うずめられた鏡 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)後《のち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|角形《かくがた》 -------------------------------------------------------  後《のち》になってから、烏帽子岳《えぼしだけ》という名《な》がついたけれど、むかしは、ただ三|角形《かくがた》の山《やま》としか、知《し》られていませんでした。山《やま》がはじめて、地上《ちじょう》に生《う》まれたとき、あたりは、荒涼《こうりょう》として、なにも、目《め》にとまるものがなかったのです。  そのとき、はるか北《きた》の方《ほう》に、紫色《むらさきいろ》の光《ひか》る海《うみ》が見《み》えました。 「あれは、なんだろう。」と、山《やま》は思《おも》いました。この大自然《だいしぜん》について、なにも知《し》らなかった山《やま》は、日《ひ》が出《で》て、やがて日《ひ》の暮《く》れるまでの間《あいだ》に、いくたびとなく、かわる海《うみ》の色《いろ》を見《み》て、ふしぎに感《かん》じたのです。しかし、からだのうごかされぬ山《やま》は、ただ、いろいろと、自然《しぜん》を空想《くうそう》するばかりでした。 「どうすれば、あすこに、いくことができるだろうか。」  そのとき山《やま》は、大《おお》きな風《かぜ》がふいて、自分《じぶん》をうごかしてくれはせぬかと思《おも》いました。しかし、かつてそんなような、大《おお》きな風《かぜ》のふいたことがありません。こうして、ひとりぼっちでいる山《やま》は、そのころ、海《うみ》だけが、なんだか自分《じぶん》と運命《うんめい》を一つにするような気《き》がして、どうか、おたがいに、知《し》り合《あ》いに、なりたいとねがいました。  大空《おおぞら》をあおげば、星《ほし》が毎夜《まいよ》のごとく笑《わら》ったり、目《め》で話《はなし》をしたりしますけれど、山《やま》はもっと身近《みぢか》に、友《とも》だちを持《も》ちたかったのでした。  ある日《ひ》、海《うみ》の色《いろ》が、とりわけ、きれいにさえて見《み》えたのです。山《やま》は、なにか海《うみ》が、自分《じぶん》にあいずをするのだと思《おも》いました。だから、自分《じぶん》もわらって答《こた》えました。そして、その日《ひ》から、二人《ふたり》はいくらか、知《し》り合《あ》いになったという感《かん》じがしました。  なにごとによらず、こうありたいと、熱心《ねっしん》に仕事《しごと》をすれば、いつか、かならず成功《せいこう》するものです。人間《にんげん》が遠《とお》くから、たがいに話《はなし》ができるようになったのも、電気《でんき》を発明《はつめい》したからで、やはり自然《しぜん》の大《おお》きな力《ちから》を、知《し》ったからであります。  谷《たに》からわき上《あ》がる雲《くも》が、自由《じゆう》にうごけるところから、山《やま》は雲《くも》を使《つか》いにたてることを、考《かんが》えつきました。そして、あるときは、山《やま》から海《うみ》へ、また、あるときは、海《うみ》から山《やま》へと、雲《くも》は往来《おうらい》したのでした。  海《うみ》の上《うえ》では、波《なみ》があって、波《なみ》はなぎさへおしよせて、岩《いわ》にくだけ、しぶきは玉《たま》のごとくとびちり、遠《とお》い水平線《すいへいせん》は、縹渺《ひょうびょう》として、けむるようにかすみ、白《しろ》い鳥《とり》が、砂浜《すなはま》で群《む》れをなしてあそんでいるのを、雲《くも》は山《やま》へかえると、おもしろく話《はな》しました。  