鳥鳴く朝のちい子ちゃん 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)ちい子《こ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)八|時《じ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから3字下げ] -------------------------------------------------------  ちい子《こ》ちゃんは、床《とこ》の中《なか》で目《め》をさましました。うぐいすの鳴《な》き声《ごえ》が、きこえてきました。 「おや、ラジオかしら。」  このごろ、いつもお休《やす》み日《び》の朝《あさ》には、小鳥《ことり》の鳴《な》き声《ごえ》が放送《ほうそう》されたからです。しかし、その声《こえ》は、お隣《となり》の庭《にわ》の方《ほう》からきこえてくるような気《き》がしました。あちらには、梅林《うめばやし》があるし、木立《こだち》もたくさんしげっていますから、どこからかうぐいすが飛《と》んできて鳴《な》いているのでないかとも、思《おも》われました。 「お母《かあ》さん、あれラジオのうぐいすなの。」と、ちい子《こ》ちゃんは、聞《き》きました。  とっくに起《お》きて、家《いえ》の中《なか》で働《はたら》いていらした、お母《かあ》さんは、 「ほんとうのうぐいすですよ。花《はな》が咲《さ》いているから、飛《と》んできたのです。さあ、あんたも早《はや》く起《お》きて、お顔《かお》を洗《あら》いなさい。いいお天気《てんき》ですよ。」と、おっしゃいました。 「ああ、そうだ。日曜学校《にちようがっこう》へいって、先生《せんせい》からお話《はなし》を聞《き》いて、それから、とみ子《こ》さんや、まさ子《こ》さんといっしょに遊《あそ》ぶ、お約束《やくそく》がしてあったのだ。」と、思《おも》い出《だ》すと、ちい子《こ》ちゃんは、すぐに床《とこ》から出《で》ました。  空《そら》は、緑色《みどりいろ》にすみわたっていました。朝日《あさひ》がさして、木々《きぎ》の葉《は》はいきいきとかがやいて、いい気持《きも》ちであります。  ちい子《こ》ちゃんは、ご飯《はん》をいただいてから、お机《つくえ》の前《まえ》でまごまごしていました。お母《かあ》さんに髪《かみ》を結《ゆ》ってもらって、時計《とけい》を見《み》ると、じき八|時《じ》になります。 「あら、おくれたらたいへん。」といって、お玄関《げんかん》で、げた箱《ばこ》からくつを出《だ》してはいて、お家《うち》を出《で》ました。  さっきのうぐいすでしょう、こんどは、どこか遠《とお》くの方《ほう》で鳴《な》いている声《こえ》が、きこえてきました。垣根《かきね》のそばを歩《ある》いていくと、赤《あか》いつばきの花《はな》の咲《さ》いた家《いえ》があります。ご門《もん》のところに、ぼけの花《はな》のいっぱいに咲《さ》いている家《いえ》もありました。またお庭《にわ》に白《しろ》い花《はな》の咲《さ》いた、高《たか》いこぶしの木《き》のある家《いえ》もありました。そして、ちい子《こ》ちゃんが、広《ひろ》い通《とお》りへ出《で》ようとしたとき、一|軒《けん》のご門《もん》の前《まえ》に、一人《ひとり》のおばさんが、ふろしき包《づつ》みをかかえて、紙片《かみきれ》を持《も》って、門札《もんさつ》をながめながら、ぼんやり立《た》っているのを見《み》ました。ちい子《こ》ちゃんが近《ちか》づくと、 「お嬢《じょう》ちゃん、川上《かわかみ》さんという家《うち》をごぞんじありませんか。」と、おばさんは、聞《き》きました。 「川上《かわかみ》さん? 私《わたし》、知《し》らないわ。」 「番地《ばんち》を書《か》いてもらってきたのですけれど、この番地《ばんち》が見《み》つからないのですよ。」  おばさんは、家政婦《かせいふ》さんか、女中《じょちゅう》さんでありました。雇《やと》われるお家《うち》がわからなくて、困《こま》っているのです。ちい子《こ》ちゃんは、白《しろ》い新《あたら》しいたびをはいているおばさんが、なんとなく気《き》の毒《どく》になりました。 「おばさん、待《ま》っていらっしゃい。」  ちい子《こ》ちゃんは、あちらの角《かど》にあった、たばこ屋《や》へ飛《と》んでいきました。そして、川上《かわかみ》という家《いえ》をたずねたのです。 「ああ、川上《かわかみ》さんですか。