お姫さまと乞食の女 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)城《しろ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き]――一九二一・一二作―― |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|室《しつ》 -------------------------------------------------------  お城《しろ》の奥深《おくふか》くお姫《ひめ》さまは住《す》んでいられました。そのお城《しろ》はもう古《ふる》い、石垣《いしがき》などがところどころ崩《くず》れていましたけれど、入《い》り口《ぐち》には大《おお》きな厳《いか》めしい門《もん》があって、だれでも許《ゆる》しがなくては、入《はい》ることも、また出《で》ることもできませんでした。  お城《しろ》は、さびしいところにありました。にぎやかな町《まち》へ出《で》るには、かなり隔《へだ》たっていましたから、木《き》の多《おお》い、人里《ひとざと》から遠《とお》ざかったお城《しろ》の中《なか》はいっそうさびしかったのであります。  お城《しろ》の中《なか》には、どんなきれいな御殿《ごてん》があって、どんな美《うつく》しい人々《ひとびと》が住《す》んでいるか、だれも知《し》ったものがなかったのです。旅人《たびびと》は、お城《しろ》の門《もん》を通《とお》り過《す》ぎるときに、足《あし》を止《と》めてお城《しろ》のあちらを仰《あお》ぎました。けれど、そこからは、なにも見《み》ることができませんでした。 「なんでも、きれいな御殿《ごてん》があるということだ。」と、一人《ひとり》の旅人《たびびと》がいいますと、 「美《うつく》しいお姫《ひめ》さまがいられて、いい音楽《おんがく》の音色《ねいろ》が、夜《よる》も昼《ひる》もしているということだ。」と、また他《た》の一人《ひとり》の旅人《たびびと》がいっていました。  こうして、旅人《たびびと》は、いろいろなうわさをしながら、そのお城《しろ》の門《もん》の前《まえ》を去《さ》ってしまったのであります。  お城《しろ》の中《なか》には、美《うつく》しい御殿《ごてん》がありました。そして御殿《ごてん》の一|室《しつ》に、美《うつく》しいお姫《ひめ》さまが住《す》んでいられて、毎日《まいにち》、歌《うた》をうたい、いい音色《ねいろ》をたてて音楽《おんがく》を奏《そう》せられ、そして、窓《まど》ぎわによりかかっては、遠《とお》くの空《そら》をながめられて、物思《ものおも》いにふけっていられました。そのことはだれも知《し》ることができなかったのです。  お姫《ひめ》さまは、このお城《しろ》の中《なか》で大《おお》きくなられました。そして、このお城《しろ》の内《うち》しかお知《し》りになりませんでした。お城《しろ》の中《なか》には、大《おお》きな林《はやし》がありました。また、大《おお》きな濠《ほり》がありました。林《はやし》の中《なか》には、いろいろな鳥《とり》がどこからともなく集《あつ》まってきて、いい声《こえ》でないていました。またお濠《ほり》や、池《いけ》の中《なか》には、珍《めずら》しい魚《うお》がたくさん泳《およ》いでいました。そのほか、御殿《ごてん》の中《なか》には、この世《よ》の中《なか》のありとあらゆる珍《めずら》しいものが飾《かざ》られてありました。けれどお姫《ひめ》さまは、もはや、そんなものを見《み》ることに飽《あ》きてしまわれました。 「ああ、わたしは、このお城《しろ》の中《なか》にばかりいることは飽《あ》きてしまった。このお城《しろ》の中《なか》から外《そと》へ出《で》てみたいものだ。」と、お姫《ひめ》さまは思《おも》われました。  このことをおつきのものに話《はな》されますと、おつきのものは、びっくりして、目《め》を円《まる》くしていいました。 「それはとんでもないことです。このお城《しろ》の内《うち》ほどいいところは、どこへいってもありません。