古事記 校註 古事記 稗田の阿礼、太の安万侶 武田祐吉注釈校訂 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)上《かみ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)神|蕃息《はんそく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)邈 ------------------------------------------------------- [#1字下げ]古事記 上《かみ》つ卷 序并はせたり[#「古事記 上つ卷 序并はせたり」は大見出し] [#3字下げ]〔序文〕[#「〔序文〕」は中見出し] [#5字下げ][#小見出し]〔過去の時代一[#「一」は行右小書き]〕[#小見出し終わり]  臣《やつこ》安萬侶《やすまろ》二[#「二」は行右小書き]言《まを》さく、それ混元既に凝りしかども、氣象いまだ敦《あつ》からざりしとき、名も無く爲《わざ》も無く、誰かその形を知らむ三[#「三」は行右小書き]。然《しか》ありて乾と坤と初めて分れて、參神造化の首《はじめ》と作《な》り四[#「四」は行右小書き]、陰と陽とここに開けて、二靈群品の祖となりたまひき五[#「五」は行右小書き]。所以《このゆゑ》に幽と顯と六[#「六」は行右小書き]に出で入りて、日と月と目を洗ふに彰《あらは》れたまひ、海水《うしほ》に浮き沈みて、神と祇と身を滌ぐに呈《あらは》れたまひき。故《かれ》、太素は杳冥《えうめい》たれども、本つ教に因りて土《くに》を孕《はら》み島を産みたまひし時を識《し》り、元始は綿邈《めんばく》たれども、先の聖に頼《よ》りて神を生み人を立てたまひし世を察《あきらか》にす。寔《まこと》に知る、鏡を懸け珠を吐きたまひて、百の王相續き、劒を喫《か》み蛇《をろち》を切りたまひて、萬の神|蕃息《はんそく》せしことを七[#「七」は行右小書き]。安《やす》の河《かは》に議《はか》りて天の下を平《ことむ》け、小濱《をばま》に論《あげつら》ひて國土を清めたまひき。ここを以ちて番《ほ》の仁岐《ににぎ》の命、初めて高千《たかち》の巓《たけ》に降《あも》り八[#「八」は行右小書き]、神倭《かむやまと》の天皇《すめらみこと》九[#「九」は行右小書き]、秋津島に經歴したまひき。化熊川より出でて、天の劒を高倉に獲、生尾|徑《こみち》を遮《さへ》きりて、大き烏吉野に導きき。儛《まひ》を列ねて賊《あた》を攘《はら》ひ、歌を聞きて仇を伏しき。すなはち夢に覺《さと》りて神祇を敬《ゐやま》ひたまひき、所以《このゆゑ》に賢后と稱《まを》す一〇[#「一〇」は行右小書き]。烟を望みて黎元を撫でたまひき、今に聖帝と傳ふ一一[#「一一」は行右小書き]。境を定め邦を開きて、近《ちか》つ淡海《あふみ》に制したまひ一二[#「一二」は行右小書き]、姓《かばね》を正し氏を撰みて、遠《とほ》つ飛鳥《あすか》に勒《しる》したまひき一三[#「一三」は行右小書き]。歩と驟と、おのもおのも異に、文と質と同じからずといへども、古を稽《かむが》へて風猷《ふういう》を既に頽《すた》れたるに繩《ただ》したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき。 [#ここから2字下げ] 一 過ぎし時代のことを傳え、歴代の天皇これによつて徳教を正しくしたことを説く。 二 この序文は、天皇に奏上する文として書かれているので、この句をはじめすべてその詞づかいがなされる。安萬侶は、太の安麻呂、古事記の撰者、養老七年(七二三)歿。 三 混元以下、中國の宇宙創生説によつて書いている。萬物は形と氣とから成る。形は天地に分かれ、氣は陰陽に分かれる。 四 アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神の三神が、物を造り出す最初の神となつた。 五 イザナギ、イザナミの二神が、萬物を生み出す親となつた。 六 幽と顯とに以下、イザナギ、イザナミ二神の事蹟。 七 鏡を懸け以下、天照らす大神とスサノヲの命との事蹟。 八 安の河に以下、ニニギの命の事蹟。 九 神武天皇。 一〇 崇神天皇。 一一 仁徳天皇。 一二 成務天皇。 一三 允恭天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ][#小見出し]〔古事記の企畫一[#「一」は行右小書き]〕[#小見出し終わり]  飛鳥《あすか》の清原《きよみはら》の大宮に太八洲《おほやしま》しらしめしし天皇二[#「二」は行右小書き]の御世に曁《およ》びて、潛龍元を體し、洊《せん》雷期に應《こた》へき。夢の歌を聞きて業を纂《つ》がむことをおもほし、夜の水に投《いた》りて基を承けむことを知らしたまひき。然れども天の時いまだ臻《いた》らざりしかば、南の山に蝉のごとく蛻《もぬ》け、人と事《こと》と共に給《た》りて、東の國に虎のごとく歩みたまひき。皇輿たちまちに駕して、山川を凌ぎ度り、六師雷のごとく震ひ、三軍電のごとく逝きき。杖矛《ぢやうぼう》威を擧げて、猛士烟のごとく起り、絳旗《かうき》兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けぬ。いまだ浹辰《せふしん》を移さずして、氣沴《きれい》おのづから清まりぬ。すなはち牛を放ち馬を息《いこ》へ、愷悌《がいてい》して華夏に歸り、旌《はた》を卷き戈《ほこ》を戢《をさ》め、儛詠《ぶえい》して都邑に停まりたまひき。歳《ほし》は大糜に次《やど》り、月は夾鐘に踵《あた》り三[#「三」は行右小書き]、清原の大宮にして、昇りて天位に即《つ》きたまひき。道は軒后に軼《す》ぎ、徳は周王に跨《こ》えたまへり。乾符を握《と》りて六合を摠《す》べ、天統を得て八荒を包《か》ねたまひき。二氣の正しきに乘り、五行の序《つぎて》を齊《ととの》へ、神《あや》しき理を設《ま》けて俗《ひと》を奬《すす》め、英《すぐ》れたる風《のり》を敷きて國を弘めたまひき。重加《しかのみにあらず》智の海は浩汗として、潭《ふか》く上古を探り、心の鏡は煒煌として、あきらかに先の代を覩たまふ。ここに天皇詔したまひしく、「朕聞かくは、諸家の賷《も》たる帝紀と本辭四[#「四」は行右小書き]と既に正實に違ひ、多く虚僞を加ふといへり。今の時に當りて、その失を改めずは、いまだ幾年《いくとせ》を經ずして、その旨滅びなむとす。こはすなはち邦家の經緯、王化の鴻基《こうき》なり。故《かれ》ここに帝紀を撰録し、舊辭《くじ》を討覈《たうかく》して、僞を削り實を定め、後葉《のちのよ》に流《つた》へむと欲《おも》ふ」と宣りたまひき。時に舍人《とねり》あり、姓は稗田《ひえだ》、名は阿禮《あれ》五[#「五」は行右小書き]、年は二十八。人となり聰明にして、目に度《わた》れば口に誦《よ》み、耳に拂《ふ》るれば心に勒《しる》す。すなはち阿禮に勅語して、帝皇の日繼《ひつぎ》と先代の舊辭とを誦み習はしめたまひき。然れども運《とき》移り世異にして、いまだその事を行ひたまはざりき。 [#ここから2字下げ] 一 天武天皇が帝紀と本辭とを正して稗田の阿禮に授けたことを説く。 二 天武天皇。 三 酉の年の二月に。 四 帝紀は歴代天皇の事を記した書、本辭は前の世の傳えごと。この二種が古事記の材料となつている。 五 アメノウズメの命の子孫。男子説と女子説とがある。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ][#小見出し]〔古事記の成立一[#「一」は行右小書き]〕[#小見出し終わり]  伏して惟《おも》ふに皇帝陛下二[#「二」は行右小書き]、一を得て光宅《くわうたく》し、三に通じて亭育《ていいく》したまふ。紫宸に御《いま》して徳は馬の蹄《つめ》の極まるところに被《かがふ》り、玄扈《げんこ》に坐《いま》して化は船の頭《へ》の逮《いた》るところを照したまふ。日浮びて暉《ひかり》を重ね、雲散りて烟《かす》まず。柯《えだ》を連ね穗を并《あ》はす瑞《しるし》、史《ふみひと》は書《しる》すことを絶たず、烽《とぶひ》を列ね、譯《をさ》を重ぬる貢《みつき》、府《みくら》に空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙に冠《まさ》れりと謂ひつべし。ここに舊辭の誤り忤《たが》へるを惜しみ、先紀の謬《あやま》り錯《あやま》れるを正さまくして、和銅四年三[#「三」は行右小書き]九月十八日を以ちて、臣安萬侶に詔して、稗田の阿禮が誦める勅語の舊辭を撰録して、獻上せよと宣りたまへば、謹みて詔の旨に隨ひ、子細に採り摭《ひり》ひぬ。然れども上古の時、言と意と並《みな》朴《すなほ》にして、文を敷き句を構ふること、字にはすなはち難し。已《すで》に訓に因りて述ぶれば、詞は心に逮《いた》らず。全く音を以ちて連ぬれば、事の趣更に長し。ここを以ちて今或るは一句の中に、音と訓とを交へ用ゐ、或るは一事の内に、全く訓を以ちて録《しる》しぬ四[#「四」は行右小書き]。すなはち辭理の見え叵《がた》きは、注を以ちて明にし、意況の解き易きは更に注《しる》さず五[#「五」は行右小書き]。また姓の日下《くさか》に、玖沙訶《くさか》と謂ひ、名の帶の字に多羅斯《たらし》といふ。かくの如き類は、本に隨ひて改めず六[#「六」は行右小書き]。大抵記す所は、天地の開闢よりして、小治田《をはりだ》の御世七[#「七」は行右小書き]に訖《を》ふ。故《かれ》天《あめ》の御中主《みなかぬし》の神より以下《しも》、日子波限建鵜草葺不合《ひこなぎさたけうがやふきあへず》の尊《みこと》より前《さき》を上つ卷とし、神倭伊波禮毘古《かむやまといはれびこ》の天皇より以下、品陀《ほむだ》の御世より前八[#「八」は行右小書き]を中つ卷とし、大雀《おほさざき》の皇帝《すめらみこと》九[#「九」は行右小書き]より以下、小治田の大宮より前を下つ卷とし、并はせて三つの卷に録《しる》し、謹みて獻上《たてまつ》る。臣安萬侶、誠惶誠恐《かしこみかしこみ》、頓首頓首《のみまを》す。 [#2字下げ]和銅五年正月二十八日[#地から2字上げ]正五位の上勳五等 太《おほ》の朝臣《あそみ》安萬侶《やすまろ》 [#ここから2字下げ] 一 古事記成立の過程、文章の用意方針。内容の區分を説く。 二 元明天皇、女帝。奈良時代の最初の天皇。 三 七一一年。 四 漢字の表示する意義によつて書くのが、訓によるものであり、漢字の表示する音韻によつて書くのが、音によるものである。歌謠および特殊の詞句は音を用い、地名神名人名も音によるものが多い。外に漢字の訓を訓假字として使つたものが多少ある。 五 讀み方の注意、および内容に關して註が加えられている。 六 固有名詞の類に使用される特殊の文字は、もとのままで改めない。これは材料として文字になつていたものをも使つたことを語る。 七 推古天皇の時代(‐六二八) 八 神武天皇から應神天皇まで。 九 仁徳天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔一、伊耶那岐の命と伊耶那美の命〕[#「〔一、伊耶那岐の命と伊耶那美の命〕」は中見出し] [#5字下げ]〔天地のはじめ〕[#「〔天地のはじめ〕」は小見出し]  天地《あめつち》の初發《はじめ》の時、高天《たかま》の原《はら》に成りませる神の名《みな》は、天《あめ》の御中主《みなかぬし》の神一[#「一」は行右小書き]。次に高御産巣日《たかみむすび》の神。次に神産巣日《かむむすび》の神二[#「二」は行右小書き]。この三柱《みはしら》の神は、みな獨神《ひとりがみ》三[#「三」は行右小書き]に成りまして、身《みみ》を隱したまひき四[#「四」は行右小書き]。  次に國|稚《わか》く、浮《う》かべる脂《あぶら》の如くして水母《くらげ》なす漂《ただよ》へる時に、葦牙《あしかび》五[#「五」は行右小書き]のごと萠《も》え騰《あが》る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲《うましあしかびひこぢ》の神六[#「六」は行右小書き]。次に天《あめ》の常立《とこたち》の神七[#「七」は行右小書き]。この二柱《ふたはしら》の神もみな獨神《ひとりがみ》に成りまして、身《みみ》を隱したまひき。 [#ここから2字下げ] 上の件《くだり》、五柱の神は別《こと》天《あま》つ神《かみ》。 [#ここで字下げ終わり]  次に成りませる神の名は、國の常立《とこたち》の神。次に豐雲野《とよくもの》の神八[#「八」は行右小書き]。この二柱の神も、獨神に成りまして、身を隱したまひき。次に成りませる神の名は、宇比地邇《うひぢに》の神。次に妹須比智邇《いもすひぢに》の神。次に角杙《つのぐひ》の神。次に妹活杙《いもいくぐひ》の神二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。次に意富斗能地《おほとのぢ》の神。次に妹大斗乃辨《いもおほとのべ》の神。次に於母陀琉《おもだる》の神。次に妹《いも》阿夜訶志古泥《あやかしこね》の神九[#「九」は行右小書き]。次に伊耶那岐《いざなぎ》の神。次に妹《いも》伊耶那美《いざなみ》の神一〇[#「一〇」は行右小書き]。 [#ここから2字下げ] 上の件、國の常立の神より下《しも》、伊耶那美《いざなみ》の神より前《さき》を、并はせて神世《かみよ》七代《ななよ》とまをす。[#割り注]上の二柱は、獨神おのもおのも一代とまをす。次に雙びます十神はおのもおのも二神を合はせて一代とまをす。[#割り注終わり] [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 一 中心、中央の思想の神格表現。空間の表示であるから活動を傳えない。 二 以上二神、生成の思想の神格表現。事物の存在を「生む」ことによつて説明する日本神話にあつて原動力である。タカミは高大、カムは神祕神聖の意の形容語。この二神の活動は、多く傳えられる。 三 對立でない存在。 四 天地の間に溶合した。 五 葦の芽。十分に春になつたことを感じている。 六 葦牙の神格化。神名は男性である。 七 天の確立を意味する神名。 八 名義不明。以下神名によつて、土地の成立、動植物の出現、整備等を表現するらしい。 九 驚きを表現する神名。 一〇 以上二神、誘い出す意味の表現。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔島々の生成〕[#「〔島々の生成〕」は小見出し]  ここに天つ神|諸《もろもろ》の命《みこと》以《も》ちて一[#「一」は行右小書き]、伊耶那岐《いざなぎ》の命|伊耶那美《いざなみ》の命の二柱の神に詔《の》りたまひて、この漂へる國を修理《をさ》め固め成せと、天《あめ》の沼矛《ぬぼこ》を賜ひて、言依《ことよ》さしたまひき二[#「二」は行右小書き]。かれ二柱の神、天《あめ》の浮橋《うきはし》三[#「三」は行右小書き]に立たして、その沼矛《ぬぼこ》を指《さ》し下《おろ》して畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫き鳴《な》して四[#「四」は行右小書き]、引き上げたまひし時に、その矛の末《さき》より滴《したた》る鹽の積りて成れる島は、淤能碁呂《おのごろ》島五[#「五」は行右小書き]なり。その島に天降《あも》りまして、天《あめ》の御柱《みはしら》を見立て六[#「六」は行右小書き]八尋殿《やひろどの》を見立てたまひき。  ここにその妹|伊耶那美《いざなみ》の命に問ひたまひしく、「汝《な》が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾《わ》が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐《いざなぎ》の命|詔《の》りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。故《かれ》この吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺し塞《ふた》ぎて、國土《くに》生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、伊耶那美《いざなみ》の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾《あ》と汝《な》と、この天の御柱を行き𢌞《めぐ》りあひて、美斗《みと》の麻具波比《まぐはひ》せむ七[#「七」は行右小書き]」とのりたまひき。かく期《ちぎ》りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より𢌞り逢へ、我《あ》は左より𢌞り逢はむ」とのりたまひて、約《ちぎ》り竟《を》へて𢌞りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを八[#「八」は行右小書き]」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子《をとめ》を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟《を》へて後に、その妹に告《の》りたまひしく、「女人《をみな》先立《さきだ》ち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隱處《くみど》に興《おこ》して子《みこ》水蛭子《ひるこ》を生みたまひき九[#「九」は行右小書き]。この子は葦船《あしぶね》に入れて流し去《や》りつ一〇[#「一〇」は行右小書き]。次に淡島《あはしま》一一[#「一一」は行右小書き]を生みたまひき。こも子の數に入らず。  ここに二柱の神|議《はか》りたまひて、「今、吾が生める子ふさはず。なほうべ天つ神の御所《みもと》に白《まを》さな」とのりたまひて、すなはち共に參《ま》ゐ上りて、天つ神の命《みこと》を請ひたまひき。ここに天つ神の命《みこと》以ちて、太卜《ふとまに》に卜《うら》へて一二[#「一二」は行右小書き]のりたまひしく、「女《をみな》の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降《あも》りて改め言へ」とのりたまひき。  かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き𢌞りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐《いざなぎ》の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹|伊耶那美《いざなみ》の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合《みあ》ひまして、子《みこ》淡道《あはぢ》の穗《ほ》の狹別《さわけ》の島一三[#「一三」は行右小書き]を生みたまひき。次に伊豫《いよ》の二名《ふたな》の島一四[#「一四」は行右小書き]を生みたまひき。この島は身一つにして面《おも》四つあり。面ごとに名あり。かれ伊豫の國を愛比賣《えひめ》といひ、讚岐《さぬき》の國を飯依比古《いひよりひこ》といひ、粟《あは》の國を、大宜都比賣《おほげつひめ》といひ、土左《とさ》の國を建依別《たけよりわけ》といふ。次に隱岐《おき》の三子《みつご》の島を生みたまひき。またの名は天《あめ》の忍許呂別《おしころわけ》。次に筑紫《つくし》の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の國一五[#「一五」は行右小書き]を白日別《しらひわけ》といひ、豐《とよ》の國《くに》を豐日別《とよひわけ》といひ、肥《ひ》の國《くに》を建日向日豐久士比泥別《たけひむかひとよくじひねわけ》一六[#「一六」は行右小書き]といひ、熊曾《くまそ》の國一七[#「一七」は行右小書き]を建日別《たけひわけ》といふ。次に伊岐《いき》の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱《あめひとつはしら》といふ。次に津島《つしま》一八[#「一八」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は天《あめ》の狹手依比賣《さでよりひめ》といふ。次に佐渡《さど》の島を生みたまひき。次に大倭豐秋津《おほやまととよあきつ》島一九[#「一九」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は天《あま》つ御虚空豐秋津根別《みそらとよあきつねわけ》といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島《おほやしま》國といふ。  然ありて後還ります時に、吉備《きび》の兒島《こじま》を生みたまひき。またの名は建日方別《たけひがたわけ》といふ。次に小豆島《あづきしま》を生みたまひき。またの名は大野手比賣《おほのでひめ》といふ。次に大島《おほしま》二〇[#「二〇」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は大多麻流別《おほたまるわけ》といふ。次に女島《ひめじま》二一[#「二一」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は天一根《あめひとつね》といふ。次に知訶《ちか》の島二二[#「二二」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は天《あめ》の忍男《おしを》といふ。次に兩兒《ふたご》の島二三[#「二三」は行右小書き]を生みたまひき。またの名は天《あめ》の兩屋《ふたや》といふ。[#割り注]吉備の兒島より天の兩屋の島まで并はせて六島。[#割り注終わり] [#ここから2字下げ] 一 天神の命によつて若い神が降下するのは日本神話の基礎形式の一。祭典の思想に根據を有している。 二 りつぱな矛を賜わつて命を下した。 三 天からの通路である空中の階段。 四 海水をゴロゴロとかきまわして。 五 大阪灣内にある島。今の何島か不明。 六 家屋の中心となる神聖な柱を立てた。 七 結婚しよう。 八 アナニヤシ、感動の表示。エヲトコヲ、愛すべき男だ。ヲは感動の助詞。 九 ヒルのようなよくないものが、不合理な婚姻によつて生まれたとする。 一〇 蟲送りの行事。 一一 四國の阿波の方面の名。この部分は阿波方面に對してわるい感情を表示する。 一二 古代の占法は種々あるが、鹿の肩骨を燒いてヒビの入り方によつて占なうのを重んじ、これをフトマニといつた。これは後に龜の甲を燒くことに變わつた。 一三 淡路島の別名。ワケは若い者の義。 一四 四國の稱。伊豫の方面からいう。 一五 北九州。 一六 誤傳があるのだろう。肥の國(肥前肥後)の外に、日向の別名があげられているのだろうというが、日向を入れると五國になつて、面四つありというのに合わない。 一七 クマ(肥後南部)とソ(薩摩)とを合わせた名。 一八 對馬島。 一九 本州。 二〇 山口縣の屋代島だろう。 二一 大分縣の姫島だろう。 二二 長崎縣の五島。 二三 所在不明。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔神々の生成〕[#「〔神々の生成〕」は小見出し]  既に國を生み竟《を》へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は、大事忍男《おほことおしを》の神。次に石土毘古《いはつちびこ》の神を生みたまひ、次に石巣比賣《いはすひめ》の神を生みたまひ、次に大戸日別《おほとひわけ》の神を生みたまひ、次に天《あめ》の吹男《ふきを》の神を生みたまひ、次に大屋毘古《おほやびこ》の神を生みたまひ一[#「一」は行右小書き]、次に風木津別《かざもつわけ》の忍男《おしを》の神二[#「二」は行右小書き]を生みたまひ、次に海《わた》の神名は大綿津見《おほわたつみ》の神を生みたまひ、次に水戸《みなと》の神三[#「三」は行右小書き]名は速秋津日子《はやあきつひこ》の神、次に妹|速秋津比賣《はやあきつひめ》の神を生みたまひき。[#割り注]大事忍男の神より秋津比賣の神まで并はせて十神。[#割り注終わり]  この速秋津日子《はやあきつひこ》、速秋津比賣《はやあきつひめ》の二神《ふたはしら》、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名四[#「四」は行右小書き]は、沫那藝《あわなぎ》の神。次に沫那美《あわなみ》の神。次に頬那藝《つらなぎ》の神。次に頬那美《つらなみ》の神。次に天《あめ》の水分《みくまり》の神。次に國《くに》の水分《みくまり》の神。次に天《あめ》の久比奢母智《くひざもち》の神、次に國《くに》の久比奢母智《くひざもち》の神。[#割り注]沫那藝の神より國の久比奢母智の神まで并はせて八神。[#割り注終わり]  次に風の神名は志那都比古《しなつひこ》の神五[#「五」は行右小書き]を生みたまひ、次に木の神名は久久能智《くくのち》の神六[#「六」は行右小書き]を生みたまひ、次に山の神名は大山津見《おほやまつみ》の神を生みたまひ、次に野の神名は鹿屋野比賣《かやのひめ》の神を生みたまひき。またの名は野椎《のづち》の神といふ。[#割り注]志那都比古の神より野椎まで并はせて四神。[#割り注終わり]  この大山津見の神、野椎の神の二神《ふたはしら》、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、天の狹土《さづち》の神。次に國の狹土の神。次に天の狹霧《さぎり》の神。次に國の狹霧の神。次に天の闇戸《くらと》の神。次に國の闇戸の神。次に大戸或子《おほとまどひこ》の神。次に大戸或女《おほとまどひめ》の神七[#「七」は行右小書き]。[#割り注]天の狹土の神より大戸或女の神まで并はせて八神。[#割り注終わり]  次に生みたまふ神の名は、鳥の石楠船《いはくすぶね》の神八[#「八」は行右小書き]、またの名は天の鳥船《とりぶね》といふ。次に大宜都比賣《おほげつひめ》の神九[#「九」は行右小書き]を生みたまひ、次に火《ほ》の夜藝速男《やぎはやを》の神を生みたまひき。またの名は火《ほ》の炫毘古《かがびこ》の神といひ、またの名は火《ほ》の迦具土《かぐつち》の神といふ。この子を生みたまひしによりて、御陰《みほと》やかえて病《や》み臥《こや》せり。たぐり一〇[#「一〇」は行右小書き]に生《な》りませる神の名は金山毘古《かなやまびこ》の神。次に金山毘賣《かなやまびめ》の神。次に屎《くそ》に成りませる神の名は、波邇夜須毘古《はにやすびこ》の神。次に波邇夜須毘賣《はにやすびめ》の神一一[#「一一」は行右小書き]。次に尿《ゆまり》に成りませる神の名は彌都波能賣《みつはのめ》の神一二[#「一二」は行右小書き]。次に和久産巣日《わくむすび》の神一三[#「一三」は行右小書き]。この神の子は豐宇氣毘賣《とようけびめ》の神一四[#「一四」は行右小書き]といふ。かれ伊耶那美《いざなみ》の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に神避《かむさ》りたまひき。[#割り注]天の鳥船より豐宇氣毘賣の神まで并はせて八神。[#割り注終わり]およそ伊耶那岐《いざなぎ》伊耶那美の二神、共に生みたまふ島|壹拾《とをまり》四島《よしま》、神|參拾《みそぢまり》五神《いつはしら》一五[#「一五」は行右小書き]。[#割り注]こは伊耶那美の神、いまだ神避りまさざりし前に生みたまひき。ただ意能碁呂島は生みたまへるにあらず、また蛭子と淡島とは子の例に入らず。[#割り注終わり] [#ここから2字下げ] 一 以上の神の系列は、家屋の成立を語るものと解せられる。 二 風に對して堪えることを意味するらしい。 三 河口など、海に對する出入口の神。 四 海と河とで分擔して生んだ神。以下水に關する神。アワナギ、アワナミは、動く水の男女の神、ツラナギ、ツラナミは、靜水の男女の神。ミクマリは、水の配分。クヒザモチは水を汲む道具。 五 息の長い男の義。 六 木の間を潛る男の義。 七 山の神と野の神とが生んだ諸神の系列は、山野に霧がかかつて迷うことを表現する。 八 鳥の如く早く輕く行くところの、石のように堅いクスノキの船。 九 穀物の神。この神に關する神話が三五頁[#「三五頁」は「須佐の男の神」の「穀物の種」]にある。 一〇 吐瀉物。以下排泄物によつて生まれた神は、火を防ぐ力のある神である。 一一 埴土の男女の神。 一二 水の神。 一三 若い生産力の神。 一四 これも穀物の神。以上の神の系列は、野を燒いて耕作する生活を語る。 一五 實數四十神だが、男女一對の神を一として數えれば三十五になる。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔黄泉《よみ》の國〕[#「〔黄泉の國〕」は小見出し]  かれここに伊耶那岐の命の詔《の》りたまはく、「愛《うつく》しき我《あ》が汝妹《なにも》の命を、子の一木《ひとつけ》に易《か》へつるかも」とのりたまひて、御枕方《みまくらべ》に匍匐《はらば》ひ御足方《みあとべ》に匍匐ひて、哭《な》きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山《かぐやま》一[#「一」は行右小書き]の畝尾《うねを》二[#「二」は行右小書き]の木のもとにます、名は泣澤女《なきさはめ》の神三[#「三」は行右小書き]。かれその神避りたまひし伊耶那美の神は、出雲の國と伯伎《ははき》の國との堺なる比婆《ひば》の山四[#「四」は行右小書き]に葬《をさ》めまつりき。ここに伊耶那岐の命、御佩《みはかし》の十拳《とつか》の劒五[#「五」は行右小書き]を拔きて、その子|迦具土《かぐつち》の神の頸《くび》を斬りたまひき。ここにその御刀《みはかし》の前《さき》に著ける血、湯津石村《ゆついはむら》六[#「六」は行右小書き]に走《たばし》りつきて成りませる神の名は、石拆《いはさく》の神。次に根拆《ねさく》の神。次に石筒《いはづつ》の男《を》の神。次に御刀の本に著ける血も、湯津石村に走りつきて成りませる神の名は、甕速日《みかはやび》の神。次に樋速日《ひはやび》の神。次に建御雷《たけみかづち》の男《を》の神。またの名は建布都《たけふつ》の神、またの名は豐布都《とよふつ》の神三神[#「三神」は1段階小さな文字]。次に御刀の手上《たがみ》に集まる血、手俣《たなまた》より漏《く》き出《で》て成りませる神の名は、闇淤加美《くらおかみ》の神。次に闇御津羽《くらみつは》の神。[#割り注]上の件、石拆の神より下、闇御津羽の神より前、并はせて八神は、御刀に因りて生りませる神なり。[#割り注終わり]  殺さえたまひし迦具土《かぐつち》の神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見《まさかやまつみ》の神七[#「七」は行右小書き]。次に胸に成りませる神の名は、淤縢山津見《おとやまつみ》の神。次に腹に成りませる神の名は、奧山津見《おくやまつみ》の神。次に陰《ほと》に成りませる神の名は、闇山津見《くらやまつみ》の神。次に左の手に成りませる神の名は、志藝山津見《しぎやまつみ》の神。次に右の手に成りませる神の名は、羽山津美《はやまつみ》の神。次に左の足に成りませる神の名は、原山津見《はらやまつみ》の神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見《とやまつみ》の神。[#割り注]正鹿山津見の神より戸山津見の神まで并はせて八神。[#割り注終わり]かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張《をはばり》といひ八[#「八」は行右小書き]、またの名は伊都《いつ》の尾羽張といふ。  ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉國《よもつくに》九[#「九」は行右小書き]に追ひ往《い》でましき。ここに殿《との》の縢《くみ》戸一〇[#「一〇」は行右小書き]より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛《うつく》しき我《あ》が汝妹《なにも》の命、吾と汝と作れる國、いまだ作り竟《を》へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔《くや》しかも、速《と》く來まさず。吾は黄泉戸喫《よもつへぐひ》一一[#「一一」は行右小書き]しつ。然れども愛しき我が汝兄《なせ》の命、入り來ませること恐《かしこ》し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神《よもつかみ》と論《あげつら》はむ。我をな視たまひそ」と、かく白して、その殿内《とのぬち》に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻《みみづら》に刺させる湯津爪櫛《ゆつつまぐし》一二[#「一二」は行右小書き]の男柱|一箇《ひとつ》取り闕《か》きて、一《ひと》つ火《び》燭《とも》して入り見たまふ時に、蛆《うじ》たかれころろぎて一三[#「一三」は行右小書き]、頭には大雷《おほいかづち》居り、胸には火《ほ》の雷居り、腹には黒雷居り、陰《ほと》には拆《さく》雷居り、左の手には若《わき》雷居り、右の手には土《つち》雷居り、左の足には鳴《なる》雷居り、右の足には伏《ふし》雷居り、并はせて八くさの雷神成り居りき。  ここに伊耶那岐の命、見《み》畏《かしこ》みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱《はぢ》見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女《よもつしこめ》一四[#「一四」は行右小書き]を遣して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御鬘《くろみかづら》一五[#「一五」は行右小書き]を投げ棄《う》てたまひしかば、すなはち蒲子《えびかづら》一六[#「一六」は行右小書き]生《な》りき。こを摭《ひり》ひ食《は》む間に逃げ行《い》でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄《う》てたまへば、すなはち笋《たかむな》一七[#「一七」は行右小書き]生《な》りき。こを拔き食《は》む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百《ちいほ》の黄泉軍《よもついくさ》を副《たぐ》へて追はしめき。ここに御佩《みはかし》の十拳《とつか》の劒を拔きて、後手《しりへで》に振《ふ》きつつ逃げ來ませるを、なほ追ひて黄泉比良坂《よもつひらさか》一八[#「一八」は行右小書き]の坂本に到る時に、その坂本なる桃《もも》の子《み》三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき。ここに伊耶那岐の命、桃《もも》の子《み》に告《の》りたまはく、「汝《いまし》、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現《うつ》しき青人草一九[#「一九」は行右小書き]の、苦《う》き瀬に落ちて、患惚《たしな》まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美《おほかむづみ》の命といふ名を賜ひき。最後《いやはて》にその妹伊耶那美の命、身《み》みづから追ひ來ましき。ここに千引の石《いは》をその黄泉比良坂《よもつひらさか》に引き塞《さ》へて、その石を中に置きて、おのもおのも對《む》き立たして、事戸《ことど》を度《わた》す時二〇[#「二〇」は行右小書き]に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛《うつく》しき我《あ》が汝兄《なせ》の命、かくしたまはば、汝《いまし》の國の人草、一日《ひとひ》に千頭《ちかしら》絞《くび》り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹《なにも》の命、汝《みまし》然したまはば、吾《あ》は一日に千五百《ちいほ》の産屋《うぶや》を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人《ちたり》死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。  かれその伊耶那美の命に號《なづ》けて黄泉津《よもつ》大神といふ。またその追ひ及《し》きしをもちて、道敷《ちしき》の大神二一[#「二一」は行右小書き]ともいへり。またその黄泉《よみ》の坂に塞《さは》れる石は、道反《ちかへし》の大神ともいひ、塞《さ》へます黄泉戸《よみど》の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂《よもつひらさか》は、今、出雲の國の伊賦夜《いぶや》坂二二[#「二二」は行右小書き]といふ。 [#ここから2字下げ] 一 奈良縣磯城郡の天の香具山。神話に實在の地名が出る場合は、大抵その神話の傳えられている地方を語る。 二 うねりのある地形の高み。 三 香具山の麓にあつた埴安の池の水神。泣澤の森そのものを神體としている。 四 廣島縣比婆郡に傳説地がある。 五 十つかみある長い劒。 六 神聖な岩石。以下神の系列によつて鐵鑛を火力で處理して刀劒を得ることを語る。イハサクの神からイハヅツノヲの神まで岩石の神靈。ミカハヤビ、ヒハヤビは火力。タケミカヅチノヲは劒の威力。クラオカミ、クラミツハは水の神靈。クラは溪谷。御刀の手上は、劒のつか。タケミカヅチノヲは五六頁[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]、七四頁[#「七四頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に神話がある。 七 以下各種の山の神。 八 幅の廣い劒の義。水の神と解せられ、五六頁[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。別名のイツは、威力の意。 九 地下にありとされる空想上の世界。黄泉の文字は漢文から來る。 一〇 宮殿の閉してある戸。殿の騰戸とする傳えもある。 一一 黄泉の國の火で作つた食物を食つたので黄泉の人となつてしまつた。同一の火による團結の思想である。 一二 髮を左右に分けて耳の邊で輪にする。それにさした神聖な櫛。櫛は竹で作り魔よけとして女がさしてくれる。 一三 蛆がわいてゴロゴロ鳴つて。トロロギテとする傳えがあるが誤り。 一四 黄泉の國の見にくいばけものの女。 一五 植物を輪にして魔よけとして髮の上にのせる。 一六 山葡萄。 一七 筍。 一八 黄泉の國の入口にある坂。黄泉の國に向つて下る。墳墓の構造から來ている。 一九 現實にある人間。 二〇 日本書紀には絶妻の誓とある。言葉で戸を立てる。別れの言葉をいう。 二一 道路を追いかける神。 二二 島根縣八束郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔身禊〕[#「〔身禊〕」は小見出し]  ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾《あ》はいな醜《しこ》め醜めき穢《きたな》き國一[#「一」は行右小書き]に到りてありけり。かれ吾は御身《おほみま》の禊《はらへ》せむ」とのりたまひて、竺紫《つくし》の日向《ひむか》の橘の小門《をど》の阿波岐《あはぎ》原二[#「二」は行右小書き]に到りまして、禊《みそ》ぎ祓《はら》へたまひき。かれ投げ棄《う》つる御杖に成りませる神の名は、衝《つ》き立《た》つ船戸《ふなど》の神三[#「三」は行右小書き]。次に投げ棄つる御帶に成りませる神の名は、道《みち》の長乳齒《ながちは》の神四[#「四」は行右小書き]。次に投げ棄つる御嚢《みふくろ》に成りませる神の名は、時量師《ときはかし》の神五[#「五」は行右小書き]。次に投げ棄つる御|衣《けし》に成りませる神の名は、煩累《わづらひ》の大人《うし》の神六[#「六」は行右小書き]。次に投げ棄つる御|褌《はかま》に成りませる神の名は、道俣《ちまた》の神七[#「七」は行右小書き]。次に投げ棄つる御冠《みかがふり》に成りませる神の名は、飽咋《あきぐひ》の大人《うし》の神八[#「八」は行右小書き]。次に投げ棄つる左の御手の手纏《たまき》に成りませる神の名は、奧疎《おきざかる》の神九[#「九」は行右小書き]。次に奧津那藝佐毘古《おきつなぎさびこ》の神。次に奧津|甲斐辨羅《かひべら》の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、邊疎《へざかる》の神。次に邊津那藝佐毘古《へつなぎさびこ》の神。次に邊津甲斐辨羅《へつかひべら》の神。 [#ここから2字下げ] 右の件《くだり》、船戸《ふなど》の神より下、邊津甲斐辨羅の神より前、十二神《とをまりふたはしら》は、身に著《つ》けたる物を脱ぎうてたまひしに因りて、生《な》りませる神なり。 [#ここで字下げ終わり]  ここに詔りたまはく、「上《かみ》つ瀬《せ》は瀬速し、下《しも》つ瀬は弱し」と詔《の》りたまひて、初めて中《なか》つ瀬に降《お》り潛《かづ》きて、滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日《やそまがつび》の神一〇[#「一〇」は行右小書き]。次に大禍津日《おほまがつひ》の神。この二神《ふたはしら》は、かの穢き繁《し》き國に到りたまひし時の、汚垢《けがれ》によりて成りませる神なり。次にその禍《まが》を直さむとして成りませる神の名は、神直毘《かむなほび》の神。次に大直毘《おほなほび》の神一一[#「一一」は行右小書き]。次に伊豆能賣《いづのめ》一二[#「一二」は行右小書き]。次に水底《みなそこ》に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見《そこつわたつみ》の神一三[#「一三」は行右小書き]。次に底筒《そこづつ》の男《を》の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見《なかつわたつみ》の神。次に中筒《なかづつ》の男《を》の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見《うはつわたつみ》の神。次に上筒《うはづつ》の男《を》の命。この三柱の綿津見の神は、阿曇《あづみ》の連《むらじ》等が祖神《おやがみ》と齋《いつ》く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子|宇都志日金拆《うつしひがなさく》の命の子孫《のち》なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨《すみ》の江《え》の三前の大神一四[#「一四」は行右小書き]なり。  ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照《あまて》らす大御神《おほみかみ》。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月讀《つくよみ》の命一五[#「一五」は行右小書き]。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐《たけはやすさ》の男《を》の命一六[#「一六」は行右小書き]。 [#ここから2字下げ] 右の件、八十禍津日《やそまがつび》の神より下、速須佐《はやすさ》の男《を》の命より前、十柱の神一七[#「一七」は行右小書き]は、御身を滌ぎたまひしに因りて生《あ》れませる神なり。 [#ここで字下げ終わり]  この時伊耶那岐の命|大《いた》く歡ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終《はて》に、三柱の貴子《うづみこ》を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠《みくびたま》の玉の緒ももゆらに取りゆらかして一八[#「一八」は行右小書き]、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依《ことよ》さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板擧《みくらたな》の神一九[#「一九」は行右小書き]といふ。次に月讀の命に詔りたまはく、「汝が命は夜《よ》の食《をす》國二〇[#「二〇」は行右小書き]を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐《たけはやすさ》の男《を》の命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。  かれおのもおのもよさし賜へる命のまにま知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたまへる國を知らさずて、八拳須《やつかひげ》心前《むなさき》に至るまで、啼きいさちき二一[#「二一」は行右小書き]。その泣く状《さま》は、青山は枯山なす泣き枯らし河海《うみかは》は悉《ことごと》に泣き乾《ほ》しき。ここを以ちて惡《あら》ぶる神の音なひ二二[#「二二」は行右小書き]、狹蠅《さばへ》なす皆|滿《み》ち、萬の物の妖《わざはひ》悉に發《おこ》りき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまはく、「何とかも汝《いまし》は言依させる國を治《し》らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ白さく、「僕《あ》は妣《はは》の國|根《ね》の堅洲《かたす》國二三[#「二三」は行右小書き]に罷らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神、大《いた》く忿らして詔りたまはく、「然らば汝はこの國にはな住《とど》まりそ」と詔りたまひて、すなはち神逐《かむやら》ひに逐《やら》ひたまひき二四[#「二四」は行右小書き]。かれその伊耶那岐の大神は、淡路の多賀《たが》二五[#「二五」は行右小書き]にまします。 [#ここから2字下げ] 一 大變見にくいきたない世界。 二 九州の諸地方に傳説地があるが不明。アハギは樹名だろうが不明。日本書紀に檍原と書く。 三 道路に立つて惡魔の來るのを追い返す神。柱の形であるから杖によつて成つたという。 四 道路の長さの神。道路そのものに威力ありとする思想。 五 時置師の神とも傳える。時間のかかる意であろう。 六 疲勞の神靈。 七 二股になつている道路の神。 八 口をあけて食う神靈。魔物をである。 九 以下は禊をする土地の説明。 一〇 災禍の神靈。 一一 災禍を拂つてよくする思想の神格化。曲つたものをまつすぐにするという形で表現している。 一二 威力のある女。巫女である。 一三 以下六神、海の神。安曇系と住吉系と二種の神話の混合。 一四 住吉神社の祭神。西方の海岸にこの神の信仰がある。 一五 月の神、男神。日本書紀にはこの神が保食《うけもち》の神(穀物の神)を殺す神話がある。 一六 暴風の神であり出雲系の英雄でもある。 一七 實數十四神。イヅノメと海神の一組三神とを除けば十神になる。 一八 頸にかけた珠の緒もゆらゆらとゆり鳴らして。 一九 棚の上に安置してある神靈の義。 二〇 夜の領國。神話は傳わらない。 二一 長い髯が胸元までのびるまで泣きわめいた。以下暴風の性質にもとづく敍述。 二二 亂暴な神の物音。暴風のさわぎ。 二三 死んだ母の國。イザナミの神の行つている黄泉の國である地下の堅い土の世界。暴風がみずから地下へ行こうと言つたとする。 二四 神が追い拂つた。暴風を父の神が放逐したとする思想。 二五 眞福寺本には淡海の多賀とする。イザナギの命の信仰は、淡路方面にひろがつていた。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔二、天照らす大神と須佐の男の命〕[#「〔二、天照らす大神と須佐の男の命〕」は中見出し] [#5字下げ]〔誓約《うけひ》〕[#「〔誓約〕」は小見出し]  かれここに速須佐の男の命、言《まを》したまはく、「然らば天照らす大御神にまをして罷りなむ」と言《まを》して、天にまゐ上りたまふ時に、山川悉に動《とよ》み國土皆|震《ゆ》りき一[#「一」は行右小書き]。ここに天照らす大御神聞き驚かして、詔りたまはく、「我が汝兄《なせ》の命の上り來ます由《ゆゑ》は、かならず善《うるは》しき心ならじ。我が國を奪はむとおもほさくのみ」と詔りたまひて、すなはち御髮《みかみ》を解きて、御髻《みみづら》に纏かして二[#「二」は行右小書き]、左右の御髻にも、御|鬘《かづら》にも、左右の御手にも、みな八尺《やさか》の勾璁《まがたま》の五百津《いほつ》の御統《みすまる》の珠三[#「三」は行右小書き]を纏き持たして、背《そびら》には千入《ちのり》の靫《ゆき》四[#「四」は行右小書き]を負ひ、平《ひら》五[#「五」は行右小書き]には五百入《いほのり》の靫《ゆき》を附け、また臂《ただむき》には稜威《いづ》の高鞆《たかとも》六[#「六」は行右小書き]を取り佩ばして、弓腹《ゆばら》振り立てて、堅庭は向股《むかもも》に蹈みなづみ、沫雪なす蹶《く》ゑ散《はららか》して、稜威の男建《をたけび》七[#「七」は行右小書き]、蹈み建《たけ》びて、待ち問ひたまひしく、「何とかも上り來ませる」と問ひたまひき。ここに速須佐の男の命答へ白したまはく、「僕《あ》は邪《きたな》き心無し。ただ大御神の命もちて、僕が哭きいさちる事を問ひたまひければ、白しつらく、僕は妣《はは》の國に往《い》なむとおもひて哭くとまをししかば、ここに大御神|汝《みまし》はこの國にな住《とど》まりそと詔りたまひて、神逐《かむやら》ひ逐ひ賜ふ。かれ罷りなむとする状《さま》をまをさむとおもひて參ゐ上りつらくのみ。異《け》しき心無し」とまをしたまひき。ここに天照らす大御神詔りたまはく、「然らば汝《みまし》の心の清明《あか》きはいかにして知らむ」とのりたまひしかば、ここに速須佐の男の命答へたまはく、「おのもおのも誓《うけ》ひて子生まむ八[#「八」は行右小書き]」とまをしたまひき。かれここにおのもおのも天の安の河九[#「九」は行右小書き]を中に置きて誓《うけ》ふ時に、天照らす大御神まづ建速須佐の男の命の佩《は》かせる十拳《とつか》の劒《つるぎ》を乞ひ度《わた》して、三段《みきだ》に打ち折りて、ぬなとももゆらに一〇[#「一〇」は行右小書き]、天《あめ》の眞名井《まなゐ》一一[#「一一」は行右小書き]に振り滌ぎて、さ齧《が》みに齧《か》みて、吹き棄つる氣吹《いぶき》の狹霧《さぎり》に成りませる神の御名一二[#「一二」は行右小書き]は、多紀理毘賣《たぎりびめ》の命、またの御名は奧津島比賣《おきつしまひめ》の命といふ。次に市寸島比賣《いちきしまひめ》の命、またの御名は狹依毘賣《さよりびめ》の命といふ。次に多岐都比賣《たぎつひめ》の命一三[#「一三」は行右小書き]三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。速須佐の男の命、天照らす大御神の左の御髻《みみづら》に纏《ま》かせる八尺《やさか》の勾珠《まがたま》の五百津《いほつ》の御統《みすまる》の珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天《あめ》の眞名井に振り滌ぎて、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、正勝吾勝勝速日《まさかあかつかちはやび》天《あめ》の忍穗耳《おしほみみ》の命一四[#「一四」は行右小書き]。また右の御髻に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、天の菩卑《ほひ》の命一五[#「一五」は行右小書き]。また御鬘《みかづら》に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、天津日子根《あまつひこね》の命一六[#「一六」は行右小書き]。また左の御手に纏《ま》かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、活津日子根《いくつひこね》の命。また右の御手に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、熊野久須毘《くまのくすび》の命一七[#「一七」は行右小書き][#割り注]并はせて五柱。[#割り注終わり]  ここに天照らす大御神、速須佐《はやすさ》の男の命に告《の》りたまはく、「この後に生《あ》れませる五柱の男子《ひこみこ》は、物實《ものざね》我が物に因りて成りませり。かれおのづから吾が子なり。先に生れませる三柱の女子《ひめみこ》は、物實|汝《いまし》の物に因りて成りませり。かれすなはち汝の子なり」と、かく詔《の》り別けたまひき。  かれその先に生れませる神、多紀理毘賣《たきりびめ》の命は、胷形《むなかた》の奧津《おきつ》宮一八[#「一八」は行右小書き]にます。次に市寸島比賣《いちきしまひめ》の命は胷形の中津《なかつ》宮にます一九[#「一九」は行右小書き]。次に田寸津比賣《たぎつひめ》の命は、胷形の邊津《へつ》宮にます。この三柱の神は、胷形の君等がもち齋《いつ》く三前《みまへ》の大神なり。  かれこの後に生《あ》れませる五柱の子の中に、天の菩比《ほひ》の命の子|建比良鳥《たけひらとり》の命、こは出雲の國の造《みやつこ》、无耶志《むざし》の國の造、上《かみ》つ菟上《うなかみ》の國の造、下《しも》つ菟上《うなかみ》の國の造、伊自牟《いじむ》の國の造、津島《つしま》の縣《あがた》の直《あたへ》、遠江《とほつあふみ》の國の造等が祖《おや》なり。次に天津日子根《あまつひこね》の命は、凡川内《おふしかふち》の國の造、額田部《ぬかたべ》の湯坐《ゆゑ》の連《むらじ》、木《き》の國の造、倭《やまと》の田中の直《あたへ》、山代《やましろ》の國の造、馬來田《うまくた》の國の造、道《みち》の尻岐閇《しりきべ》の國の造、周芳《すは》の國の造、倭《やまと》の淹知《あむち》の造《みやつこ》、高市《たけち》の縣主《あがたぬし》、蒲生《かまふ》の稻寸《いなぎ》、三枝部《さきくさべ》の造等が祖なり。 [#ここから2字下げ] 一 暴風の襲來する有樣で、歴史的には出雲族の襲來を語る。 二 男裝される。 三 大きな曲玉の澤山を緒に貫いたもの。曲玉は、玉の威力の發動の思想を表示する。 四 千本の矢を入れて背負う武具。 五 胸のたいらな所。 六 威勢のよい音のする鞆。トモは皮で球形に作り左の手にはめて弓を引いた時にそれに當つて音が立つようにする武具。 七 威勢のよい叫び。 八 神に誓つて神意を伺う儀式。種々の方法があり夢が多く使われる。ここは生まれた子の男女の別によつて神意を伺う。 九 高天の原にありとする川。滋賀縣の野洲《やす》川だともいう。明日香川の古名か。 一〇 玉の音もさやかに。 一一 神聖な水の井。 一二 以上の行爲は、身を清めるために行う。劒を振つて水を清めてその水を口に含んで吐く霧の中に神靈が出現するとする。以下は劒が玉に變つているだけ。 一三 以上の三女神は福岡縣の宗像《むなかた》神社の神。 一四 皇室の御祖先と傳える。 一五 出雲氏等の祖先。 一六 主として近畿地方に居住した諸氏の祖先。各種の系統の祖先が、この行事によつて出現したとするのは民族が同一祖から出たとする思想である。 一七 出雲の國の熊野神社の神。 一八 福岡縣の海上日本海の沖の島にある。 一九 福岡縣の海上大島にある。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔天の岩戸〕[#「〔天の岩戸〕」は小見出し]  ここに速須佐の男の命、天照らす大御神に白したまひしく、「我が心|清明《あか》ければ我が生める子|手弱女《たわやめ》を得つ一[#「一」は行右小書き]。これに因りて言はば、おのづから我勝ちぬ」といひて、勝さび二[#「二」は行右小書き]に天照らす大御神の營田《みつくた》の畔《あ》離ち、その溝|埋《う》み、またその大|嘗《にへ》聞しめす殿に屎《くそ》まり散らしき三[#「三」は行右小書き]。かれ然すれども、天照らす大御神は咎めずて告りたまはく、「屎《くそ》なすは醉《ゑ》ひて吐き散らすとこそ我が汝兄《なせ》の命かくしつれ。また田の畔《あ》離ち溝|埋《う》むは、地《ところ》を惜《あたら》しとこそ我が汝兄《なせ》の命かくしつれ」と詔り直したまへども、なほその惡《あら》ぶる態《わざ》止まずてうたてあり。