はちの巣 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)日《ひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|匹《ひき》 -------------------------------------------------------  ある日《ひ》、光子《みつこ》さんは庭《にわ》に出《で》て上《うえ》をあおぐと、青々《あおあお》とした梅《うめ》の木《き》の枝《えだ》に二|匹《ひき》のはちが巣《す》をつくっていました。 「おとなりの勇《いさむ》ちゃんが見《み》つけたら、きっと取《と》ってしまうから、私《わたし》、知《し》らさないでおくわ。」  そう思《おも》って見《み》ていますと、一|匹《ぴき》ずつかわるがわるどこかへとんでいっては、なにか材料《ざいりょう》をくわえてきました。そして、一|匹《ぴき》がかえってくると、いままで巣《す》にとまって番《ばん》をしていたのがこんどとんでいくというふうに、二|匹《ひき》は力《ちから》をあわせてその巣《す》を大《おお》きくしようとしていたのです。  そののち、光子《みつこ》さんは毎日《まいにち》梅《うめ》の木《き》の下《した》に立《た》って、その巣《す》の大《おお》きくなるのを見《み》るのがなんとなくたのしみでありました。 「もう、今日《きょう》はあんなに大《おお》きくなった。」  しかし、それはほんとうにすこしずつしか大《おお》きくならなかったのです。二|匹《ひき》のはちが小《ちい》さな口《くち》にくわえてきた材料《ざいりょう》を、自分《じぶん》の口《くち》から出《で》るつばでかためていくのでありましたから、なかなかたいへんなことです。けれど、はちは、たゆまずうまずに、朝《あさ》も晩《ばん》も巣《す》をつくることに、いっしょうけんめいでありました。  ところが、どうしたことか、そのうち巣《す》にとまっているのがいつも一|匹《ぴき》であって、もう一|匹《ぴき》のすがたが見《み》えなくなったことです。 「どうしたんでしょう?」と、光子《みつこ》さんはしんぱいになりました。  光子《みつこ》さんはお母《かあ》さんのところへ走《はし》っていきました。 「ねえ、お母《かあ》さん、はちが一|匹《ぴき》いないのよ。いつも二|匹《ひき》のがどうしたんでしょうね?」といって、きいたのであります。 「そうね、きっとそのうちにかえってくるでしょう。」と、お母《かあ》さんにもすぐにはわからなかったのでした。 「もう、ずっとかえってこないの。一|匹《ぴき》がさびしそうにしているの。」と光子《みつこ》さんは、なんだかひとりのこされたはちの身《み》の上《うえ》を思《おも》うと、気《き》が気《き》でなかったのです。 「どうしたんでしょうね。いたずらっ子《こ》にでも殺《ころ》されたか、悪《わる》いくもの巣《す》にでもかかって、かえれないのかもしれません。」と、お母《かあ》さんはおっしゃいました。  ――悪《わる》いくも――ということが、すぐに光子《みつこ》さんの頭《あたま》に強《つよ》くひびいてきました。いつであったか、ひさしから木《き》の枝《えだ》にかけていたくもの巣《す》に、はちがかかって、とうとうくものために殺《ころ》されたのを見《み》たことがあったからです。また、その巣《す》には、せみもかかれば、ちょうもかかったのでした。さいしょ、これらの虫《むし》がとんできて、目《め》に見《み》えない細《ほそ》い糸《いと》に足《あし》をとらえられると、逃《に》げようとしてもがきます。しかし、いくらあせっても、もちのように糸《いと》がねばりついて、足《あし》にからみつくばかりです。そのうちに、虫《むし》は弱《よわ》ってしまう、そのとき、どこからか黒《くろ》い大《おお》きなくもがあらわれてきて、するどい口《くち》で生《い》き血《ち》を吸《す》ってしまうのでありました。  そのありさまを思《おも》いだすと、この勤勉《きんべん》なはちもそんなめにあったのではないかと、いたましいすがたが想像《そうぞう》されたのです。そればかりではありません。また――いたずらっ子《こ》に殺《ころ》される――というしんぱいも、ないではなかったのです。  いつか、勇《いさむ》ちゃんが水《みず》たまりへ水《みず》を飲《の》みにおりてきたはちを、持《も》っていた棒《ぼう》でたたきおとして殺《ころ》したことがあったのです。  いずれにしても、一|匹《ぴき》のはちはなにかの不幸《ふこう》に出《で》あって、もうかえってこないもののように思《おも》われました。光子《みつこ》さんは、また、梅《うめ》の木《き》の下《した》にもどってきました。 「まだかえってこないのか。