冬のちょう 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)天気《てんき》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)百|姓《しょう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)圃《はたけ》[#ルビの「はたけ」はママ] -------------------------------------------------------  すがすがしい天気《てんき》で、青々《あおあお》と大空《おおぞら》は晴《は》れていましたが、その奥底《おくそこ》に、光《ひか》った冷《つめ》たい目《め》がじっと地上《ちじょう》をのぞいているような日《ひ》でした。  美《うつく》しい女《め》ちょうは、自分《じぶん》の卵《たまご》をどこに産《う》んだらいいかと惑《まど》っているふうでありました。なるたけ暖《あたた》かな、安全《あんぜん》な場所《ばしょ》を探《さが》していたのでした。  もう、季節《きせつ》は秋《あき》の半《なか》ばだったからです。その卵《たまご》が孵化《ふか》して一ぴきの虫《むし》となって、体《からだ》に自分《じぶん》のような美《うつく》しい羽《はね》がはえて自由《じゆう》にあたりを飛《と》べるようになるには、かなりの日数《にっすう》がなければならぬからでした。 「ああ、かわいそうに、こんな時分《じぶん》に生《う》まれてこなければよかったのに……。」といって、女《め》ちょうはまだ見《み》ない子供《こども》のことを憂《うれ》えたのでありました。  彼女《かのじょ》は、さらに、そのような心配《しんぱい》をしなくてはならぬ、自分《じぶん》をも不幸《ふこう》に考《かんが》えたのでありました。 「なぜ、私《わたし》は、もっと日《ひ》の長《なが》い、そしていろいろの花《はな》がたくさんに咲《さ》いている時分《じぶん》に、この世《よ》の中《なか》へ生《う》まれてこなかったのだろう。」と、思《おも》わずにいられなかったのです。  どこか、庭《にわ》の捨《す》て石《いし》の下《した》からはい出《で》てきた、がまがえるが、日《ひ》あたりのいい、土手《どて》の草《くさ》の上《うえ》に控《ひか》えて、哲学者然《てつがくしゃぜん》と瞑想《めいそう》にふけっていましたが、たまたま頭《あたま》が上《うえ》へ飛《と》んできた、女《め》ちょうのひとりごとをきくと、目《め》をぱっちりと開《あ》けて、大《おお》きな口《くち》で話《はな》しかけました。 「そのころの世《よ》の中《なか》のことなら、私《わたし》がよく知《し》っている。話《はな》してきかせるから、木《き》の葉《は》にとまってすこし休《やす》みなさい。」  女《め》ちょうは、びっくりしました。そこにいて、さっきから獲物《えもの》をねらっていた、恐《おそ》ろしい怪物《かいぶつ》に気《き》がつかなかったのでした。 「私《わたし》は、おまえをとろうとは思《おも》っていない。私《わたし》は、いまなにもたべたくない。静《しず》かに、昔《むかし》のことを思《おも》っていたのだ。春《はる》から夏《なつ》にかけては、私《わたし》たち、生物《せいぶつ》は、だれもかれも幸福《こうふく》なものだった。それから見《み》れば、いまのものは、かわいそうだと思《おも》うよ。」  こうがまがえるがいったので女《め》ちょうは、自分《じぶん》に同情《どうじょう》してくれるものと思《おも》って、立《た》ち上《あ》がったのを、引《ひ》き返《かえ》してきて、かたわらの一つの葉《は》の上《うえ》に止《と》まりました。 「後生《ごしょう》ですから、私《わたし》のお母《かあ》さんや、お父《とう》さんたちの、黄金時代《おうごんじだい》のことを話《はな》してください。きくだけでも、生《う》まれてきたかいがありますから。」と、彼女《かのじょ》は、頼《たの》みました。 