天照らす大御神の忌服屋《いみはたや》四[#「四」は行右小書き]にましまして神御衣《かむみそ》織らしめたまふ時に、その服屋《はたや》の頂《むね》を穿ちて、天の斑馬《むちこま》を逆剥《さかは》ぎに剥ぎて墮し入るる五[#「五」は行右小書き]時に、天の衣織女《みそおりめ》見驚きて梭《ひ》六[#「六」は行右小書き]に陰上《ほと》を衝きて死にき。かれここに天照らす大御神|見《み》畏《かしこ》みて、天の石屋戸《いはやど》七[#「七」は行右小書き]を開きてさし隱《こも》りましき。ここに高天《たかま》の原皆暗く、葦原《あしはら》の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜《とこよ》往く八[#「八」は行右小書き]。ここに萬《よろづ》の神の聲《おとなひ》は、さ蠅《ばへ》なす滿ち、萬の妖《わざはひ》悉に發《おこ》りき。ここを以ちて八百萬の神、天の安の河原に神集《かむつど》ひ集《つど》ひて、高御産巣日《たかみむすび》の神の子|思金《おもひがね》の神九[#「九」は行右小書き]に思はしめて、常世《とこよ》の長鳴《ながなき》鳥一〇[#「一〇」は行右小書き]を集《つど》へて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石《かたしは》を取り、天の金山《かなやま》の鐵《まがね》を取りて、鍛人《かぬち》天津麻羅《あまつまら》を求《ま》ぎて、伊斯許理度賣《いしこりどめ》の命に科《おほ》せて、鏡を作らしめ、玉の祖《おや》の命に科せて八尺の勾《まが》璁の五百津《いほつ》の御統《みすまる》の珠を作らしめて天の兒屋《こやね》の命|布刀玉《ふとだま》の命を召《よ》びて、天の香山《かぐやま》の眞男鹿《さをしか》の肩を内拔《うつぬ》きに拔きて一一[#「一一」は行右小書き]、天の香山の天の波波迦《ははか》一二[#「一二」は行右小書き]を取りて、占合《うらへ》まかなはしめて一三[#「一三」は行右小書き]、天の香山の五百津の眞賢木《まさかき》を根掘《ねこ》じにこじて一四[#「一四」は行右小書き]、上枝《ほつえ》に八尺の勾璁の五百津の御統の玉を取り著《つ》け、中つ枝に八尺《やた》の鏡を取り繋《か》け、下枝《しづえ》に白和幣《しろにぎて》青和幣《あをにぎて》を取り垂《し》でて一五[#「一五」は行右小書き]、この種種《くさぐさ》の物は、布刀玉の命|太御幣《ふとみてぐら》と取り持ちて、天の兒屋の命|太祝詞《ふとのりと》言祷《ことほ》ぎ白して、天の手力男《たぢからを》の神一六[#「一六」は行右小書き]、戸の掖《わき》に隱り立ちて、天の宇受賣《うずめ》の命、天の香山の天の日影《ひかげ》を手次《たすき》に繋《か》けて、天の眞拆《まさき》を鬘《かづら》として一七[#「一七」は行右小書き]、天の香山の小竹葉《ささば》を手草《たぐさ》に結ひて一八[#「一八」は行右小書き]、天の石屋戸《いはやど》に覆槽《うけ》伏せて一九[#「一九」は行右小書き]蹈みとどろこし、神懸《かむがか》りして、胷乳《むなち》を掛き出で、裳《も》の緒《ひも》を陰《ほと》に押し垂りき。ここに高天の原|動《とよ》みて八百萬の神共に咲《わら》ひき。  ここに天照らす大御神|怪《あや》しとおもほして、天の石屋戸を細《ほそめ》に開きて内より告《の》りたまはく、「吾《あ》が隱《こも》りますに因りて、天の原おのづから闇《くら》く、葦原の中つ國も皆闇けむと思ふを、何《なに》とかも天の宇受賣《うずめ》は樂《あそび》し、また八百萬の神|諸《もろもろ》咲《わら》ふ」とのりたまひき。ここに天の宇受賣白さく、「汝命《いましみこと》に勝《まさ》りて貴《たふと》き神いますが故に、歡喜《よろこ》び咲《わら》ひ樂《あそ》ぶ」と白しき。かく言ふ間に、天の兒屋の命、布刀玉の命、その鏡をさし出でて、天照らす大御神に見せまつる時に、天照らす大御神いよよ奇《あや》しと思ほして、やや戸より出でて臨みます時に、その隱《かく》り立てる手力男の神、その御手を取りて引き出だしまつりき。すなはち布刀玉の命、尻久米《しりくめ》繩二〇[#「二〇」は行右小書き]をその御後方《みしりへ》に控《ひ》き度して白さく、「ここより内にな還り入りたまひそ」とまをしき。かれ天照らす大御神の出でます時に、高天の原と葦原の中つ國とおのづから照り明りき。ここに八百萬の神共に議《はか》りて、速須佐の男の命に千座《ちくら》の置戸《おきど》を負せ二一[#「二一」は行右小書き]、また鬚《ひげ》と手足の爪とを切り、祓へしめて、神逐《かむやら》ひ逐ひき。 [#ここから2字下げ] 一 自分が清らかだから女子を得たとする。日本書紀では反對に、男子が生まれたらスサノヲの命が潔白であるとしている。古事記の神話が女子によつて語られたとする證明になるところ。オシホミミの命の出現によつて勝つたとするのが原形だろう。 二 勝にまかせて。 三 田の畦を破り溝を埋め、また御食事をなされる宮殿に不淨の物をまき散らすので、皆暴風の災害である。 四 清淨な機おり場。 五 これも暴風の災害。 六 機おる時に横絲を卷いて縱絲の中をくぐらせる道具。 七 イハは堅固である意を現すためにつけていう。墳墓の入口の石の戸とする説もある。 八 永久の夜が續く。 九 思慮智惠の神格化。 一〇 鷄。常世は、恒久の世界の義で、空想上の世界から轉じて海外をいう。 一一 香具山の鹿の肩の骨をそつくり拔いて。 一二 樹名、カバノキ。これで鹿骨を燒く。 一三 占いをし適合させて。卜占によつて祭の實行方法を定める。 一四 香具山の繁つた木を根と共に掘つて。マサカキは繁つた常緑木で、今いうツバキ科の樹名サカキに限らない。神聖な清淨な木を引く意味で、山から採つてくる。 一五 サカキに玉と鏡と麻楮をつけるのは、神靈を招く意の行事で、他の例では劒をもつける。シラニギテはコウゾ、アヲニギテはアサ。 一六 力の神格。 一七 ヒカゲカズラを手次《たすき》にかけ、マサキノカズラをカヅラにする。神がかりをするための用意。 一八 小竹の葉をつけて手で持つ。 一九 中のうつろの箱のようなものを伏せて。 二〇 シメ繩。出入禁止の意の表示。 二一 罪を犯した者に多くの物を出させる。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔三、須佐の男の命〕[#「〔三、須佐の男の命〕」は中見出し] [#5字下げ][#小見出し]〔穀物の種一[#「一」は行右小書き]〕[#小見出し終わり]  また食物《をしもの》を大氣都比賣《おほげつひめ》の神に乞ひたまひき。ここに大氣都比賣、鼻口また尻より、種種の味物《ためつもの》二[#「二」は行右小書き]を取り出でて、種種作り具へて進《たてまつ》る時に、速須佐の男の命、その態《しわざ》を立ち伺ひて、穢汚《きたな》くして奉るとおもほして、その大宜津比賣《おほげつひめ》の神を殺したまひき。かれ殺さえましし神の身に生《な》れる物は、頭に蠶《こ》生り、二つの目に稻種《いなだね》生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆《あづき》生り、陰《ほと》に麥生り、尻に大豆《まめ》生りき。かれここに神産巣日《かむむすび》御祖《みおや》の命、こを取らしめて、種と成したまひき。 [#ここから2字下げ] 一 この一節は插入神話である。文章が前の章からよく接續しないことに注意。オホゲツヒメは穀物の女神。既出。 二 うまい物。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔八俣の大蛇〕[#「〔八俣の大蛇〕」は小見出し]  かれ避追《やらは》えて、出雲の國の肥の河上、名は鳥髮《とりかみ》といふ地《ところ》一[#「一」は行右小書き]に降《あも》りましき。この時に、箸その河ゆ流れ下りき。ここに須佐の男の命、その河上に人ありとおもほして、求《ま》ぎ上り往でまししかば、老夫《おきな》と老女《おみな》と二人ありて、童女《をとめ》を中に置きて泣く。ここに「汝たちは誰そ」と問ひたまひき。かれその老夫、答へて言《まを》さく「僕《あ》は國つ神|大山津見《おほやまつみ》の神の子なり。僕が名は足名椎《あしなづち》といひ妻《め》が名は手名椎《てなづち》といひ、女《むすめ》が名は櫛名田比賣《くしなだひめ》二[#「二」は行右小書き]といふ」とまをしき。また「汝の哭く故は何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八|稚女《をとめ》ありき。ここに高志《こし》の八俣《やまた》の大蛇《をろち》三[#「三」は行右小書き]、年ごとに來て喫《く》ふ。今その來べき時なれば泣く」とまをしき。ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば、「そが目は赤かがち四[#「四」は行右小書き]の如くにして身一つに八つの頭《かしら》八つの尾あり。またその身に蘿《こけ》また檜榲《ひすぎ》生ひ、その長《たけ》谷《たに》八谷|峽《を》八|尾《を》を度り五[#「五」は行右小書き]て、その腹を見れば、悉に常に血《ち》垂り六[#「六」は行右小書き]爛《ただ》れたり」とまをしき。[#割り注]ここに赤かがちと云へるは、今の酸醤なり[#「酸醤なり」はママ]。[#割り注終わり]ここに速須佐の男の命、その老夫に詔りたまはく、「これ汝《いまし》が女ならば、吾に奉らむや」と詔りたまひしかば、「恐けれど御名を知らず」と答へまをしき。ここに答へて詔りたまはく、「吾は天照らす大御神の弟《いろせ》なり。かれ今天より降りましつ」とのりたまひき。ここに足名椎《あしなづち》手名椎《てなづち》の神、「然まさば恐《かしこ》し、奉らむ」とまをしき。  ここに速須佐の男の命、その童女《をとめ》を湯津爪櫛《ゆつつまぐし》に取らして、御髻《みみづら》に刺さして七[#「七」は行右小書き]、その足名椎、手名椎の神に告りたまはく、「汝等《いましたち》、八鹽折《やしほり》の酒を釀《か》み八[#「八」は行右小書き]、また垣を作り𢌞《もとほ》し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの假庪《さずき》を結《ゆ》ひ九[#「九」は行右小書き]、その假庪ごとに酒船一〇[#「一〇」は行右小書き]を置きて、船ごとにその八鹽折の酒を盛りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく設《ま》け備へて待つ時に、その八俣《やまた》の大蛇《をろち》、信《まこと》に言ひしがごと來つ。すなはち船ごとに己《おの》が頭を乘り入れてその酒を飮みき。ここに飮み醉ひて留まり伏し寢たり。ここに速須佐の男の命、その御佩《みはかし》の十拳《とつか》の劒を拔きて、その蛇を切り散《はふ》りたまひしかば、肥《ひ》の河血に變《な》りて流れき。かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀《みはかし》の刃|毀《か》けき。ここに怪しと思ほして、御刀の前《さき》もちて刺し割きて見そなはししかば、都牟羽《つむは》の大刀一一[#「一一」は行右小書き]あり。かれこの大刀を取らして、異《け》しき物ぞと思ほして、天照らす大御神に白し上げたまひき。こは草薙《くさなぎ》の大刀一二[#「一二」は行右小書き]なり。  かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき地《ところ》を出雲の國に求《ま》ぎたまひき。ここに須賀《すが》一三[#「一三」は行右小書き]の地に到りまして詔りたまはく、「吾|此地《ここ》に來て、我《あ》が御心|清淨《すがすが》し」と詔りたまひて、其地《そこ》に宮作りてましましき。かれ其地《そこ》をば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らしし時に、其地《そこ》より雲立ち騰りき。ここに御歌よみしたまひき。その歌、 [#ここから2字下げ] や雲立つ  出雲八重垣。 妻隱《つまご》みに  八重垣作る。 その八重垣を一四[#「一四」は行右小書き]。  (歌謠番號一) [#ここで字下げ終わり]  ここにその足名椎の神を喚《め》して告《の》りたまはく、「汝《いまし》をば我が宮の首《おびと》に任《ま》けむ」と告りたまひ、また名を稻田《いなだ》の宮主《みやぬし》須賀《すが》の八耳《やつみみ》の神と負せたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 島根縣仁多郡、斐伊川の上流船通山。 二 日本書紀に奇稻田姫とある。 三 強暴な者の譬喩。また出水としそれを處理して水田を得た意の神話ともする。コシは、島根縣内の地名説もあるが、北越地方の義とすべきである。 四 タンバホオズキ。 五 身長が、谷八つ、高み八つを越える。 六 血がしたたつて。 七 女が魂をこめた櫛を男のミヅラにさす。これは婚姻の風習で、その神祕な表現。 八 濃い酒を作つて。 九 サズキは物をのせる臺。古代は綱で材木を結んで作るから、結うという。 一〇 酒の入物。フネは箱状のもの。 一一 ツムハは語義不明。都牟刈とする傳えもある。 一二 後にヤマトタケルの命が野の草を薙いで火難を免れたから、クサナギの劒という。もと叢雲《むらくも》の劒という。三種の神器の一。 一三 島根縣大原郡。 一四 や雲立つは枕詞。多くの雲の立つ意。八重垣は、幾重もの壁や垣の意で宮殿をいう。最後のヲは、間投の助詞。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔系譜〕[#「〔系譜〕」は小見出し]  その櫛名田比賣《くしなだひめ》を隱處《くみど》に起して一[#「一」は行右小書き]、生みませる神の名は、八島士奴美《やしまじぬみ》の神。また大山津見の神の女《むすめ》名は神大市《かむおほち》比賣に娶《あ》ひて生みませる子、大年《おほとし》の神、次に宇迦《うか》の御魂《みたま》二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。兄《みあに》八島士奴美の神、大山津見の神の女、名は木《こ》の花《はな》知流《ちる》比賣に娶《あ》ひて生みませる子、布波能母遲久奴須奴《ふはのもぢくぬすぬ》の神。この神|淤迦美《おかみ》の神の女、名は日河《ひかは》比賣に娶ひて生みませる子、深淵《ふかふち》の水夜禮花《みづやれはな》の神。この神天の都度閇知泥《つどへちね》の神に娶ひて生みませる子、淤美豆奴《おみづぬ》の神二[#「二」は行右小書き]。この神|布怒豆怒《ふのづの》の神の女、名は布帝耳《ふてみみ》の神に娶ひて生みませる子、天の冬衣《ふゆぎぬ》の神、この神|刺國大《さしくにおほ》の神の女、名は刺國若比賣に娶ひて生みませる子、大國主の神三[#「三」は行右小書き]。またの名は大穴牟遲《おほあなむぢ》の神といひ、またの名は葦原色許男《あしはらしこを》の神といひ、またの名は八千矛《やちほこ》の神といひ、またの名は宇都志國玉《うつしくにたま》の神といひ、并はせて五つの名あり。 [#ここから2字下げ] 一 隱れた處に事を起して。婚姻して。以下スサノヲの命の子孫の系譜であるが大年の神とウカノミタマの神とは穀物の神で下の五二頁[#「五二頁」は「大國主の神」の「大年の神の系譜」]に出る系譜の準備になる。その條參照。 二 出雲國風土記に諸地方の土地を引いて來たという國引の神話を傳える八束水臣津野の命。 三 古代出雲の英雄で國土の神靈の意。代々オホクニヌシでありその一人が英雄であつたのだろう。以下の別名はそれぞれその名による神話がありすべてを同一神と解したものであろう。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔四、大國主の神〕[#「〔四、大國主の神〕」は中見出し] [#5字下げ][#小見出し]〔菟と鰐〕[#小見出し終わり]  かれこの大國主の神の兄弟《はらから》八十《やそ》神一[#「一」は行右小書き]ましき。然れどもみな國は大國主の神に避《さ》りまつりき。避りし所以《ゆゑ》は、その八十神おのもおのも稻羽《いなば》の八上《やかみ》比賣二[#「二」は行右小書き]を婚《よば》はむとする心ありて、共に稻羽に行きし時に、大穴牟遲《おほあなむぢ》の神に帒《ふくろ》を負せ、從者《ともびと》として率《ゐ》て往きき三[#「三」は行右小書き]。ここに氣多《けた》の前《さき》四[#「四」は行右小書き]に到りし時に、裸《あかはだ》なる菟《うさぎ》伏せり。ここに八十神その菟に謂ひて云はく、「汝《いまし》爲《せ》まくは、この海鹽《うしほ》を浴み、風の吹くに當りて、高山の尾の上に伏せ」といひき。かれその菟、八十神の教のまにまにして伏しつ。ここにその鹽の乾くまにまに、その身の皮悉に風に吹き拆《さ》かえき。かれ痛みて泣き伏せれば、最後《いやはて》に來ましし大穴牟遲の神、その菟を見て、「何とかも汝が泣き伏せる」とのりたまひしに、菟答へて言さく「僕《あれ》、淤岐《おき》の島五[#「五」は行右小書き]にありて、この地《くに》に度らまくほりすれども、度らむ因《よし》なかりしかば、海の鰐六[#「六」は行右小書き]を欺きて言はく、吾《われ》と汝《いまし》と競ひて族《やから》の多き少きを計らむ。かれ汝はその族のありの悉《ことごと》率《ゐ》て來て、この島より氣多《けた》の前《さき》まで、みな列《な》み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて走りつつ讀み度らむ。ここに吾が族といづれか多きといふことを知らむと、かく言ひしかば、欺かえて列《な》み伏せる時に、吾その上を蹈みて讀み度り來て、今|地《つち》に下りむとする時に、吾、汝《いまし》は我に欺かえつと言ひ畢《をは》れば、すなはち最端《いやはて》に伏せる鰐、我《あれ》を捕へて、悉に我が衣服《きもの》を剥ぎき。これに因りて泣き患へしかば、先だちて行でましし八十神の命もちて誨《をし》へたまはく、海鹽《うしほ》を浴みて、風に當りて伏せとのりたまひき。かれ教のごとせしかば、我《あ》が身悉に傷《そこな》はえつ」とまをしき。ここに大穴牟遲の神、その菟に教へてのりたまはく、「今|急《と》くこの水門《みなと》に往きて、水もちて汝が身を洗ひて、すなはちその水門の蒲《かま》の黄《はな》七[#「七」は行右小書き]を取りて、敷き散して、その上に輾《こ》い轉《まろ》びなば、汝が身本の膚《はだ》のごと、かならず差《い》えなむ」とのりたまひき。かれ教のごとせしかば、その身本の如くになりき。こは稻羽《いなば》の素菟《しろうさぎ》といふものなり。今には菟神といふ。かれその菟、大穴牟遲の神に白さく、「この八十神は、かならず八上《やがみ》比賣を得じ。帒《ふくろ》を負ひたまへども、汝が命ぞ獲たまはむ」とまをしき。  ここに八上《やがみ》比賣、八十神に答へて言はく、「吾は汝たちの言を聞かじ、大穴牟遲の神に嫁《あ》はむ」といひき。 [#ここから2字下げ] 一 多くの神。神話にいう兄弟は、眞實の兄弟ではない。 二 鳥取縣八頭郡八上の地にいた姫。 三 七福神の大黒天を大國主の神と同神とする説のあるのは、大國と大黒と字音が同じなのと、ここに袋を背負つたことがあるからであるが、大黒天はもとインドの神で別である。 四 島根縣氣高郡末恒村の日本海に出た岬角。 五 日本海の隱岐の島。ただし氣多の前の海中にも傳説地がある。 六 フカの類。やがてその知識に、蛇、龜などの要素を取り入れて想像上の動物として發達した。フカの實際を知らない者が多かつたからである。 七 カマの花粉。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ][#小見出し]〔𧏛貝比賣と蛤貝比賣〕[#小見出し終わり]  かれここに八十神|忿《いか》りて、大穴牟遲の神を殺さむとあひ議《はか》りて、伯伎《ははき》の國の手間《てま》の山本一[#「一」は行右小書き]に至りて云はく、「この山に赤猪《あかゐ》あり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし待ち取らずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を燒きて、轉《まろば》し落しき。ここに追ひ下し取る時に、すなはちその石に燒き著《つ》かえて死《う》せたまひき。ここにその御祖《みおや》の命二[#「二」は行右小書き]哭き患へて、天にまゐ上《のぼ》りて、神産巣日《かむむすび》の命に請《まを》したまふ時に、𧏛貝《きさがひ》比賣と蛤貝《うむがひ》比賣とを遣りて、作り活かさしめたまひき。ここに𧏛貝比賣きさげ集めて、蛤貝比賣待ち承《う》けて、母《おも》の乳汁《ちしる》と塗りしかば三[#「三」は行右小書き]、麗《うるは》しき壯夫《をとこ》になりて出であるきき。 [#ここから2字下げ] 一 鳥取縣西伯郡天津村。 二 母の神。 三 赤貝の汁をしぼつて蛤《はまぐり》の貝に受け入れて母の乳汁として塗つた。古代の火傷の療法である。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔根の堅州國〕[#「〔根の堅州國〕」は小見出し]  ここに八十神見てまた欺きて、山に率《ゐ》て入りて、大樹を切り伏せ、茹矢《ひめや》一[#「一」は行右小書き]をその木に打ち立て、その中に入らしめて、すなはちその氷目矢《ひめや》を打ち離ちて、拷《う》ち殺しき。ここにまたその御祖、哭きつつ求《ま》ぎしかば、すなはち見得て、その木を拆《さ》きて、取り出で活して、その子に告りて言はく、「汝ここにあらば、遂に八十神に滅《ころ》さえなむ」といひて、木の國二[#「二」は行右小書き]の大屋毘古《おほやびこ》の神三[#「三」は行右小書き]の御所《みもと》に違へ遣りたまひき。ここに八十神|覓《ま》ぎ追ひ臻《いた》りて、矢刺して乞ふ時に、木の俣《また》より漏《く》き逃れて去《い》にき。御祖の命、子に告りていはく、「須佐の男の命のまします根《ね》の堅州《かたす》國四[#「四」は行右小書き]にまゐ向きてば、かならずその大神|議《はか》りたまひなむ」とのりたまひき。かれ詔命《みこと》のまにまにして須佐の男の命の御所《みもと》に參ゐ到りしかば、その女|須勢理毘賣《すせりびめ》出で見て、目合《まぐはひ》して五[#「五」は行右小書き]婚《あ》ひまして、還り入りてその父に白して言さく、「いと麗しき神來ましつ」とまをしき。ここにその大神出で見て、「こは葦原色許男《あしはらしこを》の命といふぞ」とのりたまひて、すなはち喚び入れて、その蛇《へみ》の室《むろや》六[#「六」は行右小書き]に寢しめたまひき。ここにその妻《みめ》須勢理毘賣《すせりびめ》の命、蛇のひれ七[#「七」は行右小書き]をその夫に授けて、「その蛇|咋《く》はむとせば、このひれを三たび擧《ふ》りて打ち撥《はら》ひたまへ」とまをしたまひき。かれ教のごとせしかば、蛇おのづから靜まりぬ。かれ平《やす》く寢て出でましき。また來る日の夜は、呉公《むかで》と蜂との室《むろや》に入れたまひしを、また呉公《むかで》蜂のひれを授けて、先のごと教へしかば、平《やす》く出でたまひき。また鳴鏑《なりかぶら》八[#「八」は行右小書き]を大野の中に射入れて、その矢を採らしめたまひき。かれその野に入りましし時に、すなはち火もちてその野を燒き𢌞らしつ。ここに出づる所を知らざる間に、鼠來ていはく、「内はほらほら、外《と》はすぶすぶ九[#「九」は行右小書き]」と、かく言ひければ、其處《そこ》を踏みしかば、落ち隱り入りし間に、火は燒け過ぎき。ここにその鼠、その鳴鏑《なりかぶら》を咋《く》ひて出で來て奉りき。その矢の羽は、その鼠の子どもみな喫ひたりき。  ここにその妻《みめ》須世理毘賣《すせりびめ》は、喪《はふり》つ具《もの》一〇[#「一〇」は行右小書き]を持ちて哭きつつ來まし、その父の大神は、すでに死《う》せぬと思ほして、その野に出でたたしき。ここにその矢を持ちて奉りし時に、家に率て入りて、八田間《やたま》の大室一一[#「一一」は行右小書き]に喚び入れて、その頭《かしら》の虱《しらみ》を取らしめたまひき。かれその頭を見れば、呉公《むかで》多《さは》にあり。ここにその妻、椋《むく》の木の實と赤土《はに》とを取りて、その夫に授けつ。かれその木の實を咋ひ破り、赤土《はに》を含《ふく》みて唾《つば》き出だしたまへば、その大神、呉公《むかで》を咋ひ破りて唾き出だすとおもほして、心に愛《は》しとおもほして寢《みね》したまひき。ここにその神の髮を握《と》りて、その室の椽《たりき》ごとに結ひ著けて、五百引《いほびき》の石《いは》一二[#「一二」は行右小書き]を、その室の戸に取り塞《さ》へて、その妻《みめ》須世理毘賣を負ひて、すなはちその大神の生大刀《いくたち》と生弓矢《いくゆみや》一三[#「一三」は行右小書き]またその天の沼琴《ぬごと》一四[#「一四」は行右小書き]を取り持ちて、逃げ出でます時に、その天の沼琴樹に拂《ふ》れて地|動鳴《なりとよ》みき。かれその寢《みね》したまへりし大神、聞き驚かして、その室を引き仆《たふ》したまひき。然れども椽に結へる髮を解かす間に遠く逃げたまひき。かれここに黄泉比良坂《よもつひらさか》に追ひ至りまして、遙《はるか》に望《みさ》けて、大穴牟遲《おほあなむぢ》の神を呼ばひてのりたまはく、「その汝が持てる生大刀生弓矢もちて汝が庶兄弟《あにおとども》をば、坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥《はら》ひて、おれ一五[#「一五」は行右小書き]大國主の神となり、また宇都志國玉《うつしくにたま》の神一六[#「一六」は行右小書き]となりて、その我が女須世理毘賣を嫡妻《むかひめ》として、宇迦《うか》の山一七[#「一七」は行右小書き]の山本に、底津石根《そこついはね》に宮柱太しり、高天の原に氷椽《ひぎ》高しりて一八[#「一八」は行右小書き]居れ。この奴《やつこ》」とのりたまひき。かれその大刀弓を持ちて、その八十神を追ひ避《さ》くる時に、坂の御尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ撥ひて國作り始めたまひき一九[#「一九」は行右小書き]。  かれその八上比賣は先の期《ちぎり》のごとみとあたはしつ二〇[#「二〇」は行右小書き]。かれその八上比賣は、率《ゐ》て來ましつれども、その嫡妻《むかひめ》須世理毘賣を畏《かしこ》みて、その生める子をば、木の俣《また》に刺し挾みて返りましき。かれその子に名づけて木の俣の神といふ、またの名は御井《みゐ》の神といふ。 [#ここから2字下げ] 一 クサビ形の矢。氷目矢とあるも同じ。 二 紀伊の國(和歌山縣) 三 家屋の神。イザナギ、イザナミの生んだ子の中にあつた。ただしスサノヲの命の子とする説がある。 四 既出、地下の國。 五 互に見合うこと。 六 古代建築にはムロ型とス型とある。ムロは穴を掘つて屋根をかぶせた形のもので濕氣の多い地では蟲のつくことが多い。スは足をつけて高く作る。どちらも原住地での習俗を移したものだろうが、ムロ型は亡びた。 七 蛇を支配する力のあるヒレ。ヒレは、白い織物で女子が頸にかける。これを振ることによつて威力が發生する。次のヒレも同じ。 八 射ると鳴りひびくように作つた矢。 九 入口は狹いが内部は廣い。古墳のあとだろうという。 一〇 葬式の道具。 一一 柱間の數の多い大きな室。 一二 五百人で引くほどの巨石。 一三 生命の感じられる大刀弓矢。 一四 美しいりつぱな琴。 一五 親愛の第二人稱。 一六 現實にある國土の神靈。 一七 島根縣出雲市出雲大社の東北の御埼山。 一八 壯大な宮殿建築をする意の常用句。地底の石に柱をしつかと建て、空中に高く千木をあげて作る。ヒギ、チギともいう。屋上に交叉して突出している材。今では神社建築に見られる。 一九 國土經營をはじめた。 二〇 婚姻した。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔八千矛の神の歌物語〕[#「〔八千矛の神の歌物語〕」は小見出し]  この八千矛《やちほこ》の神一[#「一」は行右小書き]、高志《こし》の國の沼河比賣《ぬなかはひめ》二[#「二」は行右小書き]を婚《よば》はむとして幸《い》でます時に、その沼河比賣の家に到りて三[#「三」は行右小書き]歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 八千矛《やちほこ》の 神の命は、 八島國 妻|求《ま》ぎかねて、 遠遠し 高志《こし》の國に 賢《さか》し女《め》を ありと聞かして、 麗《くは》し女《め》を ありと聞《き》こして、 さ婚《よば》ひに あり立たし四[#「四」は行右小書き] 婚ひに あり通はせ、 大刀が緒も いまだ解かずて、 襲《おすひ》をも いまだ解かね五[#「五」は行右小書き]、 孃子《をとめ》の 寢《な》すや六[#「六」は行右小書き]板戸を 押《お》そぶらひ七[#「七」は行右小書き] 吾《わ》が立たせれば、 引こづらひ 吾《わ》が立たせれば、 青山に 鵼《ぬえ》八[#「八」は行右小書き]は鳴きぬ。 さ野《の》つ鳥 雉子《きぎし》は響《とよ》む。 庭つ鳥 鷄《かけ》は鳴く。 うれたくも九[#「九」は行右小書き] 鳴くなる鳥か。 この鳥も うち止《や》めこせね。 いしたふや一〇[#「一〇」は行右小書き] 天馳使《あまはせづかひ》一一[#「一一」は行右小書き]、 事の 語りごとも こをば一二[#「一二」は行右小書き]。  (歌謠番號二) [#ここで字下げ終わり]  ここにその沼河日賣《ぬなかはひめ》、いまだ戸を開《ひら》かずて内より歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 八千矛《やちほこ》の 神の命。 ぬえくさの一三[#「一三」は行右小書き] 女《め》にしあれば、 吾《わ》が心 浦渚《うらす》の鳥ぞ一四[#「一四」は行右小書き]。 今こそは 吾《わ》鳥にあらめ。 後は 汝鳥《などり》にあらむを、 命は な死《し》せたまひそ一五[#「一五」は行右小書き]。 いしたふや 天馳使、 事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號三) 青山に 日が隱らば、 ぬばたまの一六[#「一六」は行右小書き] 夜は出でなむ。 朝日の 咲《ゑ》み榮え來て、 𣑥綱《たくづの》の一七[#「一七」は行右小書き] 白き腕《ただむき》 沫雪の一八[#「一八」は行右小書き] わかやる胸を そ叩《だた》き 叩きまながり 眞玉手 玉手差し纏《ま》き 股《もも》長に 寢《い》は宿《な》さむを。 あやに な戀ひきこし一九[#「一九」は行右小書き]。 八千矛の 神の命。 事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號四) [#ここで字下げ終わり]  かれその夜は合はさずて、明日《くるつひ》の夜|御合《みあひ》したまひき。  またその神の嫡后《おほぎさき》須勢理毘賣《すせりびめ》の命、いたく嫉妬《うはなりねた》み二〇[#「二〇」は行右小書き]したまひき。かれその日子《ひこ》ぢの神二一[#「二一」は行右小書き]侘《わ》びて、出雲より倭《やまと》の國に上りまさむとして、裝束《よそひ》し立たす時に、片御手は御馬《みま》の鞍に繋《か》け、片御足はその御鐙《みあぶみ》に蹈み入れて、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] ぬばたまの 黒き御衣《みけし》を まつぶさに 取り裝《よそ》ひ二二[#「二二」は行右小書き] 奧《おき》つ鳥二三[#「二三」は行右小書き] 胸《むな》見る時、 羽《は》たたぎ二四[#「二四」は行右小書き]も これは宜《ふさ》はず、 邊《へ》つ浪 そに脱き棄《う》て、 鴗鳥《そにどり》の二五[#「二五」は行右小書き] 青き御衣《みけし》を まつぶさに 取り裝ひ 奧つ鳥 胸見る時、 羽たたぎも こも宜《ふさ》はず、 邊つ浪 そに脱き棄《う》て、 山縣二六[#「二六」は行右小書き]に 蒔《ま》きし あたねつき二七[#「二七」は行右小書き] 染《そめ》木が汁《しる》に 染衣《しめごろも》を まつぶさに 取り裝ひ 奧つ鳥 胸見る時、 羽たたぎも 此《こ》しよろし。 いとこやの二八[#「二八」は行右小書き] 妹の命二九[#「二九」は行右小書き]、 群《むら》鳥の三〇[#「三〇」は行右小書き] 吾《わ》が群れ往《い》なば、 引け鳥三一[#「三一」は行右小書き]の 吾が引け往なば、 泣かじとは 汝《な》は言ふとも、 山跡《やまと》の 一本《ひともと》すすき 項《うな》傾《かぶ》し三二[#「三二」は行右小書き] 汝が泣かさまく三三[#「三三」は行右小書き] 朝雨の さ三四[#「三四」は行右小書き]霧に立《た》たむぞ。 若草の三五[#「三五」は行右小書き] 嬬《つま》の命。 事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號五) [#ここで字下げ終わり]  ここにその后《きささ》 大御|酒杯《さかづき》を取らして、立ち依り指擧《ささ》げて、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 八千矛の 神の命や、 吾《あ》が大國主。 汝《な》こそは 男《を》にいませば、 うち𢌞《み》る三六[#「三六」は行右小書き] 島三七[#「三七」は行右小書き]の埼埼 かき𢌞《み》る 磯の埼おちず三八[#「三八」は行右小書き]、 若草の 嬬《つま》持たせらめ三九[#「三九」は行右小書き]。 吾《あ》はもよ 女《め》にしあれば、 汝《な》を除《き》て四〇[#「四〇」は行右小書き] 男《を》は無し。 汝《な》を除て 夫《つま》は無し。 文垣《あやかき》の ふはやが下に四一[#「四一」は行右小書き]、 蒸被《むしぶすま》 柔《にこや》が下に四二[#「四二」は行右小書き]、 𣑥被《たくぶすま》 さやぐが下に四三[#「四三」は行右小書き]、 沫雪《あわゆき》の わかやる胸を 𣑥綱《たくづの》の 白き臂《ただむき》 そ叩《だた》き 叩きまながり四四[#「四四」は行右小書き] ま玉手 玉手差し纏《ま》き 股長《ももなが》に 寢《い》をしなせ。 豐御酒《とよみき》 たてまつらせ四五[#「四五」は行右小書き]。  (歌謠番號六) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて、すなはち盞《うき》結《ゆ》ひして四六[#「四六」は行右小書き]、項懸《うなが》けりて四七[#「四七」は行右小書き]、今に至るまで鎭ります。こを神語《かむがたり》四八[#「四八」は行右小書き]といふ。 [#ここから2字下げ] 一 多くの武器のある神の義。大國主の神の別名。三八頁[#「三八頁」は「須佐の男の命」の「系譜」]參照。 二 北越の沼河の地の姫。ヌナカハは今の糸魚川町附近だという。 三 男子が夜間女子の家を訪れるのが古代の婚姻の風習である。 四 ヨバヒは、呼ぶ義で婚姻を申し入れる意。サは接頭語。アリタタシは、お立ちになつて。動詞の上につけるアリは在りつつの意。タタシは立つの敬語。 五 オスヒをもまだ解かないのに。オスヒは通例の服裝の上に著る衣服。禮裝、旅裝などに使用する。トカネは解かないのにの意。 六 ナスは寢るの敬語。ヤは感動の助詞で調子をつけるために使う。 七 押しゆすぶつて。 八 今トラツグミという鳥。夜間飛んで鳴く。 九 歎かわしいことに。 一〇 イ下フで、下方にいる意だろう。イは接頭語。ヤは感動の助詞。 一一 走り使いをする部族。アマは神聖なの意につける。この種の歌を語り傳える部族。 一二 この事をば。この通りです。 一三 譬喩による枕詞。なえた草のような。 一四 水鳥です。おちつかない譬喩。 一五 おなくなりなさるな。 一六 譬喩による枕詞。カラスオウギの實は黒いから夜に冠する。 一七 同前。楮で作つた綱は白い。 一八 同前。アワのような大きな雪。 一九 たいへんに戀をなさいますな。 二〇 第二の妻に對する憎み。 二一 夫の神。 二二 十分に著用して。 二三 譬喩による枕詞。水鳥のように胸をつき出して見る。 二四 奧つ鳥と言つたので、その縁でいう。身のこなし。 二五 譬喩による枕詞。カワセミ。青い鳥。 二六 山の料地。 二七 アタネは、アカネに同じというが不明。アカネはアカネ科の蔓草。根をついてアカネ色の染料をとる。 二八 イトコは親愛なる人。ヤは接尾語。 二九 女子の敬稱。 三〇 譬喩による枕詞。 三一 同前。空とおく引き去る鳥。 三二 首をかしげて。うなだれて。 三三 お泣きになることは。マクは、ムコトに相當する。 三四 眞福寺本、サに當る字が無い。 三五 譬喩による枕詞。 三六 このミルは、原文「微流」。微は、古代のミの音聲二種のうちの乙類に屬し、甲類の見るのミの音聲と違う。それで𢌞る意であり、ここは𢌞つているの意有坂博士で次の語を修飾する。 三七 シマは水面に臨んだ土地。はなれ島には限らない。 三八 磯の突端のどこでも。 三九 お持ちになつているでしよう。モタセ、持ツの敬語の命令形。ラ、助動詞の未然形。メ、助動詞ムの已然形で、上の係助詞コソを受けて結ぶ。 四〇 汝をおいては。 四一 織物のトバリのふわふわした下で。 四二 あたたかい寢具のやわらかい下で。 四三 楮の衾のざわざわする下で。 四四 叩いて抱きあい。 四五 めしあがれ。奉るの敬語の命令形。 四六 酒盃をとりかわして約束して。 四七 首に手をかけて。 四八 以上の歌の名稱で、以下この種の名稱が多く出る。これは歌曲として傳えられたのでその歌曲としての名である。この八千矛の神の贈答の歌曲は舞を伴なつていたらしい。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔系譜〕[#「〔系譜〕」は小見出し]  かれこの大國主の神、胷形《むなかた》の奧津宮《おきつみや》にます神、多紀理毘賣の命一[#「一」は行右小書き]に娶《あ》ひて生みませる子、阿遲鉏高日子根《あぢすきたかひこね》の神。次に妹|高比賣《たかひめ》の命二[#「二」は行右小書き]。またの名は下光《したて》る比賣《ひめ》の命三[#「三」は行右小書き]。この阿遲鉏高日子根の神は、今|迦毛《かも》の大御神四[#「四」は行右小書き]といふ神なり。  大國主の神、また神屋楯《かむやたて》比賣の命五[#「五」は行右小書き]に娶ひて生みませる子、事代《ことしろ》主の神六[#「六」は行右小書き]。また八島牟遲《やしまむぢ》の神の女|鳥取《とりとり》の神七[#「七」は行右小書き]に娶ひて生みませる子、鳥鳴海《とりなるみ》の神。この神、日名照額田毘道男伊許知邇《ひなてりぬかたびちをいこちに》の神八[#「八」は行右小書き]に娶ひて生みませる子、國忍富《くにおしとみ》の神。この神、葦那陀迦《あしなだか》の神またの名は八河江比賣《やがはえひめ》に娶ひて生みませる子、連甕《つらみか》の多氣佐波夜遲奴美《たけさはやぢぬみ》の神。この神、天の甕主《みかぬし》の神の女|前玉比賣《さきたまひめ》に娶ひて生みませる子、甕主日子《みかぬしひこ》の神。この神、淤加美《おかみ》の神九[#「九」は行右小書き]の女|比那良志《ひならし》毘賣に娶ひて生みませる子、多比理岐志麻美《たひりきしまみ》の神。この神、比比羅木《ひひらぎ》のその花麻豆美《はなまづみ》の神の女|活玉前玉《いくたまさきたま》比賣の神に娶ひて生みませる子、美呂浪《みろなみ》の神。この神、敷山主《しきやまぬし》の神の女|青沼馬沼押《あをぬまぬおし》比賣に娶ひて生みませる子、布忍富鳥鳴海《ぬのおしとみとりなるみ》の神。この神、若晝女《わかひるめ》の神に娶ひて生みませる子、天の日腹大科度美《ひばらおほしなどみ》の神。この神、天の狹霧《さぎり》の神の女|遠津待根《とほつまちね》の神に娶ひて生みませる子、遠津山岬多良斯《とほつやまざきたらし》の神。 [#ここから2字下げ] 右の件《くだり》、八島士奴美《やしまじぬみ》の神より下、遠津山岬|帶《たらし》の神より前、十七世《とをまりななよ》の神といふ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 一 既出三〇頁[#「三〇頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「誓約」]參照。 二 以上二神、五七頁[#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。 三 光りかがやく姫の義。美しい姫。 四 奈良縣南葛城郡葛城村にある神社の神。 五 系統不明。 六 五七頁[#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。その條參照。 七 鳥耳の神、鳥甘の神とする傳えもある。 八 誤りがあつて、もと何の神の女の何とあつたらしいが不明。 九 水の神。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔少名毘古那の神〕[#「〔少名毘古那の神〕」は小見出し]  かれ大國主の神、出雲の御大《みほ》の御前《みさき》一[#「一」は行右小書き]にいます時に、波の穗より二[#「二」は行右小書き]、天の羅摩《かがみ》の船三[#「三」は行右小書き]に乘りて、鵝《ひむし》の皮を内剥《うつは》ぎに剥ぎて四[#「四」は行右小書き]衣服《みけし》にして、歸《よ》り來る神あり。ここにその名を問はせども答へず、また所從《みとも》の神たちに問はせども、みな知らずと白《まを》しき。ここに多邇具久《たにぐく》五[#「五」は行右小書き]白して言《まを》さく、「こは久延毘古《くえびこ》六[#「六」は行右小書き]ぞかならず知りたらむ」と白ししかば、すなはち久延毘古を召して問ひたまふ時に答へて白さく、「こは神産巣日《かむむすび》の神の御子|少名毘古那《すくなびこな》の神なり」と白しき。かれここに神産巣日|御祖《みおや》の命に白し上げしかば、「こは實《まこと》に我が子なり。子の中に、我が手俣《たなまた》より漏《く》きし子なり。かれ汝《いまし》葦原色許男《あしはらしこを》の命と兄弟《はらから》となりて、その國作り堅めよ」とのりたまひき。かれそれより、大穴牟遲と少名毘古那と二柱の神相並びて、この國作り堅めたまひき。然ありて後には、その少名毘古那の神は、常世《とこよ》の國七[#「七」は行右小書き]に度りましき。かれその少名毘古那の神を顯し白しし、いはゆる久延毘古《くえびこ》は、今には山田の曾富騰《そほど》八[#「八」は行右小書き]といふものなり。この神は、足はあるかねども、天の下の事を盡《ことごと》に知れる神なり。 [#ここから2字下げ] 一 島根縣八束郡美保の岬。 二 波の高みに乘つて。 三 カガミはガガイモ科の蔓草。ガガイモ。その果實は莢でありわれると白い毛のある果實が飛ぶ。それをもとにした神話。 四 蛾の皮をそつくり剥いで。 五 ひきがえる。谷潛りの義。 六 かがし。こわれた男の義。 七 海外の國。三三頁[#「三三頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」]脚註參照。 八 かがしに同じ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔御諸の山の神〕[#「〔御諸の山の神〕」は小見出し]  ここに大國主の神愁へて告りたまはく、「吾獨して、如何《いかに》かもよくこの國をえ作らむ。いづれの神とともに、吾《あ》はよくこの國を相作《つく》らむ」とのりたまひき。この時に海を光《て》らして依り來る神あり。その神の言《の》りたまはく、「我《あ》が前《みまへ》をよく治めば一[#「一」は行右小書き]、吾《あれ》よくともどもに相作り成さむ。もし然あらずは、國成り難《がた》けむ」とのりたまひき。ここに大國主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ状《さま》はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾《あ》をば倭《やまと》の青垣《あをかき》の東の山の上《へ》に齋《いつ》きまつれ二[#「二」は行右小書き]」とのりたまひき。こは御諸《みもろ》の山の上にます神三[#「三」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 わたしをよく祭つたなら。神が現れていう時のきまつた詞。 二 大和の國の東方の青い山の上に祭れ。 三 奈良縣磯城郡三輪山の大神《おおみわ》神社の神。その神社の起原神話。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔大年の神の系譜〕[#「〔大年の神の系譜〕」は小見出し]  かれその大年の神一[#「一」は行右小書き]、神活須毘《かむいくすび》の神の女|伊怒《いの》比賣に娶ひて生みませる子、大國御魂《おほくにみたま》の神。次に韓《から》の神。次に曾富理《そほり》の神。次に白日《しらひ》の神。次に聖《ひじり》の神二[#「二」は行右小書き]五神[#「五神」は1段階小さな文字]。又|香用《かぐよ》比賣に娶ひて生みませる子、大香山戸臣《おほかぐやまとみ》の神。次に御年《みとし》の神二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また天知《あめし》る迦流美豆《かるみづ》比賣に娶ひて生みませる子、奧津日子《おきつひこ》の神。次に奧津比賣《おきつひめ》の命、またの名は大戸比賣《おほへひめ》の神。こは諸人のもち拜《いつ》く竈《かまど》の神なり。次に大山咋《おほやまくひ》の神。またの名は末《すゑ》の大主《おほぬし》の神。この神は近つ淡海《あふみ》の國の日枝《ひえ》の山にます三[#「三」は行右小書き]。また葛野《かづの》の松の尾にます四[#「四」は行右小書き]、鳴鏑《なりかぶら》を用《も》ちたまふ神なり。次に庭津日《にはつひ》の神。次に阿須波《あすは》の神。次に波比岐《はひき》の神五[#「五」は行右小書き]。次に香山戸臣《かぐやまとみ》の神。次に羽山戸《はやまと》の神。次に庭《には》の高津日《たかつひ》の神。次に大土《おほつち》の神。またの名は土《つち》の御祖《みおや》の神[#割り注]九神[#割り注終わり]。 [#ここから2字下げ] 上の件、大年の神の子、大國御魂の神より下、大土の神より前、并せて十六神《とをまりむはしら》。 [#ここで字下げ終わり]  羽山戸の神、大氣都比賣《おほげつひめ》の神に娶ひて生みませる子、若山咋《わかやまくひ》の神。次に若年の神。次に妹|若沙那賣《わかさなめ》の神。次に彌豆麻岐《みづまき》の神。次に夏の高津日《たかつひ》の神。またの名は夏の賣《め》の神。次に秋毘賣《あきびめ》の神。次に久久年《くくとし》の神。次に久久紀若室葛根《くくきわかむろつなね》の神。 [#ここから2字下げ] 上の件、羽山戸の神の子、若山咋の神より下、若室葛根の神より前、并はせて八神。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 一 穀物のみのりの神靈。三八頁[#「三八頁」は「須佐の男の命」の「系譜」]に出た。この神の系譜は、穀物の耕作の經過の表示。 二 これも穀物のみのりの神。 三 滋賀縣滋賀郡坂本の日枝神社。 四 京都市右京區にある松尾神社。 五 以上二神、家の敷地の神。祈年祭の祝詞に見える。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔五、天照らす大御神と大國主の神〕[#「〔五、天照らす大御神と大國主の神〕」は中見出し] [#5字下げ]〔天若日子〕[#「〔天若日子〕」は小見出し]  天照らす大御神の命もちて、「豐葦原の千秋《ちあき》の長五百秋《ながいほあき》の水穗《みづほ》の國一[#「一」は行右小書き]は、我が御子|正勝吾勝勝速日《まさかあかつかちはやひ》天の忍穗耳《おしほみみ》の命の知らさむ國」と、言依《ことよ》さしたまひて、天降《あまくだ》したまひき。ここに天の忍穗耳の命、天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國は、いたくさやぎてありなり二[#「二」は行右小書き]」と告《の》りたまひて、更に還り上りて、天照らす大御神にまをしたまひき。ここに高御産巣日《たかみむすび》の神三[#「三」は行右小書き]、天照らす大御神の命もちて、天の安の河の河原に八百萬の神を神集《かむつど》へに集へて、思金の神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原の中つ國四[#「四」は行右小書き]は、我が御子の知らさむ國と、言依さしたまへる國なり。かれこの國にちはやぶる荒ぶる國つ神五[#「五」は行右小書き]どもの多《さは》なると思ほすは、いづれの神を使はしてか言趣《ことむ》けなむ」とのりたまひき。ここに思金の神また八百萬の神|等《たち》議りて白さく、「天の菩比《ほひ》の神六[#「六」は行右小書き]、これ遣はすべし」とまをしき。かれ天の菩比の神を遣はししかば、大國主の神に媚びつきて、三年に至るまで復奏《かへりごと》まをさざりき。  ここを以ちて高御産巣日の神、天照らす大御神、また諸の神たちに問ひたまはく、「葦原の中つ國に遣はせる天の菩比の神、久しく復奏《かへりごと》まをさず、またいづれの神を使はしてば吉《え》けむ」と告りたまひき。ここに思金の神答へて白さく、「天津國玉《あまつくにだま》の神七[#「七」は行右小書き]の子|天若日子《あめわかひこ》八[#「八」は行右小書き]を遣はすべし」とまをしき。かれここに天《あめ》の麻迦古弓《まかこゆみ》九[#「九」は行右小書き]天の波波矢《ははや》一〇[#「一〇」は行右小書き]を天若日子に賜ひて遣はしき。ここに天若日子、その國に降り到りて、すなはち大國主の神の女|下照《したて》る比賣《ひめ》に娶《あ》ひ、またその國を獲むと慮《おも》ひて、八年に至るまで復奏《かへりごと》まをさざりき。  かれここに天照らす大御神、高御産巣日の神、また諸の神《かみ》たちに問ひたまはく、「天若日子久しく復奏《かへりごと》まをさず、またいづれの神を遣はして、天若日子が久しく留まれる所由《よし》を問はむ」とのりたまひき。ここに諸の神たちまた思金の神答へて白さく、「雉子《きぎし》名《な》鳴女《なきめ》一一[#「一一」は行右小書き]を遣はさむ」とまをす時に、詔りたまはく、「汝《いまし》行きて天若日子に問はむ状は、汝を葦原の中つ國に遣はせる所以《ゆゑ》は、その國の荒ぶる神たちを言趣《ことむ》け平《やは》せとなり。何ぞ八年になるまで、復奏まをさざると問へ」とのりたまひき。  かれここに鳴女《なきめ》、天より降《お》り到りて、天若日子が門なる湯津桂《ゆつかつら》一二[#「一二」は行右小書き]の上に居て、委曲《まつぶさ》に天つ神の詔命《おほみこと》のごと言ひき。ここに天《あめ》の佐具賣《さぐめ》一三[#「一三」は行右小書き]、この鳥の言ふことを聞きて、天若日子に語りて、「この鳥はその鳴く音《こゑ》いと惡し。かれみづから射たまへ」といひ進めければ、天若日子、天つ神の賜へる天の波士弓《はじゆみ》天の加久矢《かくや》一四[#「一四」は行右小書き]をもちて、その雉子《きぎし》を射殺しつ。ここにその矢雉子の胸より通りて逆《さかさま》に射上げて、天の安の河の河原にまします天照らす大御神|高木《たかぎ》の神一五[#「一五」は行右小書き]の御所《みもと》に逮《いた》りき。この高木の神は、高御産巣日の神の別《また》の名《みな》なり。かれ高木の神、その矢を取らして見そなはせば、その矢の羽に血著きたり。ここに高木の神告りたまはく、「この矢は天若日子に賜へる矢ぞ」と告りたまひて、諸の神たちに示《み》せて詔りたまはく、「もし天若日子、命《みこと》を誤《たが》へず、惡《あら》ぶる神を射つる矢の到れるならば、天若日子にな中《あた》りそ。もし邪《きたな》き心あらば、天若日子この矢にまがれ一六[#「一六」は行右小書き]」とのりたまひて、その矢を取らして、その矢の穴より衝き返し下したまひしかば、天若日子が、朝床一七[#「一七」は行右小書き]に寢たる高胸坂《たかむなさか》に中りて死にき。[#割り注]こは還矢の本なり。[#割り注終わり]またその雉子《きぎし》還らず。かれ今に諺に雉子の頓使《ひたづかひ》一八[#「一八」は行右小書き]といふ本これなり。  かれ天若日子が妻《め》下照《したて》る比賣《ひめ》の哭《な》く聲、風のむた一九[#「一九」は行右小書き]響きて天に到りき。ここに天なる天若日子が父|天津國玉《あまつくにたま》の神、またその妻子《めこ》二〇[#「二〇」は行右小書き]ども聞きて、降り來て哭き悲みて、其處に喪屋《もや》二一[#「二一」は行右小書き]を作りて、河鴈を岐佐理持《きさりもち》二二[#「二二」は行右小書き]とし、鷺《さぎ》を掃持《ははきもち》二三[#「二三」は行右小書き]とし、翠鳥《そにどり》を御食人《みけびと》二四[#「二四」は行右小書き]とし、雀を碓女《うすめ》二五[#「二五」は行右小書き]とし、雉子を哭女《なきめ》とし、かく行ひ定めて、日|八日《やか》夜|八夜《やよ》を遊びたりき二六[#「二六」は行右小書き]。  この時|阿遲志貴高日子根《あぢしきたかひこね》の神|到《き》まして、天若日子が喪《も》を弔ひたまふ時に、天より降《お》り到れる天若日子が父、またその妻みな哭きて、「我が子は死なずてありけり」「我が君は死なずてましけり」といひて、手足に取り懸かりて、哭き悲みき。その過《あやま》てる所以《ゆゑ》は、この二柱の神の容姿《かたち》いと能く似《の》れり。かれここを以ちて過てるなり。ここに阿遲志貴高日子根の神、いたく怒りていはく、「我は愛《うるは》しき友なれ二七[#「二七」は行右小書き]こそ弔ひ來つらくのみ。何ぞは吾を、穢き死《しに》人に比《そ》ふる」といひて、御佩《みはかし》の十|掬《つか》の劒を拔きて、その喪屋《もや》を切り伏せ、足もちて蹶《く》ゑ離ち遣りき。こは美濃の國の藍見《あゐみ》河二八[#「二八」は行右小書き]の河上なる喪山《もやま》といふ山なり。その持ちて切れる大刀の名は大量《おほばかり》といふ。またの名は神度《かむど》の劒といふ。かれ阿治志貴高日子根の神は、忿《いか》りて飛び去りたまふ時に、その同母妹《いろも》高比賣《たかひめ》の命、その御名を顯さむと思ほして歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 天なるや二九[#「二九」は行右小書き] 弟棚機《おとたなばた》三〇[#「三〇」は行右小書き]の うながせる 玉の御統《みすまる》三一[#「三一」は行右小書き]、 御統に あな玉はや三二[#「三二」は行右小書き]。 み谷《たに》 二《ふた》わたらす三三[#「三三」は行右小書き] 阿遲志貴高日子根《あぢしきたかひこね》の神ぞ。  (歌謠番號七) [#ここで字下げ終わり]  この歌は夷振《ひなぶり》三四[#「三四」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 日本國の美稱。ゆたかな葦原で永久に穀物のよく生育する國の義。 二 たいへん騷いでいる。アリナリは古い語法。ラ行變格動詞の終止形にナリが接續している。 三 この神が加わるのは思想的な意味からである。 四 日本國。葦原の中心である國。 五 暴威を振う亂暴な土地の神。 六 誓約の條に出現した神。出雲氏の祖先神で、出雲氏の方ではよく活躍したという。古事記日本書紀は中臣氏系統の傳來が主になつているのでわるくいう。 七 天の土地の神靈。 八 天から來た若い男。傳説上の人物として後世の物語にも出る。 九 鹿の靈威のついている弓。 一〇 大きな羽をつけた矢。 一一 キギシの鳥名はその鳴聲によつていう。よつて逆にその名を鳴く女の意にいう。 一二 神聖な桂樹。野鳥である雉子などが門口の樹に來て鳴くのを氣にして何かのしるしだろうとする。 一三 實相を探る女。巫女で鳥の鳴聲などを判斷する。 一四 前に出た弓矢。ハジ弓はハジの木の弓。カク矢は鹿兒矢で鹿の靈威のついている矢。 一五 タカミムスビの神の神靈の宿る所についていうのだろう。 一六 曲れで、災難あれの意になる。 一七 胡床《あぐら》とする傳えもある。 一八 ひたすらの使、行つたきりの使。 一九 風と共に。 二〇 天における天若日子の妻子。 二一 葬式は別に家を作つて行う風習である。 二二 食物を入れた器を持つて行く者。 二三 ホウキで穢を拂う意である。 二四 食物を作る人。 二五 臼でつく女。 二六 葬式の時に連日連夜歌舞してけがれを拂う風習である。 二七 友だちだから。 二八 岐阜縣長良川の上流。 二九 ヤは間投の助詞。 三〇 若い機おり姫。機おりは女子の技藝として尊ばれていた。 三一 頸にかけている緒に貫いた玉。 三二 大きな珠。ハヤは感動を示す。 三三 谷を二つ同時に渡る。ミは美稱。 三四 歌曲の名。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔國讓り〕[#「〔國讓り〕」は小見出し]  ここに天照らす大御神の詔りたまはく、「またいづれの神を遣はして吉《え》けむ」とのりたまひき。ここに思金の神また諸の神たち白さく、「天の安の河の河上の天の石屋《いはや》にます、名は伊都《いつ》の尾羽張《をはばり》の神一[#「一」は行右小書き]、これ遣はすべし。もしまたこの神ならずは、その神の子|建御雷《たけみかづち》の男《を》の神、これ遣はすべし。またその天の尾羽張の神は、天の安の河の水を逆《さかさま》に塞《せ》きあげて、道を塞き居れば、他《あだ》し神はえ行かじ。