また山《やま》では、おいしげる木々《きぎ》に、あらしがおそうと、はげしく枝《えだ》と枝《えだ》をもみあい、そして、頂上《ちょうじょう》から落下《らっか》する滝《たき》が、さながら雷《かみなり》のとどろくように、あたりへこだまするものすごい光景《こうけい》を、雲《くも》は海《うみ》へいって聞《き》かせることもありました。  こうして、白《しろ》い雲《くも》は、南方《なんぽう》の高《たか》い山《やま》から、うごきはじめて、北《きた》の海《うみ》のほうへ流《なが》れていたのであるが、途中《とちゅう》、ゆらゆらと平野《へいや》をいったとき、そこここに、百|姓《しょう》のすむわらぶきやがあったり、畑《はたけ》をたがやす男女《だんじょ》や、馬《うま》や、牛《うし》や、犬《いぬ》などの姿《すがた》が、ちらちらと見《み》えました。  こんもり木立《こだち》のしげるところに、丹塗《にぬ》りの社《やしろ》があって、その前《まえ》に、人《ひと》がひざまずいて、よく祈願《きがん》をこめていました。ちょうどこのとき、男《おとこ》は、神《かみ》さまにお礼《れい》をいっているのでした。 「神《かみ》さま、よく私《わたし》を人間《にんげん》として、生《う》まれさせてくださいました。もし、そうでなかったら、私《わたし》は毎日《まいにち》、くるしいめにあって、なぐられたり、追《お》いまわされたりしなければならなかったでしょう。それをおかげで、牛《うし》や、馬《うま》をつかって、楽《らく》に仕事《しごと》をして、暮《く》らすことができます。これというのも、人間《にんげん》に生《う》まれさせてくださった神《かみ》さまの、おかげであります。」と、もうしていました。  この男《おとこ》が去《さ》ると、つぎに社《やしろ》の前《まえ》へきてすわったのは、まだ若《わか》い女《おんな》でありました。彼女《かのじょ》は、熱心《ねっしん》に手《て》をあわせ頭《あたま》をひくくたれて、ねがっていました。 「いま私《わたし》は、七|人《にん》の男《おとこ》から、結婚《けっこん》をもうしこまれていますが、私《わたし》の心《こころ》の中《なか》で愛《あい》する男《おとこ》は、その中《なか》の一人《ひとり》です。しかし私《わたし》は、そのことを正直《しょうじき》に、うちあけることができません。なぜなら、ほかの六|人《にん》の男《おとこ》たちは、みんな、その男《おとこ》より身分《みぶん》も高《たか》く、物持《ものも》ちであり、勢力《せいりょく》もありますから、それを知《し》ったら、きっと、そねんで、どんなしかえしを、するかもしれません。私《わたし》はいっそ、二人《ふたり》で、山《やま》のあちらへにげていこうと思《おも》いましたが、くまや、おおかみのいる森《もり》や、谷《たに》を奥深《おくふか》くはいらなければなりませんので、食《く》い殺《ころ》されることなしに、ぶじいけると思《おも》いません。神《かみ》さま、どうしたら、私《わたし》ども二人《ふたり》は、安全《あんぜん》にゆくすえ長《なが》く添《そ》いとげられますか、あなたのお力《ちから》で、おすくいくださいまし。」と、しばらく、頭《あたま》を地《じ》にすりつけていたのでした。  やがて、秋《あき》の取《と》り入《い》れがすむと、村《むら》の祝《いわ》い祭《まつ》りが、社《やしろ》の境内《けいだい》で、もよおされました。彼女《かのじょ》はこの日《ひ》、七|人《にん》の男《おとこ》たちから受《う》けた七|面《めん》の鏡《かがみ》を、ひもでとおして、首《くび》にかけておどるのでした。神《かみ》のお告《つ》げをまって、どの一人《ひとり》にか、きめなければなりません。  くわしいわけを知《し》った身寄《みよ》りのものたちは、なにか、かわったことが起《お》こらなければいいがと、しんぱいしました。