村へ帰った傷兵 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)上等兵《じょうとうへい》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)九|段《だん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  上等兵《じょうとうへい》小野清作《おのせいさく》は、陸軍病院《りくぐんびょういん》の手厚《てあつ》い治療《ちりょう》で、腕《うで》の傷口《きずぐち》もすっかりなおれば、このごろは義手《ぎしゅ》を用《もち》いてなに不自由《ふじゆう》なく仕事《しごと》ができるようになりました。ちょうどそのころ、兵免令《へいめんれい》が降《くだ》ったので、彼《かれ》はひとまず知《し》り合《あ》いの家《いえ》におちついて、いよいよ故郷《こきょう》へ帰《かえ》ることにしたのであります。  胸《むね》の右《みぎ》につけられた、燦然《さんぜん》として輝《かがや》く戦傷徽章《せんしょうきしょう》は、その戦功《せんこう》と名誉《めいよ》をあらわすものであると同時《どうじ》に、これを見《み》る健全《けんぜん》の人々《ひとびと》は、この国家《こっか》のために傷《きず》ついた勇士《ゆうし》をいたわれという、温《あたた》かい心《こころ》のこもる貴《とうと》いものでありました。どこへいくときにも、身《み》につけよと、上官《じょうかん》からいわれたのであるが、何事《なにごと》にも内気《うちき》で、遠慮勝《えんりょが》ちな清作《せいさく》さんは、同《おな》じ軍隊《ぐんたい》におって朝晩《あさばん》辛苦《しんく》をともにした仲間《なかま》で、死《し》んだものもあれば、また、いまも前線《ぜんせん》にあって戦《たたか》いつつある戦友《せんゆう》のことを考《かんが》えると、自分《じぶん》は武運《ぶうん》つたなくして帰還《きかん》しながら、なんで、これしきの戦傷《せんしょう》を名誉《めいよ》として人《ひと》に誇《ほこ》ることができようか、しかも戦争《せんそう》はなおつづけられているのだ。自分《じぶん》には、すこしもそんな気持《きも》ちがなくても、この徽章《きしょう》をつけていれば、あるいは人々《ひとびと》にそうとられはしないかというとりこし苦労《くろう》から、なるたけ外《そと》へ出《で》るときにもこれをつけぬようにしていました。  しかし、今日《きょう》は、故郷《こきょう》へ帰《かえ》ることを申《もう》しあげに、靖国神社《やすくにじんじゃ》へお詣《まい》りをするのであります。清作上等兵《せいさくじょうとうへい》は、軍服《ぐんぷく》の威儀《いぎ》をただして、金色《きんいろ》の徽章《きしょう》を胸《むね》につけ、堂々《どうどう》として宿《やど》を出《で》かけたのでありました。  こうして見《み》る清作《せいさく》さんは、じつにりっぱな軍人《ぐんじん》でした。だから町《まち》を通《とお》ると、男《おとこ》も女《おんな》も振《ふ》り向《む》いて、その雄々《おお》しい姿《すがた》をながめたのです。けれど中《なか》には、ぽかんとして、無表情《むひょうじょう》な顔《かお》つきで見送《みおく》るような、子供《こども》を背負《せお》った女《おんな》もいました。 「世間《せけん》の人《ひと》たちは、勲章《くんしょう》とでも思《おも》っているのかな。」  清作《せいさく》さんは、顔《かお》に微笑《びしょう》をうかべました。なぜ彼《かれ》はそんなことを思《おも》ったでしょう。それは、この人《ひと》たちの顔《かお》に、戦傷徽章《せんしょうきしょう》に対《たい》しても、なんのかなしみの影《かげ》が見《み》えなかったからです。  このときあちらから、紳士《しんし》ふうの若《わか》い男《おとこ》と、頭髪《とうはつ》をカールして、美装《びそう》した女《おんな》の人《ひと》がきかかり、やがて彼《かれ》とすれちがったが、その人《ひと》たちは、まんざら学問《がくもん》のない人《ひと》とは思《おも》われなかったのに、やはり徽章《きしょう》には気《き》のつかぬようなようすでいきすぎてしまいました。 「私《わたし》は、いままであまり思《おも》いすぎていたようだ。」と、清作《せいさく》さんは、つぶやきました。