かれ別《こと》に天の迦久《かく》の神二[#「二」は行右小書き]を遣はして問ふべし」とまをしき。  かれここに天の迦久の神を使はして、天の尾羽張の神に問ひたまふ時に答へ白さく、「恐《かしこ》し、仕へまつらむ。然れどもこの道には、僕《あ》が子建御雷の神三[#「三」は行右小書き]を遣はすべし」とまをして、貢進《たてまつ》りき。  ここに天の鳥船の神四[#「四」は行右小書き]を建御雷の神に副へて遣はす。ここを以ちてこの二神《ふたはしらのかみ》、出雲の國の伊耶佐《いざさ》の小濱《をはま》五[#「五」は行右小書き]に降り到りて、十掬《とつか》の劒を拔きて浪の穗に逆に刺し立てて六[#「六」は行右小書き]、その劒の前《さき》に趺《あぐ》み坐《ゐ》て、その大國主の神に問ひたまひしく、「天照らす大御神高木の神の命もちて問の使せり。汝《な》が領《うしは》ける葦原の中つ國に、我《あ》が御子の知らさむ國と言よさしたまへり。かれ汝が心いかに」と問ひたまひき。ここに答へ白さく、「僕《あ》はえ白さじ。我が子|八重言代主《やへことしろぬし》の神七[#「七」は行右小書き]これ白すべし。然れども鳥の遊漁《あそびすなどり》八[#「八」は行右小書き]して、御大《みほ》の前《さき》に往きて、いまだ還り來ず」とまをしき。かれここに天の鳥船の神を遣はして、八重事代主の神を徴《め》し來て、問ひたまふ時に、その父の大神に語りて、「恐《かしこ》し。この國は天つ神の御子に獻《たてまつ》りたまへ」といひて、その船を蹈み傾けて、天の逆手《さかて》を青柴垣《あをふしがき》にうち成して、隱りたまひき九[#「九」は行右小書き]。  かれここにその大國主の神に問ひたまはく、「今汝が子事代主の神かく白しぬ。また白すべき子ありや」ととひたまひき。ここにまた白さく、「また我が子|建御名方《たけみなかた》の神一〇[#「一〇」は行右小書き]あり。これを除《お》きては無し」と、かく白したまふほどに、その建御名方の神、千引の石一一[#「一一」は行右小書き]を手末《たなすゑ》に擎《ささ》げて來て、「誰《た》そ我が國に來て、忍《しの》び忍びかく物言ふ。然らば力競べせむ。かれ我《あれ》まづその御手を取らむ一二[#「一二」は行右小書き]」といひき。かれその御手を取らしむれば、すなはち立氷《たちび》に取り成し一三[#「一三」は行右小書き]、また劒刃《つるぎは》に取り成しつ。かれここに懼《おそ》りて退《そ》き居り。ここにその建御名方の神の手を取らむと乞ひ歸《わた》して取れば、若葦を取るがごと、搤《つか》み批《ひし》ぎて、投げ離ちたまひしかば、すなはち逃げ去《い》にき。かれ追ひ往きて、科野《しなの》の國の洲羽《すは》の海一四[#「一四」は行右小書き]に迫《せ》め到りて、殺さむとしたまふ時に、建御名方の神白さく、「恐《かしこ》し、我《あ》をな殺したまひそ。この地《ところ》を除《お》きては、他《あだ》し處《ところ》に行かじ。また我が父大國主の神の命に違はじ。八重事代主の神の言《みこと》に違はじ。この葦原の中つ國は、天つ神の御子の命のまにまに獻らむ」とまをしき。  かれ更にまた還り來て、その大國主の神に問ひたまひしく、「汝が子ども事代主の神、建御名方の神|二神《ふたはしら》は、天つ神の御子の命のまにまに違はじと白しぬ。かれ汝《な》が心いかに」と問ひたまひき。ここに答へ白さく、「僕《あ》が子ども二神の白せるまにまに、僕《あ》も違はじ。この葦原の中つ國は、命のまにまに既に獻りぬ。ただ僕が住所《すみか》は、天つ神の御子の天つ日繼知らしめさむ、富足《とだ》る天の御巣《みす》の如一五[#「一五」は行右小書き]、底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷木《ひぎ》高しりて治めたまはば、僕《あ》は百《もも》足らず一六[#「一六」は行右小書き]八十坰手《やそくまで》に隱りて侍《さもら》はむ一七[#「一七」は行右小書き]。また僕が子ども百八十神《ももやそがみ》は八重事代主の神を御尾|前《さき》一八[#「一八」は行右小書き]として仕へまつらば、違ふ神はあらじ」と、かく白して出雲の國の多藝志《たぎし》の小濱《をばま》一九[#「一九」は行右小書き]に、天の御舍《みあらか》二〇[#「二〇」は行右小書き]を造りて、水戸《みなと》の神の孫《ひこ》櫛八玉《くしやたま》の神|膳夫《かしはで》二一[#「二一」は行右小書き]となりて、天つ御饗《みあへ》二二[#「二二」は行右小書き]獻る時に、祷《ほ》ぎ白して、櫛八玉の神鵜に化《な》りて、海《わた》の底に入りて、底の埴《はこ》[#ルビの「はこ」はママ]を咋《く》ひあがり出でて二三[#「二三」は行右小書き]、天の八十|平瓮《びらか》二四[#「二四」は行右小書き]を作りて、海布《め》の柄《から》を鎌《か》りて燧臼《ひきりうす》に作り、海蒪《こも》の柄を燧杵《ひきりぎね》に作りて、火を鑽《き》り出でて二五[#「二五」は行右小書き]まをさく、「この我が燧《き》れる火は、高天の原には、神産巣日御祖《かむむすびみおや》の命の富足《とだ》る天の新巣《にひす》の凝烟《すす》の八拳《やつか》垂るまで燒《た》き擧げ二六[#「二六」は行右小書き]、地《つち》の下は、底つ石根に燒き凝《こら》して、𣑥繩《たくなは》の千尋繩うち延《は》へ二七[#「二七」は行右小書き]、釣する海人《あま》が、口大の尾翼鱸《をはたすずき》二八[#「二八」は行右小書き]さわさわに控《ひ》きよせ騰《あ》げて、拆《さき》竹のとををとををに二九[#「二九」は行右小書き]、天の眞魚咋《まなぐひ》三〇[#「三〇」は行右小書き]獻る」とまをしき。かれ建御雷の神返りまゐ上りて、葦原の中つ國を言向《ことむ》け平《やは》しし状をまをしき。 [#ここから2字下げ] 一 イザナギの命の劒の神靈。水神。二四頁[#「二四頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。 二 鹿の神靈。 三 二四頁[#「二四頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。 四 二二頁[#「二二頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「神々の生成」]參照。 五 島根縣出雲市附近の海岸。伊那佐の小濱とする傳えもある。日本書紀に五十田狹之小汀《いたさのをばま》。 六 波の高みに劒先を上にして立てて。 七 言語に現れる神靈。大事を決するのに神意を伺い、その神意が言語によつて現れたことをこの神の言として傳える。八重は榮える意に冠する。 八 鳥を狩すること。 九 神意を述べ終つて、海を渡つて來た乘物を傾けて、逆手を打つて青い樹枝の垣に隱れた。逆手を打つは、手を下方に向けて打つことで呪術を行う時にする。青柴垣は神靈の座所。神靈が託宣をしてもとの神座に歸つたのである。 一〇 長野縣諏訪郡諏訪神社上社の祭神。この神に關することは日本書紀に無い。插入説話である。 一一 千人で引くような巨岩。 一二 手のつかみ合いをするのである。 一三 立つている氷のように感ずる。 一四 長野縣の諏訪湖。 一五 天皇がその位におつきになる尊い宮殿のように。神が宮殿造營を請求するのは託宣の定型の一である。 一六 枕詞。 一七 多くある物のすみに隱れておりましよう。 一八 指導者。 一九 島根縣出雲市の海岸。 二〇 宮殿。出雲大社のこと。その鎭座縁起。 二一 料理人。 二二 尊い御食事。 二三 海底の土を清淨としそれを取つて祭具を作る。 二四 多數の平たい皿。 二五 海藻の堅い部分を臼と杵とにして摩擦して火を作つて。 二六 富み榮える新築の家の煤のように長く垂れるほどに火をたき。 二七 楮の長い繩を延ばして。 二八 口の大きく、尾ひれの大きい鱸。 二九 魚のたわむ形容。さき竹のは枕詞。 三〇 尊い御馳走。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔六、邇邇藝の命〕[#「〔六、邇邇藝の命〕」は中見出し] [#5字下げ]〔天降〕[#「〔天降〕」は小見出し]  ここに天照らす大御神高木の神の命もちて、太子《ひつぎのみこ》正勝吾勝勝速日《まさかあかつかちはやび》天の忍穗耳《おしほみみ》の命に詔《の》りたまはく、「今葦原の中つ國を平《ことむ》け訖《を》へぬと白す。かれ言よさし賜へるまにまに、降りまして知らしめせ」とのりたまひき。ここにその太子正勝吾勝勝速日天の忍穗耳の命答へ白さく、「僕《あ》は、降りなむ裝束《よそひ》せし間《ほど》に、子|生《あ》れましつ。名は天邇岐志國邇岐志《あめにぎしくににぎし》天《あま》つ日高日子番《ひこひこほ》の邇邇藝《ににぎ》の命、この子を降すべし」とまをしたまひき。この御子は、高木の神の女|萬幡豐秋津師比賣《よろづはたとよあきつしひめ》の命に娶《あ》ひて生みませる子、天の火明《ほあかり》の命、次に日子番《ひこほ》の邇邇藝《ににぎ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]にます。ここを以ちて白したまふまにまに、日子番の邇邇藝の命に詔《みこと》科《おほ》せて、「この豐葦原の水穗の國は、汝《いまし》の知《し》らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降《あも》りますべし」とのりたまひき。  ここに日子番の邇邇藝の命、天降《あも》りまさむとする時に、天の八衢《やちまた》一[#「一」は行右小書き]に居て、上は高天の原を光《て》らし下は葦原の中つ國を光らす神ここにあり。かれここに天照らす大御神高木の神の命もちて、天の宇受賣《うずめ》の神に詔りたまはく、「汝《いまし》は手弱女人《たわやめ》なれども、い向《むか》ふ神と面勝《おもか》つ神なり二[#「二」は行右小書き]。かれもはら汝往きて問はまくは、吾《あ》が御子の天降《あも》りまさむとする道に、誰そかくて居ると問へ」とのりたまひき。かれ問ひたまふ時に、答へ白さく、「僕は國つ神、名は猿田《さるだ》毘古の神なり。出で居る所以《ゆゑ》は、天つ神の御子天降りますと聞きしかば、御前《みさき》に仕へまつらむとして、まゐ向ひ侍《さもら》ふ」とまをしき。  ここに天《あめ》の兒屋《こやね》の命、布刀玉《ふとだま》の命、天の宇受賣の命、伊斯許理度賣《いしこりどめ》の命、玉《たま》の祖《おや》の命、并せて五伴《いつとも》の緒《を》三[#「三」は行右小書き]を支《あか》ち加へて、天降《あも》らしめたまひき。  ここにその招《を》ぎし四[#「四」は行右小書き]八尺《やさか》の勾璁《まがたま》、鏡、また草薙《くさなぎ》の劒、また常世《とこよ》の思金の神、手力男《たぢからを》の神、天の石門別《いはとわけ》の神五[#「五」は行右小書き]を副へ賜ひて詔《の》りたまはくは、「これの鏡は、もはら我《あ》が御魂として、吾が御前を拜《いつ》くがごと、齋《いつ》きまつれ。次に思金の神は、前《みまへ》の事《こと》を取り持ちて、政《まつりごと》まをしたまへ六[#「六」は行右小書き]」とのりたまひき。  この二柱の神は、拆く釧《くしろ》五十鈴《いすず》の宮七[#「七」は行右小書き]に拜《いつ》き祭る。次に登由宇氣《とゆうけ》の神、こは外《と》つ宮の度相《わたらひ》にます神八[#「八」は行右小書き]なり。次に天の石戸別《いはとわけ》の神、またの名は櫛石窻《くしいはまど》の神といひ、またの名は豐《とよ》石窻の神九[#「九」は行右小書き]といふ。この神は御門《みかど》の神なり。次に手力男の神は、佐那《さな》の縣《あがた》にませり。  かれその天の兒屋の命は、中臣の連等が祖。布刀玉の命は、忌部の首等《おびとら》が祖。天の宇受賣の命は猿女《さるめ》の君等が祖。伊斯許理度賣の命は、鏡作の連等が祖。玉の祖の命は、玉の祖の連等が祖なり。  かれここに天の日子番の邇邇藝の命、天の石位《いはくら》を離れ、天の八重多那雲《やへたなぐも》を押し分けて、稜威《いつ》の道《ち》別き道別きて一〇[#「一〇」は行右小書き]、天の浮橋に、浮きじまり、そりたたして一一[#「一一」は行右小書き]、竺紫《つくし》の日向《ひむか》の高千穗の靈《く》じふる峰《たけ》一二[#「一二」は行右小書き]に天降《あも》りましき。  かれここに天の忍日《おしひ》の命|天《あま》つ久米《くめ》の命|二人《ふたり》、天の石靫《いはゆき》一三[#「一三」は行右小書き]を取り負ひ、頭椎《くぶつち》の大刀一四[#「一四」は行右小書き]を取り佩き、天の波士弓《はじゆみ》を取り持ち、天の眞鹿兒矢《まかごや》を手挾《たばさ》み、御前《みさき》に立ちて仕へまつりき。かれその天の忍日の命、こは大伴《おほとも》の連《むらじ》等が祖。天つ久米の命、こは久米の直等が祖なり。  ここに詔りたまはく、「此地《ここ》は韓國に向ひ笠紗《かささ》の御前《みさき》にま來通りて一五[#「一五」は行右小書き]、朝日の直《ただ》刺《さ》す國、夕日の日照《ひで》る國なり。かれ此地《ここ》ぞいと吉き地《ところ》」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷椽《ひぎ》高しりてましましき。 [#ここから2字下げ] 一 天上のわかれ道。 二 相對する神に顏で勝つ神だ。 三 五つの部族。トモノヲは人々の團體。この五神以下多くは皆天の岩戸の神話に出て、兩者の密接な關係にあることを示す。 四 岩戸の神話で天照らす大神を招いだ。 五 岩戸の神話における岩屋戸の神格。 六 天皇の御前にあつて政治をせよ。智惠思慮の神靈だからこのようにいう。 七 伊勢神宮の内宮。サククシロは、口のわれた腕輪の意で枕詞。 八 伊勢神宮の外宮。トユウケの神は豐受の神とも書き穀物の神。この神が從つて下つたともなく出たのは突然であるが豐葦原の水穗の神靈だから出したのである。外宮の鎭座は、雄略天皇の時代の事と傳える。 九 この二つの別名は、御門祭の祝詞に見える名で、門戸の神靈として尊んでいる。 一〇 天から御座を離れ雲をおし分け威勢よく道を別けて。 一一 天の階段から下に浮渚があつてそれにお立ちになつたと解されている。古語を語り傳えたもの。 一二 鹿兒島縣の霧島山の一峰、宮崎縣西臼杵郡など傳説地がある。思想的には大嘗祭の稻穗の上に下つたことである。 一三 堅固な靫。矢を入れて背負う。 一四 柄の頭がコブになつている大刀。實は石器だろう。 一五 外國に向つて笠紗の御前へ筋が通つて。カササの御前は、鹿兒島縣川邊郡の岬。高千穗の嶽の所在をその方面にありとする傳えから來たのであろう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔猿女の君〕[#「〔猿女の君〕」は小見出し]  かれここに天の宇受賣の命に詔りたまはく、「この御前に立ちて仕へまつれる猿田《さるた》毘古の大神は、もはら顯し申せる汝《いまし》送りまつれ。またその神の御名は、汝《いまし》負ひて仕へまつれ」とのりたまひき。ここを以ちて猿女《さるめ》の君等、その猿田毘古の男神の名を負ひて、女《をみな》を猿女の君一[#「一」は行右小書き]と呼ぶ事これなり。かれその猿田毘古の神、阿耶訶《あざか》二[#「二」は行右小書き]に坐しし時に、漁《すなどり》して、比良夫《ひらぶ》貝三[#「三」は行右小書き]にその手を咋ひ合はさえて海水《うしほ》に溺れたまひき。かれその底に沈み居たまふ時の名を、底《そこ》どく御魂《みたま》四[#「四」は行右小書き]といひ、その海水のつぶたつ時の名を、つぶ立つ御魂《みたま》といひ、その沫《あわ》咲く時の名を、あわ咲く御魂《みたま》といふ。  ここに猿田毘古の神を送りて、還り到りて、すなはち悉に鰭《はた》の廣物鰭の狹《さ》物五[#「五」は行右小書き]を追ひ聚めて問ひて曰はく、「汝《いまし》は天つ神の御子に仕へまつらむや」と問ふ時に、諸の魚どもみな「仕へまつらむ」とまをす中に、海鼠《こ》白さず。ここに天の宇受賣の命、海鼠《こ》に謂ひて、「この口や答へせぬ口」といひて、紐小刀《ひもがたな》以ちてその口を拆《さ》きき。かれ今に海鼠の口|拆《さ》けたり。ここを以ちて、御世《みよみよ》、島の速贄《はやにへ》六[#「六」は行右小書き]獻る時に、猿女の君等に給ふなり。 [#ここから2字下げ] 一 猿女の君は朝廷にあつて神事その他に奉仕した。 二 三重縣壹志郡。 三 不明。月日貝だともいう。 四 海底につく神靈。 五 大小の魚。 六 志摩の國から奉る海産のたてまつり物。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔木の花の佐久夜毘賣〕[#「〔木の花の佐久夜毘賣〕」は小見出し]  ここに天《あま》つ日高日子番《ひこひこほ》の邇邇藝《ににぎ》の命、笠紗《かささ》の御前《みさき》に、麗《かほよ》き美人《をとめ》に遇ひたまひき。ここに、「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「大山津見《おほやまつみ》の神の女、名は神阿多都《かむあたつ》比賣一[#「一」は行右小書き]。またの名は木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》毘賣とまをす」とまをしたまひき。また「汝が兄弟《はらから》ありや」と問ひたまへば答へ白さく、「我が姉|石長《いはなが》比賣あり」とまをしたまひき。ここに詔りたまはく、「吾、汝に目合《まぐはひ》せむと思ふはいかに」とのりたまへば答へ白さく、「僕《あ》はえ白さじ。僕が父大山津見の神ぞ白さむ」とまをしたまひき。かれその父大山津見の神に乞ひに遣はしし時に、いたく歡喜《よろこ》びて、その姉|石長《いはなが》比賣を副へて、百取《ももとり》の机代《つくゑしろ》の物二[#「二」は行右小書き]を持たしめて奉り出《だ》しき。かれここにその姉は、いと醜《みにく》きに因りて、見|畏《かしこ》みて、返し送りたまひて、ただその弟《おと》木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》賣毘を[#「木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》賣毘を」はママ]留めて、一宿《ひとよ》婚《みとあたは》しつ。ここに大山津見の神、石長《いはなが》比賣を返したまへるに因りて、いたく恥ぢて、白し送りて言《まを》さく、「我《あ》が女|二人《ふたり》竝べたてまつれる由《ゆゑ》は、石長比賣を使はしては、天つ神の御子の命《みいのち》は、雪|零《ふ》り風吹くとも、恆に石《いは》の如く、常磐《ときは》に堅磐《かきは》に動きなくましまさむ。また木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》毘賣を使はしては、木の花の榮ゆるがごと榮えまさむと、誓《うけ》ひて貢進《たてまつ》りき。ここに今|石長《いはなが》比賣を返さしめて、木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》毘賣をひとり留めたまひつれば、天つ神の御子の御壽《みいのち》は、木の花のあまひのみましまさむとす」とまをしき。かれここを以ちて今に至るまで、天皇《すめらみこと》たちの御命長くまさざるなり。  かれ後に木《こ》の花《はな》の佐久夜《さくや》毘賣、まゐ出て白さく、「妾《あ》は妊《はら》みて、今|産《こう》む時になりぬ。こは天つ神の御子、私《ひそか》に産みまつるべきにあらず。かれ請《まを》す」とまをしたまひき。ここに詔りたまはく、「佐久夜毘賣、一宿《ひとよ》にや妊める。こは我が子にあらじ。かならず國つ神の子にあらむ」とのりたまひき。ここに答へ白さく、「吾が妊める子、もし國つ神の子ならば、産《こう》む時|幸《さき》くあらじ。もし天つ神の御子にまさば、幸くあらむ」とまをして、すなはち戸無し八尋殿三[#「三」は行右小書き]を作りて、その殿内《とのぬち》に入りて、土《はに》もちて塗り塞《ふた》ぎて、産む時にあたりて、その殿に火を著けて四[#「四」は行右小書き]産みたまひき。かれその火の盛りに燃《も》ゆる時に、生《あ》れませる子の名は、火照《ほでり》の命[#割り注]こは隼人阿多の君の祖なり。[#割り注終わり]次に生れませる子の名は火須勢理《ほすせり》の命五[#「五」は行右小書き]、次に生れませる子の御名は火遠理《ほをり》の命六[#「六」は行右小書き]、またの名は天《あま》つ日高日子穗穗出見《ひこひこほほでみ》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。 [#ここから2字下げ] 一 アタは地名。鹿兒島縣日置郡。 二 多數の机上に乘せる物。 三 戸の無い大きな家屋。分娩のために特に家を作りその中に入つて周圍を塗り塞ぐ。 四 出産後にその産屋を燒く風習のあるのを、このように表現している。 五 火の衰える意の名。 六 火の靜まる意の名。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔七、日子穗穗出見の命〕[#「〔七、日子穗穗出見の命〕」は中見出し] [#5字下げ]〔海幸と山幸〕[#「〔海幸と山幸〕」は小見出し]  かれ火照《ほでり》の命は、海佐知《うみさち》毘古一[#「一」は行右小書き]として、鰭《はた》の廣物鰭の狹《さ》物を取り、火遠理《ほをり》の命は山佐知《やまさち》毘古として、毛の麤《あら》物毛の柔《にこ》物二[#「二」は行右小書き]を取りたまひき。ここに火遠理《ほをり》の命、その兄《いろせ》火照《ほでり》の命に、「おのもおのも幸|易《か》へて用ゐむ」と謂《い》ひて、三度乞はししかども、許さざりき。然れども遂にわづかにえ易へたまひき。ここに火遠理《ほをり》の命、海幸三[#「三」は行右小書き]をもちて魚《な》釣らすに、ふつに一つの魚だに得ず、またその鉤《つりばり》をも海に失ひたまひき。ここにその兄《いろせ》火照の命その鉤を乞ひて、「山幸もおのが幸幸。海幸もおのが幸幸。今はおのもおのも幸返さむ」といふ時に、その弟《いろと》火遠理の命答へて曰はく、「汝《みまし》の鉤は、魚釣りしに一つの魚だに得ずて、遂に海に失ひつ」とまをしたまへども、その兄|強《あながち》に乞ひ徴《はた》りき。かれその弟、御佩しの十拳の劒を破りて、五百鉤《いほはり》を作りて、償《つぐの》ひたまへども、取らず、また一|千鉤《ちはり》を作りて、償ひたまへども、受けずして、「なほその本の鉤を得む」といひき。  ここにその弟、泣き患へて海邊《うみべた》にいましし時に、鹽椎《しほつち》の神四[#「四」は行右小書き]來て問ひて曰はく、「何《いか》にぞ虚空津日高《そらつひこ》五[#「五」は行右小書き]の泣き患へたまふ所由《ゆゑ》は」と問へば、答へたまはく、「我、兄と鉤《つりばり》を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞へば、多《あまた》の鉤を償へども、受けずて、なほその本の鉤を得むといふ。かれ泣き患ふ」とのりたまひき。ここに鹽椎の神、「我、汝が命のために、善き議《たばかり》せむ」といひて、すなはち間《ま》なし勝間《かつま》の小船六[#「六」は行右小書き]を造りて、その船に載せまつりて、教へてまをさく、「我、この船を押し流さば、やや暫《しまし》いでまさば、御路《みち》あらむ。すなはちその道に乘りていでましなば、魚鱗《いろこ》のごと造れる宮室《みや》七[#「七」は行右小書き]、それ綿津見《わたつみ》の神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に湯津香木《ゆつかつら》八[#「八」は行右小書き]あらむ。かれその木の上にましまさば、その海《わた》の神の女、見て議《はか》らむものぞ」と教へまつりき。  かれ教へしまにまに、少し行《い》でましけるに、つぶさにその言の如くなりき。すなはちその香木に登りてまします。ここに海《わた》の神の女|豐玉毘賣《とよたまびめ》の從婢《まかだち》、玉盌《たまもひ》九[#「九」は行右小書き]を持ちて、水酌まむとする時に、井に光《かげ》あり。仰ぎ見れば、麗《うるは》しき壯夫《をとこ》あり。いと奇《あや》しとおもひき。ここに火遠理の命、その婢《まかだち》を見て、「水をたまへ」と乞ひたまふ。婢すなはち水を酌みて、玉盌に入れて貢進《たてまつ》る。ここに水をば飮まさずして、御頸の璵《たま》を解かして、口に含《ふふ》みてその玉盌に唾《つば》き入《い》れたまひき。ここにその璵、器《もひ》に著きて一〇[#「一〇」は行右小書き]、婢璵をえ離たず、かれ著きながらにして豐玉毘賣の命に進りき。ここにその璵を見て、婢に問ひて曰く、「もし門《かど》の外《と》に人ありや」と問ひしかば、答へて曰はく、「我が井の上の香木の上に人います。いと麗しき壯夫なり。我が王にも益りていと貴し。かれその人水を乞はしつ。かれ水を奉りしかば、水を飮まさずて、この璵を唾き入れつ。これえ離たざれば、入れしまにま將《も》ち來て獻る」とまをしき。ここに豐玉毘賣の命、奇しと思ほして、出で見て見感《め》でて、目合《まぐはひ》して、その父に、白して曰はく、「吾が門に麗しき人あり」とまをしたまひき。ここに海《わた》の神みづから出で見て、「この人は、天つ日高の御子、虚空つ日高なり」といひて、すなはち内に率て入れまつりて、海驢《みち》の皮の疊八重一一[#「一一」は行右小書き]を敷き、また絁《きぬ》疊八重一二[#「一二」は行右小書き]をその上に敷きて、その上に坐《ま》せまつりて、百取の机代《つくゑしろ》の物を具へて、御饗《みあへ》して、その女|豐玉《とよたま》毘賣に婚《あ》はせまつりき。かれ三年一三[#「一三」は行右小書き]に至るまで、その國に住みたまひき。  ここに火遠理の命、その初めの事を思ほして、大きなる歎《なげき》一つしたまひき。かれ豐玉《とよたま》毘賣の命、その歎を聞かして、その父に白して言はく、「三年住みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜《こよひ》大きなる歎一つしたまひつるは、けだしいかなる由かあらむ」とまをしき。かれ、その父の大神、その聟の夫に問ひて曰はく、「今旦《けさ》我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎したまひつとまをす。けだし故ありや。また此間《ここ》に來ませる由はいかに」と問ひまつりき。ここにその大神に語りて、つぶさにその兄の失せにし鉤を徴《はた》れる状の如語りたまひき。ここを以ちて海の神、悉に鰭の廣物鰭の狹物を召び集へて問ひて曰はく、「もしこの鉤を取れる魚ありや」と問ひき。かれ諸の魚ども白さく、「このごろ赤海鯽魚《たひ》ぞ、喉《のみと》に鯁《のぎ》一四[#「一四」は行右小書き]ありて、物え食はずと愁へ言へる。かれかならずこれが取りつらむ」とまをしき。ここに赤海鯽魚の喉を探りしかば、鉤あり。すなはち取り出でて清洗《すす》ぎて、火遠理の命に奉る時に、その綿津見の大神|誨《をし》へて曰さく、「この鉤をその兄に給ふ時に、のりたまはむ状は、この鉤は、淤煩鉤《おばち》[#ルビの「おばち」はママ]、須須鉤《すすち》、貧鉤《まぢち》、宇流鉤《うるち》といひて一五[#「一五」は行右小書き]、後手《しりへで》一六[#「一六」は行右小書き]に賜へ。然してその兄|高田《あげだ》を作らば、汝が命は下田《くぼだ》を營《つく》りたまへ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を營りたまへ一七[#「一七」は行右小書き]。然したまはば、吾水を掌《し》れば、三年の間にかならずその兄貧しくなりなむ。もしそれ然したまふ事を恨みて攻め戰はば、鹽《しほ》盈《み》つ珠《たま》一八[#「一八」は行右小書き]を出して溺らし、もしそれ愁へまをさば、鹽《しほ》乾《ふ》る珠《たま》を出して活《いか》し、かく惚苦《たしな》めたまへ」とまをして、鹽盈つ珠鹽乾る珠并せて兩箇《ふたつ》を授けまつりて、すなはち悉に鰐どもをよび集へて、問ひて曰はく、「今天つ日高の御子虚空つ日高、上《うは》つ國《くに》一九[#「一九」は行右小書き]に幸《い》でまさむとす。誰は幾日に送りまつりて、覆《かへりごと》奏《まを》さむ」と問ひき。かれおのもおのもおのが身の尋長《たけ》のまにまに、日を限りて白す中に、一尋鰐二〇[#「二〇」は行右小書き]白さく、「僕《あ》は一日に送りまつりて、やがて還り來なむ」とまをしき。かれここにその一尋鰐に告りたまはく、「然らば汝送りまつれ。もし海《わた》中を渡る時に、な惶畏《かしこま》せまつりそ」とのりて、すなはちその鰐の頸に載せまつりて、送り出しまつりき。かれ期《ちぎ》りしがごと一日の内に送りまつりき。その鰐返りなむとする時に、佩かせる紐小刀二一[#「二一」は行右小書き]を解かして、その頸に著けて返したまひき。かれその一尋鰐は、今に佐比持《さひもち》の神二二[#「二二」は行右小書き]といふ。  ここを以ちてつぶさに海《わた》の神の教へし言の如、その鉤を與へたまひき。かれそれより後、いよよ貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め來《く》。攻めむとする時は、鹽盈つ珠を出して溺らし、それ愁へまをせば、鹽乾る珠を出して救ひ、かく惚苦《たしな》めたまひし時に、稽首《のみ》白さく、「僕《あ》は今よ以後《のち》、汝が命の晝夜《よるひる》の守護人《まもりびと》となりて仕へまつらむ」とまをしき。かれ今に至るまで、その溺れし時の種種の態《わざ》、絶えず仕へまつるなり二三[#「二三」は行右小書き]。 [#ここから2字下げ] 一 海の幸のある男。サチは威力で、道具に宿つておりサチを有する者が獲物が多いのである。 二 獸類と鳥類。 三 海のサチの宿つている釣針。 四 海水の神靈。諸國の海岸にうち寄せるので物知りだとする。 五 日子穗穗出見の命。 六 すきまの無い籠の船。實際的には竹の類で編んで樹脂を塗つて作つた船であり、思想的には神の乘物である。 七 魚のうろこのように作つた宮殿。瓦ぶきの家で大陸の建築が想像されている。 八 井の傍の樹木に神が降るのは、信仰にもとづくきまつた型である。 九 美しい椀。 一〇 水を汲んだ椀に樹上にいた神の靈がついたのである。 一一 海獸アシカの皮の敷物を八重にかさねて。 一二 織つたままの絹の敷物八重をかさねて。 一三 この種の説話に出るきまつた年數。浦島も龍宮に三年いたという。 一四 のどにささつた骨があつて。 一五 鉤をわるく言つてサチを離れさせるのである。ぼんやり鉤、すさみ鉤、貧乏鉤、愁苦の鉤。 一六 手をうしろにしてあげなさい。呪術の意味である。 一七 毎年土地を選定して耕作するので、水の多い年には高田を作るに利あり、水の無い年はその反對である。 一八 海は潮が滿ち干するので、海の神は水のさしひきをつかさどるとし、それはその力を有する玉を持つているからと考えた。動詞乾るは古くは上二段活で、連體形はフル。 一九 人間の世界。上方にあると考えた。 二〇 人が左右に手をひろげた長さのワニ。ワニは三九頁[#「三九頁」は「大國主の神」の「菟と鰐」]參照。 二一 紐のついている小刀。 二二 鋤を持つている神。サヒは鋤であり武器でもある。 二三 隼人が亂舞をして宮廷に仕えることの起原説明。隼人舞はその種族の獨自の舞であるのを溺れるさまのまねとして説明した。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔豐玉毘賣の命〕[#「〔豐玉毘賣の命〕」は小見出し]  ここに海《わた》の神の女|豐玉《とよたま》毘賣の命、みづからまゐ出て白さく、「妾《あれ》すでに妊めるを、今|産《こう》む時になりぬ。こを念ふに、天つ神の御子、海原に生みまつるべきにあらず、かれまゐ出きつ」とまをしき。ここにすなはちその海邊の波限《なぎさ》に、鵜の羽を葺草《かや》にして、産殿《うぶや》を造りき。ここにその産殿《うぶや》、いまだ葺き合へねば、御腹の急《と》きに忍《あ》へざりければ、産殿に入りましき。ここに産みます時にあたりて、その日子《ひこ》一[#「一」は行右小書き]ぢに白して言はく、「およそ他《あだ》し國の人は、産《こう》む時になりては、本《もと》つ國の形になりて生むなり。かれ、妾も今|本《もと》の身になりて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしたまひき二[#「二」は行右小書き]。ここにその言を奇しと思ほして、そのまさに産みますを伺見《かきまみ》たまへば、八尋鰐になりて、匍匐《は》ひもこよひき三[#「三」は行右小書き]。すなはち見驚き畏みて、遁げ退《そ》きたまひき。ここに豐玉《とよたま》毘賣の命、その伺見《かきまみ》たまひし事を知りて、うら恥《やさ》しとおもほして、その御子を生み置きて白さく、「妾《あれ》、恆は海道《うみつぢ》を通して、通はむと思ひき。然れども吾が形を伺見《かきまみ》たまひしが、いと怍《はづか》しきこと」とまをして、すなはち海坂《うなさか》を塞《せ》きて、返り入りたまひき。ここを以ちてその産《う》みませる御子に名づけて、天《あま》つ日高日子波限建鵜葺草葺合《ひこひこなぎさたけうがやふきあ》へずの命とまをす。然れども後には、その伺見《かきまみ》たまひし御心を恨みつつも、戀《こ》ふる心にえ忍《あ》へずして、その御子を養《ひた》しまつる縁《よし》に因りて、その弟《いろと》玉依毘賣に附けて、歌獻りたまひき。その歌、 [#ここから2字下げ] 赤玉は 緒さへ光《ひか》れど、 白玉の 君が裝《よそひ》し四[#「四」は行右小書き] 貴くありけり。  (歌謠番號八) [#ここで字下げ終わり]  かれその日子《ひこぢ》答へ歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 奧《おき》つ鳥五[#「五」は行右小書き] 鴨著《ど》く島に 我が率寢《ゐね》し 妹は忘れじ。 世の盡《ことごと》に。  (歌謠番號九) [#ここで字下げ終わり]  かれ日子穗穗出見の命は、高千穗の宮に五百八拾歳《いほちまりやそとせ》ましましき。御|陵《はか》はその高千穗の山の西にあり。 [#ここから2字下げ] 一 ヒコホホデミの命。 二 この種の説話の要素の一である女子の命ずる禁止であり、男子がその禁を破ることによつて別離になる。イザナミの命の黄泉訪問の神話にもこれがあつた。 三 大きなワニになつて這いまわつた。 四 白玉のような君の容儀。下のシは強意の助詞。 五 説明による枕詞。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔八、鵜葺草葺合へずの命〕[#「〔八、鵜葺草葺合へずの命〕」は中見出し]  この天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命、その姨《みをば》玉依毘賣の命に娶ひて、生みませる御子の名は、五瀬の命、次に稻氷《いなひ》の命、次に御毛沼《みけぬ》の命、次に若御毛沼《わかみけぬ》の命一[#「一」は行右小書き]、またの名は豐御毛沼《とよみけぬ》の命、またの名は神倭伊波禮毘古《かむやまといはれびこ》の命二[#「二」は行右小書き]四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。かれ御毛沼の命は、波の穗を跳《ふ》みて、常世の國に渡りまし、稻氷の命は、妣《はは》の國三[#「三」は行右小書き]として、海原に入りましき。 [#ここから2字下げ] 一 神武天皇。神武天皇の稱は漢風の諡號といい奈良時代に奉つたもの。 二 大和の國の磐余の地においでになつた御方の意。 三 亡き母豐玉毘賣の國。 [#ここで字下げ終わり] 古事記 上つ卷 [#改ページ] [#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し] [#3字下げ]〔一、神武天皇〕[#「〔一、神武天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔東征〕[#「〔東征〕」は小見出し]  神倭伊波禮毘古《かむやまといはれびこ》の命、その同母兄《いろせ》五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議《はか》りたまはく、「いづれの地《ところ》にまさば、天の下の政を平けく聞《きこ》しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向《ひむか》一[#「一」は行右小書き]より發《た》たして、筑紫に幸《い》でましき。かれ豐國の宇沙《うさ》二[#「二」は行右小書き]に到りましし時に、その土人《くにびと》名は宇沙都比古《うさつひこ》、宇沙都比賣《うさつひめ》二人、足一騰《あしひとつあがり》の宮三[#「三」は行右小書き]を作りて、大御饗《おほみあへ》獻りき。其地《そこ》より遷りまして、竺紫《つくし》の岡田の宮四[#「四」は行右小書き]に一年ましましき。またその國より上り幸でまして、阿岐《あき》の國の多祁理《たけり》の宮五[#「五」は行右小書き]に七年ましましき。またその國より遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮六[#「六」は行右小書き]に八年ましましき。 [#ここから2字下げ] 一 九州の東方。 二 大分縣宇佐。 三 柱が一本浮き上つた宮殿。 四 福岡縣遠賀郡遠賀川の河口の地。 五 廣島縣安藝郡。 六 岡山縣兒島郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔速吸の門〕[#「〔速吸の門〕」は小見出し]  かれその國より上り幸でます時に、龜の甲《せ》に乘りて、釣しつつ打ち羽振り來る人一[#「一」は行右小書き]、速吸《はやすひ》の門《と》二[#「二」は行右小書き]に遇ひき。ここに喚びよせて、問ひたまはく、「汝《いまし》は誰ぞ」と問はしければ、答へて曰はく、「僕《あ》は國つ神なり」とまをしき。また問ひたまはく「汝は海《うみ》つ道《ぢ》を知れりや」と問はしければ、答へて曰はく、「能く知れり」とまをしき。また問ひたまはく「從《みとも》に仕へまつらむや」と問はしければ、答へて曰はく「仕へまつらむ」とまをしき。かれここに槁《さを》を指し度《わた》して、その御船に引き入れて、槁根津日子《さをねつひこ》といふ名を賜ひき。[#割り注]こは倭の國の造等が祖なり。[#割り注終わり] [#ここから2字下げ] 一 勢いよくくる人。 二 潮のさしひきの早い海峽。豐後水道。岡山縣を出て難波に向うのに豐後水道を通つたとするは地理上不合理であるが、元來この一節は別に遊離していたものが插入されたので、このような形になつた。日本書紀では日向から出て直に速吸の門にかかつている。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔五瀬の命〕[#「〔五瀬の命〕」は小見出し]  かれその國より上り行《い》でます時に、浪速《なみはや》の渡《わたり》一[#「一」は行右小書き]を經て、青雲二[#「二」は行右小書き]の白肩《しらかた》の津三[#「三」は行右小書き]に泊《は》てたまひき。この時に、登美《とみ》の那賀須泥毘古《ながすねびこ》四[#「四」は行右小書き]、軍を興して、待ち向へて戰ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、下《お》り立ちたまひき。かれ其地《そこ》に號けて楯津《たてづ》といふ。今には日下《くさか》の蓼津《たでづ》といふ。ここに登美《とみ》毘古と戰ひたまひし時に、五瀬《いつせ》の命、御手に登美毘古が痛矢串《いたやぐし》を負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戰ふことふさはず。かれ賤奴《やつこ》が痛手を負ひつ。今よは行き𢌞《めぐ》りて、日を背に負ひて撃たむ」と、期《ちぎ》りたまひて、南の方より𢌞り幸でます時に、血沼《ちぬ》の海五[#「五」は行右小書き]に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。其地《そこ》より𢌞り幸でまして、紀《き》の國の男《を》の水門《みなと》六[#「六」は行右小書き]に到りまして、詔りたまはく、「賤奴《やつこ》が手を負ひてや、命すぎなむ」と男健《をたけび》して崩《かむあが》りましき。かれその水門《みなと》に名づけて男《を》の水門といふ。陵《みはか》は紀の國の竈山《かまやま》七[#「七」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 難波の渡。當時は大阪灣が更に深く灣入し、大和の國の水を集めた大和川は、河内の國に入つて北流して淀川に合流していた。それを溯上して河内に入つたのである。 二 枕詞。 三 大阪府中河内郡、生駒山の西麓。 四 生駒山の東登美にいた豪族の主長。 五 大阪府泉南郡の海岸。 六 和歌山縣、紀の川の河口。 七 和歌山縣海草郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔熊野より大和へ〕[#「〔熊野より大和へ〕」は小見出し]  かれ神倭伊波禮毘古の命、其地《そこ》より𢌞り幸でまして、熊野《くまの》の村一[#「一」は行右小書き]に到りましし時に、大きなる熊二[#「二」は行右小書き]、髣髴《ほのか》に出で入りてすなはち失せぬ。ここに神倭伊波禮毘古の命|倐忽《にはか》にをえまし三[#「三」は行右小書き]、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の高倉下《たかくらじ》、一|横刀《たち》をもちて、天つ神の御子四[#「四」は行右小書き]の伏《こや》せる地《ところ》に到りて獻る時に、天つ神の御子、すなはち寤《さ》め起ちて、「長寢《ながい》しつるかも」と詔りたまひき。かれその横刀《たち》を受け取りたまふ時に、その熊野の山の荒《あら》ぶる神おのづからみな切り仆《たふ》さえき。ここにそのをえ伏せる御軍悉に寤め起ちき。かれ天つ神の御子、その横刀《たち》を獲つるゆゑを問ひたまひしかば、高倉|下《じ》答へまをさく、「おのが夢に、天照らす大神高木の神二柱の神の命もちて、建御雷《たけみかづち》の神を召《よ》びて詔りたまはく、葦原の中つ國はいたく騷《さや》ぎてありなり。我が御子たち不平《やくさ》みますらし五[#「五」は行右小書き]。その葦原の中つ國は、もはら汝《いまし》が言向《ことむ》けつる國なり。かれ汝建御雷の神|降《あも》らさね」とのりたまひき。ここに答へまをさく、「僕《やつこ》降らずとも、もはらその國を平《ことむ》けし横刀あれば、この刀《たち》を降さむ。[#割り注]この刀の名は佐士布都の神といふ。またの名は甕布都の神といふ、またの名は布都の御魂。この刀は石上の神宮に坐す。[#割り注終わり]この刀を降さむ状は、高倉下が倉の頂《むね》を穿ちて、そこより墮し入れむとまをしたまひき六[#「六」は行右小書き]。かれ朝目|吉《よ》く汝取り持ちて天つ神の御子に獻れと、のりたまひき。かれ夢の教のまにま、旦《あした》におのが倉を見しかば、信《まこと》に横刀《たち》ありき。かれこの横刀をもちて獻らくのみ」とまをしき。  ここにまた高木の大神の命もちて、覺《さと》し白したまはく、「天つ神の御子、こよ奧つ方にな入りたまひそ。荒ぶる神いと多《さは》にあり。今天より八咫烏《やたがらす》七[#「七」は行右小書き]を遣《つか》はさむ。かれその八咫烏導きなむ。その立たむ後《しりへ》より幸でまさね」と、のりたまひき。かれその御教《みさとし》のまにまに、その八咫烏の後より幸《い》でまししかば、吉野《えしの》河の河尻八[#「八」は行右小書き]に到りましき。時に筌《うへ》九[#「九」は行右小書き]をうちて魚《な》取る人あり。ここに天つ神の御子「汝《いまし》は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕《あ》は國つ神名は贄持《にへもつ》の子」とまをしき。[#割り注]こは阿陀の鵜養の祖なり。[#割り注終わり]其地《そこ》より幸でまししかば、尾ある人一〇[#「一〇」は行右小書き]井より出で來。その井光れり。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は井氷鹿《ゐひか》」とまをしき。[#割り注]こは吉野の首等が祖なり。[#割り注終わり]すなはちその山に入りまししかば、また尾ある人に遇へり。この人|巖《いはほ》を押し分けて出で來《く》。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は石押分《いはおしわく》の子、今天つ神の御子|幸《い》でますと聞きつ。かれ、まゐ向へまつらくのみ」とまをしき。[#割り注]こは吉野の國巣一一[#「一一」は行右小書き]が祖なり。[#割り注終わり]其地《そこ》より蹈み穿ち越えて、宇陀《うだ》一二[#「一二」は行右小書き]に幸でましき。かれ宇陀《うだ》の穿《うがち》といふ。 [#ここから2字下げ] 一 和歌山縣南方の海岸一帶。 二 荒ぶる神が熊になつて現れたのでその毒氣を受けたとする。 三 病み疲れたまい。 四 神武天皇のこと。天つ神の御子として降下したとする。 五 惱んで居られるらしい。 六 奈良縣山邊郡の石上神宮。フツは劒の威力。物を斬る音という。 七 大きな烏。頭八つの烏とするは誤。ヤタは寸法。ヤアタの鏡のヤアタに同じ。この烏は鴨の建角身の命という豪傑だという。 八 大和の國内での吉野川の下流。 九 竹で編んで河に漬けて魚を取る漁法。 一〇 後部に垂れたもののある服裝の人。 一一 一三三頁[#「一三三頁」は「應神天皇」の「國主歌」]に説話がある。 一二 奈良縣宇陀郡。大和の國の東部。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔久米歌〕[#「〔久米歌〕」は小見出し]  かれここに宇陀に、兄宇迦斯《えうかし》弟宇迦斯《おとうかし》一[#「一」は行右小書き]と二人あり。かれまづ八咫烏を遣はして、二人に問はしめたまはく、「今、天つ神の御子|幸《い》でませり。汝《いまし》たち仕へまつらむや」と問ひたまひき。ここに兄宇迦斯、鳴鏑《なりかぶら》もちて、その使を待ち射返しき。かれその鳴鏑の落ちし地《ところ》を、訶夫羅前《かぶらざき》二[#「二」は行右小書き]といふ。「待ち撃たむ」といひて、軍《いくさ》を聚めしかども、軍をえ聚めざりしかば、仕へまつらむと欺陽《いつは》りて、大殿を作りて、その殿内《とのぬち》に押機《おし》を作りて待つ時に、弟宇迦斯《おとうかし》まづまゐ向へて、拜《をろが》みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれば、殿を作り、その内に押機《おし》を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顯はしまをす」とまをしき。ここに大伴《おほとも》の連《むらじ》等が祖|道《みち》の臣《おみ》の命、久米《くめ》の直《あたへ》等が祖|大久米《おほくめ》の命二人、兄宇迦斯《えうかし》を召《よ》びて、罵《の》りていはく、「儞《い》三[#「三」は行右小書き]が作り仕へまつれる大殿内《とのぬち》には、おれ四[#「四」は行右小書き]まづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀《たち》の手上《たがみ》握《とりしば》り五[#「五」は行右小書き]、矛《ほこ》ゆけ矢刺して六[#「六」は行右小書き]、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押機《おし》に打たれて死にき。ここに控《ひ》き出して斬り散《はふ》りき。かれ其地《そこ》を宇陀の血原七[#「七」は行右小書き]といふ。然してその弟宇迦斯《おとうかし》が獻れる大饗《おほみあへ》をば、悉にその御軍《みいくさ》に賜ひき。この時、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 宇陀の 高城《たかき》八[#「八」は行右小書き]に 鴫羂《しぎわな》張る。 我《わ》が待つや九[#「九」は行右小書き] 鴫は障《さや》らず、 いすくはし一〇[#「一〇」は行右小書き] 鷹《くぢ》ら障《さや》る一一[#「一一」は行右小書き]。 前妻《こなみ》一二[#「一二」は行右小書き]が 菜《な》乞はさば、 立柧棱《たちそば》一三[#「一三」は行右小書き]の 實の無《な》けくを こきしひゑね一四[#「一四」は行右小書き]。 後妻《うはなり》一五[#「一五」は行右小書き]が 菜乞はさば、 柃《いちさかき》實《み》一六[#「一六」は行右小書き]の大けくを こきだひゑね一七[#「一七」は行右小書き]  (歌謠番號一〇) [#ここで字下げ終わり]  ええ、しやこしや。こはいのごふぞ一八[#「一八」は行右小書き]。ああ、しやこしや。こは嘲咲《あざわら》ふぞ。かれその弟宇迦斯、こは宇陀の水取《もひとり》等が祖なり。  其地《そこ》より幸でまして、忍坂《おさか》一九[#「一九」は行右小書き]の大室に到りたまふ時に、尾ある土雲二〇[#「二〇」は行右小書き]八十建《やそたける》、その室にありて待ちいなる二一[#「二一」は行右小書き]。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗《みあへ》を八十建《やそたける》に賜ひき。ここに八十建に宛てて、八十|膳夫《かしはで》を設《ま》けて、人ごとに刀《たち》佩けてその膳夫《かしはで》どもに、誨へたまはく、「歌を聞かば、一時《もろとも》に斬れ」とのりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明《あか》して歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 忍坂《おさか》の 大室屋に 人|多《さは》に 來《き》入り居り。 人多に 入り居りとも、 みつみつし二二[#「二二」は行右小書き] 久米の子が、 頭椎《くぶつつ》い二三[#「二三」は行右小書き] 石椎《いしつつ》いもち 撃ちてしやまむ。 みつみつし 久米の子らが、 頭椎い 石椎いもち 今撃たば善《よ》らし。  (歌謠番號一一) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて、刀を拔きて、一時に打ち殺しつ。  然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] みつみつし 久米の子らが 粟生《あはふ》には 臭韮《かみら》一|莖《もと》二四[#「二四」は行右小書き]、 そねが莖《もと》 そね芽《め》繋《つな》ぎ二五[#「二五」は行右小書き]て 撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一二) [#ここで字下げ終わり]  また、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] みつみつし 久米の子らが 垣|下《もと》に 植《う》ゑし山椒《はじかみ》二六[#「二六」は行右小書き]、 口ひひく二七[#「二七」は行右小書き] 吾《われ》は忘れじ。 撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一三) [#ここで字下げ終わり]  また、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 神風《かむかぜ》の二八[#「二八」は行右小書き] 伊勢の海の 大石《おひし》に はひもとほろふ二九[#「二九」は行右小書き] 細螺《しただみ》三〇[#「三〇」は行右小書き]の、いはひもとほり 撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一四) [#ここで字下げ終わり]  また兄師木《えしき》弟師木《おとしき》三一[#「三一」は行右小書き]を撃ちたまふ時に、御軍|暫《しまし》疲れたり。ここに歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 楯並《たたな》めて三二[#「三二」は行右小書き] 伊那佐《いなさ》の山三三[#「三三」は行右小書き]の 樹《こ》の間よも い行きまもらひ三四[#「三四」は行右小書き] 戰へば 吾《われ》はや飢《ゑ》ぬ三五[#「三五」は行右小書き]。 島つ鳥三六[#「三六」は行右小書き] 鵜養《うかひ》が徒《とも》三七[#「三七」は行右小書き]、 今|助《す》けに來ね。  (歌謠番號一五) [#ここで字下げ終わり]  かれここに邇藝速日《にぎはやび》の命三八[#「三八」は行右小書き]まゐ赴《む》きて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子|天降《あも》りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り來つ」とまをして、天つ瑞《しるし》三九[#「三九」は行右小書き]を獻りて仕へまつりき。かれ邇藝速日《にぎはやび》の命、登美毘古が妹|登美夜毘賣《とみやびめ》に娶ひて生める子、宇摩志麻遲《うましまぢ》の命。[#割り注]こは物部の連、穗積の臣、婇臣が祖なり。[#割り注終わり]かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向《ことむ》けやはし、伏《まつろ》はぬ人どもを退《そ》け撥《はら》ひて、畝火《うねび》の白檮原《かしはら》の宮四〇[#「四〇」は行右小書き]にましまして、天の下|治《し》らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 ウカチの地に居る人の義。兄弟とするのは首領と副首領の意。 二 所在不明。 三 二人稱の賤稱。 四 同前。既出。 五 大刀のつかをしかと握つて。 六 矛を向け矢をつがえて。 七 所在不明。 八 高い築造物。 九 ヤは間投の助詞。 一〇 枕詞。語義不明。 一一 朝鮮語に鷹をクチという。鯨とする説もある。この句まで譬喩。 一二 コナミは前に娶つた妻。古い妻である。 一三 ソバノ木、カナメモチ。 一四 語義不明の句。原文、「許紀志斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキは動詞|扱《こ》くとすれば上二段活になる。 一五 妻のある上に更に娶つた妻。 一六 ヒサカキ。 一七 語義不明の句。原文「許紀陀斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキダは、許多の意のコキダクと同語では無いらしい。 一八 いばるのだ。靈異記に犬が威壓するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。 一九 奈良縣磯城郡、泊瀬溪谷の入口。 二〇 穴居していた先住民。 二一 待ちうなる。 二二 敍述による枕詞。威勢のよい。 二三 既出の頭椎の大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。 二四 くさいニラが一本。 二五 その根もとと芽とを一つにして。 二六 シヨウガは藥用植物で外來種であるからここはサンショウだろうという。 二七 口がひりひりする。 二八 枕詞。國つ神が大風を起して退去したからいうと傳える。 二九 這いまわつている。 三〇 ラセン形の貝殼の貝。肉は食料にする。 三一 磯城の地に居た豪族。 三二 枕詞。楯を並べて射るとイの音に續く。 三三 奈良縣宇陀郡伊那佐村。 三四 樹の間から行き見守つて。 三五 わたしは飢え疲れた。 三六 枕詞。 三七 前出の阿多の鵜養たち。鵜に助けに來いというのは魚を持つて來いの意である。 三八 系統不明。舊事本紀にはオシホミミの命の子とする。 三九 天から持つて來た寶物。 四〇 奈良縣畝傍山の東南の地。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔大物主の神の御子〕[#「〔大物主の神の御子〕」は小見出し]  かれ日向にましましし時に、阿多《あた》の小椅《をばし》の君が妹、名は阿比良《あひら》比賣に娶ひて、生みませる子、多藝志美美《たぎしみみ》の命、次に岐須美美《きすみみ》の命、二柱ませり。然れども更に、大后《おほぎさき》とせむ美人《をとめ》を求《ま》ぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに媛女《をとめ》あり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ所以《ゆゑ》は、三島の湟咋《みぞくひ》が女、名は勢夜陀多良《せやだたら》比賣、それ容姿麗《かほよ》かりければ、美和の大物主の神一[#「一」は行右小書き]、見|感《め》でて、その美人《をとめ》の大便《くそ》まる時に、丹塗《にぬり》矢二[#「二」は行右小書き]になりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の富登《ほと》を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき三[#「三」は行右小書き]。