ちょうど、社《やしろ》の上《うえ》の空《そら》には、入《い》り日《ひ》をあびて、雲《くも》の色《いろ》がまっかに見《み》えました。 「どうぞ神《かみ》さま、用《よう》のない鏡《かがみ》は、みんな、くだいてください。そして、ただ一|面《めん》だけを、私《わたし》に永久《えいきゅう》にさずけたまえ。」と、となえながら、身《み》を飛鳥《ひちょう》のごとくひるがえして、上《うえ》へ下《した》へと、おどったのでした。  社《やしろ》のまわりにともる、ろうそくの火《ひ》が、鏡《かがみ》の面《おもて》に、ちらちらとうつりかがやきました。  七|人《にん》の男《おとこ》たちが、胸《むね》をいためてまったかいもなく、彼女《かのじょ》は、ふと病《や》んで、まだ秋《あき》の木《き》の葉《は》がちる前《まえ》に、あわただしく、この世《よ》から去《さ》ったのであります。  社《やしろ》の裏手《うらて》の方《ほう》へ、用水池《ようすいいけ》がつくられたのは、この後《のち》、二百|年《ねん》くらいも、たってからのことでした。そのうち、山《やま》の上《うえ》にわく白雲《しらくも》が、海《うみ》のほうへ流《なが》れていったとき、その姿《すがた》を、いくたび、この水面《すいめん》にうつしたかしれません。  若《わか》い女《おんな》のうずめられたところは、いつしか、古墳《こふん》といわれるようになりました。そして、それからまた、幾《いく》百|年《ねん》の月日《つきひ》がたったのであります。山《やま》や、川《かわ》や、野原《のはら》には、かくべつのかわりもなかったけれど、町《まち》や村《むら》は、その時代《じだい》によって、ようすがちがい、人《ひと》も馬《うま》も牛《うし》も、また幾代《いくだい》かの間《あいだ》に、たびたび生《い》き死《し》にしました。  丹塗《にぬ》りの社《やしろ》も、長《なが》い月日《つきひ》の雨風《あめかぜ》にさらされて、くちたり、こわれたりして、そのたびに、村人《むらびと》によって建《た》てかえられたけれど、まだわずかに、昔《むかし》の面影《おもかげ》だけは、のこっていました。しかし、古墳《こふん》のくわしい記録《きろく》などは、もはや、どこにものこっていませんでした。ただ遠《とお》い祖先《そせん》のものにちがいないが、いまの村人《むらびと》には、その造《つく》られた時代《じだい》すら、よくわからなかったのです。  学者《がくしゃ》が、池《いけ》のほとりに立《た》って、心《こころ》ありげに、よくあたりの景色《けしき》をながめていると、学者《がくしゃ》を案内《あんない》した役場《やくば》の若《わか》い書記《しょき》が、かたわらで、伝説《でんせつ》めいたことを聞《き》かせました。 「年寄《としよ》りのいうことですが、なんでも静《しず》かな真昼《まひる》ごろ、足音《あしおと》をたてずに、池《いけ》へ近《ちか》よると、金銀《きんぎん》の二|匹《ひき》のへびが、たわむれながら、水面《すいめん》を泳《およ》いで、お社《やしろ》のほうへ、上《あ》がっていくのを見《み》ることがあるといいます。もし、それを見《み》たものは、近《ちか》いうちに、きっとしあわせなことがあると、昔《むかし》からいうそうです。」と、語《かた》ったのであります。  だまって、これを聞《き》いた学者《がくしゃ》は、ほかにも、こんな伝説《でんせつ》があるのか、うなずいていましたが、 「この古墳《こふん》を掘《ほ》ってみたいのですが、どうか学問研究《がくもんけんきゅう》のため、ぜひゆるしてもらえますか。」と、そのとりはからいかたを、書記《しょき》にたのんだのでした。 「さあ、村長《そんちょう》さんや、神主《かんぬし》さんたちが、なんといわれますか、聞《き》いてみなければわかりませんが、いつかも、そういう話《はなし》があったとき、たたりを恐《おそ》れるからといって、だれも、手《て》をつけなかったのです。」