なぜなら、世間《せけん》は、戦争《せんそう》にたいして無関心《むかんしん》なのか、それとも軍人《ぐんじん》が戦争《せんそう》にいって負傷《ふしょう》をするのをあたりまえとでも思《おも》っているのか、どちらかのようにしか考《かんが》えられなかったからでした。けれど人間《にんげん》であるうえは、同胞《どうほう》がこんな姿《すがた》となったのを見《み》て、なんとも心《こころ》に感《かん》じないはずがあろうかと考《かんが》えると、むらむらと義憤《ぎふん》に燃《も》えるのをどうすることもできませんでした。 「なに、いつの時代《じだい》にもくさった人間《にんげん》というものはいるものだ。」  青々《あおあお》とした空《そら》をあおいで、深《ふか》い呼吸《こきゅう》をつづけました。  靖国神社《やすくにじんじゃ》の神殿《しんでん》の前《まえ》へひざまずいて、清作《せいさく》さんは、低《ひく》く頭《あたま》をたれたときには、すでに討死《うちじに》して護国《ごこく》の英霊《えいれい》となった、戦友《せんゆう》の気高《けだか》い面影《おもかげ》がありありと眼前《がんぜん》にうかんできて、熱《あつ》い涙《なみだ》が玉砂利《たまじゃり》の上《うえ》にあふれ落《お》ちるのを禁《きん》じえませんでした。この瞬間《しゅんかん》こそ、心《こころ》が悲《かな》しみもなく、憤《いきどお》りもなく、自分《じぶん》の体《からだ》じゅうが明《あか》るく、とうとく感《かん》ぜられて、このまま神《かみ》の世界《せかい》へのぼっていくのではないかとさえ思《おも》われたのであります。  お詣《まい》りをすますと、後《あと》に心《こころ》をひかれながら、九|段《だん》の坂《さか》を下《お》りました。そして、町《まち》の停留場《ていりゅうじょう》へきて電車《でんしゃ》をまっていました。身《み》の周囲《まわり》を見《み》ても知《し》らぬ人《ひと》ばかりであったが、突然《とつぜん》口《くち》ひげの生《は》えた角顔《かくがお》の男《おとこ》の人《ひと》が、彼《かれ》の前《まえ》へやってきて、ていねいに頭《あたま》を下《さ》げました。  清作《せいさく》さんは、あまりだしぬけだったのと、その人《ひと》の顔《かお》を見《み》て、覚《おぼ》えがなかったので、びっくりしながら、たぶん人違《ひとちが》いであろうと思《おも》いました。すると、その人《ひと》は、 「ご苦労《くろう》さまでした。どこをおけがなされましたか。」と、静《しず》かな調子《ちょうし》で、たずねました。 「ああ、私《わたし》の傷《きず》ですか、こちらの腕《うで》をやられました。」と、清作《せいさく》さんは左《ひだり》の腕《うで》を指《さ》しました。そして、よく戦傷徽章《せんしょうきしょう》に目《め》をつけて、たずねてくれたと、深《ふか》く心《こころ》に感謝《かんしゃ》しながら、じっとその人《ひと》を見《み》たのであります。 「おお、それは、この寒気《かんき》に、傷口《きずぐち》がお痛《いた》みになりはしませんか? 私《わたし》は、若《わか》い時分《じぶん》シベリア戦役《せんえき》にいったものです。いまでも死《し》んだ戦友《せんゆう》のことや、負傷《ふしょう》した友《とも》だちのことを片時《かたとき》もわすれることがありません。」  その老人《ろうじん》の目《め》はかがやき、言葉《ことば》は熱《ねつ》をおびて、顔《かお》かたちにしみじみと真情《しんじょう》があらわれていました。これをきくと、清作《せいさく》さんは、はじめて見《み》るこの人《ひと》にたいして、かぎりなき懐《なつ》かしさと敬意《けいい》を表《ひょう》せずにいられません。しぜんとその人《ひと》の前《まえ》に頭《あたま》が下《さ》がるのを感《かん》じました。  ほどなく、電車《でんしゃ》がきたので乗《の》ったけれど、停留場《ていりゅうじょう》で見送《みおく》る、老人《ろうじん》の顔《かお》が、いつまでも頭《あたま》に残《のこ》りました。おりあしく、その電車《でんしゃ》は満員《まんいん》でした。彼《かれ》は、右手《みぎて》でしっかりと釣《つ》り革《かわ》にぶら下《さ》がっていたが、あちらへおされ、こちらへおされしなければなりませんでした。そして、こんなばあいに、これらの人《ひと》たちが、彼《かれ》の徽章《きしょう》に注意《ちゅうい》すると考《かんが》えるこそ、まちがっていたのでありましょう。彼《かれ》が、顔《かお》を赤《あか》くしてたおれまいとしたとき、 「兵隊《へいたい》さん、ここへおかけなさい。」