からす 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)頭《あたま》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|日《にち》 -------------------------------------------------------  頭《あたま》が過敏《かびん》すぎると、口《くち》や、手足《てあし》の働《はたら》きが鈍《にぶ》り、かえって、のろまに見《み》えるものです。純吉《じゅんきち》は、少年《しょうねん》の時分《じぶん》にそうでありました。  学校《がっこう》で、ある思慮《しりょ》のない教師《きょうし》が、純吉《じゅんきち》のことを、 「おまえは、鈍吉《どんきち》だ。」と、いったのが原因《げんいん》となって、生徒《せいと》たちは、彼《かれ》のことを鈍《どん》ちゃんとあだ名《な》するようになりました。 「ドンチャン、早《はや》くおいでよ。」  学校《がっこう》への往復《おうふく》に友《とも》だちは、こういったものです。しまいには、本名《ほんみょう》をいうよりか、仲間《なかま》の間柄《あいだがら》だけに、あだ名《な》で呼《よ》ぶほうが、親《した》しみのあった場合《ばあい》もあるが、そばを通《とお》ったどらねこに、石《いし》を投《な》げるのが遅《おそ》かったからといって、心《こころ》から軽蔑《けいべつ》した意味《いみ》で、 「ドンチャンでは、だめだなあ。」と、いったものもあります。  彼《かれ》は、自分《じぶん》より年下《としした》の子供《こども》たちからも、 「ドンチャン。」と、いわれることに対《たい》して、けっして、快《こころよ》くは感《かん》じなかった。ただ、黙《だま》っていたまででした。そして、自《みずか》ら憤《いきどお》りを紛《まぎ》らすために、にやにや笑《わら》ってさえいました。だからいっそう、みんなが彼《かれ》をばかにしたのです。  ときどき、純吉《じゅんきち》は、自分《じぶん》を侮《あなど》る相手《あいて》の顔《かお》をじっとながめることがありました。 「あの面《つら》に、げんこつをくらわせることはなんでもない。だが、己《おれ》が、腕《うで》に力《ちから》をいれて打《う》ったら、あの顔《かお》が欠《か》けてしまいはせぬか?」  そう、心《こころ》の中《なか》で思《おも》うと、なんで、そんなむごたらしいことができましょう。しかし、相手《あいて》が、いつも自分《じぶん》より弱《よわ》い、年《とし》の少《すく》ないものとは、かぎっていませんでした。純吉《じゅんきち》よりも大《おお》きい力《ちから》の強《つよ》そうなものもありました。  すると、また彼《かれ》は、思《おも》ったのです。 「おれは、負《ま》けてもけっして、あやまりはしない。けんかをしたら、命《いのち》のあらんかぎり組《く》みついているだろう。その結果《けっか》は、どうなるのか?」  どちらかが傷《きず》ついて倒《たお》れるのだと知《し》ると、彼《かれ》は、そんな事件《じけん》を引《ひ》き起《お》こす必要《ひつよう》があろうかと疑《うたが》ったのです。  西《にし》の山《やま》から、毎朝《まいあさ》早《はや》く、からすの群《む》れが、村《むら》の上空《じょうくう》を飛《と》んで、東《ひがし》の方《ほう》へいきました。そして、晩方《ばんがた》になると、それらのからすは、一|日《にち》の働《はたら》きを終《お》えて、きれいな列《れつ》を造《つく》り、東《ひがし》から、西《にし》へと帰《かえ》っていくのでした。  彼《かれ》らは、こうして、つねに友《とも》だちといっしょであったけれど、たがいの身《み》を支配《しはい》する運命《うんめい》は、かならずしも同《おな》じではなかったのです。中《なか》には、意外《いがい》な敵《てき》と出合《であ》って戦《たたか》い、危《あや》うく脱《のが》れたとみえ、翼《つばさ》の傷《きず》ついたのもあります。  この不幸《ふこう》なからすだけは、みんなから、ややもすると後《おく》れがちでした。けれど、殿《しんがり》を承《うけたまわ》ったからすは、この弱《よわ》い仲間《なかま》を、後方《こうほう》に残《のこ》すことはしなかった。なにか合図《あいず》をすると、たちまち整《ととの》った陣形《じんけい》は、しばし乱《みだ》れて、傷《きず》ついたからすを強《つよ》そうなものの間《あいだ》へ入《い》れて、左右《さゆう》から、勇気《ゆうき》づけるようにして、連《つ》れていくのでした。 「からすのほうが、よっぽど、偉《えら》いや。」  