夜の進軍らっぱ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)山《やま》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|里《り》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから3字下げ] -------------------------------------------------------  山《やま》の中《なか》の村《むら》です。雪《ゆき》の深《ふか》く積《つ》もったときは、郵便《ゆうびん》もなかなかこられないようなところでした。父親《ちちおや》一人《ひとり》、息子《むすこ》一人《ひとり》のさびしい暮《く》らしをしていましたが、息子《むすこ》は、戦争《せんそう》がはじまると召集《しょうしゅう》されて、遠《とお》く戦地《せんち》へ出征《しゅっせい》してお国《くに》のために働《はたら》いていました。 「おじいさん、息子《むすこ》さんのところから、たよりがあったかい。」と、顔《かお》を見《み》ると村《むら》の人《ひと》はきいてくれました。 「あ、こないだあった、達者《たっしゃ》で働《はたら》いているそうだ。もう、あちらは川《かわ》の水《みず》も凍《こお》ったということだ。」 「まあ、達者《たっしゃ》で、お国《くに》のために働《はたら》いていてくれれば結構《けっこう》なことだ、神《かみ》さまを拝《おが》んで、めでたく凱旋《がいせん》するのを待《ま》っていらっしゃい。」と、村人《むらびと》は、老人《ろうじん》を元気《げんき》づけたのです。 「なんの、お国《くに》へ捧《ささ》げた悴《せがれ》だもの、それに今度《こんど》の戦争《せんそう》は長《なが》いというから、無事《ぶじ》に帰《かえ》ってくるとは思《おも》っていないが、どうか、りっぱにやってくれればと祈《いの》っているのさ。」と、老人《ろうじん》は答《こた》えました。  おじいさんは、口《くち》ではそういっても、夜《よ》が明《あ》けると、日《ひ》が暮《く》れるまで、息子《むすこ》の身《み》の上《うえ》を案《あん》じていました。そして、雪《ゆき》が積《つ》もって道《みち》のついていないときには、郵便《ゆうびん》が山《やま》へ上《あ》がれまいと思《おも》って、村《むら》のおけ屋《や》まで出《で》ていって待《ま》つこともありました。おけ屋《や》には、学校《がっこう》へいく子供《こども》もあって、もし戦地《せんち》の息子《むすこ》さんからきた手紙《てがみ》なら、かならずその日《ひ》の中《うち》に届《とど》けてやるからというのであるが、おじいさんは、それが待《ま》てなかった。ある雪《ゆき》のたくさん降《ふ》った日《ひ》のことです。わざわざ村《むら》まで下《お》りていって、 「手紙《てがみ》はきていなかったかいのう。」と、きいたのでした。 「いえ、こなかったぞ、くれば、とどけてやるものを。」と、おけ屋《や》のおかみさんは、いいました。 「あまり昨夜《ゆうべ》雪《ゆき》が降《ふ》って、昼前《ひるまえ》は道《みち》がなかったから、この家《いえ》へ置《お》いていったかと思《おも》ったので。」と、おじいさんは、笑《わら》いました。  春《はる》になって雪《ゆき》が解《と》ければ、夏《なつ》、秋《あき》へかけては、町《まち》からこの村《むら》まで三|里《り》ばかりの間《あいだ》をバスが通《とお》りました。けれど、この村《むら》から、おじいさんの住《す》んでいる山《やま》の中《なか》までは、一|里《り》近《ちか》く、峠《とうげ》つづきの細《ほそ》い道《みち》を歩《ある》かなければならぬのでした。山《やま》には、幾軒《いくけん》も家《いえ》がなかったのです。  