夢のような昼と晩 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)赤《あか》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|匹《ぴき》 -------------------------------------------------------  赤《あか》い花《はな》、白《しろ》い花《はな》、赤《あか》としぼりの花《はな》、いろいろのつばきの花《はな》が、庭《にわ》に咲《さ》いていました。そうして、濃《こ》い緑色《みどりいろ》の葉《は》と葉《は》のあいだから、金色《きんいろ》の日《ひ》の光《ひかり》がもれて、下《した》のしめった地《じ》の上《うえ》に、ふしぎな模様《もよう》をかいていました。  葉《は》がゆれると、模様《もよう》もいっしょに動《うご》いて、ちょうど、水《みず》たまりへ落《お》ちた花《はな》が、浮《う》いているようにも見《み》えました。  また、どこからともなく、そよ風《かぜ》に、桜《さくら》の花《はな》びらが飛《と》んできました。 「ああ、なんというおだやかな、いい日《ひ》だろう。」  少年《しょうねん》は、うっとりと、あたりをながめていました。  そのとき、ピアノの音《おと》が聞《き》こえました。 「前《まえ》の家《うち》のおねえさんも、いいお天気《てんき》なので、おひきなさる気《き》になったのだろう。」  しかし、これほどよく、音《ね》と色《いろ》とが、調和《ちょうわ》することがあるだろうか。  少年《しょうねん》は、色鉛筆《いろえんぴつ》と紙《かみ》を、そこへなげ捨《す》ててしまいました。なぜなら、花《はな》だけをかいても、音《おと》をかくことができません。このさい、それを自分《じぶん》の力《ちから》で表《あらわ》せぬなら、いっそなにも書《か》かぬほうがよかったのです。  少年《しょうねん》は、ただ自然《しぜん》の美《うつく》しさと、やさしさに見《み》とれるばかりでした。 「きのうきょうは、花《はな》のさかりだけれど、一雨《ひとあめ》くれば、みんな散《ち》ってしまいますよ。」  お母《かあ》さんが、けさおっしゃった言葉《ことば》が、ふと頭《あたま》に浮《う》かんだので、少年《しょうねん》は、いっそうこの景色《けしき》を、とうとく、いとしいものに思《おも》いました。 「金魚《きんぎょ》やあ!」と、かすかに呼《よ》び声《ごえ》がしました。  たちまち、少年《しょうねん》の注意《ちゅうい》は、そのほうへとられたのです。すべてを忘《わす》れて、しばらく熱心《ねっしん》に耳《みみ》をすましました。 「どこだろうな。」  しかし、それきり、その声《こえ》は聞《き》こえませんでした。少年《しょうねん》は、じっとしていられなくなって、ついに、門《もん》の外《そと》へ出《で》て、方々《ほうぼう》をながめたのです。  町《まち》の方《ほう》へつづく道《みち》の上《うえ》には、かげろうがたち、空《そら》の色《いろ》はまぶしかった。しずかな真昼《まひる》で、人通《ひとどお》りもありませんでした。金魚売《きんぎょう》りのおじさんは、きっと、あっちの露路《ろじ》へまがったのだろう。そう思《おも》っていると、こっちへかけてくる子供《こども》がありました。  はじめ、その姿《すがた》は小《ちい》さかったのが、だんだん大《おお》きくなって、よくわかるようになると、手《て》にブリキかんを持《も》っていました。それは、隣家《となり》の武《たけ》ちゃんでした。 「武《たけ》ちゃん! 金魚《きんぎょ》を買《か》ったの。」と、少年《しょうねん》はそっちを向《む》いて、大《おお》きな声《こえ》でいいました。  武《たけ》ちゃんは、ちょっと、道《みち》の上《うえ》に立《た》ちどまりました。そうして、手《て》に持《も》ったかんをのぞいているようすでした。  これを見《み》た少年《しょうねん》は、 「どうしたの、武《たけ》ちゃん?」と、こんどは、そのそばへと走《はし》りました。ブリキかんの中《なか》には、一|匹《ぴき》の金魚《きんぎょ》が、あおむけになって、ぱくぱく、口《くち》をやっていました。 「あまり飛《と》んできたから、びっくりしたんだよ。たった一|匹《ぴき》なの?」 「まるこの子《こ》だよ。尾《お》の短《みじか》いの二|匹《ひき》より、一|匹《ぴき》でも、このほうがいいだろう。」  二人《ふたり》ののぞく頭《あたま》のあいだから、太陽《たいよう》ものぞくように、光《ひかり》はかんの中《なか》へ射《い》こんで、金魚《きんぎょ》のからだが、さんらんとして、真紅《しんく》に金粉《きんぷん》をちらすがごとくもえるのでした。 「きれいだなあ……。」と、少年《しょうねん》は、感心《かんしん》しました。 「お家《うち》へいったら、大《おお》きな鉢《はち》へ入《い》れてやろう。」  二人《ふたり》は、走《はし》らずに、急《いそ》ぎ足《あし》となりました。 「どうして、こんなきれいな魚《さかな》があるんだろうね。」 「ほんとうにふしぎだね。」  その日《ひ》の晩《ばん》は、またいいお月夜《つきよ》でありました。