はたらく二少年 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)新《あたら》しい |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|同《どう》 -------------------------------------------------------  新《あたら》しい道《みち》が、つくりかけられていました。おかをくずし、林《はやし》をきりひらき、町《まち》の中《なか》を通《とお》って、その先《さき》は、はるかかなたの、すみわたる空《そら》の中《なか》へのびています。そこには、おおぜいの労働者《ろうどうしゃ》が、はたらいていました。  トロッコが、ほそいレールの上《うえ》を走《はし》りました。道《みち》ばたには、大《おお》きな土管《どかん》がころがり、くだいた石《いし》や、小《こ》じゃりなどが、うずたかくつまれていました。  はたらくものの中《なか》には、年《とし》をとったものもいれば、まだわかいものもいました。かれらはシャベルでほった土《つち》をトロッコへなげこんだり、つるはしをかたい地面《じめん》にうちこんで、溝《みぞ》をつくったりしました。こうして、しごとをする間《あいだ》は、たがいに口《くち》をきかなかったけれど、自分《じぶん》をなぐさめるために、無心《むしん》で歌《うた》をうたうものもありました。  やがて正午《しょうご》になると、近《ちか》くの工場《こうじょう》から、汽笛《きてき》がきこえます。すると一|同《どう》は手《て》を休《やす》めて、昼飯《ひるめし》を食《た》べる用意《ようい》をしました。それからの一|時間《じかん》は、はたらく人々《ひとびと》にとって、なによりたのしかったのでした。  二人《ふたり》の少年《しょうねん》は、石《いし》へこしかけて、秋《あき》の近《ちか》づいた空《そら》をながめていました。 「そんなら、K《ケー》くんは小《ちい》さいときに、家《いえ》を出《で》たんだね。」と、N《エヌ》がいいました。 「そう、母親《ははおや》がなくなると、父親《ちちおや》はちっともぼくたちをかまってくれなかったから、どこかへいけば、母親《ははおや》のかわりに、やさしくしてくれる人《ひと》があろうかと思《おも》ってね。」と、K《ケー》が答《こた》えました。N《エヌ》はうなずきながら、 「わたしは、ちょうどきみとははんたいで、父親《ちちおや》の顔《かお》をおぼえていない。まったく母親《ははおや》の手《て》一つで、大《おお》きくなったのさ。その母《はは》の手《て》だすけもできぬうちに、母《はは》は死《し》んでしまった。」 「考《かんが》えると、二人《ふたり》とも不幸《ふこう》だったんだね。」 「世《よ》の中《なか》には、両親《りょうしん》がそろって、こんな悲《かな》しみを知《し》らないものもあるんだが。」と、N《エヌ》はたばこに火《ひ》をつけました。 「それでもまだきみには、やさしいおかあさんがあったからいい。さびしいときは、いつでもおもかげを思《おも》いだして、自分《じぶん》をなぐさめることもできるから。」といって、K《ケー》は自分《じぶん》の子《こ》どものころのことを話《はな》したのでした。  いつも、ぼくはさびしい子《こ》どもだった。ある日《ひ》、桑畑《くわばたけ》で、いくたりかの女《おんな》が桑《くわ》の葉《は》をつんでいるのを見《み》た。なんでもその葉《は》はどこかの養蚕地《ようさんち》へおくられるというのだった。むすめもいれば、おばさんもいた。その中《なか》に、白《しろ》い手《て》ぬぐいをかぶった、やさしそうなおばさんがあった。ぼくは、こんなようなおかあさんがおればいいになあと、なんとなく、したわしい気《き》がして、そのそばへいって、桑《くわ》をつむてつだいをした。おばさんは、ぼくの頭《あたま》をなでてくれた。  このおばさんは、いい声《こえ》で歌《うた》をうたった。その声《こえ》をきくと、ぼくは悲《かな》しくなってしぜんに目《め》からなみだがながれた。そして、おばさんが木《き》から木《き》へかわるたびに、ぼくはかごのかたすみを持《も》ってやった。みんなの前《まえ》で、はずかしいのをがまんして、すこしでもおばさんの手《て》だすけになろうと思《おも》った。  そのあくる日《ひ》、桑畑《くわばたけ》へいくと、もうここの仕事《しごと》はおわって、みんなが、昼《ひる》すぎは帰《かえ》るのだという。