雲のわくころ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)冬《ふゆ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)五|軒《けん》 -------------------------------------------------------  冬《ふゆ》のさむい間《あいだ》は、霜《しも》よけをしてやったり、また、日《ひ》のよくあたるところへ、鉢《はち》を出《だ》してやったりして、早《はや》く芽《め》が頭《あたま》をだすのを、まちどおしく思《おも》ったのであります。  勇吉《ゆうきち》は、草花《くさばな》を愛《あい》していました。  しかし、いくら気《き》をもんでも、その気候《きこう》とならなければ、なかなか、芽《め》を出《だ》し、咲《さ》くものでないことも、知《し》っていました。だから、 「早《はや》く、春《はる》にならないかなあ。」と、灰色《はいいろ》に、ものかなしく、くもった冬《ふゆ》の空《そら》をながめて、いくたび思《おも》ったことでしょう。  そのうち、だんだん木々《きぎ》の小枝《こえだ》にも、生気《せいき》のみなぎるのが感《かん》じられ、氷《こおり》のように、つめたくはりつめた黒《くろ》い雲《くも》が、あわただしく、うごきはじめて、冬《ふゆ》の去《さ》っていくのがわかりました。そのときは、また、どんなにうれしかったでしょう。  いつのまにか、素焼《すや》きの鉢《はち》の中《なか》にも、庭《にわ》の花園《はなぞの》にも、やわらかな土《つち》をやぶって、こはく色《いろ》の球根《きゅうこん》の芽《め》が顔《かお》を見《み》せ、太陽《たいよう》をしたって、のびようとするのでした。  ある早春《そうしゅん》の日《ひ》のこと、日《ひ》あたりのいい、寺《てら》の門前《もんぜん》で、店《みせ》をひらいて、草花《くさばな》の根《ね》や、苗《なえ》を売《う》っている男《おとこ》がありました。これを見《み》た勇吉《ゆうきち》は、やまゆりの根《ね》を二つ買《か》ってかえりました。そして、一つ大《おお》きいほうを花壇《かだん》に、もう一つを、小高《こだか》くなっている、つつじのはえたところへ、うえたのであります。  ちょうど、春《はる》の季節《きせつ》の花《はな》が、少《すく》なくなったじぶん、やまゆりの芽《め》は、ぐんぐんと、大《おお》きくなったのでした。  ところが、ある日《ひ》、勇吉《ゆうきち》は、庭《にわ》へ出《で》て草《くさ》をむしったり、肥料《ひりょう》をほどこしたりするうち、あやまって、花壇《かだん》のやまゆりを、ふみつけてしまいました。 「あっ。」と、思《おも》わずさけんだが、むざんに、根《ね》もとから折《お》れてしまったので、どうすることもできませんでした。 「かわいそうなことをした。」と、ざんねんがるよりか、むしろ、花《はな》のはかない運命《うんめい》を、あわれまずに、いられなかったのでした。  かれは、自分《じぶん》の不注意《ふちゅうい》だったつぐないとして、あとの一つを大事《だいじ》にしました。やがて、それは、初夏《しょか》の空《そら》の下《した》で、白《しろ》い清《きよ》らかな感《かん》じのする香気《こうき》の高《たか》い花《はな》を開《ひら》きました。日《ひ》の光《ひかり》がてらすと、さながら銀《ぎん》でつくられた花《はな》のごとく、かがやかしく見《み》えたのです。  たちまち、この花《はな》のみつを吸《す》おうとして、ちょうや、はちが、どこからか飛《と》んできて、花《はな》のまわりに集《あつ》まりました。 「よく、みごとに咲《さ》いたなあ。」と、ふらりと、となりのおじさんが、庭《にわ》へやってきて、やまゆりの花《はな》を見《み》てほめました。 