このごろ、越《こ》してきた方《かた》でしょう。こちらの路地《ろじ》を入《はい》って、つき当《あ》たりの家《いえ》です。」と、たばこ屋《や》で教《おし》えてくれました。  ちい子《こ》ちゃんは、あちらに立《た》っていた、おばさんのところへ飛《と》んでいって、知《し》らせてやりました。 「お嬢《じょう》ちゃん、どうもありがとうございました。」と、おばさんは、喜《よろこ》んで、いくたびも頭《あたま》を下《さ》げました。  ちい子《こ》ちゃんも、うれしかったのです。往来《おうらい》へ出《で》ると、人《ひと》がたくさん通《とお》っていました。草花屋《くさばなや》が、手車《てぐるま》の上《うえ》へ、いろいろの草花《くさばな》の鉢《はち》をのせて、「草花《くさばな》や、草花《くさばな》。」といいながら、引《ひ》いていきました。  どこを見《み》ても、もう、すっかり春《はる》の景色《けしき》です。教会堂《きょうかいどう》のとがった屋根《やね》が見《み》えていました。 [#ここから3字下げ] 神《かみ》さまは 軒《のき》の こすずめまで おやさしく いつも 愛《あい》したもう [#ここで字下げ終わり]  ちい子《こ》ちゃんは、うたいながら、教会堂《きょうかいどう》まで走《はし》っていくと、はや、お説教《せっきょう》が、はじまっていました。みんなが、静《しず》かにしていますので、ちい子《こ》ちゃんは、お説教《せっきょう》の終《お》わるまで、外《そと》に待《ま》っていようと思《おも》いました。  ドアの外《そと》には、子供《こども》たちのげたが、ちらばっています。ちい子《こ》ちゃんは、それを一つ、一つ、きちんとならべました。また、げたばこの下《した》に投《な》げ出《だ》してあったスリッパを、箱《はこ》の中《なか》へ収《おさ》めていました。  ちい子《こ》ちゃんは、お説教《せっきょう》のあとで、子供《こども》たちが、幾組《いくくみ》かに分《わ》かれて、先生《せんせい》から聞《き》くお話《はなし》をたのしみにしていました。 「まさ子《こ》さんや、とみ子《こ》さんは、どこにいらっしゃるだろう。」と、ドアのすきまから、内《うち》をのぞいたのです。けれども、みんながあちらを向《む》いて、同《おな》じ頭《あたま》をしているので、よくわかりませんでした。高窓《たかまど》の色《いろ》ガラスから流《なが》れる、黄《き》や紫《むらさき》や、青《あお》の光線《こうせん》は、不思議《ふしぎ》な夢《ゆめ》の国《くに》を思《おも》わせました。壁《かべ》にかかっている、いつもにこやかなお顔《かお》のマリアさまは、手《て》をさしのべて、みんなの頭《あたま》をなでていてくださいました。ちい子《こ》ちゃんは、びっくりしました。 「おばあちゃん、おんも……よう。」と、このとき、坊《ぼう》やが、わめいたからです。みんなは、だまって、牧師《ぼくし》さまのお話《はなし》を聞《き》いているのに、坊《ぼう》やだけは、わからないから、外《そと》へ出《で》たいというのでした。 「おとなしく、じっとしていらっしゃい。」と、大《おお》きな声《こえ》で、おばあさんが、いっています。  急《きゅう》に、この二人《ふたり》の声《こえ》で、ほかの人《ひと》たちは、牧師《ぼくし》さまの声《こえ》が、耳《みみ》に入《はい》らないので、困《こま》っているようすでした。 「おばあちゃん、おんもよう。」と、坊《ぼう》やは、腰《こし》かけから立《た》ち上《あ》がって、すねています。 「外《そと》へ、いくのかい。」  みんなが、おばあさんの方《ほう》をふり向《む》きました。しかし、おばあさんは、平気《へいき》なものです。 「どうぞ、しずかにしてください。」  牧師《ぼくし》さまは、たまりかねて、おばあさんに注意《ちゅうい》なさいました。 「さ、さ、おんもへいきましょう。」と、おばあさんは、孫《まご》の手《て》を引《ひ》いて、ドアの方《ほう》へやってきました。 「あら、小西《こにし》のおばあさんだわ。」と、ちい子《こ》ちゃんは、目《め》をまるくしました。  小西《こにし》のおばあさんは、つんぼで、人《ひと》のいうことが、よくきこえぬのです。だから、自分《じぶん》も、大《おお》きな声《こえ》を出《だ》して、なんとも思《おも》わなければ、また、みんなに迷惑《めいわく》をかけることもわからないのでした。  おばあさんが、坊《ぼう》やをつれて、ドアの外《そと》へ出《で》ましたから、そこに立《た》っていた、ちい子《こ》ちゃんは、おじぎをしました。 