と、書記《しょき》はいいました。 「私《わたし》は、たぶん、なにか新《あたら》しい発見《はっけん》ができるような気《き》がするのです。」と、考古学者《こうこがくしゃ》は、自分《じぶん》の考《かんが》えをもらしました。  学者《がくしゃ》が学問《がくもん》のためにというので、書記《しょき》も心《こころ》をうごかせられたらしく、熱心《ねっしん》に説《と》きまわってくれるのです。そのかいあって、ついに村《むら》で発掘《はっくつ》をゆるしました。  春《はる》びよりの、あたたかな日《ひ》でした。畑《はたけ》の中《なか》の古墳《こふん》のかたわらには、一|本《ぽん》のかきの木《き》がありましたが、小枝《こえだ》にのびた、つやつやしい若葉《わかば》は、風《かぜ》にふかれて光《ひか》っていました。そして、白《しろ》い星《ほし》のような花《はな》が、咲《さ》きかけていました。  ここへ集《あつ》まってきた村《むら》の若者《わかもの》たちが、土《つち》をほるため、くわをふるっていました。べつに、ひびきをたてるほどでなかったけれど、かきの花《はな》は、もろく枝《えだ》をはなれて、ぽとりぽとりと、つめたい地《ち》へ落《お》ちるのでした。 「花《はな》でも、葉《は》でも、秋《あき》の末《すえ》まで、まんぞくにのこっているのは、すくないものだな。」と、これを見《み》て感《かん》じたものか、書記《しょき》は木《き》を見上《みあ》げながら、いっしょにはたらく学校《がっこう》の教員《きょういん》ふうの男《おとこ》と、話《はなし》をしていました。  土中《どちゅう》深《ふか》く、石《いし》をまわりに積《つ》んである棺《かん》が、掘《ほ》りだされたのは、ようやく春《はる》の日《ひ》の、かたむくころでありました。  棺《かん》の中《なか》には、底《そこ》にのこっている白骨《はっこつ》と、不完全《ふかんぜん》な土器《どき》と、七つの鏡《かがみ》などがあって、人々《ひとびと》の目《め》をひいたのでした。その死者《ししゃ》は、学者《がくしゃ》が、骨格《こっかく》から判断《はんだん》して、まだ若《わか》い女《おんな》であったとわかりました。  鏡《かがみ》は七|面《めん》のうち、六つまで、さびきって、ぼろぼろにくさっていたけれど、どうしたわけか、ただ一|面《めん》だけ、くもっているけれど、なお、いくぶん光《ひかり》をたたえて、あかるみへ出《だ》すと、ものの影《かげ》さえ、おぼろげにうつるのでした。 「どうして、この一|面《めん》だけが、くさらなかったろう?」  そのことが、みんなの、疑問《ぎもん》となりました。 「おなじ、金属《きんぞく》で造《つく》られたであろうに、どうして、この一つだけが、くさらなかったのでしょう。」と、役場《やくば》の書記《しょき》は、学者《がくしゃ》にむかってたずねました。このなぞは、たとえ、学者《がくしゃ》でも、すぐには、解《と》くことができなかったのです。  そして、いく日《にち》かの後《のち》でした。博士《はかせ》は研究室《けんきゅうしつ》の窓《まど》から、しばらくの間《あいだ》に夏《なつ》らしくなった、外《そと》のけしきに見《み》とれていました。  ひでりつづきのため、白《しろ》っぽく、かわいたアスファルトの道《みち》は、すこしの風《かぜ》にも、ほこりをたてていました。そして、せわしげに歩《ある》いている人々《ひとびと》の姿《すがた》や、道《みち》ばたにならんでいるプラタナスの影《かげ》が、ちらちらと道《みち》の上《うえ》にうごくのが、なんとなく、わびしげにさえ見《み》えるのでした。  研究室《けんきゅうしつ》につとめている助手《じょしゅ》の小田《おだ》さんは、また青年詩人《せいねんしじん》でもありました。