「いまごろ、山《やま》にのぼると、谷《たに》へかけて、こんなのが、たくさん、みごとに咲《さ》いている。勇《ゆう》ちゃんは、こんどの休《やす》みに、私《わたし》といっしょにいってみないか。」と、おじさんが、さそったのでした。 「山《やま》へいくんですか。」と、かれは、胸《むね》をおどらせながら、おじさんの顔《かお》を見《み》ましたが、すぐには、決《けっ》しかねて、返事《へんじ》ができなかったのでした。そのわけは、自分《じぶん》が、まだ遠《とお》いところへ、いった経験《けいけん》がなかったからです。 「なに、たいして、歩《ある》かなくても、すぐ山《やま》や谷《たに》のあるそばまで、いけるのだよ。バスと電車《でんしゃ》に乗《の》りさえすれば、朝早《あさはや》く出《で》かければ、らくに晩《ばん》がたまでに、帰《かえ》ってこられるのだ。」と、おじさんは、わらいながらいいました。そして、 「毎年《まいとし》、いまごろになると、ちょっとでも、山《やま》へいくか、また、釣《つ》りざおをさげて、どこか遠《とお》くの川《かわ》に出《で》かけなければ、気《き》がすまないのだよ。」と、おじさんは、いうのでした。 「おじさん、ぼくも、大《おお》きくなったら、どこか、知《し》らない高《たか》い山《やま》や、深《ふか》い谷《たに》のあるところへ、いってみたいと思《おも》います。」と、勇吉《ゆうきち》は、冒険《ぼうけん》にたいする勇猛心《ゆうもうしん》と、かぎりない自然《しぜん》の美《び》にたいして、あこがれながらいいました。 「それが、昔《むかし》なら、歩《ある》かなければ、どこへも、いけなかったのが、いまは便利《べんり》になって、たいていのところへは、乗《の》り物《もの》で、そばまでいけるし、飛行機《ひこうき》に乗《の》れば、外国《がいこく》でも、土《つち》をふまずに、海《うみ》や山《やま》をこして、飛《と》んでいくことができるのだから。」と、だれでも、その気《き》さえあれば、なんでも実現《じつげん》されるのが、ゆかいでたまらぬというふうにおじさんは、ほがらかにいって、笑《わら》うのでした。  かれは、庭《にわ》の花《はな》のお友《とも》だちである、美《うつく》しいやまゆりの咲《さ》くところも見《み》たかったし、また、おじさんが、谷川《たにがわ》であゆを釣《つ》るのも見《み》たかったので、つれていってもらうように約束《やくそく》しました。  そのときから、数日《すうじつ》の後《のち》のことでした。 「勇《ゆう》ちゃん、いつも、家《いえ》の前《まえ》に立《た》つと、西《にし》の方《ほう》に、遠《とお》く、青《あお》い山《やま》が見《み》えるだろう。この山《やま》なんだよ。」と、バスの窓《まど》から、だんだん近《ちか》くにせまりつつあった、青々《あおあお》と林《はやし》のしげる山《やま》をさして、おじさんはいいました。  勇吉《ゆうきち》は、なるほど、電車《でんしゃ》に乗《の》り、またバスに乗《の》ったりして、いつしか、遠《とお》くまできたものだと思《おも》いました。はるか下《した》の方《ほう》をのぞくと、大《おお》きな岩石《がんせき》にくだけながら、谷川《たにがわ》が白《しろ》くあわだって流《なが》れていました。  とうてい、町《まち》といわれそうもない、四、五|軒《けん》ばかり店《みせ》のならんだ、バスの停留場《ていりゅうじょう》のあるところまできて降《お》りると、その一|軒《けん》には、パチンコの看板《かんばん》が、かかっていました。 「こんなところにも、パチンコ屋《や》があるんですね。」と、かれは、おどろきました。だれが、こんなところへ遊《あそ》びにくるのだろうと、想像《そうぞう》がつかなかったからです。 「パチンコとか、富《とみ》くじとか、みんな、ばくちみたいなものだからな。