どうしたんでしょう、ひとりで、さびしくない?」といって、巣《す》にとまっている一|匹《ぴき》のはちに話《はな》しかけました。  けれど、ものをいうことのできぬはちは、ただ巣《す》にとまってじっとしているばかりでありました。ちょうどそこへ、勇《いさむ》ちゃんが遊《あそ》びにきましたから、光子《みつこ》さんは梅《うめ》の木《き》の下《した》をはなれてしまいました。 「光子《みつこ》さん、まだ梅《うめ》の実《み》がなっているね。もう梅《うめ》の実《み》はあまくなった?」といって、勇《いさむ》ちゃんは梅《うめ》の木《き》を見《み》あげました。  光子《みつこ》さんは、勇《いさむ》ちゃんがはちの巣《す》を見《み》つけたらたいへんだ、きっとそのままにしておかないと思《おも》いましたから、 「勇《いさむ》ちゃん、こっちへいらっしゃい。きれいなお人形《にんぎょう》さんを見《み》せてあげるわ。昨日《きのう》、よそのおばさんにいただいたのよ。」といいますと、勇《いさむ》ちゃんは日《ひ》にやけたまっ黒《くろ》な顔《かお》をして、 「お人形《にんぎょう》さんなんか、いいよ。それより、ねこをつれておいでよ。」と、いいました。  勇《いさむ》ちゃんは、ねこが大《だい》すきなのでした。 「タマは、いまいないの。」と、光子《みつこ》さんはタマを出《だ》すまいとしました。  なぜなら、勇《いさむ》ちゃんはあまりかわいがりすぎて、ねこを苦《くる》しめたからです。 「どこへいったの?」  勇《いさむ》ちゃんは、お家《うち》の内《なか》をのぞいていました。光子《みつこ》さんは、タマが出《で》てこなければいいと思《おも》いました。出《で》てきたら、また勇《いさむ》ちゃんがだいたり尾《お》をひっぱったり、いやだといって逃《に》げるのをむりにおさえて、外《そと》へつれていってしまうだろうとしんぱいになったからです。 「きっと、おじいさんのところでしょう。」と、光子《みつこ》さんはいいました。  勇《いさむ》ちゃんは、光子《みつこ》さんの家《うち》でいちばんおじいさんがこわかったのです。だから、もうそれっきりねこのことをいうのをやめてしまいました。 「光子《みつこ》さん、遊《あそ》びにいこう。」と、勇《いさむ》ちゃんがいいました。 「ええ、いきましょう。」  光子《みつこ》さんは勇《いさむ》ちゃんと肩《かた》をならべて、木戸《きど》をあけて、きらきらと日《ひ》が草木《くさき》の葉《は》にかがやいている往来《おうらい》の方《ほう》へと出《で》ていきました。あちらには、年《とし》ちゃんやよし子《こ》さんたちが遊《あそ》んでいました。すぐに、みんなはいっしょになりました。 「原《はら》っぱへポチをつれて、きちきちばったを捕《と》りにいこう。」と、勇《いさむ》ちゃんがいいました。  ポチはみんなのすがたを見《み》ると、とんできました。そして、いきなり勇《いさむ》ちゃんにとびついて勇《いさむ》ちゃんの顔《かお》をなめたりしました。  原《はら》っぱへいくと、ほかにも子供《こども》たちがいて、きちきちばったを追《お》っていました。また、ほかの女《おんな》の子《こ》は、じゅず玉《だま》を取《と》ってくびかざりなどをつくっていました。 「私《わたし》、じゅず玉《だま》がほしいの。勇《いさむ》ちゃんとってくれない?」と、光子《みつこ》さんが勇《いさむ》ちゃんのいるところへきて、いいました。  勇《いさむ》ちゃんはきちきちばったを捕《と》らえて、指《ゆび》のあいだにはさんでいました。 「光子《みつこ》さん、じゅず玉《だま》がほしいの? たくさん取《と》ってあげるから、こんどタマをいじらせてくれる?」と、ききました。  光子《みつこ》さんは、勇《いさむ》ちゃんがねこをいじるのはしつこくてかわいそうだけれど、いじめるのではないから、「うん。」といって、承諾《しょうだく》しました。 「じゃ、このきちきち持《も》っていておくれ。」といって、ばったを光子《みつこ》さんにわたして、自分《じぶん》は草《くさ》むらの中《なか》にはいりました。  ポチが、まっ先《さき》になってとびこみました。  光子《みつこ》さんは、こちらにぼんやりと立《た》って、勇《いさむ》ちゃんがじゅず玉《だま》の茎《くき》を折《お》ってくるのを待《ま》っていました。年《とし》ちゃんやよし子《こ》さんは、あちらでまりぶつけをしていました。青《あお》い海《うみ》のような空《そら》には、白《しろ》い雲《くも》がほかけ船《ぶね》の走《はし》るように動《うご》いていました。  このときです。 「あいた!」と、ふいに勇《いさむ》ちゃんのさけぶ声《こえ》がしました。 「どうしたの?」と、光子《みつこ》さんは顔色《かおいろ》をかえて、自分《じぶん》も草《くさ》むらの中《なか》にかけよろうとしました。