詩人《しじん》なればこそ、幾世紀前《いくせいきまえ》の人間生活《にんげんせいかつ》に興味《きょうみ》をもち、心《こころ》で美《うつく》しく想像《そうぞう》し、また、あこがれもしたのでありましょう。  博士《はかせ》は、へやへはいってきた小田《おだ》さんに、こんどの旅行《りょこう》で見《み》た北国《ほっこく》や、いろいろ経験《けいけん》したことを、くわしく話《はな》しました。  たとえば、丹塗《にぬ》りの社《やしろ》があり、用水池《ようすいいけ》があり、古墳《こふん》はそのかたわらにあったことや、伝説《でんせつ》の話《はなし》や、棺《かん》を掘《ほ》ったときのありさまなど、当時《とうじ》のことを、思《おも》い出《だ》しながら語《かた》ったのであります。  助手《じょしゅ》の小田《おだ》さんは、目《め》をかがやかして、博士《はかせ》のいうことを聞《き》いていました。 「ただ、ふしぎなことが一つあった。それは、棺《かん》の中《なか》にあった七|面《めん》の鏡《かがみ》が、一|枚《まい》だけくさらずに、いまも光《ひか》っているが、あとは六つとも、さびて、ぼろぼろになっていたことだ。おなじ金《かね》で造《つく》ったのであろうが、それは、どうしたことだろうか。」  博士《はかせ》は首《くび》をかしげながら、かばんの中《なか》の、古鏡《こきょう》をとり出《だ》して、小田《おだ》さんにしめしました。 「私《わたし》はこのなぞを、どうしても学問《がくもん》のためにも、解《と》かなければならない。」と、博士《はかせ》はつづけていいました。 「むかしは、鏡《かがみ》を女《おんな》のたましいともいいましたから、これには、たましいが、はいっているのかもしれませんね。」と、さすがに小田《おだ》さんは、詩人《しじん》らしい感想《かんそう》をもらして、うけとった鏡《かがみ》を、ていねいになでながら、しばらく、じっと見《み》まもっていました。 「この金属《きんぞく》を、分析《ぶんせき》してみなければ、わからぬことだ。おなじ金属《きんぞく》でつくったものなら、この一つだけが、くさらぬというわけがあるまい。」と、博士《はかせ》は、科学者《かがくしゃ》なら、空想《くうそう》を事実《じじつ》として、信《しん》ずるわけにいかないと、ひややかな調子《ちょうし》で、助手《じょしゅ》に答《こた》えたのであります。  このとき、博士《はかせ》は、古墳《こふん》の発掘《はっくつ》をてつだってくれた役場《やくば》の若《わか》い書記《しょき》にしろ、学校《がっこう》の先生《せんせい》にしろ、話《はなし》を聞《き》いていると、みんな若《わか》い人《ひと》たちは詩人《しじん》であって、物質《ぶっしつ》だけをたよりとしていない、そのことは、いままでの学者《がくしゃ》たちとちがって、たましいのありかを知《し》るといういきかたで、考古学《こうこがく》の将来《しょうらい》に、明《あか》るい道《みち》が開《ひら》けるような気《き》がしたと、助手《じょしゅ》の小田《おだ》さんにむかっていったのでした。  その翌日《よくじつ》のことです。博士《はかせ》は研究室《けんきゅうしつ》へ出《で》かけて、旅行先《りょこうさき》で集《あつ》めてきたいろいろの材料《ざいりょう》を、よくしらべて、配列《はいれつ》するのをたのしみとしました。 「先生《せんせい》、おはようございます。やはり、あの鏡《かがみ》は、ふしぎであります。先生《せんせい》のおいでなされるのを待《ま》っていました。」と、昨夜《ゆうべ》は、研究室《けんきゅうしつ》で宿直《しゅくちょく》した小田《おだ》さんは、博士《はかせ》の顔《かお》を見《み》るや、とびつかんばかりに訴《うった》えたのでした。 「ふしぎなことって、どんなことだね。」と、博士《はかせ》も、なんとなく、胸《むな》さわぎを感《かん》じました。 