兄の声 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)向《む》かって |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|度《ど》 -------------------------------------------------------  おかあさんは、ぼくに向《む》かって、よくこういわれました。 「小《ちい》さいときから、おまえのほうは、気《き》が強《つよ》かったけれど、にいさんはおとなしかった。まだおまえが、やっとあるける時分《じぶん》のこと、ものさしで、にいさんの頭《あたま》をたたいたので、わたしがしかると、いいよ、武《たけ》ちゃんは、小《ちい》さいのだものといって、にいさんは、おこりはしなかった。ほんとうに、がまん強《づよ》い子《こ》でした。」  ぼくは、そうきくと、物心《ものごころ》のつかない幼時《ようじ》のことだけれど、なんとなく、いじらしい兄《あに》のすがたが目《め》に浮《う》かんで、悲《かな》しくなるのです。  兄《あに》が召集《しょうしゅう》されてから、後《のち》のことでした。  えんがわに、兄《あに》のはいていたくつがかわかしてありました。まだ落《お》とし残《のこ》されたどろがついています。朝晩《あさばん》、兄《あに》は、このくつをはいて、通勤《つうきん》もすれば、また会社《かいしゃ》の用事《ようじ》で、方々《ほうぼう》をあるきまわったのでした。ときどきは、映画館《えいがかん》の前《まえ》にも立《た》てば、喫茶店《きっさてん》へも立《た》ちよったでありましょう。なにしろ、かけがえのくつを持《も》たなかったから、かかとはへるにまかせて、いたんでいました。もっとも、一|度《ど》、街頭《がいとう》で朝鮮人《ちょうせんじん》のくつなおしに裏皮《うらがわ》をとりかえさせて、月給《げっきゅう》のほとんど全部《ぜんぶ》を払《はら》わせられたことがあります。考《かんが》えれば、このくつには、兄《あに》のふんできた生活《せいかつ》の汗《あせ》がにじんでいるのでした。形《かたち》がいびつとなって、ところどころ穴《あな》があいているのも、心《こころ》なしにながめることは、できません。  兄《あに》のところへ、友《とも》だちが、たずねてくると、しぜんと生活《せいかつ》の感想《かんそう》や、世間《せけん》の様相《ようそう》が話《はなし》にのぼりました。兄《あに》のこれらの意見《いけん》も、このくつをはいて、あるくうちに得《え》られた体験《たいけん》でありましょう。  兄《あに》は、こういうのでした。  正直《しょうじき》で、しんせつで、謙遜《けんそん》な人《ひと》というものは、たとえ、はじめてあった人《ひと》でも、もうこれまでにいくたびもあったことがあるような、なつかしさをおぼえるものだ。 「あなたとはいつかどこかでお目《め》にかかったことがありますね。」と、ききたくなることがある。そんなときは、しいて自制《じせい》しながら、 「なんで、そんなことがあるものか。きちがいでないかぎり、だしぬけに聞《き》かれるものではない。」と、自分《じぶん》をしかるのだ。  また、こんなおかしなことを空想《くうそう》することもある。 「もしかすると、前世《ぜんせ》において、出《で》あった人《ひと》かもしれないぞ。」と。 「いや、まったく、ばかげきった話《はなし》ですが、世《よ》の中《なか》に善良《ぜんりょう》な人間《にんげん》ほど、相手《あいて》を感激《かんげき》させるものは、ありません。」と、兄《あに》は、いうのでした。すると、兄《あに》の友《とも》だちは、 「そうですか。そういういい人《ひと》と、どこで、おあいなされましたか。」と、かならず問《と》うのであります。  兄《あに》は、友《とも》だちに、 「わたしは、社用《しゃよう》で、方々《ほうぼう》の会社《かいしゃ》や、工場《こうじょう》を訪問《ほうもん》します。そして、いく人《にん》となく情味《じょうみ》のゆたかな人《ひと》たちと出《で》あいました。