お城《しろ》の外《そと》に出《で》ますと、それはきたないところや、暗《くら》いところや、また悪《わる》い人間《にんげん》などがたくさんにいまして安心《あんしん》することができません。お城《しろ》のうちほど、いいところがどこにありますものですか。」と申《もう》しました。  しかし、お姫《ひめ》さまは、だれがなんといっても、やはり、お城《しろ》の外《そと》に出《で》て、世《よ》の中《なか》というものを見《み》たいと思《おも》われました。 「世《よ》の中《なか》というところは、どんなところだろう。そこには、にぎやかな町《まち》があるということだ。その町《まち》へいったら、きっと自分《じぶん》の知《し》らないおもしろいことがたくさんにあるに相違《そうい》ない。そして、いろいろな歌《うた》を聞《き》かれるにちがいない。どうかして、わたしは、その世《よ》の中《なか》を見《み》たいものだ。」と、お姫《ひめ》さまは思《おも》われたのであります。  林《はやし》の中《なか》には、いろいろな小鳥《ことり》がきてさえずっていましたけれど、その小鳥《ことり》は、もはやお姫《ひめ》さまには珍《めずら》しいものではなかったのです。しかるに、あるとき、遠《とお》い南《みなみ》の方《ほう》から渡《わた》ってきたという、赤《あか》と緑《みどり》と青《あお》の毛色《けいろ》をした、珍《めずら》しい鳥《とり》を献上《けんじょう》したものがありました。  お姫《ひめ》さまは、この鳥《とり》が、たいそう気《き》にいられました。そして、自分《じぶん》の居間《いま》に、かごにいれて懸《か》けておかれました。小鳥《ことり》は、じきにお姫《ひめ》さまになれてしまいました。しかし、小鳥《ことり》も、自身《じしん》の生《う》まれた、遠《とお》い国《くに》のことをときどき、思《おも》い出《だ》すのでありましょう。かごの中《なか》のとまり木《ぎ》に止《と》まって、遠《とお》くの青《あお》い、雲切《くもぎ》れのした空《そら》をながめながら、悲《かな》しい、低《ひく》い音色《ねいろ》をたててなくのでありました。するとお姫《ひめ》さまも悲《かな》しくなって、涙《なみだ》ぐまれたのであります。そして、やはり、あちらの空《そら》を見《み》ていられますと、白《しろ》い雲《くも》が夢《ゆめ》のように飛《と》んでゆくのでありました。 「おまえは、なにをそんなに考《かんが》えているの? しかし、おまえはこんなに遠《とお》い他国《たこく》にくるまでには、さだめしいろいろなところを見《み》てきたろうね。町《まち》や、海《うみ》や、港《みなと》や、野原《のはら》や、山《やま》や、河《かわ》や、また珍《めずら》しいふうをした旅人《たびびと》や、その人《ひと》たちの歌《うた》う唄《うた》などを聞《き》いたり、見《み》たりしてきたにちがいない。しかし、わたしは、そんなものを聞《き》くことも見《み》ることもできない。」  お姫《ひめ》さまは、こういってなげかれたのであります。  お城《しろ》の内《うち》には、さびしい秋《あき》がきました。つぎに木《き》の葉《は》のことごとく落《お》ちつくしてしまう冬《ふゆ》がきました。いろいろな木《き》の実《み》が紅《あか》く熟《じゅく》し、それが落《お》ちてしまうと雪《ゆき》が降《ふ》りました。そして、しばらくたつとまた、若草《わかくさ》が芽《め》をふいて、陽炎《かげろう》のたつ、春《はる》がめぐってきたのであります。  お城《しろ》の内《うち》には、花《はな》が咲《さ》き乱《みだ》れました。みつばちは太陽《たいよう》の上《のぼ》る前《まえ》から、花《はな》の周囲《しゅうい》に集《あつ》まって、羽《はね》を鳴《な》らして歌《うた》っていました。ほんとうに、のびのびとした、いい日和《ひより》がつづきましたので、お城《しろ》の門番《もんばん》は、退屈《たいくつ》してしまいました。どこからともなく、柔《やわ》らかな風《かぜ》が花《はな》のいい香《かお》りを送《おく》ってきますので、それをかいでいるうちに、門番《もんばん》はうとうとと居眠《いねむ》りをしていたのであります。  ちょうど、そのとき、みすぼらしいようすをした女《おんな》の乞食《こじき》がお城《しろ》の内《うち》へ入《はい》ってきました。