という子供《こども》の声《こえ》が、きこえました。見《み》ると混雑《こんざつ》した人《ひと》をわけて立《た》ち上《あ》がったのは、八、九|歳《さい》ばかりのランドセルを負《お》った二人《ふたり》の小学生《しょうがくせい》でありました。 「やあ、ありがとうございます。」と、清作《せいさく》さんは、救《すく》われたような気《き》がして、そこへ腰《こし》を下《お》ろしました。そして、はじめて二人《ふたり》の子供《こども》を見《み》ると、子供《こども》は、なにかいいたげに、清《きよ》らかな瞳《ひとみ》を人々《ひとびと》の間《あいだ》から、こちらへむけているのでした。 「ああ、子供《こども》はいいな。」と、清作《せいさく》さんは、真《しん》に感動《かんどう》しました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  その晩《ばん》のことでした。清作《せいさく》さんは、故郷《こきょう》へ帰《かえ》る汽車《きしゃ》の中《なか》にいたのであります。彼《かれ》は、眠《ねむ》ろうとしても眠《ねむ》られず昼間《ひるま》のことなど思《おも》い出《だ》していました。 「そうだ。村《むら》の源吉《げんきち》さんもシベリア戦役《せんえき》にいって、片腕《かたうで》をもがれたのだった。あの時分《じぶん》、自分《じぶん》はまだ子供《こども》だったので、源吉《げんきち》さんが不具《かたわ》になって帰《かえ》ってくると、おそろしがったものだ。自分《じぶん》ばかりでなく、ほかの子供《こども》たちも気味悪《きみわる》がってそばへいかなかったのだ。それにくらべると、このごろの子供《こども》は、なんというりこうで、やさしいことだろう。源吉《げんきち》さんは、みんなのため、戦争《せんそう》にいってきながら、寂《さび》しく、かわいそうだった。その後《ご》病気《びょうき》のため死《し》んでしまったが、こんど帰《かえ》ったら、お墓《はか》へお詣《まい》りをして、昔《むかし》のおわびをしなければならぬ。」  夜中《よなか》ごろ、汽車《きしゃ》は山間《やまあい》にかかりました。山《やま》には雪《ゆき》がつもっていました。急《きゅう》に寒気《かんき》がくわわって、忘《わす》れていた傷口《きずぐち》がずきずきと痛《いた》み出《だ》しました。 「あの老人《ろうじん》は、しんせつにも傷口《きずぐち》が痛《いた》みはしませんかときいてくれたが……。」  清作《せいさく》さんは、自分《じぶん》よりは、もっと大《おお》きな負傷《ふしょう》をしたり、また手術《しゅじゅつ》をうけたりした傷兵《しょうへい》のことが、思《おも》い出《だ》されたのでした。あの人《ひと》たちは、いまごろ、どこにどうして日《ひ》を送《おく》っているだろうか。このごろの寒《さむ》さに、傷口《きずぐち》がひきつって、さぞ痛《いた》むことであろうと、案《あん》じられたのでありました。  清作《せいさく》さんが、村《むら》へ帰《かえ》ると、さすがに村《むら》のものは、温《あたた》かい心《こころ》をもってむかえてくれました。そして、清作《せいさく》さんの喜《よろこ》びは、それだけではなかったのでした。みんなが今度《こんど》の聖戦《せいせん》は、東洋永遠《とうようえいえん》の平和《へいわ》のために、じゃまになるものは、いっさいをのぞくのであるから、簡単《かんたん》にいくわけがなく、戦線《せんせん》と銃後《じゅうご》を問《と》わず、心《こころ》を一つにして、ともに苦《くる》しみ、相助《あいたす》け合《あ》い、最後《さいご》の勝利《しょうり》を得《え》るまでは、戦《たたか》わなければならぬということを、よく知《し》っているからでした。  自分《じぶん》の体《からだ》でできることなら、清作《せいさく》さんは、どんな仕事《しごと》でも喜《よろこ》んでする決心《けっしん》でありましたが、さいわいに、村《むら》の産業組合《さんぎょうくみあい》に適当《てきとう》な勤《つと》め口《ぐち》があって、採用《さいよう》されたので、いよいよこれから銃後《じゅうご》にて、お国《くに》のために余生《よせい》を捧《ささ》げることにしたのです。  やがて、三|月《がつ》の季節《きせつ》となりました。春《はる》がこの村《むら》にも訪《おとず》れてきたのであります。