「それは、野《の》にも、山《やま》にも、圃《はたけ》[#ルビの「はたけ」はママ]にも、花《はな》という花《はな》はあったし、やんわりとした空気《くうき》には、甘《あま》い香《かお》りがただよっていた。鳥《とり》が鳴《な》き、流《なが》れがささやき、風《かぜ》さえうたうのだから音楽《おんがく》がいたるところできかれたものだ。それは、このごろの悲《かな》しい歌《うた》とちがって力《ちから》のあふれたものだった。おまえさんたちの知《し》らない、いろんなちょうを見《み》たよ。おまえさんが、美《うつく》しくないというのでは、けっしてないが、それは、美《うつく》しいちょうがたくさん飛《と》んでいた。人間《にんげん》は、花《はな》よりも、かえって、ちょうちょうといって、ほめそやしたものだ。ちょっとおおげさだが、空中《くうちゅう》いっぱいちょうだといってよかったんだ。」 「まあ、そんなに、私《わたし》たち、ちょうばかりだったのですか。そして、そんなに、人間《にんげん》に愛《あい》されたのですか。」と、女《め》ちょうは目《め》をまわすばかりおどろきました。  すると、がまがえるは、冷静《れいせい》な調子《ちょうし》で、語《かた》りつづけました。 「おまえさんは、どう思《おも》う。そんなにちょうがたくさんいて、どの圃《たんぼ》にも、どの花壇《かだん》にも、いっぱいで、みつを吸《す》うばかりでなく卵《たまご》を産《う》みつけたとしたら。たちまち、若木《わかぎ》は坊主《ぼうず》となり、野菜《やさい》の葉《は》は、穴《あな》だらけになってしまう。そうなってもちょうをきれいだなどというのは、ただふらふらしている遊《あそ》び人《にん》だけで百|姓《しょう》や、また草木《くさき》をかわいがる人間《にんげん》は、そうはいわない。一|滴《てき》からだについたら、死《し》んでしまうような殺虫剤《さっちゅうざい》で、朝《あさ》から晩《ばん》まで、ちょうの後《あと》を追《お》いまわしたものだ。おまえのお母《かあ》さんや、おまえさんが、子供《こども》の時分《じぶん》に殺《ころ》されなかったのは、よほど、運《うん》がよかったのだ。」  これをきくと、女《め》ちょうは、本能的《ほんのうてき》に、くもをおそれ、人間《にんげん》をおそれたことが、まちがいでなかったのを悟《さと》りました。そして、さらに、なんとなく無気味《ぶきみ》に感《かん》じたので、がまがえるからも遠《とお》くはなれて飛《と》び去《さ》ったのです。  彼女《かのじょ》は、庭《にわ》のすみにあって、日当《ひあ》たりのいいからたちの木《き》を撰《えら》びました。そこには、鋭《するど》い無数《むすう》の刺《とげ》があって、外《そと》からの敵《てき》を守《まも》ってくれるであろうし、そのやわらかな若葉《わかば》は卵《たまご》が孵化《ふか》して幼虫《ようちゅう》となったときの食物《しょくもつ》となるであろうと考《かんが》えたからでした。  彼女《かのじょ》は、子供《こども》に対《たい》する最後《さいご》の義務《ぎむ》を終《お》えたのでありました。そして、子供《こども》らの将来《しょうらい》の幸福《こうふく》をねがうように、からたちの木《き》のいただきを三、四へんもひらひらと舞《ま》うと、あだかもあらしに吹《ふ》かれる落《お》ち葉《ば》のように、女《め》ちょうの姿《すがた》は、青空《あおぞら》のかなたへと消《き》えていったのであります。  秋草《あきくさ》の乱《みだ》れた、野原《のはら》にまで、女《め》ちょうは一|気《き》に飛《と》んでくると気《き》がゆるんで、一|本《ぽん》の野菊《のぎく》の花《はな》にとまって休《やす》みました。  このうす紫色《むらさきいろ》の、花《はな》の放《はな》つ高《たか》い香気《こうき》は、なんとなく彼女《かのじょ》の心《こころ》を悲《かな》しませずにいませんでした。 「冬《ふゆ》を前《まえ》にして、なんと私《わたし》たちは、悪《わる》い時代《じだい》に生《う》まれてこなければならなかったのだろう。」  彼女《かのじょ》が、こういっているのを、だまってきいていた野菊《のぎく》は、 「なんの、まだ季節《きせつ》の遅《おそ》いことがあるものですか。