おけ屋《や》のおかみさんが、いいました。 「おじいさん、町《まち》の醤油屋《しょうゆや》さん知《し》っていなさるだろう。二、三|日前《にちまえ》あすこへ寄《よ》ったら、このごろ毎晩《まいばん》、戦地《せんち》からラジオの放送《ほうそう》があって、あちらのようすが手《て》に取《と》るようにわかるというこったぞ。」 「ほう、戦地《せんち》のようすがわかるとな。」と、おじいさんは、自分《じぶん》の耳《みみ》を疑《うたが》いました。  囲炉裏《いろり》に火《ひ》をたいて、子供《こども》のたびを乾《ほ》していたおかみさんは、 「わかるっていうことだ。」と、いいました。 「ほんとうなら、きいてみたいもんだのう。」と、おじいさんは、しょぼしょぼした目《め》を大《おお》きく開《ひら》きました。  ちょうど晴《は》れ間《ま》とみえて、日《ひ》が雪《ゆき》の上《うえ》を射《さ》しました。町《まち》へいく道《みち》には、人《ひと》の影《かげ》がちらほらしています。おじいさんは、山《やま》へ帰《かえ》るかわりに、町《まち》の方《ほう》へ向《む》かって、ぼつぼつ歩《ある》いていました。  醤油屋《しょうゆや》というのは、昔《むかし》からある店《みせ》で、この近在《きんざい》の人々《ひとびと》を得意《とくい》としていました。おじいさんも日《ひ》ごろ知《し》っているので、その家《いえ》を訪《たず》ねたのであります。 「こんにちは。」 「おお、おじいさんか、息子《むすこ》さんのところから便《たよ》りがありましたか。」と、店《みせ》の主人《しゅじん》がききました。  どこへいっても、知《し》る人《ひと》は、かならず息子《むすこ》のことをたずねてくれます。おじいさんは、うれしく思《おも》いました。これも、お国《くに》のためにつくせばこそ、みんなが、心《こころ》にかけてくださるのだと、ありがたく感《かん》じていました。 「悴《せがれ》よ、おまえのために、私《わたし》までが鼻《はな》が高《たか》いぞ。」と、老人《ろうじん》は、心《こころ》の中《なか》でいうのでした。 「じつは、悴《せがれ》のいっている戦地《せんち》から、ラジオでむこうのようすがわかるというので、ぜひききたいと思《おも》ってやってきました。」と、おじいさんはいいました。 「おお、そうか、無理《むり》のないことだ。」と、主人《しゅじん》は、おじいさんを家《いえ》へ上《あ》げて、いろいろもてなしてくれました。  おじいさんは、醤油屋《しょうゆや》の主人《しゅじん》の造《つく》った自慢《じまん》の菊《きく》の花《はな》をながめたり、かごに飼《か》っているこまどりの声《こえ》をきいたり、また、たるを洗《あら》うてつだいなどをしたりして、夜《よる》になるのを待《ま》っていました。茶《ちゃ》の間《ま》には、いつか明《あか》るく電燈《でんとう》がついていたのです。 「さあ、おじいさん、ここへいらっしゃい、もうすぐあちらから、きこえてくるから。」と、主人《しゅじん》がいったので、おじいさんは、ラジオの前《まえ》にすわって、耳《みみ》を傾《かたむ》けていました。 「おじいさん、息子《むすこ》さんの声《こえ》がきこえるわけではないが、ただあちらのようすがわかるというだけですよ。」と、主人《しゅじん》は、あまりおじいさんが、真剣《しんけん》な顔《かお》つきをしているので、息子《むすこ》の声《こえ》でもきくつもりでいるかと思《おも》って、いいました。 「はい、それは、知《し》っております。ただあちらのようすだけきけば、満足《まんぞく》しますだ。」  このとき、アナウンサーの声《こえ》が、電波《でんぱ》に送《おく》られてきたのです。 「こちらは、○○野戦放送局《やせんほうそうきょく》です。いま○○部隊《ぶたい》が、○○へ向《む》かって、進軍《しんぐん》の準備《じゅんび》に忙《いそが》しいのであります。