海のおばあさん 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)大昔《おおむかし》 -------------------------------------------------------  大昔《おおむかし》のことでありました。海《うみ》のおばあさんといって、たいそう気《き》むずかしやで、すこしのことにも腹《はら》を立《た》てるおそろしいおばあさんが海《うみ》の中《なか》に住《す》んでいました。だれもあまり近寄《ちかよ》りませんでしたから、おばあさんは、さびしかったのです。  ちょうど、そのころ、山《やま》に、また山《やま》のおばさんといって、やさしいおばさんが住《す》んでいました。だれにでもしんせつで、気《き》にいらないことがあっても、笑《わら》っているというふうでしたから、小鳥《ことり》たちや、空《そら》を飛《と》ぶ雲《くも》でさえ、おばさんを慕《した》って、 「おばさん、きょうはいいお天気《てんき》ですが、ご機嫌《きげん》はいかがですか?」と、いって、寄《よ》ってきました。いつも、おばさんは、楽《たの》しかったのです。  あるとき、海《うみ》のおばあさんは、風《かぜ》を使《つか》いにたて、 「私《わたし》は独《ひと》りぽっちでさびしいから、どうぞお話《はなし》にいらしてください。」と、山《やま》のおばさんのところへいってきました。 「それはお気《き》の毒《どく》のことだ、さっそくいってあげましょう。」と、いって、山《やま》のおばさんは、大《おお》きなざるの中《なか》へ新《あたら》しい野菜《やさい》と珍《めずら》しい果物《くだもの》をたくさん入《い》れて、お土産《みやげ》にして海《うみ》のおばあさんのところを訪《たず》ねました。 「よく、きてくれました。」と、おばあさんは出迎《でむか》えました。 「これは、山《やま》で取《と》れましたものですが、どうぞめしあがってください。」と、おばさんは、ざるに入《はい》った土産《みやげ》を出《だ》しますと、おばあさんは、 「これは、これは。」といって、まだ見《み》たことのないものばかりなので、喜《よろこ》びました。  いろいろお話《はなし》をして、おばさんが帰《かえ》るときにおばあさんは、魚《さかな》と貝《かい》を取《と》り出《だ》して、 「これはすこしばかりだが、海《うみ》のものだから持《も》って帰《かえ》ってください。」と、いいました。おばさんは、お礼《れい》を申《もう》して、さて、魚《さかな》と貝《かい》をなんに入《い》れていったらいいものかと考《かんが》えましたが、なにもなかったので、 「おばあさん、すみませんが、そのざるをお貸《か》しください。」と、いって、自分《じぶん》の土産《みやげ》を入《い》れてきたざるを借《か》りて帰《かえ》りました。  山《やま》のおばさんは、ざるのことなど忘《わす》れてしまいましたが、海《うみ》のおばあさんは、いつまでたってもおばさんが、ざるを返《かえ》さないので腹《はら》を立《た》てていました。このことを、風《かぜ》に相談《そうだん》しましたが、風《かぜ》もあまり海《うみ》のおばあさんが、やかましすぎると思《おも》ったので、聞《き》き流《なが》してしまいました。  それからというもの、おばあさんの心《こころ》が海《うみ》に残《のこ》っていて、いまにも、浜辺《はまべ》へ打《う》ち寄《よ》せる波《なみ》の音《おと》が、 「ざるかえせ――、ざるかえせ――。」と、なりつづけているのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 ※表題は底本では、「海《うみ》のおばあさん」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年6月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。