木の上と下の話 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)家《いえ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|羽《わ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  ある家《いえ》の門《もん》のところに、大《おお》きなしいの木《き》がありました。すずめが、その枝《えだ》の中《なか》に巣《す》を造《つく》っていました。さわやかな風《かぜ》が吹《ふ》いて、きらきらと若葉《わかば》は波《なみ》だてていました。 「お母《かあ》さん、さっきから、小《ちい》さな子供《こども》たちがこの木《き》の下《した》でぺちゃぺちゃいっているが、なにをしているんでしょうね。」と、子《こ》すずめがききました。 「さあ、なにをしているのでしょう。年雄《としお》さんとちい子《こ》ちゃんとですね。おまえ下《した》の枝《えだ》までいってごらんなさい。」と、母《はは》すずめが答《こた》えました。 「空気銃《くうきじゅう》で打《う》たれるといけないな。」 「いいえ、あの子《こ》たちは、そんなわるいことをしませんよ。それに、もうこのごろは、銃《じゅう》を持《も》つ季節《きせつ》でありませんからね。」  子《こ》すずめは、飛《と》んで降《お》りようとしました。 「だが、あまり下《した》へいってはいけませんよ。近所《きんじょ》にねこがいますからね。」と、母《はは》すずめは注意《ちゅうい》をしました。 「お母《かあ》さん、ねこならだいじょうぶですよ。僕《ぼく》たちのほうがよっぽど早《はや》い。」 「いいえ、ここにいる年《とし》とったねこは、それはりこうで、木《き》に登《のぼ》ることが上手《じょうず》です。いつか、私《わたし》ですら、もうちょっとで捕《つか》まるところでしたから、油断《ゆだん》をしてはいけません。」 「あの白《しろ》と黒《くろ》のぶちのあるねこでしょう?」 「そうです。あのねこも、このごろどこかわるいのか、それとも年《とし》をとって体《からだ》がよわったのか、このあいだ、下《した》を通《とお》ったときは、元気《げんき》がなかったようでした。ですから、もう前《まえ》のように恐《おそ》ろしいこともないでしょう。」 「前《まえ》って、いつごろのことですか。」 「去年《きょねん》あたりまでは、目《め》がぴかぴかと光《ひか》って肩《かた》を怒《いか》らして、のそり、のそりと歩《ある》いたものです。」  子《こ》すずめは、このうえお母《かあ》さんのお話《はなし》をじっとして聞《き》いている気《き》にはなれなかったのです。それよりは、下《した》の子供《こども》たちの遊《あそ》びを見《み》るほうが、よっぽどおもしろそうでありました。チュン、チュン、と鳴《な》いて、子《こ》すずめは、下《した》の枝《えだ》へ移《うつ》っていきました。 「ちい子《こ》ちゃん、このみみずは、あっちの圃《はたけ》へ歩《ある》いていこうとしたのだね。」と、年雄《としお》さんが、いっています。ちい子《こ》ちゃんは、白《しろ》く乾《かわ》いた道《みち》の上《うえ》で、じっとして動《うご》かないみみずを見《み》つめていました。 「どうして。」 「だって、太陽《たいよう》が、当《あ》たって暑《あつ》いから、水気《みずけ》のある、圃《はたけ》へいきたかったのだよ。」 「年雄《としお》さん、きっとそうだわ。」  ちい子《こ》ちゃんは、じっとしている、みみずの体《からだ》に、日《ひ》の光《ひかり》がにじむのを見《み》ながら、どうして、こんなところを歩《ある》いたのかということがわかりました。 「かわいそうだな。」と、年雄《としお》さんが、いいました。 「あんまり、のろいからよ。もっと早《はや》く歩《ある》けばいいのに。」 「だって、歩《ある》けないから、しかたがないだろう。」  二人《ふたり》の考《かんが》え方《かた》が、ちがいました。 「はや、ありがたかってよ、年雄《としお》さん。」と、ちい子《こ》ちゃんは、どこからか、みみずのじっとして動《うご》けないのを知《し》って、集《あつ》まってくるありを見《み》て、不思議《ふしぎ》がりました。 「こいつめ、こいつめ。」といいながら、年雄《としお》さんは、石《いし》ころで、一ぴき、一ぴき、小《ちい》さなありを殺《ころ》していました。 