勇《いさむ》ちゃんは片手《かたて》にじゅず玉《だま》の茎《くき》をにぎり、片手《かたて》でほおをおさえて泣《な》かんばかりにして出《で》てきました。 「はちにさされた!」といって、目《め》からなみだを出《だ》しました。 「はちに?」  光子《みつこ》さんは、わるかったと思《おも》いました。 「勇《いさむ》ちゃん、かんにんしてね。」といって、光子《みつこ》さんはわびました。  自分《じぶん》がじゅず玉《だま》を取《と》ってくれとたのまなければ、勇《いさむ》ちゃんは、はちになんかさされなくてもすんだのだと思《おも》ったからです。勇《いさむ》ちゃんは、じゅず玉《だま》のなっている枝《えだ》を光子《みつこ》さんにわたすと、きちきちばったをうけ取《と》って、 「お母《かあ》さんに、お薬《くすり》をつけてもらうから。」といって、走《はし》ってお家《うち》へかえってしまいました。  光子《みつこ》さんは、きゅうにつまらなくなって、じゅず玉《だま》の枝《えだ》をひきずるようにしてお家《うち》へかえりました。じゅず玉《だま》の実《み》は、銀色《ぎんいろ》に、むらさき色《いろ》に、さながら宝石《ほうせき》のように光《ひか》っていました。  お家《うち》へかえってから、梅《うめ》の木《き》のはちを見《み》ると、ひとりぽっちで巣《す》をつくっていたはちとおなじなはちが勇《いさむ》ちゃんをさしたのだと思《おも》うと、きゅうに、はちにたいする同情《どうじょう》がうすくなったけれど、また、そのしおらしいすがたを見《み》ると、 「お家《うち》のはちは、かわいそうなのよ。」と、ひとり言《ごと》をして、光子《みつこ》さんはそのはちを見《み》まもっていました。 「これは、きっと、お母《かあ》さんばちにちがいないわ。」と思《おも》うと、光子《みつこ》さんの目《め》の中《なか》からしぜんにあついなみだがこぼれおちたのです。  二、三|日《にち》たって、勇《いさむ》ちゃんは木戸口《きどぐち》から、「光子《みつこ》さん!」といって、遊《あそ》びにきました。  まだ、ほおがいくらかはれていました。そのうちに、勇《いさむ》ちゃんは梅《うめ》の木《き》のはちの巣《す》を見《み》つけました。 「あ、はちが巣《す》をかけているよ。」といって、勇《いさむ》ちゃんは梅《うめ》の木《き》見《み》あげながら小《ちい》さな太《ふと》い指《ゆび》でさしました。  光子《みつこ》さんは、胸《むね》がどきどきしました。「さあ、たいへんだ!」と思《おも》ったからです。このあいだの怒《いか》りもあって、勇《いさむ》ちゃんはきっと、このはちの巣《す》を取《と》るにちがいないと思《おも》いましたから、光子《みつこ》さんがおどろいたのもむりはなかったのです。はたして、勇《いさむ》ちゃんはあたりを見《み》まわして、なにか棒《ぼう》がないかとさがしていました。 「ねえ、勇《いさむ》ちゃん、このはちは、ひとりぽっちでかわいそうなのよ。」と、光子《みつこ》さんはあわれっぽい声《こえ》で、いいました。 「ひとりぽっちなの?」と、勇《いさむ》ちゃんは、ふしぎそうにききかえしました。 「え、そうなの。二|匹《ひき》でいたのが、一|匹《ぴき》いくら待《ま》っても、もうかえってこないの。」と、光子《みつこ》さんは答《こた》えました。 「ほんとう、どうしたんだろうな。」と、勇《いさむ》ちゃんは目《め》をまるくしました。 「いたずらっ子《こ》に殺《ころ》されたのか、わるいくもの巣《す》にかかったんだろうって、お母《かあ》さんがおっしゃってよ。」  勇《いさむ》ちゃんはなんと思《おも》ったか、だまって、たった一|匹《ぴき》巣《す》に止《と》まっているのを見《み》ていましたが、 「かわいそうにね。」といって、きゅうに、はちをいたわるようにながめていました。 「まあ、よかった! やはり勇《いさむ》ちゃんはやさしい。」と、光子《みつこ》さんは心《こころ》の中《なか》で思《おも》いました。 「勇《いさむ》ちゃん、あんまりタマをいじめちゃいやよ。」といって、光子《みつこ》さんは奥《おく》から子《こ》ねこをだいてきました。  勇《いさむ》ちゃんは、にこにこして両手《りょうて》を出《だ》していました。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷    1983(昭和58)年1月19日第6刷 ※表題は底本では、「はちの巣《す》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2015年5月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。