「まあ、こちらへいらして、ごらんください。」と、助手《じょしゅ》の小田《おだ》さんは、先《さき》に立《た》って、博士《はかせ》を、しんとした、うすぐらい研究室《けんきゅうしつ》へ案内《あんない》しました。  そこには、大《おお》きなろうそくが、ともされていました。かげろうのうごくように、ろうそくの火《ひ》は、下《した》におかれた鏡《かがみ》のおもてを照《て》らしていました。  博士《はかせ》は心《こころ》をおちつけて、鏡《かがみ》をのぞくと、そこにあやしげな身《み》なりをした、男女《だんじょ》がならんで、おぼろげに浮《う》き出《で》ていました。  年《とし》とった、この考古学者《こうこがくしゃ》は、しばらく目《め》を、鏡《かがみ》からそらさずに、沈黙《ちんもく》していましたが、そのうち、うめくように、 「ああ、やはり女《おんな》は、七|人《にん》のうち、この鏡《かがみ》をくれた男《おとこ》だけを、深《ふか》く愛《あい》していたとみえる。」と、はじめて、そのなぞが、解《と》けたといわんばかりに、ひくい声《こえ》でさけびました。 「先生《せんせい》、するとこの女《おんな》は、貞操《ていそう》をまもりたいばかりに、だまって死《し》をえらんだのですね。」と、小田《おだ》さんが聞《き》きました。 「たしかにそうだよ。死《し》んでから、地下《ちか》で二人《ふたり》は、永久《えいきゅう》の幸福《こうふく》をもとめて、約束《やくそく》をはたしたんだね。」と、博士《はかせ》は答《こた》えました。 「西洋流《せいようりゅう》ですと、婚約《こんやく》の指輪《ゆびわ》をおくる風習《ふうしゅう》がありますが、東洋《とうよう》は日本《にっぽん》でも、昔《むかし》から、女《おんな》の心《こころ》をうつすといって、鏡《かがみ》をたいせつにしましたが、婚約《こんやく》にも用《もち》いられはしなかったでしょうか?」と、小田《おだ》さんは、うたがいをもつらしく、ただしました。 「女《おんな》が鏡《かがみ》を命《いのち》のごとく、たっとんだのは、わかっているが、主《しゅ》として結婚《けっこん》してからのことで、婚約《こんやく》に鏡《かがみ》をおくったかどうか、よくわからない。約束《やくそく》をおもんじた昔《むかし》のことだから、たとえ鏡《かがみ》をつかったとしても、ふしぎのないことだが、古《ふる》い文献《ぶんけん》をしらべたら、もっと、おもしろい発見《はっけん》が、あるかもしれない。」と、博士《はかせ》は、答《こた》えながら、頭《あたま》をかしげていました。 「できることなら、この鏡《かがみ》を、もとの墓所《ぼしょ》にうずめてやりたい。」と、いった若《わか》い助手《じょしゅ》のねがいを、考古学者《こうこがくしゃ》である博士《はかせ》は、ついに許《ゆる》したのでした。  助手《じょしゅ》の小田《おだ》さんが、鏡《かがみ》を新《あたら》しい木箱《きばこ》におさめて、北国《ほっこく》へ旅立《たびだ》ったのは、夏《なつ》もなかばすぎた日《ひ》のことで、烏帽子岳《えぼしだけ》のいただきから、奇怪《きかい》な姿《すがた》をした入道雲《にゅうどうぐも》が、平野《へいや》を見《み》おろしながら、海《うみ》の方《ほう》へと、むかっていくところでありました。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「うずめられた鏡」金の星社    1954(昭和29)年6月 初出:「女学生の友」    1953(昭和28)年8月 ※表題は底本では、「うずめられた鏡《かがみ》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年9月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。