その状況《じょうきょう》をおききとりください。」  こういい終《お》わると、ヒ、ヒン! という軍馬《ぐんば》のいななき声《ごえ》がしました。つづいて、ブーン、ブーンと、飛行機《ひこうき》のようなうなり音《おと》がします。それから、タ、タ、ターというらっぱのひびき、ガタン、ガタン、ゴーという戦車《せんしゃ》の走《はし》る音《おと》がしました。  そうかと思《おも》うと、兵隊《へいたい》さんたちが、なにか仕事《しごと》をしながら、うたっている歌《うた》の声《こえ》がきこえてきたのです。 [#ここから3字下げ] 勝《か》ってくるぞと勇《いさ》ましく、 誓《ちか》って国《くに》を出《で》たからは、 手柄《てがら》立《た》てずに死《し》なりょうか、 進軍《しんぐん》らっぱきくたびに、 まぶたに浮《う》かぶ旗《はた》の波《なみ》……。 [#ここで字下げ終わり]  おじいさんの目《め》からは、涙《なみだ》が流《なが》れていました。「今夜《こんや》は、泊《と》まっていらっしゃい。」と、主人《しゅじん》はしんせつにいってくれたけれど、おじいさんは、戦争《せんそう》にいっている息子《むすこ》のことを思《おも》えば、また息子《むすこ》と同《おな》じような兵士《へいし》たちのことを思《おも》えば、体《からだ》じゅうが熱《あつ》くなって、これしきの寒《さむ》さがなんだ。暗《くら》い道《みち》がなんだという気持《きも》ちになりました。さいわいにいい月夜《つきよ》だったので、主人《しゅじん》にお礼《れい》をいって、そこを出《で》ました。  町《まち》をはなれると、さすがに、町《まち》から村《むら》の方《ほう》へいく人影《ひとかげ》は見《み》えなかったのです。おじいさんは、独《ひと》り雪道《ゆきみち》を月《つき》の明《あ》かりで、とぼとぼと歩《ある》いて帰《かえ》りました。ものすごいような青《あお》みを帯《お》びた月《つき》の光《ひかり》です。雪《ゆき》の野原《のはら》は、銀《ぎん》のようにかがやいて見《み》えました。そして遠《とお》くの森《もり》の影《かげ》は、黒《くろ》い着物《きもの》をきた人《ひと》が、じっとして雪《ゆき》の中《なか》に立《た》っているのに似《に》ています。おじいさんは、いましがたラジオできいた、兵隊《へいたい》さんの歌《うた》が耳《みみ》について、思《おも》い出《だ》されて、熱《あつ》い涙《なみだ》が、ほろほろと流《なが》れてきました。  ゴウ、ゴウと、音《おと》をたて北風《きたかぜ》が募《つの》りはじめました。空《そら》を仰《あお》げば、月《つき》をかすめて、黒《くろ》い雲《くも》が、幾《いく》つも連《つら》なって、きつねかおおかみの群《む》れが、後《あと》から後《あと》から駈《か》けていくように、西《にし》の方《ほう》から、東《ひがし》の空《そら》に向《む》かって走《はし》っていました。そして、東《ひがし》の空《そら》の果《は》ては真《ま》っ暗《くら》になって、星《ほし》の光《ひかり》すら見《み》えなかったのです。 「また、吹雪《ふぶき》になってきた。」と、おじいさんは独《ひと》り言《ごと》をして、野原《のはら》の道《みち》を急《いそ》いでいました。わずかに昼間《ひるま》、人《ひと》の通《とお》った足跡《あしあと》が、雪《ゆき》の面《おもて》がついているばかりでした。  たちまち、月《つき》の光《ひかり》はかげってしまって、風《かぜ》にまじって、雪《ゆき》がちらちらと降《ふ》り出《だ》しておじいさんのえりもとへ入《はい》ったのです。 「とうとう困《こま》ったことになったぞ。」  まだあちらの村《むら》へ着《つ》かないうちに、まったく目《め》も口《くち》も開《あ》けられないような吹雪《ふぶき》となってしまいました。