悪《わる》いことというものは、だれでも、おもしろがって、まねするもんだ。都会《とかい》で、これがはやってもうかると聞《き》くと、すぐ、いなかでもやりだす。ここへくるまでに、たくさん、いなかの子供《こども》を見《み》たろう。ちょっと、ようすが、いなかの子《こ》とは思《おも》えまい。いいこと、わるいこと、なんでも都会《とかい》のふうをまねる、おそろしいことだよ。」と、おじさんはいいました。  そういえば、昔《むかし》の絵《え》にかかれた、さびしそうな景色《けしき》や、笠《かさ》や手《て》ぬぐいをかぶって働《はたら》く百|姓《しょう》の姿《すがた》や、みじかいつつそでの着物《きもの》をきて、ぞうりや、げたをはいた子供《こども》などは、どこにも見《み》られなかったのでした。 「さあ、このへんから、川原《かわら》へはいるのだが、石《いし》ころがあってあぶないから、よく気《き》をつけておいで。」と、おじさんは、先《さき》になって、ささやぶの間《あいだ》をわけてすすみました。  勇吉《ゆうきち》は、そのあとからついていきました。しばらくすると、きゅうに流《ながれ》れが音《おと》をたてている谷川《たにがわ》のほとりに出《で》ました。バスの窓《まど》から下《した》に見《み》えたのは、この川《かわ》だったのです。 「あのあたりが、いいだろう。」と、おじさんが指《ゆび》さした、半分《はんぶん》浅瀬《あさせ》にのめり出《で》ている大《おお》きな石《いし》の上《うえ》で、二人《ふたり》は、休《やす》むことにしました。 「いい景色《けしき》ですね。」と、勇吉《ゆうきち》は、あたりを見《み》まわしながら感歎《かんたん》しました。 「ほら、ごらん。あのがけのところに、やまゆりが咲《さ》いているから。」と、おじさんが、いったので、そのほうを仰《あお》ぐと、頂上《ちょうじょう》から、ほそい一《ひと》すじの滝《たき》がおちて、そのしぶきを、あびながら、白《しろ》い花《はな》が咲《さ》いていました。  かれは、自分《じぶん》の家《いえ》の庭《にわ》に咲《さ》いている、やまゆりを思《おも》い出《だ》しました。  目《め》を転《てん》じると、あぶなげな岩鼻《いわばな》に根《ね》をおろした、松《まつ》の木《き》がありました。同《おな》じ松《まつ》ながら、あるものは、安全《あんぜん》な平地《へいち》に根《ね》をおろしているし、こうして、たえずおびやかされるものもある。どちらが、はたして幸福《こうふく》だろうかと考《かんが》えたりしました。  たとえば、雪《ゆき》や、あらしと戦《たたか》い、けっしてまけずに、昼《ひる》は小鳥《ことり》の声《こえ》を聞《き》き、夜《よる》は雲間《くもま》の星《ほし》と語《かた》るこの松《まつ》を、どうして、不幸《ふこう》といいきれるだろうかとも思《おも》いました。 「勇《ゆう》ちゃん、おべんとうを食《た》べようよ。」と、おじさんは、つつみを開《ひら》きはじめました。ゆで卵《たまご》や、やいた魚《さかな》や、酒《さけ》のびんなどが、出《で》てきました。  おなかが、すいていたので、勇吉《ゆうきち》は夢中《むちゅう》で食《た》べていると、その間《あいだ》に、おじさんは、用意《ようい》してきた、釣《つ》りざおのひもを解《と》き、あゆを釣《つ》る準備《じゅんび》をしました。  すずしい風《かぜ》が、ひたひたと、たえず流《なが》れの上《うえ》を吹《ふ》いていたのに、どこからか、においをかぎつけて飛《と》んできたものか、一ぴきのはえが、そばの石《いし》にとまって、食《た》べ物《もの》のありかをさがしていました。  また、他《た》のほうからは、まったく見《み》なれない黒色《こくしょく》のくもが、おそらく、このあたりにすむのであろうが、どうして、水《みず》をわたったものか、冒険《ぼうけん》をおかして、やはり食《た》べ物《もの》をねらっているのでした。