道の上で見た話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)坂下《さかした》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|人《にん》 -------------------------------------------------------  いつものようにぼくは坂下《さかした》の露店《ろてん》で番《ばん》をしていました。  このごろ、絵《え》をかいてみたいという気《き》がおこったので、こうしている間《ま》も、物《もの》と物《もの》との関係《かんけい》や、光線《こうせん》と色彩《しきさい》などを、注意《ちゅうい》するようになりました。また坂《さか》の上方《じょうほう》の空《そら》が、地上《ちじょう》へひくくたれさがって、ここからは、その先《さき》にある町《まち》や、木立《こだち》などいっさいの風景《ふうけい》をかくして、たとえば、あの先《さき》は海《うみ》だといえば、そうも思《おも》えるように、いくらも空想《くうそう》の余地《よち》あるおもしろみが、だんだんわかってきました。  その日《ひ》は、からっとよく晴《は》れていました。ただおりおり風《かぜ》が、砂《すな》ぼこりをあげて、おそいかかるので、気持《きも》ちがおちつかなかったけれど、毎年《まいとし》、夏《なつ》のはじめには、よくある現象《げんしょう》でした。  ちょうど、若《わか》い女《おんな》が、店《みせ》の前《まえ》へ立《た》って、石《せっ》けんを見《み》ていましたが、ここをはなれて、あちらへいきかけたときです。とつぜん、坂《さか》の上《うえ》から、おそろしい突風《とっぷう》が、やってきて、あっというまに、女《おんな》のさしている日《ひ》がさをさらって、青空《あおぞら》へ高《たか》く、風車《かざぐるま》のように、まきあげました。それは、またはなやかなアドバルーンのようにも、糸《いと》が切《き》れた風船玉《ふうせんだま》のようにも、うすべに色《いろ》をして、美《うつく》しかったのです。そして、日《ひ》がさは、くるりくるりとまわりながら、あてもなく飛《と》んでいくのでした。  このとき、通《とお》りかかった人々《ひとびと》は、たちどまって、上《うえ》をむき、あれよ、あれよといってさわぎました。けれど、なかには、自分《じぶん》になんの関係《かんけい》もないできごとといわぬばかり、ふたたび見《み》あげようともせず、さっさといくものもありました。こんなさいちゅうに、たぶんこのあたりをうろつく、浮浪児《ふろうじ》でしょう。 「おれが、ひろうぞ!」と、叫《さけ》んで、二、三|人《にん》往来《おうらい》の人《ひと》をかきわけ、かけていきました。  風《かぜ》に、日《ひ》がさをさらわれた、女《おんな》の人《ひと》は、顔《かお》を赤《あか》くして、とりかえしのつかぬことをしたと思《おも》ったのでしょう。いそいで、その方向《ほうこう》へいきかけましたが、五、六|歩《ぽ》もいくと、きゅうに思《おも》いとまって、もどりかけました。そして、店《みせ》の前《まえ》まできたので、 「そんなに、遠《とお》く飛《と》んでは、いきませんよ。」といって、ぼくは女《おんな》の人《ひと》を力《ちから》づけようとしました。 「いえ、だれかすぐにひろってしまいますでしょう。」と、彼女《かのじょ》は答《こた》えて、もはや、あきらめたように、いってしまいました。  こう聞《き》いたとき、ぼくは、なんということなく、悲《かな》しかったのでした。  なんで、女《おんな》は、あきらめなければならぬかと思《おも》ったからです。自分《じぶん》のものでありながら、それを保証《ほしょう》する道徳《どうとく》のなかったこと、こんな、よいわるいの分別《ふんべつ》がなくなるまで、社会《しゃかい》がくずれたかという、なげきにほかありません。  健全《けんぜん》な秩序《ちつじょ》のなくなるということは、まっ暗《くら》な晩《ばん》を、あかりをつけずに、道《みち》を歩《ある》くようなものです。ぼくには、ちょうど、そんなようなわびしさを感《かん》じたのでした。  二、三|日前《にちまえ》のこと、ぼくは、おなじ通《とお》りで、古本店《ふるほんみせ》を出《だ》している、おばさんから、童話《どうわ》の本《ほん》を借《か》りてきて、番《ばん》をしながら読《よ》みました。そして、それに書《か》いてある話《はなし》に、ふかい感激《かんげき》をもちました。  それは、こういう話《はなし》です。  おおかみが、群《む》れをなして、すんでいました。