すいれんは咲いたが 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)金魚鉢《きんぎょばち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|匹《びき》 -------------------------------------------------------  金魚鉢《きんぎょばち》にいれてあるすいれんが、かわいらしい黄色《きいろ》な花《はな》を開《ひら》きました。どこから飛《と》んできたか小《ちい》さなはちがみつを吸《す》っています。勇《ゆう》ちゃんは日当《ひあ》たりに出《で》て、花《はな》と水《みず》の上《うえ》に映《うつ》った雲影《くもかげ》をじっとながめながら、 「木田《きだ》くんは、どうしたろうな。」と、思《おも》いました。  二人《ふたり》は、同《おな》じ組《くみ》でいっしょにデッドボールをやれば、まりほうりをして遊《あそ》んだものです。木田《きだ》は、小《ちい》さくなったズボンをはいていたもので、うずくまるとおしりが割《わ》れて、さるのおしりのように見《み》えたのも目《め》にうつってきました。  ある日《ひ》のこと雑誌《ざっし》を貸《か》してやると、 「ふなをあげるから遊《あそ》びにこない?」と、木田《きだ》はいいました。  勇《ゆう》ちゃんは、ふながほしかったから、急《きゅう》にゆきたくなりました。 「どうしたの、君《きみ》が釣《つ》ってきたのかい。」とたずねました。木田《きだ》は、棒切《ぼうき》れで砂《すな》の上《うえ》に字《じ》をかきながら、 「ああ、お父《とう》さんと川《かわ》へいって釣《つ》ってきたんだ。こんど、君《きみ》もいっしょにゆかない?」と、いきいきとした顔《かお》を上《あ》げたのであります。 「いつか、つれていっておくれよ。君《きみ》のお父《とう》さん、釣《つ》るのはうまい?」 「なにうまいもんか、いつも僕《ぼく》のほうがたくさん釣《つ》るのさ。ふなをあげるから、遊《あそ》びにこない。」と、木田《きだ》はすすめたのでした。 「いこうか、じゃ、うちへ帰《かえ》ったら、かばんを置《お》いてすぐにね。」  遊《あそ》びにゆく約束《やくそく》をしたので勇《ゆう》ちゃんは、その日《ひ》、木田《きだ》から教《おそ》わった道《みち》を歩《ある》いてたずねてゆきました。すると坂《さか》の下《した》のところに、小《ちい》さなみすぼらしい床屋《とこや》がありました。 「この床屋《とこや》かしらん。」と、勇《ゆう》ちゃんは思《おも》ったが、まさかこんな汚《きたな》らしい家《うち》ではあるまいというような気《き》もして、その前《まえ》までいってみると、木田《きだ》の姿《すがた》が、すぐ目《め》にはいったのです。 「勇《ゆう》ちゃん、裏《うら》の方《ほう》へおまわりよ。」  木田《きだ》は、喜《よろこ》んでたずねてきてくれた友《とも》だちを迎《むか》えました。みかん箱《ばこ》を持《も》ってきて、中《なか》からいろいろのものを出《だ》して拡《ひろ》げました。珍《めずら》しい貝《かい》がらもあれば、金光《かなびか》りのする石《いし》もあり、また釣《つ》りの道具《どうぐ》もまじっていれば、形《かたち》の変《か》わったべいごまもはいっていました。 「こんど釣《つ》りにゆくとき、さおがなかったなら、僕《ぼく》のお父《とう》さんに造《つく》ってもらうといいぜ。」と、木田《きだ》はいいました。木田《きだ》は、なんでもお父《とう》さんにというのです。それで、勇《ゆう》ちゃんが、 「君《きみ》のお母《かあ》さんは?」と、きくと、木田《きだ》は、急《きゅう》にさびしそうな顔《かお》つきをして、 「僕《ぼく》のお母《かあ》さんは、なくなったのだ。お父《とう》さんと二人《ふたり》きりなんだよ。だけど、さびしいこともないや。」と、口《くち》だけでは、元気《げんき》にいいました。木田《きだ》くんのお父《とう》さんは、木田《きだ》によく似《に》ていました。脊《せ》が低《ひく》くて、丸顔《まるがお》でした。白《しろ》い仕事服《しごとふく》を着《き》て、お客《きゃく》の頭《あたま》を刈《か》っていましたが、それが終《お》わったとみえて、二人《ふたり》の遊《あそ》んでいるへやへ塩《しお》せんべいの盆《ぼん》と、お茶《ちゃ》のはいった土《ど》びんと持《も》ってきて、 「よくいらっしゃいました。」