小さな妹をつれて 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)二郎《じろう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|年生《ねんせい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  きょうは、二郎《じろう》ちゃんのお免状日《めんじょうび》です。お母《かあ》さんは、新《あたら》しい洋服《ようふく》を出《だ》して、 「これを着《き》ていらっしゃい。よごすのでありませんよ。」と、おっしゃいました。二郎《じろう》ちゃんの、いままで着《き》ていた洋服《ようふく》はよごれて、ところどころつくろってあります。 「お母《かあ》さん、これでいいよ。」と、二郎《じろう》ちゃんは、いいました。こないだまで、こんな服《ふく》は、みっともないといったくせに、きょうは、新《あたら》しい服《ふく》を着《き》ていくとはいわぬのです。 「どうしてですか。」 「いいよ、これで。」 「三|年生《ねんせい》になったのですから、新《あたら》しいのを着《き》ていらっしゃい。」 「だって、お母《かあ》さん、非常時《ひじょうじ》でしょう。」 「まあ、それでそういうの。」 「なんでも、きょうは、これでいいのだよ。」と、二郎《じろう》ちゃんは、いいはりました。 「みんなほかの人《ひと》は、きれいにしていらっしゃるのに、おまえだけ、そんなふうをしていていいのですか。」と、お母《かあ》さんは、じっと、二郎《じろう》ちゃんをごらんになりました。 「だって、僕《ぼく》、わるいお点《てん》だと、新《あたら》しい洋服《ようふく》など着《き》ていって、恥《は》ずかしいんだもの。」と、二郎《じろう》ちゃんは、きまり悪《わる》そうに、いいました。 「ああ、それでそういうのですか。考《かんが》えてごらんなさい、平常《ふだん》遊《あそ》んでばかりいて、いい成績《せいせき》のとれるはずがないでありませんか。」 「僕《ぼく》、新学年《しんがくねん》から、勉強《べんきょう》するのだ。」 「どうですか。」 「ほんとうだよ、お母《かあ》さん。」 「いままでのように、遊《あそ》んではいけませんよ。」 「お母《かあ》さん、これから勉強《べんきょう》するから、丙《へい》があってもしからない。」 「丙《へい》ですか、そんなわるい点《てん》があると思《おも》うのですか。」と、お母《かあ》さんは目《め》をまるくしました。  お母《かあ》さんは、これから勉強《べんきょう》するなら、しからないとお約束《やくそく》をして、新《あたら》しい洋服《ようふく》を着《き》せて、二郎《じろう》ちゃんをお出《だ》しになりました。  二郎《じろう》ちゃんは、自分《じぶん》でも、あまりいい成績《せいせき》とは思《おも》われなかったので、いくつ甲《こう》があるかなあと考《かんが》えていました。先生《せんせい》が、通信箋《つうしんせん》をお渡《わた》しなさると、胸《むね》をどきどきさせながら開《ひら》いてみました。体操《たいそう》が甲《こう》になっているだけで、あとはずっと乙《おつ》の行列《ぎょうれつ》でありました。二郎《じろう》ちゃんは、おしどりが行儀《ぎょうぎ》よく並《なら》んでいるので、おかしくなりました。しかし、お家《うち》へ帰《かえ》ると、さすがに、元気《げんき》よくこれをお母《かあ》さんに見《み》せる勇気《ゆうき》がなかったのです。お縁側《えんがわ》には、ねこがひなたぼっこをしていました。二郎《じろう》ちゃんは、ねこが大好《だいす》きでしたから、すぐそのそばへすわりました。ねこは二郎《じろう》ちゃんを見《み》ると、ごろりと横《よこ》になって、あくびをしながら四《よ》つ足《あし》をのばしました。 「僕《ぼく》は、体操《たいそう》がうまいんだぜ、ほら甲《こう》だろう……。」と、通信箋《つうしんせん》をねこの鼻《はな》さきにひろげて見《み》せたのです。  こちらのへやで、お仕事《しごと》をなさっていたお母《かあ》さんは、二郎《じろう》ちゃんの声《こえ》を聞《き》くと、 「二郎《じろう》ちゃん、帰《かえ》ったのですか。なぜここへきて、ごあいさつをしないのです。」と、おっしゃいました。 「うん、いまいくよ。」  二郎《じろう》ちゃんは、ねこの顔《かお》へ、自分《じぶん》の顔《かお》を押《お》しつけてから立《た》ち上《あ》がりました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  いいお天気《てんき》で、日曜日《にちようび》です。