女《おんな》の乞食《こじき》は門番《もんばん》が居眠《いねむ》りをしていましたので、だれにもとがめられることがなく、草履《ぞうり》の音《おと》もたてずに、若草《わかくさ》の上《うえ》を踏《ふ》んで、しだいしだいにお城《しろ》の奥深《おくふか》く入《はい》ってきたのであります。  お姫《ひめ》さまは、おりから、怪《あや》しげなようすをした女《おんな》がこちらに近《ちか》づいてくるのをごらんになりました。そして、よくそれをごらんになると、自分《じぶん》と同《おな》じ年《とし》ごろの美《うつく》しい娘《むすめ》でありました。お姫《ひめ》さまはこんなに美《うつく》しい娘《むすめ》が、どうして、またこんなに汚《きたな》らしいようすをしているのかと怪《あや》しまれたのです。 「おまえは、だれだ?」と、お姫《ひめ》さまは、おたずねになりました。  すると女《おんな》の乞食《こじき》は、悪《わる》びれずに、 「わたしは、貧《まず》しい人間《にんげん》です。親《おや》もありませんし、家《うち》もないものです。こうして諸方《しょほう》を歩《ある》いて、食《た》べるものや、着《き》るものをもらって歩《ある》く人間《にんげん》なのでございます。」と答《こた》えました。  お姫《ひめ》さまは、その話《はなし》を聞《き》いていられる間《あいだ》に、幾《いく》たび、びっくりなされたかしれません。そして、この女《おんな》が、乞食《こじき》であることをはじめてお知《し》りになりました。 「おまえは乞食《こじき》なの?」と、お姫《ひめ》さまはお問《と》いになされました。 「さようでございます。」と、汚《きたな》らしいようすをした女《おんな》は答《こた》えました。 お姫《ひめ》さまは、つくづくと女《おんな》の乞食《こじき》をごらんになっていましたが、小《ちい》さな歎息《たんそく》をなされました。 「なんという、おまえの目《め》は美《うつく》しい目《め》でしょう。」とおっしゃられました。  女《おんな》の乞食《こじき》は、お姫《ひめ》さまを見上《みあ》げて、 「そんなに、わたしの目《め》がよろしければ、あなたに、目《め》をさしあげましょう。」と申《もう》しました。  お姫《ひめ》さまは、なおつくづくと女《おんな》の乞食《こじき》をごらんなされていたが、小《ちい》さな歎息《たんそく》をなされて、 「まあ、なんというおまえの髪《かみ》の毛《け》は美《うつく》しいのだろう。」といわれました。  女《おんな》の乞食《こじき》は、長《なが》い、黒《くろ》い髪《かみ》の毛《け》を手《て》でかきあげながら、 「わたしの髪《かみ》の毛《け》が、そんなによろしければ、あなたにさしあげましょう。」と申《もう》しました。  お姫《ひめ》さまは、前後《ぜんご》のわきまえもなく、女《おんな》の乞食《こじき》に抱《だ》きつかれました。 「ああ、なんというおまえの心《こころ》はやさしいのでしょう。目《め》も髪《かみ》の毛《け》もみんなおまえのもので、だれもおまえから取《と》ることができはしない。わたしがどうして、これをおまえからもらうことができましょう。わたしは、それをほしいとは思《おも》いませんが、どうか、おまえのきている着物《きもの》をおくれ。そして、おまえは、わたしの着物《きもの》をきて、わたしのかわりとなって、しばらく、このお城《しろ》の内《うち》に住《す》んでいておくれ。わたしは、おまえになって、広《ひろ》い世《よ》の中《なか》を見《み》てきたいから……。」と、お姫《ひめ》さまは、女《おんな》の乞食《こじき》にむかって、ねんごろに頼《たの》まれました。  女《おんな》の乞食《こじき》は、下《した》を向《む》いて、しばらく考《かんが》えていましたが、やがて顔《かお》を上《あ》げて、 「お姫《ひめ》さま、わたしは、なんでもあなたのおっしゃることを聞《き》きます。しかし、わたしみたいなものが、お姫《ひめ》さまのかわりとなっていることができましょうか。」と申《もう》しました。  お姫《ひめ》さまは、軽《かる》くうなずかれ、 「わたしがよく、侍女《こしもと》に頼《たの》んでおきます。そして、そんなに長《なが》くはたたない。じきにもどってくるから、どうかわたしのいうことを聞《き》いておくれ。