ところがふしぎに、それが門番《もんばん》とか、受付《うけつけ》とか、地位《ちい》の低《ひく》い人々《ひとびと》にかぎっていました。さもなければ、大衆食堂《たいしゅうしょくどう》の前《まえ》へならぶような人々《ひとびと》であります。それらの人《ひと》たちとは、顔《かお》を見《み》たさいしょから、なんでも心《こころ》のうちを、うちあける気持《きも》ちになれば、また一|本《ぽん》のたばこを分《わ》けあったこともめずらしくありません。なにがそうさせるのか、とにかく、この苦痛《くつう》の多《おお》い世《よ》の中《なか》で、こうした人々《ひとびと》の存在《そんざい》は、どんなになぐさめとなることでしょう。わたしは、会社《かいしゃ》の内《うち》にいるときより、外《そと》を出《で》あるくときのほうが愉快《ゆかい》なのも、そのためです。」と、語《かた》るのでした。 「じゃ、社内《しゃない》の空気《くうき》が、おもしろくないのですか。」と、友《とも》だちは、きくのであります。 「考《かんが》えてごらんなさい。命令《めいれい》と服従《ふくじゅう》しかないところに、いったい、なごやかさなどというものがありましょうか。」と、兄《あに》は、答《こた》えました。  兄《あに》は、おだやかな性質《せいしつ》であったけれど、だれに対《たい》しても、正直《しょうじき》に思《おも》ったことを話《はな》しました。ことに友人《ゆうじん》に対《たい》しては、すこしもかくしだてすることはなかったのです。兄《あに》は、会社《かいしゃ》で、上《うえ》のものが権力《けんりょく》によって、下《した》のものをおさえつけようとするのを見《み》て、なにより不愉快《ふゆかい》に思《おも》ったらしいのでした。 「課長《かちょう》は、いつも、こわばった顔《かお》をしているが、家《いえ》へかえって、細君《さいくん》や、子《こ》どもたちにも、あんな目《め》つきで、ものをいうのだろうか。」と、さもまじめに、考《かんが》えていたこともあります。  また同僚《どうりょう》が、むやみと上役《うわやく》に対《たい》して、機嫌《きげん》をうかがうのを軽蔑《けいべつ》しながら、 「公用《こうよう》と私用《しよう》を一つにするばかもないものだ。自分《じぶん》からこのんで、奴隷《どれい》になろうとしている。」と、歎息《たんそく》していたこともありました。  よく重役《じゅうやく》が、買《か》い出《だ》しや、家事《かじ》の雑役《ざつえき》などに、社員《しゃいん》を使用《しよう》することがありますが、兄《あに》は、けっしていかなかったばかりでなく、そんなひまがあるときは、映画《えいが》を見《み》たり、レコードをきいたりしたものでした。  あるとき、ぼくが、 「にいさんは、いつも音楽《おんがく》をきいたあとで、どんな空想《くうそう》をなさいますか。」と、きいたことがある。ふだんから、美《び》と平和《へいわ》を愛《あい》する兄《あに》であるのを知《し》っていたけれど、こうした場合《ばあい》に、希望《きぼう》や、空想《くうそう》が、どんな形《かたち》であらわされるだろうかと思《おも》ったからです。  兄《あに》は、遠《とお》くを見《み》るような目《め》つきをして、 「そうだな、いい音楽《おんがく》をきいたときだね。」といって、考《かんが》えました。 「美《うつく》しい、絵《え》のようなけしきが、目《め》に浮《う》かんでくるよ。」 「どんなけしき? 現実《げんじつ》でなく、架空《かくう》な、未来《みらい》の世界《せかい》とでもいうのですか。」 「いや、そんな空虚《くうきょ》な夢《ゆめ》ではない。たとえば、赤《あか》い夕空《ゆうぞら》の下《した》に、工場《こうじょう》の煙突《えんとつ》がたくさんたっている、近代的《きんだいてき》な街《まち》の風景《ふうけい》とか、だいだい色《いろ》の太陽《たいよう》が燃《も》える丘《おか》に、光線《こうせん》の波《なみ》うつ果樹園《かじゅえん》とか、さもなければ、はてしない紺碧《こんぺき》の海《うみ》をいく、日章旗《にっしょうき》のひるがえる商船《しょうせん》とか、そんなような、清《きよ》らかで、朗《ほが》らかなうちにもさびしい、けしきが目《め》に浮《う》かぶのだよ。」