すなはちその矢を持ち來て、床の邊に置きしかば、忽に麗しき壯夫《をとこ》に成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣《ほとたたらいすすきひめ》の命、またの名は比賣多多良伊須氣余理比賣《ひめたたらいすけよりひめ》といふ。[#割り注]こはその富登といふ事を惡みて、後に改へつる名なり。[#割り注終わり]かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。  ここに七|媛女《をとめ》、高佐士野《たかさじの》四[#「四」は行右小書き]に遊べるに、伊須氣余理比賣《いすけよりひめ》その中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、 [#ここから2字下げ] 倭《やまと》の 高佐士野を 七《なな》行く 媛女《をとめ》ども、 誰をしまかむ五[#「五」は行右小書き]。  (歌謠番號一六) [#ここで字下げ終わり]  ここに伊須氣余理比賣は、その媛女どもの前《さき》に立てり。すなはち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須氣余理比賣の最前《いやさき》に立てることを知らして、歌もちて答へたまひしく、 [#ここから2字下げ] かつがつも六[#「六」は行右小書き] いや先立てる 愛《え》をしまかむ。  (歌謠番號一七) [#ここで字下げ終わり]  ここに大久米の命、天皇の命を、その伊須氣余理比賣に詔《の》る時に、その大久米の命の黥《さ》ける利目《とめ》七[#「七」は行右小書き]を見て、奇《あや》しと思ひて、歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 天地《あめつつ》 ちどりましとと八[#「八」は行右小書き] など黥《さ》ける利目《とめ》。  (歌謠番號一八) [#ここで字下げ終わり]  ここに大久米の命、答へ歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 媛女に 直《ただ》に逢はむと九[#「九」は行右小書き] 吾《わ》が黥ける利目《とめ》。  (歌謠番號一九) [#ここで字下げ終わり]  かれその孃子《をとめ》、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須氣余理比賣の命の家は、狹井《さゐ》河一〇[#「一〇」は行右小書き]の上《うへ》にあり。天皇、その伊須氣余理比賣のもとに幸《い》でまして、一夜|御寢《みね》したまひき。[#割り注]その河を佐韋河といふ由は、その河の邊に、山百合草多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草の本の名佐韋といひき。[#割り注終わり]  後にその伊須氣余理比賣《いすけよりひめ》、宮内《おほみやぬち》にまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 葦原の しけしき小屋《をや》に一一[#「一一」は行右小書き] 菅疊《すがたたみ》 いや清《さや》敷きて一二[#「一二」は行右小書き]、 わが二人寢し。  (歌謠番號二〇) [#ここで字下げ終わり]  然して生《あ》れませる御子の名は、日子八井《ひこやゐ》の命、次に神八井耳《かむやゐみみ》の命、次に神沼河耳《かむななかはみみ》の命一三[#「一三」は行右小書き]三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。 [#ここから2字下げ] 一 奈良縣磯城郡の三輪山の神。前に大國主の神の靈を祭るとしていた。大物主の神をも大國主の神の別名とするのだが、元來は別神だろう。 二 赤く塗つた矢。 三 立ち走り騷いだ。 四 香具山の附近。 五 マカムは纏かむで、手に卷こう。妻としよう。 六 わずかに。 七 目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした。 八 語義不明。千人に勝れる人の義という。 九 直接に逢おうとして。 一〇 三輪山から出る川。 一一 きたない小舍に。 一二 菅で編んだ敷物をさつぱりと敷いて。 一三 綏靖天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔當藝志美美《たぎしみみ》の命の變〕[#「〔當藝志美美の命の變〕」は小見出し]  かれ天皇|崩《かむあが》りまして後に、その庶兄《まませ》當藝志美美《たぎしみみ》の命、その嫡后《おほぎさき》伊須氣余理比賣に娶《あ》へる時に、その三柱の弟《おとみこ》たちを殺《し》せむとして、謀るほどに、その御祖《みおや》伊須氣余理比賣、患苦《うれ》へまして、歌もちてその御子たちに知らしめむとして歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 狹井河よ 雲起ちわたり 畝火山 木の葉さやぎぬ。 風吹かむとす。  (歌謠番號二一) [#ここで字下げ終わり]  また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 畝火山 晝は雲とゐ一[#「一」は行右小書き]、 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる。  (歌謠番號二二) [#ここで字下げ終わり]  ここにその御子たち聞き知りて、驚きて當藝志美美を殺《し》せむとしたまふ時に、神沼河耳の命、その兄《いろせ》神八井耳の命にまをしたまはく、「なね汝《な》が命、兵《つはもの》を持ちて二[#「二」は行右小書き]入りて、當藝志美美を殺せたまへ」とまをしたまひき。かれ兵《つはもの》を持ちて、入りて殺《し》せむとする時に、手足わななきてえ殺せたまはず。かれここにその弟《いろと》神沼河耳の命、その兄の持てる兵《つはもの》を乞ひ取りて、入りて當藝志美美を殺《し》せたまひき。かれまたその御名をたたへて、建沼河耳《たけぬなかはみみ》の命とまをす。  ここに神八井耳の命、弟建沼河耳の命に讓りてまをしたまはく、「吾《あ》は仇をえ殺せず、汝《な》が命は既にえ殺せたまひぬ。かれ吾は兄なれども、上《かみ》とあるべからず。ここを以ちて汝が命、上とまして、天の下|治《し》らしめせ。僕《やつこ》は汝が命を扶《たす》けて、忌人《いはひびと》三[#「三」は行右小書き]となりて仕へまつらむ」とまをしたまひき。かれその日子八井の命は、茨田《うまらた》の連、手島の連が祖。神八井耳の命は、意富《おほ》の臣四[#「四」は行右小書き]、小子部《ちひさこべ》の連、坂合部の連、火の君、大分《おほきた》の君、阿蘇の君、筑紫の三家《みやけ》の連、雀部《さざきべ》の臣、雀部の造、小長谷《をはつせ》の造、都祁《つげ》の直、伊余の國の造、科野《しなの》の國の造、道の奧の石城《いはき》の國の造、常道《ひたち》の仲の國の造、長狹の國の造、伊勢の船木の直、尾張の丹波《には》の臣、島田の臣等が祖なり。神沼河耳の命は天の下|治《し》らしめしき。  およそこの神倭伊波禮毘古の天皇、御年|一百三十七歳《ももちまりみそまりななつ》、御陵《みはか》は畝火山の北の方|白檮《かし》の尾の上にあり。 [#ここから2字下げ] 一 トヰは、動搖する意の動詞。トヰナミ(萬葉集)のトヰと同語。 二 武器を持つて。 三 潔齋をして無事を祈る人。祭をおこなう人。 四 古事記の撰者太の安麻呂の系統。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔二、綏靖天皇以後八代〕[#「〔二、綏靖天皇以後八代〕」は中見出し] [#5字下げ]〔綏靖天皇〕[#「〔綏靖天皇〕」は小見出し]  神沼河耳の命一[#「一」は行右小書き]、葛城《かづらき》の高岡《たかをか》の宮にましまして、天の下|治《し》らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、河俣《かはまた》毘賣に娶《あ》ひて、生みませる御子、師木津日子玉手見《しきつひこたまでみ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。天皇、御年|四十五歳《よそぢあまりいつつ》、御陵は衝田《つきだ》の岡二[#「二」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 綏靖天皇。以下八代は、多少の插入はあろうが、大體帝紀の形が殘つていると考えられる。 二 奈良縣高市郡。神武天皇陵の北にある。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔安寧天皇〕[#「〔安寧天皇〕」は小見出し]  師木津日子玉手見の命一[#「一」は行右小書き]、片鹽《かたしほ》の浮穴《うきあな》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、河俣《かはまた》毘賣の兄縣主|波延《はえ》が女、阿久斗《あくと》比賣に娶《あ》ひて、生みませる御子、常根津日子伊呂泥《とこねつひこいろね》の命、次に大倭日子鉏友《おほやまとひこすきとも》の命、次に師木津日子《しきつひこ》の命。この天皇の御子|等《たち》并せて、三柱の中、大倭日子鉏友の命は、天の下治らしめしき。次に師木津日子の命の御子二柱ます。一柱の子孫は、伊賀の須知の稻置《いなき》、那婆理の稻置、三野の稻置が祖なり。一柱の御子|和知都美《わちつみ》の命は、淡道《あはぢ》の御井《みゐ》の宮三[#「三」は行右小書き]にましき。かれこの王《みこ》、女《むすめ》二柱ましき。兄《いろね》の名は繩伊呂泥《はへいろね》、またの名は意富夜麻登久邇阿禮《おほやまとくにあれ》比賣の命、弟《いろと》の名は繩伊呂杼《はへいろとど》なり四[#「四」は行右小書き]。  天皇、御年|四拾九歳《よそぢあまりここのつ》、御陵は畝火山の美富登《みほと》五[#「五」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 安寧天皇。 二 奈良縣北葛城郡。 三 兵庫縣三原郡。 四 この二女王は、孝靈天皇の妃。 五 畝火山の南のくぼみにある。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔懿徳天皇〕[#「〔懿徳天皇〕」は小見出し]  大倭日子鉏友《おほやまとひこすきとも》の命一[#「一」は行右小書き]、輕《かる》の境岡《さかひをか》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、賦登麻和訶《ふとまわか》比賣の命、またの名は飯日《いひひ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命、次に多藝志比古《たぎしひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命は、天の下治らしめしき。次に當藝志比古の命は、血沼の別、多遲麻の竹の別、葦井の稻置が祖なり。  天皇、御年|四十五歳《よそぢあまりいつつ》、御陵は畝火山の眞名子谷《まなごだに》の上三[#「三」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 懿徳天皇。 二 奈良縣高市郡。 三 畝火山の南。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔孝昭天皇〕[#「〔孝昭天皇〕」は小見出し]  御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命一[#「一」は行右小書き]、葛城の掖上《わきがみ》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、尾張の連《むらじ》の祖、奧津余曾《おきつよそ》が妹、名は余曾多本毘賣《よそたほびめ》の命に娶ひて、生みませる御子、天押帶日子《あめおしたらしひこ》の命、次に大倭帶日子國押人《おほやまとたらしひこくにおしびと》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ弟《いろと》帶日子國押人《たらしひこくにおしびと》の命は、天の下治らしめしき。兄《いろせ》天押帶日子《あめおしたらしひこ》の命は、春日の臣、大宅の臣、粟田の臣、小野の臣、柿本の臣、壹比韋の臣、大坂の臣、阿那の臣、多紀の臣、羽栗の臣、知多の臣、牟耶の臣、都怒山の臣、伊勢の飯高の君、壹師の君、近つ淡海の國の造が祖なり。  天皇、御年|九十三歳《ここのそぢまりみつ》、御陵は掖上の博多《はかた》山の上三[#「三」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 孝昭天皇。 二 奈良縣南葛城郡。 三 同前。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔孝安天皇〕[#「〔孝安天皇〕」は小見出し]  大倭帶日子國押人《おほやまとたらしひこくにおしびと》の命一[#「一」は行右小書き]、葛城の室《むろ》の秋津島《あきづしま》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、姪|忍鹿《おしが》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、大吉備《おほきび》の諸進《もろすす》の命、次に大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命は、天の下治らしめしき。  天皇、御年|一百二十三歳《ももちあまりはたちみつ》、御陵は玉手《たまて》の岡の上《へ》三[#「三」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 孝安天皇。 二 奈良縣南葛城郡。 三 同前。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔孝靈天皇〕[#「〔孝靈天皇〕」は小見出し]  大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命一[#「一」は行右小書き]、黒田《くろだ》の廬戸《いほど》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、十市《とをち》の縣主の祖、大目《おほめ》が女、名は細《くはし》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また春日《かすが》の千千速眞若《ちぢはやまわか》比賣に娶ひて、生みませる御子、千千速《ちぢはや》比賣の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また意富夜麻登玖邇阿禮《おほやまとくにあれ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、夜麻登登母母曾毘賣《やまととももそびめ》の命、次に日子刺肩別《ひこさしかたわけ》の命、次に比古伊佐勢理毘古《ひこいさせりびこ》の命、またの名は大吉備津日子《おほきびつひこ》の命、次に倭飛羽矢若屋《やまととびはやわかや》比賣四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。またその阿禮《あれ》比賣の命の弟、繩伊呂杼《はへいろど》に娶ひて、生みませる御子、日子寤間《ひこさめま》の命、次に若日子建吉備津日子《わかひこたけきびつひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて八柱ませり。[#割り注]男王五柱、女王三柱。[#割り注終わり]かれ大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命は、天の下治らしめしき。大吉備津日子《おほきびつひこ》の命と若建吉備津日子《わかたけきびつひこ》の命とは、二柱相|副《たぐ》はして、針間《はりま》の氷《ひ》の河《かは》の前《さき》三[#「三」は行右小書き]に忌瓮《いはひべ》を居《す》ゑて四[#「四」は行右小書き]、針間を道の口として五[#「五」は行右小書き]、吉備の國六[#「六」は行右小書き]を言向《ことむ》け和《やは》したまひき。かれこの大吉備津日子の命は、吉備の上つ道の臣が祖なり。次に若日子建吉備津日子の命は、吉備の下つ道の臣、笠の臣が祖なり。次に日子寤間《ひこさめま》の命は、針間《はりま》の牛鹿の臣が祖なり。次に日子刺肩別《ひこさしかたわけ》の命は、高志《こし》の利波《となみ》の臣、豐國の國前の臣、五百原の君、角鹿《つぬが》の濟の直が祖なり。  天皇、御年|一百六歳《ももちまりむつ》、御陵は片岡の馬坂《うまさか》の上七[#「七」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 孝靈天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 兵庫縣加古郡。 四 清らかな酒瓶を置いて神を祭り行旅の無事を祈る。 五 播磨の國を道の入口として。 六 後の備前美作備中備後の四國の總稱。 七 奈良縣北葛城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔孝元天皇〕[#「〔孝元天皇〕」は小見出し]  大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命一[#「一」は行右小書き]、輕《かる》の堺原《さかひはら》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、穗積《ほづみ》の臣等が祖、内色許男《うつしこを》の命が妹、内色許賣《うつしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、大毘古《おほびこ》の命三[#「三」は行右小書き]、次に少名日子建猪心《すくなひこたけゐごころ》の命、次に若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また内色許男《うつしこを》の命が女、伊迦賀色許賣《いかがしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、比古布都押《ひこふつおし》の信《まこと》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また河内の青玉《あをたま》が女、名は波邇夜須《はにやす》毘賣に娶ひて、生みませる御子、建波邇夜須毘古《たけはにやすびこ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて五柱ませり。かれ若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命は、天の下治らしめしき。その兄|大毘古《おほびこ》の命の子、建沼河別《たけぬなかはわけ》の命は、阿部の臣等が祖なり。次に比古伊那許士別《ひこいなこじわけ》の命、こは膳の臣が祖なり。比古布都押《ひこふつおし》の信《まこと》の命、尾張《をはり》の連《むらじ》等が祖、意富那毘《おほなび》が妹、葛城《かづらき》の高千那毘賣《たかちなびめ》に娶ひて、生みませる子、味師内《うましうち》の宿禰《すくね》、こは山代の内の臣が祖なり。また木《き》の國《くに》の造《みやつこ》が祖、宇豆比古《うづひこ》が妹、山下影《やましたかげ》日賣に娶ひて、生みませる子、建内《たけしうち》の宿禰《すくね》四[#「四」は行右小書き]。この建内の宿禰の子、并はせて九人《ここのたり》[#割り注]男七柱、女二柱。[#割り注終わり]波多の八代の宿禰は、波多の臣、林の臣、波美の臣、星川の臣、淡海の臣、長谷部の君が祖なり。次に許勢《こせ》の小柄《をから》の宿禰は、許勢の臣、雀部の臣、輕部の臣が祖なり。次に蘇賀《そが》の石河《いしかは》の宿禰《すくね》は、蘇我の臣、川邊の臣、田中の臣、高向の臣、小治田の臣、櫻井の臣、岸田の臣等が祖なり。次に平群《へぐり》の都久《つく》の宿禰は、平群の臣、佐和良の臣、馬の御樴《みくひ》の連等が祖なり。次に木《き》の角《つの》の宿禰は、木の臣、都奴の臣、坂本の臣等が祖なり。次に久米《くめ》の摩伊刀《まいと》比賣、次に怒《の》の伊呂《いろ》比賣、次に葛城《かづらき》の長江《ながえ》の曾都《そつ》毘古は、玉手の臣、的の臣、生江の臣、阿藝那の臣等が祖なり。また若子《わくご》の宿禰は、江野の財の臣が祖なり。  この天皇、御年|五十七歳《いそぢあまりななつ》、御陵は劒《つるぎ》の池《いけ》の中《なか》の岡《をか》の上五[#「五」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 孝元天皇。 二 奈良縣高市郡。 三 九四頁[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]に事蹟がある。 四 一二〇頁[#「一二〇頁」は「仲哀天皇」の「神功皇后」]以下に事蹟がある。この子孫は勢力を得たので、その子を詳記してあるが、帝紀としては加筆であろう。 五 奈良縣高市郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔開化天皇〕[#「〔開化天皇〕」は小見出し]  若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命一[#「一」は行右小書き]、春日《かすが》の伊耶河《いざかは》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、旦波《たには》の大縣主《おほあがたぬし》、名は由碁理《ゆごり》が女《むすめ》、竹野《たかの》比賣に娶ひて、生みませる御子、比古由牟須美《ひこゆむすみ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また庶母《みままはは》伊迦賀色許賣《いかがしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命、次に御眞津《みまつ》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また丸邇《わに》の臣の祖、日子國意祁都《ひこくにおけつ》の命が妹、意祁都《おけつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、日子坐《ひこいます》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また葛城《かづらき》の垂見《たるみ》の宿禰が女、鸇《わし》比賣に娶ひて生みませる御子、建豐波豆羅和氣《たけとよはつらわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて五柱[#割り注]男王四柱、女王一柱。[#割り注終わり]かれ御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命は、天の下治らしめしき。その兄《みこのかみ》比古由牟須美《ひこゆむすみ》の王の御子、大筒木垂根《おほつつきたりね》の王、次に讚岐垂根《さぬきたりね》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この二柱の王の女、五柱ましき。次に日子坐《ひこいます》の王、山代《やましろ》の荏名津《えなつ》比賣、またの名は苅幡戸辨《かりはたとべ》に娶ひて生みませる子、大俣《おほまた》の王、次に小俣《をまた》の王、次に志夫美《しぶみ》の宿禰《すくね》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また春日《かすが》の建國勝戸賣《たけくにかつとめ》が女、名は沙本《さほ》の大闇見戸賣《おほくらみとめ》に娶ひて、生みませる子、沙本毘古《さほびこ》の王、次に袁耶本《をざほ》の王、次に沙本《さほ》毘賣の命、またの名は佐波遲《さはぢ》比賣、[#割り注]この沙本毘賣の命は伊久米三[#「三」は行右小書き]の天皇の后となりたまへり。[#割り注終わり]次に室毘古《むろびこ》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また近《ちか》つ淡海《あふみ》の御上《みかみ》の祝《はふり》がもちいつく四[#「四」は行右小書き]、天《あめ》の御影《みかげ》の神が女、息長《おきなが》の水依《みづより》比賣に娶ひて、生みませる子、丹波《たには》の比古多多須美知能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王、次に水穗《みづほ》の眞若《まわか》の王、次に神大根《かむおほね》の王、またの名は八瓜《やつり》の入日子《いりひこ》の王、次に水穗《みづほ》の五百依《いほより》比賣、次に御井津《みゐつ》比賣五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。またその母の弟|袁祁都《をけつ》比賣の命に娶ひて、生みませる子、山代《やましろ》の大筒木《おほつつき》の眞若《まわか》の王、次に比古意須《ひこおす》の王、次に伊理泥《いりね》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。およそ日子坐《ひこいます》の王の子、并はせて十五王《とをまりいつはしら》。かれ兄《このかみ》大俣《おほまた》の王の子、曙立《あけたつ》の王五[#「五」は行右小書き]、次に菟上《うがかみ》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この曙立《あけたつ》の王は、伊勢の品遲《ほむぢ》部、伊勢の佐那の造が祖なり。菟上《うながみ》の王は、比賣陀の君が祖なり。次に小俣《をまた》の王は當麻の勾の君が祖なり。次に志夫美《しぶみ》の宿禰《すくね》の王は佐佐の君が祖なり。次に沙本毘古《さほびこ》の王は、日下部の連、甲斐の國の造が祖なり。次に袁耶本《をざほ》の王は、葛野の別、近つ淡海の蚊野の別が祖なり。次に室毘古《むろびこ》の王は、若狹の耳の別が祖なり。その美知能宇志《みちのうし》の王、丹波《たには》の河上の摩須《ます》の郎女《いらつめ》に娶ひて、生みませる子、比婆須《ひばす》比賣の命六[#「六」は行右小書き]、次に眞砥野《まとの》比賣の命、次に弟《おと》比賣の命、次に朝廷別《みかどわけ》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。この朝廷別《みかどわけ》の王は、三川の穗の別が祖なり。この美知能宇斯《みちのうし》の王の弟、水穗《みづほ》の眞若《まわか》の王は、近つ淡海の安の直が祖なり。次に神大根《かむおほね》の王は、三野の國の造、本巣の國の造、長幡部の連が祖なり。次に山代《やましろ》の大筒木眞若《おほつつきまわか》の王、同母弟《いろせ》伊理泥《いりね》の王が女、丹波の阿治佐波《あぢさは》毘賣に娶ひて、生みませる子、迦邇米雷《かにめいかづち》の王、この王、丹波《たには》の遠津《とほつ》の臣が女、名は高材《たかき》比賣に娶ひて、生みませる子、息長《おきなが》の宿禰の王、この王、葛城《かづらき》の高額《たかぬか》比賣に娶ひて、生みませる子、息長帶《おきながたらし》比賣の命、次に虚空津《そらつ》比賣の命、次に息長日子《おきながひこ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この王は吉備の品遲の君、針間の阿宗の君が祖なり。また息長《おきなが》の宿禰の王、河俣《かはまた》の稻依《いなより》毘賣に娶ひて、生みませる子、大多牟坂《おほたむさか》の王、こは多遲摩の國の造が祖なり。上《かみ》にいへる建豐波豆羅和氣《たけとよはづらわけ》の王は道守の臣、忍海部の造、御名部の造、稻羽の忍海部、丹波の竹野の別、依網の阿毘古等が祖なり。  天皇、御年|六十三歳《むそぢまりみつ》、御陵は伊耶河《いざかは》の坂の上七[#「七」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 開化天皇。 二 奈良市。 三 垂仁天皇。九八頁[#「九八頁」は「垂仁天皇」の「沙本毘古の叛亂」]にこの皇后の物語がある。 四 滋賀縣野洲郡の三上の神職が祭る。 五 一〇二頁[#「一〇二頁」は「垂仁天皇」の「本牟智和氣の御子」]に物語がある。 六 以下の諸女王のこと、一〇四頁[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「丹波の四女王」]に物語があるが人數などに相違がある。 七 奈良市。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔三、崇神天皇〕[#「〔三、崇神天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命一[#「一」は行右小書き]、師木《しき》の水垣《みづかき》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、木の國の造、名は荒河戸辨《あらかはとべ》が女、遠津年魚目目微比賣《とほつあゆめまくはしひめ》に娶ひて、生みませる御子、豐木入日子《とよきいりひこ》の命、次に豐鉏入日賣《とよすきいりひめ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また尾張《をはり》の連が祖|意富阿麻《おほあま》比賣に娶ひて、生みませる御子、大入杵《おほいりき》の命、次に八坂《やさか》の入日子《いりひこ》の命、次に沼名木《ぬなき》の入日賣の命、次に十市《とをち》の入日賣の命四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また大毘古《おほびこ》の命が女、御眞津《みまつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知《いくめいりひこいさち》の命、次に伊耶《いざ》の眞若《まわか》の命、次に國片《くにかた》比賣の命、次に千千都久和《ちぢつくやまと》比賣の命、次に伊賀《いが》比賣の命、次に倭日子《やまとひこ》の命六柱[#「六柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并せて十二柱[#割り注]男王七、女王五なり。[#割り注終わり]かれ伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命は、天の下治らしめしき。次に豐木入日子《とよきいりひこ》の命は、上つ毛野、下つ毛野の君等が祖なり。妹|豐鉏《とよすき》比賣の命は伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に大入杵《おほいりき》の命は、能登の臣が祖なり。次に倭日子《やまとひこ》の命は、この王の時に始めて陵に人垣を立てたり三[#「三」は行右小書き]。 [#ここから2字下げ] 一 崇神天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 人を埋めて垣とするもの。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔美和の大物主〕[#「〔美和の大物主〕」は小見出し]  この天皇の御世に「役病《えやみ》多《さは》に起り、人民《おほみたから》盡きなむとしき。ここに天皇|愁歎《うれ》へたまひて、神牀《かむとこ》一[#「一」は行右小書き]にましましける夜に、大物主《おほものぬし》の大神《おほかみ》、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは我《あ》が御心なり。かれ意富多多泥古《おほたたねこ》をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の氣《け》起らず二[#「二」は行右小書き]、國も安平《やすらか》ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、驛使《はゆまづかひ》三[#「三」は行右小書き]を四方《よも》に班《あか》ちて、意富多多泥古《おほたたねこ》といふ人を求むる時に、河内の美努《みの》の村四[#「四」は行右小書き]にその人を見得て、貢《たてまつ》りき。ここに天皇問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「僕《あ》は大物主の大神、陶津耳《すゑつみみ》の命が女、活玉依《いくたまより》毘賣に娶ひて生みませる子、名は櫛御方《くしみかた》の命の子、飯肩巣見《いひがたすみ》の命の子、建甕槌《たけみかづち》の命の子、僕《やつこ》意富多多泥古」とまをしき。  ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、人民《おほみたから》榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、神主《かむぬし》五[#「五」は行右小書き]として、御諸山六[#「六」は行右小書き]に、意富美和《おほみわ》の大神の御前を拜《いつ》き祭りたまひき。また伊迦賀色許男《いかがしこを》の命に仰せて、天の八十平瓮《やそひらか》七[#「七」は行右小書き]を作り、天つ神|地《くに》つ祇《かみ》の社を定めまつりたまひき。また宇陀《うだ》の墨坂《すみさか》八[#「八」は行右小書き]の神に、赤色の楯矛《たてほこ》を祭り九[#「九」は行右小書き]、また大坂《おほさか》の神一〇[#「一〇」は行右小書き]に、墨色の楯矛を祭り、また坂《さか》の御尾《みを》の神、河《かは》の瀬《せ》の神までに、悉に遺忘《おつ》ることなく幣帛《ぬさ》まつりたまひき。これに因りて役《え》の氣《け》悉に息《や》みて、國家《みかど》安平《やすら》ぎき。  この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる所以《ゆゑ》は、上にいへる活玉依《いくたまより》毘賣、それ顏好かりき。ここに壯夫《をとこ》ありて、その形姿《かたち》威儀《よそほひ》時に比《たぐひ》無きが、夜半《さよなか》の時にたちまち來たり。かれ相感《め》でて共婚《まぐはひ》して、住めるほどに、いまだ幾何《いくだ》もあらねば、その美人《をとめ》姙《はら》みぬ。  ここに父母、その姙《はら》める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「汝《いまし》はおのづから姙《はら》めり。夫《ひこぢ》無きにいかにかも姙《はら》める」と問ひしかば、答へて曰はく、「麗《うるは》しき壯夫《をとこ》の、その名も知らぬが、夕《よ》ごとに來りて住めるほどに、おのづからに姙《はら》みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲《おも》ひて、その女に誨《をし》へつらくは、「赤土《はに》を床の邊に散らし、卷子紡麻《へそを》を針に貫《ぬ》きて、その衣の襴《すそ》に刺せ」と誨《をし》へき一一[#「一一」は行右小書き]。かれ教へしが如して、旦時《あした》に見れば、針をつけたる麻《を》は、戸の鉤穴《かぎあな》より控《ひ》き通りて出で、ただ遺《のこ》れる麻《を》一二[#「一二」は行右小書き]は、三勾《みわ》のみなりき。  ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその麻《を》の三勾《みわ》遺《のこ》れるによりて、其地《そこ》に名づけて美和《みわ》といふなり。この意富多多泥古の命は、神《みわ》の君、鴨の君が祖なり。 [#ここから2字下げ] 一 神に祈つて寢る床。夢に神意を得ようとする。 二 神のたたり。 三 馬に乘つて行く使。 四 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。 五 神のよりつく人。 六 奈良縣磯城郡の三輪山。 七 多くの平たい皿。既出の語。 八 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。 九 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。 一〇 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。 一一 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。 一二 絲卷に殘つた麻。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔將軍の派遣〕[#「〔將軍の派遣〕」は小見出し]  またこの御世に、大毘古《おほびこ》の命一[#「一」は行右小書き]を高志《こし》の道《みち》に遣し、その子|建沼河別《たけぬなかはわけ》の命を東《ひむがし》の方|十二《とをまりふた》道二[#「二」は行右小書き]に遣して、その服《まつろ》はぬ人どもを言向け和《やは》さしめ、また日子坐《ひこいます》の王《みこ》をば、旦波《たには》の國三[#「三」は行右小書き]に遣して、玖賀耳《くがみみ》の御笠《みかさ》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を殺《と》らしめたまひき。  かれ大毘古《おほびこ》の命、高志《こし》の國に罷り往《い》でます時に、腰裳《こしも》服《け》せる少女《をとめ》四[#「四」は行右小書き]、山代の幣羅坂《へらさか》五[#「五」は行右小書き]に立ちて、歌よみして曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 御眞木入日子《みまきいりびこ》六[#「六」は行右小書き]はや、 御眞木入日子はや、 おのが命《を》を 竊《ぬす》み殺《し》せむと、 後《しり》つ戸《と》よ い行き違《たが》ひ七[#「七」は行右小書き] 前《まへ》つ戸よ い行き違ひ 窺はく 知らにと八[#「八」は行右小書き]、 御眞木入日子はや。  (歌謠番號二三) [#ここで字下げ終わり] と歌ひき。ここに大毘古《おほびこ》の命、怪しと思ひて、馬を返して、その少女に問ひて曰はく、「汝《いまし》がいへる言は、いかに言ふぞ」と問ひしかば、少女答へて曰はく、「吾《あ》は言ふこともなし。ただ歌よみしつらくのみ」といひて、その行く方《へ》も見えずして忽に失せぬ九[#「九」は行右小書き]。かれ大毘古の命、更に還りまゐ上りて、天皇にまをす時に、天皇答へて詔りたまはく、「こは山代の國なる我が庶兄《まませ》、建波邇安《たけはにやす》の王の、邪《きたな》き心を起せる表《しるし》ならむ。伯父、軍を興して、行かさね」とのりたまひて、丸邇《わに》の臣《おみ》の祖、日子國夫玖《ひこくにぶく》の命を副へて、遣す時に、すなはち丸邇坂《わにさか》に忌瓮《いはひべ》を居《す》ゑて、罷り往《い》でましき。  ここに山代の和訶羅《わから》河一〇[#「一〇」は行右小書き]に到れる時に、その建波邇安の王、軍を興して、待ち遮り、おのもおのも河を中にはさみて、對《む》き立ちて相|挑《いど》みき。かれ其地《そこ》に名づけて、伊杼美《いどみ》といふ。[#割り注]今は伊豆美といふ。[#割り注終わり]ここに日子國夫玖《ひこくにぶく》の命、「其方《そなた》の人まづ忌矢《いはひや》を放て」と乞ひいひき。ここにその建波邇安の王射つれどもえ中てず。ここに國夫玖《くにぶく》の命の放つ矢は、建波邇安の王を射て死《ころ》しき。かれその軍、悉に破れて逃げ散《あら》けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫《せ》めて、久須婆《くすば》の渡《わたり》一一[#「一一」は行右小書き]に到りし時に、みな迫めらえ窘《たしな》みて、屎《くそ》出でて、褌《はかま》に懸かりき。かれ其地《そこ》に名づけて屎褌《くそはかま》といふ。[#割り注]今は久須婆といふ。[#割り注終わり]またその逃ぐる軍を遮りて斬りしかば、鵜のごと河に浮きき。かれその河に名づけて、鵜河といふ。またその軍士《いくさびと》を斬り屠《はふ》りき。かれ、其地に名づけて波布理曾能《はふりその》一二[#「一二」は行右小書き]といふ。かく平《ことむ》け訖へて、まゐ上りて覆《かへりごと》奏《まを》しき。  かれ大毘古《おほびこ》の命は、先の命のまにまに、高志《こし》の國に罷り行《い》でましき。ここに東の方より遣しし建沼河別《たけぬなかはわけ》、その父|大毘古《おほびこ》と共に、相津《あひづ》一三[#「一三」は行右小書き]に往き遇ひき。かれ其地《そこ》を相津《あひづ》といふ。ここを以ちておのもおのも遣さえし國の政を和《やは》し言向けて、覆《かへりごと》奏《まを》しき。  ここに天の下平ぎ、人民《おほみたから》富み榮えき。ここに初めて男《をとこ》の弓端《ゆはず》の調《みつき》一四[#「一四」は行右小書き]、女《をみな》の手末《たなすゑ》の調一五[#「一五」は行右小書き]を貢《たてまつ》らしめたまひき。かれその御世を稱《たた》へて、初《はつ》國知らしし一六[#「一六」は行右小書き]、御眞木《みまき》の天皇とまをす。またこの御世に、依網《よさみ》の池一七[#「一七」は行右小書き]を作り、また輕《かる》の酒折《さかをり》の池一八[#「一八」は行右小書き]を作りき。  天皇、御歳|一百六十八歳《ももぢあまりむそぢやつ》、[#割り注]戊寅の年の十二月に崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は、山《やま》の邊《べ》の道《みち》の勾《まがり》の岡《をか》の上《へ》一九[#「一九」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 孝元天皇の御子。 二 十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。 三 京都府の北部。 四 腰に裳をつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。 五 大和の國から山城の國に越えた所の坂。 六 崇神天皇。 七 後方の戸から人目をはずして。 八 窺うことを知らずにと、ニは打消の助動詞ヌの連用形。 九 神が少女に化して教えた意になる。 一〇 木津川の別名。 一一 大阪府北河内郡淀川の渡り場。 一二 京都府相樂郡。 一三 福島縣の會津。 一四 男子が弓によつて得た物の貢物。獸皮の類をいう。 一五 女子の手藝によつて得た物の貢物。織物、絲の類。 一六 新しい土地を領有した。 一七 大阪市東成區。 一八 奈良縣高市郡。 一九 奈良縣磯城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔四、垂仁天皇〕[#「〔四、垂仁天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命一[#「一」は行右小書き]、師木《しき》の玉垣《たまがき》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、沙本毘古《さほびこ》の命が妹、佐波遲《さはぢ》比賣の命三[#「三」は行右小書き]に娶ひて、生みませる御子、品牟都和氣《ほむつわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また旦波《たには》の比古多多須美知能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王が女、氷羽州《ひばす》比賣の命四[#「四」は行右小書き]に娶ひて、生みませる御子、印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命、次に大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命、次に大中津日子《おほなかつひこ》の命、次に倭《やまと》比賣の命、次に若木《わかき》の入日子《いりひこ》の命五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。またその氷羽州《ひばす》比賣の命が弟、沼羽田《ぬばた》の入《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、沼帶別《ぬたらしわけ》の命、次に伊賀帶日子《いがたらしひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。またその沼羽田《ぬばた》の入《いり》日賣の命が弟、阿耶美《あざみ》の伊理《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の命、次に、阿耶美都《あざみつ》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また大筒木垂根《おほつつきたりね》の王が女、迦具夜《かぐや》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、袁那辨《をなべ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また山代の大國《おほくに》の淵《ふち》が女、苅羽田刀辨《かりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、落別《おちわけ》の王、次に五十日帶日子《いかたらしひこ》の王、次に伊登志別《いとしわけ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその大國《おほくに》の淵《ふち》が女、弟苅羽田刀辨《おとかりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、石衝別《いはつくわけ》の王、次に石衝《いはつく》毘賣の命、またの名は布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。およそこの天皇の御子等、十六王《とをまりむはしら》ませり。[#割り注]男王十三柱、女王三柱。[#割り注終わり]  かれ大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命は、天の下治らしめしき。[#割り注]御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。[#割り注終わり]次に印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命は、血沼《ちぬ》の池五[#「五」は行右小書き]を作り、また狹山《さやま》の池を作り、また日下《くさか》の高津《たかつ》の池六[#「六」は行右小書き]を作りたまひき。また鳥取《ととり》の河上の宮七[#「七」は行右小書き]にましまして、横刀《たち》壹|仟口《ちぢ》を作らしめたまひき。こを石《いそ》の上《かみ》の神宮八[#「八」は行右小書き]に納めまつる。すなはちその宮にましまして、河上部を定めたまひき九[#「九」は行右小書き]。次に大中津日子《おほなかつひこ》の命は、山邊の別、三枝の別、稻木の別、阿太の別、尾張の國の三野の別、吉備の石|旡《なし》の別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟禮の別等が祖なり。次に倭《やまと》比賣の命は、伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の王は、沙本の穴本《あなほ》部の別が祖なり。次に阿耶美都《あざみつ》比賣の命は、稻瀬毘古の王に嫁《あ》ひましき。次に落別《おちわけ》の王は、小目の山の君、三川の衣の君が祖なり。次に五《い》十|日帶日子《かたらしひこ》の王は、春日の山の君、高志の池の君、春日部の君が祖なり。次に伊登志和氣《いとしわけ》の王は、子なきに因りて、子代として、伊登志部を定めき。次に石衝別《いはつくわけ》の王は、羽咋《はくひ》の君、三尾の君が祖なり。次に布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命は、倭建の命の后となりたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 垂仁天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 沙本毘賣に同じ。開化天皇の皇女。 四 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。その條參照。 五 大阪府泉南郡。 六 大阪府南河内郡。 七 大阪府泉南郡。 八 奈良縣山邊郡の石上の神宮。 九 人民の集團に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔沙本毘古の叛亂〕[#「〔沙本毘古の叛亂〕」は小見出し]  この天皇、沙本《さほ》毘賣を后としたまひし時に、沙本《さほ》毘賣の命の兄《いろせ》、沙本毘古《さほびこ》の王、その同母妹《いろも》に問ひて曰はく、「夫《せ》と兄《いろせ》とはいづれか愛《は》しき」と問ひしかば、答へて曰はく「兄を愛しとおもふ」と答へたまひき。ここに沙本毘古《さほびこ》の王、謀りて曰はく、「汝《みまし》まことに我《あれ》を愛しと思ほさば、吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、すなはち八鹽折《やしほり》の紐小刀《ひもがたな》一[#「一」は行右小書き]を作りて、その妹《いろも》に授けて曰はく、「この小刀もちて、天皇の寢《みね》したまふを刺し殺《し》せまつれ」といふ。かれ天皇、その謀を知《し》らしめさずて、その后の御膝を枕《ま》きて、御寢したまひき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の御頸《おほみくび》を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りたまひしかども、哀《かな》しとおもふ情にえ忍《あ》へずして、御頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面《おほみおも》に落ち溢《あふ》れき。天皇驚き起ちたまひて、その后に問ひてのりたまはく、「吾《あ》は異《け》しき夢《いめ》を見つ。沙本《さほ》二[#「二」は行右小書き]の方《かた》より、暴雨《はやさめ》の零《ふ》り來て、急《にはか》に吾が面を沾《ぬら》しつ。また錦色の小蛇《へみ》、我が頸に纏《まつ》はりつ。かかる夢は、こは何の表《しるし》にあらむ」とのりたまひき。ここにその后、爭ふべくもあらじとおもほして、すなはち天皇に白して言さく、「妾が兄|沙本毘古《さほびこ》の王、妾に、夫と兄とはいづれか愛《は》しきと問ひき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもふと答へ曰へば、ここに妾に誂《あとら》へて曰はく、吾と汝と天の下を治らさむ。かれ天皇を殺《し》せまつれといひて、八鹽折《やしほり》の紐小刀を作りて妾に授けつ。ここを以ちて御頸を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りしかども、哀しとおもふ情忽に起りて、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこの表《しるし》にあらむ」とまをしたまひき。  ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも三[#「三」は行右小書き]」とのりたまひて、軍を興して、沙本毘古《さほびこ》の王を撃《う》ちたまふ時に、その王|稻城《いなぎ》四[#「四」は行右小書き]を作りて、待ち戰ひき。この時|沙本毘賣《さほびめ》の命、その兄にえ忍《あ》へずして、後《しり》つ門より逃れ出でて、その稻城《いなぎ》に納《い》りましき。  この時にその后|姙《はら》みましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また愛重《めぐ》みたまへることも、三年になりにければ、その軍を𢌞《かへ》して急《すむや》けくも攻めたまはざりき。かく逗留《とどこほ》る間に、その姙《はら》める御子既に産《あ》れましぬ。かれその御子を出して、稻城《いなぎ》の外に置きまつりて、天皇に白さしめたまはく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをしたまひき。ここに天皇|詔《の》りたまはく、「その兄を怨《きら》ひたまへども、なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」とのりたまひて、后を得むとおもふ心ましき。ここを以ちて軍士《いくさびと》の中に力士《ちからびと》の輕捷《はや》きを選り聚《つど》へて、宣りたまはくは、「その御子を取らむ時に、その母王《ははみこ》をも掠《かそ》ひ取れ五[#「五」は行右小書き]。御髮にもあれ、御手にもあれ、取り獲むまにまに、掬《つか》みて控《ひ》き出でよ」とのりたまひき。ここにその后、あらかじめその御心を知りたまひて、悉にその髮を剃りて、その髮もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐《くた》して、御手に三重|纏《ま》かし、また酒もちて御衣《みけし》を腐して、全き衣《みそ》のごと服《け》せり。かく設け備へて、その御子を抱《うだ》きて、城の外にさし出でたまひき。ここにその力士《ちからびと》ども、その御子を取りまつりて、すなはちその御祖《みおや》を握《と》りまつらむとす。ここにその御髮を握《と》れば、御髮おのづから落ち、その御手を握《と》れば、玉の緒また絶え、その御衣《みけし》を握《と》れば、御衣すなはち破れつ。ここを以ちてその御子を取り獲て、その御|祖《おや》をばえとりまつらざりき。かれその軍士ども、還り來て、奏《まを》して言さく、「御髮おのづから落ち、御衣破れ易く、御手に纏《ま》かせる玉の緒もすなはち絶えぬ。かれ御祖を獲まつらず、御子を取り得まつりき」とまをす。ここに天皇悔い恨みたまひて、玉作りし人どもを惡《にく》まして、その地《ところ》をみな奪《と》りたまひき。かれ諺《ことわざ》に、地《ところ》得ぬ玉作り六[#「六」は行右小書き]といふなり。  また天皇、その后に命詔《みことのり》したまはく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を、何とかいはむ」と詔りたまひき。ここに答へて白さく、「今火の稻城《いなぎ》を燒く時に、火《ほ》中に生《あ》れましつ。かれその御名は、本牟智和氣《ほむちわけ》七[#「七」は行右小書き]の御子《みこ》とまをすべし」とまをしたまひき。また命詔したまはく「いかにして日足《ひた》しまつらむ八[#「八」は行右小書き]」とのりたまへば、答へて白さく、「御母《みおも》を取り、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》九[#「九」は行右小書き]を定めて、日足しまつるべし」とまをしたまひき。かれその后のまをしたまひしまにまに、日足《ひた》しまつりき。またその后に問ひたまはく、「汝《みまし》の堅めし瑞《みづ》の小佩《をひも》一〇[#「一〇」は行右小書き]は、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「旦波《たには》の比古多多須美智能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王《みこ》が女、名は兄比賣《えひめ》弟比賣《おとひめ》、この二柱の女王《ひめみこ》、淨き公民《おほみたから》にませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその沙本比古《さほひこ》の王を殺《と》りたまへるに、その同母妹《いろも》も從ひたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 色濃く染めた紐のついている小刀。この紐、下の錦色の小蛇というのに關係がある。 二 奈良市佐保。佐本毘古の王の居所。 三 あぶなくだまされる所だつた。ホトホトニは、ほとんど。 四 稻を積んだ城。俵を積んだのだろう。 五 かすめ取れ。 六 玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという。 