ぼくは勇気《ゆうき》を出《だ》して、 「おばさんのおうちは、どこなの。」ときいた。 「ぼっちゃん、遠《とお》いのですよ。あっちの港町《みなとまち》です。もし、あっちへいらしたら、およりくださいね。わたしのうちは、停車場《ていしゃじょう》のすぐ前《まえ》ですから。」と、おばさんが教《おし》えてくれた。  それから後《のち》も、ぼくは桑畑《くわばたけ》へいったがまったく人《ひと》かげがなかった。北《きた》の方《ほう》へたれさがる水色《みずいろ》の空《そら》をながめていると、どこからか、ほそい歌声《うたごえ》がきこえるような気《き》がして、ただぼんやりたたずんだ。  ついに、ぼくは、ある日《ひ》のこと、ほこりをあびながら、白《しろ》くかわいた街道《かいどう》を歩《ある》いていった。港町《みなとまち》へいけば、おばさんにあえると思《おも》ったのだ。いつしか夕日《ゆうひ》は松林《まつばやし》の中《なか》にしずみかけた。もう足《あし》はつかれて、これから先《さき》へいくことも、またもどることもできなくなって、道《みち》ばたでないていた。そのとき、そこを通《とお》りかけた自転車《じてんしゃ》が、ぼくを見《み》るとふいに止《と》まって、 「おい、K《ケー》ぼうじゃないか。」と、声《こえ》をかけた。  それは、近所《きんじょ》のおじさんだった。 「どうして、こんなところへきた。おとうさんといっしょか。」と、おじさんはきいた。  ぼくが頭《あたま》をふると、おじさんは、ふしぎそうに、ぼくを見《み》るので、 「海《うみ》を見《み》たい。」と、ぼくはいった。 「あはは、ばかめが。海《うみ》までまだたいへんだ。さあ、早《はや》くこれにのれ。いっしょに家《いえ》までつれていってやるから。」と、おじさんは後《うし》ろへぼくをのせると、走《はし》りだした。 「N《エヌ》くん、こんなようなことも、あったんだよ。」と、K《ケー》がいいました。  だまってK《ケー》の話《はなし》をきいていたN《エヌ》は、たばこの火《ひ》がきえたのも知《し》らなかった。 「だれにも、にたような話《はなし》はあるのかな。それで、苦《くる》しい世《よ》の中《なか》と思《おも》っても、なお生《い》きようとするのは、いつか、いい人間《にんげん》にめぐりあえるような気《き》がして、美《うつく》しいゆめがもてるからですね。」  N《エヌ》は、こう答《こた》えて、上着《うわぎ》のかくしから、なにかとりだしました。それは、手《て》ぬぐいにつつんだ鏡《かがみ》のかけらでした。 「きみ、それは、どうしたの。」と、K《ケー》がきいた。 「あすこで、ひろったのです。K《ケー》さん、この町《まち》はわたしに思《おも》い出《で》がふかいんです。」と、こんどはN《エヌ》が、そのわけをK《ケー》に話《はな》してきかせたのです。  わたしは、おふくろがなくなった後《のち》、どうすることもできず、おなじ長屋《ながや》にすんでいた、あんまさんのところで、せわになりました。わたしの仕事《しごと》というのは毎日《まいにち》親方《おやかた》の手《て》を引《ひ》いて、あの町《まち》かどのところへくることでした。そして、親方《おやかた》が、尺《しゃく》八をふく間《あいだ》ついていて、通《とお》りかかる人《ひと》が、お金《かね》をくれるのをもらったのでした。戦争前《せんそうまえ》は、あすこに大《おお》きくてりっぱなカフェーがありました。  夏《なつ》の日《ひ》の午後《ごご》のこと、きゅうに空《そら》がくらくなって雷《かみなり》がなり、雨《あめ》がふりだしました。 「夕立《ゆうだ》ちだから、じき、はれるだろう。」と、親方《おやかた》はいって、二人《ふたり》はカフェーの、のき下《した》へはいり、たたずんでいました。すると、ぴかりぴかり、いなずまのするたび黒《くろ》い森《もり》や、でこぼこの屋根《やね》が、うきあがって見《み》えるかと思《おも》うと、地球《ちきゅう》をひきさくようなすさまじい、雷《かみなり》の音《おと》がして、わたしはふるえながら、親方《おやかた》の手《て》をひっぱって、もっとドアに近《ちか》く身《み》をよせようとしました。そうすればたきのようにふる雨《あめ》が、かろうじてよけられるからです。  このとき、とつぜんドアがあきました。見《み》ると、うすべに色《いろ》の長《なが》いたもとの着物《きもの》をきた女給《じょきゅう》さんが、ぱっちりした目《め》をこちらへむけ、二人《ふたり》を見《み》ながら、 「そこではぬれますから、早《はや》く中《なか》へおはいんなさい。」