さびしいお母さん 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)図画《ずが》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|時間《じかん》 -------------------------------------------------------  二|時間《じかん》の図画《ずが》の時間《じかん》に、先生《せんせい》が、 「みなさんのお母《かあ》さんを、描《か》いてごらんなさい。」と、おっしゃいました。 「先生《せんせい》、お母《かあ》さんのない人《ひと》は、どうしますか?」と、いったものがあります。 「お母《かあ》さんのない人《ひと》は、だれですか?」 「武田《たけだ》くんは、お母《かあ》さんがないのです。」 「じゃ、ない人《ひと》は、お父《とう》さんをおかきなさい。」と、先生《せんせい》はおっしゃいました。  みんなは、静《しず》かになりました。そして、年《とし》ちゃんは、まるまるとした手《て》に鉛筆《えんぴつ》を握《にぎ》って、お母《かあ》さんの、お顔《かお》を思《おも》い出《だ》しているうちに、 「いまごろ、お母《かあ》さんは、どうしていらっしゃるだろうな。」と、ほんとうに考《かんが》えたのでした。  昨日《きのう》の夜《よる》でした。お父《とう》さんが、お出《で》かけなさろうとして、 「まだ、着物《きもの》はできないのか?」と、お母《かあ》さんに、おっしゃいました。 「もうすこしですけれど、まだできあがっていないのです。」と、お答《こた》えなさると、 「なにをぐずぐずしているんだ。」と、お父《とう》さんは、お怒《おこ》りになりました。  そのとき、お母《かあ》さんは、 「昼前《ひるまえ》に、お客《きゃく》さまがあって、お帰《かえ》りなされると、もうお昼《ひる》ですし、昼過《ひるす》ぎに仕事《しごと》をしかけますと、年《とし》ちゃんが帰《かえ》ってきて、そして、遊《あそ》びに出《で》て、ころんできましたので、お洗濯《せんたく》をしてやりました。つぎに、花子《はなこ》が帰《かえ》ってきて、お友《とも》だちのところへゆくのだから、髪《かみ》を結《ゆ》ってくれといいますので、髪《かみ》を結《ゆ》ってやったりしていますと、もう晩方《ばんがた》になりました。晩《ばん》には、お湯《ゆ》があるので、お湯《ゆ》に入《はい》ってからは、じき年《とし》ちゃんは眠《ねむ》たがりますから、その前《まえ》に学校《がっこう》のおさらいをしてやりますと、ほんとうに、お仕事《しごと》をする時間《じかん》というものがなかったのでした。今夜《こんや》は、おそくなっても縫《ぬ》い上《あ》げるつもりでいます。」と、お母《かあ》さんは、おっしゃっていました。そばでこれをきいていた年《とし》ちゃんは、もしそれでお父《とう》さんが、怒《おこ》るなら、お父《とう》さんがわるいと思《おも》いましたが、お父《とう》さんは、だまっていました。  いま、そんなことを考《かんが》えると、お母《かあ》さんが、なんだか、かわいそうになりました。 「あの原《はら》っぱで、あんなことをして遊《あそ》ばなければ、ころびもしなくて、よかったのだ。」と、年《とし》ちゃんは、昨日《きのう》、材木《ざいもく》がたくさん積《つ》んである上《うえ》を、吉雄《よしお》くんや、賢二《けんじ》くんと、駈《か》け足《あし》をして渡《わた》っているうちに、水《みず》たまりへ落《お》ちて、着物《きもの》をよごしたことを思《おも》ったのです。 「いまごろ、お母《かあ》さんは、どうしていらっしゃるだろうな。」  いつもお仕事《しごと》をなさるところにすわって、お母《かあ》さんは一人《ひとり》で、ガラス戸《ど》の内《うち》から、外《そと》のお庭《にわ》を見《み》ていらっしゃる姿《すがた》を、年《とし》ちゃんは、目《め》に浮《う》かべたのでした。そして、うぐいすが、きょうも昼前《ひるまえ》に飛《と》んできて、赤《あか》い実《み》のなった、梅《うめ》もどきの木《き》や、つばきの枝《えだ》にとまって、虫《むし》をさがしているのを、お母《かあ》さんは、見《み》ていらしたのです。しかし、そのお母《かあ》さんの顔《かお》はさびしそうでありました。  年《とし》ちゃんは、図画紙《ずがし》の上《うえ》へ、さびしいお母《かあ》さんのお顔《かお》を描《か》きました。なんだか、そのお母《かあ》さんは、泣《な》いていらっしゃるようです。 「こんなの、おかしいなあ。」と、年《とし》ちゃんは、考《かんが》えていましたが、そのかたわらへ、「ボクたちが、るすのときの、さびしいお母《かあ》さんのお顔《かお》」と、書《か》いて、先生《せんせい》へ出《だ》しました。  先生《せんせい》は、それをごらんになって、どうお思《おも》いなされるでしょう? それは、このつぎ、いただいたときでなければわかりません。  年《とし》ちゃんは、早《はや》くお家《うち》に帰《かえ》って、お母《かあ》さんのお顔《かお》を見《み》たいと思《おも》いました。学校《がっこう》が終《お》わると、急《いそ》いでお家《うち》へ帰《かえ》りました。 「ただいま!」と、いつものごとく、外《そと》から声《こえ》をかけました。はたして、お母《かあ》さんは、いつもの場所《ばしょ》にすわっていらっしゃいました。 「お母《かあ》さん、さびしくなかった?」と、年《とし》ちゃんは、ききました。 「うるさい人《ひと》が、みんなお留守《るす》で、静《しず》かでようございましたよ。」と、お母《かあ》さんはおっしゃいました。 「うれしかった?」 「ほほほほほ。」 「うぐいすがきた?」 「きましたよ、きょうは、子《こ》うぐいすと、母《はは》うぐいすと、二|羽《わ》きましたよ。」 「お母《かあ》さんは、ボクのことを思《おも》っていた?」 「ええ、いまごろ年《とし》ちゃんは、おやつが食《た》べたいと思《おも》っているだろうと思《おも》いました。」と、お母《かあ》さんは、お笑《わら》いになりました。 「そんなこと、思《おも》うもんか。」と、年《とし》ちゃんがいいました。そして、ランドセルを投《な》げ出《だ》すと、おやつを握《にぎ》って遊《あそ》びに出《で》ました。目《め》にあった、さびしいお母《かあ》さんのお顔《かお》は消《き》えて、どこを見《み》ても、たのしい朗《ほが》らかなお母《かあ》さんの顔《かお》が笑《わら》っていました。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 初出:「教育・国語教育」    1936(昭和11)年2月 ※表題は底本では、「さびしいお母《かあ》さん」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年6月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。