このように、野《の》にはいろいろの花《はな》が咲《さ》いているではありませんか。このあいだここへやってきた緑色《みどりいろ》の蛾《が》は、夏《なつ》のはじめのころ、なんでもおおぜいが群《む》れを造《つく》って、あの国境《こっきょう》の高《たか》い山々《やまやま》を越《こ》えて七十|里《り》も、八十|里《り》も、あちらの方《ほう》から旅《たび》をしてきたといっていました。まだ冬《ふゆ》になるまでにはだいぶ間《ま》のあることです。いろいろおもしろいことがありますよ。」といって、女《め》ちょうをなぐさめるとともに、自分《じぶん》で、自分《じぶん》をなぐさめたのでありました。  その翌日《よくじつ》は、秋《あき》にはめずらしい暖《あたた》かな日《ひ》でした。強《つよ》く射《さ》す光《ひかり》に、草《くさ》の葉《は》はきらきらと輝《かがや》いて、冬《ふゆ》などはどこか遠《とお》い地平線《ちへいせん》のかなたにしかないと考《かんが》えられたのです。  このとき、黒《くろ》く、雲《くも》のように、頭《あたま》の上《うえ》の空《そら》をかすめて飛《と》んでいったものがあります。女《め》ちょうは昨日《きのう》から、この野《の》の中《なか》に一|夜《や》を明《あ》かしたのであるが、音《おと》のする上《うえ》を見《み》あげて、渡《わた》り鳥《どり》にしては小《ちい》さいと思《おも》ったので、 「あれは、なんですか。」と、花《はな》に向《む》かって、たずねました。 「あれですか、ばったの群《む》れが、どこかへ移《うつ》ってゆくのです。」と、花《はな》は答《こた》えました。  どこかに、もっといい土地《とち》があるのであろうと、女《め》ちょうは考《かんが》えていました。  その晩《ばん》の月《つき》は、明《あか》るかったのです。そして、地虫《じむし》は、さながら、春《はる》の夜《よ》を思《おも》わせるように哀《あわ》れっぽい調子《ちょうし》で、唄《うた》をうたっていました。  幾《いく》たびか、眠《ねむ》られぬままに、からだを動《うご》かしていたちょうはついに、月《つき》の光《ひかり》を浴《あ》びながら、どこへとなく、飛《と》び去《さ》ってしまいました。  そしてふたたび、彼女《かのじょ》の姿《すがた》は地上《ちじょう》に見《み》られなくなりました。  うすく霜《しも》の降《お》りた、ある寒《さむ》い朝《あさ》、からたちの枝《えだ》の先《さき》のところにしがみついて、金色《こんじき》の日《ひ》の光《ひかり》を、ありがたそうに待《ま》っている青虫《あおむし》がありました。いじらしくも、そのからだには、わずかに羽《はね》が生《は》えかかっているのでした。  たまたまかたわらにあった家《いえ》の窓《まど》から、顔《かお》を出《だ》して、これを見《み》た主人《しゅじん》は、傷《いた》ましそうに、 「ああ。」と、感動《かんどう》して、声《こえ》をあげました。なぜなら、彼《かれ》はいまの時代《じだい》に生《う》まれてきた、自分《じぶん》の子供《こども》たちや、多《おお》くの子供《こども》たちのことについて、考《かんが》えていたときであったからです。 「かわいそうに、こう寒《さむ》くては、死《し》んでしまうだろう。悪《わる》い時節《じせつ》に生《う》まれてきたものだ。野《の》にも、圃《たんぼ》にも、花《はな》と光《ひかり》がないごとく、この社会《しゃかい》にも、自由《じゆう》と空想《くうそう》と芸術《げいじゅつ》が滅《ほろ》びたのだから。」 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 初出:「民政」    1934(昭和9)年1月 ※表題は底本では、「冬《ふゆ》のちょう」となっています。 ※初出時の表題は「冬の蝶」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2012年5月6日作成 2012年9月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。