春風の吹く町 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)金《きん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|人《にん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)はらん[#「はらん」はママ] -------------------------------------------------------  金《きん》さんは、幼《おさな》い時分《じぶん》から、親方《おやかた》に育《そだ》てられて、両親《りょうしん》を知《し》りませんでした。らんの花《はな》の香《かお》る南《みなみ》の支那《しな》の町《まち》を、歩《ある》きまわって、日本《にっぽん》へ渡《わた》ってきたのは、十二、三のころでした。街《まち》はずれの空《あ》き地《ち》で、黒《くろ》い支那服《しなふく》を着《き》た親方《おやかた》は、太《ふと》い鉄棒《てつぼう》をぶんぶんと振《ふ》りまわしたり、それを空《そら》へ高《たか》く投《な》げ上《あ》げて、上手《じょうず》に受《う》け取《と》ったり、また、片方《かたほう》の茶《ちゃ》わんに隠《かく》した、赤《あか》や白《しろ》の玉《たま》を、別《べつ》の茶《ちゃ》わんへかけ声《ごえ》一つでうつしたりして、群《むら》がる人《ひと》たちにみせていました。また、金《きん》さんは、でんぐり返《がえ》りをしたり、逆立《さかだ》ちをしながら、茶《ちゃ》わんの中《なか》の水《みず》を飲《の》んでみせたのでした。親方《おやかた》は、日本《にっぽん》はいいところだといっていました。  ある日《ひ》のこと、急《きゅう》に気分《きぶん》が悪《わる》いといって、親方《おやかた》は宿《やど》へ帰《かえ》ると床《とこ》につきました。金《きん》さんは、どんなに心細《こころぼそ》く感《かん》じたでしょう。お薬《くすり》を買《か》いにいったり、氷《こおり》で頭《あたま》を冷《ひ》やしたりして、小《ちい》さい子供《こども》の力《ちから》で、できるだけ看病《かんびょう》をしました。親方《おやかた》は、しわの寄《よ》った目《め》じりに、涙《なみだ》をためて、 「おまえのことは、さっき、よく宿《やど》の人《ひと》に頼《たの》んでおいた。日本《にっぽん》の人《ひと》は、困《こま》ったものを見殺《みごろ》しにしない。私《わたし》が、もし死《し》んだら、おまえは、正直《しょうじき》に働《はたら》いて、日本《にっぽん》を自分《じぶん》の生《う》まれた国《くに》と思《おも》って、永《なが》く暮《く》らすがいい。」と、いい聞《き》かせました。  金《きん》さんは、その後《ご》、遺言《ゆいごん》を守《まも》って、本屋《ほんや》の小僧《こぞう》さんとなり、よく辛棒《しんぼう》をしました。そして、一|人《にん》まえになってから、小《ちい》さな店《みせ》を持《も》ったのであります。金《きん》さんは、親方《おやかた》も、自分《じぶん》のように、両親《りょうしん》がなく一人《ひとり》ぽっちだったこと、気短《きみじか》で、しかられるときは怖《こわ》かったが、人情深《にんじょうぶか》い、いい人《ひと》だったことなど、思《おも》い出《だ》しました。金《きん》さんは、お仏壇《ぶつだん》に親方《おやかた》の写真《しゃしん》を祭《まつ》って、命日《めいにち》には、かならず燈火《あかり》を上《あ》げて拝《おが》んだのです。  町《まち》の子供《こども》たちが、店頭《てんとう》に並《なら》べておく絵本《えほん》や、雑誌《ざっし》をひろげて見《み》ても、金《きん》さんは、小言《こごと》をいいませんでした。子供《こども》たちが笑《わら》うと、自分《じぶん》も笑《わら》って見《み》ていました。子供《こども》たちが帰《かえ》ると、またきれいに、本《ほん》を並《なら》べ直《なお》したのです。毎日《まいにち》のように店《みせ》へ遊《あそ》びにくる子供《こども》の中《なか》に、良《りょう》ちゃんといって、ようすの貧《まず》しげな子供《こども》がありました。その子《こ》は、いつも金太郎《きんたろう》さんの絵本《えほん》を、きまって手《て》に取《と》り上《あ》げて、飽《あ》きもせずながめていました。そして、くまとお相撲《すもう》を取《と》るところへくると、うれしそうな顔《かお》つきをして、笑《わら》いました。  ほかの子供《こども》は、本《ほん》を見《み》てしまうと、そこへ投《な》げ出《だ》していってしまうけれど、良《りょう》ちゃんだけは、ちゃんともとのところへ置《お》いて帰《かえ》りました。 「おれにも、あんな子供《こども》の時分《じぶん》があったのだ。」と、考《かんが》えると、金《きん》さんの目《め》には、人通《ひとどお》りのはげしい、油《あぶら》のこげつく臭《にお》いが漂《ただよ》う、狭《せま》い夕日《ゆうひ》の当《あ》たる町《まち》の景色《けしき》が浮《う》かんでくるのです。足《あし》が疲《つか》れて歩《ある》けないのを、親方《おやかた》が手《て》を引《ひ》いてくれて、一|軒《けん》の食《た》べ物屋《ものや》へ入《はい》りました。そこで鶏《にわとり》の肉《にく》のご飯《はん》を食《た》べた。