 「なんかおもしろいことをして遊《あそ》ばない?」と、敏《とし》ちゃんがいいました。 「クロをいじめてやろうか。」と、徳《とく》ちゃんは、あちらに丸《まる》くなってねむっている黒《くろ》ねこを見《み》て、いいました。 「あのね、徳《とく》ちゃん、いいことがある。」と敏《とし》ちゃんは、徳《とく》ちゃんの耳《みみ》もとへ小《ちい》さな声《こえ》できさやきました。 「いい思《おも》いつきだね。きっとおもしろいよ。」 「僕《ぼく》、ふくろをさがしてくるから。」と、徳《とく》ちゃんは長《なが》ひばちのひきだしをあけて、紙《かみ》のふくろをさがしていました。 「あったかい?」 「あった。」  あつい大《おお》きなふくろを見《み》つけると、よろこんでとんできました。二人《ふたり》は、黒《くろ》ねこのそばへ用心《ようじん》ぶかくやってきました。「ニャア。」と黒《くろ》ねこは、うしろ向《む》きになったまま、いたずらをしてはいけないというふうに鳴《な》きました。これをきくと、二人《ふたり》はおかしくなって、とうとうわらい出《だ》してしまいました。 「知《し》っているんだね。」 「知《し》っていたっていいや。」  二人《ふたり》は、クロの頭《あたま》に紙《かみ》のふくろをかぶせてしまいました。  大《おお》きな黒《くろ》ねこはおき上《あ》がって、後《あと》じさりをはじめて、そのふくろを取《と》ろうとしました。けれど、どうしても取《と》れないのでおどりだしました。二人《ふたり》はいっしょにとびまわって、おもしろがっていました。  このとき、おばさんの帰《かえ》ってきたもの音《おと》がしたので、徳《とく》ちゃんは急《いそ》いでクロにかぶせた紙《かみ》ぶくろを取《と》ってしまいました。 「なにをして遊《あそ》んでいたの?」と、おばさんは、へやにはいってようすを見《み》て、 「おまえさんたち、ねこをいじめたのかい?」と、おっしゃいました。  二人《ふたり》は、頭《あたま》をふってわらっていました。黒《くろ》ねこは、おばさんのところへいって、ゴロゴロとのどを鳴《な》らしていました。これを見《み》ると、敏《とし》ちゃんは、 「ねこも、やっぱりきりぎりすのように、ものがいえないのだな。」と思《おも》いました。  もののいえないものが、みんなかわいそうになりました。いつかまた、敏《とし》ちゃんは、ひとりぼんやりと考《かんが》えこんでしまったのです。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷    1983(昭和58)年1月19日第6刷 初出:「大毎コドモ」    1934(昭和9)年10月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2015年5月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。