年ちゃんとハーモニカ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)年《とし》ちゃん -------------------------------------------------------  年《とし》ちゃんの友《とも》だちの間《あいだ》で、ハーモニカを吹《ふ》くことが、はやりました。はじめ、だれか一人《ひとり》がハーモニカを持《も》つと、みんながほしくなって、つぎから、つぎへというふうに、買《か》ったのであります。けれど、みんなは、それを吹《ふ》き鳴《な》らすことを覚《おぼ》えないうちに、やめてしまったけれど、年《とし》ちゃんだけは、べつに教《おそ》わりもせずに、いろいろの歌《うた》を吹《ふ》けるようになりました。 「学校《がっこう》のことが、そういうふうにできるといいのですけれどね。」と、お母《かあ》さんが、おっしゃいました。 「いや、なんだって、上手《じょうず》になればいいさ。年坊《としぼう》は、音楽家《おんがくか》になるかな。」と、お父《とう》さんは、笑《わら》われました。  しかし、学校《がっこう》のことは、ハーモニカのようには、ゆきませんでした。それだけでなく、試験《しけん》が近《ちか》づいてきても、年《とし》ちゃんは、遊《あそ》んでばかりいるので、お母《かあ》さんは心配《しんぱい》なさいました。 「そんなに遊《あそ》んでいてもいいのですか?」  そうお母《かあ》さんにいわれると、さすがに、年《とし》ちゃんも心配《しんぱい》になるとみえて、ご本《ほん》を出《だ》したり、また、お姉《ねえ》さんや、お兄《にい》さんから算術《さんじゅつ》のわからないところをきいたりして、勉強《べんきょう》をしましたが、それも、そのときだけで、いつかまた遊《あそ》んでしまったのです。  やがて、試験《しけん》も終《お》わり、いよいよ今日《きょう》は、通信簿《つうしんぼ》をもらうのでありました。 「どんなお点《てん》をもらってくるでしょうか。」と、お母《かあ》さんと、お姉《ねえ》さんは、年《とし》ちゃんの帰《かえ》るのを待《ま》っていられました。  すると、なにか鼻唄《はなうた》をうたいながら、小《ちい》さなくつの足音《あしおと》がして、つぎに、ご門《もん》の戸《と》が開《あ》きました。年《とし》ちゃんが、帰《かえ》ってきたのです。 「ただいま。」と、いつものように、年《とし》ちゃんは、ごあいさつをしました。 「どう? 年《とし》ちゃん。」と顔《かお》を見《み》るや、お姉《ねえ》さんが、おききになりました。 「ガア、ガア、いう声《こえ》がきこえた?」と、年《とし》ちゃんは、いいました。 「なあに、ガア、ガア、って?」 「僕《ぼく》、たくさん、あひるをもらってきたから。」と、年《とし》ちゃんは、朗《ほが》らかなものです。 「まあ、乙《おつ》ばっかしなの?」と、こんどは、家《うち》じゅうが、大笑《おおわら》いになりました。 「丙《へい》がなかっただけでも、ありがたいのですよ。さあ、この通信簿《つうしんぼ》をお仏壇《ぶつだん》の前《まえ》におあげなさい。」と、お母《かあ》さんが、おっしゃいました。 「年《とし》ちゃん、きょうは、ラジオで、ハーモニカの上手《じょうず》な方《かた》がなさるから、よくおききなさいね。」と、お姉《ねえ》さんが、いわれました。 「僕《ぼく》、きくよ。」  やがて、その時間《じかん》になると、年《とし》ちゃんは、上衣《うわぎ》のかくしから、よごれたハンカチを出《だ》して、自分《じぶん》のハーモニカを拭《ふ》いてちゃんとラジオの前《まえ》にすわりました。みんなは、そのまじめなようすがおかしいので、くすくすと笑《わら》いました。  けれど、年《とし》ちゃんだけは、真剣《しんけん》でした。そのうち、ラジオのハーモニカが、はじまりました。名人《めいじん》だけあって、それはうまいもので、ピアノの音《ね》も出《で》れば、バイオリンの音《ね》も出《で》たのであります。  年《とし》ちゃんは、はじめは、それに合《あ》わせるつもりでしたが、たちまち、その元気《げんき》はどこへやら消《き》えて、しまいには、ハーモニカを吹《ふ》くのをやめて、ただ、石《いし》のように、だまったまま、下《した》を向《む》いてきいていました。  やっと、その、ハーモニカが、終《お》わると、お兄《にい》さんは、 「うまいもんだな。どうだ、年《とし》ちゃん、問題《もんだい》にならないだろう。」と、いいました。  お姉《ねえ》さんまでが、 「どう? 年《とし》ちゃん。」と、お笑《わら》いになりました。  なんといわれても、年《とし》ちゃんは、ただ、だまっていました。そのようすが、いかにもしおらしかったのです。  これをごらんになった、お母《かあ》さんが、 「ねえ、年《とし》ちゃんも、いんまには、ああいうように上手《じょうず》に吹《ふ》けますね。」と、おっしゃってくださいました。  これを聞《き》くと、年《とし》ちゃんは、急《きゅう》に、味方《みかた》を得《え》たというよりは、悲《かな》しくなったのでしょう。お母《かあ》さんの胸《むね》にとびつくようにしてその顔《かお》をふところのあたりへ埋《う》めました。そして、目《め》から、ぽろぽろと涙《なみだ》を出《だ》していました。 「お母《かあ》さんだけが、ほんとうに、自分《じぶん》を知《し》っていてくださる。」と、年《とし》ちゃんは、強《つよ》く心《こころ》で叫《さけ》んだのでした。  その後《のち》、お母《かあ》さんが、 「さあ、おさらいをしましょう。年《とし》ちゃんは、勉強《べんきょう》をすれば、よくできるんだから。」と、おっしゃいますと、年《とし》ちゃんは、ほんとうにそうだ。勉強《べんきょう》をして、自分《じぶん》は、よくできるようにならなければならぬ、と思《おも》うのでありました。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 初出:「教育・国語教育 5巻9号」    1935(昭和10)年9月 ※表題は底本では、「年《とし》ちゃんとハーモニカ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年3月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。