勇吉《ゆうきち》は、虫《むし》たちの敏感《びんかん》なのにおどろき、かつ、その真剣《しんけん》なのを、きみ悪《わる》くさえ感《かん》じました。これを気《き》づかずにいた、おじさんに告《つ》げると、 「はあ、めったに、こんなところで、ごちそうのにおいなんか、あることがないから、そりゃ、虫《むし》どもは、さがすのに、血《ち》まなこだろうよ。虫《むし》だって、人間《にんげん》と同《おな》じことで、生《い》きることにかわりがないし、容易《ようい》でないのだ。」と、おじさんは、はしをうごかしながらいいました。  そう聞《き》くと、かれは、このとき、くもや、はえを、追《お》いはらいはしたけれど、たたきつけて、殺《ころ》す気《き》には、なれなかったのです。  それから、しばらく、勇吉《ゆうきち》は一人《ひとり》で、石《いし》から石《いし》へわたったり、また水《みず》ぎわを、あちらへいったり、こちらを散歩《さんぽ》したりしました。そして、また、もとの場所《ばしょ》へもどってくると、ちょうどおじさんは、さおをしまいながら、 「このあたりは、便利《べんり》なもので、よく人《ひと》が釣《つ》りにくるとみえて、魚《さかな》がすれていて、なかなか、えさにだまされない。もっと奥《おく》のほうへいかなければ、かかりそうもないから、今日《きょう》は、よすことにしよう。」と、勇吉《ゆうきち》に向《む》かって、いいました。 「おじさん、ねむの花《はな》が、きれいに咲《さ》いていましたよ。」 「ああ、いまは、ねむが盛《さか》りのはずだ。」 「さっき、やまばとが、遠《とお》くで鳴《な》いていましたよ。」 「かっこうは、きかなかったなあ。すこし奥《おく》へはいると、ほととぎすも鳴《な》いているだろう。」 「おじさん、奥《おく》のほうは、ぼくにはいけそうもないところなんですか。」と、勇吉《ゆうきち》が聞《き》きました。 「しかし、今日《きょう》は、時間《じかん》がないから、また、出《で》なおすことにしようよ。」と、おじさんは、答《こた》えて、そのかわり、帰《かえ》りに、見晴《みは》らしのいいところで、あちらの山々《やまやま》を見《み》せてやろうといったので、勇吉《ゆうきち》は喜《よろこ》びました。  かれは、それに喜《よろこ》びを感《かん》じながらも、ここへは、いつまたこられるだろうかと思《おも》うと、なんとなく、川原《かわら》にわかれるのが、おしまれたのでした。  やがて、けわしい、細《ほそ》い道《みち》を、息《いき》をきらして上《のぼ》りました。 「お百|姓《しょう》さんも、こんな坂《さか》の上《うえ》まで、畑《はたけ》を作《つく》りにくるのでは、さぞ骨《ほね》がおれるだろう。」と、おじさんは、足《あし》を休《やす》めて、左右《さゆう》をながめていました。 「まだ、あんな高《たか》いところにも、おじさん、畑《はたけ》がありますよ。」と、勇吉《ゆうきち》は、そばの山腹《さんぷく》にある、耕《たがや》された高地《こうち》を指《ゆび》さしました。  もう、その山《やま》のいただきは、下《した》から見《み》ると、雲《くも》に接《せっ》していました。この坂《さか》の上《うえ》から、前方《ぜんぽう》をのぞむと、山《やま》また山《やま》の、えんえんとしてつらなる波《なみ》が、ながめられました。そして、近《ちか》くにせまる深《ふか》い溪谷《けいこく》からは、煙《けむり》のように、白《しろ》い霧《きり》がたち上《のぼ》っていました。 「あの高《たか》い山《やま》には、まだ、雪《ゆき》があるな。」と、かれは、氷《こおり》をけずったような、先《さき》のとんがった、かがやく峰《みね》に見《み》とれていました。 「あの峰《みね》が、不動《ふどう》が岳《たけ》というので、いままでに、あのいただきへ、上《のぼ》りきったものは、何人《なんにん》もないとの話《はなし》だ。」