ぜひお願《ねが》いだから……。」といわれましたので、女《おんな》の乞食《こじき》は、ついにうなずいて、お姫《ひめ》さまのいうことを聞《き》きました。  お姫《ひめ》さまは、侍女《こしもと》をお呼《よ》びになって、そのことを話《はな》されますと、侍女《こしもと》は、びっくりして目《め》を円《まる》くしました。 「お姫《ひめ》さま、そんなお考《かんが》えをお起《お》こしになってはいけません。どんなまちがいがないともかぎりません。」と、おいさめ申《もう》しましたが、お姫《ひめ》さまは、どうかわたしの希望《きぼう》をかなえさせておくれ、きっとその恩《おん》は返《かえ》すからといって、ついに、女《おんな》の乞食《こじき》に姿《すがた》をやつされました。そして、城《しろ》を立《た》ちいでられることになりました。  門番《もんばん》が見《み》つけたら、またひと災難《さいなん》であろうと、お姫《ひめ》さまは心配《しんぱい》をなされましたが、門番《もんばん》はこのときまで、まだいい心地《ここち》に居眠《いねむ》りをしていましたので、乞食《こじき》のふうをした若《わか》い女《おんな》が、自分《じぶん》の前《まえ》を忍《しの》び足《あし》で通《とお》り過《す》ぎたのをまったく知《し》らなかったのであります。  お姫《ひめ》さまは、往来《おうらい》の上《うえ》に出《で》られました。その道《みち》を歩《ある》いてゆくと、どこまでも道《みち》はつづいています。そして、ゆきつきるということがありませんでした。お城《しろ》の内《うち》は、いくら広《ひろ》くても、一|日《にち》の中《うち》には、まわりつくしてしまうことができますのに、往来《おうらい》はどこまでいっても、はてしがなかったのです。そればかりでない、青々《あおあお》とした野原《のはら》や、花《はな》の咲《さ》く圃《はたけ》などを右《みぎ》に左《ひだり》に見《み》ることができました。緑色《みどりいろ》の空《そら》は、円《まる》やかに頭《あたま》の上《うえ》に懸《か》かって、遠《とお》く地平線《ちへいせん》のかなたへ垂《た》れ下《さ》がっています。春風《はるかぜ》は、遠《とお》くから吹《ふ》いて、遠《とお》くへ去《さ》っていきます。百姓《しょう》が愉快《ゆかい》そうに働《はたら》いています。お姫《ひめ》さまは、なにを見《み》ても珍《めずら》しく、心《こころ》も、身《み》ものびのびとなされました。 「ああ、世《よ》の中《なか》というものは、なんという楽《たの》しいところだろう。」と、お姫《ひめ》さまは思《おも》われました。そして、いままでお城《しろ》の内《うち》でしていた生活《せいかつ》は、なんという窮屈《きゅうくつ》な生活《せいかつ》であったろうと思《おも》われました。  あるところでは、山《やま》が見《み》られました。また、あるところでは、大河《おおかわ》が流《なが》れていました。その河《かわ》には橋《はし》がかかっていました。お姫《ひめ》さまは、その橋《はし》を渡《わた》られました。すると、あちらに、にぎやかないろいろな建物《たてもの》のそびえている町《まち》があったのであります。この乞食《こじき》のようすをした、お姫《ひめ》さまに出《で》あった人々《ひとびと》の中《うち》には、気《き》の毒《どく》に思《おも》って、お姫《ひめ》さまの側《そば》に寄《よ》ってきて、 「どうして、おまえさんは、そんなに若《わか》いのに乞食《こじき》をするのですか?」と、聞《き》いたものもありました。  お姫《ひめ》さまは、こういって聞《き》かれると、なんといって答《こた》えたらいいだろうかとまどわれましたが、 「わたしには、両親《りょうしん》もなければ、また家《うち》もないのです。」と、いつか乞食《こじき》の女《おんな》がいったことを思《おも》い出《だ》して答《こた》えられました。  すると、その人《ひと》は、たいそうお姫《ひめ》さまを気《き》の毒《どく》に思《おも》って、銭《ぜに》を出《だ》してくれました。  お姫《ひめ》さまは、旅費《りょひ》などは用意《ようい》してきたので、べつにお金《かね》はほしくもなかったが、こうしてしんせつに知《し》らぬ人《ひと》がいってくれるのを、あだに思《おも》ってはならないと思《おも》って、深《ふか》くお礼《れい》を申《もう》されました。  