七 ホが火を意味し、ムチは尊稱、ワケは若い御方の義の名。 八 日を足して成育させる。 九 赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。 一〇 妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美稱。生氣のある意。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔本牟智和氣《ほむちわけ》の御子〕[#「〔本牟智和氣の御子〕」は小見出し]  かれその御子を率《ゐ》て遊ぶ状《さま》は、尾張の相津一[#「一」は行右小書き]なる二俣榲《ふたまたすぎ》を二俣小舟《ふたまたをぶね》に作りて、持ち上り來て、倭《やまと》の市師《いちし》の池二[#「二」は行右小書き]輕《かる》の池三[#「三」は行右小書き]に浮けて、その御子を率《ゐ》て遊びき。然るにこの御子、八|拳鬚心前《つかひげむなさき》に至るまでにま言《こと》とはず。かれ今、高往く鵠《たづ》が音を聞かして、始めてあぎとひ四[#「四」は行右小書き]たまひき。ここに山邊《やまべ》の大鶙《おほたか》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を遣して、その鳥を取らしめき。かれこの人、その鵠を追ひ尋ねて、木《き》の國より針間《はりま》の國に到り、また追ひて稻羽《いなば》の國に越え、すなはち旦波《たには》の國|多遲麻《たぢま》の國に到り、東の方に追ひ𢌞りて、近《ちか》つ淡海《あふみ》の國に到り、三野《みの》の國に越え、尾張《をはり》の國より傳ひて科野《しなの》の國に追ひ、遂に高志《こし》の國に追ひ到りて、和那美《わなみ》の水門《みなと》五[#「五」は行右小書き]に網を張り、その鳥を取りて、持ち上りて獻りき。かれその水門に名づけて和那美《わなみ》の水門《みなと》といふなり。またその鳥を見たまへば、物言はむと思ほして、思ほすがごと言ひたまふ事なかりき。  ここに天皇患へたまひて、御寢《みね》ませる時に、御夢に覺《さと》してのりたまはく、「我が宮を、天皇《おほきみ》の御舍《みあらか》のごと修理《をさ》めたまはば、御子かならずま言《ごと》とはむ」とかく覺したまふ時に、太卜《ふとまに》に占《うら》へて六[#「六」は行右小書き]、「いづれの神の御心ぞ」と求むるに、ここに祟《たた》りたまふは、出雲《いづも》の大神七[#「七」は行右小書き]の御心なり。かれその御子を、その大神の宮を拜《をろが》ましめに遣したまはむとする時に、誰を副《たぐ》へしめば吉《え》けむとうらなふに、ここに曙立《あけたつ》八[#「八」は行右小書き]の王|卜《うら》に食《あ》へり九[#「九」は行右小書き]。かれ曙立《あけたつ》の王に科《おほ》せて、うけひ白さしむらく一〇[#「一〇」は行右小書き]、「この大神を拜むによりて、誠《まこと》に驗《しるし》あらば、この鷺《さぎ》の巣《す》の池一一[#「一一」は行右小書き]の樹に住める鷺を、うけひ落ちよ」と、かく詔りたまふ時に、うけひてその鷺|地《つち》に墮ちて死にき。また「うけひ活け」と詔りたまひき。ここにうけひしかば、更に活きぬ。また甜白檮《あまがし》の前《さき》一二[#「一二」は行右小書き]なる葉廣熊白檮《はびろくまがし》一三[#「一三」は行右小書き]をうけひ枯らし、またうけひ生かしめき。ここにその曙立《あけたつ》の王に、倭《やまと》は師木《しき》の登美《とみ》の豐朝倉《とよあさくら》の曙立《あけたつ》の王といふ名を賜ひき。すなはち曙立《あけたつ》の王|菟上《うながみ》の王|二王《ふたばしら》を、その御子に副へて遣しし時に、那良戸《ならど》一四[#「一四」は行右小書き]よりは跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。大阪戸一五[#「一五」は行右小書き]よりも跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。ただ木戸一六[#「一六」は行右小書き]ぞ掖戸《わきど》の吉き戸一七[#「一七」は行右小書き]と卜へて、いでましし時に、到ります地《ところ》ごとに品遲部《ほむぢべ》を定めたまひき。  かれ出雲《いづも》に到りまして、大神《おほかみ》を拜み訖《を》へて、還り上ります時に、肥《ひ》の河一八[#「一八」は行右小書き]の中に黒樔《くろす》の橋一九[#「一九」は行右小書き]を作り、假宮を仕へ奉《まつ》りて、坐《ま》さしめき。ここに出雲《いづも》の國《くに》の造《みやつこ》の祖、名は岐比佐都美《きひさつみ》、青葉の山を餝《かざ》りて、その河下に立てて、大御食《おほみあへ》獻らむとする時に、その御子詔りたまはく、「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし出雲《いづも》の石╄《いはくま》の曾《そ》の宮二〇[#「二〇」は行右小書き]にます、葦原色許男《あしはらしこを》の大神二一[#「二一」は行右小書き]をもち齋《いつ》く祝《はふり》が大|庭《には》二二[#「二二」は行右小書き]か」と問ひたまひき。ここに御供に遣さえたる王《みこ》たち、聞き歡び見喜びて、御子は檳榔《あぢまさ》の長穗《ながほ》の宮二三[#「二三」は行右小書き]にませまつりて、驛使《はゆまづかひ》をたてまつりき。  ここにその御子、肥長《ひなが》比賣に一宿《ひとよ》婚ひたまひき。かれその美人《をとめ》を竊伺《かきま》みたまへば、蛇《をろち》なり。すなはち見畏みて遁げたまひき。ここにその肥長《ひなが》比賣|患《うれ》へて、海原を光《て》らして船より追ひ來《く》。かれ、ますます見畏みて山のたわより御船を引き越して、逃げ上りいでましつ。ここに覆奏《かへりごと》まをさく、「大神を拜みたまへるに因りて、大御子《おほみこ》物《もの》詔《の》りたまひつ。かれまゐ上り來つ」とまをしき。かれ天皇歡ばして、すなはち菟上《うながみ》の王を返して、神宮を造らしめたまひき。ここに天皇、その御子に因りて鳥取部《ととりべ》、鳥甘《とりかひ》、品遲部《ほむぢべ》、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》を定めたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 所在不明。 二 奈良縣磯城郡。 三 同高市郡。 四 アギと言つた。あぶあぶ言つた。 五 新潟縣西蒲原郡、また北魚澤郡[#「北魚澤郡」はママ]に傳説地がある。ワナミは羂網の義。 六 二〇頁[#「二〇頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]參照。 七 出雲大社の祭神。大國主の神。 八 開化天皇の子孫。 九 占いにかなつた。 一〇 神に誓つて神意を窺わしめることは。 一一 奈良縣高市郡。 一二 同郡飛鳥村にある。 一三 葉の廣いりつぱなカシの木。クマはウマに同じ。美稱。 一四 奈良縣の北部の奈良山を越える道。不具者に逢うことを嫌つた。 一五 二上山を越えて行く道。 一六 紀伊の國へ出る道。吉野川の右岸について行く。 一七 迂𢌞してゆく道でよい道。 一八 斐伊の川。 一九 皮つきの木を組んで作つた橋。 二〇 出雲大社の別名。 二一 大國主の神の別名。 二二 お祭する神職の齋場か。 二三 ビロウの木の葉を長く垂れて葺いた宮。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔丹波の四女王〕[#「〔丹波の四女王〕」は小見出し]  またその后の白したまひしまにまに、美知能宇斯《みちのうし》の王の女たち一[#「一」は行右小書き]、比婆須《ひばす》比賣の命、次に弟《おと》比賣の命、次に歌凝《うたこり》比賣の命、次に圓野《まとの》比賣の命、并はせて四柱を喚上《めさ》げたまひき。然れども比婆須《ひばす》比賣の命、弟比賣《おとひめ》の命、二柱を留めて、その弟王《おとみこ》二柱は、いと醜きに因りて本《もと》つ土《くに》に返し送りたまひき。ここに圓野《まとの》比賣|慚《やさし》みて「同兄弟《はらから》の中に、姿|醜《みにく》きによりて、還さゆる事、隣里《ちかきさと》に聞えむは、いと慚《やさ》しきこと」といひて、山代の國の相樂《さがらか》二[#「二」は行右小書き]に到りし時に、樹の枝に取り懸《さが》りて、死なむとしき。かれ其地《そこ》に名づけて、懸木《さがりき》といひしを、今は相樂《さがらか》といふ。また弟國《おとくに》三[#「三」は行右小書き]に到りし時に、遂に峻《ふか》き淵に墮ちて、死にき。かれ其地《そこ》に名づけて、墮國《おちくに》といひしを、今は弟國といふなり。 [#ここから2字下げ] 一 九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]の后妃皇子女に關する條參照。王女の數などが違うのは別の資料によるものであろう。 二 京都府相樂郡。 三 同乙訓郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔時じくの香《かく》の木の實〕[#「〔時じくの香の木の實〕」は小見出し]  また天皇、三宅《みやけ》の連《むらじ》等が祖、名は多遲摩毛理《たぢまもり》一[#「一」は行右小書き]を、常世《とこよ》の國二[#「二」は行右小書き]に遣して、時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》三[#「三」は行右小書き]を求めしめたまひき。かれ多遲摩毛理《たぢまもり》、遂にその國に到りて、その木の實を採りて、縵八縵矛八矛《かげやかげほこやほこ》四[#「四」は行右小書き]を、將《も》ち來つる間に、天皇既に崩《かむあが》りましき。ここに多遲摩毛理《たぢまもり》、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を分けて、大后に獻り、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を、天皇の御陵の戸に獻り置きて、その木の實を擎《ささ》げて、叫び哭《おら》びて白さく、「常世の國の時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》を持ちまゐ上りて侍《さもら》ふ」とまをして遂に哭《おら》び死にき。その時じくの香《かく》の木の實は今の橘なり。  この天皇、御年|一百五十三歳《ももちまりいそぢみつ》、御陵は菅原《すがはら》の御立野《みたちの》五[#「五」は行右小書き]の中にあり。  またその大后《おほきさき》比婆須《ひばす》比賣の命の時、石祝作《いしきつくり》六[#「六」は行右小書き]を定め、また土師部《はにしべ》を定めたまひき。この后は狹木《さき》の寺間《てらま》の陵七[#「七」は行右小書き]に葬《をさ》めまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 天の日矛の子孫。系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。 二 海外の國。大陸における橘の原産地まで行つたのだろう。 三 その時節でなく熟する香のよい木の實。 四 カゲは蔓のように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。 五 奈良縣生駒郡。 六 石棺を作る部族。 七 奈良縣生駒郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔五、景行天皇・成務天皇〕[#「〔五、景行天皇・成務天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の天皇一[#「一」は行右小書き]、纏向《まきむく》の日代《ひしろ》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、吉備《きび》の臣等の祖、若建吉備津日子《わかたけきびつひこ》が女、名は針間《はりま》の伊那毘《いなび》の大郎女《おほいらつめ》に娶ひて、生みませる御子、櫛角別《くしつのわけ》の王、次に大碓《おほうす》の命、次に小碓《をうす》の命三[#「三」は行右小書き]、またの名は倭男具那《やまとをぐな》の命、次に倭根子《やまとねこ》の命、次に神櫛《かむくし》の王五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また八尺《やさか》の入日子《いりひこ》の命が女、八坂《やさか》の入日賣《いりひめ》の命に娶ひて、生みませる御子、若帶日子《わかたらしひこ》の命四[#「四」は行右小書き]、次に五百木《いほき》の入日子《いりひこ》の命、次に押別《おしわけ》の命、次に五百木《いほき》の入《いり》日賣の命、またの妾《みめ》の御子、豐戸別《とよとわけ》の王、次に沼代《ぬなしろ》の郎女《いらつめ》、またの妾《みめ》の御子、沼名木《ぬなき》の郎女《いらつめ》、次に香余理《かぐより》比賣の命、次に若木《わかき》の入日子《いりひこ》の王、次に吉備の兄日子《えひこ》の王、次に高木比賣の命、次に弟比賣《おとひめ》の命。また日向《ひむか》の美波迦斯毘賣《みはかしびめ》に娶ひて、生みませる御子、豐國別《とよくにわけ》の王。また伊那毘《いなび》の大郎女《おほいらつめ》の弟、伊那毘の若郎女《わかいらつめ》に娶ひて、生みませる御子、眞若《まわか》の王、次に日子人《ひこひと》の大兄《おほえ》の王。また倭建《やまとたける》の命の曾孫《みひひこ》五[#「五」は行右小書き]名は須賣伊呂大中《すめいろおほなか》つ日子《ひこ》の王が女、訶具漏《かぐろ》比賣に娶ひて生みませる御子、大枝《おほえ》の王。およそこの大帶日子《おほたらしひこ》の天皇の御子たち、録《しる》せるは廿一王《はたちまりひとはしら》、記さざる五十九王《いそぢまりここのはしら》、并はせて八十|王《はしら》います中に、若帶日子の命と倭建《やまとたける》の命、また五百木《いほき》の入日子《いりひこ》の命と、この三王《みはしら》は太子《ひつぎのみこ》六[#「六」は行右小書き]の名を負はし、それより餘《ほか》七十七王《ななまりななはしらのみこ》は、悉に國國の國の造、また別《わけ》、稻置《いなぎ》、縣主《あがたぬし》七[#「七」は行右小書き]に別け賜ひき。かれ若帶日子《わかたらしひこ》の命は、天の下治らしめしき。小碓《をうす》の命は、東西の荒ぶる神、また伏《まつろ》はぬ人どもを平《ことむ》けたまひき。次に櫛角別《くしつのわけ》の王は、茨田の下の連等が祖なり。次に大碓《おほうす》の命は守の君、太田の君、島田の君が祖なり。次に神櫛《かむくし》の王は、木の國の酒部の阿比古、宇陀の酒部が祖なり。次に豐國別《とよくにわけ》の王は、日向の國の造が祖なり。  ここに天皇、三野《みの》の國の造の祖、大根《おほね》の王八[#「八」は行右小書き]が女、名は兄比賣《えひめ》弟比賣《おとひめ》二孃子《ふたをとめ》、それ容姿麗美《かほよ》しときこしめし定めて、その御子|大碓《おほうす》の命を遣して、喚《め》し上げたまひき。かれその遣さえたる大碓の命、召し上げずて、すなはちおのれみづからその二孃子に婚ひて、更に他《あだ》し女《をみな》を求《ま》ぎて、その孃子と詐り名づけて貢上《たてまつ》りき。ここに天皇それ他《あだ》し女《をみな》なることを知らしめして、恆に長眼を經しめ九[#「九」は行右小書き]、また婚《あ》ひもせずて、惚《たしな》めたまひき。かれその大碓《おほうす》の命、兄比賣《えひめ》に娶ひて生みませる子、押黒《おしくろ》の兄日子の王。こは三野の宇泥須和氣が祖なり。また弟比賣に娶ひて生みませる子、押黒の弟日子の王。こは牟宜都の君等が祖なり。この御世に田部《たべ》を定め、また東《あづま》の淡《あは》の水門《みなと》一〇[#「一〇」は行右小書き]を定め、また膳《かしはで》の大伴部《おほともべ》を定め、また倭《やまと》の屯家《みやけ》一一[#「一一」は行右小書き]を定めたまひ、また坂手《さかて》の池一二[#「一二」は行右小書き]を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 景行天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 ヤマトタケルの命。日本書紀に、父の天皇が皇子の誕生に當つて、石臼の上で躍つて喜んだから大碓の命、小碓の命というとある。 四 成務天皇。 五 皇子の曾孫の子だから、天皇の孫の孫の子に當りそれを妃としたというのは時間的に不可能である。ある氏の傳えをそのまま取り入れたものだろう。 六 後世のように皇太子を立てることは無かつたが、有力な后妃の生んだ皇子が次に帝位に昇るべき方として豫想されたのである。ヒツギのミコは、繼嗣の皇子の義。 七 いずれも古代の地方官で世襲である。 八 開化天皇の孫。 九 長く見て居させる。待ちぼうけさせる。 一〇 神奈川縣から千葉縣安房郡に渡る水路。 一一 大和の國の租税收納所。 一二 奈良縣磯城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔倭建の命の西征〕[#「〔倭建の命の西征〕」は小見出し]  天皇、小碓《をうす》の命に詔りたまはく、「何とかも汝《みまし》の兄《いろせ》、朝《あした》夕《ゆふべ》の大御食《おほみけ》にまゐ出來《でこ》ざる。もはら汝《みまし》ねぎ一[#「一」は行右小書き]教へ覺せ」と詔りたまひき。かく詔りたまひて後、五日に至るまでに、なほまゐ出でず。ここに天皇、小碓の命に問ひたまはく、「何ぞ汝の兄久しくまゐ出來ざる。もしいまだ誨《をし》へずありや」と問ひたまひしかば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしたまひき。また「いかにかねぎつる二[#「二」は行右小書き]」と詔りたまひしかば、答へて白さく、「朝署《あさけ》三[#「三」は行右小書き]に厠に入りし時、待ち捕へ搤《つか》み批《ひし》ぎて、その枝四[#「四」は行右小書き]を引き闕《か》きて、薦《こも》につつみて投げ棄《う》てつ」とまをしたまひき。  ここに天皇、その御子の建く荒き情を惶《かしこ》みて、詔りたまひしく、「西の方に熊曾建《くまそたける》二人五[#「五」は行右小書き]あり。これ伏《まつろ》はず、禮旡《ゐやな》き人どもなり。かれその人どもを取れ」とのりたまひて、遣したまひき。この時に當りて、その御髮《みかみ》を額《ぬか》に結はせり六[#「六」は行右小書き]。ここに小碓《をうす》の命、その姨《みをば》倭比賣《やまとひめ》の命七[#「七」は行右小書き]の御衣《みそ》御裳《みも》を給はり、劒《たち》を御懷《ふところ》に納《い》れていでましき。かれ熊曾建《くまそたける》が家に到りて見たまへば、その家の邊に、軍《いくさ》三重に圍み、室を作りて居たり。ここに御室樂《みむろうたげ》八[#「八」は行右小書き]せむと言ひ動《とよ》みて、食《をし》物を設《ま》け備へたり。かれその傍《あたり》を遊行《ある》きて、その樂《うたげ》する日を待ちたまひき。ここにその樂の日になりて、童女《をとめ》の髮のごとその結はせる髮を梳《けづ》り垂れ、その姨《みをば》の御衣《みそ》御裳《みも》を服《け》して、既に童女の姿になりて、女人《をみな》の中に交り立ちて、その室内《むろぬち》に入ります。ここに熊曾建《くまそたける》兄弟二人、その孃子を見|感《め》でて、おのが中に坐《ま》せて、盛に樂《うた》げつ。かれその酣《たけなは》なる時になりて、御懷より劒を出だし、熊曾《くまそ》が衣の矜《くび》[#「矜」はママ]九[#「九」は行右小書き]を取りて、劒もちてその胸より刺し通したまふ時に、その弟《おと》建《たける》見畏みて逃げ出でき。すなはちその室の椅《はし》一〇[#「一〇」は行右小書き]の本に追ひ至りて、背の皮を取り劒を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾建白して曰さく、「その刀をな動かしたまひそ。僕《やつこ》白すべきことあり」とまをす。ここに暫《しまし》許して押し伏せつ。ここに白して言さく、「汝《な》が命は誰そ」と白ししかば、「吾《あ》は纏向《まきむく》の日代《ひしろ》の宮にましまして、大八島國《おほやしまぐに》知《し》らしめす、大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の天皇の御子、名は倭男具那《やまとをぐな》の王なり。おれ熊曾建二人、伏《まつろ》はず、禮《ゐや》なしと聞こしめして、おれを取り殺《と》れと詔りたまひて、遣せり」とのりたまひき。ここにその熊曾建白さく、「信に然《しか》らむ。西の方に吾二人を除《お》きては、建《たけ》く強《こは》き人無し。然れども大倭《おほやまと》の國に、吾二人にまして建《たけ》き男は坐《いま》しけり。ここを以ちて吾、御名を獻らむ。今よ後一一[#「一一」は行右小書き]、倭建《やまとたける》の御子一二[#「一二」は行右小書き]と稱へまをさむ」とまをしき。この事|白《まを》し訖へつれば、すなはち熟苽《ほぞち》のごと一三[#「一三」は行右小書き]、振り拆《さ》きて殺したまひき。かれその時より御名を稱へて、倭建《やまとたける》の命とまをす。然ありて還り上ります時に、山の神河の神また穴戸《あなど》の神一四[#「一四」は行右小書き]をみな言向け和《やは》一五[#「一五」は行右小書き]してまゐ上りたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 なだめ乞う。 二 どんなふうになだめ乞うたのか。 三 朝早く。 四 手足。 五 クマソは地名で、クマの地(熊本縣)とソの地(鹿兒島縣)とを合わせ稱する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となつている。 六 男子少年の風俗。 七 父の妹に當る。 八 新築を祝う酒宴。 九 衣服の襟。 一〇 庭上におりる階段。 一一 今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ。 一二 日本書紀には、日本武の尊と書く。 一三 熟した瓜のように。 一四 海峽の神。 一五 平定しおだやかにして。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔出雲建《いづもたける》〕[#「〔出雲建〕」は小見出し]  すなはち出雲の國に入りまして一[#「一」は行右小書き]、その出雲《いづも》の國の建《たける》を殺《と》らむとおもほして、到りまして、すなはち結交《うるはしみ》したまひき。かれ竊に赤檮《いちひのき》もちて、詐刀《こだち》二[#「二」は行右小書き]を作りて、御|佩《はか》しとして、共に肥の河に沐《かはあみ》しき。ここに倭建《やまとたける》の命、河よりまづ上《あが》りまして、出雲建《いづもたける》が解き置ける横刀《たち》を取り佩かして、「易刀《たちかへ》せむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建河より上りて、倭建の命の詐刀《こだち》を佩きき。ここに倭建の命「いざ刀合《たちあ》はせむ」と誂《あとら》へたまふ。かれおのもおのもその刀を拔く時に、出雲建、詐刀《こだち》をえ拔かず、すなはち倭建の命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。ここに御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] やつめさす三[#「三」は行右小書き] 出雲建《いづもたける》が 佩ける刀《たち》、 黒葛《つづら》多《さは》纏《ま》き四[#「四」は行右小書き] さ身《み》無しにあはれ五[#「五」は行右小書き]。  (歌謠番號二四) [#ここで字下げ終わり]  かれかく撥《はら》ひ治めて、まゐ上りて、覆奏《かへりごと》まをしたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 この物語は日本書紀には出雲振根がその弟飯入根を殺した話になつている。 二 にせの刀。木刀。 三 枕詞。八雲立つの轉訛。日本書紀にはヤクモタツになつている。 四 柄や鞘に植物の蔓を澤山卷いてある。 五 刀身が無いことだ。アハレは感動を表示している。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔倭建の命の東征〕[#「〔倭建の命の東征〕」は小見出し]  ここに天皇、また頻《し》きて倭建《やまとたける》の命に、「東の方|十二道《とをまりふたみち》一[#「一」は行右小書き]の荒ぶる神、また伏《まつろ》はぬ人どもを、言向け和《やは》せ」と詔りたまひて、吉備《きび》の臣《おみ》等が祖、名は御鉏友耳建日子《みすきともみみたけひこ》を副へて遣す時に、比比羅木《ひひらぎ》の八尋矛《やひろぼこ》二[#「二」は行右小書き]を給ひき。かれ命を受けたまはりて、罷り行《い》でます時に、伊勢の大御神の宮に參りて、神の朝廷《みかど》三[#「三」は行右小書き]を拜みたまひき。すなはちその姨《みをば》倭《やまと》比賣の命に白したまひしくは、「天皇既に吾を死ねと思ほせか、何ぞ、西の方の惡《あら》ぶる人《ひと》どもを撃《と》りに遣して、返りまゐ上り來し間《ほど》、幾時《いくだ》もあらねば、軍衆《いくさびとども》をも賜はずて、今更に東の方の十二道の惡ぶる人どもを平《ことむ》けに遣す。これに因りて思へばなほ吾を既に死ねと思ほしめすなり」とまをして、患へ泣きて罷りたまふ時に、倭比賣の命、草薙《くさなぎ》の劒《たち》を賜ひ、また御嚢《みふくろ》を賜ひて、「もし急《とみ》の事あらば、この嚢《ふくろ》の口を解きたまへ」と詔りたまひき。  かれ尾張の國に到りまして、尾張の國の造が祖、美夜受《みやず》比賣の家に入りたまひき。すなはち婚《あ》はむと思ほししかども、また還り上りなむ時に婚はむと思ほして、期《ちぎ》り定めて、東の國に幸でまして、山河の荒ぶる神又は伏はぬ人どもを、悉に平《ことむ》け和《やは》したまひき。かれここに相武《さがむ》の國四[#「四」は行右小書き]に到ります時に、その國の造、詐《いつは》りて白さく、「この野の中に大きなる沼あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神五[#「五」は行右小書き]なり」とまをしき。ここにその神を看そなはしに、その野に入りましき。ここにその國の造、その野に火著けたり。かれ欺かえぬと知らしめして、その姨《みをば》倭比賣の命の給へる嚢《ふくろ》の口を解き開けて見たまへば、その裏《うち》に火打あり。ここにまづその御刀《みはかし》もちて、草を苅り撥《はら》ひ、その火打もちて火を打ち出で、向火《むかへび》を著けて六[#「六」は行右小書き]燒き退《そ》けて、還り出でまして、その國の造どもを皆切り滅し、すなはち火著けて、燒きたまひき。かれ今に燒遣《やきづ》七[#「七」は行右小書き]といふ。  そこより入り幸《い》でまして、走水《はしりみづ》の海八[#「八」は行右小書き]を渡ります時に、その渡の神、浪を興《た》てて、御船を𢌞《もとほ》して、え進み渡りまさざりき。ここにその后名は弟橘《おとたちばな》比賣の命九[#「九」は行右小書き]の白したまはく、「妾、御子に易《かは》りて海に入らむ。御子は遣さえし政遂げて、覆奏《かへりごと》まをしたまはね」とまをして、海に入らむとする時に、菅疊《すがだたみ》八重《やへ》、皮疊《かはだたみ》八重《やへ》、絁疊《きぬだたみ》八重《やへ》を波の上に敷きて一〇[#「一〇」は行右小書き]、その上に下りましき一一[#「一一」は行右小書き]。ここにその暴《あら》き浪おのづから伏《な》ぎて、御船え進みき。ここにその后の歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] さねさし一二[#「一二」は行右小書き] 相摸《さがむ》の小野《をの》に 燃ゆる火の 火《ほ》中に立ちて、 問ひし君はも。  (歌謠番號二五) [#ここで字下げ終わり]  かれ七日《なぬか》の後に、その后の御櫛《みぐし》海邊《うみべた》に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵《みはか》を作りて治め置きき一三[#「一三」は行右小書き]。  そこより入り幸《い》でまして、悉に荒ぶる蝦夷《えみし》ども一四[#「一四」は行右小書き]を言向け、また山河の荒ぶる神どもを平け和して、還り上りいでます時に、足柄《あしがら》の坂|下《もと》に到りまして、御|粮《かれひ》聞《きこ》し食《め》す處に、その坂の神、白き鹿《か》になりて來立ちき。ここにすなはちその咋《を》し遺《のこ》りの蒜《ひる》の片端もちて、待ち打ちたまへば、その目に中《あた》りて、打ち殺しつ。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまひしく、「吾嬬《あづま》はや」と詔りたまひき。かれその國に名づけて阿豆麻《あづま》といふなり。  すなはちその國より越えて、甲斐に出でて、酒折《さかをり》一五[#「一五」は行右小書き]の宮にまします時に歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 新治《にひばり》 筑波《つくは》一六[#「一六」は行右小書き]を過ぎて、幾夜か宿《ね》つる。  (歌謠番號二六) [#ここで字下げ終わり]  ここにその御火燒《みひたき》の老人《おきな》、御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、 [#ここから2字下げ] かがなべて一七[#「一七」は行右小書き] 夜には九夜《ここのよ》 日には十日を。  (歌謠番號二七) [#ここで字下げ終わり] と歌ひき。ここを以ちてその老人を譽めて、すなはち東《あづま》の國《くに》の造《みやつこ》一八[#「一八」は行右小書き]を給ひき。  その國より科野《しなの》の國一九[#「一九」は行右小書き]に越えまして、科野の坂二〇[#「二〇」は行右小書き]の神を言向けて、尾張の國に還り來まして、先の日に期《ちぎ》りおかしし美夜受《みやず》比賣のもとに入りましき。ここに大御食《おほみけ》獻る時に、その美夜受《みやず》比賣、大御|酒盞《さかづき》を捧げて獻りき。ここに美夜受《みやず》比賣、その襲《おすひ》二一[#「二一」は行右小書き]の襴《すそ》に月經《さはりのもの》著きたり。かれその月經を見そなはして、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] ひさかたの二二[#「二二」は行右小書き] 天《あめ》の香山《かぐやま》 利鎌《とかま》二三[#「二三」は行右小書き]に さ渡る鵠《くび》二四[#「二四」は行右小書き]、 弱細《ひはぼそ》二五[#「二五」は行右小書き] 手弱《たわや》腕《かひな》を 枕《ま》かむとは 吾《あれ》はすれど、 さ寢《ね》むとは 吾《あれ》は思《おも》へど、 汝《な》が著《け》せる 襲《おすひ》の襴《すそ》に 月立ちにけり。  (歌謠番號二八) [#ここで字下げ終わり]  ここに美夜受《みやず》比賣、御歌に答へて歌よみして曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 高光る 日の御子 やすみしし 吾《わ》が大君二六[#「二六」は行右小書き]、 あら玉の二七[#「二七」は行右小書き] 年が來經《きふ》れば、 あら玉の 月は來經往《きへゆ》く。 うべなうべな二八[#「二八」は行右小書き] 君待ちがたに二九[#「二九」は行右小書き]、 吾《わ》が著《け》せる 襲《おすひ》の裾《すそ》に 月立たなむよ三十[#「三十」は行右小書き]。  (歌謠番號二九) [#ここで字下げ終わり]  かれここに御合ひしたまひて、その御刀《みはかし》の草薙の劒《たち》を、その美夜受《みやず》比賣のもとに置きて、伊服岐《いぶき》の山三一[#「三一」は行右小書き]の神を取りに幸でましき。 [#ここから2字下げ] 一 九四頁[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]脚註參照。 二 ヒイラギの木の柄の長い桙。ヒイラギは葉の縁にトゲがあり魔物に對して威力があるとされる。 三 神が諸事を執り行われる所の意。 四 相模の國に同じ。神奈川縣の一部。 五 暴威を振う神。 六 こちらから火をつけて向うへ燒く。野火に逢つた時には手元からも火をつけて先に野を燒いてしまつて難を免れる方法である。 七 燒津とする傳えもある。靜岡縣の燒津町がその傳説地であるが、相武の國の事としているので問題が殘る。 八 浦賀水道から千葉縣に渡ろうとした。 九 日本書紀に穗積氏の女とする。 一〇 波の上に多くの敷物を敷いて。 一一 海上で風波の難にあうのは、その海の神が船中の人または物の類を欲するからで、その神の欲するものを海に入れれば風波がしずまるとする思想がある。そこで姫が皇子に代つて海に入つて風波をしずめたのである。 一二 枕詞。嶺が立つている義だろうとする。嶺は靜岡縣とすれば富士山、神奈川縣とすれば大山である。 一三 所在不明。浦賀市走水に走水神社があつて、倭建の命と弟橘姫とを祭る。 一四 アイヌ族をいう。 一五 山梨縣西山梨郡。 一六 共に茨城縣の地名。 一七 日を並べて。 一八 東方の國の長官。實際上はそのような廣大な土地の國の造を置かない。 一九 信濃の國。今の長野縣。 二〇 長野縣の伊那から岐阜縣の惠那に通ずる山路。木曾路は奈良時代になつて開通された。 二一 四四頁[#「四四頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]脚註參照。 二二 枕詞。語義不明。日のさす方か。 二三 鵠の渡る線の形容か。 二四 クビは、クグヒに同じ。コヒ、コフともいう。白鳥。但し杙の義とする説もある。以上、たわや腕の譬喩。 二五 よわよわとして細い。修飾句。 二六 以上、天皇または皇子をたたえる。光りかがやく太陽のような御子、天下を知ろしめすわが大君。ヤスミシシ、語義不明。 二七 枕詞。みがかない玉の意。ト(磨ぐ)に冠する。月に冠するのは轉用。 二八 ほんとにとうなずく意の語。底本にウベナウベナウベナとする。 二九 カタニは、不能の意の助動詞。萬葉集に多くカテニの形を取り、ここはその原形。 三十 當然そうなるだろうの語意と見られる。この語形は、普通願望の意を表示するに使用されるのに、ここに願望になつていないのは特例とされる。ヨは間投の助詞。 三一 滋賀縣と岐阜縣との堺にある高山。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔思國歌《くにしのひうた》〕[#「〔思國歌〕」は小見出し]  ここに詔りたまひしく、「この山の神は徒手《むなで》に直《ただ》に取りてむ一[#「一」は行右小書き]」とのりたまひて、その山に騰《のぼ》りたまふ時に、山の邊に白猪逢へり。その大きさ牛の如くなり。ここに言擧して二[#「二」は行右小書き]詔りたまひしく、「この白猪になれるは、その神の使者《つかひ》にあらむ。今|殺《と》らずとも、還らむ時に殺《と》りて還りなむ」とのりたまひて騰りたまひき。ここに大氷雨《おほひさめ》を零《ふ》らして、倭建の命を打ち惑はしまつりき。[#割り注]この白猪に化れるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身なりしを、言擧したまへるによりて、惑はさえつるなり。[#割り注終わり]かれ還り下りまして、玉倉部《たまくらべ》の清泉《しみづ》三[#「三」は行右小書き]に到りて、息ひます時に、御心やや寤《さ》めたまひき。かれその清泉《しみづ》に名づけて居寤《ゐさめ》の清泉《しみづ》といふ。  其處《そこ》より發《た》たして、當藝《たぎ》の野《の》四[#「四」は行右小書き]の上に到ります時に、詔りたまはくは、「吾が心、恆は虚《そら》よ翔《かけ》り行かむと念ひつるを五[#「五」は行右小書き]、今吾が足え歩かず、たぎたぎしく六[#「六」は行右小書き]なりぬ」とのりたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて當藝《たぎ》といふ。其地《そこ》よりややすこし幸でますに、いたく疲れませるに因りて、御杖を衝《つ》かして、ややに歩みたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて杖衝坂《つゑつきざか》七[#「七」は行右小書き]といふ。尾津の前《さき》八[#「八」は行右小書き]の一つ松のもとに到りまししに、先に、御食《みをし》せし時、其地《そこ》に忘らしたりし御刀《みはかし》、失《う》せずてなほありけり。ここに御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 尾張に 直《ただ》に向へる九[#「九」は行右小書き] 尾津の埼なる 一つ松、吾兄《あせ》を一〇[#「一〇」は行右小書き]。 一つ松 人にありせば、 大刀|佩《は》けましを 衣《きぬ》着せましを。 一つ松、吾兄を。  (歌謠番號三〇) [#ここで字下げ終わり]  其地より幸でまして、三重の村一一[#「一一」は行右小書き]に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の勾《まがり》一二[#「一二」は行右小書き]なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。  そこより幸でまして、能煩野《のぼの》一三[#「一三」は行右小書き]に到ります時に、國|思《しの》はして歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 倭《やまと》は 國のまほろば一四[#「一四」は行右小書き]、 たたなづく 青垣一五[#「一五」は行右小書き]、 山|隱《ごも》れる 倭し 美《うるは》し。  (歌謠番號三一) [#ここで字下げ終わり]  また、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 命の 全《また》けむ人は、 疊薦《たたみこも》一六[#「一六」は行右小書き] 平群《へぐり》の山一七[#「一七」は行右小書き]の 熊白檮《くまかし》が葉を 髻華《うず》に插せ一八[#「一八」は行右小書き]。その子。  (歌謠番號三二) [#ここで字下げ終わり]  この歌は思國歌《くにしのひうた》一九[#「一九」は行右小書き]なり。また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] はしけやし二〇[#「二〇」は行右小書き] 吾家《わぎへ》の方よ二一[#「二一」は行右小書き] 雲居起ち來も。  (歌謠番號三三) [#ここで字下げ終わり]  こは片歌二二[#「二二」は行右小書き]なり。この時御病いと急《にはか》になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 孃子《をとめ》の 床の邊《べ》に 吾《わ》が置きし つるぎの大刀二三[#「二三」は行右小書き]、 その大刀はや。  (歌謠番號三四) [#ここで字下げ終わり]  と歌ひ竟《を》へて、すなはち崩《かむあが》りたまひき。ここに驛使《はゆまづかひ》を上《たてまつ》りき。 [#ここから2字下げ] 一 退治しよう。 二 言い立てをして。 三 滋賀縣坂田郡の醒が井はその傳説地。 四 岐阜縣養老郡。 五 空中を飛んで行こうと思つたが。 六 びつこを引く形容。高かつたり低かつたりするさま。 七 三重縣三重郡。 八 三重縣桑名郡。サキは、海上陸上に限らず突出した地形をいう。ここは陸上。 九 じかに對している。 一〇 「あなたよ」という意の語で、歌詞を歌う時のはやしである。日本書紀には、アハレになつている。 一一 三重縣三重郡。 一二 餅米をこねて、ねじまげて作つた餅。 一三 三重縣鈴鹿郡。 一四 もつともすぐれたところ。マは接頭語。ロバは接尾語。日本書紀にマホラマ。 一五 重なり合つている青い垣。山のこと。 一六 枕詞。敷物にしたコモ(草の名)。ヘ(隔)に冠する。 一七 奈良縣生駒郡。 一八 美しい白檮の木の葉を頭髮にさせ。ウズは髮にさす飾。もと魔よけの信仰のためにさすもの。 一九 歌曲としての名。 二〇 愛すべき。愛しきに、助詞ヤシの接續したもの。ハシキヨシ、ハシキヤシともいう。 二一 わが家の方から。 二二 五音七音七音の三句の歌の稱。以上三首、日本書紀に景行天皇の御歌とする。 二三 普通ツルギは兩刃、タチは片刃の武器をいうが、嚴密な區別ではない。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔白鳥の陵〕[#「〔白鳥の陵〕」は小見出し]  ここに倭《やまと》にます后たち、また御子たちもろもろ下りきまして、御陵一[#「一」は行右小書き]を作りき。すなはち其地《そこ》のなづき田二[#「二」は行右小書き]に匍匐《はらば》ひ𢌞《もとほ》りて、哭《みねなか》しつつ歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] なづきの 田の稻幹《いながら》に、 稻幹《いながら》に 蔓《は》ひもとほろふ 薢葛《ところづら》三[#「三」は行右小書き]。  (歌謠番號三五) [#ここで字下げ終わり]  ここに八尋|白智鳥《しろちどり》四[#「四」は行右小書き]になりて、天翔《あまがけ》りて、濱に向きて飛びいでます。ここにその后たち御子たち、その小竹《しの》の苅杙《かりばね》五[#「五」は行右小書き]に、足切り破るれども、その痛みをも忘れて、哭きつつ追ひいでましき。この時、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 淺小竹原《あさじのはら》 腰《こし》なづむ六[#「六」は行右小書き]。 虚空《そら》は行かず、足よ行くな七[#「七」は行右小書き]。  (歌謠番號三六) [#ここで字下げ終わり]  またその海水《うしほ》に入りて、なづみ行《い》でます時、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 海が行けば 腰なづむ。 大河原の 植草《うゑぐさ》、 海がは いさよふ八[#「八」は行右小書き]。  (歌謠番號三七) [#ここで字下げ終わり]  また飛びてその磯に居たまふ時、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 濱つ千鳥 濱よ行かず九[#「九」は行右小書き] 磯傳ふ。  (歌謠番號三八) [#ここで字下げ終わり]  この四歌は、みなその御葬《みはふり》に歌ひき。かれ今に至るまで、その歌は天皇の大御葬《おほみはふり》に歌ふなり。かれその國より飛び翔り行でまして、河内の國の志幾《しき》一〇[#「一〇」は行右小書き]に留まりたまひき。かれ其地《そこ》に御陵を作りて、鎭まりまさしめき。すなはちその御陵に名づけて白鳥の御陵といふ。然れどもまた其地より更に天翔りて飛び行でましき。およそこの倭建の命、國|平《む》けに𢌞り行《い》でましし時、久米《くめ》の直《あたへ》が祖、名は七|拳脛《つかはぎ》、恆《つね》に膳夫《かしはで》として御伴仕へまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 能褒野の御陵。 二 御陵の周圍の田。 三 山の芋科の蔓草の蔓。譬喩で這いまつわる状を描く。 四 大きな白鳥。倭建の命の神靈が化したものとする。 五 小竹の刈つたあと。 六 腰が難澁する。 七 徒歩で行くよ。ナは感動の助詞。 八 ためらう。 九 濱からは行かないで。 一〇 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔倭建の命の系譜〕[#「〔倭建の命の系譜〕」は小見出し]  この倭建の命、伊玖米《いくめ》の天皇一[#「一」は行右小書き]が女、布多遲《ふたぢ》の伊理毘賣《いりびめ》の命に娶ひて生みませる御子《みこ》帶中津日子《たらしなかつひこ》の命二[#「二」は行右小書き]一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。またその海に入りましし弟橘《おとたちばな》比賣の命三[#「三」は行右小書き]に娶ひて生みませる御子、若建《わかたける》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また近《ちか》つ淡海《あふみ》の安《やす》の國の造の祖、意富多牟和氣《おほたむわけ》が女、布多遲《ふたぢ》比賣に娶ひて、生みませる御子、稻依別《いなよりわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また吉備《きび》の臣|建日子《たけひこ》が妹、大吉備《おほきび》の建《たけ》比賣に娶ひて、生みませる御子、建貝兒《たけかひこ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また山代の玖玖麻毛理《くくまもり》比賣に娶ひて生みませる御子、足鏡別《あしかがみわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。またある妾《みめ》の子《みこ》、息長田別《おきながたわけ》の王。およそこの倭建の命の御子たち、并はせて六柱。かれ帶中津日子《たらしなかつひこ》の命は、天の下治らしめしき。次に稻依別の王は、犬上の君、建部の君等が祖なり。次に建貝兒の王は、讚岐の綾の君、伊勢の別、登袁の別、麻佐の首、宮の首の別等が祖なり。足鏡別の王は鎌倉の別、小津の石代の別、漁田《すなきだ》の別が祖なり。次に息長田別《おきながたわけ》の王の子《みこ》、杙俣長日子《くひまたながひこ》の王。この王の子、飯野《いひの》の眞黒《まぐろ》比賣の命、次に息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣、次に弟比賣《おとひめ》三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。かれ上にいへる若建の王、飯野の眞黒比賣に娶ひて生みませる子、須賣伊呂大中《すめいろおほなか》つ日子《ひこ》の王。この王、淡海《あふみ》の柴野入杵《しばのいりき》が女、柴野比賣に娶ひて生みませる子、迦具漏《かぐろ》比賣の命。かれ大帶日子《おほたらしひこ》の天皇、この迦具漏比賣の命に娶ひて生みませる子、大江《おほえ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この王、庶妹《ままいも》銀《しろがね》の王に娶ひて生みませる子、大名方《おほながた》の王、次に大中《おほなか》つ比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれこの大中《おほなか》つ比賣の命は、香坂《かごさか》の王、忍熊《おしくま》の王の御祖なり。  この大帶日子《おほたらしひこ》の天皇の御年、一百三十七歳《ももちまりみそななつ》、御陵は山の邊の道の上四[#「四」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 垂仁天皇。 二 仲哀天皇。 三 この事、一一一頁[#「一一一頁」は「景行天皇・成務天皇」の「倭建の命の東征」]に出ている。 四 奈良縣磯城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔成務天皇〕[#「〔成務天皇〕」は小見出し]  若帶日子《わかたらしひこ》の天皇一[#「一」は行右小書き]、近つ淡海《あふみ》の志賀《しが》の高穴|穗《ほ》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、穗積《ほづみ》の臣等の祖、建忍山垂根《たけおしやまたりね》が女、名は弟財《おとたから》の郎女《いらつめ》に娶ひて、生みませる御子|和訶奴氣《わかぬけ》の王。かれ建内の宿禰を大臣《おほおみ》三[#「三」は行右小書き]として、大國小國四[#「四」は行右小書き]の國の造を定めたまひ、また國國の堺、また大縣小縣五[#「五」は行右小書き]の縣主を定めたまひき。  天皇、御年|九十五歳《ここのそぢまりいつつ》[#割り注]乙卯の年三月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は、沙紀《さき》の多他那美《たたなみ》六[#「六」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 成務天皇。 二 滋賀縣滋賀郡。 三 宮廷の臣中の最高の位置。この後、建内の宿禰の子孫がこれに任ぜられた。 四 諸國の意。 五 クニよりはアガタの方が小さい。 六 奈良縣生駒郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔六、仲哀天皇〕[#「〔六、仲哀天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  帶中《たらしなか》つ日子《ひこ》の天皇一[#「一」は行右小書き]、穴門《あなと》の豐浦《とよら》の宮二[#「二」は行右小書き]また筑紫《つくし》の訶志比《かしひ》の宮三[#「三」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、大江《おほえ》の王が女、大中津《おほなかつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、香坂《かごさか》の王、忍熊《おしくま》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また息長帶《おきながたらし》比賣の命四[#「四」は行右小書き]に娶ひたまひき。この太后の生みませる御子、品夜和氣《ほむやわけ》の命、次に大鞆和氣《おほともわけ》の命、またの名は品陀和氣《ほむだわけ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この太子《ひつぎのみこ》の御名、大鞆和氣《おほともわけ》の命と負はせる所以《ゆゑ》は、初め生れましし時に、鞆五[#「五」は行右小書き]なす宍《しし》、御腕《みただむき》に生ひき。かれその御名に著けまつりき。ここを以ちて腹|中《ぬち》にましまして國知らしめしき。この御世に、淡道《あはぢ》の屯家《みやけ》を定めたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 仲哀天皇。 二 山口縣豐浦郡。 三 福岡縣糟屋郡香椎町。 四 神功皇后。開化天皇の系統。九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]參照。母系の系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。 五 獸皮で球形に作り左の手につける。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔神功皇后〕[#「〔神功皇后〕」は小見出し]  その太后息長帶日賣の命は、當時《そのかみ》神|歸《よ》せ一[#「一」は行右小書き]したまひき。かれ天皇筑紫の訶志比《かしひ》の宮にましまして熊曾の國を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控《ひ》かして、建内の宿禰の大臣|沙庭《さには》二[#「二」は行右小書き]に居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神|歸《よ》せして、言教へ覺《さと》し詔りたまひつらくは、「西の方に國あり。金《くがね》銀《しろがね》をはじめて、目耀《まかがや》く種種《くさぐさ》の珍寶《うづたから》その國に多《さは》なるを、吾《あれ》今その國を歸《よ》せたまはむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き地《ところ》に登りて西の方を見れば、國は見えず、ただ大海のみあり」と白して、詐《いつは》りせす神と思ほして、御琴を押し退《そ》けて、控きたまはず、默《もだ》いましき。ここにその神いたく忿りて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず、汝は一道に向ひたまへ三[#「三」は行右小書き]」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく、「恐《かしこ》し、我が天皇《おほきみ》。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに控きいます。かれ、幾時《いくだ》もあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を擧げて見まつれば、既に崩《かむあが》りたまひつ。  ここに驚き懼《かしこ》みて、殯《あらき》の宮四[#「四」は行右小書き]にませまつりて、更に國の大幣《おほぬさ》を取りて五[#「五」は行右小書き]、生剥《いきはぎ》、逆剥《さかはぎ》、阿離《あはなち》、溝埋《みぞうみ》、屎戸《くそへ》、上通下通婚《おやこたはけ》、馬婚《うまたはけ》、牛婚《うしたはけ》、鷄婚《とりたはけ》、犬婚《いぬたはけ》の罪の類を種種《くさぐさ》求六[#「六」は行右小書き]ぎて、國の大|祓《はらへ》七[#「七」は行右小書き]して、また建内の宿禰|沙庭《さには》に居て、神の命《みこと》を請ひまつりき。ここに教へ覺したまふ状、つぶさに先《さき》の日の如くありて、「およそこの國は、汝命《いましみこと》の御腹にます御子の知らさむ國なり」とのりたまひき。  ここに建内の宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は何の御子ぞも」とまをせば、答へて詔りたまはく、「男子《をのこ》なり」と詔りたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかば、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また底筒《そこつつ》の男《を》、中筒《なかつつ》の男《を》、上筒《うはつつ》の男《を》三柱の大神八[#「八」は行右小書き]なり。[#割り注]この時にその三柱の大神の御名は顯したまへり。[#割り注終わり]今まことにその國を求めむと思ほさば、天《あま》つ神《かみ》地《くに》つ祇《かみ》、また山の神海河の神たちまでに悉に幣帛《ぬさ》奉り、我が御魂を御船の上にませて、眞木《まき》の灰を瓠《ひさご》に納九[#「九」は行右小書き]れ、また箸と葉盤《ひらで》一〇[#「一〇」は行右小書き]とを多《さは》に作りて、皆皆大海に散らし浮けて、度《わた》りますべし」とのりたまひき。  かれつぶさに教へ覺したまへる如くに、軍《いくさ》を整へ、船|雙《な》めて、度りいでます時に、海原の魚ども、大きも小きも、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風《おひかぜ》いたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれその御船の波、新羅《しらぎ》の國一一[#「一一」は行右小書き]に押し騰《あが》りて、既に國|半《なから》まで到りき。ここにその國主《こにきし》一二[#「一二」は行右小書き]、畏《お》ぢ惶《かしこ》みて奏《まを》して言《まを》さく、「今よ後、天皇《おほきみ》の命のまにまに、御馬甘《みまかひ》として、年の毎《は》に船|雙《な》めて船腹|乾《ほ》さず、柂檝《さをかぢ》乾さず、天地のむた、退《しぞ》きなく仕へまつらむ」とまをしき。かれここを以ちて、新羅《しらぎ》の國をば、御馬甘《みまかひ》と定めたまひ、百濟《くだら》の國一三[#「一三」は行右小書き]をば、渡《わた》の屯家《みやけ》一四[#「一四」は行右小書き]と定めたまひき。ここにその御杖を新羅《しらぎ》の國主《こにきし》の門《かなと》に衝き立てたまひ、すなはち墨江《すみのえ》の大神の荒御魂《あらみたま》一五[#「一五」は行右小書き]を、國守ります神と祭り鎭めて還り渡りたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 神靈をよせて教を受けること。 二 祭の場。 三 ひたすらに一つの方向に進め。 四 葬らない前に祭をおこなう宮殿。 五 穢が出來たので、それを淨めるために、その料として筑紫の一國から品物を取り立てる。その産物などである。 六 穢を生じたのは、種々の罪が犯されたからであるからまずその罪の類を求め出す。屎戸までは、岩戸の物語(三二頁[#「三二頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」])に出た。