もう、学校《がっこう》は二、三|日前《にちまえ》から、はじまっていました。ご用《よう》があっても、二郎《じろう》ちゃんは、外《そと》へ遊《あそ》びに出《で》たぎり帰《かえ》ってきません。新学年《しんがくねん》から、勉強《べんきょう》をするといいながら、しかたのない子《こ》だとお母《かあ》さんは探《さが》しに外《そと》へ出《で》られました。  春風《はるかぜ》が吹《ふ》いて、たこのうなりがきこえています。お母《かあ》さんは、 「二郎《じろう》は、ここらにいませんか。」と、遊《あそ》んでいる子供《こども》にお聞《き》きになりました。 「二郎《じろう》ちゃんは、さっき勇《ゆう》ちゃんと原《はら》っぱの方《ほう》へいったよ。」と、子供《こども》は、答《こた》えました。  どこかの庭《にわ》に咲《さ》いている花《はな》の香《か》が、往来《おうらい》まで流《なが》れてきます。自転車《じてんしゃ》は、日《ひ》の光《ひかり》の輪《わ》をかがやかして走《はし》っていきました。原《はら》っぱには、子供《こども》がたくさん遊《あそ》んでいました。お母《かあ》さんは、どの子供《こども》を見《み》ても、自分《じぶん》の子《こ》に見《み》えたのです。ズボンを短《みじか》くはいて、足《あし》がすらりとして、帽子《ぼうし》を横《よこ》にかぶっている十|歳《さい》前後《ぜんご》の子供《こども》たちばかりであります。また、お母《かあ》さんは、 「二郎《じろう》はいませんか。」と、お聞《き》きになりました。 「いませんよ。勇《ゆう》ちゃんのお家《うち》へいったのでない。」と、一人《ひとり》の子供《こども》が、おしえてくれました。 「ありがとうよ。」  お母《かあ》さんは、帰《かえ》りかけながら、お隣《となり》の勇《ゆう》ちゃんの家《いえ》を思《おも》い出《だ》しました。いま勇《ゆう》ちゃんのお母《かあ》さんは、お産《さん》をして、まだ床《とこ》についていられました。先日《せんじつ》、おみまいにいくと、勇《ゆう》ちゃんの妹《いもうと》の、小《ちい》さなみい子《こ》さんが、 「二郎《じろう》ちゃんのおばさん、ここ、ここ。」といって、無理《むり》に二郎《じろう》ちゃんのお母《かあ》さんをたんすの前《まえ》へつれてきました。 「うん、うん。」と、ひきだしを開《あ》けろというのであります。すると、寝《ね》ている勇《ゆう》ちゃんのお母《かあ》さんは、 「みい子《こ》のお好《す》きな赤《あか》いおべべが、はいっているというのですよ。」と、おっしゃいました。 「まあ、みい子《こ》ちゃんの赤《あか》いおべべが。」 「赤《あか》ちゃんのおべべよりも、きれいだといっていただきたいのですよ。奥《おく》さん、どうかあけて見《み》てやってください。」と、勇《ゆう》ちゃんのお母《かあ》さんが、いわれました。  二郎《じろう》ちゃんのお母《かあ》さんは、たんすを開《あ》けて、みい子《こ》ちゃんの、きれいなおべべをごらんになりました。 「きれいな、いいおべべですこと。」と、二郎《じろう》ちゃんのお母《かあ》さんが、おほめになりました。 「みい子《こ》おべべ。」と、みい子《こ》ちゃんは、しきりにいって、こんどは、これをきせてくれというのです。しかし、それは単衣物《ひとえもの》でありました。  二郎《じろう》ちゃんのお母《かあ》さんは、そのときの無邪気《むじゃき》なみい子《こ》ちゃんのようすを思《おも》い出《だ》して、ひとりほほえみながら、歩《ある》いていられました。 [#7字下げ]三[#「三」は中見出し]  二郎《じろう》ちゃんは、勇《ゆう》ちゃんの家《いえ》にもいませんでした。二郎《じろう》ちゃんと勇《ゆう》ちゃんは、小《ちい》さなみい子《こ》ちゃんをつれて、川《かわ》へ釣《つ》りに出《で》かけたのです。それは、勇《ゆう》ちゃんと二郎《じろう》ちゃんの釣《つ》りにいく約束《やくそく》がしてあったところ、 「勇《ゆう》ちゃん、すこしみい子《こ》を見《み》てやっておくれ。」と、寝《ね》ているお母《かあ》さんにいわれたので、妹《いもうと》もいっしょにつれていくことにしたのです。途中《とちゅう》、勇《ゆう》ちゃんは、小《ちい》さな妹《いもうと》の手《て》をひいてやりました。  生《う》まれてはじめて、広《ひろ》い、青々《あおあお》とした畑《はたけ》を見《み》たので、みい子《こ》ちゃんは、なにを見《み》ても珍《めずら》しかったのです。花《はな》びらが、風《かぜ》に吹《ふ》かれて飛《と》んできても、 「ちょうちょう、ちょうちょう。」といって、よろこびました。川《かわ》へくると、ほかの子供《こども》たちもおおぜいいました。 