どこへいくにも、先頭《せんとう》にたつのは、一ぴきの年《とし》とったおおかみでした。なぜなら、このおおかみは、もう長《なが》い間《あいだ》、山《やま》に生《い》きて、いろいろの経験《けいけん》をして、このあたりの山中《さんちゅう》なら、どんな道《みち》も知《し》っていれば、どこへいけば、なにがあるということから、またいろいろのばあいにたいして、だれよりも知識《ちしき》がふかかったからです。  たとえば、病気《びょうき》のときには、どの草《くさ》を食《た》べればいいとか、敵《てき》に追《お》われたときは、どの谷《たに》へおりて、どの岩《いわ》の間《あいだ》にかくれるとか、そのことは、とうてい、若《わか》いおおかみたちの知《し》るところではありませんでした。  それだけでなく、かれは、敵《てき》と出《で》あって、たたかわなければならないときも、自分《じぶん》は相手《あいて》のいちばん強《つよ》いやつをひきうけるというふうでしたから、みんなから、尊敬《そんけい》されていました。  しかし、この年《とし》とったりこうなおおかみも、鉄砲《てっぽう》のたまをふせぐことはできなかったのです。ある日《ひ》、りょうしにうたれて、きずついたからだで、みんなといっしょに、山《やま》おくの安全《あんぜん》なところまでにげのびてきました。そして、ついに、力《ちから》つきてたおれました。 「今夜《こんや》、わしは死《し》ぬだろう。」と、年《とし》とったおおかみは、いいました。  おおかみたちは、道案内者《みちあんないしゃ》を失《うしな》ったあとの不安《ふあん》と心細《こころぼそ》さから声《こえ》をあげて泣《な》きました。 「わしが、いなくなったら、新《あたら》しい先達《せんだつ》をえらぶがいい。ただ、いかなるばあいでもみんなは、ちりぢりになってはいけない。たがいに力《ちから》をあわせて、助《たす》けあい、いままでのように、生活《せいかつ》をつづけるのだ。」と、老《お》いたおおかみは、いましめました。  夕《ゆう》やけは、さびしい、高《たか》い山《やま》の間《あいだ》にうすれて、おおかみたちの悲《かな》しくほえる声《こえ》が谷々《たにだに》にこだましたのでした。 「そうだ。ぼくたちも、ちりぢり、ばらばらになってはいけない。正《ただ》しい心《こころ》と心《こころ》がむすびついて、おたがいに生《い》きぬく努力《どりょく》をしなければ!」と、ぼくは思《おも》ったのでした。  午後《ごご》になると、ねえさんがきて、かわってくれたので、ぼくはしばらく、自由《じゆう》のからだになりました。  駅《えき》へむかう道《みち》の上《うえ》で、なにかあるらしく人々《ひとびと》が集《あつ》まっているので、自分《じぶん》もいってみる気《き》になりました。それは、はじめて見《み》る、悲惨《ひさん》の光景《こうけい》ではなかった。何年《なんねん》か前《まえ》にも、どこかで見《み》たことがあるような記憶《きおく》がしました。やせこけた、あばら骨《ぼね》の出《で》た馬《うま》が、全身《ぜんしん》に水《みず》をあびたようにあせにぬれて、重《おも》い車《くるま》をひきかねているのでした。  それをむりに引《ひ》かせようとする馬子《まご》も、かみはみだれ、顔《かお》から、胸《むね》へかけて、やはりあせがながれ、日《ひ》にやけたひふは、赤銅色《しゃくどういろ》をしていました。そして、身《み》につけている、みじかい着物《きもの》は、やぶれていました。  ぼくは、馬《うま》の身《み》にもなれば、男《おとこ》のたちばにもなって考《かんが》えたのです。なんという、矛盾《むじゅん》した、いたましい事実《じじつ》でしょうか。男《おとこ》に、馬《うま》の苦《くる》しみをわからぬはずがない。ただ、この道《みち》をトラックや、自転車《じてんしゃ》や自動車《じどうしゃ》が、たえず、往来《おうらい》するだけ、男《おとこ》を、いっそういらだたせたのでした。  馬子《まご》は、はらだちまぎれに、あらあらしく、たづなを引《ひ》くと、馬《うま》は、頭《あたま》を上下《じょうげ》にふって、反抗《はんこう》の意《い》をしめし、前足《まえあし》に力《ちから》をいれて、大地《だいち》へしがみつこうとしました。そのたび、ほこりでよごれたたてがみが、雲《くも》のように波《なみ》うちました。集《あつ》まった人々《ひとびと》は遠《とお》まきして、見物《けんぶつ》しました。自分《じぶん》に関係《かんけい》のないことは、たいていの人《ひと》は、冷淡《れいたん》なものです。  