心は大空を泳ぐ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)話《はなし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|羽《わ》 -------------------------------------------------------  いまごろ、みんなは、たのしく話《はなし》をしながら、先生《せんせい》につれられて、知《し》らない道《みち》を歩《ある》いているだろうと思《おも》うと、勇吉《ゆうきち》は自分《じぶん》から進《すす》んで、いきたくないと、こんどの遠足《えんそく》にくわわらなかったことが、なんとなく残念《ざんねん》なような気《き》がしました。  しかし、家《うち》のようすがわかっているので、このうえ、父《ちち》や母《はは》に、心配《しんぱい》をかけたくなかったのでした。 「おまえがいきたいなら、お父《とう》さんは、なんとでもして、つごうをつけてやるから。」と、父《ちち》はいいました。けれど、彼《かれ》は、頭《あたま》を強《つよ》く横《よこ》にふりました。  そのとき、これを見《み》た母《はは》は、なんと感《かん》じたか、目《め》に涙《なみだ》をためていました。  緑色《みどりいろ》の大空《おおぞら》を、二|羽《わ》のつばめが、気《き》ままにとびまわっていました。それを見《み》ていた勇吉《ゆうきち》は、 「ぼく、つばめになりたいなあ。そうしたら、すぐ、みんなのところへ、いけるのになあ。」と、ひとりごとをしました。  たちまち、目《め》に、工場《こうば》や、製造場《せいぞうば》のある、にぎやかな町《まち》が見《み》え、また船《ふね》の出《で》たり、入《はい》ったりする港《みなと》がうかんできて、見《み》るもの、聞《き》くもの、すべてこれまで、知《し》らなかったことばかりでした。ちょうど、みんなは、大《おお》きな工場《こうば》を見学《けんがく》して、いま、その門《もん》から出《で》たところで、先生《せんせい》のお話《はなし》を聞《き》きながら、港《みなと》のほうへ、歩《ある》いていたのでした。そして、一|同《どう》のたのしそうな姿《すがた》が、ありありと、想像《そうぞう》されるのでした。  すると、つぎには、紫色《むらさきいろ》の水平線《すいへいせん》のもり上《あ》がる海《うみ》が見《み》えました。どこか他国《たこく》の港《みなと》から、たくさんの貨物《かもつ》をつんできたのであろうか、汽笛《きてき》をならして、入《はい》ってきた船《ふね》があります。だんだん、その黒《くろ》い大《おお》きな船《ふね》が近《ちか》づくと、日《ひ》の丸《まる》の旗《はた》が、風《かぜ》にひらひらとひらめいて、目《め》にしみるのでした。 「万歳《ばんざい》……。」と、申《もう》し合《あ》わせたごとく、みんなのさけぶ声《こえ》が、勇吉《ゆうきち》の耳《みみ》に聞《き》こえたのです。しばらく、彼《かれ》は、うっとりとしていました。やがて、想像《そうぞう》の夢《ゆめ》からさめると、つばめもどこへか飛《と》び去《さ》って、いませんでした。じっとして、家《いえ》にいられなかったので、だれか友《とも》だちがいないものかと、学校《がっこう》のそばまで、走《はし》っていきました。  べつに、自分《じぶん》の知《し》ったものとも、あいませんでした。ただ、広《ひろ》い運動場《うんどうじょう》に、こいのぼりが立《た》って、高《たか》いさおのいただきに、赤《あか》と黒《くろ》の二|匹《ひき》のこいが、生《い》きているように、大空《おおぞら》を泳《およ》いでいました。彼《かれ》はしばらく、その下《した》に、たたずんで見上《みあ》げているうち、自分《じぶん》がその黒《くろ》い一ぴきのこいに、なったような気《き》がしたのです。  若葉《わかば》のけむるような林《はやし》を、波《なみ》だて、ふいてきた風《かぜ》が、 「さあ、はやく、いっしょにいこうよ。」と、黒《くろ》いほうの大《おお》きなこいを、さそうのでした。 「どこへ、つれていってくれる。」と、こいが聞《き》きました。 「君《きみ》のいきたいところへ、どこへでも、つれていくよ。」と、風《かぜ》はいいました。 「あの雲《くも》の上《うえ》まで、つれていってくれる。」と、こいは聞《き》きました。 「いいとも、雲《くも》の上《うえ》にのれば、それは楽《らく》なものさ。それに、海《うみ》の上《うえ》でも、山《やま》の上《うえ》でも、世界《せかい》じゅうを見《み》てあるくことが、できるもの。」と、風《かぜ》は、いいました。 「ほんとうかい。はやく、ぼくをつれていっておくれ。」と、こいになった勇吉《ゆうきち》が、たのみました。 「いま、その綱《つな》を切《き》るからね。」と、風《かぜ》はさけんで、こいのからだを、はりさけそうに、ふくらまして、力《ちから》いっぱい、吹《ふ》いて、吹《ふ》いて、吹《ふ》きとばそうとしました。けれど、太《ふと》い綱《つな》を切《き》ることができなかったのです。そのうち、風《かぜ》は力《ちから》がつきてしまい、いつしか、ひっそりとして、二|匹《ひき》のこいも元気《げんき》なく、だらりと、さおの先《さき》にたれさがりました。勇吉《ゆうきち》は、家《いえ》を思《おも》い出《だ》して、かえっていきました。  真夜中《まよなか》のことでした。ふと耳《みみ》をすますと、雨風《あめかぜ》がつのっていました。 「学校《がっこう》のこいのぼりは、どうなったろう。」と、勇吉《ゆうきち》は、とび起《お》きました。 「小使《こづか》いさんが、おろしなさったでしょう。」と、おかあさんが、いわれたので、勇吉《ゆうきち》は安心《あんしん》して、また床《とこ》にはいって眠《ねむ》りました。  朝《あさ》になると、太陽《たいよう》はかがやいて、まったく昨夜《ゆうべ》のあらしをわすれたような、うららかなお天気《てんき》でした。彼《かれ》は、顔《かお》をあらうと、ねんのため、こいのぼりはどうなったろうと、いそいで学校《がっこう》までいってみました。  しかし、小使《こづか》いさんが、わすれたのか、こいのぼりは一晩《ひとばん》じゅう、雨風《あめかぜ》にさらされたとみえます。そして、半分《はんぶん》ぬれながらも、あらしに負《ま》けず、元気《げんき》でした。大《おお》きな口《くち》をあけ腹《はら》いっぱい風《かぜ》をすって、大空《おおぞら》を泳《およ》いでいました。 「そうだ、ぼくも、あらしなんかに負《ま》けず、元気《げんき》よくやるぞ!」と、勇吉《ゆうきち》は、自分《じぶん》と思《おも》った黒《くろ》いこいにむかって、拍手《はくしゅ》をおくりました。  大空《おおぞら》で、銀色《ぎんいろ》の雲《くも》が、下《した》を見《み》て、わらっていました。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「うずめられた鏡」金の星社    1954(昭和29)年6月 ※表題は底本では、「心《こころ》は大空《おおぞら》を泳《およ》ぐ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2019年3月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。