と兄《あに》は、いったのでした。ぼくは、 「にいさん、そうした美《うつく》しさなら、いくらもあるけしきじゃありませんか。」と、いったのです。  兄《あに》は、じっとぼくを見《み》て、 「ただわたしがそういっただけでは、わからないだろう。なるほど外観《がいかん》からいえば、この種《しゅ》の街《まち》や、工場《こうじょう》や、農園《のうえん》は、絵《え》として見《み》ても、手近《てぢか》なものであるにちがいない。問題《もんだい》は、その町《まち》や、村《むら》で働《はたら》いている人《ひと》たちのことだ。わたしが、これまであった、あのような、謙虚《けんきょ》で、正直《しょうじき》で、しんせつな人々《ひとびと》が働《はたら》いているということでなければならぬ。かりにそうしたどうしの集《あつ》まりだと想像《そうぞう》してごらん。日々《ひび》そこでいとなまれる生活《せいかつ》こそ、どんなにか、楽《たの》しかろうじゃないか。そこには、暴力《ぼうりょく》や、権力《けんりょく》をもつ人間《にんげん》もなく、すべてが理解《りかい》と同情《どうじょう》とで、協力《きょうりょく》しあうのだからね。」といいました。  そうきくと、たとえ、経験《けいけん》のとぼしいぼくでも、そして、また深《ふか》いことはわからぬけれど、そうした社会《しゃかい》が平和《へいわ》で、真《しん》に住《す》みよいところであるということだけは、さとれるのでした。  兄《あに》がいなくなってから、家《いえ》の中《なか》は、急《きゅう》にさびしくなりました。そして、はやいく日《にち》か、たったころ、母《はは》はひとりごとのように、 「ゆうべ、あの子《こ》が特攻隊《とっこうたい》へはいった夢《ゆめ》をみたが。」といって、ふさいでおられました。  だから、ぼくは、 「にいさんにかぎって、特攻隊《とっこうたい》などへ、入《はい》りませんよ。」と、うち消《け》して、無理《むり》にも母《はは》を元気《げんき》づけようとしました。しかし、母《はは》は、いつまでも気《き》にかかるとみえて、それから後《のち》も、家《いえ》の中《なか》は、なんとなく、うすぐらいような日《ひ》がつづきました。  ところが、まったく突然《とつぜん》でした。それが、おどろきでもあり、喜《よろこ》びでもあったのは、兄《あに》が帰《かえ》ってきたことです。  ある日《ひ》、だれか玄関《げんかん》へきたようなけはいがしたので、姉《あね》が出《で》てみると、立《た》っていたのが兵隊《へいたい》すがたの兄《あに》だったので、姉《あね》は、びっくりして、 「まあ、義《よし》ちゃんなの? お母《かあ》さん、義《よし》ちゃんが帰《かえ》ってきましたよ……。」と、さけんだ。その声《こえ》をきいて、母《はは》も、ぼくも、ころげるようにとびだしました。兄《あに》は、泣《な》いているのです。 「さあ、早《はや》くお上《あ》がり、どうしたの。」といって、母《はは》も泣《な》きました。 「にいさん、なにか変《か》わったことがあったの?」  ぼくは、いままで兄《あに》の泣《な》いたのを見《み》たことがなかったのと、もし出征《しゅっせい》すれば、おそらくふたたび見《み》られないだろうと思《おも》っていたので、ついこうききました。姉《あね》も、 「義《よし》ちゃん、どうかしたの?」といって、兄《あに》の顔《かお》をのぞくようにしました。  兄《あに》は、あとから、あとから、目《め》にあふれ出《で》る涙《なみだ》を、手《て》の甲《こう》でふきながら、頭《あたま》を左右《さゆう》にふって、 「みんなの顔《かお》が見《み》られて、うれしいのだ。」と、わずかに答《こた》えたのです。 「こっちへ、あがってから、ゆっくりお話《はな》しなさい。」と、母《はは》は、手《て》を引《ひ》かんばかりにして、兄《あに》がくつのひもをとくのも、もどかしげに見守《みまも》っていました。 「にいさん、もういかなくてもいいの。」 「いまなん時《じ》だね。晩方《ばんがた》までに、こちらを出《で》て、隊《たい》へかえらなければならない。」  