生剥逆剥は、馬の皮をむく罪。屎戸は、きたないものを清淨なるべき所に散らす罪。上通下通婚以下は、不倫の婚姻行爲。 七 一國をあげての罪穢を拂う行事をして。 八 住吉神社の祭神。二七頁[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。 九 木を燒いて作つた灰をヒサゴ(蔓草の實、ユウガオ、ヒョウタンの類)に入れて。これは魔よけのためと解せられる。 一〇 木の葉の皿。これは食物を與える意。 一一 當時朝鮮半島の東部を占めていた國。 一二 朝鮮語で王または貴人をいう。コニキシともコキシともいう。 一三 當時朝鮮半島の南部を占めていた國。 一四 渡海の役所。 一五 神靈の荒い方面。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔鎭懷石と釣魚〕[#「〔鎭懷石と釣魚〕」は小見出し]  かれその政いまだ竟へざる間《ほど》に、妊《はら》ませるが、産《あ》れまさむとしつ。すなはち御腹を鎭《いは》ひたまはむとして、石を取らして、御裳《みも》の腰に纏かして、筑紫《つくし》の國に渡りましてぞ、その御子は生《あ》れましつる。かれその御子の生れましし地に名づけて、宇美一[#「一」は行右小書き]といふ。またその御裳に纏《ま》かしし石は、筑紫の國の伊斗《いと》の村二[#「二」は行右小書き]にあり。  また筑紫の末羅縣《まつらがた》の玉島の里三[#「三」は行右小書き]に到りまして、その河の邊に御|食《をし》したまふ時に、四月《うづき》の上旬《はじめのころ》なりしを、ここにその河中の磯にいまして、御裳の絲を拔き取り、飯粒《いひぼ》を餌にして、その河の年魚《あゆ》を釣りたまひき。[#割り注]その河の名を小河といふ。またその磯の名を勝門比賣といふ。[#割り注終わり]かれ四月の上旬の時、女ども裳の絲を拔き、飯粒を餌にして、年魚《あゆ》釣ること今に至るまで絶えず。 [#ここから2字下げ] 一 福岡縣糟屋郡。 二 同糸島郡。萬葉集卷の五にこの石を詠んだ歌がある。 三 佐賀縣東松浦郡の玉島川。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔香坂《かごさか》の王と忍熊《おしくま》の王〕[#「〔香坂の王と忍熊の王〕」は小見出し]  ここに息長帶日賣の命、倭《やまと》に還り上ります時に人の心|疑《うたが》はしきに因りて、喪船を一つ具へて、御子をその喪船に載せまつりて、まづ「御子は既に崩りましぬ」と言ひ漏らさしめたまひき。かくして上りいでましし時に、香坂《かごさか》の王|忍熊《おしくま》の王聞きて、待ち取らむと思ほして、斗賀野《とがの》一[#「一」は行右小書き]に進み出でて、祈狩《うけひがり》二[#「二」は行右小書き]したまひき。ここに香坂《かごさか》の王、歴木《くぬぎ》に騰りいまして見たまふに、大きなる怒り猪出でて、その歴木《くぬぎ》を掘りて、すなはちその香坂《かごさか》の王を咋《く》ひ食《は》みつ。その弟忍熊の王、その態《しわざ》を畏《かしこ》まずして、軍を興し、待ち向ふる時に、喪船に赴《むか》ひて空《むな》し船《ふね》を攻めたまはむとす。ここにその喪船より軍を下して戰ひき。  その時|忍熊《おしくま》の王は、難波《なには》の吉師部《きしべ》が祖、伊佐比《いさひ》の宿禰を將軍《いくさのきみ》とし、太子《ひつぎのみこ》の御方には、丸邇《わに》の臣が祖、難波根子建振熊《なにはねこたけふるくま》の命を、將軍としたまひき。かれ追ひ退《そ》けて山代三[#「三」は行右小書き]に到りし時に、還り立ちておのもおのも退かずて相戰ひき。ここに建振熊の命|權《たばか》りて、「息長帶日賣の命は、既に崩りましぬ。かれ、更に戰ふべくもあらず」といはしめて、すなはち弓絃《ゆづら》を絶ちて、欺《いつは》りて歸服《まつろ》ひぬ。ここにその將軍既に詐りを信《う》けて、弓を弭《はづ》し、兵《つはもの》を藏めつ。ここに頂髮《たぎふさ》四[#「四」は行右小書き]の中より設《ま》けの弦《ゆづる》五[#「五」は行右小書き]を採《と》り出で更に張りて追ひ撃つ。かれ逢坂《あふさか》六[#「六」は行右小書き]に逃げ退きて、對《む》き立ちてまた戰ふ。ここに追ひ迫《せ》め敗りて、沙沙那美《ささなみ》七[#「七」は行右小書き]に出でて、悉にその軍を斬りつ。ここにその忍熊の王、伊佐比《いさひ》の宿禰と共に追ひ迫めらえて、船に乘り、海八[#「八」は行右小書き]に浮きて、歌よみして曰ひしく、 [#ここから2字下げ] いざ吾君《あぎ》九[#「九」は行右小書き]、 振熊《ふるくま》が 痛手負はずは、 鳰鳥《にほどり》一〇[#「一〇」は行右小書き]の 淡海の海一一[#「一一」は行右小書き]に 潛《かづ》きせなわ一二[#「一二」は行右小書き]。  (歌謠番號三九) [#ここで字下げ終わり] と歌ひて、すなはち海に入りて共に死《し》にき。 [#ここから2字下げ] 一 兵庫縣武庫郡。 二 神に誓つて狩をして、これによつて神意を窺う。ここでは凶兆であつた。 三 山城に同じ。 四 頭上にてつかねた髮。 五 用意の弓弦。 六 京都府と滋賀縣との堺の山。 七 琵琶湖の南方の地。 八 琵琶湖。 九 さああなた。 一〇 カイツブリ。水鳥。敍述による枕詞。 一一 琵琶湖。 一二 水にもぐりましよう。ナは自分の希望を現す助詞。ワは感動の助詞。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔氣比《けひ》の大神〕[#「〔氣比の大神〕」は小見出し]  かれ建内の宿禰の命、その太子《ひつぎのみこ》を率《ゐ》まつりて、御禊《みそぎ》一[#「一」は行右小書き]せむとして、淡海また若狹の國を經歴《めぐ》りたまふ時に、高志《こし》の前《みちのくち》の角鹿《つぬが》二[#「二」は行右小書き]に、假宮を造りてませまつりき。ここに其地《そこ》にます伊奢沙和氣《いざさわけ》の大神の命三[#「三」は行右小書き]、夜の夢《いめ》に見えて、「吾が名を御子の御名に易へまくほし」とのりたまひき。ここに言祷《ことほ》ぎて白さく、「恐し、命のまにまに、易へまつらむ」とまをす。またその神詔りたまはく、「明日《あす》の旦《あした》濱にいでますべし。易名《なかへ》の幣《みやじり》四[#「四」は行右小書き]獻らむ」とのりたまふ。かれその旦濱にいでます時に、鼻|毀《やぶ》れたる入鹿魚《いるか》、既に一浦に依れり。ここに御子、神に白さしめたまはく、「我に御食《みけ》の魚《な》給へり」とまをしたまひき。かれまたその御名をたたへて御食津《みけつ》大神とまをす。かれ今に氣比《けひ》の大神とまをす。またその入鹿魚《いるか》の鼻の血|臭《くさ》かりき。かれその浦に名づけて血浦といふ。今は都奴賀《つぬが》といふなり。 [#ここから2字下げ] 一 水によつて穢を拂う行事。既出。 二 越前の國の敦賀市。 三 同市氣比神宮の祭神。 四 名をとりかえたしるしの贈り物。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔酒樂《さかくら》の歌曲〕[#「〔酒樂の歌曲〕」は小見出し]  ここに還り上ります時に、その御祖《みおや》息長帶日賣の命、待酒一[#「一」は行右小書き]を釀みて獻りき。ここにその御祖、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] この御酒《みき》は わが御酒ならず。 酒《くし》の長《かみ》二[#「二」は行右小書き] 常世《とこよ》三[#「三」は行右小書き]にいます 石《いは》立《た》たす四[#「四」は行右小書き] 少名《すくな》御神五[#「五」は行右小書き]の、 神壽《かむほ》き 壽き狂《くる》ほし 豐壽《とよほ》き 壽きもとほし六[#「六」は行右小書き] 獻《まつ》り來《こ》し 御酒《みき》ぞ 乾《あ》さずをせ七[#「七」は行右小書き]。ささ八[#「八」は行右小書き]。  (歌謠番號四〇) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひたまひて、大御酒獻りき。ここに建内の宿禰の命、御子のために答へて歌ひして曰ひしく、 [#ここから2字下げ] この御酒を 釀《か》みけむ人は、 その鼓《つづみ》九[#「九」は行右小書き] 臼に立てて一〇[#「一〇」は行右小書き] 歌ひつつ 釀《か》みけれかも一一[#「一一」は行右小書き]、 舞ひつつ 釀《か》みけれかも、 この御酒の 御酒の あやに うた樂《だの》し一二[#「一二」は行右小書き]。ささ。  (歌謠番號四一) [#ここで字下げ終わり]  こは酒樂《さかくら》一三[#「一三」は行右小書き]の歌なり。  およそこの帶中津日子《たらしなかつひこ》の天皇の御年|五十二歳《いそぢまりふたつ》。[#割り注]壬戌の年六月十一日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内の惠賀《ゑが》の長江《ながえ》一四[#「一四」は行右小書き]にあり。皇后は御年一百歳にして崩りましき。狹城《さき》の楯列《たたなみ》の陵一五[#「一五」は行右小書き]に葬めまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 人を待つて飮む酒。 二 酒をつかさどる長官。原文「久志能加美」美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤。 三 永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡つたという。 四 石のように立つておいでになる。 五 スクナビコナに同じ。 六 祝い言をさまざまにして。 七 盃がかわかないようにつづけてめしあがれ。 八 はやし詞。 九 後世のツヅミの大きいもの。太鼓。 一〇 酒をかもす入れものとして。 一一 酒を作つたからか。疑問の已然條件法。 一二 大變にたのしい。 一三 歌曲の名。この二首、琴歌譜にもある。 一四 大阪府南河内郡。 一五 奈良縣生駒郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔七、應神天皇〕[#「〔七、應神天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  品陀和氣《ほむだわけ》の命一[#「一」は行右小書き]、輕島の明《あきら》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、品陀の眞若《まわか》の王三[#「三」は行右小書き]が女、三柱の女王《ひめみこ》に娶ひたまひき。一柱の御名は、高木の入日賣の命、次に中日賣の命、次に弟日賣の命。この女王たちの父、品陀の眞若の王は、五百木の入日子の命の、尾張の連の祖、建伊那陀の宿禰が女、志理都紀斗賣に娶ひて、生める子なり。  かれ高木の入日賣の御子、額田《ぬかだ》の大中《おほなか》つ日子《ひこ》の命、次に大山守《おほやまもり》の命、次に伊奢《いざ》の眞若の命、次に妹《いも》大原の郎女《いらつめ》、次に高目《たかもく》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。中日賣の命の御子、木《き》の荒田の郎女、次に大雀《おほさざき》の命四[#「四」は行右小書き]、次に根鳥《ねとり》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。弟日賣の命の御子、阿部の郎女、次に阿貝知《あはぢ》の三腹《みはら》の郎女、次に木の菟野《うの》の郎女、次に三野《みの》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》、次に妹|八田《やた》の若郎女、次に女鳥《めどり》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその矢河枝比賣が弟、袁那辨《をなべ》の郎女に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の若《わき》郎女一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また咋俣長日子《くひまたながひこ》の王が女、息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣に娶ひて、生みませる御子、若沼毛二俣《わかぬけふたまた》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また櫻井《さくらゐ》の田部《たべ》の連《むらじ》の祖、島垂根《しまたりね》が女、糸井《いとゐ》比賣に娶ひて、生みませる御子、速總別《はやぶさわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また日向《ひむか》の泉《いづみ》の長《なが》比賣に娶ひて、生みませる御子、大|羽江《はえ》の王《みこ》、次に小羽江《をはえ》の王、次に檣日《はたび》の若《わか》郎女三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また迦具漏《かぐろ》比賣に娶ひて生みませる御子、川原田《かはらだ》の郎女、次に玉の郎女、次に忍坂《おしさか》の大中《おほなか》つ比賣、次に登富志《とほし》の郎女、次に迦多遲《かたぢ》の王五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また葛城《かづらき》の野の伊呂賣《いろめ》に娶ひて、生みませる御子、伊奢《いざ》の麻和迦《まわか》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて二十六王《はたちまりむはしら》[#割り注]男王十一、女王十五。[#割り注終わり]この中に大雀の命は、天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 應神天皇。 二 奈良縣高市郡。 三 景行天皇の皇子。 四 仁徳天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔大山守の命と大雀の命〕[#「〔大山守の命と大雀の命〕」は小見出し]  ここに天皇、大山守の命と大雀の命とに問ひて詔りたまはく、「汝等《みましたち》は、兄なる子と弟なる子と、いづれか愛《は》しき」と問はしたまひき。[#割り注]天皇のこの問を發したまへる故は、宇遲の和紀郎子に天の下治らしめむ御心ましければなり。[#割り注終わり]ここに大山守の命白さく、「兄なる子を愛《は》しとおもふ」と白したまひき。次に大雀の命は、天皇の問はしたまふ大御心を知らして、白さく、「兄なる子は、既に人となりて、こは悒《いぶせ》きこと無きを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「雀《さざき》、吾君《あぎ》の言《こと》ぞ、我が思ほすが如くなる」とのりたまひき。すなはち詔り別けたまひしくは、「大山守の命は、山海《うみやま》の政をまをしたまへ一[#「一」は行右小書き]。大雀の命は、食國《おすくに》の政執りもちて白したまへ二[#「二」は行右小書き]。宇遲《うぢ》の和紀《わき》郎子は、天つ日繼知らせ三[#「三」は行右小書き]」と詔り別けたまひき。かれ大雀の命は、大君の命《みこと》に違《たが》ひまつらざりき。 [#ここから2字下げ] 一 海山に關する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林の事を支配する部族が、そのおこりを語るのである。 二 天下の政治をおこないたまえ。 三 天皇の位につきたまえ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔葛野《かづの》の歌〕[#「〔葛野の歌〕」は小見出し]  或る時天皇、近つ淡海《あふみ》の國一[#「一」は行右小書き]に越え幸でましし時、宇遲野《うぢの》二[#「二」は行右小書き]の上に御立《みたち》して、葛野《かづの》三[#「三」は行右小書き]を望《みさ》けまして、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 千葉の四[#「四」は行右小書き] 葛野《かづの》を見れば、 百千足《ももちだ》る 家庭《やには》も見ゆ五[#「五」は行右小書き]。 國の秀《ほ》も六[#「六」は行右小書き]見ゆ。  (歌謠番號四二) [#ここで字下げ終わり] と歌ひたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 滋賀縣。 二 京都府宇治郡。 三 京都市。今の桂川の平野。 四 枕詞。葉の多い意で、葛に冠する。 五 澤山充實している村邑も見える。ヤニハは、家屋のある平地。 六 國土のすぐれている所も見える。クニノホは、「國のまほろば」の接頭語接尾語の無い形。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔蟹の歌〕[#「〔蟹の歌〕」は小見出し]  かれ木幡《こはた》の村一[#「一」は行右小書き]に到ります時に、その道衢《ちまた》に、顏|美《よ》き孃子遇へり。ここに天皇、その孃子に問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく、「丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》二[#「二」は行右小書き]が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣」とまをしき。天皇すなはちその孃子に詔りたまはく、「吾|明日《あすのひ》還りまさむ時、汝《いまし》の家に入りまさむ」と詔りたまひき。かれ矢河枝比賣、委曲《つぶさ》にその父に語りき。ここに父答へて曰はく、「こは大君にますなり。恐《かしこ》し、我《あ》が子仕へまつれ」といひて、その家を嚴飾《かざ》りて、候《さもら》ひ待ちしかば、明日《あすのひ》入りましき。かれ大|御饗《みあへ》獻《たてまつ》る時に、その女|矢河枝《やかはえ》比賣の命に大御酒盞を取らしめて獻る。ここに天皇、その大御酒盞を取らしつつ、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] この蟹《かに》や三[#「三」は行右小書き] 何處《いづく》の蟹。 百傳ふ四[#「四」は行右小書き] 角鹿《つぬが》の蟹。 横《よこ》さらふ五[#「五」は行右小書き] 何處に到る。 伊知遲《いちぢ》島 美《み》島六[#「六」は行右小書き]に著《と》き、 鳰鳥《みほどり》の七[#「七」は行右小書き] 潛《かづ》き息衝き、 しなだゆふ八[#「八」は行右小書き] 佐佐那美道《ささなみぢ》を すくすくと 吾《わ》が行《い》ませばや、 木幡《こはた》の道に 遇はしし孃子《をとめ》、 後方《うしろで》は 小楯《をだて》ろかも九[#「九」は行右小書き]。 齒並《はなみ》は 椎菱《しひひし》なす一〇[#「一〇」は行右小書き]。 櫟井《いちゐ》の一一[#「一一」は行右小書き] 丸邇坂《わにさ》の土《に》を、 初土《はつに》は一二[#「一二」は行右小書き] 膚赤らけみ 底土《しはに》は に黒き故、 三栗《みつぐり》の一三[#「一三」は行右小書き] その中つ土《に》を 頭著《かぶつ》く一四[#「一四」は行右小書き] 眞火には當てず 眉畫《まよが》き 濃《こ》に書き垂れ 遇はしし女《をみな》。 かもがと一五[#「一五」は行右小書き] 吾《わ》が見し兒ら かくもがと 吾《あ》が見し兒に うたたけだに一六[#「一六」は行右小書き] 向ひ居《を》るかも い副《そ》ひ居るかも。  (歌謠番號四三) [#ここで字下げ終わり]  かくて御合《みあひ》まして、生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》なり。 [#ここから2字下げ] 一 京都府乙訓郡。 二 丸邇氏は、奈良の春日に居住して富み榮え、しばしばその女を皇室に納れている。古事記の歌物語の多くが、この氏と關係がある。後に春日氏となつた。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義君にその研究がある。 三 ヤは提示の助詞。蟹は鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮裝して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において、歌うのでこれもその一つをもととしている。 四 枕詞。多くの土地を傳い行く意という。 五 横あるきをして。 六 いずれも所在不明。 七 枕詞。ニホドリノに同じ。 八 枕詞。段になつて撓んでいる意という。 九 うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。 一〇 椎のみや菱のようだ。諸説がある。 一一 イチヒの木の立つ井のある。 一二 上の方の土。 一三 枕詞。 一四 頭にあたる。 一五 かようにありたいと。現に今あるようにと。次のかくもがとも同じ。 一六 語義不明。ウタタ(轉)を含むとすれば、その副詞形で、轉じて、今は變わつての意になる。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔髮長比賣〕[#「〔髮長比賣〕」は小見出し]  天皇、日向の國の諸縣《もらがた》の君が女、名は髮長《かみなが》比賣それ顏容麗美《かほよ》しと聞こしめして、使はむとして、喚《め》し上げたまふ時に、その太子《ひつぎのみこ》大雀の命、その孃子《をとめ》の難波津に泊《は》てたるを見て、その姿容《かたち》の端正《うつくしき》に感《め》でたまひて、すなはち建内《たけしうち》の宿禰《すくね》の大臣に誂《あとら》へてのりたまはく、「この日向より喚《め》し上げたまへる髮長《かみなが》比賣は、天皇の大|御所《みもと》に請ひ白して、吾《あれ》に賜はしめよ」とのりたまひき。ここに建内の宿禰の大臣、大命《おほみこと》を請ひしかば、天皇すなはち髮長《かみなが》比賣をその御子に賜ひき。賜ふ状は、天皇の豐《とよ》の明《あかり》聞こしめしける日一[#「一」は行右小書き]に、髮長比賣に大御酒の柏《かしは》を取二[#「二」は行右小書き]らしめて、その太子に賜ひき。ここに御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] いざ子ども三[#「三」は行右小書き] 野蒜《のびる》摘みに、 蒜《ひる》摘みに わが行く道の 香ぐはし 花橘《はなたちばな》は、 上枝《ほつえ》は 鳥居|枯《が》らし、 下枝《しづえ》は 人取り枯《が》らし、 三栗の 中つ枝の ほつもり四[#「四」は行右小書き] 赤ら孃子を、 いざささば五[#「五」は行右小書き] 好《よ》らしな。  (歌謠番號四四) [#ここで字下げ終わり]  また、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 水|渟《たま》る六[#「六」は行右小書き] 依網《よさみ》の池七[#「七」は行右小書き]の 堰杙《ゐぐひ》打ち八[#「八」は行右小書き]が 刺しける知らに九[#「九」は行右小書き]、 蒪《ぬなは》繰《く》り 延《は》へけく一〇[#「一〇」は行右小書き]知らに、 吾が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき。  (歌謠番號四五) [#ここで字下げ終わり] と、かく歌ひて賜ひき。かれその孃子を賜はりて後に、太子《ひつぎのみこ》の歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 道の後《しり》一一[#「一一」は行右小書き] 古波陀孃子《こはだをとめ》一二[#「一二」は行右小書き]を、 雷《かみ》のごと 聞えしかども 相枕《あひまくら》纏《ま》く。  (歌謠番號四六) [#ここで字下げ終わり]  また、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 道の後 古波陀孃子は、 爭はず 寢しくをしぞも一三[#「一三」は行右小書き]、 愛《うるは》しみ思《おも》ふ。  (歌謠番號四七) [#ここで字下げ終わり] と歌ひたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 酒宴をなされた日。 二 廣い葉に酒を盛つた。 三 さあ皆の者。子どもは目下の者をいう。 四 語義不明。秀つ守りで、高く守つている意か。目立つてよい意に赤ら孃子を修飾するのだろう。日本書紀にはフホゴモリとある。 五 さあなされたら。ササは、動詞爲の敬語の未然形だろう。動詞|寢《ぬ》の敬語をナスという類。 六 敍述による枕詞。 七 大阪市東成區。 八 その池の水をたたえるヰのクヒをうつてあるのが。 九 ニは打消の助動詞ヌの連用形。 一〇 のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上譬喩で、太子の思いがなされていたことをえがく。 一一 遠い土地の。 一二 コハダは日向の國の地名だろう。 一三 寢たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔國主歌《くずうた》〕[#「〔國主歌〕」は小見出し]  また、吉野《えしの》の國主《くず》一[#「一」は行右小書き]ども、大雀の命の佩《は》かせる御刀を見て、歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 品陀《ほむだ》の 日の御子二[#「二」は行右小書き]、 大雀《おほさざき》 大雀。 佩かせる大刀、 本劍《もとつるぎ》 末《すゑ》ふゆ三[#「三」は行右小書き]。 冬木の すからが下《した》木の四[#「四」は行右小書き] さやさや五[#「五」は行右小書き]。  (歌謠番號四八) [#ここで字下げ終わり]  また、吉野の白檮《かし》の生《ふ》六[#「六」は行右小書き]に横臼《よくす》七[#「七」は行右小書き]を作りて、その横臼に大御酒《おほみき》を釀《か》みて、その大御酒を獻る時に、口鼓《くちつづみ》を撃ち八[#「八」は行右小書き]、伎《わざ》をなして九[#「九」は行右小書き]、歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 白檮《かし》の生《ふ》に 横臼《よくす》を作り、 横臼に 釀《か》みし大御酒、 うまらに 聞こしもちをせ一〇[#「一〇」は行右小書き]。 まろが父《ち》一一[#「一一」は行右小書き]。  (歌謠番號四九) [#ここで字下げ終わり]  この歌は、國主《くず》ども大|贄《にへ》獻る時時、恆に今に至るまで歌ふ歌なり。 [#ここから2字下げ] 一 吉野山中の住民。七六頁[#「七六頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に國巣とある。 二 應神天皇の皇子樣。 三 劒の刃先が威力を現している。 四 冬の木の枯れている木の下の。この二句、種々の説がある。 五 劒の清明であるのをたたえた語。 六 白檮の生えているところ。 七 たけの低い臼。その臼で材料をついて酒をかもす。 八 太鼓のような聲を出して。 九 手ぶり物まねなどして。 一〇 うまそうに召しあがれ。ヲセは、食すの命令形。 一一 われらが父よ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔文化の渡來〕[#「〔文化の渡來〕」は小見出し]  この御世に、海部《あまべ》、山部《やまべ》、山守部《やまもりべ》、伊勢部《いせべ》一[#「一」は行右小書き]を定めたまひき。また劒の池二[#「二」は行右小書き]を作りき。また新羅人《しらぎひと》まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き率《ゐ》て、堤の池に渡りて三[#「三」は行右小書き]、百濟《くだら》の池四[#「四」は行右小書き]を作りき。  また百濟の國主《こにきし》照古《せうこ》王五[#「五」は行右小書き]、牡馬《をま》壹疋《ひとつ》、牝馬《めま》壹疋を、阿知吉師《あちきし》六[#「六」は行右小書き]に付けて貢《たてまつ》りき。この阿知吉師は阿直《あち》の史等が祖なり。また大刀と大鏡とを貢りき。また百濟の國に仰せたまひて、「もし賢《さか》し人あらば貢れ」とのりたまひき。かれ命を受けて貢れる人、名は和邇吉師《わにきし》、すなはち論語|十卷《とまき》、千字文七[#「七」は行右小書き]一卷、并はせて十一卷《とをまりひとまき》を、この人に付けて貢りき。この和爾吉師は文の首等が祖なり。また手人|韓鍛《からかぬち》八[#「八」は行右小書き]名は卓素《たくそ》、また呉服《くれはとり》西素《さいそ》九[#「九」は行右小書き]二人を貢りき。また秦《はた》の造《みやつこ》の祖、漢《あや》の直《あたへ》の祖、また酒《みき》を釀《か》むことを知れる人、名は仁番《にほ》、またの名は須須許理《すすこり》等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒を釀《か》みて獻りき。ここに天皇、この獻れる大御酒にうらげて一〇[#「一〇」は行右小書き]、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 須須許理が 釀《か》みし御酒に われ醉ひにけり。 事|無酒咲酒《なぐしゑぐし》一一[#「一一」は行右小書き]に、われ醉ひにけり。  (歌謠番號五〇) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひつつ幸でましし時に、御杖もちて、大坂一二[#「一二」は行右小書き]の道中なる大石を打ちたまひしかば、その石走り避《さ》りき。かれ諺に堅石《かたしは》も醉人《ゑひびと》を避《さ》るといふなり。 [#ここから2字下げ] 一 以上、大山守の命に命じたことをいう。但し物語とは別の資料によつたのだろう。 二 奈良縣高市郡。既出。別傳か、修理か。 三 不明瞭で諸説がある。 四 奈良縣北葛城郡。 五 百濟の第十三代の近肖古王。 六 キシは尊稱。下同じ。日本書紀に阿直支《あちき》。 七 廣く行われている周興嗣次韵の千字文はまだ出來ていなかつた。 八 工人である朝鮮の鍛冶人。 九 大陸風の織物工の西素という人。 一〇 浮かれ立つて。 一一 事の無い愉快な酒。クシは酒。 一二 二上山を越える道。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔大山守の命と宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》〕[#「〔大山守の命と宇遲の和紀郎子〕」は小見出し]  かれ天皇|崩《かむあが》りましし後に、大雀の命は、天皇の命のまにまに、天の下を宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。ここに大山守の命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むとして、その弟皇子《おとみこ》を殺さむとする心ありて、竊《みそか》に兵《つはもの》を設《ま》けて攻めむとしたまひき。ここに大雀の命、その兄の軍を備へたまふことを聞かして、すなはち使を遣して、宇遲の和紀郎子に告げしめたまひき。かれ聞き驚かして、兵を河の邊《べ》に隱し、またその山の上に、絁垣《きぬがき》一[#「一」は行右小書き]を張り、帷幕《あげばり》二[#「二」は行右小書き]を立てて、詐りて、舍人《とねり》を王になして、露《あらは》に呉床《あぐら》にませて、百官《つかさづかさ》、敬《ゐやま》ひかよふ状、既に王子のいまし所の如くして、更にその兄王の河を渡りまさむ時のために、船|檝《かぢ》を具へ飾り、また佐那葛《さなかづら》三[#「三」は行右小書き]の根を臼搗《うすづ》き、その汁の滑《なめ》を取りて、その船の中の簀椅《すばし》に塗りて、蹈みて仆るべく設《ま》けて、その王子は、布《たへ》の衣褌《きぬはかま》を服《き》て、既に賤人《やつこ》の形になりて、檝《かぢ》を取りて立ちましき。ここにその兄王、兵士《いくさびと》を隱し伏せ、鎧を衣の中に服《き》せて、河の邊に到りて、船に乘らむとする時に、その嚴飾《かざ》れる處を望《みさ》けて、弟王その呉床《あぐら》にいますと思ほして、ふつに檝《かぢ》を取りて船に立ちませることを知らず、すなはちその檝執れる者に問ひたまはく、「この山に怒れる大猪ありと傳《つて》に聞けり。吾その猪を取らむと思ふを、もしその猪を獲むや」と問ひたまへば、檝執れる者答へて曰はく、「得たまはじ」といひき。また問ひたまはく、「何とかも」と問ひたまへば、答へたまはく「時時《よりより》往往《ところどころ》にして、取らむとすれども得ず。ここを以ちて得たまはじと白すなり」といひき。渡りて河中に到りし時に、その船を傾《かたぶ》けしめて、水の中に墮し入れき。ここに浮き出でて、水のまにまに流れ下りき。すなはち流れつつ歌よみしたまひしく四[#「四」は行右小書き]、 [#ここから2字下げ] ちはやぶる五[#「五」は行右小書き] 宇治の渡に、 棹取りに 速《はや》けむ人し わが伴《もこ》に來《こ》む六[#「六」は行右小書き]。  (歌謠番號五一) [#ここで字下げ終わり] と歌ひき。ここに河の邊に伏し隱れたる兵、彼廂此廂《あなたこなた》、一時《もろとも》に興りて、矢刺して流しき。かれ訶和羅《かわら》の前《さき》七[#「七」は行右小書き]に到りて沈み入りたまふ。かれ鉤《かぎ》を以ちて、その沈みし處を探りしかば、その衣の中なる甲《よろひ》に繋《か》かりて、かわらと鳴りき。かれ其所《そこ》に名づけて訶和羅の前といふなり。ここにその骨《かばね》を掛き出だす時に、弟王、御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] ちはや人八[#「八」は行右小書き] 宇治の渡に、 渡瀬《わたりぜ》に立てる 梓弓《あづさゆみ》檀《まゆみ》九[#「九」は行右小書き]。 いきらむと一〇[#「一〇」は行右小書き] 心は思《も》へど、 い取らむと 心は思《も》へど、 本方《もとべ》一一[#「一一」は行右小書き]は 君を思ひ出《で》、 末方《すゑへ》一二[#「一二」は行右小書き]は 妹を思ひ出《で》、 いらなけく一三[#「一三」は行右小書き] そこに思ひ出《で》、 愛《かな》しけく ここに思ひ出《で》、 いきらずぞ來《く》る。梓弓檀。  (歌謠番號五二) [#ここで字下げ終わり]  かれその大山守の命の骨は、那良《なら》山に葬《をさ》めき。この大山守の命は土形《ひぢかた》の君、幣岐《へき》の君、榛原《はりはら》の君等が祖なり。  ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人《あま》大|贄《にへ》を貢りつ。ここに兄は辭《いな》びて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に許多《あまた》の日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、海人《あま》は既に往還《ゆきき》に疲れて泣けり。かれ諺に、「海人《あま》なれや、おのが物から音《ね》泣く一四[#「一四」は行右小書き]」といふ。然れども宇遲の和紀郎子は早く崩《かむさ》りましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 荒い絹の幕。 二 あげて張つた幕。天幕。 三 ビナンカズラ。 四 流れながら歌つたというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿聟入りの話があり、聟の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。 五 枕詞。威力をふるう。ここは宇治川が急流なのでいう。 六 自分のなかまに來てくれ。 七 所在不明。 八 枕詞。つよい人。地名のウヂが、元來威力を意味する語なのであろう。 九 梓弓と檀弓。アヅサはアカメガシハ。マユミはヤマニシキギ。共に弓材になる樹。 一〇 イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。 一一 弓の下の方。 一二 弓の上の方。 一三 心のいらいらする形容。 一四 海人だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐り易いからだという。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔天《あめ》の日矛《ひぼこ》〕[#「〔天の日矛〕」は小見出し]  また昔|新羅《しらぎ》の國主《こにきし》の子、名は天《あめ》の日矛《ひぼこ》といふあり一[#「一」は行右小書き]。この人まゐ渡り來つ。まゐ渡り來つる故は、新羅の國に一つの沼あり、名を阿具沼《あぐぬま》といふ。この沼の邊に、ある賤の女晝寢したり。ここに日の耀《ひかり》虹《のじ》のごと、その陰上《ほと》に指したるを、またある賤の男、その状を異《あや》しと思ひて、恆にその女人《をみな》の行を伺ひき。かれこの女人、その晝寢したりし時より、姙みて、赤玉を生みぬ二[#「二」は行右小書き]。ここにその伺へる賤の男、その玉を乞ひ取りて、恆に裹《つつ》みて腰に著けたり。この人、山谷《たに》の間に田を作りければ、耕人《たひと》どもの飮食《をしもの》を牛に負せて、山谷《たに》の中に入るに、その國主《こにきし》の子|天《あめ》の日矛《ひぼこ》に遇ひき。ここにその人に問ひて曰はく、「何《な》ぞ汝《いまし》飮食を牛に負せて山谷《たに》の中に入る。汝《いまし》かならずこの牛を殺して食ふならむ」といひて、すなはちその人を捕へて、獄内《ひとや》に入れむとしければ、その人答へて曰はく、「吾、牛を殺さむとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」といふ。然れどもなほ赦さざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その國主《こにきし》の子に幣《まひ》しつ。かれその賤の夫を赦して、その玉を持ち來て、床の邊《べ》に置きしかば、すなはち顏美き孃子になりぬ。仍《よ》りて婚《まぐはひ》して嫡妻《むかひめ》とす。ここにその孃子、常に種種の珍《ため》つ味《もの》を設けて、恆にその夫《ひこぢ》に食はしめき。かれその國主《こにきし》の子心奢りて、妻《め》を詈《の》りしかば、その女人の言はく、「およそ吾は、汝《いまし》の妻《め》になるべき女にあらず。吾が祖《みおや》の國に行かむ」といひて、すなはち竊《しの》びて小《を》船に乘りて、逃れ渡り來て、難波に留まりぬ。[#割り注]こは難波の比賣碁曾の社三[#「三」は行右小書き]にます阿加流比賣といふ神なり。[#割り注終わり]  ここに天の日矛、その妻《め》の遁れしことを聞きて、すなはち追ひ渡り來て、難波に到らむとする間《ほど》に、その渡の神|塞《さ》へて入れざりき。かれ更に還りて、多遲摩《たぢま》の國四[#「四」は行右小書き]に泊《は》てつ。すなはちその國に留まりて、多遲摩の俣尾《またを》が女、名は前津見《まへつみ》に娶《あ》ひて生める子、多遲摩|母呂須玖《もろすく》。これが子多遲摩|斐泥《ひね》。これが子多遲摩|比那良岐《ひならき》。これが子多遲摩|毛理《もり》五[#「五」は行右小書き]、次に多遲摩|比多訶《ひたか》、次に清日子《きよひこ》三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この清日子、當摩《たぎま》の咩斐《めひ》に娶ひて生める子、酢鹿《すが》の諸男《もろを》、次に妹|菅竈由良度美《すがかまゆらどみ》、かれ上にいへる多遲摩比多訶、その姪由良度美に娶ひて生める子、葛城《かづらき》の高額《たかぬか》比賣の命。[#割り注]こは息長帶比賣六[#「六」は行右小書き]の命の御祖なり。[#割り注終わり]  かれその天の日矛の持ち渡り來つる物は、玉《たま》つ寶《たから》といひて、珠二|貫《つら》七[#「七」は行右小書き]、また浪《なみ》振《ふ》る比禮《ひれ》、浪《なみ》切《き》る比禮、風振る比禮、風切る比禮八[#「八」は行右小書き]、また奧《おき》つ鏡、邊《へ》つ鏡九[#「九」は行右小書き]、并はせて八種なり。[#割り注]こは伊豆志の八前の大神一〇[#「一〇」は行右小書き]なり。[#割り注終わり] [#ここから2字下げ] 一 日本書紀に垂仁天皇の卷に見え、播磨國風土記に、葦原シコヲの命との交渉を記している。 二 卵生説話の一。その玉が孃子に化したとする。この點からいえば神婚説話であつて、外來の形を傳えていると見られるのが注意される。 三 大阪市東成區。 四 兵庫縣の北部。 五 垂仁天皇の御代に常世の國に行つて橘を持つて來た人。一〇四頁[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「時じくの香の木の實」]參照。 六 神功皇后。 七 珠を緒に貫いたもの二つ。 八 以上四種のヒレは、風や波を起しまたしずめる力のあるもの。浪振るは浪を起す。浪切るは浪をしずめる。風も同樣。ヒレについては四二頁[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]脚註參照。 九 二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海邊。 一〇 兵庫縣出石郡の出石神社。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔秋山の下氷壯夫《したびをとこ》と春山の霞壯夫〕[#「〔秋山の下氷壯夫と春山の霞壯夫〕」は小見出し]  かれここに神の女一[#「一」は行右小書き]、名は伊豆志袁登賣《いづしをとめ》の神二[#「二」は行右小書き]います。かれ八十神、この伊豆志袁登賣を得むとすれども、みなえ婚《よば》はず。ここに二柱の神あり。兄の名を秋山の下氷壯夫《したびをとこ》三[#「三」は行右小書き]、弟の名は春山の霞壯夫《かすみをとこ》なり。かれその兄、その弟に謂ひて、「吾、伊豆志袁登賣を乞へども、え婚はず。汝《いまし》この孃子を得むや」といひしかば答へて曰はく、「易く得む」といひき。ここにその兄の曰はく、「もし汝、この孃子を得ることあらば、上下の衣服《きもの》を避《さ》四[#「四」は行右小書き]り、身の高《たけ》を量りて甕《みか》に酒を釀《か》み五[#「五」は行右小書き]、また山河の物を悉に備へ設けて、うれづく六[#「六」は行右小書き]をせむ」といふ。ここにその弟、兄のいへる如、つぶさにその母に白ししかば、すなはちその母、ふぢ葛《かづら》七[#「七」は行右小書き]を取りて、一夜の間《ほど》に、衣《きぬ》、褌《はかま》、また襪《したぐつ》八[#「八」は行右小書き]、沓《くつ》を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣褌等を服しめ、その弓矢を取らしめて、その孃子の家に遣りしかば、その衣服も弓矢も悉に藤の花になりき。ここにその春山の霞壯夫、その弓矢を孃子の厠に繋けたるを、ここに伊豆志袁登賣、その花を異《あや》しと思ひて、持ち來る時に、その孃子の後に立ちて、その屋に入りて、すなはち婚《まぐはひ》しつ九[#「九」は行右小書き]。かれ一人の子を生みき。  ここにその兄に白して曰はく、「吾《あ》は伊豆志袁登賣を得つ」といふ。ここにその兄、弟の婚ひつることを慨《うれた》みて、そのうれづくの物を償はざりき。ここにその母に愁へ白す時に、御祖の答へて曰はく、「我が御世の事、能くこそ神習はめ一〇[#「一〇」は行右小書き]。またうつしき青人草習へや、その物償はぬ一一[#「一一」は行右小書き]」といひて、その兄なる子を恨みて、すなはちその伊豆志河《いづしかは》の河島の一|節竹《よだけ》一二[#「一二」は行右小書き]を取りて、八《や》つ目《め》の荒籠《あらこ》一三[#「一三」は行右小書き]を作り、その河の石を取り、鹽に合へて一四[#「一四」は行右小書き]、その竹の葉に裹み、詛言《とこひい》はしめしく一五[#「一五」は行右小書き]、「この竹葉《たかば》の青むがごと、この竹葉の萎《しな》ゆるがごと、青み萎えよ。またこの鹽の盈《み》ち乾《ふ》るがごと、盈ち乾《ひ》よ。またこの石の沈むがごと、沈み臥せ」とかく詛《とこ》ひて、竈《へつひ》の上に置かしめき。ここを以ちてその兄八年の間に干《かわ》き萎え病み枯れき。かれその兄患へ泣きて、その御祖に請ひしかば、すなはちその詛戸《とこひど》一六[#「一六」は行右小書き]を返さしめき。ここにその身本の如くに安平《やすら》ぎき。[#割り注]こは神うれづくといふ言の本なり。[#割り注終わり] [#ここから2字下げ] 一 出石の神が通つて生んだ女子。 二 イヅシは地名、前項參照。 三 シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」(萬葉集)。秋の美を名とした男。春山の霞壯夫と對立する。 四 上下の衣服をぬいで讓り。 五 身長と同じ高さの瓶に酒をかもして。 六 賭事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(賭づく)などのヅクで、それに就く意。占いごとで、成るか成らぬかを賭けたのである。 七 藤の蔓。 八 沓の中にはくもの。クツシタ。 九 藤の花が男子に化して婚姻した形になり神婚説話になる。 一〇 われわれの世界では、よく神の行爲に習うべきである。 一一 現實の人間にならつてか、負けたのに賭の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。 一二 一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。 一三 多くの目のあるあらい籠。 一四 海水の滿干を現すために鹽にまぜる。 一五 その子をして呪い言をさせて。 一六 呪咀の置物。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ][#小見出し]〔系譜一[#「一」は行右小書き]〕[#小見出し終わり]  またこの品陀《ほむだ》の天皇の御子、若野毛二俣《わかのけふたまた》の王、その母の弟二[#「二」は行右小書き]、百師木伊呂辨《ももしきいろべ》、またの名は弟日賣眞若《おとひめまわか》比賣の命に娶ひて生みませる子、大郎子《おほいらつこ》、またの名は意富富杼《おほほど》の王三[#「三」は行右小書き]、次に忍坂《おさか》の大中津《おほなかつ》比賣の命、次に田井《たゐ》の中比賣、次に田宮《たみや》の中比賣、次に藤原の琴節《ことふし》の郎女《いらつめ》、次に取賣《とりめ》の王、次に沙禰《さね》の王七柱[#「七柱」は1段階小さな文字]。かれ意富富杼の王は三國の君、波多の君、息長の君、筑紫の米多の君、長坂の君、酒人の君、山道の君、布勢の君等が祖なり。また根鳥の王四[#「四」は行右小書き]、庶妹《ままいも》三腹《みはら》の郎女に娶ひて生みませる子、中日子《なかひこ》の王、次に伊和島《いわじま》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また堅石《かたしは》の王五[#「五」は行右小書き]の子は、久奴《くぬ》の王なり。  およそこの品陀の天皇。御年|一百三十歳《ももぢまりみそぢ》。甲午の年九月九日に崩りたまひき。御陵は、川内《かふち》の惠賀《ゑが》の裳伏《もふし》の岡六[#「六」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 この系譜は、もとはじめの系譜に續いていたのを、中間に物語が插入されたので、中斷されたのであろう。 二 母の妹。 三 繼體天皇は、この王の子孫である。 四 應神天皇の皇子。 五 前に出ない。系統不明。 六 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] 古事記 中つ卷 [#改ページ] [#1字下げ]古事記 下つ卷[#「古事記 下つ卷」は大見出し] [#3字下げ]〔一、仁徳天皇〕[#「〔一、仁徳天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  大雀《おほさざき》の命一[#「一」は行右小書き]、難波の高津の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城《かづらき》の曾都毘古《そつびこ》三[#「三」は行右小書き]が女、石《いは》の日賣《ひめ》の命大后[#「大后」は1段階小さな文字]に娶《あ》ひて、生みませる御子、大江の伊耶本和氣《いざほわけ》の命、次に墨江《すみのえ》の中《なか》つ王《みこ》、次に蝮《たぢひ》の水齒別《みづはわけ》の命、次に男淺津間若子《をあさづまわくご》の宿禰の命四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また上にいへる日向《ひむか》の諸縣《むらがた》の君|牛諸《うしもろ》が女、髮長比賣《かみながひめ》に娶《あ》ひて、生みませる御子、波多毘《はたび》の大郎子、またの名は大|日下《くさか》の王、次に波多毘の若郎女《わきいらつめ》、またの名は長目《ながめ》比賣の命、またの名は若日下部の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また庶妹《ままいも》八田《やた》の若郎女に娶ひ、また庶妹宇遲の若郎女に娶ひたまひき。[#割り注]この二柱は、御子まさざりき。[#割り注終わり]およそこの大雀の天皇の御子たち并はせて六柱。[#割り注]男王五柱、女王一柱。[#割り注終わり]かれ伊耶本和氣の命は、天の下治らしめしき。次に蝮の水齒別の命も天の下治らしめしき。次に男淺津間若子の宿禰の命も天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 仁徳天皇。 二 大阪市東區。今の大阪城の邊。 三 建内の宿禰の子。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔聖《ひじり》の御世〕[#「〔聖の御世〕」は小見出し]  この天皇の御世に、大后|石《いは》の比賣の命の御名代《みなしろ》として、葛城部《かづらきべ》を定めたまひ、また太子《ひつぎのみこ》伊耶本和氣の命の御名代として、壬生部《にぶべ》を定めたまひ、また水齒別の命の御名代として、蝮部《たぢひべ》を定めたまひ、また大日下の王の御名代として、大日下部を定めたまひ、若日下部の王の御名代として、若日下部を定めたまひき。  また秦《はた》人一[#「一」は行右小書き]を役《えだ》てて、茨田《うまらた》の堤二[#「二」は行右小書き]と茨田の三宅《みやけ》とを作り、また丸邇《わに》の池三[#「三」は行右小書き]、依網《よさみ》の池四[#「四」は行右小書き]を作り、また難波の堀江五[#「五」は行右小書き]を掘りて、海に通はし、また小椅《をばし》の江六[#「六」は行右小書き]を掘り、また墨江の津七[#「七」は行右小書き]を定めたまひき。  ここに天皇、高山に登りて、四方《よも》の國を見たまひて、詔《の》りたまひしく、「國中《くぬち》に烟たたず八[#「八」は行右小書き]、國みな貧し。かれ今より三年に至るまで、悉に人民《おほみたから》の課役《みつきえだち》九[#「九」は行右小書き]を除《ゆる》せ」とのりたまひき。ここを以ちて大殿|破《や》れ壞《こぼ》れて、悉に雨漏れども、かつて修理《をさ》めたまはず、楲《ひ》一〇[#「一〇」は行右小書き]をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる處に遷り避《さ》りましき。後に國中《くぬち》を見たまへば、國に烟滿ちたり。かれ人民富めりとおもほして、今はと課役|科《おほ》せたまひき。ここを以ちて、百姓《おほみたから》榮えて役使《えだち》に苦まざりき。かれその御世を稱へて聖帝《ひじり》の御世一一[#「一一」は行右小書き]とまをす。 [#ここから2字下げ] 一 中國の秦の國人。 二 大阪府北河内郡。 三 大阪府南河内郡。 四 大阪市東成區。前に造つたことが出ている。改修か。 五 淀川の水を通じるために掘つたもので、今の天滿川である。 六 大阪市東成區。 七 大阪市住吉區。 八 食物を作ることが少いので烟が立たない。 九 ミツキはたてまつり物。エダチは勞役。 一〇 水を流す樋。 一一 ヒジリは、知識者の意から貴人をいうようになつたが、漢字の聖にこの語をあて、天皇の世をこのようにいうのは、漢文の影響を受けている。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔吉備《きび》の黒日賣〕[#「〔吉備の黒日賣〕」は小見出し]  その大后|石《いは》の日賣の命、いたく嫉妬《うはなりねた》みしたまひき。かれ天皇の使はせる妾《みめ》たちは、宮の中をもえ臨《のぞ》かず、言立てば、足も足掻《あが》かに一[#「一」は行右小書き]妬みたまひき。ここに天皇、吉備《きび》の海部《あまべ》の直《あたへ》が女、名は黒日賣《くろひめ》それ容姿端正《かほよ》しと聞こしめして、喚上《めさ》げて使ひたまひき。然れどもその大后の嫉みますを畏《かしこ》みて、本つ國に逃げ下りき。天皇、高|臺《どの》にいまして、その黒日賣の船出するを望み見て歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 沖|方《へ》には 小舟つららく二[#「二」は行右小書き]。 くろざや三[#「三」は行右小書き]の まさづこ四[#「四」は行右小書き]吾妹《わぎも》、 國へ下らす。  (歌謠番號五三) [#ここで字下げ終わり]  かれ大后この御歌を聞かして、いたく忿りまして、大浦に人を遣して、追ひ下して、歩《かち》より追《やら》ひたまひき。  ここに天皇、その黒日賣に戀ひたまひて、大后を欺かして、のりたまはく、「淡道島《あはぢしま》見たまはむとす」とのりたまひて、幸《い》でます時に、淡道島にいまして、遙《はろばろ》に望《みさ》けまして、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] おしてるや五[#「五」は行右小書き]、難波の埼よ六[#「六」は行右小書き] 出で立ちて わが國見れば、 粟島七[#「七」は行右小書き] 淤能碁呂島《おのごろしま》八[#「八」は行右小書き]、 檳榔《あぢまさ》の 島九[#「九」は行右小書き]も見ゆ。 佐氣都《さけつ》島一〇[#「一〇」は行右小書き]見ゆ。  (歌謠番號五四) [#ここで字下げ終わり]  すなはちその島より傳ひて、吉備《きび》の國に幸でましき。ここに黒日賣、その國の山縣《やまがた》の地《ところ》一一[#「一一」は行右小書き]におほましまさしめて、大|御飯《みけ》獻りき。ここに大御羮《おほみあつもの》一二[#「一二」は行右小書き]を煮むとして、其地《そこ》の菘菜《あをな》を採《つ》む時に、天皇その孃子の菘《な》採む處に到りまして、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 山|縣《がた》に 蒔ける菘《あをな》も、 吉備人と 共にし摘めば、 樂《たの》しくもあるか。  (歌謠番號五五) [#ここで字下げ終わり]  天皇上り幸《い》でます時に、黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 倭《やまと》方《へ》に 西風《にし》吹き上《あ》げて、 雲|離《ばな》れ そき居《を》りとも一三[#「一三」は行右小書き]、 吾《われ》忘れめや。  (歌謠番號五六) [#ここで字下げ終わり] また歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 倭《やまと》方《へ》に 往くは誰が夫《つま》。 隱津《こもりづ》の 下よ延《は》へつつ一四[#「一四」は行右小書き] 往くは誰が夫。  (歌謠番號五七) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 一 足をばたばたさせて。 二 小船が連なつている。 三 語義不明。枕詞だろう。 四 黒日賣の本名であろう。 五 枕詞。海の照り輝く意。 六 ※[#「土へん+竒」、144-脚注-6]から。 七 阿波の方面から見た四國。 八 所在不明。一九頁[#「一九頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]脚註參照。 九 所在不明。アヂマサは、檳榔樹。 一〇 同前。 一一 山の料地。 一二 お吸物。 一三 雲が離れるように退いていても。