「年雄《としお》さん、およしなさいよ。ありが、わるいんではないわ。」 「まだ、みみずは、生《い》きているんだよ。」 「みみずがのろのろしているから、わるいのよ。」と、ちい子《こ》ちゃんは、あくまで、みみずのせいにしていました。  木《き》の枝《えだ》に止《と》まって、下《した》のようすを見《み》ていた子《こ》すずめは、 「さあ、どちらが、わるいのだろうか。」と、頭《あたま》をかしげていました。年雄《としお》さんにもわからなかったかもしれません。 「あっちへ、飛《と》んでいけ。」といって、棒切《ぼうき》れへありのついたみみずを引《ひ》っかけて、圃《はたけ》の方《ほう》へ投《な》げてしまいました。 「年雄《としお》さん、お花《はな》を見《み》つけて、おままごとしましょうよ。」  二人《ふたり》は、あちらへ、駆《か》けていきました。子《こ》すずめは、母《はは》すずめのところへきて、いま見《み》た話《はなし》をしたのでした。 「お母《かあ》さん、みみずがわるいのですか、ありがわるいんですか。」  母《はは》すずめは、しばらく考《かんが》えていたが、 「みみずは、ありをたべないから、ありがわるいんでしょうね。」と、答《こた》えました。  子《こ》すずめは、お母《かあ》さんはさすがに偉《えら》いと感心《かんしん》しました。 「そうね、お母《かあ》さん、私《わたし》たちは、ねこを食《た》べはしないのに、ねこは、私《わたし》たちを捕《と》ろうとするんですものね。」 「ああ、そうだよ。」  こんな話《はなし》をしていたとき、あちらの垣根《かきね》の下《した》をくぐって、白《しろ》と黒《くろ》のぶちねこが近《ちか》づきました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し] 「おや。」と、母《はは》すずめは、おどろいて、 「あのねこの歩《ある》きかたをごらんなさい。」と、子《こ》すずめに、いいました。 「また、私《わたし》たちが、ここにいるのを知《し》ってきたのでしょうか。」と、子《こ》すずめも、枝《えだ》の上《うえ》から、そのねこを見下《みお》ろしました。 「おまえには、そんな元気《げんき》があるように見《み》えますか。あのねこは、やっと歩《ある》いているのですよ。」  木《き》の上《うえ》で、母《はは》すずめと子《こ》すずめが、ねこを見《み》ながら、話《はなし》をしていると、あちらから、ほかの若《わか》いねこがきかかりました。年《とし》とったねこは、とぼとぼといき過《す》ぎようとしたが、若《わか》いねこは、そのそばへ寄《よ》ってきました。前《まえ》には、この年《とし》とったねこにいじめられたこともあったろうが、いまはすべて忘《わす》れているようです。 「どうしたんですか。」と、若《わか》いねこが、ききました、年《とし》とったねこも、ちょっと足《あし》をとめて、 「私《わたし》は、体《からだ》がわるいのだから、どうかそばへ寄《よ》らないでおくれ。」と、力《ちから》なくいいました。 「どこが、わるいのですか。」 「なにか、毒《どく》になるものを食《た》べたとみえて、ここまで歩《ある》くのがやっとなんだよ。」 「そんな気《き》の弱《よわ》いことでどうするんですか。私《わたし》たちは、よくあなたに追《お》いかけられたものです。あの時分《じぶん》の元気《げんき》を出《だ》してください。」 「もう、そんなことをいっておくれでない。私《わたし》は、これから身《み》を隠《かく》す場所《ばしょ》を探《さが》そうと思《おも》っているのだ。」 「あなたがいなくなれば、私《わたし》は、ここで威張《いば》ることができます。たとえ、威張《いば》ることができても、私《わたし》は、うれしいと思《おも》いません。」 「おまえさんの天下《てんか》になるのに、なんでうれしくないことがあるもんかね。」と、年《とし》とったねこが、まぶしそうな目《め》つきをして、いいました。 「いいえ、このつぎには、私《わたし》が、またあなたのようになると思《おも》うからです。」  若《わか》いねこは、なつかしそうに病気《びょうき》のねこへ近《ちか》づきました。  二ひきのねこは、たがいに顔《かお》を寄《よ》せ合《あ》って、体《からだ》をすりつけるようにして、別《わか》れたのです。 「さようなら。」 「さようなら。」  