と、いってくれました。  頭《あたま》から顔《かお》までぬらしながら、親方《おやかた》は、ただもじもじしていると、そのねえさんは、わたしの手《て》をとらんばかりにすすめたので、二人《ふたり》は、つい、すいこまれるごとく、ドアの中《なか》にはいりました。そして、わたしは生《う》まれてはじめて、こんなに美《うつく》しく、かざりたてられた、たてものの中《なか》を見《み》たのです。ふだんは、風《かぜ》のふきすさぶたてものの外《そと》に立《た》って、五|色《しき》にかがやくネオンをながめながら、中《なか》からもれる、たのしそうな音楽《おんがく》や心《こころ》のうきたつような歌《うた》にききほれるだけで、煉瓦《れんが》のかべをへだてて、そこには、どんな世界《せかい》があるのか、想像《そうぞう》することもできなかったのでした。 「すこし、おかけなさいな。」と、ねえさんがいってくれたので、二人《ふたり》は、かたすみのほうにあった、テーブルのわきへ、こしをかけました。  まだ、たくさんの美《うつく》しいおねえさんたちが、立《た》ったりかけたりしていました。わたしは、どこから、こんなうつくしい人《ひと》ばかりあつまってきたのかと、ふしぎに思《おも》いました。わたしが、目《め》をみはっていると、また、さっきのおねえさんが、きて、 「わたしにも、ちょうど、あんたぐらいの弟《おとうと》があるのよ。さあ、ひとつですけれど、おあがんなさい。」と、いって、紙《かみ》にのせて、おかしをくれました。親方《おやかた》は尺《しゃく》八をにぎりうなだれていたが、それに気《き》づくと、わたしにかわって、礼《れい》をいってくれました。  しばらくすると、雷《かみなり》も雨《あめ》も、わすれたようにやみました。二人《ふたり》が、外《そと》へ出《で》るころは、だんだん、客《きゃく》がたてこんで、あちらでも、こちらでも、笑《わら》い声《ごえ》がきこえ、それとまじって、グラスのふれあう音《おと》がしました。  あのときから、何年《なんねん》たったであろうか、戦時中《せんじちゅう》、空襲《くうしゅう》で、このあたりは焼《や》け野原《のはら》になってしまいました。きょう、カフェーのあとで、この鏡《かがみ》のかけらを見《み》つけて、ひろいあげると、おりから空《そら》にあらわれた赤《あか》い雲《くも》がうつって、わたしは、おねえさんのすがたを思《おも》いだしたので、記念《きねん》にしようとポケットに入《い》れたが、考《かんが》えれば、やはりつまらんことですね。 と、N《エヌ》はいって、そのかけらを道《みち》ばたになげすてました。  K《ケー》はこの話《はなし》をきくと、なんとなくN《エヌ》を、他人《たにん》のような気《き》がしなくなった。そして、早《はや》くから親《おや》をなくした子《こ》というものは、すこしかわいがってくれるものがあれば、こんなにも恋《こい》しく思《おも》うものかと、つくづく感《かん》じたのでした。 「そうさ。むかしのゆめなんか、なんにもならんよ。ふきとばして、希望《きぼう》をいだいて強《つよ》く生《い》きぬこうぜ。ぼくたちは、もうはたらける年《とし》になったんだもの、だれからも、ばかにされない。これから、おたがいに力《ちから》になろうよ。」と、N《エヌ》をはげますようにK《ケー》はいいました。 「ああ、ゆかいだ。きみと、どこへでも、いっしょにいきましょう。」と、N《エヌ》がK《ケー》の手《て》をにぎると、K《ケー》もまたかたくにぎりかえしました。  かれこれ、休《やす》み時間《じかん》が、きれたとみえます。あちらから、トロッコの走《はし》ってくる音《おと》がしました。すると、一|同《どう》が立《た》ちあがった。二人《ふたり》も、また、元気《げんき》にシャベルをもちました。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「みどり色の時計」新子供社    1950(昭和25)年4月 初出:「少年少女の広場」    1949(昭和24)年3月 ※表題は底本では、「はたらく二|少年《しょうねん》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年4月26日作成 青空文庫作成ファイル: 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