「二郎《じろう》ちゃん、あすこがいいよ。」と、勇《ゆう》ちゃんが、川《かわ》の曲《ま》がり角《かど》をさしました。そこには、おじいさんが、釣《つ》りをしていました。二郎《じろう》ちゃんと、勇《ゆう》ちゃんは、おじいさんのじゃまにならぬように、すこしはなれて糸《いと》を下《さ》げたのです。 「あ、二郎《じろう》ちゃん、引《ひ》いたのではない。」と、勇《ゆう》ちゃんが、いいました。 「ごみが、ひっかかったのだよ。」と、二郎《じろう》ちゃんは糸《いと》を上《あ》げて、ごみを取《と》りました。 「兄《にい》ちゃん、もう帰《かえ》るの。」と、みい子《こ》ちゃんが、泣《な》き声《ごえ》をだしました。 「ばか、いまきたばかしじゃないか。」  みい子《こ》ちゃんは、しかたなく一人《ひとり》で遊《あそ》んでいました。 「もうお家《うち》へ帰《かえ》るの。」と、またいいだしました。二郎《じろう》ちゃんが、ふり向《む》いて、 「みい子《こ》ちゃん、一|匹《ぴき》釣《つ》れたら帰《かえ》ろうね。」といいました。 「みい子《こ》のばか。」と、勇《ゆう》ちゃんは、しかりました。すると、みい子《こ》ちゃんは、わあわあと泣《な》き出《だ》したのです。 「あちらへ、つれていって。」と、おじいさんが、いいました。勇《ゆう》ちゃんも、二郎《じろう》ちゃんも、おじいさんの顔《かお》を見《み》ました。そして、みい子《こ》ちゃんをつれて、ほかのところへ移《うつ》りました。 「二郎《じろう》ちゃん、僕《ぼく》、先《さき》へ帰《かえ》るから。」と、勇《ゆう》ちゃんがいいました。 「僕《ぼく》も、いっしょに帰《かえ》るよ。」と、二郎《じろう》ちゃんも、帰《かえ》る支度《したく》をしました。  三|人《にん》は、また田圃道《たんぼみち》を歩《ある》いて、往来《おうらい》へ出《で》ました。 「兄《にい》ちゃん、おんぶして。」と、急《きゅう》にみい子《こ》ちゃんは、道《みち》の上《うえ》へしゃがんでしまいました。 「困《こま》ったなあ。」と、勇《ゆう》ちゃんは、小《ちい》さな妹《いもうと》を負《お》いました。途中《とちゅう》で、二郎《じろう》ちゃんが、代《か》わってやりました。しかし、二人《ふたり》とも疲《つか》れてしまいました。みんなは、おなかがすいたのです。このとき、二郎《じろう》ちゃんが、ポケットに手《て》を入《い》れると、昨日《きのう》お母《かあ》さんが、明日《あした》の朝《あさ》忘《わす》れるといけないとていいって、お渡《わた》しになった月謝《げっしゃ》が入《はい》っていました。 「勇《ゆう》ちゃん待《ま》っておいで。」と、二郎《じろう》ちゃんは、どこかへ向《む》かって、走《はし》り出《だ》しました。そして、道端《みちばた》のお菓子屋《かしや》から、キャラメルを買《か》ってきて、みい子《こ》ちゃんにも、勇《ゆう》ちゃんにも分《わ》けてやりました。三|人《にん》は、やっと元気《げんき》がついて、歩《ある》くことができたのでした。  その晩《ばん》のことです。二郎《じろう》ちゃんは、月謝《げっしゃ》のお金《かね》を使《つか》ってしまって、どういっておわびをしていいかと苦《くる》しんでいました。ちょうどそのとき、 「ごめんください。」と、玄関《げんかん》で声《こえ》がしました。お隣《となり》の勇《ゆう》ちゃんのお父《とう》さんがいらしたのです。 「お礼《れい》に上《あ》がりました。きょうは二郎《じろう》ちゃんに、うちの子供《こども》がたいへんお世話《せわ》になりまして。」と、おじさんは、お礼《れい》をいって、月謝《げっしゃ》の金《かね》を返《かえ》しにきてくだされたのです。二郎《じろう》ちゃんのお母《かあ》さんも、お父《とう》さんも、はじめてそのことを知《し》って、すぐにいいお返事《へんじ》もできず、ただおたがいさまどうしですからと、笑《わら》っていられました。しかし、おじさんがお帰《かえ》りなさると、 「おまえは、いいことをしました。そんなときは、自分《じぶん》の力《ちから》でできることなら、なんでもしなくてはなりません。」と、お父《とう》さんは、二郎《じろう》ちゃんをおほめになりました。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「夜の進軍喇叭」アルス    1940(昭和15)年4月 ※表題は底本では、「小《ちい》さな妹《いもうと》をつれて」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年10月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。