僕がかわいがるから 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)正《しょう》ちゃん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|論車《りんしゃ》 -------------------------------------------------------  正《しょう》ちゃんの、飼《か》っている黒犬《くろいぬ》が、このごろから他家《よそ》の鶏《にわとり》を捕《と》ったり、うきぎを捕《と》ったりして、みんなから悪《にく》まれていました。こんどやってきたら、鉄砲《てっぽう》で打《う》ち殺《ころ》してしまうといっている人《ひと》もあるくらいです。けれど、正《しょう》ちゃんは黒犬《くろいぬ》をかわいがっていました。 「クロや、もう僕《ぼく》といっしょでなければ、出《だ》さないよ。ひどいめにあうからね。」と、いってきかせました。  クロは、尾《お》を振《ふ》って、正《しょう》ちゃんの体《からだ》に頭《あたま》をすりつけて、クン、クンと喜《よろこ》んで鳴《な》いていました。 「わかれば、もういいのだよ。僕《ぼく》は、おまえをかわいがってやるから。」と、いって、クロの頭《あたま》を抱《かか》えて、その顔《かお》に自分《じぶん》のほおをつけていました。  しかし、お父《とう》さんや、お母《かあ》さんは、クロを捨《す》ててしまうといっていられました。そして、相談《そうだん》をなさっていられたのです。 「なにか、正二《しょうじ》のほしいものを買《か》ってやれば、いうことをきくかもしれない。」と、お父《とう》さんは、おっしゃいました。 「さあ、どうでしょうか。二|輪車《りんしゃ》をほしいといっていましたから、犬《いぬ》を捨《す》てたら、買《か》ってやるといってみましょうか。」と、お母《かあ》さんは、お答《こた》えなさいました。 「ああ、それがいい、きいてみてごらん。」と、お父《とう》さんが、いわれました。  お母《かあ》さんは、さっそく、正《しょう》ちゃんに、そのことをおっしゃいました。 「おまえの好《す》きなものを買《か》ってあげるから、クロをだれかにやっておしまいなさい。」と、おっしゃいました。  すると、正《しょう》ちゃんは、即座《そくざ》に、 「僕《ぼく》は、なにもほしくないから、クロをやることはいやです。」と、お答《こた》えしました。 「上等《じょうとう》の二|輪車《りんしゃ》を買《か》ってあげても。」 「二|輪車《りんしゃ》なんか、ほしくありません。」 「いつか、ほしいといったでしょう。」 「それは、ほしいが、クロをやってしまうことはいやです。」  お母《かあ》さんは、考《かんが》えていられましたが、正《しょう》ちゃんが、いつか、野球《やきゅう》のミットをほしいといったことを思《おも》い出《だ》されました。そこで、こんどは、 「ミットも買《か》って、あげるけど。」と、おっしゃいました。  ミットときいて、正《しょう》ちゃんは、お母《かあ》さんの顔《かお》を見《み》ました。 「ミットも買《か》ってくれるの?」と、お母《かあ》さんに、ききかえしました。 「ミットも買《か》ってあげます。」  お母《かあ》さんが、こうお答《こた》えなさると、正《しょう》ちゃんは、頭《あたま》を振《ふ》って、 「ミットなんか、ほしくない。」と、いいました。 「じゃ、犬《いぬ》をやめて、伝書《でんしょ》ばとになさいな、はとは、やさしくて、そんな悪《わる》いいたずらをしませんから。」と、お母《かあ》さんは、おっしゃいました。 「え、伝書《でんしょ》ばとを飼《か》ってくれるの?」と、正《しょう》ちゃんは、目《め》をかがやかしました。 「ええ、鳥屋《とりや》へいって、買《か》ってきてあげますよ。」 「二|輪車《りんしゃ》とミットと伝書《でんしょ》ばとを買《か》ってくれない?」と、正《しょう》ちゃんは、大《おお》いに欲張《よくば》りました。 「さあ、お父《とう》さんが、なんとおっしゃるかしれませんけれど、そうしたら、正《しょう》ちゃんは、クロを捨《す》ててしまいますね?」と、お母《かあ》さんは、念《ねん》を押《お》されました。 「どうしても、クロを捨《す》ててしまうの、かわいそうだなあ。だれかにやってしまえばいいではないか。」と、正《しょう》ちゃんは、考《かんが》えていました。 「それは、聞《き》いてみますが、あんなに大《おお》きくなった犬《いぬ》をだれも、もらうものはないでしょう。遠《とお》くへつれていって、置《お》いてくるのですね。」  このとき、正《しょう》ちゃんは、クロと約束《やくそく》したことを思《おも》い出《だ》しました。僕《ぼく》は、おまえをかわいがってやるからといったことを思《おも》い出《だ》しました。 「僕《ぼく》、いやだ、やはり、クロを飼《か》っておく。」と、きっぱりといいました。 「伝書《でんしょ》ばとはいらないんですね。」と、お母《かあ》さんが、おっしゃいました。  伝書《でんしょ》ばとときくと、正《しょう》ちゃんは、また迷《まよ》ってしまいました。犬《いぬ》もいいが、あのかわいらしい目《め》をしたはともほしかったのです。それに、はとは卵《たまご》を生《う》むからよけいいいのです。 「お母《かあ》さん、僕《ぼく》、考《かんが》えてみていい?」と、正《しょう》ちゃんは、いいました。 「ああ、よく考《かんが》えてごらんなさいね。私《わたし》も、二|輪車《りんしゃ》に、ミットに、伝書《でんしょ》ばとですから、考《かんが》えてみなければなりません。」と、いって、お母《かあ》さんは、笑《わら》っていらっしゃいました。  正《しょう》ちゃんは、草《くさ》の上《うえ》に横《よこ》になって、大空《おおぞら》をながめながら、 「はとと二|輪車《りんしゃ》にしようかなあ、しかし、クロがかわいそうだし……。」と、いって、考《かんが》え込《こ》んでいました。そして、考《かんが》えに疲《つか》れて、そのまま目《め》を閉《と》じて、じっとしていると、自分《じぶん》を探《さが》しにきたクロが、ハッ、ハッと、息《いき》を切《き》って、頭《あたま》のところへ走《はし》ってきたけはいがしました。 「こうして、死《し》んだふりをしていよう。」と、正《しょう》ちゃんは、思《おも》いました。  クロは、正《しょう》ちゃんの頭《あたま》をかぎました。つぎに顔《かお》をなめました。正《しょう》ちゃんは、おかしくて、しようがなかったけれど、我慢《がまん》をしているとクロは、なんと思《おも》ったか、――ほんとうに死《し》んだと思《おも》ったのか、急《きゅう》に悲《かな》しそうな声《こえ》を出《だ》して、ほえはじめました。そして、また正《しょう》ちゃんの顔《かお》をなめ、起《お》こそうと着物《きもの》をくわえて引《ひ》っ張《ぱ》ったのです。正《しょう》ちゃんは、はね起《お》きました。 「クロ! 僕《ぼく》は、こんなにやさしいおまえを捨《す》てようなどと思《おも》って悪《わる》かった! 堪忍《かんにん》しておくれ、もう、いつまでもかわいがって、どこへもやらないから。」と、いって、二人《ふたり》は、草《くさ》の上《うえ》で元気《げんき》よく、相撲《すもう》を取《と》って遊《あそ》んだのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 初出:「台湾日日新報」    1936(昭和11)年5月22日 ※表題は底本では、「僕《ぼく》がかわいがるから」となっています。 ※初出時の表題は「僕が可愛がるから」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年6月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。