と、おじさんは、勇吉《ゆうきち》とならんで立《た》ちながら、山《やま》のほうを見《み》て、説明《せつめい》しました。 「そんなに、けわしくて、だれにも上《のぼ》れないの。」と、勇吉《ゆうきち》は聞《き》き返《かえ》しました。 「なんでも、昔《むかし》、十二、三になったばかりの、孝行《こうこう》のむすこが、医者《いしゃ》が見《み》はなした母親《ははおや》の病気《びょうき》を、なおしたい一|心《しん》で、不動尊《ふどうそん》に願《がん》をかけて、あの頂上《ちょうじょう》まで、お水《みず》をもらいに上《のぼ》ったことがあると、聞《き》いたが。」  おじさんのこの話《はなし》は、勇吉《ゆうきち》の胸《むね》に重《おも》くのこって、もうほかのことには気《き》がむかず、ついに、かれをだまらせてしまいました。  朝《あさ》出《で》かける時分《じぶん》には、人間《にんげん》の発明力《はつめいりょく》や科学《かがく》の力《ちから》に、おどろきを感《かん》じたのであったが、帰《かえ》るときには、どれだけ愛《あい》し真心《まごころ》をかたむけつくしても、永遠《えいえん》に引《ひ》きとどめられないものがある人生《じんせい》のはかなさを、知《し》ったのでした。  二人《ふたり》が、自分《じぶん》たちの町《まち》についたころ、もう日《ひ》はくれかけていました。西《にし》の方《ほう》の空《そら》は、うす赤《あか》く色《いろ》づいて、その下《した》には、紫色《むらさきいろ》の山々《やまやま》が、高《たか》く低《ひく》く、くっきりと、姿《すがた》を浮《う》かび出《だ》していました。  このごろは、日没前《にちぼつまえ》になると、きまって大空《おおぞら》に、雲《くも》がわくのでした。ときどき、雷《かみなり》が鳴《な》って、雨《あめ》がふりそうに見《み》えながら、夜《よる》は、また、一|片《ぺん》の雲《くも》すらなく、晴《は》れ晴《ば》れと晴《は》れ上《あ》がるような、日《ひ》でりがつづきました。  そんなときは、足《あし》ばやに、秋《あき》のくるけはいが感《かん》じられたのです。勇吉《ゆうきち》は、毎日《まいにち》、庭《にわ》のやまゆりの花《はな》へきて、その茎《くき》にとまる、とんぼのあるのを知《し》っていました。  この未知《みち》の友《とも》だちどうしは、たがいに気《き》が合《あ》って、人間《にんげん》などにかかわりのない、美《うつく》しいまぼろしの世界《せかい》のことを、話《はな》しているのだとも思《おも》われました。  ところが、一|日《にち》、花《はな》は、いとなみおえて、ちってしまいました。とんぼは、いつもの時刻《じこく》に飛《と》んできたが、花《はな》がないのを、どう感《かん》じたか、ただのこった茎《くき》にとまっていつまでも、じっとしていました。  そのうち、雨《あめ》がふり出《だ》しました。雨《あめ》は、だんだんはげしくなって、夜《よる》までふりつづきました。  あくる朝《あさ》、勇吉《ゆうきち》は、起《お》きて小《こ》ぶりになった庭《にわ》を見《み》ると、とんぼは、ぬれながら、じっとして、やはり同《おな》じところに止《と》まっていました。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「うずめられた鏡」金の星社    1954(昭和29)年6月 初出:「小学六年生 5巻6号」    1952(昭和27)年9月 ※表題は底本では、「雲《くも》のわくころ」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年6月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。