兄《あに》は、あいさつが終《お》わると、これまで、自分《じぶん》が勉強《べんきょう》をしたり、レコードをかけたりした、へやへいきました。家《いえ》のものは、その後《のち》も、兄《あに》がいるときと同《おな》じように、そうじはするけれど、だれも、手《て》をつけようとしなかったので、本箱《ほんばこ》のなかも、たなのかざりも、兄《あに》が出《で》ていったときのままとなっていて、すこしも変《か》わっていなかったのです。  兄《あに》は、さもなつかしそうに、あたりを、見《み》まわしていました。それから、いつもそうしたように、好《す》きなレコードをかけました。  外国物《がいこくもの》では、アベ=マリアとか、粗朴《そぼく》ながら、血《ち》のつながりに、哀愁《あいしゅう》をもよおす日本《にほん》の俚謡《りよう》などを兄《あに》は、このみました。 「義《よし》ちゃんが、ずっとこうして、家《いえ》にいてくれたらいいのにね。」と、姉《あね》はそばに立《た》ち、鼻《はな》をつまらせていました。 「じきにかえってきますよ。そうしたら、もうどこへもいきません。」と、兄《あに》は、答《こた》えました。 「お母《かあ》さんが、心配《しんぱい》していらっしゃるから、きっと無事《ぶじ》に帰《かえ》ってね。」  晩方《ばんがた》近《ちか》く、小雨《こさめ》の降《ふ》るなかを、兄《あに》は、隊《たい》へとかえりました。みんなが、門口《かどぐち》まで見送《みおく》りに出《で》ると、ふりかえって挙手《きょしゅ》の礼《れい》を残《のこ》して去《さ》りました。 「あんまり思《おも》いがけなかったので幽霊《ゆうれい》かと思《おも》ったわ。」と、姉《あね》はへやへもどると、母《はは》に話《はな》していました。 「公用《こうよう》のついでとかいいますが、よく寄《よ》ってくれましたね。」と、母《はは》は、目《め》をしばたいていました。  しかし、それきり、兄《あに》は家《いえ》へ帰《かえ》らなかったのです。やはり特攻隊《とっこうたい》に入《はい》っていたのでした。あとで、このことも知《し》ったのですが、兄《あに》はあのとき、いとまごいのつもりできて、わたしたちに気《き》づかれぬように、アルバムから、父《ちち》と母《はは》の写真《しゃしん》をはいで持《も》っていきました。  戦争中《せんそうちゅう》、特攻隊《とっこうたい》が、よく出発前《しゅっぱつまえ》、別《わか》れのことばを放送《ほうそう》して故国《ここく》にのこしたことがありますが、地域《ちいき》の関係《かんけい》からか、兄《あに》はこれに加《くわ》わらなかったのです。しかしながら、ぼくは、現在《げんざい》でも、道《みち》をあるいているときとか、またぼんやり空想《くうそう》にふけっているときとか、そんなようなときに、どこからともなく、兄《あに》の声《こえ》をきくことがあります。  ことにさんらんとして夕焼《ゆうや》けのする晩方《ばんがた》などに、あざやかといってもいいくらい、はっきりと、なつかしい兄《あに》の声《こえ》をきくことがあります。 「おまえは、真《しん》に自由《じゆう》と、正義《せいぎ》と、平和《へいわ》のために、生命《せいめい》のかぎりをつくせ!」と。  それは、短《みじか》い生涯《しょうがい》であったけれど、美《び》と平和《へいわ》をこのうえなく愛《あい》した兄《あに》として、こういって、ぼくをはげましてくれるのは、まことに、当然《とうぜん》のことと思《おも》われるのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社    1977(昭和52)年11月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「赤い雲のかなた」小峰書店    1949(昭和24)年1月 初出:「子供の広場」    1946(昭和21)年4月 ※表題は底本では、「兄《あに》の声《こえ》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。