純吉《じゅんきち》は、空《そら》を仰《あお》ぎながら、つぶやくと、目《め》の中《なか》に熱《あつ》い涙《なみだ》のわくのを覚《おぼ》えました。  ある日《ひ》のことです。田圃《たんぼ》へ出《で》て、父親《ちちおや》の手助《てだす》けをしていると、ふいに、父親《ちちおや》が、 「純《じゅん》や、あれを見《み》い。鳥《とり》でさえ、弱《よわ》いものは、ばかにされるでな。」と、いったのです。  純吉《じゅんきち》が、父親《ちちおや》の指《さ》す方《ほう》を見《み》ると、驚《おどろ》いたのでした。翼《つばさ》の端《はし》の取《と》れた哀《あわ》れなからすを、仲間《なかま》が意地悪《いじわる》く、列《れつ》の中《なか》から追《お》い出《だ》そうとして、右《みぎ》からも、左《ひだり》からも、つついているのでした。 「ああ、わかった。一昨日《おととい》は、あんなにしんせつにしてやったけれど、いつまでも弱《よわ》いと、じゃまになるのだな。」  純吉《じゅんきち》は、自分《じぶん》が弱《よわ》くないことを、どうしても見《み》せなければならぬ気《き》がしました。だが、自分《じぶん》の強《つよ》いことを示《しめ》すために、仲間《なかま》とけんかをしなければならぬだろうか?  彼《かれ》は、やはり迷《まよ》ったのでした。そのうちに、小学校《しょうがっこう》を出《で》ました。もう、だれも、彼《かれ》のことを、「ドンチャン。」と、いうものもなかったのです。  その後《ご》、彼《かれ》は、村《むら》で、気《き》の弱《よわ》い、おとなしい青年《せいねん》と、見《み》なされていました。  戦争《せんそう》が、はじまって、純吉《じゅんきち》が出征《しゅっせい》に召集《しょうしゅう》されたとき、父親《ちちおや》は、ただ息子《むすこ》が、村《むら》から出《で》た友《とも》だちに引《ひ》けを取《と》らぬことを念《ねん》じたのでした。 「お父《とう》さん、私《わたし》は、意気地《いくじ》なしではありません。ご心配《しんぱい》なさらないでください。」  純吉《じゅんきち》の家《いえ》に残《のこ》した言葉《ことば》は、ただ、それだけでした。  その日《ひ》、中隊長《ちゅうたいちょう》は、兵士《へいし》らを面前《めんぜん》において、厳《おごそ》かに、一|場《じょう》の訓示《くんじ》をしました。 「諸君《しょくん》は、なんという幸福者《こうふくもの》だ。じつに、いいときに生《う》まれて、天皇陛下《てんのうへいか》のために、お国《くに》のために、つくすことができるのだぞ。喜《よろこ》んで勇《いさ》んで、思《おも》う存分《ぞんぶん》な働《はたら》きをしてもらいたい。」  長《なが》い眠《ねむ》りから、いま、目《め》がさめたように、満面《まんめん》紅潮《こうちょう》を注《そそ》いで、にっこりとしたものがあります。それは、純吉《じゅんきち》でした。 「そうだ! いまこそ、ほんとうに、自分《じぶん》の身《み》を粉《こ》にして、打《う》ち当《あ》たるところができるのだ。」  もっとも勇敢《ゆうかん》に戦《たたか》って、華々《はなばな》しく江南《こうなん》の花《はな》と散《ち》った、勇士《ゆうし》の中《なか》に、純吉《じゅんきち》の名《な》がありました。この知《し》らせが、ひとたび村《むら》へ伝《つた》わると、村《むら》の人々《ひとびと》は、いまさら、英雄《えいゆう》の少年時代《しょうねんじだい》を見直《みなお》さなければならなかったのです。 「さすがに、英雄《えいゆう》はちがっていた。なんといわれても、仲間《なかま》とは、けんかをしなかったからな。」と、その当時《とうじ》、彼《かれ》のあだ名《な》をいった友《とも》だちまでが、語《かた》り合《あ》いました。  丘《おか》に建《た》てられた、新《あたら》しい墓標《ぼひょう》の上《うえ》を、いまも、朝《あさ》は、西《にし》の山《やま》から、東《ひがし》の里《さと》へ、晩方《ばんがた》には、東《ひがし》の空《そら》から、西《にし》の空《そら》へと、帰《かえ》っていくからすの群《む》れがあります。そして、哀《あわ》れなものを、労《いたわ》るかと思《おも》えば、また、いじめるというふうに、矛盾《むじゅん》した光景《こうけい》を空《そら》へ描《えが》きながら。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「日本の子供」文昭社    1938(昭和13)年12月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年10月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。