と、置《お》いてゆかれたのでした。  勇《ゆう》ちゃんは、帰《かえ》りに、ふなを三|匹《びき》もらって、ブリキかんの中《なか》へいれて下《さ》げながら、お母《かあ》さんのない木田《きだ》くんのことを考《かんが》えつつ歩《ある》いてきました。 「しかし、やさしい、いいお父《とう》さんだな。」と思《おも》うと、なぜかしらずに熱《あつ》い涙《なみだ》が目《め》の中《なか》にわいてきました。  その後《ご》学校《がっこう》では、二人《ふたり》はいっとう仲《なか》よくなりました。  ある日《ひ》のこと、勇《ゆう》ちゃんのお母《かあ》さんは、だいぶ髪《かみ》の伸《の》びた勇《ゆう》ちゃんの頭《あたま》を見《み》て、 「きょうは、お湯《ゆ》をわかしますから、床屋《とこや》へいっておいでなさい。」とおっしゃいました。勇《ゆう》ちゃんは、床屋《とこや》へゆくのがきらいでした。それで、いつもおとなしくいったことがなかったのですが、 「僕《ぼく》のお友《とも》だちのうちの、床屋《とこや》へいってもいいでしょう。」とたずねました。  お母《かあ》さんは、床屋《とこや》へゆくのがいやなものだから、また、なにかいいがかりをつけるのだと思《おも》いましたので、 「いつもの床屋《とこや》へおいでなさい。そのお友《とも》だちの家《うち》というのはどこですか。」とおっしゃいました。 「遠《とお》いところで、小《ちい》さな床屋《とこや》なんです。」  そばで、この話《はなし》をきいていたお姉《ねえ》さんが、 「汚《きたな》い床屋《とこや》へいって、病気《びょうき》でもうつるといけないから、いつもの床屋《とこや》へいったほうがいいでしょう。」といわれました。  けれども、勇《ゆう》ちゃんは木田《きだ》のうちのことを考《かんが》えると、自分《じぶん》は、どうしてもあすこへゆかなければならぬような気《き》がしました。 「僕《ぼく》は、ほかで頭《あたま》を刈《か》って遊《あそ》びにゆくと、なんだか気《き》がすまんのだもの。」といいました。するとお母《かあ》さんは、その心持《こころも》ちをお察《さっ》しになって、 「ほんとうに、そうお考《かんが》えなら、お友《とも》だちのお父《とう》さんに、刈《か》っておもらいなさい。」と、おっしゃったのです。  そんなことがあって、以後《いご》勇《ゆう》ちゃんは、ずっと木田《きだ》くんのところへいって、髪《かみ》を刈《か》ってもらいました。そして、お父《とう》さんとも仲《なか》よしになりました。  ところが、突然《とつぜん》のことでした。木田《きだ》が学校《がっこう》で、 「勇《ゆう》ちゃん、僕《ぼく》のうち急《きゅう》に引《ひ》っ越《こ》すので転校《てんこう》しなければならんのだよ。だから、きょう遊《あそ》びにおいでよ。」といいました。 「どこへ引《ひ》っ越《こ》しするの?」 「遠《とお》い、浅草《あさくさ》の方《ほう》なんだ。」  その日《ひ》、勇《ゆう》ちゃんは、学校《がっこう》から帰《かえ》ると遊《あそ》びにいきました。  すると、もう店《みせ》には道具《どうぐ》がなかったのです。 「このすいれんをあげよう。クリーム色《いろ》の花《はな》が咲《さ》くんだぜ。」と、木田《きだ》が裏《うら》から持《も》ってきました。 「坊《ぼっ》ちゃん、よく頭《あたま》を刈《か》りにきてくださいましたね。勉強《べんきょう》してえらい人《ひと》におなりなさいよ。」と、お父《とう》さんがいいました。  ちょうど一|年《ねん》たって、そのすいれんの花《はな》が咲《さ》いたのです。けれど、木田《きだ》くんからは、一|度《ど》もたよりがありません。勇《ゆう》ちゃんは花《はな》をながめながら、友《とも》だちとお父《とう》さんの無事《ぶじ》を祈《いの》ったのでありました。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 ※表題は底本では、「すいれんは咲《さ》いたが」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2011年12月1日作成 2012年9月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。