夜《よる》になったときに、お姫《ひめ》さまは、みんな自分《じぶん》のような貧《まず》しいようすをした旅人《たびびと》ばかりの泊《と》まる安宿《やすやど》へ、入《はい》って泊《と》まることになされました。そこには、ほんとうに他国《たこく》のいろいろな人々《ひとびと》が泊《と》まり合《あ》わせました。そして、めいめいに諸国《しょこく》で見《み》てきたこと、また聞《き》いたことのおもしろい話《はなし》や、不思議《ふしぎ》な話《はなし》などを語《かた》り合《あ》って、夜《よ》を更《ふ》かしました。また、それらの中《うち》には、自分《じぶん》と同《おな》じ年《とし》ごろの唄《うた》うたいがいて、マンドリンを鳴《な》らして、いろいろな歌《うた》をうたって、みんなを楽《たの》しませていました。  お姫《ひめ》さまはもとからマンドリンを弾《ひ》くことが上手《じょうず》であり、また、歌《うた》をうたうことが上手《じょうず》でございましたから、自分《じぶん》も、明日《あした》からは、唄《うた》うたいとなって、旅《たび》をしようと思《おも》われました。夜《よ》が明《あ》けて、太陽《たいよう》が、花《はな》の咲《さ》いたように空《そら》に輝《かがや》きわたりますと、その宿《やど》に泊《と》まったすべての人々《ひとびと》は、思《おも》い思《おも》いに旅《たび》をつづけて、散《ち》っていってしまいました。お姫《ひめ》さまは、それを哀《かな》しいことにも、また、たのしいことにも思《おも》われました。そこで、自分《じぶん》は、すっかり唄《うた》うたいのふうをして、この町《まち》を立《た》って、さらに遠《とお》い遠《とお》い、自由《じゆう》な旅《たび》をつづけることになされました。  お城《しろ》の内《うち》に、お姫《ひめ》さまのかわりになって残《のこ》った女《おんな》の乞食《こじき》は、その日《ひ》からは、なに不足《ふそく》なく暮《く》らすことができましたけれど、退屈《たいくつ》でしかたがありませんでした。 「いまごろ、お姫《ひめ》さまは、どうなさっていられるだろう。早《はや》く帰《かえ》ってきてくださればいい。」と、明《あ》け暮《く》れ思《おも》っていました。  女《おんな》の乞食《こじき》は、ふたたび、気《き》ままな体《からだ》になって、花《はな》の咲《さ》く野原《のはら》や、海《うみ》の見《み》える街道《かいどう》や、若草《わかくさ》の茂《しげ》る小山《こやま》のふもとなどを、旅《たび》したくなったのであります。  女《おんな》は、柱《はしら》にかかっている小鳥《ことり》に目《め》をとめました。その小鳥《ことり》は、お姫《ひめ》さまがかわいがっていられた美《うつく》しい小鳥《ことり》でありました。小鳥《ことり》は、かごの中《なか》でじっとして考《かんが》えています。女《おんな》は、顔《かお》をかごのそばに近寄《ちかよ》せました。 「小鳥《ことり》や、おまえも産《う》まれたふるさとが恋《こい》しいだろう。さあ、わたしが、いまおまえを自由《じゆう》にしてあげるから、早《はや》く飛《と》んでおゆき。」と、女《おんな》はいいました。  そして、女《おんな》は、お姫《ひめ》さまの大事《だいじ》にしていられた小鳥《ことり》を、放《はな》してやりました。赤《あか》と、緑《みどり》と、青《あお》の羽色《はねいろ》をした美《うつく》しい小鳥《ことり》は、いい声《こえ》でないて、お城《しろ》の上《うえ》を舞《ま》っていましたが、やがて雲《くも》をかすめてはるかに、どこへとなく飛《と》び去《さ》ってしまったのであります。  お姫《ひめ》さまは、足《あし》にまかせて、いっても、いっても、はてしのない遠《とお》くへといってしまって、帰《かえ》ろうと思《おも》っても、そこがどこやらまったくわからなくなってしまったのです。お姫《ひめ》さまは、自分《じぶん》の国《くに》をばたずねても、だれもその名《な》を知《し》っている人《ひと》はなかったのです。 「そんな国《くに》がどこか、遠《とお》いところにあるとは聞《き》いたが、私《わたし》どもはいってみたことも、またはたしてほんとうにあるのかさえも知《し》りません。」