「だれかと思《おも》ったら、ちい子《こ》ちゃんですか、あんたは、いまいらしたの。」と、おばあさんは、大《おお》きな声《こえ》でいいました。 「きれいに、だれが髪《かみ》をゆってくだすったの。」 「お母《かあ》さん。」と、ちい子《こ》ちゃんは、答《こた》えました。 「まあ、赤《あか》いリボンをつけて。」  おばあさんの声《こえ》が、よくへやの内《うち》へ聞《き》こえるので、みんなが、こちらを向《む》いています。  ちい子《こ》ちゃんは、きまりがわるくなりました。 「坊《ぼう》や、おいで。」  ちい子《こ》ちゃんは、坊《ぼう》やをつれて、教会堂《きょうかいどう》の横手《よこて》の方《ほう》へいきました。そこには、桜《さくら》の木《き》があって、花《はな》が咲《さ》いていました。腰《こし》かけや、すべり台《だい》などがありました。  もう、花《はな》が、ちら、ちら散《ち》っています。坊《ぼう》やは、それを拾《ひろ》っていました。 「坊《ぼう》や、すわると、おべべが、よごれるよ。」  おばあさんが、大《おお》きな声《こえ》でいいました。ちい子《こ》ちゃんは、ここなら、みんなのおじゃまにならぬと思《おも》って、安心《あんしん》していました。  ちい子《こ》ちゃんが、ベンチに腰《こし》かけていると、おばあさんが、そばへきて、 「あんたのおくつは新《あたら》しいの、いつ買《か》ってもらったの。」と、聞《き》きました。 「こないだ、学校《がっこう》へ上《あ》がったときよ。」と、ちい子《こ》ちゃんは、答《こた》えました。 「いま、おくつは、お高《たか》くなったんでしょう。」と、おばあさんは、いろいろのことを話《はな》しました。坊《ぼう》やは、拾《ひろ》った花《はな》びらを、またまいていました。花《はな》びらは、ひらひらと白《しろ》いちょうちょうのように、風《かぜ》に舞《ま》いました。 「ちい子《こ》ちゃん、あんた忘《わす》れたでしょう。小《ちい》さいとき、道《みち》を歩《ある》いていて、前《まえ》へいくよそのお姉《ねえ》さんを見《み》て、お母《かあ》さん、あんなくつよ、わたしほしいわといったことを。そのお姉《ねえ》さんのくつは、かかとの高《たか》い、さきのとがった、ハイカラのおくつで、ダンサーか、女優《じょゆう》さんのはくくつで、あんたが、そういったものだから、通《とお》る人《ひと》がみんな見《み》たのでそのお姉《ねえ》さんは、きまり悪《わる》がって気《き》の毒《どく》だとお母《かあ》さんが、おっしゃいました。」と、おばあさんが、いいました。 「おばあさん、ハイヒールでしょう。」 「そう、そう、そのハイヒールとかいうくつです。ちい子《こ》ちゃん、くつはあんなのより、やはりこうした、かかとの平《たい》らな、すこし大《おお》きいくらいのが体《からだ》のためにいいのですよ。」  おばあさんは、たいくつなもので、だれとでも話《はな》したかったのです。 「ちい子《こ》ちゃん、そんなこと覚《おぼ》えていますか。」 「わたし、忘《わす》れたわ。」 「みんな小《ちい》さいときのことは、忘《わす》れてしまうものかね。」  そのとき、坊《ぼう》やは、ひとりで歩《ある》いて、教会堂《きょうかいどう》の門《もん》から、外《そと》の方《ほう》へ出《で》ていこうとしていました。これを見《み》つけた、おばあさんは、 「あ、坊《ぼう》や、ひとりでいっては、あぶないよ。」と、もう、ちい子《こ》ちゃんのことなど忘《わす》れて、坊《ぼう》やの後《あと》を追《お》っていきました。 「ほんとうに、私《わたし》、そんなことがあったかしらん。」  ちい子《こ》ちゃんは、いまごろ牧師《ぼくし》さまのお説教《せっきょう》が終《お》わって、先生《せんせい》のお話《はなし》がはじまる時分《じぶん》だと思《おも》って、ドアの方《ほう》へ、足音《あしおと》軽《かる》く歩《ある》いていきました。そして、静《しず》かに中《なか》へ入《はい》っていきました。ちい子《こ》ちゃんは、かわいいお嬢《じょう》ちゃんです。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「夜の進軍喇叭」アルス    1940(昭和15)年4月 ※表題は底本では、「鳥《とり》鳴《な》く朝《あさ》のちい子《こ》ちゃん」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年4月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。