そのうまかったのが、いまだに忘《わす》れられないのでした。  金《きん》さんが、正直《しょうじき》で、いい人《ひと》なものだから、店《みせ》には、いつもお客《きゃく》がありました。故郷《こきょう》の人《ひと》とも友《とも》だちができれば、また学生《がくせい》さんにも友《とも》だちができました。お嫁《よめ》さんをもらえとすすめる人《ひと》があるけれど、金《きん》さんは、まだ早《はや》いといって、一人《ひとり》で暮《く》らしていました。金《きん》さんは、独《ひと》りで、考《かんが》えているのが好《す》きなのです。 「おじさん、金太郎《きんたろう》さんの本《ほん》は、もうなくなったの?」  ある日《ひ》、良《りょう》ちゃんが、聞《き》きました。どこか本《ほん》の下《した》になったのでしょう。 「ありませんか。」と、金《きん》さんは、下《お》りて、さがしてやりました。 「僕《ぼく》、昨夜《ゆうべ》、金太郎《きんたろう》さんの夢《ゆめ》を見《み》たから、飛《と》んできたんだよ。」と、良《りょう》ちゃんは、一人《ひとり》でした。 「そんなに金太郎《きんたろう》さん好《す》きですか。あんたにあげましょう。」と、金《きん》さんは、古《ふる》い絵本《えほん》を良《りょう》ちゃんに与《あた》えました。良《りょう》ちゃんは、おどり上《あ》がるようにして、喜《よろこ》んで帰《かえ》りました。  良《りょう》ちゃんの家《いえ》は、病気《びょうき》のお父《とう》さんと、働《はたら》きに出《で》かけるお母《かあ》さんとでありました。良《りょう》ちゃんは、一|冊《さつ》の本《ほん》も容易《ようい》に買《か》ってもらえなかったのです。  その日《ひ》の晩《ばん》でありました。仕事《しごと》から帰《かえ》ったお母《かあ》さんが、良《りょう》ちゃんをつれて本屋《ほんや》さんへやってきました。良《りょう》ちゃんの顔《かお》には、泣《な》いたあとがあって、昼間《ひるま》与《あた》えた絵本《えほん》を抱《だ》いています。 「この子《こ》が、ご本《ほん》をもらったといって持《も》ってきましたが、ほんとうでしょうか?」 「ほんとうです。金太郎《きんたろう》さんが、お好《す》きのようですから、あげたのです。」と、金《きん》さんは、笑《わら》って答《こた》えました。 「ありがとうございます。それなら、いいですけれど。」と、お母《かあ》さんは、喜《よろこ》んで、お礼《れい》をいって、帰《かえ》りました。後《あと》からついていく良《りょう》ちゃんの顔《かお》も、いきいきとしていました。  金《きん》さんは、かぜをひいて臥《ね》ました。店《みせ》も半分《はんぶん》閉《し》めてあります。いちばん心配《しんぱい》したのは毎日《まいにち》遊《あそ》びにくる子供《こども》たちでした。 「おじさん、どこがわるいの。」 「おじさん、ご用《よう》があったら、お使《つか》いにいってあげるよ。」  いろいろと、上《あ》がりがまちから、奥《おく》の方《ほう》をのぞいてなぐさめました。金《きん》さんは、うれしく思《おも》いました。日暮《ひぐ》れ方《がた》には、良《りょう》ちゃんのお母《かあ》さんが、みまいにきました。 「私《わたし》には、はらん[#「はらん」はママ]の実《み》がいちばんきくのですが。」と、金《きん》さんが、苦《くる》しそうに、いいました。子供《こども》の時分《じぶん》にもはなはだしい熱《ねつ》のとき、親方《おやかた》が、らんの実《み》を煎《せん》じて飲《の》ましてくれて、なおったことを思《おも》い出《だ》したのです。 「らんの実《み》ですか、さがしてあげますよ。」  良《りょう》ちゃんのお母《かあ》さんは、金《きん》さんのために、翌日《よくじつ》、らんをたずねて方々《ほうぼう》を歩《ある》いたのでした。  一人《ひとり》のおじいさんがあって、らんのほかに、いろいろの薬草《やくそう》を作《つく》っていました。 「これは、去年《きょねん》生《な》った実《み》です。」といって、らんの実《み》を分《わ》けてくれました。また、良《りょう》ちゃんのお父《とう》さんの、胃《い》の病気《びょうき》によくきくという草《くさ》も分《わ》けてくれました。このとき、お母《かあ》さんには、おじいさんの顔《かお》が、神々《こうごう》しく見《み》えたのです。そして、他人《たにん》のためにしたことが、かえって自分《じぶん》のためになったとうれしかったのであります。  吹《ふ》く春風《かるかぜ》にどこからともなく、いい花《はな》の香《かお》りが流《なが》れてきて、林《はやし》の中《なか》では、小鳥《ことり》が楽《たの》しそうにさえずっていました。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社    1940(昭和15)年8月 初出:「台湾日日新報 夕刊」    1940(昭和15)年4月7日 ※表題は底本では、「春風《はるかぜ》の吹《ふ》く町《まち》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年3月11日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。