ある日《ひ》、清作《せいさく》さんは、村《むら》の子供《こども》たちをつれて、帰《かえ》ったら、かならずいこうと思《おも》っていた、源吉《げんきち》さんのお墓《はか》へお詣《まい》りをしました。そこは、小高《こだか》い山《やま》でありました。 「さあ、これが話《はなし》をした源吉《げんきち》さんのお墓《はか》だ。お国《くに》のためにつくした村《むら》の勇士《ゆうし》だ。みんなよくお礼《れい》をいって拝《おが》みなさい。」  子供《こども》たちは、お墓《はか》の前《まえ》にならんで、手《て》を合《あ》わせて頭《あたま》を下《さ》げました。南《みなみ》の方《ほう》へゆるやかに傾斜《けいしゃ》して、陽《ひ》のよく当《あ》たる丘《おか》のなかほどに、つばきの大《おお》きな木《き》があって、赤《あか》い花《はな》が咲《さ》いていました。黄色《きいろ》な小鳥《ことり》が、その枝《えだ》にきて遊《あそ》んでいたが、目《め》を送《おく》ると、そのふもとの方《ほう》には、わらぶきの家《いえ》があって、三、四|本《ほん》の梅《うめ》の木《き》のつぼみが白《しろ》くなりかけていました。 [#ここから3字下げ] 徐州《じょしゅう》、徐州《じょしゅう》と人馬《じんば》は進《すす》む 徐州《じょしゅう》いよいか、住《す》みよいか [#ここで字下げ終わり] と、子供《こども》らの中《なか》から、孝《こう》ちゃんが、ふいにうたい出《だ》した。清作《せいさく》さんは、これをきくと、きっと頭《あたま》を上《あ》げて、思《おも》い出《だ》したように、 「そうだ。ちょうどもう二|年前《ねんまえ》になるな。私《わたし》はその徐州《じょしゅう》へ進軍《しんぐん》する、列《れつ》の中《なか》へ入《はい》っていたのだ。みんなここへおすわり。そのときのことを話《はな》してあげよう。」 「おじさん。戦争《せんそう》の話《はなし》、どんな話《はなし》?」 「いろいろ話《はなし》があるが、思《おも》い出《だ》したから、まずその軍馬《ぐんば》からだ。」 「軍馬《ぐんば》?」  孝《こう》ちゃんと三ちゃんと、勇《ゆう》ちゃんと、武《たけ》ちゃんは、清作《せいさく》さんを取《と》り巻《ま》くようにして、枯《か》れ草《くさ》の上《うえ》へすわりました。 「徐州《じょしゅう》へ進軍《しんぐん》のときは、大雨《おおあめ》の後《あと》だったので、たぶん僕《ぼく》たちの前《まえ》に出発《しゅっぱつ》した馬《うま》だろう。足《あし》をすべらしたんだな、がけ下《した》のどろ田《た》の中《なか》へ落《お》ちて、体《からだ》を半分《はんぶん》埋《う》ずめながら、そこを列《れつ》が通《とお》ると上《うえ》を向《む》いて鳴《な》いていた。助《たす》けてやろうにも、ちょっと助《たす》けようがないのだ。それに先《さき》を急《いそ》いでいるのでな。いっしょにここまできた友《とも》だちで、かわいそうに思《おも》ったが、頭《あたま》を下《さ》げて、そこを通《とお》り過《す》ぎてしまったよ。」 「かわいそうに、その馬《うま》どうなったろうか。」 「くにを出《で》てから幾月《いくつき》ぞ、ともに死《し》ぬ気《き》でこの馬《うま》と、攻《せ》めて進《すす》んだ山《やま》や河《かわ》……。ほんとうに、そうだった。みんなが馬《うま》を見返《みかえ》り、見返《みかえ》り、泣《な》きながらいったよ。」 「僕《ぼく》たち、こんど慰問袋《いもんぶくろ》の中《なか》へ、お馬《うま》にやるものも入《い》れて送《おく》らない?」と、孝《こう》ちゃんが、いうと、 「お馬《うま》には、図画《ずが》や、つづりかたはわからないね。」と、小《ちい》さな勇《ゆう》ちゃんがいったので、みんなが大笑《おおわら》いをしました。どこか遠《とお》くの方《ほう》で鳴《な》く鶏《にわとり》の声《こえ》が、のどかにきこえてきました。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社    1940(昭和15)年8月 初出:「日本の子供」    1940(昭和15)年4月 ※表題は底本では、「村《むら》へ帰《かえ》った傷兵《しょうへい》」となっています。 ※初出時の表題は「村へ帰つた傷兵」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年6月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。