うす絹《ぎぬ》のような雲《くも》をわけて、まんまるの月《つき》が、まんまんたる緑色《みどりいろ》の大空《おおぞら》へ浮《う》かび出《で》るのを、少年《しょうねん》は、家《いえ》の前《まえ》に立《た》ってながめていました。  いつも明《あか》るいのに、こよいにかぎって、ピアノのおねえさんの家《いえ》の窓《まど》は、暗《くら》かったのでした。垣根《かきね》のきわに植《う》わっているみかんの木《き》が、黒々《くろぐろ》として、夜風《よかぜ》の渡《わた》るたび、月《つき》の光《ひかり》にちかちかと、葉《は》がぬれるごとく見《み》えました。  少年《しょうねん》は、なんとなくもの足《た》りなさを感《かん》じたとき、ぷんと鼻《はな》をうったにおいがあります。 「おや、お薬《くすり》のかおりだ。」  いつであったか、少年《しょうねん》は、おばあさんの家《いえ》で、これと同《おな》じ薬《くすり》を煎《せん》じるかおりを、かいだ記憶《きおく》がありました。そのおばあさんは、もう亡《な》き人《ひと》であるが。はるかな駅《えき》を出発《しゅっぱつ》するらしい汽車《きしゃ》の、笛《ふえ》の音《おと》がしました。さびしくなって、内《うち》へはいると、お母《かあ》さんは、ひとり燈火《ともしび》の下《した》で、お仕事《しごと》をしていられました。 「前《まえ》のおねえさん、かぜをひいたのかしらん。」 「どうして?」 「お薬《くすり》のかおりがして、窓《まど》が暗《くら》いのだもの。」 「そうかもしれません。かぜがはやりますから。」  お母《かあ》さんは、そうおっしゃっただけでした。少年《しょうねん》だけは、いつまでも同《おな》じことを考《かんが》えていました。 「お母《かあ》さん、月《つき》は、去年《きょねん》の春《はる》とちがって、あたりがあんな焼《や》け跡《あと》になったので、びっくりしたでしょうね。」と、少年《しょうねん》がいいました。 「昔《むかし》から、戦争《せんそう》があると、こんなことがたびたびあったのですよ。平和《へいわ》な春《はる》の晩《ばん》にはお琴《こと》の音《ね》がしたり、お茶《ちゃ》をにるかおりがして、歌《うた》にも『あおによし奈良《なら》の都《みやこ》は咲《さ》く花《はな》の、におうがごとくいまさかりなり』と、たたえられた都《みやこ》も、今《いま》はあとかたなく、草《くさ》がぼうぼうとしているのですから、考《かんが》えれば、ほんとうにさびしいものです。」 「戦争《せんそう》がなければ、いいんですね。」 「だれでも、その当座《とうざ》は、戦争《せんそう》の悪《わる》いこと、恐《おそろ》ろしいことを身《み》にしみて感《かん》じますが、それを、じき忘《わす》れてしまうのです。」 「そんなら、どうしたらいいの。」 「にがい経験《けいけん》を、いつまでも忘《わす》れぬことです。そして、世界《せかい》じゅうが、平和《へいわ》のために骨《ほね》をおり、力《ちから》を合《あ》わせて、わがままや、傲慢心《ごうまんしん》をおさえなければなりません。」  少年《しょうねん》は、お母《かあ》さんの話《はなし》を聞《き》くうちに、風《かぜ》の音《おと》がしたので、せっかく咲《さ》いている花《はな》の身《み》の上《うえ》を、悲《かな》しく思《おも》いました。 「私《わたし》たちが、こうして安心《あんしん》してくらせるのも、世間《せけん》に道徳《どうとく》があり、秩序《ちつじょ》があるからです。この一|日《にち》を平和《へいわ》に送《おく》れたら、神《かみ》さまに感謝《かんしゃ》し、正《ただ》しく努力《どりょく》された世《よ》の中《なか》の人々《ひとびと》に、感謝《かんしゃ》しなければなりません。」と、お母《かあ》さんは、しみじみと、おっしゃいました。  夜《よ》もふけたのに、よっぱらいどうしであろう、あっちの道《みち》を、ののしりながら通《とお》るものがありました。 「けんかだな。」 「いやですね。おたがいが大事《だいじ》なからだですのに。」  やがて少年《しょうねん》は、床《とこ》の中《なか》にはいると、もう一|度《ど》こちらを向《む》いて、 「お母《かあ》さん、お休《やす》みなさい。」と、いいました。  そして、柱《はしら》にかかる時計《とけい》のきぎむ音《おと》を聞《き》くうちに、いつのまにか、ねむってしまいました。 底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社    1977(昭和52)年11月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「僕の通るみち」南北書園    1947(昭和22)年2月 初出:「良い子の友」    1946(昭和21)年6、7月合併号 ※表題は底本では、「夢《ゆめ》のような昼《ひる》と晩《ばん》」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年12月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。