と、人々《ひとびと》は答《こた》えました。  お姫《ひめ》さまは、悲《かな》しくなりました。たとえこうしていることが、どんなに自由《じゆう》であっても、ふるさとのことを思《おも》い出《だ》さずにいられなかったのです。お姫《ひめ》さまは、いまは、ふるさとを恋《こい》しく思《おも》われました。晩方《ばんがた》の雲《くも》を見《み》るにつけ、空《そら》を飛《と》んでゆく鳥《とり》の影《かげ》を見《み》るにつけ、ふるさとを思《おも》い出《だ》しては涙《なみだ》にむせばれていたのであります。  ある日《ひ》のこと、お姫《ひめ》さまは、海《うみ》の見《み》える港《みなと》のはずれで、独《ひと》りマンドリンを弾《ひ》き、ふるさとの唄《うた》をうたっていられました。そこは、ずっとある島《しま》の南《みなみ》の端《はし》でありまして、気候《きこう》は暖《あたた》かでいろいろな背《せ》の高《たか》い植物《しょくぶつ》の葉《は》が、濃《こ》い緑色《みどりいろ》に茂《しげ》っていました。女《おんな》の人《ひと》は、派手《はで》な、美《うつく》しい日《ひ》がさをさして、うすい着物《きもの》を体《からだ》にまとって路《みち》を歩《ある》いています。男《おとこ》の人《ひと》は、白《しろ》い服《ふく》を着《き》て、香《かお》りの高《たか》いたばこをくゆらして歩《ある》いていました。  お姫《ひめ》さまは、太陽《たいよう》の輝《かがや》いた、海《うみ》の面《おもて》をながめながら、心《こころ》をこめて唄《うた》を歌《うた》っていられました。そのときお姫《ひめ》さまは、聞《き》き慣《な》れた、なつかしい小鳥《ことり》の声《こえ》を耳《みみ》にされたのであります。  それもそのはずのこと、お姫《ひめ》さまの大事《だいじ》にされていた小鳥《ことり》は、かごを出《で》て、自由《じゅう》な身《み》になりますと、夜《よる》も昼《ひる》も旅《たび》をして、自分《じぶん》の産《う》まれた南《みなみ》の方《ほう》の島《しま》に帰《かえ》ってきたのです。  そして毎日《まいにち》、のどかな空《そら》に、舞《ま》いさえずりながら遊《あそ》んでいますうちに、ある日《ひ》のこと、下《した》の方《ほう》の港《みなと》で、御殿《ごてん》にいた時分《じぶん》、お姫《ひめ》さまのよくうたわれた唄《うた》と、そしてまさしく、なつかしい同《おな》じ声《こえ》とを聞《き》いたから、そばの木《き》におりてみたのであります。  すると、まちがいなくお姫《ひめ》さまでありました。小鳥《ことり》はすぐに、お姫《ひめ》さまが国《くに》へ帰《かえ》りたいと思《おも》っても、その方角《ほうがく》も、また道《みち》もわからなくて、困《こま》っていられるのを察《さっ》したのでありました。 「おお、きれいな小鳥《ことり》だこと、あの鳥《とり》は、わたしの飼《か》っていた鳥《とり》とよく似《に》ている……。」と、お姫《ひめ》さまは、目《め》ざとくその鳥《とり》を見《み》つけると、思《おも》われました。  小鳥《ことり》は、すぐにお姫《ひめ》さまのそばまでやってきて、なつかしそうにくびをかしげてさえずっています。 「おお、おまえは、まさしくわたしの大事《だいじ》にしていた小鳥《ことり》なのだ。どうして、ここへやってきたの? わたしは、国《くに》へ帰《かえ》りたいと思《おも》っても、道《みち》がわからなくて困《こま》っています。どうか、わたしをつれていっておくれ?」と、お姫《ひめ》さまは、小鳥《ことり》に向《む》かって話《はな》されました。  それから、お姫《ひめ》さまは、小鳥《ことり》について、その飛《と》んでゆくままに、旅《たび》をされたのであります。  小鳥《ことり》が、船《ふね》のほばしらの先《さき》に止《と》まって鳴《な》いたときに、お姫《ひめ》さまは、船《ふね》に乗《の》られました。そして、はるばると波路《なみじ》を揺《ゆ》られてゆかれました。小鳥《ことり》が岸《きし》に上《あ》がって、木《き》に止《と》まって鳴《な》いたときに、お姫《ひめ》さまは、船《ふね》から上《あ》がられました。