このとき、どこか、町《まち》の喫茶店《きっさてん》から、レコードでならす、あまったるい歌声《うたごえ》が流《なが》れてきました。そこには、ことなった生活《せいかつ》のあることを思《おも》わせました。  ひるまえ吹《ふ》いていた風《かぜ》がやんで、空《そら》は、一|片《ぺん》の雲《くも》もなく、青々《あおあお》として、火《ひ》のように、かがやく太陽《たいよう》のやけつくあつさだけでした。しかしどこかのいすに腰《こし》かけて、アイスクリームを食《た》べ、つめたいソーダ水《すい》を飲《の》む人《ひと》もあったでしょう。ぼくは、この馬《うま》も、この男《おとこ》も、なぜに休《やす》む自由《じゆう》がもてないのかとふしぎに感《かん》じました。  すると、見物人《けんぶつにん》をかきわけて、まきゲートルをした若者《わかもの》が前《まえ》へ出《で》てきました。 「この馬《うま》は、一|度《ど》戦地《せんち》へいって、帰《かえ》された馬《うま》らしいが、かわいそうに、やせているな。つなをといて、すこし休《やす》ませてやんなよ。」  そういって、馬《うま》に近《ちか》づきました。馬子《まご》は、同情者《どうじょうしゃ》があらわれると、交通《こうつう》の妨害《ぼうがい》となって、しかられるのをおそれたけれど、いくぶんか大胆《だいたん》になりました。 「いつから、この仕事《しごと》をやっているんだね。」と、若者《わかもの》が、聞《き》きました。 「こんなことをするのは、このごろなんです。」と、馬子《まご》は答《こた》えて、つぎのように、身《み》のうえを語《かた》りました。 「私《わたし》は、もと百|姓《しょう》でした。馬《うま》を持《も》って、働《はたら》いていました。それが、戦争中《せんそうちゅう》に馬《うま》を徴発《ちょうはつ》されたのです。なんで、わすれよう、つれていく日《ひ》、馬《うま》は、ふみきりのところで、電車《でんしゃ》におどろいて、あばれました。私《わたし》は、こんなことで、びっくりするんでは、戦地《せんち》へいって、大砲《たいほう》の音《おと》を聞《き》いたら、どうするだろうと思《おも》いましたが、かわいそうにその後《ご》、どうなったか知《し》りません。  それから、自分《じぶん》も、村《むら》にいたくなくて、町《まち》の工場《こうじょう》で働《はたら》いたのですが、戦争《せんそう》がおわったけど、村《むら》へ帰《かえ》る気《き》がしなくて、こんなことをするようになったのです。この馬《うま》も、飼《か》い主《ぬし》がろくろくえさをやらないので、こんなにやせているのです。もっとも、人間《にんげん》さえ食《く》えないのだから、口《くち》のきけない動物《どうぶつ》は、みじめなもんです。」と、馬子《まご》は、目《め》にはいりかけるあせをふきながらいいました。 「おれは、復員《ふくいん》して、間《ま》がないが、まだ、やさしい顔《かお》にであわない。戦争《せんそう》のため、みんな、人間《にんげん》らしさをなくしてしまったんだな。いつまでも、こんなだったら、この国《くに》はほろびてしまうだろう。さあ、早《はや》く水《みず》をくんできて、馬《うま》に飲《の》ませてやんなよ。」と、若者《わかもの》は、馬子《まご》をうながして、自分《じぶん》は、よごれた馬《うま》のたてがみをなでました。 「そんなら、あとを、おたのみします。」と、馬子《まご》は、バケツを持《も》って、あちらへ走《はし》っていきました。  始終《しじゅう》を見《み》ていたぼくは、たとえ、悲《かな》しみや苦《くる》しみに、たたきのめされても、正《ただ》しく生《い》きようとするものには、まだ美《うつく》しい思《おも》いやりがあるのを、真《しん》にうれしく、力《ちから》づよく感《かん》じました。  なにを思《おも》うか、若者《わかもの》は、ライターで、たばこに火《ひ》をつけました。青《あお》い煙《けむり》が、たんたんとして、空《そら》へのぼっていきました。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「みどり色の時計」新子供社    1950(昭和25)年4月 初出:「こどもペン 3巻4号」    1949(昭和24)年4月 ※表題は底本では、「道《みち》の上《うえ》で見《み》た話《はなし》」となっています。 ※初出時の表題は「道の上で見たはなし」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年12月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。