「大和べに風吹きあげて雲ばなれ退《そ》き居りともよ吾を忘らすな」(丹後國風土記、浦島の物語の神女) 一四 地下水のように下を流れて。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔皇后|石《いは》の比賣《ひめ》の命〕[#「〔皇后石の比賣の命〕」は小見出し]  これより後、大后|豐《とよ》の樂《あかり》一[#「一」は行右小書き]したまはむとして、御綱栢《みつながしは》二[#「二」は行右小書き]を採りに、木の國に幸でましし間に、天皇、八田《やた》の若郎女《わかいらつめ》に婚《あ》ひましき。ここに大后は、御綱栢を御船に積み盈《み》てて還りいでます時に、水取《もひとり》の司に使はゆる、吉備の國の兒島の郡の仕丁《よぼろ》三[#「三」は行右小書き]、これおのが國に退《まか》るに、難波の大渡に、後れたる倉人女《くらびとめ》四[#「四」は行右小書き]の船に遇ひき。すなはち語りて曰はく、「天皇は、このごろ八田の若郎女に娶ひまして晝夜《よるひる》戲れますを。もし大后はこの事聞こしめさねかも五[#「五」は行右小書き]、しづかに遊びいでます」と語りき。ここにその倉人女、この語る言を聞きて、すなはち御船に追ひ近づきて、その仕丁《よぼろ》が言ひつるごと、状《ありさま》をまをしき。ここに大后いたく恨み怒りまして、その御船に載せたる御綱栢は、悉に海に投げ棄《う》てたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて御津《みつ》の前《さき》といふ。すなはち宮に入りまさずて、その御船を引き避《よ》きて、堀江に泝《さかのぼ》らして、河のまにまに六[#「六」は行右小書き]、山代《やましろ》に上りいでましき。この時に歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] つぎねふや七[#「七」は行右小書き] 山代《やましろ》河を 川のぼり 吾がのぼれば、 河の邊《べ》に 生ひ立てる 烏草樹《さしぶ》八[#「八」は行右小書き]を。 烏草樹《さしぶ》の樹、 其《し》が下に 生ひ立てる 葉廣 ゆつ眞椿《まつばき》九[#「九」は行右小書き]、 其《し》が花の 照りいまし 其《し》が葉の 廣《ひろ》りいますは、 大君ろかも。  (歌謠番號五八) [#ここで字下げ終わり]  すなはち山代より𢌞りて、那良の山口一〇[#「一〇」は行右小書き]に到りまして、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] つぎねふや 山代河を 宮上り 吾がのぼれば、 あをによし一一[#「一一」は行右小書き] 那良を過ぎ、 小楯《をだて》一二[#「一二」は行右小書き] 倭《やまと》一三[#「一三」は行右小書き]を過ぎ、 吾《わ》が 見が欲し國一四[#「一四」は行右小書き]は、 葛城《かづらき》 高宮《たかみや》一五[#「一五」は行右小書き] 吾家《わぎへ》のあたり。  (歌謠番號五九) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて還らして、しまし筒木《つつき》の韓《から》人一六[#「一六」は行右小書き]、名は奴理能美《ぬりのみ》が家に入りましき。  天皇、その大后は山代より上り幸でましぬと聞こしめして、舍人名は鳥山といふ人を使はして御歌を送りたまひしく、 [#ここから2字下げ] 山代に いしけ鳥山一七[#「一七」は行右小書き]、 いしけいしけ 吾《あ》が愛《は》し妻《づま》に いしき遇はむかも一八[#「一八」は行右小書き]。  (歌謠番號六〇) [#ここで字下げ終わり]  また續ぎて丸邇《わに》の臣|口子《くちこ》を遣して歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 御諸《みもろ》一九[#「一九」は行右小書き]の その高城《たかき》なる 大猪子《おほゐこ》が原二〇[#「二〇」は行右小書き]。 大猪子が 腹にある二一[#「二一」は行右小書き]、 肝向ふ二二[#「二二」は行右小書き] 心をだにか 相|思《おも》はずあらむ。  (歌謠番號六一) [#ここで字下げ終わり]  また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] つぎねふ 山代女の 木钁《こくは》持ち 打ちし大根二三[#「二三」は行右小書き]、 根白の 白腕《しろただむき》、 纏《ま》かずけばこそ二四[#「二四」は行右小書き] 知らずとも言はめ。  (歌謠番號六二) [#ここで字下げ終わり]  かれこの口子《くちこ》の臣《おみ》、この御歌を白す時に、大雨降りき。ここにその雨をも避《さ》らず、前つ殿戸《とのど》にまゐ伏せば、後《しり》つ戸に違ひ出でたまひ、後つ殿戸にまゐ伏せば、前つ戸に違ひ出でたまひき。かれ匍匐《はひ》進起《しじま》ひて、庭中に跪ける時に、水潦《にはたづみ》二五[#「二五」は行右小書き]腰に至りき。その臣、紅《あか》き紐《ひも》著けたる青摺《あをずり》の衣《きぬ》二六[#「二六」は行右小書き]を服《き》たりければ、水潦紅き紐に觸りて、青みな紅《あけ》になりぬ。ここに口子の臣が妹|口比賣《くちひめ》、大后に仕へまつれり。かれその口比賣《くちひめ》歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 山代の 筒木の宮に 物申す 吾《あ》が兄《せ》の君は、 涙ぐましも。  (歌謠番號六三) [#ここで字下げ終わり]  ここに大后、その故を問ひたまふ時に答へて曰さく、「僕が兄口子の臣なり」とまをしき。  ここに口子の臣、またその妹口比賣、また奴理能美《ぬりのみ》、三人|議《はか》りて、天皇に奏《まを》さしめて曰さく、「大后の幸でませる故は、奴理能美が養《か》へる蟲、一度は匐《は》ふ蟲になり、一度は殼《かひこ》になり、一度は飛ぶ鳥になりて、三|色《くさ》に變《かは》る奇《あや》しき蟲二七[#「二七」は行右小書き]あり。この蟲を看そなはしに、入りませるのみ。更に異《け》しき心まさず」とかく奏す時に、天皇、「然らば吾《あれ》も奇しと思へば、見に行かな」と詔りたまひて、大宮より上り幸でまして、奴理能美が家に入ります時に、その奴理能美、おのが養へる三種の蟲を、大后に獻りき。ここに天皇、その大后のませる殿戸に御立《みたち》したまひて、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] つぎねふ 山代女の 木钁《こくは》持《も》ち 打ちし大根、 さわさわに二八[#「二八」は行右小書き] 汝《な》が言へせこそ二九[#「二九」は行右小書き]、 うち渡す三〇[#「三〇」は行右小書き] やがは枝《え》三一[#「三一」は行右小書き]なす 來《き》入り參ゐ來れ。  (歌謠番號六四) [#ここで字下げ終わり]  この天皇と大后と歌よみしたまへる六歌は、志都《しつ》歌の歌ひ返し三二[#「三二」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 酒宴。 二 御角柏とも書く。葉先が三つになつている樹葉。これに食物を盛る。ウコギ科の常緑喬木、カクレミノ。 三 岡山縣兒島郡から出た壯丁。 四 物の出し入れを扱う女。 五 御承知にならないからか。疑問の已然條件法。 六 淀川をさかのぼつて。 七 枕詞。語義不明。次々に嶺が現れる意かという。 八 シャクナゲ科の常緑喬木。シャシャンボ。 九 神聖な椿。神靈の存在を感じている。 一〇 淀川から上り、木津川を上つて奈良山の山口に來た。 一一 枕詞。語義不明。 一二 枕詞。山の姿の形容か。 一三 大和の國の平野の東方。山手の地。ヤマトの名は、もとこの邊の稱から起つた。 一四 わたしの見たい國は。その國は、奈良や倭を過ぎて行く葛城の地であるの意。 一五 葛城の高地にある宮。皇后の父君、葛城の襲津彦、母君葛城の高額姫、共にこの地に住まれた。 一六 京都府綴喜郡にいる朝鮮の人。 一七 追いつけよ、鳥山よ。 一八 追いついて遇いましよう。 一九 ミモロは、神座をいい、ひいて神社のある所をいふ。ここは葛城の三諸。 二〇 原の名。オホヰコは猪のこと。 二一 上の大猪子が原から引き出している。肝は腹にあるので次の句を修飾する。 二二 枕詞。腹の中には肝が向いあい、そこに心があるとした。 二三 打つて掘り出した大根。 二四 ケは、時の助動詞キの古い活用形で未然形。 二五 雨が降つて急に出る水。 二六 美裝で、雄略天皇の卷にも見える。アヲズリは、青い染料をすりつけて染めること。 二七 蠶である。蠶のはじめは三五頁[#「三五頁」は「須佐の男の命」の「穀物の種」]の神話に見えているが、それは神話のことで、大陸や朝鮮との交通によつて養蠶がおこなわれるようになつたのである。 二八 さわぎ立てる形容。 二九 語法上問題がある。セは敬語の助動詞スの已然形とすれば、動詞言うの未然形に接續するはずであるのに、イヘセとなつているのは、言うが下二段活か。とにかく已然條件法であろう。 三〇 見渡したところの。 三一 茂つた木の枝のように。人々をつれて來入ることの形容。 三二 歌曲の名。志都歌があつて、それに附隨して歌い返す歌の意であろう。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔八田の若郎女〕[#「〔八田の若郎女〕」は小見出し]  天皇、八田《やた》の若郎女《わかいらつめ》に戀ひたまひて、御歌を遣したまひき。その御歌、 [#ここから2字下げ] 八田の 一本菅《ひともとすげ》は、 子持たず 立ちか荒れなむ。 あたら菅原《すがはら》一[#「一」は行右小書き]。[#「あたら菅原《すがはら》一[#「一」は行右小書き]。」は底本では「あたら菅原《すがはら》三三[#「三三」は行右小書き]。」] 言《こと》をこそ 菅原《すげはら》と言はめ。 あたら清《すが》し女《め》。  (歌謠番號六五) [#ここで字下げ終わり]  ここに八田の若郎女、答へ歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 八田の 一本菅は 獨居りとも。 天皇《おほきみ》し よしと聞こさば 獨居りとも。  (歌謠番號六六) [#ここで字下げ終わり]  かれ八田の若郎女の御名代として、八田部《やたべ》を定めたまひき。 [#ここから2字下げ] 一[#「一」は底本では「三三」] 惜しい菅原だ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔速總別《はやぶさわけ》の王と女鳥《めとり》の王〕[#「〔速總別の王と女鳥の王〕」は小見出し]  また天皇、その弟速總別の王一[#「一」は行右小書き]を媒《なかだち》として、庶妹《ままいも》女鳥《めとり》の王を乞ひたまひき。ここに女鳥の王、速總別の王に語りて曰はく、「大后の強《おず》き二[#「二」は行右小書き]に因りて、八田の若郎女を治めたまはず三[#「三」は行右小書き]。かれ仕へまつらじと思ふ。吾《あ》は汝が命の妻《め》にならむ」といひて、すなはち婚《あ》ひましつ。ここを以ちて速總別の王|復奏《かへりごとまを》さざりき。ここに天皇、直《ただ》に女鳥の王のいます所にいでまして、その殿戸の閾《しきみ》の上にいましき。ここに女鳥の王|機《はた》にまして、服《みそ》織りたまふ。ここに天皇、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 女鳥の 吾が王《おほきみ》の 織《お》ろす機《はた》四[#「四」は行右小書き]、 誰《た》が料《たね》ろかも五[#「五」は行右小書き]。  (歌謠番號六七) [#ここで字下げ終わり]  女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 高行くや六[#「六」は行右小書き] 速總別の みおすひがね七[#「七」は行右小書き]。  (歌謠番號六八) [#ここで字下げ終わり]  かれ天皇、その心を知らして、宮に還り入りましき。  この時、その夫《ひこぢ》速總別の王の來れる時に、その妻《みめ》女鳥の王の歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 雲雀《ひばり》は 天《あめ》に翔《かけ》る八[#「八」は行右小書き]。 高行くや 速總別、 鷦鷯《さざき》取らさね。  (歌謠番號六九) [#ここで字下げ終わり]  天皇この歌を聞かして、軍を興して、殺《と》りたまはむとす。ここに速總別の王、女鳥の王、共に逃れ退きて、倉椅山《くらはしやま》九[#「九」は行右小書き]に騰《あが》りましき。ここに速總別の王歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 梯立ての一〇[#「一〇」は行右小書き] 倉椅山を 嶮《さが》しみと 岩かきかねて一一[#「一一」は行右小書き] 吾《わ》が手取らすも。  (歌謠番號七〇) [#ここで字下げ終わり]  また歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 梯立ての 倉椅山は 嶮しけど、 妹と登れば 嶮しくもあらず。  (歌謠番號七一) [#ここで字下げ終わり]  かれそこより逃れて、宇陀《うだ》の蘇邇《そに》一二[#「一二」は行右小書き]に到りましし時に、御軍追ひ到りて、殺《し》せまつりき。  その將軍《いくさのきみ》山部《やまべ》の大楯《おほたて》の連《むらじ》、その女鳥の王の、御手に纏《ま》かせる玉釧《たまくしろ》一三[#「一三」は行右小書き]を取りて、おのが妻《め》に與へき。この時の後、豐の樂《あかり》したまはむとする時に、氏氏の女どもみな朝參《みかどまゐ》りす一四[#「一四」は行右小書き]。ここに大楯の連が妻、その王の玉釧を、おのが手に纏《ま》きてまゐ赴《む》けり。ここに大后|石《いは》の日賣の命、みづから大御酒の栢《かしは》を取一五[#「一五」は行右小書き]らして、諸《もろもろ》氏氏の女どもに賜ひき。ここに大后、その玉釧を見知りたまひて、御酒の栢を賜はずて、すなはち引き退《そ》けて、その夫大楯の連を召し出でて、詔りたまはく、「その王たち一六[#「一六」は行右小書き]、禮《ゐや》なきに因りて退けたまへる、こは異《け》しき事無きのみ。それの奴や、おのが君の御手に纏かせる玉釧を、膚も熅《あたた》けきに剥ぎ持ち來て、おのが妻に與へつること」と詔りたまひて、死刑《ころすつみ》に行ひたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 猛禽のハヤブサを名としている王。ハヤブサとサザキ(ミソサザイ)とが女鳥を爭つたという鳥類物語が原形だろう。 二 嫉妬づよく、もてあましている。 三 思うようになされない。 四 織らす機に同じ。お織りになつている機おり物。 五 ロは接尾語。 六 敍述による枕詞。 七 御おすいの材料。オスヒは既出。 八 高行くの譬喩。 九 奈良縣磯城郡の東方の山。 一〇 敍述による枕詞。階段を立てる意で倉を修飾する。 一一 岩に手をかけ得ないで。「霰ふる杵島《きしま》が嶽《たけ》をさかしみと草とりかねて妹が手を取る」(肥前國風土記)。 一二 奈良縣宇陀郡。 一三 美しい腕輪。 一四 諸家の女たちが宮廷に出た。 一五 御酒を盛つた御綱栢。 一六 ハヤブサワケと女鳥の王。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔雁の卵〕[#「〔雁の卵〕」は小見出し]  またある時、天皇豐の樂《あかり》したまはむとして、日女《ひめ》島一[#「一」は行右小書き]に幸でましし時に、その島に雁《かり》卵《こ》生みたり。ここに建内の宿禰の命を召して、歌もちて、雁の卵生める状を問はしたまひき。その御歌、 [#ここから2字下げ] たまきはる二[#「二」は行右小書き] 内の朝臣《あそ》三[#「三」は行右小書き]、 汝《な》こそは 世の長人《ながひと》四[#「四」は行右小書き]、 そらみつ五[#「五」は行右小書き] 日本《やまと》の國に 雁|子《こ》産《む》と 聞くや。  (歌謠番號七二) [#ここで字下げ終わり]  ここに建内の宿禰、歌もちて語りて白さく、 [#ここから2字下げ] 高光る 日の御子、 諾《うべ》しこそ六[#「六」は行右小書き] 問ひたまへ。 まこそに七[#「七」は行右小書き] 問ひたまへ。 吾《あれ》こそは 世の長人、 そらみつ 日本の國に 雁《かり》子《こ》産《む》と いまだ聞かず。  (歌謠番號七三) [#ここで字下げ終わり]  かく白して、御琴を賜はりて、歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 汝《な》が王《みこ》や 終に知らむと、 雁は子産らし。  (歌謠番號七四) [#ここで字下げ終わり] と歌ひき。こは壽歌《ほきうた》八[#「八」は行右小書き]の片歌なり。 [#ここから2字下げ] 一 大阪府三島郡。 二 枕詞。語義不明。 三 宮廷に仕える臣下。建内の宿禰のこと。 四 世の中に長くいる人。 五 枕詞。ニギハヤヒの命が天から降下する時に、大和の國を空中から見たことからはじまるとする傳えがある。 六 もつともなことに。シは強意の助詞。 七 マは眞實。 八 歌曲の名。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔枯野《からの》といふ船〕[#「〔枯野といふ船〕」は小見出し]  この御世に、兔寸《うき》河一[#「一」は行右小書き]の西の方に、高樹《たかき》あり。その樹の影、朝日に當れば、淡道《あはぢ》島におよび、夕日に當れば、高安山二[#「二」は行右小書き]を越えき。かれこの樹を切りて、船に作れるに、いと捷《と》く行く船なりけり。時にその船に名づけて枯野《からの》といふ。かれこの船を以ちて、旦夕《あさよひ》に淡道島の寒泉《しみづ》を酌みて、大御|水《もひ》獻る。この船の壞《やぶ》れたるもちて、鹽を燒き、その燒け遺《のこ》りの木を取りて、琴に作るに、その音|七里《ななさと》に聞ゆ。ここに歌よみて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 枯野《からぬ》を 鹽に燒き、 其《し》が餘《あまり》 琴に造り、 掻き彈くや三[#「三」は行右小書き] 由良《ゆら》の門《と》四[#「四」は行右小書き]の 門中《となか》の 海石《いくり》五[#「五」は行右小書き]に 振れ立つ 浸漬《なづ》の木の六[#「六」は行右小書き]、さやさや七[#「七」は行右小書き]。  (歌謠番號七五) [#ここで字下げ終わり]  こは志都歌の歌ひ返しなり。  この天皇の御年|八十三歳《やそぢあまりみつ》。[#割り注]丁卯の年八月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受《もず》八[#「八」は行右小書き]の耳原《みみはら》にあり。 [#ここから2字下げ] 一 所在不明。物語によれば大阪平野のうちである。 二 大阪府中河内郡。信貴山。 三 ヤは間投の助詞。 四 大阪灣口の由良海峽。(紀淡海峽)。 五 海中の石、暗礁。 六 海水に浸つている木のように。 七 音のさやかであること。 八 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔二、履中天皇・反正天皇〕[#「〔二、履中天皇・反正天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔履中天皇と墨江の中つ王〕[#「〔履中天皇と墨江の中つ王〕」は小見出し]  子《みこ》伊耶本和氣《いざほわけ》の王一[#「一」は行右小書き]、伊波禮《いはれ》の若櫻《わかざくら》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城《かづらき》の曾都毘古《そつびこ》の子、葦田《あしだ》の宿禰が女、名は黒比賣《くろひめ》の命に娶ひて、生みませる御子、市《いち》の邊《べ》の忍齒《おしは》の王三[#「三」は行右小書き]、次に御馬《みま》の王、次に妹|青海《あをみ》の郎女、またの名は飯豐《いひとよ》の郎女三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。  もと難波の宮にましましし時に、大嘗《おほにへ》にいまして四[#「四」は行右小書き]、豐の明《あかり》したまふ時に、大御酒にうらげて五[#「五」は行右小書き]、大御寢《おほみね》ましき。ここにその弟|墨江《すみのえ》の中つ王、天皇を取りまつらむとして、大殿に火を著けたり。ここに倭《やまと》の漢《あや》の直《あたへ》の祖、阿知《あち》の直、盜み出でて、御馬に乘せまつりて、倭《やまと》にいでまさしめき。かれ多遲比野《たぢひの》六[#「六」は行右小書き]に到りて、寤めまして詔りたまはく、「此處《ここ》は何處《いづく》ぞ」と詔りたまひき。ここに阿知の直白さく、「墨江の中つ王、大殿に火を著けたまへり。かれ率《ゐ》まつりて、倭に逃《のが》るるなり」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 丹比野《たぢひの》に 寢むと知りせば、 防壁《たつごも》七[#「七」は行右小書き]も 持ちて來ましもの八[#「八」は行右小書き]。 寢むと知りせば。  (歌謠番號七六) [#ここで字下げ終わり]  波邇賦《はにふ》坂九[#「九」は行右小書き]に到りまして、難波の宮を見|放《さ》けたまひしかば、その火なほ炳《も》えたり。ここにまた歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 波邇布《はにふ》坂 吾が立ち見れば、 かぎろひの一〇[#「一〇」は行右小書き] 燃ゆる家|群《むら》、 妻《つま》が家《いへ》のあたり。  (歌謠番號七七) [#ここで字下げ終わり]  かれ大坂の山口に到りましし時に、女人《をみな》遇へり。その女人の白さく、「兵《つはもの》を持てる人ども、多《さは》にこの山を塞《さ》へたれば、當岐麻道《たぎまぢ》一一[#「一一」は行右小書き]より𢌞りて、越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 大坂に 遇ふや孃子《をとめ》を。 道問へば 直《ただ》には告《の》らず一二[#「一二」は行右小書き]、 當岐麻路《たぎまぢ》を告る。  (歌謠番號七八) [#ここで字下げ終わり]  かれ上り幸でまして、石《いそ》の上《かみ》の宮一三[#「一三」は行右小書き]にましましき。  ここにその同母弟《いろせ》水齒別《みづはわけ》の命一四[#「一四」は行右小書き]、まゐ赴《む》きてまをさしめたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「吾、汝が命の、もし墨江《すみのえ》の中《なか》つ王と同《おや》じ心ならむかと疑ふ。かれ語らはじ」とのりたまひしかば、答へて曰さく、「僕は穢《きたな》き心なし。墨江の中つ王と同《おや》じくはあらず」と、答へ白したまひき。また詔らしめたまはく、「然らば、今還り下りて、墨江の中つ王を殺して、上《のぼ》り來ませ。その時に、吾《あれ》かならず語らはむ」とのりたまひき。かれすなはち難波に還り下りまして、墨江の中つ王に近く事《つか》へまつる隼人《はやびと》一五[#「一五」は行右小書き]、名は曾婆加里《そばかり》を欺きてのりたまはく、「もし汝、吾が言ふことに從はば、吾天皇となり、汝を大臣《おほおみ》になして、天の下治らさむとおもふは如何に」とのりたまひき。曾婆訶里答へて白さく「命のまにま」と白しき。ここにその隼人に物|多《さは》に賜ひてのりたまはく、「然らば汝の王を殺《と》りまつれ」とのりたまひき。ここに曾婆訶里、己が王の厠に入りませるを伺ひて、矛《ほこ》もちて刺して殺《し》せまつりき。かれ曾婆訶里を率《ゐ》て、倭《やまと》に上り幸でます時に、大坂の山口に到りて、思ほさく、曾婆訶里、吾がために大き功《いさを》あれども、既におのが君を殺せまつれるは、不義《きたなきわざ》なり。然れどもその功に報いずは、信《まこと》無しといふべし。既にその信を行はば、かへりてその心を恐《かしこ》しとおもふ。かれその功に報ゆとも、その正身《ただみ》一六[#「一六」は行右小書き]を滅しなむと思ほしき。ここをもちて曾婆訶里に詔りたまはく、「今日は此處《ここ》に留まりて、まづ大臣の位を賜ひて、明日上りまさむ」とのりたまひて、その山口に留まりて、すなはち假《かり》宮を造りて、俄に豐の樂《あかり》して、その隼人に大臣の位を賜ひて、百官《つかさづかさ》をして拜《をろが》ましめたまふに、隼人歡びて、志遂げぬと思ひき。ここにその隼人に詔りたまはく、「今日大臣と同《おや》じ盞《うき》の酒を飮まむとす」と詔りたまひて、共に飮む時に、面《おも》を隱す大|鋺《まり》一七[#「一七」は行右小書き]にその進《たてまつ》れる酒を盛りき。ここに王子《みこ》まづ飮みたまひて、隼人後に飮む。かれその隼人の飮む時に、大鋺、面を覆ひたり。ここに席《むしろ》の下に置ける劒《たち》を取り出でて、その隼人が首を斬りたまひき。すなはち明日《くるつひ》、上り幸でましき。かれ其地《そこ》に名づけて近《ちか》つ飛鳥《あすか》一八[#「一八」は行右小書き]といふ。倭《やまと》に上り到りまして詔りたまはく、「今日は此處に留まりて、祓禊《はらへ》一九[#「一九」は行右小書き]して、明日まゐ出でて、神宮《かむみや》二〇[#「二〇」は行右小書き]を拜まむ」とのりたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて遠つ飛鳥二一[#「二一」は行右小書き]といふ。かれ石《いそ》の上《かみ》の神宮にまゐでて、天皇に「政既に平《ことむ》け訖へてまゐ上り侍《さもら》ふ」とまをさしめたまひき。ここに召し入れて語らひたまひき。  天皇、ここに阿知の直を、始めて藏《くら》の官《つかさ》二二[#「二二」は行右小書き]に任《ま》けたまひ、また粮地《たどころ》二三[#「二三」は行右小書き]を賜ひき。またこの御世に、若櫻部《わかさくらべ》の臣等に、若櫻部といふ名を賜ひ、また比賣陀《ひめだ》の君等に、比賣陀の君といふ姓《かばね》を賜ひき。また伊波禮部《いはれべ》を定めたまひき。  天皇の御年|六十四歳《むそぢあまりよつ》[#割り注]壬申の年正月三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受《もず》にあり。 [#ここから2字下げ] 一 履中天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]・一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]・一八五頁[#「一八五頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「顯宗天皇」]に物語がある。 四 大嘗祭をなすつて。 五 浮かれて。 六 大阪府南河内郡。 七 コモを編んで風の防ぎとする屏風。 八 持つて來たろうに。假設の語法。 九 大阪府南河内郡から大和に越える坂。 一〇 譬喩による枕詞。カギロヒは陽炎。 一一 奈良縣北葛城郡の當麻《たいま》(古名タギマ)へ越える道で、二上山の南を通る。大坂は二上山の北を越える。 一二 まつすぐにとは言わないで。 一三 奈良縣山邊郡の石上の神宮。 一四 反正天皇。 一五 九州南方の住民。勇敢なので召し出して宮廷の護衞としている。 一六 その本身を。 一七 顏をかくすような大きな椀。 一八 大和の飛鳥に對していう。 一九 隼人を殺して穢を生じたので、それを拂う行事をして。 二〇 石上の神宮。天皇の御座所。 二一 奈良縣高市郡の飛鳥。 二二 物の出納をつかさどる役。 二三 領地。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔反正天皇〕[#「〔反正天皇〕」は小見出し]  弟《いろと》水齒別《みづはわけ》一[#「一」は行右小書き]の命、多治比《たぢひ》の柴垣《しばかき》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。天皇、御身《みみ》の長《たけ》九尺二寸半《ここのさかまりふたきいつきだ》。御齒の長さ一|寸《き》、廣さ二|分《きだ》。上下等しく齊《ととの》ひて、既に珠を貫《ぬ》けるが如く三[#「三」は行右小書き]なりき。天皇、丸邇《わに》の許碁登《こごと》の臣が女、都怒《つの》の郎女に娶ひて、生みませる御子、甲斐《かひ》の郎女、次に都夫良《つぶら》の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また同《おや》じ臣が女、弟比賣に娶ひて、生みませる御子、財《たから》の王、次に多訶辨《たかべ》の郎女、并はせて四柱ましき。天皇御年|六十歳《むそぢ》。[#割り注]丁丑の年七月に崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受野《もずの》にありと言へり。 [#ここから2字下げ] 一 反正天皇。 二 大阪府南河内郡。 三 珠を緒にさしたようだ。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔三、允恭天皇〕[#「〔三、允恭天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  弟|男淺津間《をあさづま》の若子《わくご》の宿禰一[#「一」は行右小書き]の王、遠つ飛鳥《あすか》の宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、意富本杼《おほほど》の王が妹、忍坂《おさか》の大中津《おほなかつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、木梨《きなし》の輕《かる》の王、次に長田の大郎女《おほいらつめ》、次に境《さかひ》の黒日子の王、次に穴穗《あなほ》の命、次に輕の大郎女、またの御名は衣通《そとほし》の郎女、[#割り注]御名は衣通の王と負はせる所以は、その御身の光衣より出づればなり。[#割り注終わり]次に八瓜《やつり》の白日子の王、次に大|長谷《はつせ》の命、次に橘《たちばな》の大郎女、次に酒見《さかみ》の郎女九柱[#「九柱」は1段階小さな文字]。およそ天皇の御子たち、九柱。[#割り注]男王五柱、女王四柱。[#割り注終わり]この九柱の中に、穴穗の命は、天の下治らしめしき。次に大長谷の命も、天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 允恭天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔八十伴《やそとも》の緒《を》の氏姓《うぢかばね》〕[#「〔八十伴の緒の氏姓〕」は小見出し]  天皇初め天つ日繼知らしめさむとせし時に、辭《いな》びまして、詔りたまひしく「我は長き病しあれば、日繼をえ知らさじ」と詔りたまひき。然れども大后一[#「一」は行右小書き]より始めて、諸卿《まへつぎみ》たち堅く奏すに因りて、天の下治らしめしき。この時、新羅《しらぎ》の國主《こにきし》、御調物《みつぎもの》八十一艘《やそまりひとふね》獻りき。ここに御調の大使、名は金波鎭漢紀武《こみはちにかにきむ》二[#「二」は行右小書き]といふ。この人藥の方《みち》を深く知れり。かれ天皇が御病を治めまつりき。  ここに天皇、天の下の氏氏名名の人どもの、氏|姓《かばね》が忤《たが》ひ過《あやま》て三[#「三」は行右小書き]ることを愁へまして、味白檮《うまかし》の言八十禍津日《ことやそまがつひ》の前《さき》四[#「四」は行右小書き]に、玖訶瓮《くかべ》五[#「五」は行右小書き]を据ゑて、天の下の八十伴《やそとも》の緒《を》六[#「六」は行右小書き]の氏姓を定めたまひき。また木梨《きなし》の輕《かる》の太子《ひつぎのみこ》の御名代として、輕部《かるべ》を定め、大后の御名代として、刑部《おさかべ》を定め、大后の弟|田井《たゐ》の中《なかつ》比賣の御名代として、河部《かはべ》を定めたまひき。  天皇御年|七十八歳《ななそぢまりやつ》。[#割り注]甲午の年正月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内《かふち》の惠賀《ゑが》の長枝《ながえ》七[#「七」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 忍坂の大中津比賣。 二 金が姓、武が名。波鎭漢紀は、位置階級の稱。 三 ウヂは家の稱號、カバネは家の階級であつて朝廷から賜わるものである。家系を尊重した當時にあつては、これを社會組織の根本とした。しかるに長い間には、自然に誤るものもあり、故意に僞るものも出た。 四 飛鳥の地で、マガツヒの神を祭つてある所。この神の威力により僞れる者に禍を與えようとする。マガツヒの神は二七頁[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。 五 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。 六 多くの人々。 七 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔木梨の輕の太子〕[#「〔木梨の輕の太子〕」は小見出し]  天皇崩りまして後、木梨の輕の太子、日繼知らしめすに定まりて一[#「一」は行右小書き]、いまだ位に即《つ》きたまはざりしほどに、その同母妹《いろも》輕の大郎女に姧《たは》け二[#「二」は行右小書き]て、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] あしひきの三[#「三」は行右小書き] 山田をつくり 山|高《だか》み 下|樋《び》をわしせ四[#「四」は行右小書き]、 下|※[#「娉」の「由」に代えて「叟−又」、161-本文-1]《ど》ひに 吾《わ》が※[#「娉」の「由」に代えて「叟−又」、161-本文-1]《と》ふ妹を五[#「五」は行右小書き]、 下泣きに 吾が泣く妻を六[#「六」は行右小書き]、 昨夜《こぞ》七[#「七」は行右小書き]こそは 安《やす》く肌觸れ。  (歌謠番號七九) [#ここで字下げ終わり]  こは志良宜《しらげ》歌八[#「八」は行右小書き]なり。また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 笹葉《ささは》に うつや霰の九[#「九」は行右小書き]、 たしだしに一〇[#「一〇」は行右小書き] 率寢《ゐね》てむ後《のち》は 人は離《か》ゆとも一一[#「一一」は行右小書き]。  (歌謠番號八〇) うるはしと一二[#「一二」は行右小書き] さ寢《ね》しさ寢てば 刈|薦《ごも》の一三[#「一三」は行右小書き] 亂れば亂れ。 さ寢しさ寢てば。  (歌謠番號八一) [#ここで字下げ終わり]  こは夷振《ひなぶり》の上歌《あげうた》一四[#「一四」は行右小書き]なり。  ここを以ちて百《もも》の官《つかさ》また、天の下の人ども、みな輕の太子に背きて、穴|穗《ほ》の御子《みこ》一五[#「一五」は行右小書き]に歸《よ》りぬ。ここに輕の太子畏みて、大前《おほまえ》小前《をまへ》の宿禰一六[#「一六」は行右小書き]の大臣《おほおみ》の家に逃れ入りて、兵《つはもの》を備へ作りたまひき。[#割り注]その時に作れる矢は、その箭の同一七[#「一七」は行右小書き]を銅にしたり。かれその矢を輕箭といふ。[#割り注終わり]穴穗《あなほ》の御子も兵《つはもの》を作りたまひき。[#割り注]その王子の作れる矢は、今時の矢なり。そを穴穗箭といふ。[#割り注終わり]穴穗の御子《みこ》軍を興して、大前小前の宿禰の家を圍《かく》みたまひき。ここにその門《かなと》一八[#「一八」は行右小書き]に到りましし時に大氷雨《ひさめ》降りき。かれ歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 大前小前宿禰が かな門陰《とかげ》 かく寄《よ》り來《こ》ね。 雨立ち止《や》めむ。  (歌謠番號八二) [#ここで字下げ終わり]  ここにその大前小前の宿禰、手を擧げ、膝を打ち、舞ひかなで一九[#「一九」は行右小書き]、歌ひまゐ來《く》。その歌、 [#ここから2字下げ] 宮人の 足結《あゆひ》の小鈴《こすず》二〇[#「二〇」は行右小書き]。 落ちにきと 宮人とよむ二一[#「二一」は行右小書き]。 里人もゆめ二二[#「二二」は行右小書き]。  (歌謠番號八三) [#ここで字下げ終わり]  この歌は宮人曲《みやひとぶり》二三[#「二三」は行右小書き]なり。かく歌ひまゐ來て、白さく、「我《あ》が天皇《おほきみ》の御子二四[#「二四」は行右小書き]、同母兄《いろせ》の御子をな殺《し》せたまひそ。もし殺せたまはば、かならず人|咲《わら》はむ。僕《あれ》捕へて獻らむ」とまをしき。ここに軍を罷《や》めて退《そ》きましき。かれ大前小前の宿禰、その輕の太子を捕へて、率《ゐ》てまゐ出て獻りき。その太子、捕はれて歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 天|飛《だ》む二五[#「二五」は行右小書き] 輕の孃子、 いた泣かば 人知りぬべし。 波佐《はさ》の山二六[#「二六」は行右小書き]の 鳩の二七[#「二七」は行右小書き]、 下泣きに泣く。  (歌謠番號八四) [#ここで字下げ終わり]  また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 天飛《あまだ》む 輕孃子《かるをとめ》、 したたにも二八[#「二八」は行右小書き] 倚り寢《ね》てとほれ二九[#「二九」は行右小書き]。 輕孃子ども。  (歌謠番號八五) [#ここで字下げ終わり]  かれその輕の太子をば、伊余《いよ》の湯《ゆ》三〇[#「三〇」は行右小書き]に放ちまつりき。また放たえたまはむとせし時に、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 天飛《あまと》ぶ 鳥も使ぞ。 鶴《たづ》が音《ね》の 聞えむ時は、 吾《わ》が名問はさね。  (歌謠番號八六) [#ここで字下げ終わり]  この三歌は、天田振《あまだぶり》三一[#「三一」は行右小書き]なり。また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 大君を 島に放《はぶ》らば、 船《ふな》餘り三二[#「三二」は行右小書き] い歸《がへ》りこむぞ。 吾《わ》が疊ゆめ三三[#「三三」は行右小書き]。 言をこそ 疊と言はめ。 吾が妻はゆめ三四[#「三四」は行右小書き]。  (歌謠番號八七) [#ここで字下げ終わり]  この歌は、夷振《ひなぶり》の片下《かたおろし》三五[#「三五」は行右小書き]なり。その衣通《そとほし》の王三六[#「三六」は行右小書き]、歌獻りき。その歌、 [#ここから2字下げ] 夏草の三七[#「三七」は行右小書き] あひねの濱三八[#「三八」は行右小書き]の 蠣貝《かきかひ》に 足踏ますな。 明《あか》してとほれ三九[#「三九」は行右小書き]。  (歌謠番號八八) [#ここで字下げ終わり]  かれ後にまた戀慕《しのひ》に堪へかねて、追ひいでましし時、歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 君が行き け長くなりぬ四〇[#「四〇」は行右小書き]。 山たづの四一[#「四一」は行右小書き] 迎《むか》へを行かむ四二[#「四二」は行右小書き]。 待つには待たじ。[#割り注]ここに山たづといへるは、今の造木なり[#割り注終わり]  (歌謠番號八九) [#ここで字下げ終わり]  かれ追ひ到りましし時に、待ち懷《おも》ひて、歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 隱國《こもりく》の四三[#「四三」は行右小書き] 泊瀬《はつせ》の山四四[#「四四」は行右小書き]の 大尾《おほを》四五[#「四五」は行右小書き]には 幡《はた》張《は》り立て、 さ小尾《をを》四六[#「四六」は行右小書き]には 幡張り立て、 大尾《おほを》四七[#「四七」は行右小書き]よし ながさだめる四八[#「四八」は行右小書き] 思ひ妻あはれ。 槻《つく》弓の四九[#「四九」は行右小書き] 伏《こや》る伏りも五〇[#「五〇」は行右小書き]、 梓弓五一[#「五一」は行右小書き] 立てり立てりも、 後も取り見る五二[#「五二」は行右小書き] 思ひ妻あはれ。  (歌謠番號九〇) [#ここで字下げ終わり]  また歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の川の 上《かみ》つ瀬《せ》に 齋杙《いくひ》五三[#「五三」は行右小書き]を打ち、 下《しも》つ瀬に ま杙《くひ》を打ち、 齋杙《いくひ》には 鏡を掛け、 ま杙には ま玉を掛け五四[#「五四」は行右小書き]、 ま玉なす 吾《あ》が思《も》ふ妹、 鏡なす 吾《あ》が思《も》ふ妻、 ありと いはばこそよ、 家にも行かめ。國をも偲《しの》はめ。  (歌謠番號九一) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて、すなはち共にみづから死せたまひき。かれこの二歌は讀歌五五[#「五五」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 帝位につくべきにきまつて。 二 異母の兄弟の婚姻はさしつかえないが、同母の場合は不倫とされる。 三 枕詞。語義不明。 四 地下に木で水の流れる道を作つて。以上譬喩による序。 五 人に知らせないでひそかに問いよる妻。 六 心の中でわが泣いている妻。 七 この夜。今過ぎて行く夜。 八 歌曲の名。しり上げ歌の意という。 九 以上、譬喩による序。ヤは感動の助詞。 一〇 たしかに、しかと。 一一 あの子は別れてもしかたがない。 一二 愛する人と。 一三 枕詞。 一四 歌曲の名。夷振は五六頁[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「天若日子」]に出た。 一五 安康天皇。 一六 物部氏。大前と小前との二人である。 一七 胴に同じ。矢の柄。但し異説がある。 一八 堅固な門。 一九 舞い躍つて。 二〇 袴を結ぶ紐につけた鈴。 二一 宮廷の人が立ちさわぐ。 二二 里の人もさわぐな。宮人がさわいでいるが、そんなに騷ぎを大きくするな。 二三 歌曲の名。 二四 天皇である皇子樣。 二五 枕詞。天飛ぶ雁の意に、カルの音に冠する。 二六 所在不明。 二七 鳩のように。 二八 したたかに。しつかりと。 二九 倚り寢て行き去れ。 三〇 愛媛縣の松山市の熅泉地。道後熅泉。 三一 歌曲の名。歌詞によつて名づける。 三二 その船の餘地で。 三三 わたしの座所をそのままにしておけ。タタミは敷物。人の去つた跡を動かすと、その人が歸つて來ないとする思想がある。 三四 わたしの妻に手をつけるな。 三五 歌曲の名。 三六 輕の大郎女。 三七 敍述による枕詞。 三八 所在不明。 三九 夜があけてからいらつしやい。 四〇 時久しくなつた。 四一 枕詞。次に説明があるが、それでもあきらかでない。ヤマタヅは、樹名今のニワトコで、葉が對生しているから、ムカヘに冠するという。「君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(萬葉集)。 四二 ヲは間投の助詞。 四三 枕詞。山につつまれている處の意。 四四 奈良縣磯城郡。 四五 ヲは高い土地。 四六 サは接頭語。大尾と共にあちこちの高みのところに。以上、次の句の序。 四七 語義不明。上の大尾にと同語を繰り返してオヨソの意を現すか、または別の副詞か。 四八 あなたの妻ときめた。動詞定むが四段活になつている。 四九 枕詞。槻の木の弓。 五〇 伏しても。ころがる意の動詞コユが再活して、伏しまろぶ意にコヤルと言つている。 五一 枕詞。 五二 後も近く見る。 五三 清淨の杙。祭を行うために杙をうつ。 五四 以上序で、次の玉と鏡の二つの枕詞を引き出す。川中に柱を立てて玉や鏡を懸けるのは、これによつて神を招いて穢を拂うのである。「こもりくの泊瀬の川の、上つ瀬に齋杙をうち、下つ瀬にま杙をうち、齋杙には鏡をかけ、ま杙にはま玉をかけ、ま玉なすわが念ふ妹も、鏡なすわが念ふ妹も、ありと言はばこそ、國にも家にも行かめ、誰が故か行かむ」(萬葉集)。 五五 歌曲の名。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔四、安康天皇〕[#「〔四、安康天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔目弱《まよわ》の王の變〕[#「〔目弱の王の變〕」は小見出し]  御子|穴穗《あなほ》の御子一[#「一」は行右小書き]、石《いそ》の上《かみ》の穴穗の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして天の下治らしめしき。  天皇、同母弟《いろせ》大|長谷《はつせ》の王子三[#「三」は行右小書き]のために、坂本《さかもと》の臣《おみ》等が祖《おや》根《ね》の臣を、大日下《おほくさか》の王四[#「四」は行右小書き]のもとに遣して、詔らしめたまひしくは、「汝が命の妹|若日下《わかくさか》の王を、大長谷の王子に合はせむとす。かれ獻るべし」とのりたまひき。ここに大日下の王四たび拜みて白さく、「けだしかかる大命《おほみこと》もあらむと思ひて、かれ、外《と》にも出さずて置きつ。こは恐し。大命のまにまに獻らむ」とまをしたまひき。然れども言《こと》もちて白す事は、それ禮《ゐや》なしと思ひて、すなはちその妹の禮物《ゐやじろ》五[#「五」は行右小書き]として、押木の玉縵《たまかづら》六[#「六」は行右小書き]を持たしめて、獻りき。根の臣すなはちその禮物《ゐやじろ》の玉縵《たまかづら》を盜み取りて、大日下の王を讒《よこ》しまつりて曰さく、「大日下の王は大命を受けたまはずて、おのが妹や、等《ひと》し族《うから》の下席《したむしろ》にならむ七[#「七」は行右小書き]といひて、大刀の手上《たがみ》取《とりしば》り八[#「八」は行右小書き]て、怒りましつ」とまをしき。かれ天皇いたく怒りまして、大日下の王を殺して、その王の嫡妻《むかひめ》長田《ながた》の大郎女九[#「九」は行右小書き]を取り持ち來て、皇后《おほぎさき》としたまひき。  これより後に、天皇|神牀《かむとこ》一〇[#「一〇」は行右小書き]にましまして、晝|寢《みね》したまひき。ここにその后に語らひて、「汝《いまし》思ほすことありや」とのりたまひければ、答へて曰さく「天皇《おほきみ》の敦き澤《めぐみ》を被《かがふ》りて、何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。ここにその大后の先《さき》の子|目弱《まよわ》の王一一[#「一一」は行右小書き]、これ年七歳になりしが、この王、その時に當りて、その殿の下に遊べり。ここに天皇、その少《わか》き王《みこ》の殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后に詔りたまはく、「吾は恆に思ほすことあり。何《な》ぞといへば、汝《いまし》の子目弱の王、人となりたらむ時、吾がその父王を殺せしことを知らば、還りて邪《きたな》き心一二[#「一二」は行右小書き]あらむか」とのりたまひき。ここにその殿の下に遊べる目弱の王、この言《みこと》を聞き取りて、すなはち竊に天皇の御寢《みね》ませるを伺ひて、その傍《かたへ》なる大刀を取りて、その天皇の頸をうち斬りまつりて、都夫良意富美《つぶらおほみ》一三[#「一三」は行右小書き]が家に逃れ入りましき。天皇、御年|五十六歳《いそぢまりむつ》。御陵は菅原《すがはら》の伏見《ふしみ》の岡《をか》一四[#「一四」は行右小書き]にあり。  ここに大長谷の王、その時《かみ》童男《おぐな》にましけるが、すなはちこの事を聞かして、慨《うれた》み怒りまして、その兄《いろせ》黒日子のもとに到りて、「人ありて天皇を取りまつれり。いかにかもせむ」とまをしたまひき。然れどもその黒日子の王、驚かずて、怠緩《おほろか》におもほせり。ここに大長谷の王、その兄を詈《の》りて、「一つには天皇にまし、一つには兄弟《はらから》にますを、何ぞは恃もしき心もなく、その兄を殺《と》りまつれることを聞きつつ、驚きもせずて、怠《おほろか》に坐せる」といひて、その衣|矜《くび》を取りて控《ひ》き出でて、刀《たち》を拔きてうち殺したまひき。またその兄|白日子《しろひこ》の王に到りまして、状《ありさま》を告げまをしたまひしに、前のごと緩《おほろか》に思ほししかば、黒日子の王のごと、すなはちその衣衿を取りて、引き率《ゐ》て、小治田《をはりだ》一五[#「一五」は行右小書き]に來到《きた》りて、穴を掘りて、立ちながらに埋みしかば、腰を埋む時に到りて、二つの目、走り拔けて死《う》せたまひき。  また軍を興して、都夫良意美《つぶらおみ》一六[#「一六」は行右小書き]が家を圍《かく》みたまひき。ここに軍を興して待ち戰ひて、射出づる矢|葦《あし》の如く來散りき。ここに大長谷の王、矛を杖として、その内を臨みて詔りたまはく、「我が語らへる孃子一七[#「一七」は行右小書き]は、もしこの家にありや」とのりたまひき。ここに都夫良意美、この詔命《おほみこと》を聞きて、みづからまゐ出《で》て、佩ける兵《つはもの》を解きて、八度|拜《をろが》みて、白しつらくは、「先に問ひたまへる女子《むすめ》訶良《から》比賣は、侍《さもら》は一八[#「一八」は行右小書き]む。また五處の屯倉《みやけ》一九[#「一九」は行右小書き]を副へて獻らむ[#割り注]いはゆる五處の屯倉は、今の葛城の五村の苑人なり。[#割り注終わり]然れどもその正身《ただみ》まゐ向かざる故は、古《むかし》より今に至るまで、臣連二〇[#「二〇」は行右小書き]の、王の宮に隱《こも》ることは聞けど、王子《みこ》の臣《やつこ》の家に隱りませることはいまだ聞かず。ここを以ちて思ふに、賤奴《やつこ》意富美は、力をつくして戰ふとも、更にえ勝つましじ。然れどもおのれを恃みて、陋《いや》しき家に入りませる王子は、命《いのち》死ぬとも棄てまつらじ」とかく白して、またその兵を取りて、還り入りて戰ひき。  ここに窮まり、矢も盡きしかば、その王子に白さく、「僕は痛手負ひぬ。矢も盡きぬ。今はえ戰はじ。如何にせむ」とまをししかば、その王子答へて詔りたまはく、「然らば更にせむ術《すべ》なし。今は吾を殺《し》せよ」とのりたまひき。かれ刀もちてその王子を刺し殺せまつりて、すなはちおのが頸を切りて死にき。 [#ここから2字下げ] 一 安康天皇。 二 奈良縣山邊郡。 三 雄略天皇。 四 仁徳天皇の皇子。 五 禮儀を現す贈物。 六 大きい木で作つた縵。玉は美稱。カヅラは、植物を輪にして頭上にのせる。二五頁[#「二五頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。この縵、日本書紀に別名として、立縵、磐木縵《いはきかづら》の名をあげ、また後に根の臣がこれを附けて若日下部の王に見顯されて罪せられる話がある。 七 わしの妹が、同じ仲間の使い女になろうか。ならないの意。 八 刀の柄をしかとにぎつて。 九 允恭天皇の皇女で安康天皇の同母妹に當るから、何か誤傳があるのだろうという。日本書紀には中蒂姫《なかしひめ》とある。 一〇 九二頁[#「九二頁」は「崇神天皇」の「美和の大物主」]脚註參照。 一一 先の夫大日下の王の子。 一二 わるい心。自分を憎む心。 一三 日本書紀に葛城の圓の大臣。オホミは大臣で尊稱。 一四 奈良縣生駒郡。 一五 奈良縣高市郡。 一六 ツブラオホミに同じ。オミはオホミの約言。 一七 ツブラオミの女カラヒメ。 一八 前にお尋ねになつた女はさしあげます。 一九 註にあるように葛城の五村の倉庫。 二〇 臣や連が。共に朝廷の臣下。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔市の邊の押齒の王〕[#「〔市の邊の押齒の王〕」は小見出し]  これより後、淡海の佐佐紀《ささき》の山《やま》の君が祖《おや》一[#「一」は行右小書き]、名は韓帒《からふくろ》白さく、「淡海の久多綿《くたわた》の蚊屋野《かやの》二[#「二」は行右小書き]に、猪鹿《しし》多《さは》にあり。その立てる足は、荻《すすき》原の如く、指擧《ささ》げたる角《つの》は、枯松《からまつ》の如し」とまをしき。この時市の邊《べ》の忍齒《おしは》の王三[#「三」は行右小書き]を相率《あとも》ひて、淡海にいでまして、その野に到りまししかば、おのもおのも異《こと》に假宮を作りて、宿りましき。  ここに明くる旦、いまだ日も出でぬ時に、忍齒の王、平《つね》の御心もちて、御馬《みま》に乘りながら、大長谷の王の假宮の傍に到りまして、その大長谷の王子の御伴人《みともびと》に詔りたまはく、「いまだも寤めまさぬか。早く白すべし。夜は既に曙《あ》けぬ。獵庭《かりには》にいでますべし」とのりたまひて馬を進めて出で行きぬ。ここに大長谷の王の御許《みもと》に侍ふ人ども、「うたて物いふ御子なれば、御心したまへ四[#「四」は行右小書き]。また御身をも堅めたまふべし」とまをしき。すなはち衣《みそ》の中に甲《よろひ》を服《け》し、弓矢を佩《お》ばして、馬に乘りて出で行きて、忽の間に馬より往き雙《なら》びて五[#「五」は行右小書き]、矢を拔きて、その忍齒の王を射落して、またその身《みみ》を切りて、馬|樎《ぶね》六[#「六」は行右小書き]に入れて、土と等しく埋みき七[#「七」は行右小書き]。  ここに市の邊の王の王子たち、意祁《おけ》の王、袁祁《をけ》の王八[#「八」は行右小書き]二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この亂を聞かして、逃げ去りましき。かれ山代《やましろ》の苅羽井《かりはゐ》九[#「九」は行右小書き]に到りまして、御|粮《かれひ》きこしめす時に、面《め》黥《さ》ける老人來てその御|粮《かれひ》を奪《と》りき。ここにその二柱の王、「粮は惜まず。然れども汝《いまし》は誰そ」とのりたまへば、答へて曰さく、「我《あ》は山代の豕甘《ゐかひ》一〇[#「一〇」は行右小書き]なり」とまをしき。かれ玖須婆《くすば》の河一一[#「一一」は行右小書き]を逃れ渡りて、針間《はりま》の國一二[#「一二」は行右小書き]に至りまし、その國人名は志自牟《しじむ》が家一三[#「一三」は行右小書き]に入りまして、身を隱して、馬甘《うまかひ》牛甘《うしかひ》に役《つか》はえたまひき一四[#「一四」は行右小書き]。 [#ここから2字下げ] 一 佐佐紀の山の君の祖先。山の君はカバネ。 二 滋賀縣愛知郡。 三 履中天皇の皇子。 四 變つたものをいう皇子だから注意しなさい。 五 馬上で進んで並んで。 六 馬の食物を入れる箱。 七 土と共に埋めた。 八 後の仁賢天皇と顯宗天皇。 九 京都府相樂郡。 一〇 豚を飼う者。 一一 淀川。 一二 兵庫縣の南部。 一三 兵庫縣|美嚢《みなぎ》郡|志染《しじみ》村。 一四 馬や牛を飼う者として使われた。なおこの物語は一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]に續く。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔五、雄略天皇〕[#「〔五、雄略天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]  大長谷の若建《わかたけ》の命一[#「一」は行右小書き]、長谷《はつせ》の朝倉《あさくら》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下の王が妹、若日下部の王に娶《あ》ひましき。[#割り注]子ましまさず。[#割り注終わり]また都夫良意富美が女、韓比賣《からひめ》に娶《あ》ひて、生みませる御子、白髮《しらが》の命、次に妹《いも》若帶《わかたらし》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ白髮の太子《みこのみこと》の御名代《みなしろ》として、白髮部《しらがべ》を定め、また長谷部《はつせべ》の舍人《とねり》を定め、また河瀬の舍人を定めたまひき。この時に呉人《くれびと》三[#「三」は行右小書き]まゐ渡り來つ。その呉人を呉原《くれはら》四[#「四」は行右小書き]に置きたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて呉原といふ。 [#ここから2字下げ] 一 雄略天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 中國南方の人。 