木《き》の上《うえ》では、母《はは》すずめと子《こ》すずめが、じっとそのようすを見守《みまも》っていました。  年《とし》とったねこは、しいの木《き》の下《した》を通《とお》るときに、木《き》の上《うえ》を見上《みあ》げながら立《た》ち止《ど》まりました。二|羽《わ》のすずめは、自分《じぶん》たちを見《み》たのかと、びっくりしました。 「おや、まだ私《わたし》たちをねらうのだろうか?」 「逃《に》げましょうか、お母《かあ》さん。」 「いいえ、じっとしておいで。」  ねこの目《め》には、もう獲物《えもの》の影《かげ》などうつりませんでした。ただ、その木立《こだち》がなつかしかったのです。 「よくこの木《き》にも登《のぼ》ったものだ。あのいちばん高《たか》い頂《いただき》まで、かけ上《あ》がるのも平気《へいき》だった。」  ねこは、さも昔《むかし》のことを思《おも》い出《だ》したように、木《き》の周囲《しゅうい》をぐるりと、熱《ねつ》のためにふらふらする足《あし》つきで、体《からだ》をすりつけながらまわりました。 「ああ、この木《き》ともお別《わか》れだ。」  ねこはしいの木《き》に別《わか》れを告《つ》げるために、ここまできたのでした。そして、もう思《おも》い残《のこ》すことがないというふうに、とぼとぼとわき見《み》もせず、あちらへ消《き》えてしまいました。  チュン、チュンと、このとき、子《こ》すずめが鳴《な》き声《ごえ》をたてると、母《はは》すずめは、しかりました。 「おとなしくしておいで。私《わたし》たちはみみずにたかったありのようなまねをしてはいけません。」といいました。  ある日《ひ》、急《きゅう》にこの木《き》の下《した》が、やかましかったのです。ちい子《こ》ちゃんの家《いえ》が、引《ひ》っ越《こ》しするのでした。 「おや、引《ひ》っ越《こ》しなんだよ。」と、母《はは》すずめは、びっくりしました。 「えっ、ちい子《こ》ちゃんの家《いえ》が引《ひ》っ越《こ》しするの。」と、子《こ》すずめが問《と》いかえしました。 「もう、私《わたし》たちを守《まも》ってくれる、やさしい子供《こども》がいなくなります。」  ちい子《こ》ちゃんの兄《にい》さんは、空気銃《くうきじゅう》を持《も》ってすずめを打《う》ちにくる子供《こども》があると、あぶないといってしかったのでした。  ちい子《こ》ちゃんの兄《にい》さんは、しいの木《き》の下《した》に立《た》って、 「しいの木《き》も、すずめさんも、元気《げんき》でいるんだよ。」と、見上《みあ》げたのでした。そこへ、妹《いもうと》のちい子《こ》ちゃんと隣《となり》の年雄《としお》さんが、走《はし》ってきました。 「年雄《としお》さん、僕《ぼく》、しいの実《み》が大《おお》きくなった時分《じぶん》に遊《あそ》びにこようね。」と、兄《にい》さんが、いいました。 「私《わたし》も、そうしたら、またしいの実《み》を拾《ひろ》って遊《あそ》びましょうね。」と、ちい子《こ》ちゃんがいいました。 「こんどのお家《うち》に、大《おお》きな木《き》があるの。」と、年雄《としお》さんが、ききました。 「町《まち》の中《なか》だから、こんな大《おお》きな木《き》はないって、お父《とう》さんが、いったわ。」 「遠《とお》いの。」 「電車《でんしゃ》に乗《の》って、おいでよ。」  子供《こども》らが、いろいろの話《はなし》をしているのを、すずめは、木《き》の上《うえ》で耳《みみ》を傾《かたむ》けて聞《き》いていました。 「おまえ、世《よ》の中《なか》って、楽《たの》しいことがあったり、悲《かな》しいことがあったり、こういうものだよ。」と、母《はは》すずめは、子《こ》すずめに、静《しず》かにいってきかしたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社    1977(昭和52)年11月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 初出:「台湾日日新報 夕刊」    1940(昭和15)年5月7、8日 ※表題は底本では、「木《き》の上《うえ》と下《した》の話《はなし》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年11月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。