おじいさんは、一|歩《ぽ》も、この吹雪《ふぶき》に向《む》かっては歩《ある》けなくなりました。  それでもおじいさんは、ようやくの思《おも》いで、村《むら》はずれの小《ちい》さな神社《じんじゃ》にたどりつきました。そして軒下《のきした》にちぢこまって、吹雪《ふぶき》のやむのを待《ま》っていましたが、知《し》らぬ間《ま》に疲《つか》れが出《で》て、うとうとと眠《ねむ》ってしまったのです。社《やしろ》の境内《けいだい》にあるすぎの木《き》の枝《えだ》から、ドタ、ドタといって、積《つ》もった雪《ゆき》が落《お》ちました。すると粉雪《こなゆき》が風《かぜ》に舞《ま》って、おじいさんの上《うえ》へ吹《ふ》きかかりました。 「あっ、眠《ねむ》ってはいけない、よくこれで凍《こご》え死《じ》ぬのだ。」  おじいさんは、眠《ねむ》いのを我慢《がまん》して、夜明《よあ》けを待《ま》とうと思《おも》いました。そして、道《みち》がわかるようになったら、帰《かえ》ろうと考《かんが》えていました。  おじいさんは、いくら眠《ねむ》るまいと思《おも》っても、またうとうとと眠《ねむ》ってしまったのでした。このとき、がやがやという人《ひと》の声《こえ》がして、おじいさんは、ふたたびおどろいて目《め》をさますと、吹雪《ふぶき》はやんで、月《つき》の光《ひかり》が、明《あか》るく雪《ゆき》の世界《せかい》を照《て》らしていました。 「いまごろ、なんだろうな。」  顔《かお》を上《あ》げて、あちらの道《みち》を見《み》ると、旗《はた》を立《た》て、町《まち》の方《ほう》へいく、出征兵士《しゅっせいへいし》を見送《みおく》る人々《ひとびと》の群《む》れでした。 「おお、どこか遠《とお》い村《むら》の人《ひと》で、停車場《ていしゃじょう》へ、兵隊《へいたい》さんを送《おく》っていくのだな。」  おじいさんは、神前《しんぜん》の階段《かいだん》から身《み》を起《お》こました。そして、命《いのち》を助《たす》けてくだされた神《かみ》さまに向《む》かって、手《て》を合《あ》わせて拝《おが》んでから、道《みち》の方《ほう》へ、雪《ゆき》の中《なか》を泳《およ》ぐようにして出《で》ていきました。 「ご苦労《くろう》さんです。たいそう早《はや》いお出《で》かけですのう。」と、おじいさんは、声《こえ》をかけました。 「はい、一|番《ばん》に乗《の》りますのに、おくれてはたいへんだと思《おも》って、早《はや》めに出《で》てきました。」と、兵隊《へいたい》さんのお父《とう》さんらしい人《ひと》が、いいました。 「吹雪《ふぶき》がやんでしあわせです。悴《せがれ》も出征《しゅっせい》していますので、私《わたし》も、お見送《みおく》りさせてもらいます。」と、おじいさんは、みんなの中《なか》へ加《くわ》わりました。 「あんたは、また、どうしてこんなにお早《はや》く。」と、問《と》われたので、おじいさんは、町《まち》の醤油屋《しょうゆや》でラジオを聞《き》いて、帰《かえ》りにひどい吹雪《ふぶき》に閉《と》じこめられたことを歩《ある》きながら物語《ものがた》ったのです。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「夜の進軍喇叭」アルス    1940(昭和15)年4月 初出:「台湾日日新報 夕刊」    1939(昭和14)年3月1日、2日 ※表題は底本では、「夜《よる》の進軍《しんぐん》らっぱ」となっています。 ※初出時の表題は「夜の進軍喇叭」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年6月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。