四 奈良縣高市郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔若日下部の王〕[#「〔若日下部の王〕」は小見出し]  初め大后、日下一[#「一」は行右小書き]にいましける時、日下の直越《ただこえ》の道二[#「二」は行右小書き]より、河内に出《い》でましき。ここに山の上に登りまして、國内を見|放《さ》けたまひしかば、堅魚《かつを》を上げて舍屋《や》を作れる家三[#「三」は行右小書き]あり。天皇その家を問はしめたまひしく、「その堅魚《かつを》を上げて作れる舍は、誰が家ぞ」と問ひたまひしかば、答へて曰さく、「志幾《しき》の大縣主《おほあがたぬし》が家なり」と白しき。ここに天皇詔りたまはく、「奴や、おのが家を、天皇《おほきみ》の御舍《みあらか》に似せて造れり」とのりたまひて、すなはち人を遣して、その家を燒かしめたまふ時に、その大縣主、懼《お》ぢ畏《かしこ》みて、稽首《のみ》白さく、「奴にあれば、奴ながら覺《さと》らずて、過ち作れるが、いと畏きこと」とまをしき。かれ稽首《のみ》の御幣物《ゐやじり》四[#「四」は行右小書き]を獻る。白き犬に布を縶《か》けて、鈴を著けて、おのが族《やから》、名は腰佩《こしはき》といふ人に、犬の繩《つな》を取らしめて獻上りき。かれその火著くることを止めたまひき。すなはちその若日下部の王の御許《みもと》にいでまして、その犬を賜ひ入れて、詔らしめたまはく、「この物は、今日道に得つる奇《めづら》しき物なり。かれ妻問《つまどひ》の物五[#「五」は行右小書き]」といひて、賜ひ入れき。ここに若日下部の王、天皇に奏《まを》さしめたまはく、「日に背《そむ》きていでますこと、いと恐し。かれおのれ直《ただ》にまゐ上りて仕へまつらむ」とまをさしめたまひき。ここを以ちて宮に還り上ります時に、その山の坂の上に行き立たして、歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 日下部の 此方《こち》の山六[#「六」は行右小書き]と 疊薦《たたみこも》七[#「七」は行右小書き] 平群《へぐり》の山八[#「八」は行右小書き]の、 此方此方《こちごち》の九[#「九」は行右小書き] 山の峽《かひ》に 立ち榮《ざか》ゆる 葉廣《はびろ》熊白檮《くまかし》、 本には いくみ竹《だけ》一〇[#「一〇」は行右小書き]生ひ、 末《すゑ》へは たしみ竹一一[#「一一」は行右小書き]生ひ、 いくみ竹 いくみは寢ず一二[#「一二」は行右小書き]、 たしみ竹 たしには率宿《ゐね》ず一三[#「一三」は行右小書き]、 後もくみ寢む その思妻、あはれ。  (歌謠番號九二) [#ここで字下げ終わり]  すなはちこの歌を持たしめして、返し使はしき。 [#ここから2字下げ] 一 大阪府北河内郡生駒山の西麓。 二 生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越という。 三 屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材。 四 敬意を表するための贈物。 五 妻を求むる贈物。 六 今立つている山、生駒山。 七 枕詞。既出。 八 奈良縣生駒郡の山。既出。 九 あちこちの。 一〇 茂つた竹。 一一 しつかりした竹。 一二 密接しては寢ず。 一三 しかとは共に寢ず。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔引田《ひけた》部の赤猪子《あかゐこ》〕[#「〔引田部の赤猪子〕」は小見出し]  またある時天皇いでまして、美和河《みわがは》一[#「一」は行右小書き]に到ります時に、河の邊に衣《きぬ》洗ふ童女《をとめ》あり。それ顏いと好かりき。天皇その童女に、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく「おのが名は引田部《ひけたべ》の赤猪子《あかゐこ》とまをす」と白しき。ここに詔らしめたまひしくは「汝《いまし》、嫁《とつ》がずてあれ。今召さむぞ」とのりたまひて、宮に還りましつ。かれその赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳《やそとせ》を經たり。ここに赤猪子「命《みこと》を仰ぎ待ちつる間に、已に多《あまた》の年を經て、姿體《かほかたち》痩《やさか》み萎《かじ》けてあれば、更に恃むところなし。然れども待ちつる心を顯はしまをさずては、悒《いぶせ》きに忍《あ》へじ二[#「二」は行右小書き]」と思ひて、百取《ももとり》の机代《つくゑしろ》三[#「三」は行右小書き]の物を持たしめて、まゐ出で獻りき。然れども天皇、先に詔りたまひし事をば、既に忘らして、その赤猪子に問ひてのりたまはく、「汝《いまし》は誰しの老女《おみな》ぞ。何とかもまゐ來つる」と問はしければ、ここに赤猪子答へて白さく、「それの年のそれの月に、天皇が命を被《かがふ》りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳《やそとせ》を經たり。今は容姿既に老いて、更に恃むところなし。然れども、おのが志を顯はし白さむとして、まゐ出でつらくのみ」とまをしき。ここに天皇、いたく驚かして、「吾は既に先の事を忘れたり。然れども汝《いまし》志を守り命を待ちて、徒に盛の年を過ぐししこと、これいと愛悲《かな》し」とのりたまひて、御心のうちに召さむと欲《おも》ほせども、そのいたく老いぬるを悼みたまひて、え召さずて、御歌を賜ひき。その御歌、 [#ここから2字下げ] 御諸《みもろ》の 嚴白檮《いつかし》がもと四[#「四」は行右小書き]、 白檮《かし》がもと ゆゆしきかも五[#「五」は行右小書き]。 白檮原《かしはら》孃子《をとめ》六[#「六」は行右小書き]  (歌謠番號九三) [#ここで字下げ終わり]  また歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 引田《ひけた》七[#「七」は行右小書き]の 若|栗栖原《くるすばら》八[#「八」は行右小書き]、 若くへに九[#「九」は行右小書き] 率寢《ゐね》てましもの。 老いにけるかも。  (歌謠番號九四) [#ここで字下げ終わり]  ここに赤猪子が泣く涙、その服《け》せる丹摺《にすり》の袖一〇[#「一〇」は行右小書き]を悉《ことごと》に濕らしつ。その大御歌に答へて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 御諸に 築《つ》くや玉垣《たまかき》一一[#「一一」は行右小書き]、 築《つ》きあまし一二[#「一二」は行右小書き] 誰《た》にかも依らむ一三[#「一三」は行右小書き]。 神の宮人。  (歌謠番號九五) [#ここで字下げ終わり]  また歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 日下江《くさかえ》一四[#「一四」は行右小書き]の 入江の蓮《はちす》、 花蓮《はなばちす》一五[#「一五」は行右小書き] 身の盛人、 ともしきろかも。  (歌謠番號九六) [#ここで字下げ終わり]  ここにその老女《おみな》に物|多《さは》に給ひて、返し遣りたまひき。かれこの四歌は志都歌一六[#「一六」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 泊瀬川の、三輪山に接して流れる所。 二 心がはれないのに堪えない。 三 多くの進物。 四 神社の嚴然たる白檮の木の下。 五 憚るべきである。 六 白檮原に住む孃子。引田部の赤猪子を、その住所によつていう。 七 三輪山近くの地名。 八 若い栗の木の原。 九 若い時代に。 一〇 赤い染料ですりつけて染めた衣服の袖。 一一 ヤは感動の助詞。神社で作る垣。 一二 作り殘して。作ることが出來ないで。 一三 誰にたよりましようか。この歌、琴歌譜に載せ、垂仁天皇がお妃と共に三輪山にお登りになつた時の歌とする別傳を載せている。 一四 大和川が作つている江。 一五 以上譬喩。 一六 歌曲の名。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔吉野の宮〕[#「〔吉野の宮〕」は小見出し]  天皇|吉野《えしの》の宮にいでましし時、吉野川の邊に、童女《をとめ》あり、それ形姿美麗《かほよ》かりき。かれこの童女を召して、宮に還りましき。後に更に吉野《えしの》にいでましし時に、その童女の遇ひし所に留まりまして、其處《そこ》に大御|呉床《あぐら》を立てて、その御呉床にましまして、御琴を彈かして、その童女に儛はしめたまひき。ここにその童女の好く儛へるに因りて、御歌よみしたまひき。その御歌、 [#ここから2字下げ] 呉床座《あぐらゐ》の 神の御手もち一[#「一」は行右小書き] 彈く琴に 儛する女《をみな》、 常世《とこよ》にもがも二[#「二」は行右小書き]。  (歌謠番號九七) [#ここで字下げ終わり]  すなはち阿岐豆野《あきづの》三[#「三」は行右小書き]にいでまして、御獵したまふ時に、天皇、御呉床にましましき。ここに、虻《あむ》、御腕《ただむき》を咋《く》ひけるを、すなはち蜻蛉《あきづ》來て、その虻《あむ》を咋《く》ひて、飛《と》びき。ここに御歌よみしたまへる、その御歌、 [#ここから2字下げ] み吉野《えしの》の 袁牟漏《をむろ》が嶽《たけ》四[#「四」は行右小書き]に 猪鹿《しし》伏すと、 誰《たれ》ぞ 大前五[#「五」は行右小書き]に申す。 やすみしし 吾《わ》が大君の 猪鹿《しし》待つと 呉床《あぐら》にいまし、 白栲《しろたへ》の 袖《そで》著具《きそな》ふ六[#「六」は行右小書き] 手腓《たこむら》七[#「七」は行右小書き]に 虻《あむ》掻き著き、 その虻を 蜻蛉《あきづ》早|咋《く》ひ、 かくのごと 名に負はむと、 そらみつ 倭《やまと》の國を 蜻蛉島《あきづしま》とふ。  (歌謠番號九八) [#ここで字下げ終わり]  かれその時より、その野に名づけて阿岐豆野《あきづの》といふ。 [#ここから2字下げ] 一 天皇の御手で。作者自身の事に敬語を使うのは、例が多く、これも後の歌曲として歌われたものだからである。 二 永久にありたい。常世は永久の世界。 三 吉野山中にある。藤原の宮時代の吉野の宮の所在地。 四 吉野山中の一峰だろうが、所在不明。 五 天皇の御前。 六 白い織物の衣服の袖を著用している。 七 腕の肉の高いところ。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔葛城山〕[#「〔葛城山〕」は小見出し]  またある時、天皇|葛城《かづらき》の山の上に登り幸でましき。ここに大きなる猪出でたり。すなはち天皇|鳴鏑《なりかぶら》をもちてその猪を射たまふ時に、その猪怒りて、うたき依り來一[#「一」は行右小書き]。かれ天皇、そのうたきを畏みて、榛《はり》の木の上に登りましき。ここに御歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] やすみしし 吾《わ》が大君の 遊ばしし二[#「二」は行右小書き] 猪の、 病猪《やみしし》の うたき畏み、 わが 逃げ登りし、 あり岡《を》の三[#「三」は行右小書き] 榛《はり》の木の枝。  (歌謠番號九九) [#ここで字下げ終わり]  またある時、天皇葛城山に登りいでます時に、百官《つかさつかさ》の人ども、悉《ことごと》に紅《あか》き紐《ひも》著けたる青摺の衣《きぬ》を給はりて著《き》たり。その時にその向ひの山の尾四[#「四」は行右小書き]より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿《みゆきのつら》に等しく五[#「五」は行右小書き]、またその束裝《よそひ》のさま、また人どもも、相似て別れず。ここに天皇見|放《さ》けたまひて、問はしめたまはく、「この倭《やまと》の國に、吾《あれ》を除《お》きてまた君は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせるさまも、天皇の命《みこと》の如くなりき。ここに天皇いたく忿《いか》りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。かれ天皇また問ひたまはく、「その名を告《の》らさね。ここに名を告りて、矢放たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「吾《あれ》まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。吾《あ》は惡《まが》事も一言、善事《よごと》も一言、言離《ことさか》の神、葛城《かづらき》の一言主《ひとことぬし》の大神六[#「六」は行右小書き]なり」とのりたまひき。天皇ここに畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、現《うつ》しおみまさむとは、覺《し》らざりき七[#「七」は行右小書き]」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの服《け》せる衣服《きもの》を脱がしめて、拜み獻りき。ここにその一言主の大神、手打ちてその捧物《ささげもの》を受けたまひき。かれ天皇の還りいでます時、その大神、山の末《は》にいはみて八[#「八」は行右小書き]、長谷の山口九[#「九」は行右小書き]に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顯れたまへるなり。 [#ここから2字下げ] 一 口をあけて近づいてくる。 二 射とめたの敬語法。 三 そこにある岡の。 四 ヲは山の稜線。 五 天皇の行列と同樣に。 六 わしは凶事も一言、吉事も一言で、きめてしまう神の、葛城の一言主の神だ。この神の一言で、吉凶が定まるとする思想。これは託宣に現れる神であるが、この時に現實に出たとするのである。 七 現實のお姿があろうとは思いませんでした。ウツシは現實にある意の形容詞。オミは相手の敬稱。この語、原文「宇都志意美」。從來、現し御身の義とされたが、美はミの甲類の音で、身の音と違う。 八 山のはしに集まつて。 九 天皇の皇居である。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔春日の袁杼比賣と三重の采女〕[#「〔春日の袁杼比賣と三重の采女〕」は小見出し]  また天皇、丸邇《わに》の佐都紀《さつき》の臣が女、袁杼《をど》比賣を婚《よば》ひに、春日一[#「一」は行右小書き]にいでましし時、媛女《をとめ》、道に逢ひて、すなはち幸行《いでまし》を見て、岡邊《をかび》に逃げ隱りき。かれ御歌よみしたまへる、その御歌、 [#ここから2字下げ] 孃子《をとめ》の い隱《かく》る岡を 金鉏《かなすき》も 五百箇《いほち》もがも二[#「二」は行右小書き]。 鉏《す》き撥《は》ぬるもの。  (歌謠番號一〇〇) [#ここで字下げ終わり]  かれその岡に名づけて、金鉏《かなすき》の岡といふ。  また天皇、長谷の百枝槻《ももえつき》三[#「三」は行右小書き]の下にましまして、豐の樂《あかり》きこしめしし時に、伊勢の國の三重の婇《うねめ》四[#「四」は行右小書き]、大御盞《おほみさかづき》を捧げて獻りき。ここにその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮びき。その婇、落葉の御盞《みさかづき》に浮べるを知らずて、なほ大御酒獻りけるに、天皇、その御盞に浮べる葉を看そなはして、その婇を打ち伏せ、御|佩刀《はかし》をその頸に刺し當てて、斬らむとしたまふ時に、その婇、天皇に白して曰さく、「吾が身をな殺したまひそ。白すべき事あり」とまをして、すなはち歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 纏向《まきむく》の 日代《ひしろ》の宮五[#「五」は行右小書き]は、 朝日の 日|照《で》る宮。 夕日の 日|陰《がけ》る宮。 竹の根の 根足《ねだ》る宮六[#「六」は行右小書き]。 木《こ》の根《ね》の 根蔓《ねば》ふ宮。 八百土《やほに》よし七[#「七」は行右小書き] い杵築《きづき》の宮八[#「八」は行右小書き]。 ま木《き》さく 日の御門、 新嘗屋《にひなへや》九[#「九」は行右小書き]に 生ひ立《だ》てる 百|足《だ》る一〇[#「一〇」は行右小書き] 槻《つき》が枝《え》は、 上《ほ》つ枝《え》は 天を負《お》へり。 中つ枝は 東《あづま》を負へり一一[#「一一」は行右小書き]。 下枝《しづえ》は 鄙《ひな》を負へり。 上《ほ》つ枝《え》の 枝《え》の末葉《うらば》は 中つ枝に 落ち觸らばへ一二[#「一二」は行右小書き]、 中つ枝の 枝の末葉は 下《しも》つ枝に 落ち觸らばへ、 下《しづ》枝の 枝の末葉は あり衣《ぎぬ》の一三[#「一三」は行右小書き] 三重の子が 捧《ささ》がせる 瑞玉盃《みづたまうき》一四[#「一四」は行右小書き]に 浮きし脂《あぶら》 落ちなづさひ一五[#「一五」は行右小書き]、 水《みな》こをろこをろに一六[#「一六」は行右小書き]、 こしも あやにかしこし。 高光る 日の御子。 事の 語りごとも こをば一七[#「一七」は行右小書き]。  (歌謠番號一〇一) [#ここで字下げ終わり]  かれこの歌を獻りしかば、その罪を赦したまひき。ここに大后一八[#「一八」は行右小書き]の歌よみしたまへる、その御歌、 [#ここから2字下げ] 倭《やまと》の この高市《たけち》一九[#「一九」は行右小書き]に 小高《こだか》る 市《いち》の高處《つかさ》二〇[#「二〇」は行右小書き]、 新嘗屋《にひなへや》に 生ひ立《だ》てる 葉廣《はびろ》 ゆつま椿《つばき》、 そが葉の 廣りいまし、 その花の 照りいます 高光る 日の御子に、 豐御酒《とよみき》 獻らせ二一[#「二一」は行右小書き]。 事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號一〇二) [#ここで字下げ終わり]  すなはち天皇歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] ももしきの 大宮人《おほみやひと》は、 鶉鳥《うづらとり》二二[#「二二」は行右小書き]  領布《ひれ》二三[#「二三」は行右小書き]取り掛けて 鶺鴒《まなばしら》二四[#「二四」は行右小書き] 尾行き合へ 庭雀《にはすずめ》二五[#「二五」は行右小書き]、うずすまり居て 今日もかも 酒《さか》みづくらし二六[#「二六」は行右小書き]。 高光る 日の宮人。 事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號一〇三) [#ここで字下げ終わり]  この三歌は、天語《あまがたり》歌二七[#「二七」は行右小書き]なり。かれ豐《とよ》の樂《あかり》に、その三重の婇を譽めて、物|多《さは》に給ひき。  この豐の樂の日、また春日の袁杼比賣《をどひめ》が大御酒獻りし時に、天皇の歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 水灌《みなそそ》く二八[#「二八」は行右小書き] 臣《おみ》の孃子《をとめ》、 秀罇《ほだり》取らすも二九[#「二九」は行右小書き]。 秀罇取り 堅く取らせ。 下堅《したがた》く 彌堅《やがた》く取らせ。 秀罇取らす子。  (歌謠番號一〇四) [#ここで字下げ終わり]  こは宇岐《うき》歌三〇[#「三〇」は行右小書き]なり。ここに袁杼比賣、歌獻りき。その歌、 [#ここから2字下げ] やすみしし 吾が大君の 朝戸《あさと》三一[#「三一」は行右小書き]には い倚り立《だ》たし、 夕戸には い倚り立《だ》たす 脇几《わきづき》三二[#「三二」は行右小書き]が 下の 板にもが。吾兄《あせ》三三[#「三三」は行右小書き]を。  (歌謠番號一〇五) [#ここで字下げ終わり]  こは志都《しづ》歌三四[#「三四」は行右小書き]なり。  天皇、御年、一百二十四歳《ももちまりはたちよつ》。[#割り注]己巳の年八月九日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内《かふち》の多治比《たぢひ》の高鸇《たかわし》三五[#「三五」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 和邇氏の居住地で、奈良市の東部。 二 金屬の鋤もたくさんほしい。 三 枝のしげつた槻の木。 四 伊勢の國の三重の地から出た采女。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。 五 景行天皇の皇居。長谷の朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事として取り上げたものだろう。 六 根の張つている宮。 七 枕詞。たくさんの土。 八 杵でつき堅めた宮。 九 新穀で祭をする家屋。 一〇 枝が茂つて充實している。 一一 東方をせおつている。 一二 續いて觸れている。 一三 枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。 一四 ミヅは生氣のある。美しい盃。 一五 浮いた脂のように落ち漂つて。ナヅサヒは、水を分ける。 一六 水がごろごろして。この數句、天地の初發の神話に見える句で、その神話の傳え手との關係を思わせるものがある。 一七 四五頁[#「四五頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]參照。 一八 皇后。 一九 高いところ。 二〇 市の高み。 二一 奉るの敬語の命令形。 二二 譬喩による枕詞。鶉は頭から胸にかけて白い斑があるので、領布をかけるに冠する。 二三 四二頁[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]參照。 二四 譬喩。セキレイ。 二五 譬喩による枕詞。 二六 酒宴をするらしい。 二七 歌曲の名。 二八 枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。 二九 たけの高い酒瓶をお取りになる。 三〇 歌曲の名。酒盃の歌の意。 三一 朝の御座。 三二 よりかかる机、脇息。 三三 はやし詞。 三四 歌曲の名。 三五 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔六、清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇〕[#「〔六、清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇〕」は中見出し] [#5字下げ]〔清寧天皇〕[#「〔清寧天皇〕」は小見出し]  御子、白髮《しらが》の大倭根子《おほやまとねこ》の命一[#「一」は行右小書き]、伊波禮《いはれ》の甕栗《みかくり》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。  この天皇、皇后ましまさず、御子もましまさざりき。かれ御名代として、白髮部《しらがべ》を定めたまひき。かれ天皇|崩《かむあが》りまして後、天の下治らすべき御子ましまさず。ここに日繼知らしめさむ御子を問ひて、市の邊の忍齒別《おしはわけ》の王の妹、忍海《おしぬみ》の郎女、またの名は飯豐《いひとよ》の王、葛城の忍海の高木の角刺《つのさし》の宮三[#「三」は行右小書き]にましましき。 [#ここから2字下げ] 一 清寧天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 奈良縣南葛城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔志自牟の新室樂〕[#「〔志自牟の新室樂〕」は小見出し]  ここに山部《やまべ》の連《むらじ》小楯《をたて》、針間《はりま》の國の宰《みこともち》一[#「一」は行右小書き]に任《よ》さされし時に、その國の人民《おほみたから》名は志自牟《しじむ》が新室に到りて樂《うたげ》しき。ここに盛《さかり》に樂《うた》げて酒|酣《なかば》なるに、次第《つぎて》をもちてみな儛ひき。かれ火|燒《たき》の小子《わらは》二人、竈《かまど》の傍《へ》に居たる、その小子どもに儛はしむ。ここにその一人の小子、「汝兄《なせ》まづ儛ひたまへ」といへば、その兄も、「汝弟《なおと》まづ儛ひたまへ」といひき。かく相讓る時に、その會《つど》へる人ども、その讓れる状《さま》を咲《わら》ひき。ここに遂に兄儛ひ訖りて、次に弟儛はむとする時に、詠《ながめごと》したまひつらく、 [#ここから2字下げ] 物《もの》の部《ふ》二[#「二」は行右小書き]の、わが夫子《せこ》が、取り佩《は》ける、大刀の手上《たがみ》に、丹書《にか》き著け三[#「三」は行右小書き]、その緒には、赤幡《あかはた》を裁ち四[#「四」は行右小書き]、赤幡たちて見れば、い隱る、山の御尾の、竹を掻き苅り、末押し靡かすなす五[#「五」は行右小書き]、八絃《やつを》の琴を調《しら》べたるごと六[#「六」は行右小書き]、天の下|治《し》らし給《た》びし、伊耶本和氣《いざほわけ》の天皇七[#「七」は行右小書き]の御子、市の邊の押齒の王《みこ》の、奴《やつこ》、御末《みすゑ》八[#「八」は行右小書き]。 [#ここで字下げ終わり]  とのりたまひつ。ここにすなはち小楯の連聞き驚きて、床《とこ》より墮ち轉《まろ》びて、その室の人どもを追ひ出して、その二柱の御子を、左右《ひだりみぎり》の膝の上《へ》に坐《ま》せまつりて、泣き悲みて、人民どもを集へて、假宮を作りて、その假宮に坐《ま》せまつり置きて、驛使《はゆまづかひ》上りき。ここにその御|姨《をば》飯豐《いひとよ》の王、聞き歡ばして、宮に上《のぼ》らしめたまひき。 [#ここから2字下げ] 一 播磨の國の長官。この物語は、一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]の市の邊の忍齒の王の殺された物語の續きになる。 二 朝廷に仕える部族。古くは武士には限らない。 三 大刀の柄に赤い畫をかき。 四 赤い織物を切つて。 五 竹の末をおし伏せるように。勢いのよい形容。 六 絃の多い琴をひくように。さかんにの形容。 七 履中天皇。 八 われらはその子孫である。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔歌垣〕[#「〔歌垣〕」は小見出し]  かれ天の下治らしめさむとせしほどに、平群《へぐり》の臣が祖《おや》、名は志毘《しび》の臣、歌垣《うたがき》に立ちて一[#「一」は行右小書き]、その袁祁《をけ》の命の婚《よば》はむとする美人《をとめ》の手を取りつ。その孃子は、菟田《うだ》の首《おびと》等が女、名は大魚《おほを》といへり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 大宮の をとつ端手《はたで》二[#「二」は行右小書き] 隅《すみ》傾《かたぶ》けり。  (歌謠番號一〇六) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて、その歌の末を乞ふ時に、袁祁の命歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 大匠《おほたくみ》 拙劣《をぢな》みこそ三[#「三」は行右小書き] 隅傾けれ。  (歌謠番號一〇七) [#ここで字下げ終わり]  ここに志毘の臣、また歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 大君の 心をゆらみ四[#「四」は行右小書き]、 臣の子の 八重の柴垣 入り立たずあり。  (歌謠番號一〇八) [#ここで字下げ終わり]  ここに王子また歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 潮瀬《しほぜ》の 波折《なをり》を見れば五[#「五」は行右小書き]、 遊び來る 鮪《しび》が端手《はたで》に 妻立てり見ゆ。  (歌謠番號一〇九) [#ここで字下げ終わり]  ここに志毘の臣、いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、 [#ここから2字下げ] 大君の 王《みこ》の柴垣、 八節結《やふじま》り 結《しま》りもとほし六[#「六」は行右小書き] 截《き》れむ柴垣。燒けむ柴垣。  (歌謠番號一一〇) [#ここで字下げ終わり]  ここに王子また歌ひたまひしく、 [#ここから2字下げ] 大魚《おふを》よし七[#「七」は行右小書き] 鮪《しび》衝《つ》く八[#「八」は行右小書き]海人《あま》よ、 其《し》があれば うら戀《こほ》しけむ九[#「九」は行右小書き]。 鮪衝く鮪一〇[#「一〇」は行右小書き]。  (歌謠番號一一一) [#ここで字下げ終わり]  かく歌ひて、鬪《かが》ひ明して一一[#「一一」は行右小書き]、おのもおのも散《あら》けましつ。明くる旦時《あした》、意祁《おけ》の命、袁祁《をけ》の命二柱|議《はか》りたまはく、「およそ朝廷《みかど》の人どもは、旦《あした》には朝廷に參り、晝は志毘が門《かど》に集《つど》ふ。また今は志毘かならず寢ねたらむ。その門に人も無けむ。かれ今ならずは、謀り難けむ」とはかりて、すなはち軍を興して、志毘の臣が家を圍《かく》みて、殺《と》りたまひき。  ここに二柱の御子たち、おのもおのも天の下を讓りたまひき。意富祁《おほけ》の命一二[#「一二」は行右小書き]、その弟袁祁の命に讓りてのりたまはく、「針間《はりま》の志自牟《しじむ》が家に住みし時に、汝《な》が命名を顯はさざらませば一三[#「一三」は行右小書き]、更に天の下知らさむ君とはならざらまし。これ既に汝《な》が命の功《いさを》なり。かれ吾、兄にはあれども、なほ汝が命まづ天の下を治らしめせ」とのりたまひて、堅く讓りたまひき。かれえ辭《いな》みたまはずて、袁祁の命、まづ天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 男女あつまつて互に歌をかけあう行事に出て。 二 あちらの出ている所。 三 大工が下手だから。 四 心がゆるいので。 五 海水の瀬にうちかかる波を見れば。ナヲリは、波がよせてくずれるもの。 六 多くの小間で結んで、結び𢌞らしてあるが。 七 枕詞。大きい魚よ。 八 シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリで突くから、シビツクという。 九 志毘があるので、姫が心中戀しく思われるだろう。 一〇 その鮪を突く、鮪を。この歌、宣長は、別の時の王子の歌といい、橘守部は、志毘の臣の歌だという。 一一 歌をかけ合つて夜を明かして。 一二 オケの命に同じ。仁賢天皇。元來、この兄弟は、オホ(大)、ヲ(小)を冠する御名になつているので、オケのオも大の意である。 一三 あなたが名を顯さなかつたとしたら。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔顯宗天皇〕[#「〔顯宗天皇〕」は小見出し]  伊弉本別《いざほわけ》の王の御子、市の邊の忍齒の王の御子、袁祁《をけ》の石巣別《いはすわけ》の命一[#「一」は行右小書き]、近つ飛鳥の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、八歳《やとせ》天の下治らしめしき。この天皇、石木《いはき》の王の女難波の王に娶ひしかども、御子ましまさざりき。  この天皇、その父王市の邊の王の御骨《みかばね》を求《ま》ぎたまふ時に、淡海《あふみ》の國なる賤しき老媼《おみな》まゐ出て白さく、「王子の御骨を埋みし所は、もはら吾よく知れり。またその御齒もちて知るべし」とまをしき。[#割り注]御齒は三枝なす三[#「三」は行右小書き]押齒に坐しき。[#割り注終わり]ここに民を起《た》てて、土を掘りて、その御骨を求ぎて、すなはちその御骨を獲て、その蚊屋野の東《ひむかし》の山に、御陵作りて葬《をさ》めまつりて、韓帒《からふくろ》四[#「四」は行右小書き]が子どもに、その御陵を守らしめたまひき。然ありて後に、その御骨を持ち上《のぼ》りたまひき。かれ還り上りまして、その老媼を召して、その見失はず、さだかにその地を知れりしことを譽めて、置目《おきめ》の老媼《おみな》五[#「五」は行右小書き]といふ名を賜ひき。よりて宮の内に召し入れて、敦《あつ》く廣く惠みたまふ。かれその老媼の住む屋をば、宮の邊《へ》近く作りて、日ごとにかならず召す。かれ大殿の戸に鐸《ぬりて》六[#「六」は行右小書き]を掛けて、その老媼を召したまふ時は、かならずその鐸《ぬりて》を引き鳴らしたまひき。ここに御歌よみしたまへる、その歌、 [#ここから2字下げ] 淺茅原 小谷《をだに》を過ぎて七[#「七」は行右小書き]、 百傳ふ八[#「八」は行右小書き] 鐸《ぬて》搖《ゆら》くも。 置目|來《く》らしも。  (歌謠番號一一二) [#ここで字下げ終わり]  ここに置目の老媼、「僕いたく老いにたれば、本つ國に退《まか》らむとおもふ」とまをしき。かれ白せるまにまに、退《まか》りし時に天皇見送りて歌よみしたまひしく、 [#ここから2字下げ] 置目もや九[#「九」は行右小書き] 淡海の置目、 明日よりは み山|隱《がく》りて 見えずかもあらむ。  (歌謠番號一一三) [#ここで字下げ終わり]  初め天皇、難《わざはひ》に逢ひて、逃げましし時に、その御|粮《かれひ》を奪《と》りし猪甘《ゐかひ》の老人《おきな》を求《ま》ぎたまひき。ここに求ぎ得て、喚び上げて、飛鳥河の河原に斬りて、みなその族《やから》どもの膝の筋を斷ちたまひき。ここを以ちて今に至るまで、その子孫《こども》倭に上る日、かならずおのづから跛《あしなへ》くなり。かれその老の所在《ありか》を能く見しめき。かれ其處《そこ》を志米須《しめす》一〇[#「一〇」は行右小書き]といふ。  天皇、その父王を殺したまひし大長谷《おほはつせ》の天皇一一[#「一一」は行右小書き]を深く怨みまつりて、その御靈一二[#「一二」は行右小書き]に報いむと思ほしき。かれその大長谷の天皇の御陵を毀《やぶ》らむと思ほして、人を遣す時に、その同母兄《いろせ》意祁《おけ》の命奏して言《まを》さく、「この御陵を壞らむには、他《あだ》し人を遣すべからず。もはら僕みづから行きて、大君の御心のごと壞《やぶ》りてまゐ出む」とまをしたまひき。ここに天皇、「然らば命のまにまにいでませ」と詔りたまひき。ここを以ちて意祁《おけ》の命、みづから下りいでまして、その御陵の傍《かたへ》を少し掘りて還り上らして、復奏《かへりごと》して言《まを》さく、「既に掘り壞りぬ」とまをしたまひき。ここに天皇、その早く還り上りませることを怪みまして、「如何《いかさま》に壞りたまひつる」と詔りたまへば、答へて白さく、「その御陵の傍の土を少し掘りつ」とまをしたまひき。天皇詔りたまはく、「父王《ちちみこ》の仇を報いまつらむと思へば、かならずその御陵を悉《ことごと》に壞りなむを。何とかも少しく掘りたまひつる」と詔りたまひしかば、答へて曰さく、「然しつる故は、父王の仇を、その御靈に報いむと思ほすは、誠に理《ことわり》なり。然れどもその大長谷の天皇は、父の仇にはあれども、還りては一三[#「一三」は行右小書き]我が從父《をぢ》一四[#「一四」は行右小書き]にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今|單《ひとへ》に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の御陵を悉に壞りなば、後の人かならず誹《そし》りまつらむ。ただ、父王の仇は、報いずはあるべからず。かれその御陵の邊を少しく掘りつ。既にかく恥かしめまつれば、後の世に示すにも足りなむ」と、かくまをしたまひしかば、天皇、答へ詔りたまはく、「こもいと理なり。命《みこと》の如くて可《よ》し」と詔りたまひき。かれ天皇崩りまして、すなはち意富祁《おほけ》の命、天つ日繼知らしめき。  天皇、御年|三十八歳《みそぢまりやつ》、八歳《やとせ》天の下治らしめしき。御陵は片岡の石坏《いはつき》の岡一五[#「一五」は行右小書き]の上にあり。 [#ここから2字下げ] 一 顯宗天皇。 二 大阪府南河内郡。 三 先が三つに別れた大きい齒であつた。 四 一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]に出た佐佐紀の山の君の祖。 五 見ておいたお婆さん。 六 大形の鈴。 七 淺茅の原や谷を過ぎて。さまざまの地形を通つて。 八 方々傳つて。 九 置目と呼びかける語法。モヤは感動の助詞。この句、日本書紀に「置目もよ」。 一〇 所在不明。 一一 雄略天皇。 一二 既に崩ぜられたのでかくいう。 一三 また考えれば。 一四 雄略天皇と押齒の王とは仁徳天皇の孫で從兄弟であり、仁賢顯宗の兩天皇からは、雄略天皇は、父のいとこに當る。 一五 奈良縣北葛城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔仁賢天皇〕[#「〔仁賢天皇〕」は小見出し]  袁祁の王の兄、意富祁《おほけ》の王一[#「一」は行右小書き]、石《いそ》の上《かみ》の廣高の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大長谷の若建《わかたけ》の天皇の御子、春日の大郎女に娶ひて、生みませる御子、高木の郎女、次に財《たから》の郎女、次に久須毘《くすび》の郎女、次に手白髮《たしらが》の郎女、次に小長谷《をはつせ》の若雀《わかさざき》の命、次に眞若《まわか》の王。また丸邇《わに》の日爪《ひのつま》の臣が女、糠《ぬか》の若子《わくご》の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の小田《をだ》の郎女。この天皇の御子たち、并せて、七柱。この中、小長谷の若雀の命は天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 仁賢天皇。この天皇の記事には御陵の事がない。これから以下は、物語の部分が無く、帝紀の原形に近いようである。 二 奈良縣山邊郡。 [#ここで字下げ終わり] [#3字下げ]〔七、武烈天皇以後九代〕[#「〔七、武烈天皇以後九代〕」は中見出し] [#5字下げ]〔武烈天皇〕[#「〔武烈天皇〕」は小見出し]  小長谷の若雀の命一[#「一」は行右小書き]、長谷の列木《なみき》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、八歳天の下治らしめしき。この天皇、太子《ひつぎのみこ》ましまさず。かれ御子代として、小長谷部《をはつせべ》を定めたまひき。御陵は片岡の石坏《いはつき》の岡三[#「三」は行右小書き]にあり。天皇既に崩りまして、日續知らしめすべき王ましまさず。かれ品太《ほむだ》の天皇四[#「四」は行右小書き]五世《いつつぎ》の孫《みこ》五[#「五」は行右小書き]、袁本杼《をほど》の命を近つ淡海の國より上りまさしめて、手白髮《たしらが》の命に合はせて、天の下を授けまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 武烈天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 奈良縣北葛城郡。 四 應神天皇。 五 オホホドの王の系統であるが、古事記日本書紀にはその系譜は記されない。ただ釋日本紀に引いた上宮記という今日亡んだ書にだけその系譜が見える。應神天皇―若野毛二俣の王―意富富杼の王―宇非の王―彦大人の王―袁本杼の王。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔繼體天皇〕[#「〔繼體天皇〕」は小見出し]  品太《ほむだ》の王の五世の孫|袁本杼《をほど》の命一[#「一」は行右小書き]、伊波禮《いはれ》の玉穗《たまほ》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。天皇|三尾《みを》の君等が祖、名は若比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎子《おほいらつこ》、次に出雲の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また尾張の連等が祖、凡《おほし》の連が妹、目子の郎女に娶ひて、生みませる御子、廣國押建金日《ひろくにおしたけかなひ》の命、次に建小《たけを》廣國押楯の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また意富祁《おほけ》の天皇の御子、手白髮の命[#割り注]こは大后にます。[#割り注終わり]に娶ひて、生みませる御子、天國押波流岐廣庭《あめくにおしはるきひろには》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また息長《おきなが》の眞手《まて》の王が女、麻組《をくみ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、佐佐宜《ささげ》の郎女一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また坂田の大俣《おほまた》の王が女、黒比賣に娶ひて、生みませる御子、神前《かむさき》の郎女、次に茨田《うまらた》の郎女、次に白坂《しらさか》の活目《いくめ》子の郎女、次に小野《をの》の郎女、またの名は長目《ながめ》比賣四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]三[#「三」は行右小書き]。また三尾《みを》の君|加多夫《かたぶ》が妹、倭《やまと》比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎女、次に丸高《まろたか》の王、次に耳《みみ》の王、次に赤比賣の郎女四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また阿部の波延《はえ》比賣に娶ひて、生みませる御子、若屋《わかや》の郎女、次に都夫良《つぶら》の郎女、次に阿豆《あづ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并せて十九王《とをまりここのはしら》。[#割り注]男王七柱、女王十二柱。[#割り注終わり]この中、天國押波流岐廣庭の命は、天の下治らしめしき。次に廣國押建金日の命も天の下治らしめしき。次に建小廣國押楯の命も天の下治らしめしき。次に佐佐宜の王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまひき。この御世に、竺紫《つくし》の君|石井《いはゐ》四[#「四」は行右小書き]、天皇の命に從はずして禮《ゐや》無きこと多かりき。かれ物部《もののべ》の荒甲《あらかひ》の大連《おほむらじ》、大伴《おほとも》の金村《かなむら》の連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。  天皇、御年|四十三歳《よそぢまりみつ》。[#割り注]丁未の年四月九日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は三島の藍の陵五[#「五」は行右小書き]なり。 [#ここから2字下げ] 一 繼體天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 次に茨田の郎女以下、底本に「次田郎女次田郎女次白坂沽日子郎女次野郎女亦名長目比賣、二柱」とあり、古事記傳に「次茨田郎女次馬來田郎女三柱、又娶茨田連小望之女關比賣生御子茨田大郎女次白坂活日子郎女次小野郎女亦名長目比賣三柱」とする。 四 福岡縣久留米市の附近に居た豪族。 五 大阪府三島郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔安閑天皇〕[#「〔安閑天皇〕」は小見出し]  御子|廣國押建金日《ひろくにおしたけかなひ》の王一[#「一」は行右小書き]、勾《まがり》の金箸《かなはし》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、御子ましまさざりき。[#割り注]乙卯の年三月十三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内の古市《ふるち》の高屋の村三[#「三」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 安閑天皇。 二 奈良縣高市郡。 三 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔宣化天皇〕[#「〔宣化天皇〕」は小見出し]  弟《いろと》建小廣國押楯《たけをひろくにおしたて》の命一[#「一」は行右小書き]、檜坰《ひのくま》の廬入野《いほりの》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。天皇、意祁《おけ》の天皇の御子、橘の中比賣の命に娶ひて、生みませる御子、石比賣《いしひめ》の命、次に小石比賣の命、次に倉の若江の王、また河内《かふち》の若子《わくご》比賣に娶ひて、生みませる御子、火《ほ》の穗《ほ》の王、次に惠波《ゑは》の王。この天皇の御子たち并せて五王《いつはしら》。[#割り注]男王三柱、女王二柱。[#割り注終わり]かれ火の穗の王は、志比陀の君が祖なり三[#「三」は行右小書き]。惠波の王は、韋那の君、多治比の君が祖なり。 [#ここから2字下げ] 一 宣化天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。 二 奈良縣高市郡。 三 欽明天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔欽明天皇〕[#「〔欽明天皇〕」は小見出し]  弟|天國押波流岐廣庭《あめくにおしはるきひろには》の天皇、師木島《しきしま》の大宮一[#「一」は行右小書き]にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、檜坰《ひのくま》の天皇二[#「二」は行右小書き]の御子、石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、八田《やた》の王、次に沼名倉太玉敷《ぬなくらふとたましき》の命、次に笠縫《かさぬひ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその弟小石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、上《かみ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また春日の日爪《ひつま》の臣が女、糠子《ぬかこ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の山田の郎女、次に麻呂古《まろこ》の王、次に宗賀《そが》の倉の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また宗賀の稻目《いなめ》の宿禰の大臣が女、岐多斯《きたし》比賣に娶ひて、生みませる御子、橘の豐日の命、次に妹|石坰《いはくま》の王、次に足取《あとり》の王、次に豐御氣炊屋《とよみけかしぎや》比賣の命、次にまた麻呂古の王、次に大宅《おほやけ》の王、次に伊美賀古《いみがこ》の王、次に山代の王、次に妹|大伴《おほとも》の王、次に櫻井の玄《ゆみはり》の王、次に麻怒《まの》の王、次に橘の本の若子《わくご》の王、次に泥杼《ねど》の王[#割り注]十三柱。[#割り注終わり]また岐多志比賣の命が姨《をば》、小兄《をえ》比賣に娶ひて、生みませる御子、馬木《うまき》の王、次に葛城の王、次に間人《はしひと》の穴太部《あなほべ》の王、次に三枝部《さきくさべ》の穴太部の王、またの名は須賣伊呂杼《すめいろど》、次に長谷部《はつせべ》の若雀《わかさざき》の命五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。およそこの天皇の御子たち并はせて二十五王《はたちまりいつはしら》、この中、沼名倉太玉敷の命は、天の下治らしめしき。次に橘の豐日の命も、天の下治らしめしき。次に豐御氣炊屋比賣の命も、天の下治らしめしき。次に長谷部の若雀の命も、天の下治らしめしき。并せて四王《よはしら》天の下治らしめしき。 [#ここから2字下げ] 一 奈良縣磯城郡。この皇居の地名から、しき島の大和というようになつた。 二 宣化天皇。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔敏達天皇〕[#「〔敏達天皇〕」は小見出し]  御子|沼名倉太玉敷《ぬなくらふとたましき》の命一[#「一」は行右小書き]、他《をさ》田の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、一十四歳《とをまりよとせ》、天の下治らしめしき。この天皇、庶妹《ままいも》豐御食炊屋《とよみけかしぎや》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、靜貝《しづかひ》の王、またの名は貝鮹《かひだこ》の王、次に竹田の王、またの名は小貝《をがひ》の王、次に小治田《をはりだ》の王、次に葛城の王、次に宇毛理《うもり》の王、次に小張《をはり》の王、次に多米《ため》の王、次に櫻井の玄《ゆみはり》の王八柱[#「八柱」は1段階小さな文字]。また伊勢の大鹿《おほか》の首《おびと》が女、小熊《をくま》子の郎女に娶ひて、生みませる御子、布斗《ふと》比賣の命、次に寶の王、またの名は糠代《ぬかで》比賣の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また息長眞手《おきながまて》の王が女、比呂《ひろ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、忍坂《おさか》の日子人《ひこひと》の太子《みこのみこと》、またの名は麻呂古の王、次に坂|騰《のぼり》の王、次に宇遲《うぢ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また春日の中《なか》つ若子《わくご》が女、老女子《おみなこ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、難波の王、次に桑田の王、次に春日の王、次に大俣《おほまた》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち并せて十七王《とをまりななはしら》の中に、日子人の太子、庶妹《ままいも》田村の王、またの名は糠代《ぬかで》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、岡本の宮にましまして、天の下治らしめしし天皇三[#「三」は行右小書き]、次に中つ王、次に多良《たら》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また漢《あや》の王が妹、大俣の王に娶ひて、生みませる御子、智奴《ちぬ》の王、次に妹桑田の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また庶妹|玄《ゆみはり》の王に娶ひて、生みませる御子、山代《やましろ》の王、次に笠縫の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。并はせて七王《ななはしら》。[#割り注]甲辰の年四月六日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は川内の科長《しなが》四[#「四」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 敏達天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 舒明天皇。この即位の事は、古事記の記事中もつとも新しい事實である。 四 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔用明天皇〕[#「〔用明天皇〕」は小見出し]  弟橘の豐日《とよひ》の命一[#「一」は行右小書き]、池の邊の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、三歳天の下治らしめしき。この天皇、稻目《いなめ》の大臣が女、意富藝多志《おほぎたし》比賣に娶ひて、生みませる御子、多米《ため》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また庶妹間人の穴太部《あなほべ》の王に娶ひて、生みませる御子、上《うへ》の宮の厩戸《うまやど》の豐聰耳《とよとみみ》の命三[#「三」は行右小書き]、次に久米《くめ》の王、次に植栗《ゑくり》の王、次に茨田《うまらた》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また當麻《たぎま》の倉首比呂《くらびとひろ》が女、飯《いひ》の子に娶ひて、生みませる御子、當麻の王、次に妹《いも》須賀志呂古《すがしろこ》の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。  この天皇[#割り注]丁未の年四月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は石寸《いはれ》の池の上四[#「四」は行右小書き]にありしを、後に科長の中の陵に遷しまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 用明天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 聖徳太子。 四 奈良縣磯城郡。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔崇峻天皇〕[#「〔崇峻天皇〕」は小見出し]  弟|長谷部《はつせべ》の若雀《わかさざき》の天皇一[#「一」は行右小書き]、倉椅《くらはし》の柴垣《しばかき》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、四歳《よとせ》天の下治らしめしき。[#割り注]壬子の年十一月十三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は倉椅《くらはし》の岡の上三[#「三」は行右小書き]にあり。 [#ここから2字下げ] 一 崇峻天皇。 二 奈良縣磯城郡。 三 同前。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]〔推古天皇〕[#「〔推古天皇〕」は小見出し]  妹《いも》豐御食炊屋《とよみけかしぎや》比賣一[#「一」は行右小書き]の命、小治田《をはりだ》の宮二[#「二」は行右小書き]にましまして、三十七歳《みそとせまりななとせ》天の下治らしめしき。[#割り注]戊子の年三月十五日癸丑の日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は大野の岡の上三[#「三」は行右小書き]にありしを、後に科長《しなが》の大陵四[#「四」は行右小書き]に遷しまつりき。 [#ここから2字下げ] 一 推古天皇。 二 奈良縣高市郡。 三 奈良縣宇陀郡。 四 大阪府南河内郡。 [#ここで字下げ終わり] 古事記 下つ卷 底本:「古事記」角川文庫、角川書店    1956(昭和31)年5月20日初版発行    1965(昭和40)年9月20日20版発行 底本の親本:「眞福寺本」 ※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。その際、校注は二字下げとしました。 ※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。 ※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。 ※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。 入力:川山隆 校正:しだひろし 2013年5月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。