そして、そこに休《やす》んでいたろばに乗《の》られて、砂漠《さばく》の中《なか》を過《す》ぎられました。  お姫《ひめ》さまは、その道《みち》は、自分《じぶん》のきた時分《じぶん》に通《とお》った道《みち》でないので、ほんとうに、故郷《こきょう》に帰《かえ》ることができるだろうかと、不安《ふあん》に思《おも》われましたが、小鳥《ことり》がどこまでもついていってくれるのを頼《たよ》りに旅《たび》を続《つづ》けられていますと、ある日《ひ》のこと、お姫《ひめ》さまは見覚《みおぼ》えのあるお城《しろ》の森《もり》が、あちらにそびえているのをごらんになりました。 「おお、わたしはお城《しろ》へ帰《かえ》ってきた!」と、お姫《ひめ》さまは覚《おぼ》えず叫《さけ》ばれました。  小鳥《ことり》は、「いま、あなたは、なつかしいふるさとにお帰《かえ》りなったのです。あなたが、私《わたし》をかわいがってくださった、ご恩《おん》を返《かえ》すために、ここまで、あなたをおつれ申《もう》しました。」といわんばかりに、木《き》の枝《えだ》に止《と》まってないていました。 「ほんとうに、ありがとう。」と、お姫《ひめ》さまは、涙《なみだ》に輝《かがや》いた瞳《ひとみ》を上《あ》げて、小鳥《ことり》をじっとごらんなさいますと、小鳥《ことり》は、やっと安心《あんしん》をしたように、空高《そらたか》く舞《ま》い上《あ》がって、どこへともなく、雲《くも》を遠《とお》く飛《と》び去《さ》ったのであります。  ちょうどお姫《ひめ》さまが、お城《しろ》を出《で》られてから、三《み》たびめの春《はる》がめぐってきたのでありました。その間《あいだ》に、どうしたことか、門番《もんばん》の姿《すがた》は見《み》えませんでした。お姫《ひめ》さまは、乞食《こじき》の女《おんな》のことが気《き》にかかりながら、お城《しろ》の内《うち》へとしずみがちに歩《あゆ》みを運《はこ》ばれました。 「まあ、お姫《ひめ》さま、お帰《かえ》りでございますか。」と、侍女《こしもと》は、お姫《ひめ》さまの姿《すがた》を見《み》ると、目《め》にいっぱい涙《なみだ》をためて抱《だ》きつきました。 「おまえも無事《ぶじ》でよかったね。そしてあの女《おんな》はどうしました?」と、お姫《ひめ》さまも目《め》に涙《なみだ》をためて聞《き》かれました。  侍女《こしもと》は、声《こえ》を忍《しの》んで泣《な》きました。そして、 「お姫《ひめ》さま、まことにかわいそうなことでございます。去年《きょねん》の春《はる》、御殿《ごてん》にお客《きゃく》がありまして、ご宴会《えんかい》のございましたときに、殿《との》さまから、お姫《ひめ》さまに歌《うた》をうたって舞《ま》うようにとのご命令《めいれい》がありました。あの女《おんな》は、そんな歌《うた》も知《し》らなければ、また舞《ま》いもできませんでした。それを知《し》らぬというわけにもいかず、その前夜《ぜんや》、井戸《いど》の中《なか》に身《み》を投《な》げて死《し》んでしまいました。」と申《もう》しました。  お姫《ひめ》さまは、あの女《おんな》が、自分《じぶん》の身《み》がわりになったばかりに死《し》んだことを、たいそうかわいそうに思《おも》われました。そして、女《おんな》の身《み》を投《な》げて死《し》んだという井戸《いど》のそばへいって、深《ふか》く、深《ふか》く、わびられますと、その井戸《いど》のそばには、濃紫《こむらさき》のふじの花《はな》が、いまを盛《さか》りに咲《さ》き乱《みだ》れていたのであります。 [#地付き]――一九二一・一二作―― 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 初出:「童話」    1922(大正11)年4月 ※表題は底本では、「お姫《ひめ》さまと乞食《こじき》の女《おんな》」となっています。 ※初出時の表題は「お姫様と乞食の女」です。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:本読み小僧 2012年9月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。